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奇跡を起こすには、まず自分の現状を把握するところからはじめ、ダメなところも逃げずに自分を分析する。『自分の中の間違い探し』うまく行かない原因を探す。『成長』なしに『奇跡』は起きない。


【狂った愛】
愛に狂った女性たちは状況判断ができていない。彼の現状や自分の現状を把握していない、ただ「好きなの」という気持ちだけで何とかなると勘違いしている。俗に愛があれば何とかなる、愛があればすべてがうまくいくと愛の強さを過大評価している。あなたが彼に対する思いがいくら強くても、バランスが崩れていてはどんなに強く愛していてもその愛は結ばれることはない。片一方の執着したエゴの愛は、相手にとってはえらい迷惑な愛だからだ。



何故?迷惑な愛となるか。それは現状を把握していないからだ。そして状況判断もできていない。相手を分析して自分も分析していない。現実の成功哲学を理解しようとしていない。ただやみくもに愛に逃避し、彼のことを朝から晩まで思っていればロマンスの神様が助けてくれると信じているだけである。



妄想にふけっている愛は成功の路線を歩いているわけではない。成功するには現実に沿った成功哲学の路線を歩まなければいけない。妄想するのをやめ、まずは自分の現状を把握するところからはじめ、ダメなところも逃げずに自分を分析する。『自分の中の間違い探し』うまく行かない原因を探す。『成長』なしに『奇跡』は起きない。というのを理解する必要がある。


まずは現状把握、自分の状況と相手の状況を把握することからはじめ、状況が判断できたらその状況に沿った計画を立てる必要がある。その計画はあなたが生きてきた経験と能力を駆使して、全精力と全エネルギーをつぎ込むべきである。また計画を立てるのに、自分の能力だけでは足りないと思うのなら心から尊敬できる人に相談して、計画の実効性の幅を持たせるようにしたらいい。状況判断ができて現実に沿った計画、それが奇跡を生む成功哲学である。



その計画は妄想にふけっているだけでは生まれない。本気で真剣に考え抜いた末に生まれる計画である。机の上に何日も何十時間もかけて、頭が熱くなるくらい考えに考え抜いて熟慮に熟慮を重ねて真剣に生みだした現実の計画、それが成功の路線に乗った計画である。その計画は成功の路線を出発する始発駅、成功する終着駅までの道のりは遠く長い。この旅を制するためにもしっかりした現実の哲学である計画が必要となる。



本当の愛は、あなたの真剣な計画によって生まれる。
その計画を立てるのをみなさんは面倒だと思っている、だから奇跡は起きないのである。ただ安物の愛に逃避して、朝から晩まで彼のことを思っていれば何とかなると勘違いしている。本気で彼のことが好きならば、妄想にふけるより、「もっと本気を出して真剣にその計画に取り込め!」と言いたい。


自分の能力の限界まで頭を駆使して計画を立てるのを忌み嫌う人は、「頭では分かっているが」と現実や状況を否定した言葉で片付けようとしている。「頭では分かっているが、それができない」と言う人は自ら「奇跡を起きない」と放棄している人たちである。うまくいかないことも奇跡が起きないことも実は知っていて、ただ終わった愛の余韻にいつまでも浸りたいだけなのである。




自分が上になるには、彼に結婚を言わせるなら自分を高める努力が必要。彼に執着しない 自分からは追い掛けない、そして彼に多くを望まない。彼を変えようと思わない。


コメントから抜粋。
皆さんの奇跡シリーズ、なかなかだと思います。さすが恋愛日記のフアンだけのことはあると感心しています(笑)


「彼に結婚を言わせるなら自分を高める努力が必要。」この言葉いいですね。彼に多くを望まない。彼を変えようと思わない。その意気で頑張ってください。あなたが変われば彼も変わる。これからの時代は、女性の自立も含めて、女性が進化成長していかなければならない時代です。


最近の男性は、恋愛や結婚における責任と義務が劣化しつつあります。愛情や寂しさより、自由を求める時代。小遣い制より財布は二つの時代。生活費は折半、割り勘制にする時代(20代、30代の夫婦は財布が二つの家庭が6割を超えている)自分で稼いだお金は自分のものという考えが主流になりつつある。男たちは自分の稼ぎ次第で結婚の有無が決まる。そんな時代に古き本能の考えで男性に依存してはいけません。あなたはあなたで、彼は彼で、自立していかなくてはならないでしょう。


とても厳しいように聞こえますが、そんな時代にあなたは生きているのです。そんな時代なら逆に時代を先取りした女性に進化していきましょう。


愛に依存しない時代なら、愛は依存より絆なに変えればいいのです。全面に相手に依存するのではなく自分でしっかり立っていて、相手と対等に握手をするというH型の絆に変えていけばいいのです。夫婦共稼ぎで子供を育てる時代なら家事は折半、中国型の夫婦を目指すのもいいでしょう。中国人の夫は家事をやることは当たり前、家事の協力は世界一だと聞いています。日本の男子もそのくらい家事を協力すればいいのです。稼ぎが悪いのに、いつまでも亭主関白で威張っている時代ではありません。亭主関白になりたいのなら奥さんや子供たちに豊かな生活費を与えてからなってください。



生活費も家事も割り勘にする時代。
これからの女性たちが男性を選ぶとしたら、家事の協力は絶対条件というのを掲げて男性選びをしたらどうでしょうか。家事という仕事、料理・洗濯・掃除・買い物・子育て、この仕事は労働者の一日分の労働に匹敵します。今までは女性たちがサービス残業でこなしてきました。これからの時代はこの家事という仕事を折半する時代です。家事を仕事に置き換える、「男は仕事が命」という概念に家事を変えることができれば、協力し合い絆が生まれるのではないでしょうか。



愛に依存する相手を選ぶより「この人なら一緒に協力して生活ができる」という人を選んだらどうでしょうか。人生で一番大切なものは安定した生活です。お互いが協力し合うことで、家族の絆が生まれる。これが時代を先取りした夫婦像だと思います。



恋愛に依存しない、こだわりを捨ててそこから離れてみる。



「こだわりを捨ててそこから離れてみる。」恋愛依存症の皆さんにはとても勇気のある行動のように聞こえますが、「やってみると思ったより効果は高いことに気づくでしょう」ネガティブのときは恐怖で、その効果の実感はわかないと思いますが、こだわりを捨ててそこから離れてみると新しい風が吹き、新規に自分を開拓することができます。新規に自分を開拓した人間は「何で早くそれをやらなかった」あのとき思い切ってやっておけば良かったと後悔するものです。


恋愛はときに、崖っぷちの木の枝にぶら下がっている心境に追い込まれます。手を放せば下は奈落の底、落ちたら人生が終わり。辛くても苦しくてもその手を放すことができない。必死に木の枝にぶら下がっているが、疲れて・・・とても苦しい・・・でも手を放すことができない。恋愛の苦しみはそれと同じ状況かもしれません。でもあなたはそろそろ限界でしょう。そこへ超積極的な神が現れて、こう告げます。


神・・・「その手を放しなさい」
「でも、手を放したら奈落の底へ落ちます。手を放したら私の人生は終わりです。」

神・・・「ほう?手を放したら君は地獄に真っ逆さまに落ちるのかい?」

「そうです。ここで手を放したら私は地獄に落ち、もう二度と立ち直ることができません。」

神・・・「そんなことはない君は何を見ているのだ!下は天国かもしれないよ。」

「え!下は天国?そんなことはない下は地獄です。」

神・・・「天国か地獄か、手を放せばわかる、手を放してごらん。」

「いやです。」

神・・・落ちるのがそんなに恐いかい?」

「はい・・・恐いです。」

神・・・「落ちたら落ちた先に聞けばいい。たとえそこが奈落の底でも地獄でもどうってことない。君が超積極的な人間に生まれ変われば這い上がることができる。君はピンチをチャンスに変える人間だよ、だから何も恐れることはない。君の苦しみはチャンスを生もうとしている苦しみ、だから何も心配することない。思い切って手を放しなさい!」



私も崖っぷちの木の枝から手を放したことがある。実際の崖っぷちの木の枝ではない。人が苦しむと、崖っぷちの木の枝にぶら下がっているような幻想に追い込まれる。手を放したら奈落の底に落ちてもう二度と立ち上がれないと思いこんでしまう。


「落ちたら落ちた先に聞けばよい」


その真髄が理解できた私は、落ちたら落ちたとき考えればよいと思うようになった。

落ちたら落ちた先に聞けばいい。落ちたら地獄だと思っていた場所が実は天国だった。そういう経験の方が実は多い。天国だったと感じるのは数年経ってからの話だけどね。


やるだけのことはやっても、うまくいかない時期がある。うまくいかないことにいつまでもしがみついている自分がいた。そのときは必死で頑張るが、うまくいかない。うまくいかないことにいつまでもしがみついていた。


手放そう・・・それを覚えたのはとことんやって限界に来たときだ。とことんやって限界がきて手放す。するとどうなったのか?みるみるうちに運が向上してきたのを覚えている。落ちた先は地獄だと勘違いしていたのである。勇気を出して手放して運が開いてきたという経験を目の当たりにして「これだ!」と思ったね。ネガティブでどんなに頑張ってもダメなものダメ。ダメと終わりがあるのをしっかり覚えた。世の中には終わりがある。そして終わりがあれば始まりもある。どうせなら一度しかない人生、積極的に「始まり」に向かって前へ進むべきだね。



あなたも崖っぷちの木の枝にぶら下がっている苦しい現状なら、恐いけど勇気を出して手を放しなさい。落ちたら落ちた先に聞けばいい。聞いてごらん?聞いたら奇跡が待っているよという言葉を聞くことになるだろう。




苦しいのに、スイッチを入れるだけで、苦しさも悲しみも消え、心がすっきり晴れ渡る。心を変えるこのスイッチが、「絶対積極」なのだと思います。



スイッチを入れるだけで、苦しさも悲しみも消える。そういうスイッチを皆さんが持てるといいですね。スイッチを入れると嫌なことが消え、嫌なことが忘れられる。そういうスイッチがほしいですね。



私のスイッチの言葉は、「それがどうしたの」です(笑)投げ出しのように聞こえる言葉ですが「それがどうしたの」で私は全部片付けてしまいます。彼が浮気をした「それがどうしたの」彼が私のことを嫌いになった「それがどうしたの」他人が私の悪口を言った「それがどうしたの」信じていた人から裏切られた「それがどうしたの」彼の携帯を見たら見てはいけない悪いことが出るわ出るわ「それがどうしたの」仕事がない「それがどうしたの」仕事が忙しくにっちもさっちもいかない「それがどうしたの」・・・ネガティブな事例に関しては「それがどうしたの」で片付けてしまいます。



コップの嵐の中の嵐に巻き込まれるのではなく、外側からコップの中の嵐を観察している状況が「それがどうしたの」です。高い見地から客観的な判断をする心が「それがどうしたの」です。他人の相談だけではありません、自身の苦難や苦労に関しても「それがどうしたの」で今は片づけています。「それがどうしたの」と言えるようになったのは、私自身がそれなりの不幸や苦労を経験してきたからです。騙されたり裏切られたり、世の中不公平だということも人並みに味わってきました。若いころはその小さなネガティブの中にどっぷりつかって長い時間抜け出せなかったのですが、今は5分で抜け出せます(笑)艱難辛苦の経験とは恐ろしいもので人をふてぶてしく強くします。どんな不幸や苦労も「それがどうしたの?それでも私は生きているそれでいいではないか!」と片づける心境を得ることができました。



ふてぶてしく、開き直りとも言える精神ですが、それがないとこの仕事はできないし、殺伐とした世の中を生き抜くことはできません。たくましく開き直る精神「それがどうしたの」をいつか皆さんもマスターしてください(笑)・・・おっとふてぶてしく開き直ったオバタリアンを目指しなさいと言っているのではありません(笑)可憐な清楚な女性の中にいざとなったら「それがどうしたの」で嫌なことを片付けてしまう女性を目指しなさいと言っているのです。



「それがどうしたの」はいつまでも苦労やネガティブにいないための言葉です。



絶対積極は他人の心ではなくあなた自身の心なのです。



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池袋、東急ハンズ8F(ネコぶくろ)

ネコ好きな方は一度は行ってみる価値あり。

珍しいネコ、可愛いネコがいっぱいいます。




「メンタルを鍛えること、自分自身に責任を持って、ファイトだー!自分自身を許すこと。コンプレックスをなくすこと。不安を解消し、リラックスし、無我の境地でいること。他者と比較・競争せずに、始めたことを継続していく。」



奇跡は偶然に起こるものと、必然的に起こるものがある。今回のシリーズは「必然的に奇跡を起こす」方法を皆さんと共に考えていきたい。私の経験、このブログに参加している皆さんの経験を踏まえて奇跡を起こそうではないか。



自分自身に責任を持つ。他者と比較・競争せずに、始めたことを継続していく。前回の記事の続きになるが、飽きずに読んでほしい。ブレないように何度も何度も言い聞かせることで絶対積極の精神が宿る。「絶対積極のブレない心」この心をまず創ることで、あなたは必然的に奇跡を起こせるようになる。今まで何十年生きてできなかった事が、たった数カ月の訓練で「やれる」という確信が持てるようになり、一年も続ければ「やった!」という自信に変わる。その自信を積み重ねていくことで、あなたは天才になる。天才となれば奇跡は必然的に起きるようになる。



うまくいっていない仕事も、うまくいっていない恋愛も、自分自身に責任を持って絶対積極になれば全てがうまくいく。



自分のマイナスの思い込みを全部変える、自分をしっかりと保つ、独りでできることをドンドンやることで、一人でいる時間を恐れない。自分で足跡をつけていかなければ何も起こらない、笑顔で自分のすべき事を淡々とこなし、自分を大切にして人生を楽しみ 向上心を満たし、そして祈ることです。(良い文章なのでそのまま引用させていただきました)


「何もしなければ何も起こらない」結局はそこにたどり着きますね。


自分のマイナスの思い込みを全部変える。
相談に訪れているお客さんの大半はマイナス思考です。世間や彼がどうのこうのより、まずは自分を変えることです。自分を変えないと何も起きないし何も変わらないと思います。


自分をしっかりと保ち、独りでいる時間を恐れないで、独りでできることをドンドンやる。
自身の力で奇跡を起こす方法はこれですね。「優柔不断は人類共通の敵」ブレる人は奇跡が起きない。多くの人間がブレているだから奇跡は起きない。ブレない心でしっかりと自分を保とう。相手に依存しないで、誰にも頼らないで、最後まで一人でやったという自信と達成感を一つくらい持とう。やり遂げたという自信の一個一個の積み重ねが、奇跡を生む原動力となる。だから独りでいる時間を恐れないで、独りでできることをドンドンやろう。


独りでやることに孤独にならない。奇跡に向かっている自分は楽しいと思えば孤独にならない。そうやって多くの芸術家や音楽家、学者、事業家、指導者は私たちにたくさんの奇跡の恩恵をもたらせてくれた。



笑顔で自分のすべき事を淡々とこなし、自分を大切にして人生を楽しみ 向上心を満たすことです。

自分ですべき事を淡々とこなす。私はその言葉が好きですね。こうして恋愛日記も淡々とこなしてきた。多くの賛同と批判もありながらも私は淡々とこなす。これがこの仕事をやっている私の使命だと信じて。

孤独かと言うとぜんぜん孤独ではない。むしろ今日は何を書こうかと楽しんでいる(笑)記事を書いている瞬間は孤独かもしれないが、みなさんのコメントや鑑定に訪れるお客さんがたくさんいるのでその先も孤独ではない。孤独で頑張った先には夢がある。それがここまで続けることができた私の確信である。いつかノンビリする日が来るまで、この毎日の繰り返しは続くだろう。


この仕事をやっていて思うことがある。「それはエゴを捨てること。」エゴがあっては奇跡を起こすことができない。エゴが無くなってこそ奇跡が起きる。



潜在意識は個人や個体のものに力を発揮しない。何故発揮しないか?個人や個体はエゴだからだ。純粋な誓いであるあなたの夢に、固有名詞の個人や個体を入れないことである。個人や個体より、もっと壮大な大きなもの、宇宙のような広い心であなたは夢に誓いを立てるべきである。



例えば、初詣に行ったとき、「今年こそ彼と結婚できますように」とお祈りしてはならない。お祈りするのなら「今年はみんなが幸せで、健康でありますように」とお祈りするのが良い。もっと壮大にお祈りするのなら、「世界が平和でありますように」「人類が幸せでありますように」とお祈りする。私は毎年この言葉で初詣に行っている。私個人のことや固有名詞の他人のことは祈っていない。「私だけが幸せになりますように」とか「あの人と私が幸せになりますように」という個人の祈りは神には通用しないとわかっているからだ。


【あなたが奇跡を起こしたいと思うのであれば、個人や個体に執着しないことだ】



執着は叶わぬ夢を自分の欲望でどうしても手入れたいという悪の権化である。周りの状況や相手の気持ちなど見えていない。自分だけが良くなればいいというエゴを潜在意識は弾き飛ばす。これを叶えたら、世の中は悪人だらけになり人類が全滅するという危機に陥るからだ。そうなる前に宇宙の力である潜在意識は個人のエゴを叶わない方向に持っていく。


神は「お~い君よ、それはエゴだよ。エゴを捨てなさい、エゴを大義名分である信念に変えなさい」・・・と宇宙のかなたからつぶやいている。


結婚においても、個人である「彼・彼」に執着しないこと「彼がいい、彼でなければ嫌」というエゴである欲望の願いを潜在意識は受け付けない。受け付けるのはバランスのとれた器だけである。非バランスのものを潜在式は受け付けないのである。


あなたと彼が非バランスであれば、あなたと彼は結ばれることはない。非バランスをどうすればバランスが取れるようになるのか、それを真剣に考えて取り組むことによって信念が生まれる。叶わぬ夢を自分の欲望でどうしても手入れたいという悪の権化である執着でいくら潜在意識や神にお祈りしても願いは叶うわけない。願いは非バランスを信念によってバランスが取れるようになってから願いは叶うのである。執着している暇があったらあなたの器を磨くこと、そこに信念を燃やすことである。



個人や個体に執着しない、私の考えはこうである。
「彼がいい、彼でなければ嫌!」というエゴは捨てなさい。あなたと器が取れていれば、相手は誰でもいいという地球規模で男性を見なさい。【男はみな同じ】だからあなたとバランスのとれている男性を好きになり愛しなさい。それが私の考えである。男女はバランスが取れていれば一生幸せになると私は確信しているからだ。


『ぶれない心』と『あきらめない精神』は、「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」と矛盾する反対の言葉だが、奇跡を生んだ多くの人は「最後まであきらめなかったから成功した」と感想をもらす。



「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」と『あきらめない精神』は、矛盾している言葉のように聞こえるが、私はそうは思わない、どちらも時と状況に応じて使える精神論である。自分の立場、置かれている状況はどの精神(心)がふさわしいのか、決めるのは己自身である。



「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」は苦しい時の打開方法、泥水の中で苦しみながら突き進んでも自滅するだけである。一度はあきらめて泥水が引くのを待て、時が経てば泥水はひいてきれいな真水に戻る。生まれたての心、彼と付き合う前の新鮮な心を取り戻すことができる。苦しい時はまずは新鮮な心を取り戻すことである。新鮮な心になれば冷静に物事を判断することができる。冷静に判断してそれでも「彼が好き」なら今度はあきらめない精神で突き進んでいけばいい。その精神は泥水の中のぶれまくった精神ではなく、ドンと構えたぶれない精神(心)になっているからだ。




成功した多くの人は、一度は夢をあきらめ、時を経て再チャレンジしたからこそ成功したのではないだろうか。「失敗しては何度もチャレンジする」何年、何十年にも及ぶその繰り返しがあったからこそ成功する果実を味わうことができたのである。順風満帆な人生を歩む人には成功を収めることはできない。「挫折があってこそ成功するのである」成功するための挫折の乗り越え方が「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」という東洋哲学の老子の言葉だと私は理解している。その深い言葉をよく吟味し、それから西洋哲学の『ぶれない心』と『あきらめない精神』を合体させるべきだと私は考えている。苦しい時の立ち直り方が「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」に対して、『ぶれない心』と『あきらめない精神』は未来に向かって前進する言葉である。



あなたが人として生まれ、この世で生きていることが奇跡。何百億分の一の確率であなたは人としてこの世に存在している。その確率は一等二億円の宝くじよりはるかに低い。あなたは人間ではなく、植物に生まれたのかもしれない、魚として生まれたのかもしれない、犬や猫の動物に生まれたのかもしれない、あるいはゴキブリやハエに生まれたのかもしれないのだ。



人として今のあなたが生まれたのも2億5000万の精子が生死を賭けて戦い、その中のたった一つ(2億5000万分の1)の精子が一つの卵子にたどりつき結合して受精したからあなたという人間がこの世に存在している。あなた自身がこの世に存在していることが奇跡なのである。



今日もこうして生きている。それを幸せだと思うこと。限られた生命を無駄にすることなく生きよう。