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「ボーと生きてんじゃねーよ」ははは(笑)NHKのチコちゃんのこの決め台詞、私は大好きです。鑑定の場でも笑いながら「ボーと生きてんじゃねーよ」と冗談交じりに言ったりもします。ということは、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる生き方を、皆さんがしているということになります。

私も「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる生き方をしています。自分の一日を振り返れば、物事に集中できなくてボーとしている時間の方が長いかな。禅の修行では、お腹が空いたらご飯を食べ、のどが乾いたら水を飲む、これが修行らしい。なんだそんなことか、それだった自分も毎日やっている。ところが違うのですね。一般の人は、ご飯を食べるときも水を飲むときも、あれこれといろいろなことを考えている。中にはテレビを見ながら、雑誌を読みながら、スマホを見ながら、ご飯を食べ水を飲んでいる。これじゃご飯のありがたみが分らない、水のありがたみが分らない。水や食物からくる栄養も吸収されない。ご飯を食べるときはご飯だけに集中しなさい。水を飲むときは水だけに集中しなさい。そしてご飯と水に感謝しなさい。そうでないとご飯と水のありがたみが分らないという教えが禅の修行である。

感謝して集中する。
これが一般の人にはなかなかできない。
だから、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる。
私も含めて。

さて、題目は「意志」について。
意志とは何だ。
意志とは集中することだ。

「ボーと生きてんじゃねーよ」これが意志の使い方。
わかりましたか。
私もこの歳になって、やっとわかりました。
すみません、反省しています。

成功哲学では、意志を強固にしなさいという。
意志を強固にする?
意志ってなんだ?
この意味がなかなか分らなかった。
自己啓発の本や西洋の成功哲学の本には、そういうことがたくさん書いてある。成功するためには意志が大切だと。なるほど成功するためには意志が大切で、その意志を強固にすることが必要なんだ。頭では理解できた。だが、その理解は表面的な理解でしかなかった。頭では理解できても、実際には何も理解できていなかった。その証拠に意志の力がぜんぜん発揮されない。行動にも現われないし、心にも現われない。ただ頭で理解できて、ボーッと生きているに過ぎない。ためになる本を読んだけど、ためになる部分は映画の1シーンのように走馬燈のように消え、残った記憶は他人事のように置いてきぼりにしている。取り残された自分は、チコちゃんに叱られるだけ「ボーと生きてんじゃねーよ」と。

ためになる本を読んだけど、ためになる部分はぜんぜん生かされていない。
ただ、他人事のように過ぎ去り、取り残された自分はボーと生きている。
これを打破するためにはどうすればいいか。
そこで考えた。
何事も気を入れてやればいいんだ。
アニマル浜口ではないが、「気合いだ!気合いだ!」
そこまでオーバーアクションでなくて、心静かに気を入れてやればいいんだ。
一日のやることすべてに、気を入れてやればいい。
気が入っていないから、心がピンぼけとなる。
心がピンぼけになれば、モヤモヤが出てくる。
モヤモヤが出てくれば、意志がなくなる。
何事も気を入れてやる。
今まで気が入っていなかった。
ご飯を食べているときも、ご飯以外の別のことを考えていた。
仕事をしているときも、仕事以外の別のことを考えていた。
学校の授業でも、先生の話より別のことを考えていた。
友達と会話しているときも、友達の話は上の空で別のことを考えていた。
会社に出勤する前も、出勤する支度よりも別のことを考えていた。
本を読んでいるときも、中身の重い本は眠くなり別のことを考えていた。
別のことばかり考えるからモヤモヤする、それに気づいた。

だから、モヤモヤはなくす。
これからは別のことは考えない。
すべてのやることに気を入れて集中する。
何事も気を入れてやる。
私の考えに賛同して頂ければ、今日からそれを実行してください。
そうすれば、あなたの心にも意志が芽生えます。


目標や計画なしに生きている。
ある本に、100人中、98人は目標や計画なしで生きていると書いてあった。ホントかいな。まあ、そんなものかもしれない。私もこの仕事をしていて、100人中、98人は目標や計画なしで生きているのではないかと思うからです。私もその中に入り、あなたもその中に入っているのではないだろうか。いはやは参った・・・(汗)。自分は目標や計画なしに生きているのか?困ったものだ。困ったものだけど、別に支障はない。屋根のある家に住み、美味しいご飯が食べられて、それなりに健康で暮らしている。目標や計画がなくても問題はない。目標や計画などなくても、普通に平和に暮らしている。

この状態で、何の目標や計画がいるのだろうか?
成功とはなんだ?ときどき考えてしまう。


若い頃は、やれ目標だ!計画だ!と粋がった。
バカみたいに無理もした。
アホらしいほど努力もした。
嫌な目にもたくさんあい、挫折もたくさんした。
まあ、その甲斐あって今日の私がいるのかもしれない。

目標や計画なしに成功することはできない・・・か。
確かにそうかもしれない。
だが、目標や計画を持つことは良いことばかりではない
目標や計画を持つことは苦しいことばかりだ。
辛い目にもあい、悲しい目にもあい、忍耐強く我慢することも強いられる。遊びを捨て、欲望を捨て、人間らしい喜びや楽しみを捨て、場合によっては愛を失うこともある。目標や計画に邁進中はしんどいことばかり。それを自ら経験している。

世界の成功者は、これを信念だ、意志だ、情熱だ、熱意だ、モチベーションだ、エモーショナルだ、感動だ、願望を達成するための試練だ、根性だ、胆力だ、パワーだという。おいおいしんどいのを、そういうかっこいい言葉でごまかすわけ?私の意見を正直に述べよう。目標や計画を持つことはしんどく苦しいことばかりだ。これ以上でもこれ以下でもない。これが私の正直な答え。

おいおい今日の沖川はやけっぱちではないか。ご心配ありがとう。でも、やけっぱちではないよ。何か新しいものを作りたいだけ。「無理しないで成功する方法」なにかないかな?と考えている。大成功より、プチ成功。大金持ちより中の上の金持ちでいい。贅沢な暮らしより質素な暮らし。セレブより庶民。それでいて、安全に平和で暮らせる。こんなことを考えている。そうなるために、何かないかなと考えている。

もちろんそうなるためには、世界の成功者の考えや法則、意見も取入れなければいけない。小さな成功でも、信念や熱意は大切だからです。目標や計画も大切だが、そんな大袈裟な目標や計画はいらない。大きな目標があるとすれば、それは潜在意識に任せて、あとは忘れても構わない。普段やることは、今日やることをちゃんとやるだけでいい。そんなこんなで、プチ成功、何かないかなと考えている。そういったものを ボチボチとブログに書いていきます。




人間生きている限り、常に不安と恐怖に苛まされる。
人間の活動は、不安と恐怖を無くすために活動しているのではないかと思うほどだ。
私もそう、不安と恐怖を無くすために活動している。
毎日こうしてブログを書いているのも、仕事をしているのも、ジムに通って体力を作っているのも、思えば不安をなくすために活動している。そんなに大したことはやっていないが、自身に巣つく不安と恐怖を退治するために活動しているといっていいだろう。

サボったらどうなる。
それは大変なことになる。
不安と恐怖がひしひしと押し寄せ、心がにっちもさっちもいかなくなる。
私も時々サボるが、サボったあと、好調だった前の状態に戻すまで数カ月から数年かかることがある。
安心して手を抜いたつけは、なかなか取り戻せないものだ。

サボるときは、「あきらめよう、そうすればうまいく」という思考が働いたとき。老師の言葉だが、自分はまだその域に達していないようだ。もっと達人になればあきらめても不安と恐怖はなくなるだろうが、自分はなくなることはまずない。まだまだですね自分は。でも懲りることなく「あきらめよう、そうすればうまいく」は思考として使っている。それを使うときは疲れたとき。一生懸命頑張って疲れたときに、やることはやった、後は運を天に任そうと思って使っている。で、結果はどうなったか?あきらめた結果となった。悔しいけど、そういう結果だ。そして不安と恐怖がまた再燃する。あきらめたのだからいいのではないかといっても、よくはなかった。あなたの恋愛と同じように、あきらめるのが実は嫌だったのだ。

でも、あのまま続けていたらぶっ壊れていた。
あのまま続けたら、精神が病み、体もボロボロになっていた。
「あきらめよう、そうすればうまくいく」は、心と体を休ませるために使う。
休んだらまたチャレンジできる。そのために使うことにしている。

だが、休みすぎることもある。
十分に休んだのに心が復活できない。
サボり癖は習慣となる。
怠惰怠慢の悪習が生活の一部となる。
悪習になれば言い訳をする。
「もう、頑張らなくてもいいんじゃないか。十分に頑張ったのだから、もう引退しなさい。人間引き際が肝心だよ」
と、神の声だか、悪魔の声が聞こえてくる。
なるほど・・・。ではもう少しサボるか。
サボって楽なはずなのに、なんだかちっとも楽ではない。またじわじわと不安と恐怖が襲いかかってくる。
あれ?あきらめて、よくなるはずなのに、全然良くならないじゃないか。
良くするために、また、不安と恐怖を打ち消す活動に入る。

人間の活動は一生を通じて不安と恐怖を打つ消すためにある。生きている限りずっと。
一時期の気休めでは不安と恐怖はなくならない。
一時期休んでリフレッシュしたら、また不安と恐怖を打つ消す活動に専念しなさい。
と、自分は神に言われている気がする。

私の不安と恐怖を打つ消す方法は。
先人の偉人たちと同じ思考を手に入れるようにしている。
手に入れる方法は本を読むこと。
彼らの真似はできないが、彼らの思考は手の入れることができる。
本を読めば手に入れることができる。
中村天風を読めば、中村天風の思考が手に入る。
ナポレオン・ヒルを読めばナポレオン・ヒルの思考が手に入る。
カーネギーを読めばカーネギーの思考が、松下幸之助を読めば松下幸之助の思考が手に入る。
歴史上の偉人たちの本を読めば、歴史上の偉人たちの思考が手に入る。
彼らの真似はできないが、彼らの思考は手入る。
私の不安と恐怖の解消方法は、偉人達と同じ考え、同じ思考を持ったとき解消されている。
その思考をもとに行動すれば、自然と不安と恐怖は消える。

不安と恐怖の中にいる人は、不幸の切符を手にしていることになる。
私はそんな切符は自ら買わない。
だが、さぼったときは知らぬ間に買っていることになる。

だから、この切符は捨てる。
次に手にするのは、成功への切符だ。
偉人達と同じ思考を持って、幸せになるために活動する。



顕在意識と潜在意識の有効な使い方。
何かの本に書いてあった。
顕在意識は、問題を見つけることと目標を設定することのみに使うこと。
問題が見つかり、目標の設定ができれば、あとは潜在意識に任せること。

ホントかな?

こうも書いてあった。
一番いけないのは、見つかった問題を顕在意識でうだうだ考えること。設定した目標を顕在意識であれこれ心配すること。これが一番いけないやり方。問題が見つかり、目標の設定ができれば、顕在意識の役目はここで終わり。これから先は潜在意識に任せること。
ホントかな?

でも、なるほどと思う。
問題を顕在意識でうだうだ考えるなといわれても、うだうだ考えている自分がいる。解決できない問題を朝から晩まで(どうしょう・・・)と考えている。今日この方法がいいと見つかっても、明日になればこの方法ではダメだと考えている。明後日になれば、やはり一昨日の考えが正しいかな?と考えている。考えの堂々巡り。何を考えても答えが出ない。

それでもなんとかこの方法でいこうと考える。考えに考え抜いてやっとできた目標。しかし、今度は目標に疑いを持ち始める。果たしてこの方法でうまくいくのか?心配の種がどんどん増えてくる。心配の種を持ってやってみたら失敗した。疑いを持った目標は失敗するようにできている。あれやって失敗、これやって失敗。うまくいくと思って行動したのに、結果うまくいかなかった。良くなるだろうと思って努力したのに努力は水の泡となってしまい、結果として前より悪くなった。

こんな経験、誰しもあると思う。
考え過ぎて失敗したこと。不安と心配のドツボにはまって、すべての考えがネガティブの思考となり、結果何をやってもうまくいかなかったことが誰にもあると思う。
なぜうまくいかないのか?
その答えが冒頭にある。
顕在意識は、問題を見つけることと目標を設定することのみに使うこと。
問題が見つかり、目標の設定ができれば、あとは潜在意識に任せること。
「ホントかな?」を「そうだね」に変えるしかない。
人間疑いを持ったらダメ。とくに自分に疑いを持ったらダメ。
自分の潜在意識の力を信じること。
これに尽きる。

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自分は何をやりたいのか?わからない。 何をするべきか?決められない。

仕事のこと、恋愛のこと、結婚のこと、人生そのものについて、自分は何をやりたいのか?わからない。そういった悩みを抱えた人が鑑定に訪れる。こういった相談は結構多い。

自分は何をやりたいのか?わからない。 何をするべきか?決められない。人生にはあるあるそういう時期が。私にもある、自分は何をやりたいのか?わからない時期が。わからないまま何年も過ごしたことがある。NHKのチコちゃんではないけど「ボーッと生きてんじゃねぇよ!」といわれてもしかたがない時期を過ごしたことはある。

目標を持って生きている人は果たして何人いるのだろう?100人のうち5人くらいかな。ということは、残り95人は何も目標がなく生きていることになる。また目標を持って生きている人も一生目標に向かって生きているわけではない。途中で挫折したり、途中でくじけたりしている。一時期は目標が達成して夢が叶ったとしても、栄枯盛衰のごとく達成した目標は衰退していく。また新たな目標が必要になるが、新たな目標に向かうためのモチベーションがなかなか上がらない。

人間が夢に向かっている期間はわずか。人生の1割か2割くらいの時間くらいしかない。100年人生があるとすれば、10年から20年。それも10年、20年と続くわけではない。3回か5回にわけて、数年間頑張るだけである。イチローみたいに20年以上目標を継続するのは難しい。あれこそ常人には真似のできない天才である。

目標の継続は厳しい。継続が厳しいのはとてもしんどいから。ある程度まで達したら、人はもうこんなしんどいことはやめにする。そんなに無理しなくても食べていけるようになれば、人は楽な方へと生き方を調整する。家族を大切にしたり、旅行に行ったり、友達と遊んだり、恋愛をしたり、趣味に嵩じたり、人はしんどい目標よりも楽な方を選ぶ。そして努力して築いた運のいい時間が過ぎ去り、また不運の風にさらされる。そこで人は悩む。自分は何をやりたいか?わからないと悩む。

人生には大きな挫折が3回あるといわれている。
青年期に1回、中年期に1回、老年期に1回の計3回である。

中にはもっと多い人もいるだろう。
私も15年周期で大きな挫折に苛まされてきた。
今にして思えば、挫折はいい勉強だったが、当時はそんな余裕はなかった。
ただ無駄に何年ももがき苦しんだだけである。
なぜ苦しんだか?頭の中が考えすぎてネガティブだったからだ。
15年周期の3回の大きな挫折から何を学んだか?
これを学んだと大きな声で言えないが、
ひとつ言えることは「開き直ることである」
開き直れば、人生なるようになる。
自分次第でどうにでもなる。
これだけはいえる。

さらに詳細を述べれば、
あまり考えすぎないことだ。
ネガティブなことばかり考えても良くはならない。
悩めば悩むほど、事態はかえって悪化する。
だから、あまり考えすぎないことだ。

そして、さらに自分の人生の真価に近づくためには、
直観で生きていくことだ。
直観(スピリット)を中心に心を積極的に生きること。
直観と積極的で生きていくことだ。


自分の直観に従い積極的に生きていく。
悩むことをやめ、考えることをやめ、今日という瞬間、今日という今の時間によしこれをやろうという直観に従い積極的に物事をこなしていく。目標が見つからなければ、今日これをやるという直観に従って生きていけばいい。
心を積極的に直観に従って生きていけば、自分が何をやりたいのか?わかるようになる。 何をするべきか?決められるようになる。

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2019年4月 桜。


テーマを募集します。
せっかく皆さんとコミニュケーションが取れるようになりましたので、何かいいテーマがありましたら、ここにコメントください。皆さんのコメント(ご提案)お待ちしています。

テーマは何でもいいです。
仕事のこと。恋愛のこと。人間関係のこと。家族のこと。人生のこと。テーマは何でもいいです。

各項目に無数に広がる不安や心配事。
それにまつわる夢や希望。
成功させるための目標や計画。
達成させるための信念や哲学。
生きるための自分なりの法則。

ネガティブなテーマ。
困難に押しつぶされている自分。
苦しみから逃れたい自分。
助けを求めたい自分。
ネガティブから脱却したい自分。
誰にも相談できない自分。

ポジティブなテーマ。
夢に向かっている自分。
目標や計画がある自分。
目標を達成したい自分。
前向きで明るい自分。
挫折や困難を面白がっている自分。

好きな人のことで悩んでいる自分。
好きな人に振られた自分。
好きな人に逢えない、音信不通で悩んでいる自分。
復縁をするか?前に進むか?で悩んでいる自分。
好きな人がいると、新しい人に興味が沸かない、それによって幸せが遠くなっている自分。
見極めができない自分。
愛に執着している自分。
頭では解っているが、感情がついていけない自分。
などなどテーマは何でもいいです。皆様のコメントお待ちしています。

コメントに対する答えは、承認されたコメントのみお答えします。非承認のコメントにはお答えすることができません。ここは夢や悩みを共有するマスターマインドの世界だからです。コメントに対する答えは私だけでなく皆様のご意見やアドバイスもお願いします。ただし、誹謗・中傷はお断りさせていただきます。極度な誹謗や中傷がある場合は削除させていただきます。

私の答えは、すべてにまんべんなく答えることはできません。こちらでセレクトさせて頂きます。短く答えたり、長く答えたり、あるいは答えないでいくかもしれません。時間があるときはなるべく答えるようにします。

ではでは、皆様のコメントお待ちしています。



皆さんは愛されることばかりを求めていませんか?
愛されるより、愛することです。

「愛されるより、愛すること」この言葉は昔から伝えられている言葉で、よく聞きますが、この意味は何でしょう?皆さんはどのように思われますか?

「愛されるより、愛すること」って。自己犠牲?都合がいい?相手の思うつぼ?相手ばかりが得をする。愛すれば、相手は良い気分になるが調子に乗る。これでは自分ばかりが損をしている。そう思われますか?皆さんの意見をお聞かせください。

「愛されるより、愛すること」
マザーテレサなら。
愛されることより愛することを求める心をお与えください。憎しみのあるところには愛を、不当な扱いのあるところには許しを、分裂のあるところには一致を、疑惑のあるところには信仰を、誤っているところには真理を、絶望のあるところには希望を、暗闇には光を、悲しみのあるところには喜びを、慰められることを求めるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されることよりは愛することを。以下インターネットにて、マザーテレサの言葉を引用。

「愛されるより、愛すること」
沖川なら。
うむ・・・私の考えは、静かで遠くで見つめる心かな。
本当の愛は静かな自己犠牲だ。
愛は犠牲の上に成り立つ。
決して欲張らない。
遠慮深く控えめでいい。
愛は求めず、そのままの自然の形がいい。
ただ自分の幸せより相手の幸せを望むだけ。
自分の幸せなんかどうでもいい、相手さえ幸せならばそれでいい。
ではいつ?自分は満たされるの?
遠くで思うことで満たされる。
私の愛し方は、「男はつらいよ」の寅さん。渋くいけば高倉健。二人ともこの世を去ったが、愛に関しては控えめ、去り際が分かっている。
愛は結ばれるだけが全てでない。
結ばれないからこそ極上の愛がある。

愛は利用するものでない。
愛は与えるもの。
私はそれを信じている。
だから静かな自己犠牲の愛でいい。

求めよ!さらば与えられない。
こういう言葉もあるが。
愛に関しては控えめがいい。
愛は利用するものでない、愛は与えるもの。
それでいい。



さあ気楽に行こう。
人生は気楽でいいのだ。
みなさん頑張り過ぎ。
そして苦しみ過ぎ。
もっと気楽に行こう。
気楽にいくには、起きていることは全部自分の責任にすること。
すべてが自分の責任だと思えば気楽に生きていける。
すべてが他人のせいだと思うから気楽に生きていけない。
だから今日から、起きている事は全部自分の責任だと思うことにしよう。
仕事を選んだのも自分の責任。
恋愛相手(彼氏・彼女)を選んだのも自分の責任。
結婚相手(夫・妻)を選んだのも自分の責任。
友達を選んだのも自分の責任。
趣味・スポーツ・資格・習い事を選んだのも自分の責任。
住んでいる国や住んでいる街や住んでいる環境を選んだのも自分の責任。
それらは全部自分で選んだのだ。
だから、人のせいにすることはない。
全部自分で責任を取ればいい。
そすれば気楽に生きていける。

すべてが自分の責任だと思えばどうにかなる。
自分のことは自分で責任を取る資格を持つこと。
そうすれば他人に対しても責任が取れるようになる。
他人を愛することができ、他人に優しくなれる。

世の中は嫌なことだらけだ。
こういうことを発するのは責任の取れない連中が発する言葉だ。
責任の取れる人はなんて素晴らしい世の中だと思っている。
こんな恵まれた世の中はない。
すべてがチャンスに包まれている。
この時代に生まれて良かった。
やる気さえあれば何でも手に入る。
こんな素晴らしい世の中はない。
これが責任の取れる人の言葉だ。

何に頑張っているの?
仕事で頑張っているの?
恋愛で頑張っているの?
その頑張りには価値があるの?
価値があるのなら頑張りなさい。
価値がなければ時間の無駄です。

仕事が苦痛なら辞めなさい。
恋愛が苦痛なら辞めなさい。
苦痛でも満足すれば続けなさい。
苦痛ばかりで不満足なら辞めなさい。
辞めた先に新しい門出が待っている。
辞めるときは後悔思考でなく未来思考でいくこと。
そうすれば未来は拓ける。
必ず拓ける。
なぜ拓けるか?それは苦痛の時に頑張ったからだ。
ダテに苦しんだのではない。未来を切り開くために苦しんだのだ。
未来を切り開くための苦難、苦境、悲観、災難、いい勉強をした。
これからはこれを肥やしにして、さらなる飛躍を遂げよう。