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普段私は携帯を見ません。
見ても一日10分程度です。この10分は恋愛日記のコメント欄、天気予報、ニュースを見るだけです。休みの日は電源を切っています。外へ出かけるときは携帯を持ち歩きません。電波の情報に縛られない生活を心がけているからです。ラインはしません。メールも年に数回程度。携帯は仕事のみに使用しています。鑑定の予約を受けたり、電話鑑定を行ったりと、仕事のみに使用しています。プライベートではほとんど使用していません。もしこの仕事を辞めたら、私には携帯は必要ないと思っています。

携帯の代わりにパソコンはよく使っています。
それも朝が中心。恋愛日記を書くための朝の習慣。携帯では記事がスムーズに書けない、だからパソコンを使う。
つまり、通信機器は私にとって仕事以外必要ないのです。
1%プライベート。
99%が仕事。
使用頻度は、こんなものです。

通信機器(携帯やパソコン)をプライベートで多く使うと運が下がる。
私はこのように思っています。
皆さんはどうでしょうか?



日曜は、なんか、記事を書く気がしない。
でも、そう言いながら記事を書いている自分がいる。
習慣とは恐ろしい・・・。
まあ、いい習慣としましょう。

習慣が人を創る。
正しい習慣が良い人生の源となり、悪い習慣が悪い人生の源となる。私が持っている全ての習慣が良いわけではない。中には悪い習慣もある。正しい生き方より、少しは世間や世の中に反抗したい悪い生き方もある。人間らしいというか、仕事なんかバカバカしい、え~いサボって遊んじゃえ!みたいな生き方もある。歳は重ねているのに、若者に負けない青春を謳歌したという無茶な考えもあって、もう遊びやいいや勉強や学問という年寄り臭い考えもある。日によってコンディションが違う。バイオリズムも違えばテンションも違う。今日は少年で明日は爺だ。爺の叡智と少年の元気はつらつパワーで、泥沼のような、解決策の見えない、科学者や医者でも見当がつかない、不可思議な難関にチャレンジして答えを見つける努力をしている。爺では体力が持たない、少年では知恵が足りない。少年の体力と爺の叡智でこの難問に答えを見つけるしかない。人の心は科学や医学では証明もできないし解決もできない。私みたいのが必要だと信じて。それが私の生き甲斐、私の習慣である。私の習慣は日によって違う。正しい悪い習慣もあれば悪い習慣もある。若い頃は悪い習慣に軍配が上がった。今は正しい習慣に軍配が上がっている。それで私の運は良くなった。人生いくらでもやり直せる。正しい習慣を見つければ。


習慣が人を創る。
だから、こうして、今もブログを書いている。
あ~あ。
今日もまた記事を書いてしまった。




目標のない人は生き甲斐のない人のことをいう。
目標がない人は時間だけが余り、うだうだと余計なことを考えてしまう。選択肢ばかりが増えて、やがて選択そのものが苦痛となる。自分は何を選択すればいいの・・・何を決定すればいいの・・・どの方向がどの道が幸せなの・・・選択ばかりが増えて、逆に悩みが多くなる。悩みが多くなれば頭が混乱し、人間としての精神崩壊の危機を迎え、限界に達してしまう。悩み多き乙女は、いつの時代も不運を招く。悩みとは欲求不満の固まり、あまりにも多くのものを欲張って欲しがるから、かえって頭が混乱してしまっている、そこに早く気づくことだ。

あきらめよう・・・そうすればうまくいく。
その意味は、欲張って混乱を招いたたくさんの悩みを整理するために使うといい。整理の仕方は、不運を寄せ付けないという志のもとに整理するとよい。


あきらめよう・・・そうすればうまくいく。
付き合っている男性が条件の悪い男で、不運の持ち主なら、あきらめよう・・・そうすればうまくいくと念じて恋人の関係を清算して整理しよう。
親が毒親なら、あきらめよう・・・そうすればうまくいくと念じて、実家を出て自立し、毒親との関係を清算して整理しよう。
悪い友人や不幸を招く友人なら、あきらめよう・・・そうすればうまくいくと念じて自分に悪い影響を与える人間関係を清算して整理しよう。

悩みの種は整理すること。勇気を持って、あきらめよう・・・そうすればうまくいくと念じて、整理すること。これを目標にするとよい。

人間は目標を持てば悩まなくなる。
目標達成に忙しく悩んでいる暇がない。
目標に向かっている途中は苦しいが不安がなくなる。
あなたは苦しみと不安、どちらを選ぶ?
先のある苦しみと先のない不安。
あなたはどちらを選ぶ?
私は先のある苦しみを選ぶ。
そこには、夢がある。
夢に向かっている人間は悩みがない。
そんな人生を送りたいから、そちらを選ぶ。



どうも私は日曜日になるとだらけててしまう。
子供の頃から日曜日は休みだった。
いい大人になった今もその習慣が今も続いている、日曜日は仕事をしてはいけないという習わしが。
だから、日曜日は込み入った記事を書く気がしない。戦場の平日と違い日曜日は平和にノンビリしたい。

気を張らず平和にいこう。
いろいろな出来事や、解決していない悩みはいろいろある。
ほとんどがどうでもいい悩みだけど、生きている本人からすれば重くのしかかるものばかり。
せめて週に1度くらいは、平和に暮らしていこう。悩んでばかりでは幸せになれないよ。

幸せとはなにか?
私は気分だと思う。
仕事のない日曜の朝の気分のようなもの。
非日常の気分が一番幸せ。
でも、幸せは長く続かない。
幸せは一瞬で終わり、またいつもの長い戦いが始まる。

長い戦いを乗り切るには長い戦いの中に喜びを見つけなければならない。
戦いの中に喜びを見つける?
私はこう考えた。
苦労を喜びとしよう。
忍耐を喜びとしよう。
悲観を喜びとしよう。
挫折を喜びとしよう。
人間が持っている艱難辛苦、すべてを喜びとしよう。
そう考えれば、長い戦いが喜びにあふれる。
これが生きている証拠だと。

不幸は、
苦労が嫌だ。
忍耐が嫌だ。
悲観が嫌だ。
挫折が嫌だ。
人間が持っている艱難辛苦がぜんぶ嫌だという。

可愛そうな人。
だから、そこには喜びがないのです。
そして幸せにもなれない。

一番後悔する人間は、リスクを負わなかった人。
嫌なことを逃げてばかりで何もしなかった人です。
やろうと思っても、遠巻きに見て何もやらなかった人です。

やってみなはれ。
やってみれば難しいことは何もない。
やらないから難しくなる。
やらないから、かえって自分を混乱に陥れる。
やらない人は選択が多すぎる。
選択とはまたの名を苦痛という。
やっている人は選択が一つなので苦痛がない。
ただ前向きに一つのことをひたむきに努力している。
苦痛の選択から逃れて一つのことに集中している。
だから、そこに喜びがある。

苦労という喜び。忍耐という喜び。悲観という喜び。挫折という喜び。やっている最中がすべての艱難辛苦が喜びとなる。なぜそうなるのか?リスクを負って目的に向かっているからだ。

ああ~。
また込み入った記事を書いてしまった。
せっかくの日曜日なのに。





賢明に努力していると、たまに虚脱感に襲われる。
無気力になって、何もやる気がなくなる。
私の場合は、月に1度くらいの割合でその症状が現れる。

今の私は、その何にもやる気が起きない症状を楽しんでいる。
また虚脱感か?今まで頑張ってきたから、ときどき無気力に襲われるのも仕方がない。
心がメンテナンスが必要だよとシグナルを送っている。
そういうときは、休むことにしている。


今朝記事を書こうと思った。
また重厚なあの記事を。
朝6時に起きて書こうとした。
あれ?いつもと違う。
なにかやる気が起きない。
パソコンのキータッチが進まない。
記事が書けない・・・。

やめたやめた。
今日は記事を書くのやめた。

そういうときは、ボーッとする。
2時間ボーッとしたら、また記事が書きたくなった。
習慣とは恐ろしいものだ。
9時近くになって、なんか記事を書こうとパソコンに向かう。
これが今回の記事、虚脱感と無気力感。
何でこんな記事を書いたか?
沖川の人間らしい部分を披露したかったから。




沖川は(10/30~11/2)までお休を取らせて頂きます。

その間ブログの投稿はできませんのでご了承ください。

予約の受付は10/31、11/1と中止させて頂きます。
予約は11/2より受付けます。詳しいことはブログでご案内します。







ずっと雨が降り続いています。
今年は雨が多かった気がします。

今日は台風の日曜日、注意が必要です。
川越占い館へお越しの方はくれぐれも気をつけてお越しください。
関東地方の台風の直撃は明日(10/23)らしいのですが、本日も大雨が予想されます、足下に気をつけてお越しください。



今年の夏は雨が多い。
関東は来る日も来る日も雨。
昨夜のゲリラ豪雨は凄かった、帰りはびしょびしょ。
今朝も曇っている、また雨が降るのだろう。
恵みの雨は嫌いでないけど、スカッと晴れた日差しが恋しい。

日曜の朝。
日曜日はなんか記事を書く気が起きない。
日曜日=休みという習慣が染みついているから。
日曜ぼけの自分が好きである。
たまに、人生はゆっくりでぼんやりでいい。


せっかちと根気、根気とスピード、両方の性格を取り入れる

「今日やるべきことを明日に回さない」というのを心がけているが、なかなかそうはいかない日もある。自分に時間がないときもあれば、相手とタイミングが合わないときもある。そのときは今日やろうと思ったことができない。今日できなければ明日、明日に回せる気持ちの切り替えも必要。明日に回せる考えと勇気、目的を達成するためには、根気よく続けることが必要となる。

せっかちな人は明日に回せない。今、答えが欲しいとなる。私もそう、問題が発生したらせっかちに今日中に答えが欲しいとなる。明日に答えはいらない、今日、たった今、答えが欲しい。それで失敗することもあるが、私の経験では、概ねそれでうまくいっている。問題が発生したら今日中に解決する。なるべく短期間で解決する、長く問題を引きずらない。そのやり方の方が私に合っている。せっかちというよりスピードのある解決策、人間にはそれも必要である。だって次から次へと未来の計画、やるべきことがたくさあるのに、ひとつの問題で長くそこに停滞するわけにはいかない。


いろんなことに根気よく長くやってきたが、日常は今答えが欲しいというせっかちで動いていることが多い。根気とせっかちは相反するが、私は両方取り入れている。今日はせっかちの日もあれば、明日はノンビリする日もある。せっかちとノンビリ、どちらで過ごしても対局はぶれない。対局は「我が人生、まあまあだった」とするのが人生の目標だから。



ある本で、99歳のユダヤの大富豪が言った言葉「お金は興味より懸念」懸念の意味は、「気にかかって不安に思うこと」「 安全性に懸念を抱く」「先行きを懸念する」ということらしい。そして、お金は「人生の保険」とも言っている。なるほど、だからこの人は99歳になった今でも現役で働いているのか。お金を稼ぐことは保険だから、保険という安心を手に入れるために働く。たとえ、一生遊んで暮らせる貯金があっても、銀行口座が目減りするような暮らしはしたくない。

お金は興味より懸念。
そしてお金は人生の保険。
考えさせられる内容だ。

もし、一生遊んで暮らせるお金があったら、仕事はさっさと引退して遊んで暮らしたい、と思うのが一般的な人の考えだと思う。社会に出て40年以上働いて定年退職を迎えたら、「ご苦労様、仕事はもういいよ」となりたい。自分もそう思うし、ほとんどの人がそう思っているのではないだろうか。毎日が日曜日、毎日が自由で好きなことをやって暮らすことができれば、人生は最高だ。お金と健康さえあれば、後半の人生は豊かな暮らしになる。そんな暮らしをしたくて、みな一生懸命働いているのではないだろうか。

ところがその老人は言う。
この考えはとても愚かだと。
収入がなくなれば、人はお金に興味を持ちお金に支配されるようになる。お金に支配されるようになれば、毎月減る銀行口座に不安を覚え、詐欺まがいの不動産投資や株式投資にひっかかり、大損害を被るか、全財産を失う危険性がある。こうして財産を失った人は世の中にたくさんいる。お金に興味を持ってはいけない、お金は人生の保険だ。保険はいざというときに使うもので、生活のために使うものではない。日常の生活は働いて得る収入でまかなうべきだ。だから私は99歳になった今でも働いている。

お金は興味より懸念か。
そしてお金は人生の保険。
うむ…。
困ったものだ。
この本を読んで。
そろそろ引退を考えていたのに、困ったものだ。
老後はのんびり暮らそうと思っていたのに。
もっとも愚かなことは、銀行口座が目減りする暮らし。
うむ、考えさせられる。
考えさせられるが、いい本だ。
さすが、99歳の人生の大先輩だ。

この本を読んで、銀行口座が減る暮らしは避けたいと思うようになった。
そのために体が元気なうちは働こうと思う。