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釈迦の言葉
底知れぬほど寂しいところが人生である。
「独生独死」どくしょうどくし(独り生まれ、独り死し)
「独去独来」どっこどくらい(独り去り独り来る)

私たちは、この世に、独りで生まれてきたのだから、死んでいく時も独りである。最初から最後まで、独りぽっちの旅なのだ。
どれだけ大勢の人に囲まれていても寂しいのは、自分の心を分かってくれる人がいないからである。
親子、夫婦、親友であっても、心の中を、すべて洗いざらい言えるだろうか。何一つ隠さずに、さらけ出すことができるだろうか。
心の奥底を、よくよく見つめてみると、とても言葉に出せないものを、お互いに持っている。もし、言ってしまったら、「そんなことを思っていたのか」と、相手がびっくりし、嫌われてしまうだろう。
「あの人には、何でも言える」というのは、言える程度までならば、何でも言えるということだ。
自分の悩みや苦しみを、すべて誰かに話すことができ、完全に分かってもらえたならば、どれだけ救われるかもしれない。しかし、現実には不可能である。
 どんなに仲が良く、一緒に暮らしている相手であっても、一人一人の本心は、別の人にはのぞき見ることもできない。自分にさえ知りえぬ、秘密の蔵のような心があると、仏教では説かれている。寂しくて、何かせずにおられないが、何をしても、紛らわすことができない。まさに底知れぬほど寂しいのが人生なのである。

「こころの朝」木村耕一著を引用


恋愛においても、どんなに愛していても、どんなに好きでも、相手の心の中をのぞき見ることはできない。相手が何を考えているのか、何を望んでいるのか、それらすべてを分かることは不可能である。
分からないから寂しい、分かってもらえないから寂しい。相手がすべてをさらけ出してくれないから寂しい、自分をすべてさらけ出せないから寂しい。人間が持っている欲望をすべてさらけ出せないから寂しい。


親しい人には、すべてをさらけ出せないのが人の道理。そう考えてみたらどうだろう。すべてをさらけ出したら、今まで築いた人間関係が壊れることになる。親しい仲にも礼儀あり。寂しいからといって洗いざらいぶちまけてはいけない。相手に配慮する気持ちがなくなった時が破局となる。


では寂しさはどう埋めればいいのだろう。
うむ。本来寂しさは一人で解決するもの。精神的な自立は生きていく上で必要である。それが分かれば、寂しさに打ち勝つ鍛錬を積むしかない。人はどこにいても寂しい、集団の中でも、一人の時間のときも、寂しい。求めているものが満たされていないと人は寂しくなる。でも、その寂しさの大抵は考え方を変えれば寂しさはなくなる。考え方を変えて、寂しさをなくすしかない。考え方を変えるとは、あなたが目標を持つことです。寂しさは目標によって打ち消される。純粋に真摯に向き合う目標があれば、寂しさはなくなる。


目標がなければ、私が話を聞きましょう。
すべてをさらけ出してもいい。
それであなたの苦しみが無くなれば。



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大宮 氷川神社にて撮影。


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目標に向かって射て♐






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コメント

No title

今日の言葉ジーンときました。メモさせていただきました。心のノートにいつも置いておきたいと思います。

そうですよね、たとえ家族であってもそうだと思います。むしろ一番近い人に心の中をわかってもらえないほうが辛いかもしれません。

根底から人は生まれてくるときも死ぬときも一人、そういう考え方にしたら楽になった気がします。幸い夢中になれることがあるので幸せです。

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No title

先生。この記事は足りないパズルの1ピースの如くすっぽりと何かが起こりました!
新しいです!何かが新しい!
素敵な記事をありがとうございます!!!!!!

No title

4/12(土)18時からのEさんキャンセル了解しました。

先生。

正直、私だけなのかと思っていました。
目標があれば何でもできる。
目標を見失うと、進むべき道が分からず途方に暮れる。

去年は目標を見失った1年でした。
自分が目指している目標は何なのか、仕事もプライベートも何が何だか分からなくなりました。

でも。
一年前から超遠距離になった相手とのメールでのやりとりを読み返し、合わない時間を作って話してきたことを振り返ってみて…

色々と感情の渦に翻弄されながらも、落ち着くと「今日一日楽しもう」「今週もがんばろうね」「今週もお疲れさま」そんな小さなやり取りを丁寧に重ねてきたことに気付きました。

今も大きな目標を考える時期ではないけど、小さな目標をお互いに重ねてきた歴史は、大きな財産なのかなぁって…。

お互いに葛藤しながらでも共に歩いてきた道。

1年後も、この地球にそして同じ時代に存在し出逢えたことに感謝していたいな…

今、そう思いました。

今を楽しみ・愛する事

4年前、憧れの専門職に就いたものの。実家を出て初めての一人暮らし、職場の人間関係。………彼ともケンカばかり。社会人デビューの当時は泣き虫で。体力&精神的にも弱く、挫折を経験しています。

しかし、職場は辞めずに担当部署を変える形で。体調と相談しながら続ける事を選択しました。

周りの方々に協力して頂き。様々な経験を乗り越えて。遅咲きではありますが、今では自分の仕事に誇りと生き甲斐を感じています。最近では、人手不足もあり4年前に担当していた部署に再挑戦したいと考えるようになりました。

孤独や寂しさに強くなるには、第一に体調を整え、心身共に健康でいる事。仕事や人生の目標を持ち、一人でも楽しめる「趣味」を見付けると良いと思います。

前回の記事にもあるように。恋愛・彼氏は二の次。放置くらいの方が、相手を許す余裕が出てきて上手くいく事も学びました。

「彼も仕事も人生も思い通りにならないのが当たり前。皆違ってそれでいい。」という考え方が出来るようになると、どんな小さな事にも、有り難みを感じ。大きな喜びに変えられますね。

更に人生を焦らない事、周りの発言に左右されない事。でも、柳に風の柔軟性は大事!!!過去を後悔しないで、先を見すぎないで。与えられた今という時間を最大限に楽しみ、愛する事だと私は思います。

No title

この記事は、4/8、釈迦の誕生日にちなんで…なのですね。

沖川先生に限らず他の方のブログや自己啓発本も多く読んでいるうちに仏教にぼちぼち詳しくなりました。皆さん本当によく引用されているので。

そしてもう一つ興味を持ち始めたのが、キリスト教です。
こちらは自己肯定感を高める系の本(ブログ)でよく引用されています。

無宗教の私ですが、それぞれ生きる為の「哲学」としてとても興味深いです。
さすが太古の昔から存続してるだけありますね。(人間の悩みは普遍…)
「沖川先生がキリスト教の考え方を引用したらどんな記事になるのかな?」
「イスラム教はどんな哲学だろう?恋愛に生かせるのかな?」
など、いろいろ考えてしまいました。

セルフ依存。

私、なんだか「孤独」って言葉にずっと違和感があって…自ら使う言葉でもないし…むしろ嫌いな様です。笑
私は一体今まで生きてきて「孤独」を感じた事があるのだろうか?って考えてみました。…無いな。きっとこの先も無いだろうな。
だけど、「独りでいる事」は大好き*お気に入りの本が一冊でもあれば、ブルース・リーの映画があれば、成すべき仕事があれば、ダンスホールがあれば、山があれば、海があれば、何日でも独りで楽しめる自信があります。笑
「独りでいる事」に寂しさも孤独も感じない。
もし「孤独」を感じるとするなら、自分が死ぬ時位かな…。私、自分に依存してるのかな…?笑

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