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モーニングコーヒーを飲みながら新聞を読む。

いつもの休日。休日は早く終わる(笑)あっという間に終わる。

休日とは休むためにある。だから早く終わっていいのかもしれない。人間は長く休めないようにできている。
さて今日は何をしようか、掃除でもするか、それとも次の電子書籍の構想でも練るか、あるいは天気がいいので買い物にでも行くか、うむ、定まらない。たぶん何かをやって休みが終わるだろう。

仕事中は休みが恋しくなり、休みの日は仕事が恋しくなる。

過度な仕事が続くと、ああ~休みが欲しい、休んだらノンビリするぞ!と思うが、いざ休みになると、ノンビリできない。寝てよう日にできない、貧乏暇なしの生活が続いている(あは)

ノンビリも、こうしようという目標を事前に決めないとできないかもしれない。
決めないとだらだらしてしまう。

かといって、休みの日の何かをやろうという気分になれない。その日の気分のその日の思い付きで行動したい。休みの日くらい、何も予定をいれたくない。予定や目標は仕事の日で十分、休みは無でいい、予定無しでいい。だから休みなのである。

私の今後のテーマは休みの活用である。ノンビリ充実しながらも、アグレッシブで楽しく、リフレッシュできて、疲れがとれる休日を作りたい。年寄りに冷や水を浴びせるような休日を。うむ、書いてみて年相応ではない。これは若い人の休日の過ごし方だ。でも、私はそれにチャレンジする(笑)


「一生独りでいい。自由気ままに生きて自由に遊んで、たった一度の人生をなんの束縛もなく自由に生きたい」。

羨ましい……と思う。反面羨ましいな。
でも、そうかな。
一生独りでいい、ホントにそうかな。


若いときはそう感じるかもしれない。あるいは中年になって、または定年退職を迎えた老人になって、結婚生活に疲れたとき、そう感じるかもしれない。人は疲れたら自由になりたいものだ。自由という世界に憧れるものだ。自由気ままに生きる世界を夢みるものだ。そこにはどんなに新鮮な輝きがあるのだろう?あれもしたいこれもしたいという妄想と願望が膨らむ。新しい人生のスタート、残された第二の人生をどう楽しく生きるかに希望が湧いて来る。

自由気ままで夢のある人生。
その希望を打ち砕くわけではないが、私は知っている、その後の人生がどうなったか知っている。その後の人生は希望通りにいかない。せいぜい孤独死が待っているだけだ。孤独死無縁仏となるのが関の山。それが実態であることを知っている。私はそのことを普通の人より何百倍も知っている。普通の人がそれだけ多くの人生相談を受けるわけがない、若者がどう理論整然と理屈を言おうが、疲れた年寄りがどうプライド高い皮肉を言おうが、あなた方が望んでいるオアシスはどこにもない。残念だけど、ない。

結局人間は独りでは生きていけない。
支えがないと生きていけない。
愛がないと生きていけない。
そのことを早く知ることだ。ひねくれていないで、素直にそのことを知ることだ。かっこつけることはない、独りで生きているのはかっこいいとは言えない。人類の運命に逆らって生きる姿がかっこいいとは言わない。他人から見れば独りよがりのバカにしか見えない。

他人は聡明なので、そのことをあなたにいちいち説明しない。聡明な他人は分かっているのだ、あなたの生き方はバカバカしいと。だから自由に生きなさい。その代わり他人に迷惑をかけないでほしい。こちらに媚売ったり愛情を注がないでほしい。独りを希望する人の愛は、これ以上迷惑なことはない。なぜならその愛は遊びだからだ。気持ち悪いくらい虫唾が走る。あなたは人を愛さないでほしい。どうぞ独りで勝手に生きてください。厳しいけど、聡明な他人はそうやってあなたを見ている。

一生独りでいい。自由気ままに生きて自由に遊んで、たった一度の人生をなんの束縛もなく自由に生きたい」というオアシスは孤独によって崩壊する。そのオアシスはほんの一瞬、後は暗い闇が待っているだけ。

そうなりたくなかったら。
素直になりなさい。
人を愛することに素直になりなさい。
ひねくれていないで。



よくわからない。
僕は結婚がしたいのか、恋愛がしたいのか、よくわからない。
自由と束縛の瞑想にふける男。
最初は結婚も視野に入れて彼女と付き合うのだが、恋愛をしている途中でだんだんと結婚が遠ざかってしまった。遠ざかる理由は、結婚が現実に見えてこないのだ。現実を見ようとするのだが、見える現実はいい現実より悪い現実ばかり、結婚には夢がないという現実ばかりが見えてくる。

悪い現実しか見えない僕は、まだまだ子供なのだろうか?精神的に幼いのだろうか?それとも男としてダメなのだろうか?
女の人はいう。
「一生独りは嫌だ」と。
なんで?
一生独りでもいいではないか、一生独りだということは、一生自由だということだ。こんな素晴らしい人生は他にないと思うよ。束縛より一生自由の方が僕はいい。

「一生独りは嫌だ」という人は寂しいからだろう。それは無人島で暮らせば寂しいだろうけど、日本で暮らす分には寂しくない。東京などの大都会でアグレッシュブに暮らしてもいいし、風光明美な景色のいい田舎でノンビリ暮らせしてもいい。自分が楽しければちっとも寂しくない。寂しければ繁華街に繰り出して女の子と遊べばいいし、部屋にペットを置いてニャンニャンとワンワンの相手をしていればいい。寂しさは一時期のもの、その一時期を過ぎれば自由の素晴らしが見えてくる。寂しさは一時期のもの、その一時期が過ぎれば自由の素晴らしが見えてくる。うむ名文だ。僕はその名文に従う。

歳とって介護の必要が出てきたらどうする?またまたお節介な人はそんなことを心配する。自由気ままに生きている人は介護の必要はない。ストレスが少ないからいつまでも元気だ。どうしても介護が必要になれば施設に入ればいい。家族を持たなかった分、蓄えはある。歳とってくたびれた古女房に嫌々介護をしてもらうより、施設の若いおねえちゃんにおむつを替えてもらった方がうんと幸せだ。身内だと気を使うが、他人だと気を使わなくていい。金さえ払えば、相手はプロだ。十分に満足なサービスが受けられる。自由に生きれば、歳をとっての介護の心配もない。それが僕の人生の自由設計だ。


そんな生き方で本当に寂しくないの?
正直いうと、たぶん寂しいだろう。
でもその寂しさは勘違いかもしれない。
人間としてやることをやっていないという寂しさ、世間一般から外れた寂しさ、常識から外れた寂しさ、そんな寂しさだろう。でもね、その寂しさは人から強要されているものだよ。古い大人のしきたりさ。僕は嫌だね、その古いしきたりは、僕は新人類を目指す。

新人類は一生独りでいい。自由気ままに生きて自由に遊んで、たった一度の人生を束縛がなく自由に謳歌したい。寂しさで束縛を選ぶか、寂しいけど自由を選ぶか、僕は寂しいけど自由を選ぶ。

そんな若者が増えている。
あなたはそんな若者に、何を提言できるのだろうか。
女性の大半は、一生独りは嫌だと言う。男性から見れば、それは女性独自の考え、だと思っている。男性は女性ほど、一生独りは嫌だという考えは持たない。中には一生独りでもいいではないかという考える人もいる。そんな男性に、あなたは何を提言できるのだろうか?そこを考えてほしい。結婚に夢がないという男たち。そんな彼らに、どうすれば夢を与えられるのか、結婚は素晴らしいという夢をどうすれば与えられるのか?そこを考えてほしい。

なぜそんな時代になったのか。
私は思う。
それは、本物の愛がなくなったから。

男も女もみんな自分の都合のいい愛ばかり。
だから結婚に夢が持てないのだろう。
そんな気がしてならない。




見てはいけないものを見てしまった。
いい子だと思ったのに、がっかりした……失望した……。
天使が悪魔に変わるとき、楽園が地獄に変わるとき、男は黙って退散する。男は沈黙する理由や退散する理由を説明しない、ただ黙って彼女を遠ざける。逃げるように。

男と女が失望する理由はたくさんある。いい人だと思っていたのに、いい子だと思っていたのに、いい人(いい子)を裏切られた瞬間に失望する。その失望はショックから来ている。そしてショックはすぐに回復できない。回復するのに長い時間が必要となるので、相手を遠ざける。遠ざけている間に気持ちがだんだんと冷め、もう相手のことは必要としなくなり、男と女の関係(恋物語)は終わる。(人間関係が終わるといってもいいだろう)長い間続けたいい人(いい子)の物語が、たった一度の失敗で終わるのが男と女の物語である。

男の失敗は紳士が狼に変わったとき、女の失敗は味方から敵に変わったときが多い。
1、紳士が狼に変わったとき
いい人だと思って信用していたのに、突然性の対象で見られたとき、女はすごくショックを受け、もの凄く裏切られた気分となる。いい人だっただけにショックが大きい。

2、味方から敵に変わったとき
いい子だと思って信用していたのに、突然感情的になって責められたとき、男はすごくショックを受け、もの凄く裏切られた気分となる。いい子だっただけにショックが大きい。

男と女はこの1,2の失敗が多い。
別れる男女はこの失敗で別れ、結ばれる男女はこの失敗をしない。みんな分かっているのだ、この失敗は致命的であるということを。だが人類は、この失敗を何度も繰り返している。人として生まれ、このかた何年も何回も繰り返している。そして学習して、この失敗をしないようにする。1と2は本性として誰しも持っている。だが、本性のままに出すと誰しも失敗する。男と女が付き合う場合、その本性をどうセーブするかにかかっている。うまくいくためには、落胆と失望が起きないようにするしかない。人間の心はガラス細工だからだ。


失敗したらどうしたらいいの?
「前へ進みなさい」これが答えとなる。
失敗したら前へ進みなさい、後ろは振り向かないこと。後ろを振り向いたら、また同じ失敗を繰り返す。同じ失敗を繰り返すと、運の悪い人間になる。だから失敗したら過去を振り返ってはならない、その失敗を学習して前に進むしかない。大好きな彼に失敗したら、大好きな彼に振り向かないこと。また新しい大好きな彼をつくろう。前へ進めば、大好きな人は無数にいる。これが人生だ。それは保証する。人はその時々で好きな人と恋に落ちる。それが人生。さあ思い切って前へ進みなさい。過去のトラウマを乗り越えて前へ進みなさい。自分の未来に希望を持たないで、過去ばかり振り返っている人は、そこで成長を止めていることになる。そうなると、自分でタイムリミットを喪失することになる。時は待ってくれない。




大らかで図太い神経の持ち主。大きな志しを持って逞しく生きている。頼りがいがあり尊敬できる。でも今の時代はそんな男は少なくなった。頼りがいのある男はほとんどいないという声の方が多い。今の時代を代表する嘆きの声。「頼れる男が今の日本にはいない」。


その反対に男たちも女をこういうふうに評価する。大和撫子は皆無となった。ワガママな女が多くなり、日本の女は、終わった婚と悪評する男もいる。一時期は日本の女性は世界一ともてはやされたが、今は終わった婚と悪評されている。時代は急激に進んでいる。


どっちもどっち。どちらがいいとか悪いとかではなく、時代が逆転現象を生んでいる。女性から告白して付き合う時代となり、プロポーズも女性からする時代になりつつある。長年付き合ってもなかなか結婚しようとしない彼に、彼女が「もう待てない」と我慢できずにプレッシャーをかけて結婚する時代。我慢とか忍耐とか、そういうのではなくて、男に任したのではいつまで経っても結婚できない時代になりつつある。


最近の別れは、結婚のプレッシャーによる別れが多い。もう待てない彼女が、結婚話を出した途端、別れ話に至っている。女性は最初の一年目は恋愛を楽しみ、二年目に結婚を考え始め、三年目か四年目に結婚したいと願う。カップルの意識調査でも、平均して四年付き合っての結婚が多い。それに対して男性は、結婚は最初にあり気で、付き合いが長くなればなるほどマンネリ化してくる。それが習慣となれば、結婚はしなくてもいいだろうと考えるようになる。ズレテいるのだ。男と女は時間がズレテいるのだ。このズレを女性たちに説明すると、長くなればなるほど、男は結婚を考えない鉄は熱いうちに打てという説明になる。衝動的でロマンチックな男は最初が肝心、最初ですべてが決まる。後からは決まらない、後からの勝負はない、後からの勝負は終わりを告げることになる。ロマンの魅惑が終わったとき、それは終わりとなる。その方程式を知らず、焦るから失敗するのである。


長くなればなるほど、男は結婚を考えない鉄は熱いうちに打て、の期間が過ぎたらどうすればいいのですか?男は後からは決められない、過ぎたら結婚話を女性から相手にどう伝えるかだ。結婚についての話し方をどう上手に持っていくかにかかっている。

衝動的でロマンチックな男の最初の行動が終わった。それから安定期に入り、恋愛を数年楽しむ。今はもう、二人が付き合っているのはごく自然で、いるのが当たり前となった。相手がいないと寂しい、なくてはならない二人の存在。でも、肝心なことがまだ決まっていない。それは結婚だ。そろそろ結婚しようと思うようになる。その動機は大抵女性の方が早い。


今の時代は、
スムーズに結婚話ができれば結婚する。
そういう時代になった。
面倒臭いけどそういう時代になった。
と私は感じている。
なぜなら時代は、女性がクロージングする時代へと変貌してきているからだ。これからの時代はクロージング技術をマスターする時代である。

クロージングを学ぼう。
焦ってぶち壊すより、クロージングを学ぼう。どうすれば相手が心地よくこちらの要望を受け入れてくれるのか、そのクロージング技術を学ぶことである。


ひとことにクロージングと言っても難しい。
こんな難しいものを、簡単にここでは書けない。
クロージングは相手の性格、状況に応じて精査して行わなければならない。そのために膨大な準備が必要。何をどう話すのか、何日も何時間もかけて、話のシナリオを作らなければいけない。そして相手の反論や批判に対しても、相手が納得する理論も用意しなくてはいけない。自分の今の力では無理だと思うのがクロージングでもある。でもそれであきらめてはいけない。今の自分には無理でも、経験豊かな人に相談するとか、本をたくさん読むとか、メンドクサイと言っている暇などないくらい勉強をしないとクロージング技術は覚えられない。自分の一生を左右するクロージング、そこに全力を投入してほしい。


最後の締めは、焦って感情的になったらぶち壊し。5年付き合おうと10年付き合おうと、焦って感情的になったらぶち壊しだ。

ぶち壊したくなかったら、クロージングをマスターすることだ。


今週のキャンセル情報

5/16(金)16時~17時にキャンセルが出ました。
キャンセル分の予約は、本日5/14の12時50分~13時にて、受付けます。





テーマ : どうしたらいいの? - ジャンル : 恋愛

男の機能を考えて、普通にそう思う。
男の頭はエッチだらけだ。
いや待てよ、それだけか?
でも……若いときは、それしか頭にない。
表向きは紳士だが、中身は狼だ。
吠えろ吠えろ!ワオオ~~ンと。
男は好きな女と毎日エッチしているのを想像している。いやらしいかもしれないが、それが男の愛の証。男は狼だ!ワオオ~~ン。


狼でも、純愛に落ちるときがある。
純愛に落ちた狼は、寅さんになる、のびた君になる、マスオさんになる。この3人からはSEXは想像できない。ハグもしない、キスもしない、手も繋がない、日常生活の喜怒哀楽のドラマが永遠に続くだけである。


男は、
本気で好きな人とはどうしたいのか?
エッチをしたいか?
それとも、そんないやらしいことは考えずに純愛をしたいのか?
どっちだろう?


答えはわからない。ただ言えることは、純愛のときの男は狼ではない、紳士だ。理性の効いた紳士だ。紳士はSEXを愛の最終手段と考えている。愛が深まって、相手の同意を得て深く愛し合うためにSEXはするものと考えている。だから最初から手を出すことはない。最初に手を出すのはエッチなDVDに出演している女と何ら変わらない。つまり本気で好きでないという証拠、純愛ではない。


男の頭はエッチだらけだけど、心のどこかでは純愛を求めている。エッチだらけの頭の中にも純愛はある。それは日によって違うし、出会う女性によって違う。性欲をどうコントロールするのか、それは男の体質と性格によってマチマチである。


多くの女性は、純愛を求めている。
本気で好きになる男性を求めている。


それに対して男は、口より手の方が早いという性欲を求めている。そんな男を純愛に育てるには、高い壁を作ることだ。簡単には登れない高い壁を作ることだ。多くの女性が、最初に壁を設けているが、でもすぐによじ登られて陥落してしまっている。純愛になる前に三流のDVDに出演してしまっている。壮大な純愛ドラマにするためには、簡単に壁を登らせてはいけない。進撃の巨人、男は怪物だ!壁を乗り越えないように防衛しよう。壁を乗り越えられない男はロミオになる。あなたに恋するロミオになる。そして純愛になる。純愛のドラマ作りは、女性が監督になるしかない。



テーマ : どうしたらいいの? - ジャンル : 恋愛

恋愛は若さの特権、もの凄いパワーが必要。気力・体力・精力が充実していないと恋愛はできない。100メートルを15秒以内で走りきらないと恋愛はできない。10キロのマラソンを息切れしないで完走しないと恋愛はできない、これは冗談です(笑)でもそのくらいのパワーが恋愛には必要かもしれません。


今の時代は、その体力が失いつつある。昔の人と今の人との体力にそんなに差はない。むしろ向上している。なのに、なぜ恋愛ができないのか?それは忙しく疲弊しているからだ。そういう仕組みを社会がつくっているからだ。ブラック企業、高収入の外資系企業、彼らは休みもほとんどなく睡眠時間を削って働いている。それでは体力が持つわけない。話を聞けば聞くほど、「え!こんなに働いているの」という話ばかり。彼の帰宅時間は、2時、3時、中には朝方もいる。一日24時間しかないのにいつ寝るのだろうと心配になる。とにかく、昔とは違う現象が起きている。私たちの時代も忙しかったが、それでも恋愛はできた、結婚もできた、子供も生まれ家族を構成することもできた。忙しくてもプライベートのバランスはそれなりにとれていた。でも今の時代は、そのプライベートのバランスがとれていない。大変な世の中になっている、そんな気がしてならない。


なんか、日本中が疲弊している。
疲れている。
若者から年寄りまで、みんなが疲れている。

そんな気がする。おそらくその疲弊感は、経済界も国もみな感じているのではないだろうか。でも何の手だてもしていない。真剣になって改善するリーダーがいないからだ。


私は占いとカウンセリングを通して、若者の仕事環境を見ているが、皆さん疲れている。大変な世の中になってきているというのが私の率直な感想である。





テーマ : 大切な人。 - ジャンル : 恋愛

心配するからおかしなことになる。極度に心配すると愛は崩壊する。
男から言えば、「ごめんオレが悪い、だから何も心配するな」である。ゴメンオレが悪い……モゴモゴ、その後になにも説明がない、説明する必要がないのである。どうやってそれを説明すればいいだっていうんだよ、放置は放置だ、それ以上の説明はない。ただやる気がないだけ。


彼女を放って置く男。後を絶たない。「なぜなの?」と女性たちの不満も後を絶たない。放置は放置だ。放置以外の理由などない。


放置に理由などない、となれば、考え方を変える必要がある。
何も心配しないで待つか、待たないで前へ進むかだ。
1、何も心配しないで待つ。
2、待たないで前へ進む。
しつこく心配して、不安が頂点に達して自爆するよりいいだろう。放置は心配した分損をすることになっている。相手がやる気ないのに、ウザくしてもしょうがない。放置には放置を、あるいはもう期待しないで前へ進むしかない。


ひとつ言えるのは、愛する人と付き合う場合、「放って置く」ことを覚えるといいだろう。放って置く……これを完璧にマスターすれば、あなたは優等生となる。本物の愛は放置の先にある。恋愛初期の放置をどう乗り越えるかだ。


なぜ放置をするのか?これは完全なる信頼関係がまだできていないからだ。完全なる信頼関係をつくるためにも、放置のことは心配する必要はない。本物の愛は放置の先にある。それを乗り越えれば完全なる信頼関係ができ、乗り越えられなければ終わるだけである。自爆は100%終わるが、1と2を実行すれば、50%の確率で本物の愛を手に入れることができる。そして1と2を時間差で実行すれば、あなたはどっちに転んでも幸せが手に入る。


時間差とは、
相手がやる気のない放置が続けば、相手は本物ではない。やる気のない、本物でない、相手にいつまでも待ち続ける必要はない。何事にも期間がある。期間限定で待てばいい。その期間は長くて半年。半年待って来なければ、前に進んでよい。なぜなら理由もなく半年以上待たせる相手は本物ではないからだ。1は半年待つ、2は半年後に前へ進む。これが時間差の実行である。



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男は女を放置し、女を待たす。
なぜだろう。
そこに大した理由などない。
何を考えているの?と言われても、何も考えていない。
ただ楽なのだ。待たせることが楽なのだ。
ずっと勉強していた人が勉強を辞めるように、ずっと仕事をしていた人が仕事を辞めるように、楽なのだ。毎日が祝日のように解放された気分となる。そしてそのこと(放置していること)を忘れる。相手には悪いが、何もしないことは、とても楽なのだ。


なんだろう……このやる気のなさは、それも説明できない。やる気のなさはどこから来ているなど説明ができない。それは人間が持っている性格だからだ。そしてその性格は誰しもある。やる気がないという性格は誰しもある。


恋愛とやらは、ときどきやる気がなくなる。そしてときどき激しく求める。恋愛は常に安定しているわけではない。不安定なのが恋愛なのだ。


男と女は、友人のような繋がりと違う、家族のような身内の繋がりとも違う。特別なのだ。友人や家族は性の対象ではない、だから違う。だから特別なのだ。それだけ深く好きになり、深く愛し合う。そして深くなれば障害も生まれる。何事も深く関与すれば障害は出て来るものだ。よほど心が通じ合わないと、よほど精神的に強くならないと、この障害は乗り越えられない。人は気楽なものは放置しない、重いものを放置する。重さに耐えかねて放置する。とても大事でとても特別だから放置する。通常の考えでは、特別な大切なものは放置しないと考えるのが普通だが、男と女は違う。愛が深まり、愛が近づいてくると、放置が始まる。


他人のうちは、いちゃいちゃとじゃれ合っているうちは放置しない。深くなればなるほど放置が始まる。突然理由もなく放置が始まる。なぜその段階を踏むのか、科学でも説明ができない。


本物の愛は放置を乗り越えた先にある。

では、どうすれば放置を乗り越えられるの?

と、言われても答えは見つからない。本物の愛は放置を乗り越えた先にある。としかいいようがない。放置をどう乗り越えるか、人を愛する人類の課題である。


乗り越える答えを私に求めるのであれば、私は「放っておきなさい」という。
「放置に対しては放置を」目には目、歯には歯を。これが私の答えである。本物の愛は放置を乗り越えた先にある。放って置いて乗り越えるのが一番いい方法だと私は信じている。世の中の大半の恋愛は、放っておけないから壊れているのである。待てないから自爆しているのである。その壊れ方が大半。ならばその逆をいけばいい、冷たいかもしれないが放置に対しては放置をすればいい。自然消滅になったとしても、放置に対しては放置をすればいい。本物の愛は放置を乗り越えた先にある。そして放置をする人をあまり期待しないことだ。どんなに愛していても期待しないことだ。期待が薄れれば、相手は帰って来る。忘れた頃帰って来る。帰って来なくても愛は薄れているので傷つくことはない。ただ自然に淘汰されるだけである。こういう人がいたという過去の想い出になるだけ。本物の愛は放置を乗り越えた先にある。相手がそれを乗り越えなければ、もはや、それは本物ではない。



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男にとって結婚ってなんだろう。

A、ひねくれた男が言う。
結婚とは、ひねくれもの同士の男と女が、寂しさを埋め合わすためにくっつく作業だ。寂しさを紛らわせる結婚も、お互いひねくれているのでやがてぶつかることになる。まあぶつかるということは、寂しくないということだけどね。ぶつかりながらひねくれて、愛が生まれる。好きだと言う気持ちは、そのぶつかり合いの中から生まれる。男と女はひねくれている。ひねくれているからぶつかる。ぶつかり方が限界を超えれば離婚となり、ぶつかり方が相互理解に発展すれば、ジョークとして受け止める寛容さが生まれる。神経質な人はすぐ離婚だとわめき、鈍感な人はジョークとして受け止める。プライドの高い人は離婚だとわめき、プライドのない人は僕が悪かったと謝る。精神的に弱い人は、このままでは離婚だという恐怖におののき、精神的にタフな人は、それがどうしたと開き直ることができ、明日から普段通りの生活を送ることができる。男と女はひねくれている、だから面白いと思うようになる。男は女のひねくれを理解できれば愛が生まれる。女は男のひねくれが理解できれば愛が生まれる。そのひねくれた先に愛しい気持ちが待っているからだ。


B、常識の塊の男が言う。
結婚とはひねくれではない。結婚とは使命だ。人として生まれた使命だ。使命を忘れている人はこの世から消えてほしい。そんな奴はこの世に必要ない。頭でっかちの常識男はさらに話を進める。この世に男として生まれた以上、結婚は当然の義務、それを果たさない男は男でない。結婚して子供を生み、家庭を持ってこそ、一人前の男だ。その義務を果たさなければ出世できない、社会で使い物にならない、社会のお払い箱だ。常識の塊はときとして独裁者になる。自分の言うことを聞かない奴は落第者だ、みたいなことを言う。



結婚ってなんだろう。
若い人にはよくわからないだろう。
ならば私の経験を述べよう。


結婚は、ひねくれでも、義務でもない。愛でもないし使命でもない、結婚は生きるためのベース、自然なのだ。自然、普通の生活、それを手に入れるために人々は結婚する。AとBはまだ若い、青臭い(笑)

Aはブラックジョークが好きな若者だろう。文学を目指している文学青年みたいな。ひねくれたジョークの中に結婚を見ている。でもこういう中途半端に頭のいい男は、なかなか結婚しない。

Bは凝り固まった常識の持ち主。苦労を使命に置き換え、「最近の若い奴はなっていない」と若い人の悪口を言う、まるで2000年前のギリシャの老人のように。おそらく会社でも家庭でも浮いているのだろう。ガチガチの中年男に多いパターンだ。

正直、私はAとBを持っていた時期があった。私も結婚観は青臭かった(笑)青臭いというより、あの当時はまだ若かった。


今は、
結婚は自然である。
なくてはならない、普通の生活である。
それで十分満足。



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