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早く出勤したので、ふらっと仕事前に投稿します。
何のテーマにしようかな?思えば、ずっと皆さんのコメントに答えを出していた。自分なりのスタンスでやってきたつもりだけど、コメント数があまりにも多いので、さてどうしょうかな?いつまで続けるかな?と、いろいろと考えています。

これは悩みでも何でもなく、さてこれからどうしょうかな?という思案の部分です。皆さんのコメントに答える。皆さんの悩みに答える。これは日常私がやっている仕事なので、答え続けることはいくらでもできると思います。一生でも永遠でも答え続けることができるでしょう。どんなテーマでも、どんな複雑な内容でも、冷静に客観的に判断し、その中から焦点を絞って、ピンポイントに悩みを解くカギを見つける。ときに厳しく、ときに優しく、私ならこれができます。

ときに厳しく。
ときに優しく。
そして、私の厳しさは優しい一面から出ている。

優しくか。
そういえば、私は優しい占い師です(笑)
自分で言うのもなんですが、ホントに私は優しい占い師だとおも思います。
これからの人生優しく生きよう…と、実は・・・密かに心がけています。
神のような優しさ。仏のような優しさ。
おこがましいですが、これを目指しています(エヘ。。。)
しばらくは皆さんのコメントに答えを出していくでしょう。
コメントを題材として、ピンポイントとのテーマを絞る。
ピンポイントとの私の答え、お楽しみください。

では、これから鑑定に入ります。
営業時間となりました。
続きはまた明日。



自分の性格は、
大まかなことを好み、小事にはこだわらない。
かな?と思います。
人からよく言われるのは、沖川は宇宙人だ(笑)
いやアメリカ人だ((笑)
と言われます。

それに対して、宇宙人や 毛唐と一緒にするな。
私は純然たる日本人だと言い返すようにしています(笑)

大まかなことを好み、小事にはこだわらない。
こういう性格になるのは、あくまでもこうなりたいという願望で、実際は小事にこだわる人間です。
小事にこだわって悩む。小事にこだわって不安になる。そこらへんにいる人間となんら変わりがありません。

人間は生きていく上で、小事にこだわることはたくさんあります。毎日の生活がそうだし、毎日の仕事もそうです。常に選択する順番があり、優先順位を間違えると時間のロスにもなります。一日の活動は小事なことばかり、大きいことはほとんどありません。小事ばかりこだわり、大きいことができない。それで自分は何やっているんだという反省もありますが、ま、しかたないか、小事の連続が人生だと諦めるようにしています。

小事ばかり続く人生。ときどき嫌になります。
それは、刺激がないからです。

そこで大まかなことを考える。
小さな事より大きな事を考える。

日常生活は小さな事ばかりだが、一人でリラックスしているときはなるべく大きな事を考えるようにしています。ときどき小さな事で大きな考えが邪魔されますが、自分の時間の時は小さな事は打ち消し、なるべく壮大な大きな事を考えるよう努力しています。現実では実現できない壮大な夢。奇跡でも起きないと達成しない夢。ほとんどが妄想ですが(笑)それでもいいので、バカになって大まかなことを考えています。

思考は現実化すると信じて。


日常は小さな事柄の連続です。
こうしてブログを書いているのも。

書くのは習慣となりました。
習慣は、10年以上続いています。

今日も明日も。明後日も数年後も。

そのうち大まかなことをしようかな。
と考えています。



日曜の朝、詩を読んだ。
青春とは、人生のある期間ではなく心の持ちようである。人は年を重ねただけでは老いない。理想を失うとき初めて老いる。
サムエル・ウルマンの詩「青春」より。

なるほど。
青春とは心の持ちようか。
理想を失ったとき老ける。
いつまでも理想を持ち続けなければいけないね。

さて、自分の理想とはなんだろう?
全部やり切った感があるが・・・。
理想とは目標とはなんだろう?

今のところ、これっといった理想や目標はない。
そのうち、これっといった理想や目標がでてくるだろう。

理想や目標が見つかるまで、今はただ、目の前の仕事に頑張るのみ。
日々新たに気持ちで、向上心を持ち、希望にあふれ、楽しく活動を続けるのみ。
そうすれば、おのずと理想や目標は見つかるだろう。

男の人生に「これでいいという目標はない」
そうなっている自分が恐い(笑)
それを喜びとしている自分も恐い(笑)

ノンストップ人生。
人生とは常に危機と隣り合わせ。
気を緩めれば危機に遭遇し、自己向上の意欲を持てば危機は乗り越えられる。
自己向上の意欲の薄くなった人はどうしても老衰を早める。老衰を早めるのは進化・向上に向かう法則に反しているからだ。

青春とは年齢に関係なく戦いだ。
この言い方も、男っぽいが、自分は男と称する。
優しい男として(エへ)・・・称する。
意欲を失えば老衰。いや老害かもしれない。
だから、日に新たな活動を続けよう。



人の人生は、不安と自信の繰り返しでできている。

悪い流れになれば、
自信があるときは傲慢となり、不安なときは自虐的となる。

良い流れにするためには、
自信があるときは謙虚になり、不安なときは積極精神を鍛える。
どんな逆境にあっても、積極精神は発現される。

自分の力を小さく見積もってはならない。
自分の力を大きく見積もること。

積極的に生きれば、宇宙生命の建設的なエネルギーと同調できる。
積極的に生きれば、体に活力があふれ不安がなくなる。
不安をなくすのは己自信、さあ、積極的に生きよう。



日曜日はまともな記事を書く気がしない。
日曜は黄昏時の気分、夕暮れ時、夕方、沈みかけた太陽が赤い光を放つて一日が終わる気分。
人生にたとえるのなら、盛りを過ぎて終りに近づこうとする人生の黄昏的な気分。
一週簡単で考えると、一週間頑張ったのだから、せめて日曜くらいはノンビリいこうという気分。

黄昏・・・。
ペーソスがあっていい。
黄昏を楽しむのは余裕がある証拠。
そして、とてもロマンチックだ。
河川敷の夕暮れは、西に沈む太陽が富士山を真っ赤に染める。
漆黒の暗闇になる前の自然の芸術はとても鮮やかで、二度と同じアートを見ることができない。
二度と同じアートを見ることができないから一日一日を大切に生きなければならない。

大切に生きるためには休むことも大切。
日曜日は週に1回休む日。
子供の頃からそうだった。
日曜日とは休む日のことをいう。
それでいい。


川越のお正月は天候も良く穏やかでした。
沖川はノンビリとした正月を過ごしています。
いいですね。
ノンビリするのも。
こんなノンビリしたのは久しぶりです。

お休みは明日の4日まで。
5日から新年の営業がスタートします。

また戦いが始まります。
心の戦い、精神の戦いが。
迷える子羊が大挙押し寄せる年明け、どんな気持ちで待ち受けてお相手するのか?
今から思案どころです。

その戦いは私の得意とするところ。
今年は「皆さんの夢を達成させるぞ!」という強い信念のもと、鑑定に応じたいと思っています。

もうすぐ幕開けの川越占い館。
沖川の2018年がスタートします。




普段私は携帯を見ません。
見ても一日10分程度です。この10分は恋愛日記のコメント欄、天気予報、ニュースを見るだけです。休みの日は電源を切っています。外へ出かけるときは携帯を持ち歩きません。電波の情報に縛られない生活を心がけているからです。ラインはしません。メールも年に数回程度。携帯は仕事のみに使用しています。鑑定の予約を受けたり、電話鑑定を行ったりと、仕事のみに使用しています。プライベートではほとんど使用していません。もしこの仕事を辞めたら、私には携帯は必要ないと思っています。

携帯の代わりにパソコンはよく使っています。
それも朝が中心。恋愛日記を書くための朝の習慣。携帯では記事がスムーズに書けない、だからパソコンを使う。
つまり、通信機器は私にとって仕事以外必要ないのです。
1%プライベート。
99%が仕事。
使用頻度は、こんなものです。

通信機器(携帯やパソコン)をプライベートで多く使うと運が下がる。
私はこのように思っています。
皆さんはどうでしょうか?



日曜は、なんか、記事を書く気がしない。
でも、そう言いながら記事を書いている自分がいる。
習慣とは恐ろしい・・・。
まあ、いい習慣としましょう。

習慣が人を創る。
正しい習慣が良い人生の源となり、悪い習慣が悪い人生の源となる。私が持っている全ての習慣が良いわけではない。中には悪い習慣もある。正しい生き方より、少しは世間や世の中に反抗したい悪い生き方もある。人間らしいというか、仕事なんかバカバカしい、え~いサボって遊んじゃえ!みたいな生き方もある。歳は重ねているのに、若者に負けない青春を謳歌したという無茶な考えもあって、もう遊びやいいや勉強や学問という年寄り臭い考えもある。日によってコンディションが違う。バイオリズムも違えばテンションも違う。今日は少年で明日は爺だ。爺の叡智と少年の元気はつらつパワーで、泥沼のような、解決策の見えない、科学者や医者でも見当がつかない、不可思議な難関にチャレンジして答えを見つける努力をしている。爺では体力が持たない、少年では知恵が足りない。少年の体力と爺の叡智でこの難問に答えを見つけるしかない。人の心は科学や医学では証明もできないし解決もできない。私みたいのが必要だと信じて。それが私の生き甲斐、私の習慣である。私の習慣は日によって違う。正しい悪い習慣もあれば悪い習慣もある。若い頃は悪い習慣に軍配が上がった。今は正しい習慣に軍配が上がっている。それで私の運は良くなった。人生いくらでもやり直せる。正しい習慣を見つければ。


習慣が人を創る。
だから、こうして、今もブログを書いている。
あ~あ。
今日もまた記事を書いてしまった。




目標のない人は生き甲斐のない人のことをいう。
目標がない人は時間だけが余り、うだうだと余計なことを考えてしまう。選択肢ばかりが増えて、やがて選択そのものが苦痛となる。自分は何を選択すればいいの・・・何を決定すればいいの・・・どの方向がどの道が幸せなの・・・選択ばかりが増えて、逆に悩みが多くなる。悩みが多くなれば頭が混乱し、人間としての精神崩壊の危機を迎え、限界に達してしまう。悩み多き乙女は、いつの時代も不運を招く。悩みとは欲求不満の固まり、あまりにも多くのものを欲張って欲しがるから、かえって頭が混乱してしまっている、そこに早く気づくことだ。

あきらめよう・・・そうすればうまくいく。
その意味は、欲張って混乱を招いたたくさんの悩みを整理するために使うといい。整理の仕方は、不運を寄せ付けないという志のもとに整理するとよい。


あきらめよう・・・そうすればうまくいく。
付き合っている男性が条件の悪い男で、不運の持ち主なら、あきらめよう・・・そうすればうまくいくと念じて恋人の関係を清算して整理しよう。
親が毒親なら、あきらめよう・・・そうすればうまくいくと念じて、実家を出て自立し、毒親との関係を清算して整理しよう。
悪い友人や不幸を招く友人なら、あきらめよう・・・そうすればうまくいくと念じて自分に悪い影響を与える人間関係を清算して整理しよう。

悩みの種は整理すること。勇気を持って、あきらめよう・・・そうすればうまくいくと念じて、整理すること。これを目標にするとよい。

人間は目標を持てば悩まなくなる。
目標達成に忙しく悩んでいる暇がない。
目標に向かっている途中は苦しいが不安がなくなる。
あなたは苦しみと不安、どちらを選ぶ?
先のある苦しみと先のない不安。
あなたはどちらを選ぶ?
私は先のある苦しみを選ぶ。
そこには、夢がある。
夢に向かっている人間は悩みがない。
そんな人生を送りたいから、そちらを選ぶ。



どうも私は日曜日になるとだらけててしまう。
子供の頃から日曜日は休みだった。
いい大人になった今もその習慣が今も続いている、日曜日は仕事をしてはいけないという習わしが。
だから、日曜日は込み入った記事を書く気がしない。戦場の平日と違い日曜日は平和にノンビリしたい。

気を張らず平和にいこう。
いろいろな出来事や、解決していない悩みはいろいろある。
ほとんどがどうでもいい悩みだけど、生きている本人からすれば重くのしかかるものばかり。
せめて週に1度くらいは、平和に暮らしていこう。悩んでばかりでは幸せになれないよ。

幸せとはなにか?
私は気分だと思う。
仕事のない日曜の朝の気分のようなもの。
非日常の気分が一番幸せ。
でも、幸せは長く続かない。
幸せは一瞬で終わり、またいつもの長い戦いが始まる。

長い戦いを乗り切るには長い戦いの中に喜びを見つけなければならない。
戦いの中に喜びを見つける?
私はこう考えた。
苦労を喜びとしよう。
忍耐を喜びとしよう。
悲観を喜びとしよう。
挫折を喜びとしよう。
人間が持っている艱難辛苦、すべてを喜びとしよう。
そう考えれば、長い戦いが喜びにあふれる。
これが生きている証拠だと。

不幸は、
苦労が嫌だ。
忍耐が嫌だ。
悲観が嫌だ。
挫折が嫌だ。
人間が持っている艱難辛苦がぜんぶ嫌だという。

可愛そうな人。
だから、そこには喜びがないのです。
そして幸せにもなれない。

一番後悔する人間は、リスクを負わなかった人。
嫌なことを逃げてばかりで何もしなかった人です。
やろうと思っても、遠巻きに見て何もやらなかった人です。

やってみなはれ。
やってみれば難しいことは何もない。
やらないから難しくなる。
やらないから、かえって自分を混乱に陥れる。
やらない人は選択が多すぎる。
選択とはまたの名を苦痛という。
やっている人は選択が一つなので苦痛がない。
ただ前向きに一つのことをひたむきに努力している。
苦痛の選択から逃れて一つのことに集中している。
だから、そこに喜びがある。

苦労という喜び。忍耐という喜び。悲観という喜び。挫折という喜び。やっている最中がすべての艱難辛苦が喜びとなる。なぜそうなるのか?リスクを負って目的に向かっているからだ。

ああ~。
また込み入った記事を書いてしまった。
せっかくの日曜日なのに。