ホーム > 月別アーカイブ: 2014年06月
NOと言われると人は傷つく。とくに好きな人にNOと言われると人はパニックを起こすくらい傷つく。

今まではNOと言われて傷ついて引いた。これからはNOと言われて傷つかないで前進しよう。

考えてみたら、NOは大したことない。NOのたびにいちいち傷つかないことだ。NOなんて大したことない、NOにびびらないことだ。100回NOと言われても、101回トライすればいい。このくらいしつこい方が信念は育つ。それはしつこいのではなく超前向きだということだ。人のNOにいちいち屈していたら信念は育たない。

信念はNOに屈しない精神力をつくることから始めるべきだ。信念とは本物を創る作業のことを指す。偽物はNOといい、本物はYESという。だからNOに屈してはいけない。人のNOなんて大したことない。あなただってそうだろう、あなたが人にNOと言った、ほらほらそのNOは大したことないだろう。そのNOは本物かい、そのNOに信念なんかあるかい、強い信念でNOと言っているかい、どっちかというとメンドウだからNOと言っているのではないかい、あるいは落ち込んだ気分で、やる気のない気分で、NOと言っているだけではないかい、そんなNOに信念などあるわけない。彼が言っているNOもそれと同じで大したことない。そんなものにいちいち傷つかないことだ。NOなどに信念はない、信念はYESにある。NOと逃げているものに信念などない。逃げないでそれをやり遂げようとするYESに信念がある。そう考えればいい。だから人のNOは大したことない。

NOに屈しなかった人を紹介しよう。
ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース。彼は世界一美味しいと自称している自分のチキンの製法を売り込むため全米各地を営業した。NOと言われてもNOと言われても、あきらめないで営業を続けた。NOと言われた数、実に1007回。そして1008回目にYESの業者が現れ、ケンタッキーフライドチキンは世界中に広まった。こんな簡単なエピソードだが、1007回NOと言われても、それに屈しなかったカーネル・サンダースの偉業を称えたい。そして彼は60歳を過ぎてから全米各地を営業した。1000回以上NOと言われ続けても、あきらめないで前に進んだ。あなたが60歳を過ぎて、そんなことができるだろうか?カーネル・サンダースは65歳にしてFKCを創業した。これこそ、ザ・信念である。

カーネル・サンダースはきっとこう思ったのだろう。「NOなんて大したことない。NOの先のYESに必ず成功がある」と。
だから彼は1000回以上断れても、たった一個のYESを探すため旅を続けた。そしてYESを見つけた。

あなたもカーネル・サンダースのようにNOに屈しないことだ。まして彼のNOなど大したことない。無責任な子供のNOなど大したことない、ワッハハと笑い飛ばせばいい、こんなもの。



信念は二通りある。

必ずできるという可能性を示す信念と絶対成功などできないという私たちの力を奪い取る信念。
どちらの信念もきわめて強い。
あなたはどちらを選択するかだ。


人は考えた通りの結果を生む。信念もあなたが考えた通りの結果を生む。必ずできるという信念を選択すれば成功する芽が出てきて、明白な限界があってこれは無理だと選択すればその通りの結果になるだろう。どちらを選ぶかはあなた次第、信念にも選択がある。


私たちの日常は、後者のネガティブな信念が多い。ダメなことをあげつらい、うまくいかないオンパレードをご丁寧に並び立て、これは不可能だ、これは無理だ、という明白な限界ばかりを追求している。


そんな考えでは奇跡は生まれない。
大半の人は、自分の考えで自分の力を奪い取る日常を送っている。その生活習慣から早く抜け出すことだ。信念の選択とは日々の挫折を克服することにある。


信念とはまず挫折を克服すること。そこから始めないと成功する信念に生まれ変わらない。失敗する信念ばかりに日常を置かないで、それを克服し、成功する信念へと変化成長することに力を入れよう。
あなたならできる。




今日は信念について考えてみたいと思います。
「信念」という言葉は何度も聞いた事がありますが、実のところ、信念とは何なんでしょう?「これが信念だ!」というところまで達観している人は少ないと思います。私自身も、信念の領域までまだまだ達観していません。これからです。


信念の定義はいろいろありますが、簡単に言うと信念は「情熱+行動」です。そう信念は情熱のある行動のことを指します。目的を達成するまで、情熱のある行動を続けること、何があってもあきらめないで続けること。これが信念です。


潜在意識。
信念は潜在意識の行動編なのです。


潜在意識はイメージと行動の二つから成り立っています。皆さんが多く活用しているのは潜在意識のイメージだけです。イメージ(想像)は得意中の得意ですが、行動は苦手、口先だけで何も行動していない。これが大勢の人々です。イメージだけでは信念まで育たない。人が嫌がる行動をしてこそ信念が育つのです。そう人が嫌がる行動、人が苦手とする行動に信念の芽がある、そういっていいでしょう。


あなたは人が嫌がる行動をしていますか?(人が嫌がる行動とは、他人に不快と迷惑をかける行動のことではありません)行動するのは面倒臭い、行動するのは疲れると口先だけで何も行動しない人々を尻目にあなたは行動が出来ているかどうかです。情熱たっぷりに行動ができているかどうかです。そして他人に頑固だ、奇人変人だと言われても行動を辞めない(あきらめない)で続けているかどうかです。信念は人が嫌がる奥にあります。あなたは人が嫌がる行動をしていますか?そこに信念の入口があります。


信念の定義は面白い、明日もその続きを書きます。




長い梅雨、ずっと雨が続いていますね、皆さんはどうお過ごしですか。私はいつものフアミレスでモーニング、コーヒーを飲んで、新聞を読み、おもむろにタブレットを出してブログを投稿する。そんな休日です。

しかし、タブレットは使いづらい、PCのようにはいかない。慣れないせいかもしれませんが、とにかく使いづらい。PCの3倍以上時間がかかる。タブレットの投稿は悪戦苦闘です(笑)

休みの日はブログの投稿をやめるようにしたいのですが、いつもの癖で投稿してしまう、病気の沖川がいます(笑)習慣とは恐ろしい、良い習慣も悪い習慣も。人は何を中心に生きていくかですね。仕事中心、恋愛中心、友達中心、家族中心、お金中心、名誉中心、いろいろ中心となるものがありますが、皆さんは何を中心に生きていますか?

中心は一方に偏ってしまうとよくありません、バランスが大切です。なるべくバランスよくトータルで見るようにしましょう。ほらほら恋愛中心のあなた!それじゃ生きるバランスを失いますよ。

今日の記事はここでおしまい。しかしタブレットは使いづらい、記事を書くには不向きだ。



ひとつ詩を作ってみた。
「疑うより信じること、これが愛」歌詞にして歌ってみようかな♪下手だけど(笑)
恋愛なんて以外と簡単、それは相手を徹底的に信じればいい、何の疑いを持たずに徹底的に信じればいい。この世に一人しかいない、愛する人を信じられないのなら、あなたは恋愛をする資格はない。恋愛する資格を失いたくなかったら、好きな人を徹底的に信じること、たとえ裏切られても。


「好きな人を徹底的に信じる」。
言葉に表すのは簡単だが、それを実行に移すのは大変だ「好きな人を徹底的に信じる」ことは。でも、本気で好きなら信じることだ。


私はこう思う。
疑うことは、本物の愛ではない。
疑いを持った瞬間、この愛は偽物に変わる。
世の中には偽物の愛であふれかえっている。
だから世の中に純愛が育たない。
それはとても残念だ。それじゃ人間が持っている一番綺麗な心(恋心)が可哀そうだ。
偽物で終わる恋愛ほど、綺麗な心を踏みにじるものはない。
裏切られることばかりを気にしている恋愛など、とても純粋とは言えない。そんな恋愛は辞めてしまえ。


私は好きな人ができたら徹底的に信じる、たとえ裏切られても信じる。信じることで人間が持つ悩みのすべてが解消できることを知っているからだ。その人のことを強く信じていれば、不安になることも心配になることも悲しむこともなくなる。


私は好きな人を信じているので、嫉妬はしない。恋愛の最大の敵である嫉妬は相手を信じることで無くすことができる。それは、嫉妬は「不安・心配・悲しみ」の三大悪感情から来ているのを知っているからだ。さらに嫉妬をすれば、その愛が本物でなくなることも知っている。だからどんな状況であれ、私は嫉妬などしない。嫉妬をする変わりに相手を信じることにしている。なぜそれができるか、それはその人のことを本気で愛しているからだ。ある人がいう「愛しているから嫉妬をするのでは?」それは本物の愛ではない、ただ支配欲に固まった悪の権化の愛だ。本物の愛は犠牲の上に成り立つ無償の愛である。愛している人に裏切られても、私はショックを受けない。それより信じることを最後まで貫いた自分を評価したい。これはナルシスとでも何でもない。最後まで信じることをあきらめない器の大きな人間を目指しているだけだ。本物になることを信じて、徹底的に相手を信じる。バカなくらい相手を信じる。私の愛し方はそれに尽きる。


愛する人に騙された。
愛する人に裏切られた。
それによってトラウマになった。
残念だけど、そんなに苦しい心を私は持ち合わせていない。愛する人に騙されてもOK、愛する人に裏切られてもOK、それによってトラウマになることもない。こんな青春の傷はとうの昔に卒業した。それは数々の修羅場をくぐり抜けたからだ。だから逆に人を信じられる。随分器が大きなってきたと自分でも感心している。(ワッハハハ)人生楽しまなければ損。最悪な事態でも笑う人間になろう。信じているその間愛は宿る。それを長く保つことだ。



女性の愛情は素晴らしい、だが、もっとしっかりするように。しっかりとは、根幹から外れないようにしてほしい。基本である幹から外れるからおかしな方向に彼との関係が進んでいく。


それと、
男の言葉をあまり信じないように。
男の言葉を鵜呑みにしないことだ。
女性は男の言葉を鵜呑みにして言葉に振り回されている。男性の言葉も女友達の言葉も鵜呑みにして振り回されている。自分の考えというものがない、自分の意見というものがない、こうしようという解決策が自分にない、しいては自分の目標がない。だから他人の言葉に振り回される。もっと自分を見つめ直すことだ。そして自分でこうしようという判断基準を持つことだ。


自分にしっかりした考えがあれば、もう男の言葉、他人の言葉に振り回せることはない。他人の言葉は無責任な言葉に過ぎない、言葉を発した当人があなたの人生の責任を取るわけがない、責任は全部自分にある。彼の言葉、他人の言葉は、そういう考え方もあるという参考意見にとどめ、判断は自分の意志でするように。


自分がしっかりしていれば、恋愛なんてチョロイもの。慌てることも大騒ぎすることも焦ることもパニックになることもない。夜も眠れない不安になることも、食事がのどを通らなくなることもない。所詮恋愛の傷は小さいもの、小さなことでクヨクヨ悩んでいる自分がバカバカしい、そんな人間になろう。


どのくらい恋愛の傷は小さいか。例えば彼との連絡が取れないとする。たった一週間の出来事だが、女性はその一週間を、地球を一周するくらい悩む。その一週間が江戸時代から今日までの時の長さを感じる。たった一週間をこれでもかというくらい悩む。女友達に相談すれば「彼はあなたのことが嫌いになったのだよ」とか「他に好きな女でもできたのだろう」とか傷つくことばかり言われる。女友達との相談が嫌になり、年配の男性に相談すれば「本当に好きな人は音信不通などしない」と言われ、さらに傷つく。ほらほら他人の言葉に振り回されているだろう。彼からたった一週間連絡が来ないだけで、人生の大部分をダメにするように女性は傷ついていく。夜も眠れず、食事ものども通らず、4kgも痩せてしまう。このままじゃ体調不良となり頭もおかしくなってしまう。苦しい、助けて。……そしてそこへおもむろに彼から連絡が入る「やあ、元気?」と。彼は彼女がここまで地獄図を描いているとは露知らない。何も気にせず、わびれた様子もなく、普段通りに連絡をしてくる「今どこにいる、今日遊ぼう」と。彼からの一行のメールで、女性は今までの苦しみが一気に吹っ飛び、急に明るくなる。明日への希望が湧いて来る。げんきんなものだ。恋愛とはこのくらい小さな傷で済む。そしてこのくらい小さな出来事である。


小さな傷で悩むから女性らしいのだろう。細かいところまで配慮が行き届く女性の愛情は確かに素晴らしい。だがその素晴らしい愛情の使い方を間違えている。もっと正しい方向に使うように。


正しい使い方は「信じることだ」疑ったものに女性の愛情を使えば、頭がおかしくなるのは当然だ。愛する彼を信じられなくなったら終わりだ。疑いを持った女性の愛情は、もう狂っているとしかいえない。そんな愛情の使い方はしないことだ。疑いがあれば、愛情より客観的な冷静な判断を下せばいい。下せないから愛に追いすがるのである。愛とは信じる者に向けるもので、疑いに対しては冷静なる判断が正しいのである。疑いに対しては愛の期待より、冷静なる判断が基準となる。その基準は人として相手を見ることだ。愛より、人として彼の行為を判断しよう。


女性の愛情は素晴らしい。
それは認めよう。
だが、疑いを持った女性の愛情は、これほど醜いものはない。




女だから失敗する。ならば男になろう。男になれば失敗は未然に防げる。

彼は仕事が忙しいと言う。仕事が忙しく、とても恋愛どころではないと言う。そしてその日を境に連絡が来なくなる。今まで毎日連絡があったのに……今は彼からはなにも音沙汰がない。彼は公言通りに恋愛をシャットアウト、(音信不通)にしている。

この流れは多い。
できた男はどんなに忙しくても音信不通などしない。大切な彼女を音信不通にするわけがない。仕事がどんなに忙しく、どんなにきつくてハードでも、彼女は特別な存在だ。仕事より、自分の命より大切だ。この世で一番大切な宝物である彼女を悲しませることはしない。でも……これは……できた男の話。音信不通にする男はできていない男。できていない男が、世の中多くなってきた。

できた男は車のハンドルみたいな遊び(余裕)を持っている。遊び(余裕)がないと事故を起こすからだ。ハンドルを握ってガチガチになると事故を起こす。仕事も余裕がない状態でガチガチだと事故を起こす。音信不通にする男は仕事で事故(ミス)ばかり起こしている。だから余計に忙しくなり、ミスをカバーすることで頭がいっぱいいっぱいとなって音信不通の山を築く。できた男は音信不通にするほどの事故を起こさない。なぜなら清涼剤として彼女に連絡をとっているからだ。その余裕(遊び)がモチベーションを上げ、仕事を効率よくこなす起爆剤となっている。何のためにオレは頑張っているか?それがわかっているからだ。恋する余裕(遊び)がない男は、いずれにしても出世できない。仕事ごときで顔面蒼白になって落ち込む男は使い物にならないからだ。


さて、できていない男の対処法は?
この答えが、あなたの望みだろう。
あなたはできていない男と付き合っているからだ。

できてない男は、女にうつつを抜かしていると、仕事で失敗し人生をダメにすると考えている。
できた男は、女にうつつを抜かしていても仕事で成功し、人生は豊かなものになると考えている。

さて、できていない男にあなたはどう対処するかだ。
答えは、女になるから失敗する。
そういっても過言ではない。

こういうときの女は、
何で???「もう私のこと好きでないの?他に好きな人ができたの?」
こういうことばかりを考えているからだ。
この二つのことが頭から離れない。この二つを拡大解釈してこの世の終わりみたいな地獄図を勝手に作っていく。彼が社会の地獄と戦っているのを分からず、勝手にネガティブスパイラルの物語を作っている。それだから女は失敗する。

男になれば、失敗を未然に防げる。
彼が「仕事が忙しい」という。「あっそう、頑張ってね、体に気をつけて、あまり無理しないように」それだけ言ってお終い。後は彼を信じて、彼のことは何も考えない。「だって、男の人は仕事が大切でしょう。私を愛しているのなら、彼には仕事に頑張ってもらおう」という考えに至る。その間、私は何をしようか♪(エヘヘヘ)と妙にウキウキ気分になる。やった♪これで自分の好きなことができる、超嬉しい♪(ワクワク)となる。
これが男になれである。女では失敗するから男になれ。しかもそれはできた男の考えと一致する。
できていない男に対しては、できた男の女バージョンで臨むのが一番よろしい。



キャンセル情報
6/11(水)16時~17時にキャンセルが出ました。
キャンセル分は、6/10(火)の12時50分~13時にて受付けます。
埋まり次第終了とさせて頂きますので、ご了承ください。




皆さんはどっちが好きですか?
真面目な男とチャライ男とワイルドな男。どちらが好きですか?


真面目な男とは、
性格は真面目で明るく嘘をつかない。社会のルールや秩序を守り社会的な常識が整っている。不誠実な人(非常識・不良)を忌み嫌う。仕事は真面目で継続性があり勤続年数も長い。恋人に対しても最初と変わらぬ愛情を注ぐ。ただし、ハイテンションのロマンチックなところはない、至って平坦な愛情である。女性に対しては口数が少なく、歯の浮いたような甘い言葉もかけられない。甘いロマンを期待する女性には物足りなさを感じるが、足りない部分は誠実さでカバーしている。人間としての信頼度は抜群で、この人なら安定した結婚生活が送れるであろうと誰もが想像することができる。安定を想像することができるが、堅気な性格のため、突拍子なものにチャレンジするとか、危険なものに冒険するとかはしない。平穏無事を第一とする。


チャライ男とは、
人をバカにしたような軽さがある。そしてなれなれしい、とくに女に対してはなれなれしい。出会ったばかりの女性にため語で話しかける。真面目な女性がため語を忌み嫌うと「なにかっこつけてんだよ、いけすかない女」と傷つける言葉をわざという。誠実な人か見れば、なんと下品な男という印象は否めない。そして最も怒りを覚える、下品でどうしょうもないと。チャライ男は、非常識で不誠実な部分を売り物にしている。真面目はつまらない、真面目は面白くないというのが彼らのルールである。そういう類の男には類は友を呼ぶがごとく、軽い女が集結する。そして社会に反抗するかのように夜な夜な集まって乱痴気騒ぎを起こす。不誠実な非行の世界、でもそこに長くいると心が折れる。そして誠実さを取り戻そうとして誠実な女に声をかける。「ねえねえ、ねーちゃんオレと遊ぼうよ」人をバカにするような軽さは消えていない。チャライ男は軽い女より実は誠実な女が好きなのである。そして身の程も知らずに、自分は何でもできると思っている。


ワイルドな男とは、
一部チャラ男の部分があるが、チャライ男よりもっと硬派なところがある。それは女に対して甘くないこと。女に対してはクールで厳しい。傷つく言葉も遠慮しないでズバリと言う。言うというよりそれは暴言に近い。女は人に嫌われるのを恐れているので、暴言を吐かれても私が悪いことをしたと勘違いし、ワイルドな男に心酔していく(この人は私を指導してくれる教組と)構成図は(男が逃げ、女が追いかけている)という形になる。逃げる男を追いかける女はワイルドな男が好きなようである。なぜ好きか、依存心の高い女はワイルドな男の逞しさに憧れているからだ。ワイルドな男は逞しい?とんだ勘違いだが、それに気づかずにワイルドな男がときどき見せる優しさに陶酔しているに過ぎない。100回冷たくされて、一回見せる優しさに千倍嬉しくなっているに過ぎない(ギャップで好きになっているという心理状態)ワイルドな男は誠実より悪いことをしてワイルドになった。ワイルドになるのも、誠実な人にはわからない苦しみや試練があったはずだ。危険な目にもあって、心も相当傷ついているだろう。そういった不良の行為からくる男臭さがワイルド感を演出している。ワイルドな男には極道の妻みたいな女がピッタリだが、以外と真面目で正直者の女がひっかかっている。


私はどちらの男を推奨するか。
もちろん選ぶのは誠実な男である。
チャライ男もワイルドな男も生き方が甘い、どちらもダメ男に過ぎない。
男の選び方は、基本は真面目(誠実)な人、そして車のハンドルみたいな遊び心がある人がいいと思う。ちょっとくらいのチャラさとちょっとくらいのワイルドを兼ね備えた男が理想となる。堅物過ぎる真面目な男は、遊びがなくつまらない、まず女にはモテナイ。車のハンドルみたいな余裕は、女にモテテ、夢や目標を引き寄せる大きな力となる。そんな男を推奨したい。タフで女に優しい男がいい。チャライと男もワイルドな男も女を傷つけている。それが許せない。




別れのとき、ショックで泣いてしまう男が増えてきた。

男が泣く?
え?え?なんでこんな場面で泣く?
ここは責任を取るところで泣く場面ではないだろう。
それなのに、なぜ泣く?といいたい。

4年付き合った彼女に結婚を迫られて、それに耐えられなくて泣いてしまう男。情けないけど、悲しいけど、責任を取る自信がなく泣いてしまう男が増えてきた。
彼が最も恐れていた言葉「結婚はいつなの?」
その言葉が出た途端に別れのスイッチが入る。(ついに来たか、別れの日が)それで彼は泣いてしまうのだろう。恐れていたその日が来たからだ。いつか来ると思っていたけど予想より早く来た死刑宣告が。

死刑宣告を受けた彼は、二人の想い出を走馬灯のように懐かしむ。
二人で行ったディズニーランド、水族館、映画館、旅行。オシャレして出かけてあっちこっちのお店。美味しいご飯を食べて、美味しいお酒を飲んで、いろいろ語り合った。その想い出が走馬灯のように駆け巡る。今日で終わりだと。

それで男は泣く……

「おいおい、ここは泣く場面ではないぞ。ここは責任を取る場面だ」
と、古きオヤジはぼやく。

泣くな男だろ!みっともない。とぼやく。
でもボロボロと泣く。
ああ~どうなっているんだ!今の世の中は。
これじゃあべこべだ。
男と女が逆になってしまった。


彼が泣いてしまった。
その話を聞くたび。
私はつい笑ってしまう。(ああ~とため息交じりに笑ってしまう)
え?なんでこんな場面でなくの?と笑ってしまう。
この笑いに同情は一切ない、とても冷やかな批判だ。情けないという批判だ。男もここまで落ちぶれたかという批判だ。

そして厄介なことに、泣いた男は彼女の元に戻っていない。泣く男だから優しい。優しいから何とかなると思うけど、どっこい別れに関してはとても頑固なところがあって、彼女と寄りを戻すことはない。彼も分かっているのだ、自分がこれだけ惨めな姿を彼女にさらけだしたことを。みっともなくて恥ずかしくて、とても前のように付き合う気分にはなれないことを。男は汚点をもったまま彼女とは付き合うことができない。これがせめても男のプライドなんだろう。みっともないプライドを男は死守する。

それに対して、女は泣いた男に同情する。
男が泣く……それだけ私のことを愛していると同情する。女は男の涙に弱い。それはとんだ勘違いなのに、女性の習性からして仕方がない。母性愛を持っている女性は泣く子には同情するからだ。これが女性の優しさだろうけど、かえってそれが大の男をダメにしているのに気づいていない。女性の同情で、逆に男の立ち直りを遅くさせているのに気づいていない。女性のやりかたは、私から見ればあべこべだ。

私があなたなら、
泣く男は冷たくあしらう。
「情けない、それでも男か」と冷たい言葉をあえて浴びせる。
彼はその言葉に対して、怒りを覚えるだろう。怒り狂って反発してくるかもしれない。それでも「あんたは男なの?男なら男のプライド持ちなさいよ」と言い放つ。泣いている男に同情すれば、地に落ちる。喝を入れてやらねば這い上がることはできない。その覚悟で冷たくあしらう。

泣く男は弱い、弱い男に同情すれば男はさらに弱くなる。泣く男は弱い、弱い男に母性愛ですがりつけば男はさらに自信を落とす。先陣の谷に落とす父ライオンにように、這い上がってきた子を後継者にするような気持ちで接することだ。そのやり方は一時期憎まれるが、彼が逞しくなれば、それは尊敬に変わる。私はそのやり方を選ぶ。


泣いた男は復縁ができていない。復縁できない理由は、彼は泣くほど私のことを愛していると女性たちが勘違いしているからだ。彼が自信をなくしているのに、同情して、それを愛だと勘違いしている。それはバカバカしい考えだ。だからその後、どうしていいかわからない苦悩が続くことになる。泣いた男は復縁ができない、ならば切り捨てることだ。そっちの方がかえって復縁ができている。なぜなら泣く男は弱い。弱い男はしっかりしている強い女性を求めるからだ。



もう一度人生をやり直せたら、恋はしない、結婚もしない、そんな人生を送ってみたい。

恋をしない人生、結婚をしない人生とは、どんな人生?
考えただけでもゾクゾクする。
きっと自由で楽しいだろうな。
寂しくなければね。
人は寂しいから恋をして結婚をして家族をつくる。
寂しくなければ、恋愛も結婚も家族もいらない。
きっとそうだ、寂しくなければ自由でいられる。
寂しいという気持ちに負けて人は自由を失う。考えたら損をしている、自由気ままな人生を失って損をしている。孤独に耐えられない犠牲が恋愛であり結婚である。

おかしいな、人は生まれて来る時も死ぬ時も独り。パートナーと共に生まれて来るわけでもない、パートナーと共に死ぬわけではない。存命している途中にパートナーがいるだけ、最初と最後は独りになる。愛は永遠に成りえない。

この寂しい文章は、恋人に裏切られた男の心情。
結婚を決めた女性に「他に好きな人ができた」と裏切られてふられた。それがトラウマになり、女性不信になった彼は、この先二度と恋をしないと決めた。
最近は女性より男性の方が繊細かもしれない。「まるで女の子だ」そういう男性が増えてきた。そんな男性に対して、皆さんはどんな言葉をかけますか?