ホーム > 恋愛・復縁・結婚 > 体も心も道具にすぎない
「心を積極的に」の大家である中村天風の語録を並べてみたいと思う。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」
という格言に賛成しない。彼は、
「これも真理でないと言わぬが、相対的なものであって、絶対的な真理ではない」
心も体も自分が生きるための道具として使うものであって、反対に自分が使われてしまってはいけない。

いちばん哀れな人たちは、自分の体に使われている。上手いものを食べたい。眠いから寝たい。異性に近づきたい…こんな欲望だけに振り回されて一生が終わってしまう。これでは獣と変わらない。

もう少しましな連中になると、今度は自分の心に使われる。心が悩み、苦しんでいると、それは自分自身の悩みであり、苦しみであると思いこんで憂鬱になり、ひどいときは絶望的になってしまう。彼らは「つらい」「苦しい」「困った」「ダメだ」という四重奏を延々と演奏して、結局は人生を暗い惨めなものにしている。

自分とは、体はもちろん、心よりも超越した存在であることを自覚せよ。
体も心も道具に過ぎない。
以上、中村天風語録より。


「体も心も道具に過ぎない」なるほど…そう考えればいいのか、体も心も道具にすぎないと。本を読むと、生きる基本が手に入る。改めて人生の生き方を学ぶ。自分のペースでボーと生きていてはダメだと自覚する。

私の仕事でも、心と体に使われている人がたくさんいる。私自身も時々そうなる。体に使われて心に使われている自分が時々いる。

心は道具だから分けることができる。道具は自分が使うものであって、道具に使われるものではない。道具という心が傷ついても、自分が傷ついたわけではない。傷ついたのは心という道具だ。彼に振られても、恋愛という心が傷ついただけ、私が傷ついたわけではない。彼が私に振り向かないのなら、彼の道具が不良品だからだ。不良品相手に傷つく必要ない。そんな不良品は捨てて、もっと性能のいい道具に変えればいいだけのこと。道具は見極めと使い方によって良くなる。


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傷ついたのは恋心だけ、他の心と分けて考える。失恋のショックに打ちのめされている時はそんなのできない!と思っていましたが…あら不思議。私の場合は10日で分けることができるようになりました。今まで心の中の恋愛の比率が大きくなりすぎていたので、失恋したことで世界の終わりかのような精神状態でいました。夏季休暇を終え、仕事が始まると心の中に仕事の割合ができ、新しい趣味を始めることでそちらの割合もでき… 恋愛だけで苦しんでいたことが変だなあと思えるようになりました。

No title

中村天風氏の「勝ぐせのセオリー」おもしろそうですね。
心が小さいと小さいことしか考えないし、小さいことしかできない。
小さい心はストレスに弱く、小さなことで体調を崩してしまう
本当だなと思いました。
「感情的にならない」=「心を分ける」と唱えながら頑張っています。
人から受ける悪意(あきらかな嫌がらせ、陥れ)に対しては
恨みつらみ憎しみがこみあげますが、もうそういう人間に対しては、自分とは関係のない人
いない人と同じだと思うことにしています。心が緩むとああだろうかこうだろうかという妄想から嫉妬、猜疑心、悪意がこみあげてきますが、まったくゼロにするのは無理なのかもしれませんが、もういい加減にそういう心はさよならしたいです。いつも明るく、ポジティブに笑顔で暮らしたいです。嫉妬はいけない、持ってはいけない感情、嫉妬は善意を台無しにしてしまう・・・
先生がよく書かれていた言葉ですが、最近気づきました、明らかに悪意を持って敵対してくる人以外の人たち(友人、知人、家族)の心の中を詮索したりあれこれとむずかしく考えたりするのはやめようと。

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