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台風も過ぎ去り、今日は爽やかな秋晴れです。

いつものモーニングコーヒー、朝食をとりながらブログを書いています。


車を走らせ、今日はちょっと遠出でもしようかな。

秋風を疾走する車、時速100キロの高速道路で流れる景色。
小一時間走れば軽井沢の麓、峠の釜飯でも食べにいくか。

ついでに紅葉かかった風景も見てこよう。

カーステレオからは何を流そう。

演歌かな?うむ演歌は似合わない、ビートのきいたロックを流そう、日本のね。


サザンは?夏も終わりだから似合わないし、グレイ、ビーズ?うむ車中で歌うには高いキーがでない。どうせキーが出ないなら安室にしよう華原やスピードもいいかもしれないd=(^o^)=bイエイ(笑)いっそのことクリスマスソングでも聞くか?まだ早いけど。きっと帰りは演歌を聞きながら帰って来るだろう。夕暮れの帰り道は演歌がいい。積水ハウスのコマーシャルソングもいい(家に帰れば積水ハウス( ̄ー ̄))家は積水ハウスではないけど。沖川はいくつ?自分でもわからない(笑)20代から80代までのデパートリーがあるため、その日の気分で20代になったり、30代、40代、50代、60代になっている。音楽に年齢はない。

ああ~ダメだ。休みの日はどうしてもくだらない記事を書いてしまう。恋愛の参考となる記事を書きたいが、休みなのでそんな頭を使う記事は書きたくない。自由気ままに重くない記事を書きたい。


あっはは(゜ロ゜;は、今日もブログを読んでくださってありがとうございました。(おそまつ(^.^)(-.-)(__)でした)







10年に一度と言われる大型の台風26号
今朝起きたら雨風が強く、とても外に出る状況ではなかった。
散歩は中止、今日はおとなしくしていよう。


散歩をしながら外の空気を吸い、頭をリフレッシュしてからブログを書くのだが、今日はそれができない。朝の散歩が毎朝の日課である習慣となっているので、散歩ができないと何だか一日が始まらない気がする。頭がボーッとして血流も悪い。ブログの構想は一日一時間の朝の散歩にある。どうってことない散歩だが、歩きながらいろいろなイメージを描いている。そのイメージは現実的なものではなく、だいたいが妄想や空想が多い(笑)その日の気分で好きなように空想している。草花を見て空想し、鳥の声を聞いて空想し、金木星の香りを嗅ぎながら空想し、風に吹かれて空想している。今日のこと、明日のこと、未来のこと、あれこれとその日の気分で空想している。


6000歩くらい歩くと、頭も冴えてきて血流も良くなるので、それからブログを書く。その習慣を何年も続けている。飽きることなく日々新しく。


今朝は台風のお陰でそれが出来なかった。しかたがないので寝た。雨と風の睡魔に襲われ、すっかり寝坊してしまった。眼が覚めたのは9時。いつも6時に起きるのに3時間も寝坊してしまった(汗)これが会社だったら遅刻だ!やばい・・・「あっそうか」私は自営だ、もう会社に行く必要ない、変な夢を見た(ヘヘ)


ニュースを見ると、午前9時現在、台風は最も関東に接近している。占い館の営業が始まる午後には関東から離れる。どうやら大丈夫か営業は、安心した。さて台風の後にどんなお客さんが来るのだろう。人間の心の台風だったりして(笑)自然の台風なら自分ではどうすることもできないが、人間の心の台風なら鎮まれ!とコントロールし、励ますこともできる。心を鎮め、前向きになって帰ってもらおう。
よし今日も頑張るぞ。





退屈を楽しむ人間になりたい。退屈を楽しむ人間はある意味余裕のある人間かもしれない。自分にはまだその余裕がない、何か行動しないと一日が損した気分になる(笑)かといって暇つぶしをつぶす目的があるわけではない、ただ暇なのが嫌なだけでふらふらと彷徨っている。


目標はあることはあるが、今はそれに手をつける気分になれない。目標はしごく骨の折れる作業、気力体力、頭の回転が充実しないとできない。いまの私の頭の中は薄暗い墨に覆われている。黒は嫌なので早く白に戻そうとするが、なかなか白に戻らない、ようやく灰色になりかかったところ。灰色のときは中途半端、黒は放棄することだが、その放棄もできない、白は前向きに目標に向かうことだが、目標に前向きにもなれない。黒と白の中間で、どっちだか?自分でもわからない。自分で自分を迷わせているのだろう。いっそのこと放棄するか、それとも前向きに頑張るか、「ふむ」どっちだ。答えが出るまでグレーのままでいるしかない。


人は関心ごとがあるものに対しては、ときどきグレーになる。仕事もそういうことがあるし恋愛もそういうことがある。何やっても満足しない中途半端な時間。関心ごとの相手の反応はないし、連絡を取る気も起きない。組織の中で生きている以上、あるいは愛する相手と生きている以上、タイミングが合わないのはよくあることだ。相手待ちの状態は退屈だ。その退屈をどう楽しむか?今はそれしかない。


次の目標に向かう休憩時間だと捉えて、今は退屈を楽しもう。さて退屈を楽しむぞ!ボケっとしていよう。いっそのことボケ老人にもなって(笑)公園のベンチに座って変わりゆく景色でも楽しむか、もうすぐ紅葉だ。それともまだボケるのは早いので、アグレッシュブにカラオケにでも行って歌って踊りまくるか♪サタディーナイトフイバーなんてね(汗)自然に溶け込むことも、ジョン・トラボルタになることも二刀流できる沖川だが、今は退屈を模索中。次なる目標のための充電期間中。




酷く苦しむのは、もうやめよう。
苦しい時は、なかなかそこから抜け出せないが、しつこく苦しむのはもうやめよう。しつこく苦しんだからといって今後良くなるわけでもない。しつこく苦しんだからといって愛が戻ってくるわけない。しつこく苦しめば幸せは遠のき愛も遠ざかる。



悲しい場面に身を置いて、いたたまりのない切ない愛情にいつまでも悲しんではいけない。裏切られた憎しみの中にいつまでもいてはならない。好きだけど憎んでいるという世界に長くいてはならない。あなたはいつまで愛のマインドコントロールの中にいるのですか?早く眼を覚ましなさい。



人間として、
常識を取り戻しなさい。
堅苦しいことをいうようだが、人間としての常識を取り戻しなさい。皆さんは堅苦しい常識を忌み嫌うが、愛よりまだ常識の方がましだ。苦しんでいないで早く常識を取り戻しなさい。常識を取り戻して人間としてスタートする位置に立って、初めて今の状況を冷静に判断することができる。



苦しい時の判断はみな間違っている。愛に狂って苦しんだ判断は間違いの元、早く冷静なる常識を取り戻しなさい。



しつこく苦しむには女だからしょうがない。「女ですもの愛に苦しむ」うむ演歌だ、女だからしばらくは・・・苦しむのはしかたがないか・・・。まあたくさん苦しみなさい、どうせ苦しむなら女らしさをそこで存分に発揮しなさい。苦しみとの戦いでは、優しさや愛情もたっぷり充電されるからいいだろう。だが憎しみまで充電してはならない。優しさと愛情だけを充電していこう。苦しみはどちらかというと憎しみだけを充電していくから始末に置けない。憎悪だけ増やしていけばあなたは今後幸せになれない。憎しみは悔しさから立ち直るバネにするべきなのに、ほとんどの人は悪魔の材料にしている。悪魔の材料にするから、この苦しみから立ち直れないのである。憎しみは「今にみていろ」という立ち直るバネ、ひとつの発奮材料として使うべきである。発奮しなさい、そして常識を早く取り戻しなさい。あなたが描いている愛の形はその常識の中にある。




苦しみは想い出に変えていこう。
あの苦しみがあったからこそ今の自分がいる。
そんな想い出に変えていこう。





人は遊んで暮らすより安定を求める生き物かもしれない。人は一人で生きていけない、愛する人と一緒でないと生きていけない。


だが愛する人は時々制約に回る。自由を奪われ監視され束縛されることもある。自由を規制されても人は愛する人と一緒になることを願う。何故なら寂しさには耐えられないからだ。人は誰かに帰属しないと生きていけないかもしれない、自由気ままに他人と遊んだとしても家に帰れば寂しくなる。一人の部屋はこれ以上寂しいものはない。寂しいから自由を奪われても誰かに帰属したくなる。毎日が日曜日でお金が余るほどあったとしても愛がないと人は満たされない。人は一人では生きていけない。一人で自由気ままに生きた時間は短い。人は早く愛する人との安定を求めるからだ。


愛には期待がある。良くしようという期待がある。だはその期待はプレッシャーともなる。期待を継続して安定まで持っていくには、よほど努力しないと望んでいる安定には届かない。その前にプレッシャーで押しつぶされて期待を裏切ることになることはよくあることだ。期待する方も期待される方も、甘えないで、よほど努力しないと二人の目指す安定まではいかない。期待する方も甘えてはダメ、期待される方も甘えかしてはダメ。本気で安定を求めるのなら双方が努力しないと安定とはならない。


安定は文化と同じ。好きなことは本能的なもの。安定は本能でなく築くもの。好きなことは誰でも好きにやれるが、安定は文化を築くのと同じだけ大変(ローマは一日にして成らず)何年も何十年もかけて築くもの。本能的な恋愛の中では安定は築けない。トキメク恋ばかりに甘えていると安定は築けない。安定は期待の初動の愛が終わり、この人と共に努力して生きていこうという考えが生まれてこそ、その第一歩を踏み出すことができる。そして長い歳月の果てに二人の関係が安定する。「長い歳月の果てに二人の関係が安定する」これが文化である。文化はそうやすやすと築けるものではない。規制された帰属の中でも、常に努力があり、充実感があり、お互いを認め合い、信頼し尊敬するから愛が文化に変わってくる。愛を文化レベルまで築けば愛は安定する。




いとも簡単に恋人が出来る人もいれば、5年も10年も恋人が出来ない人もいる。
いとも簡単に結婚できる人もいれば、一生結婚できない人もいる。
いとも簡単に夫婦仲良く生涯を暮らす人もいれば、何度も離婚を繰り返している人もいる。

やれる人とやれない人には差が生じてくる。実力なのか運命なのか?どちらがいいのか、どちらが悪いのか、その判断は本人の裁量に任せるしかない。



いとも簡単に恋人ができ、いとも簡単に結婚し、いとも簡単に夫婦仲良く生涯を暮らす。大方の意見ではそれが素晴らしいと思うかもしれないが、それをいとも簡単に達成した当人からすれば、制約だらけで自由がないというかもしれない。制約や束縛の中に身を投じ、自由気ままに好き勝手にできない。その点、恋人がいない人や独身はいいね、好きに自由なことができるから。自由ということは、未来はこれからじゃない、それはとても素晴らしいことだよ。いろいろな経験を積める最高の位置でもあるし、変に型にはまる必要はないと思うよ。もっと自由を楽しまなければ損だよ。


また何度も離婚をして何度も結婚している人は「いいな、パートナーを何人も変えて、普通は生涯一人なのに、何人ものパートナーを変えられるのは凄いと思う。」普通は一回なのに何回も人生を変えられる人は、本人の苦労より羨ましいと思うことさえある。芸能人なんかいい例で、若くて綺麗な嫁さんを何人も取り替えている。もてて金があって羨ましい。まあ、幸か不幸かは別だと思うけど、「羨ましいとご愁傷様(ごしゅうしょうさま)」この両方の感情が入り混じって芸能人を見てしまう。そういう行動ができる人はある意味凄いとは思うが、真似はしたくない。なぜ真似はしたくないか?疲れるし、金もないし、色恋ばかりが人生のすべてではないから。


愛は個人の裁量に任されている、そこには何の規制もない。個人の裁量に任されている以上、いとも簡単に結婚し生涯夫婦仲良く暮らす人もいれば、いとも簡単に結婚してすぐに離婚する人もいる。何度も何度も失恋して結婚するパートナーが見つからない人もいれば、何年も何十年も恋愛パートナーが見つからない人もいる。どれがいいのか、はっきりわからないのが人生である。そしてどれが幸せか?それも個人の裁量。あなたの実力と運に任せるしかない。


今恋人がいない人。いいじゃない自由で。
結婚がなかなかできない人。いいじゃない結婚は墓場かもよ。
離婚した人。いいじゃないやっと開放されて。


すげぇ無責任なことを書きましたが、暗くなるより、いいじゃないか精神で吹き飛ばした方がものの見方は良くなる。愛は自由で個人の裁量なのですから。置かれている状況が最悪でも考え方次第では最高になるのです。自由は羨ましい、独身は羨ましい、シングルは羨ましい、何でも自由に好きなことができるから。その自由を楽しみなさい。やがて制約の中に身を置くことになるから。今のうちに自由を楽しみなさい。今の状態が悲しければ見方を変えなさい。見方を変えれば「楽しいぞ!人生は。」最後に沖川の言葉、「現実は冷淡で厳しい孤独の中にある」ソクラテスの言葉に近いが、冷淡で厳しい孤独をいとも簡単に受け入れることができれば、何も怖くはない。



休み、とりあえず何をしよう。

今は構想の中休み、ぽっかり空いた時間を弄ばす。

遊びの凡才は空いた時間をうまく使いこなせない(笑)

久しぶりに「退屈」を楽しむか。

退屈は幸せ(*´∀`*)だ。中休みをうんと楽しもう。


退屈はいい。退屈はいい。何もすることがなくていい、ボーとしていよう。

退屈をいかに楽しんだかで、次の構想が生まれてくる。頭の中ではイメージ出来ているが、今はそれを実行する気がない。暫くノンビリしたい気分で、今はサボりたい気分。


やる気が起きない。ま、それでもいい。やる気が起きないものを無理してやる必要がない。

やる気は、このまま放って置けばまたジュワジュワと涌き出てくる。それまで充電していこう。

今はやる気が起きないことに、何の不安もない。やることは明確に見えているから慌てる必要もない。

さて、どうやってこの退屈を楽しむか?それだけである。

休養にあてよう。










完璧な人間になるよりバランスのとれた優秀な人間を目指した方が良い。


愛の完璧を目指すよりバランスのとれた優秀を目指そう。完璧に拘ると執着してしまう。その執着が思わぬところで破局してしまう。破局しないためには完璧な人間を目指すより優秀な人間を目指した方がいい。そして愛はバランスで見ること、愛はトータルバランスで見ることが肝心なのです。


完璧な人間はいない。長所もあれば短所もある。長所から短所を引いても付き合いに値する点数ならその人を良しとする。そのくらいで丁度いい。何でも間でもあーしてはダメ、こうしてはダメでは息の詰まる付き合いとなってしまう。


彼は、連絡は寄こさないが会ったときは優しい。連絡を寄こさないがマイナス50点、会った時がプラス100点、差し引いてプラス50点。彼は仕事が忙し過ぎて私を構ってくれないがマイナス80点、でも仕事ができる彼を尊敬するがプラス100点、差し引いてプラス20点。男女の関係はプラスもあればマイナスの部分もある。男と女の価値観は陰陽に分かれている。すべての事柄に陰もあれば陽もある。完璧を求めると自分勝手なエゴが働き、相手を追い詰めることになる。完璧ではなくバランスで見ることだ。



もっと具体的に言えば、

あなたが専業主婦だったとする。家事をバランスよくこなしていますか?料理・洗濯・掃除・その他の家事にまつわる雑用は無数にあると思う。スーパーへ買い物、幼稚園の送り迎え、学校のPTAやご近所の雑用、町内会や自治会の当番・・・男性の仕事以上に役割はいっぱいあると思う。それらをバランスよくこなしていますか?完璧を求める奥さんはバランスよく家事が出来ないことが多いのです。例えば夕飯時、あなたは旦那さんが帰る前に夕飯の支度とお風呂掃除をしたとします。まずは旦那さんに気持ちのいいお風呂に入ってもらおうと思ってお風呂掃除をします。普段なら10分程度で終わるのですが、風呂場の一部にシミを発見しました。そのシミが気になってのシミ落としにかかります。(ゴシゴシ)でもシミはなかなか落ちません。そうこうしているうちに周りの汚れも気になってきました。完璧にキレイにしようという動機が治まらず(ゴシゴシ)何時間も風呂掃除をします。本人は完璧でないと気が済まない状態になっています。汚れとシミに執着しちゃっているのです。夕方5時から始めた風呂掃除は夜の8時を回っていました。そしてピンポーンと旦那さんが帰って来ました。「おなかすいったゴハンは?」風呂場を除くと汗びっしょりの奥さんが「あなた・・・ゴメン」旦那さんが帰って来てやっとゴハンを作っていない重大さに気づき、仕事で疲れた旦那さんはため息をつきながら「何やっているの?」という呆れた声が家の中に響き渡る・・・。



完璧を目指す人間はバランスが悪いのです。完璧ではなく優秀を目指しましょう。これは恋愛にも言えます。完璧を求めるのではなく優秀になるよう心がけましょう。だから彼に完璧を求めてもいけません。あなたも彼のために完璧になる必要はありません。トータルバランスの優秀を目指せばいいのです。




人は楽なことばかり願う。
人は遊ぶことばかり考える。
人は自由ばかりを欲しがる。
人は自由が無く遊ぶことも禁止され楽でもないものに拘束されるのを嫌がる。それが自分のためのものであっても、自由・楽・遊びがないものに拘束されるのは嫌がる。


頭では「そうするべきだ」とわかっている。でも嫌だ!遊べないから嫌だ!自由がないから嫌だ!辛いから嫌だ!苦しいから嫌だ!うまくいくという保証はないのにそんなもの続けても意味が無い、無意味に続けても不安の渦に巻き込まれるだけ!


まあまあ、やることを否定したり、やることに抵抗するのは山ほどある。こうすれば100%うまくいくという保証はどこにもない。「こういう段取りで、こういうやり方で、こうすればうまくいくよ」という未来の答えが見えればいいのだけど、それは単なる妄想に過ぎない。理想と現実は違うのに人は理想ばかりを追い求めている。理想を求めれば楽なことしか人間はしたくない。楽なことしたい、辛いのは嫌だ。正直それが人間だと思う。


私もそう、楽な生き方をしたい、毎日が日曜日で、拘束される仕事が無く、お金の心配もなく、朝から晩まで自由に好きなことをやって遊んで暮らしたい。ああ夢だ。その夢を達成したくて今は楽しみを後に持っていっている。早く楽になりたい、その楽しみがあるから今がある。それなのに「早く楽になりたい」を何故か引きのばしている自分がいる。なぜ引きのばすのか?仕事が何だかんだ言っても好きだからである。



正直、毎日が日曜日だと飽きてしまうと思う。私は遊びの凡才。仕事はある程度域に達したと思うが遊びは域に達していない。つまり休みの使い方が下手、休日をどう使っていいかよくわからない。休みなのに仕事の関連の動きばかりしている。散歩して体を鍛え、本を読んだり、インターネットで仕事に関する情報を探している。何だかんだ言っても仕事にまつわることばかりしている。まさしく遊びの凡才。遊びを覚えよう。これからは遊びの天才にならなくちゃ(笑)



楽しみは後に持っていく。その楽しみがあるから今がある。いったいいつになるのだろう。永遠訪れないかもしれない(エヘ)「男の人生にはこれでいいという目標は無い」それに縛られているからかな?(アハ)まあそれならそれでもよい。目標に向かっている途中には不安はない。遊んでばかりいると不安ばかりが襲いかかってくる。苦しいのと不安、どちらを選ぶかと言うと私は苦しみを選ぶ。苦しみは訓練すれば軽減できるが、不安はいくら訓練しても増幅するばかり。頭であれこれ考えて不安のろ壺にいるより、苦しいけど目標に向かっている方が良い。目標に向かえば、いつのまにか不安はなくなっている。その生き方の方が私にはあっている。そのために楽しみは後に持っていっている。



「人生はやる気である」やる気の持続こそが人生を豊かにする全てである。やる気を持続させるにはどうしても目標が必要となる。その目標を見つけよう、あなたの目標が何なのか見つけよう。目標のない人生はこれ以上ないつまらないものだよ。


さあいつまでも悩んでいないで、その目標を見つけよう。


目標って?なんだろうね。どうすれば目標は見つかるの?
私の経験を述べると、思いついた事を片っ端からやってみることかな。やってはやめて、やってはやめての繰り返し。その中から自分にあったものを探す。だがなかなか見つからない。街の中を浮遊病者のように彷徨ったこともある(笑)目標が見つからず彷徨っているときは苦しい。何が自分に合っているのだろう?何だろう?それを探すのは至難の技のようにも見える。頭の中はぐるぐると何百通りの筋書きがあるが、何一つまとまっていない。ぐるぐる回りながら自分が何をやりたいか探す。これをやってみようと思いついたものをやるが、合ってないとすぐに投げ出す始末。本を読みあさり自分に何が足りないかを探す。探してもなかなか見つからない。自信喪失と不安と心配の連続。何をやりたいかわからないときはこれ以上ない苦しみかもしれない。もう探すのは疲れた、疲れたから辞めようと何度思ったことか、でもそのたびに、前の生活に戻りたくない、あんな負け犬は二度とごめんだ。クソー覚えていろ!(倍返しだ)絶対ここから這い上がると自分にはっぱをかける。最後は半沢直樹になってしまったが(笑)悪戦苦闘して自分は目標を見つけた。




悪戦苦闘して目標を見つけたが、
人間ってバカだね、すぐに結果を求めたがる。私もすぐに結果を求めた。だがそれが失敗の原因だった。目標はすぐには達成しない。ここから涙の物語、「おしんの物語が始まる」自分をおしんに見立てて忍耐と根性の泥臭い物語が始まる。そしてその泥臭い物語が何年も続く。かっこつけなくてもいい、泥臭くていい、泥臭さの中にやる気がある。


やる気は苦しい中から生まれる。今苦しんでいる人、さんざん苦しみなさい。それも勉強ですから。中途半端に苦しむより、どうせなら散々苦しみなさい、そしてよく考えなさい。自分が何をしたいのか。


そうやって見つけた目標はあなたの宝となります。そして苦労して見つけた目標は永遠にやる気が持続します。なぜ持続できるのか、散々苦しんだからです。