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最近この言葉が好きになった。
「人生は癒すものではない。人生は管理するもの」

そうか、人生は癒すものではないんんだね。人生は管理すものか。「なるほど、なるほど、そうか。なんかその意味がわかるような気がする。おそらく若い人より造詣深くわかるのではないだろうか。

人生も後半になると人は癒しを求める。もちろん若い人も癒しを求めている。癒しは人生に大切だから。

無理するより楽な方を、窮屈するよりリラックスする方を、頑張るより頑張らない方を人は求めるのではないだろうか。

人生も後半に差し掛かると、
この歳だ、無理することはない。あとは与えられたもので満足し、足るを知りながら倹約に務め、残りの人生をのんびりと気ままに生きていこう。人生の後半を迎えた人たちはみな同じことを考えている。

頑張ったご褒美がほしい。
今までは働きづくめ。常に問題にぶつかってばかりいた。いつになったら自分は楽になるのだろう?果てしない仕事の連続と、問題の山積によって、心も体もかなり疲れてしまった。

疲れているからっといって休むわけにいかず、また問題山積の仕事に取り組む。人生はそれの繰り返し。そろそろ「癒し」がほしい。もう十分に頑張った。経験もたくさん積んだ。だから自分は癒しを求める権利がある。「癒し」は自分へのご褒美だ。そうやって人は定年を迎える。

定年後はさぞかしのんびり暮らせるだろう。「癒し」の空間に包まれて・・・。

だが、違った。
それはつまらない人生。
面白くも楽しくもない人生。
人間は「癒し」だけでは飽きる。
「癒し」だけでは生きていけない。

「癒し」とは、働いたあとに得る清涼剤のようなもの。難題にチャレンジして問題を解決した達成感に比べれば、癒しは単なるまやかしに過ぎない。仕事もなく暇しての旅行より、仕事を一生懸命働いたあとの旅行の方が断然楽しい。ひとときの時間を楽しむから癒しとなる。これが年中無休の癒しだけの時間では、生きる屍となる。

そこで、この言葉に出会った。

「人生は管理するもので、癒すものではない」なほど!この言葉に深い感銘を受けた。そうか、人生は癒しではなく管理すものか。なるほどね、なんか…忘れていたことが蘇った。

「癒し」は挑戦を忘れて生き方。人生には問題や挑戦がつきものだが、それらを放棄した生き方が癒しとなる。ああ、だからつまらないんだね癒しだけの生き方は。

若い人が羨ましい。彼ら彼女らは人生の問題にぶつかり挑戦している。仕事で悩み、恋愛で悩み、人間関係で悩み、家族の問題で悩み、将来の不安に脅えながら、もだえ苦しみながら生きている。大変申し訳ないが、私はそれらが羨ましいとさえ思っている。

問題にぶつかり挑戦することはいいことだ。下手な癒しよりいい。なに不幸?これを幸せだと感じなさい。なに不安?不安があることは幸せなことだと感じなさい。不幸も不安もみんな幸せなんだよ。だってここに、問題解決のチャレンジがあるではないか。

私も癒しの時間にボーっとしていないで、問題解決に頑張ろう。私でなくあなたの問題だ。あなたの悩みに全面協力して、あなたが抱えている問題を解決したい。ありがとう。新たな生き甲斐を私に与えてくれて。皆様に心から感謝します。

人生は管理するもの。
さて、何を管理するかな。
まずは、自分の今日一日何をやるか管理してみるか。

今日は朝6時に起きて、30分ウオーキングする。洗面して7時~9時までブログの投稿。

事務所についたら、
仕事をする。予約が入ってなかったら本を読み、ブログを投稿する。

帰宅したら、
夕飯を食べて、明日の準備をする。スマホは見ない。パソコンで動画やユーチューブを見ない。この時間を将来の構想と、勉強に充てる。そして、30分だけ癒しタイムを設ける。この時間は好きなことをする。

自分でもなかなか良いスケジュールだと思うが、守ったことがあまりない(笑)ついダラけて帰宅後にユーチューブや動画を見てしまう。癒しタイムが長すぎる。

そこで「人生は癒しではないよ、人生は管理だよ」という言葉に胸が打たれた。そうか、人生は癒しではないんだ。人生は管理なんだ。忘れていたことを思い出した。


ありのままに満足しなさい。
欲を捨て、今の生活で満足しなさい。住む家があって、ご飯が食べられ、お出かけ用の洋服がある。衣食住がそろっていればそれで幸せ。欲望を捨てありのままの生活で満足しなさい。あまり欲張るな!人生は足りないくらいで丁度いい。足るを知ること。

足るを知る・・・か。
なるほど・・・「足るを知り、ありのままに生きること」。これはいい教えだと思って実践してみた。何年か実践してみてわかった。これはいい生き方かというと、自分の予想とはぜんぜん違った。結論からいうと、この生き方は虚しいだけ。つまらない生き方だなと思った。

その生き方をしていると、なにか大事なものを失った気がする。
大事なものって?向上心を失い、刺激も失い、何かをやってやろうという力も失い、人間が持っている活力という大事なものを失ってしまった気がする。

ただ平々凡々とありのままに生きていると、怠け癖がついてしょうがない。この生き方では、生き甲斐のない最悪な人生に向かっている気がしてならない。

足るを知りながらありのままに生きる。自分はこの真髄にまだ到達していないのかもしれない。もちろん欲望だけに走るのは良くないが、ではただありのままに生きた方が良いのかとなると、それも正しくない。両方を取入れて生きればいいのではないかという結論に達した。

足るを知りながら、欲しいものを求める。この生き方でいいのではないかな。

欲しいものは我慢する必要がない。手に入れる努力こそが向上心であり、それによって生き甲斐も生まれる。努力して手に入れたものは幸福感さえ感じる。足るを知るありのままの生活では、努力して手に入れる幸福感が味わえない。これこそ虚しい人生だ。

だから、
いいのですよ。人間は欲望を持って。
この欲望を正しく使えばいいのですよ。
と、自分に言い聞かせている。


人間は欲望という刺激があって向上するもの。欲望を抑えて刺激を我慢しなさいという、ありのままの生活だけでは、人生は虚しくなってしまう。

私には、足るを知るありのままの生活で満足する生き方はどうも合わない気がする。その生活だとだらけて虚しい生活が続くだけ。活力もない向上心もない欲望も刺激もない生活では自分の生き方としてはそぐわない。

でも、足るを知ることも覚えた。暴飲暴食などの悪い習慣には足るを知るを活用して、腹八分目に抑える。いけない恋愛のチャンスがあれば足るを知るを活用して不貞の恋愛はしないことにする。足るを知るは、悪い欲望に対して、十分に威力を発揮することを覚えた。

だが足るを知るは、いい欲望に対しても威力を発揮する。本人はこのままの生活で満足していなくとも、「このままの生活でいいではないか、足りないくらでいい」という。いやいや冗談じゃない。悪い欲望はそうでも、いい欲望はそうではない。足りないくらいどんどん求めればいい。

このように悪い欲望には「足るを知る」を発揮して、目標や願望などの向上心のある欲望に関しては、足りないくらいどんどん求めればいい。ありのままの生活で満足しなくていい。足りなければ、どんどん求めればいい。そこには刺激に満ち足りた生活がある。これを生き甲斐という。

人間生き甲斐がないと生きていけない。足るを知ったありのままの生活が生き甲斐ならそれはそれでいい。その生活が不満足で生き甲斐を見出せないのなら、足るを知ったありのままの生活から抜け出して、向上心と活力のある正しい欲望へとチャレンジすればいい。





世の中には自分の考えを変えない頑固な人がいる。

この頑固さが事実に基づき、うまくいっているのなら頑固さを認めよう。例えば、この道30年の職人のように、「頑固一徹いい仕事をしている」のなら認めるしかない。事実がうまくいっていれば、頑固さも正しいとなる。

ところが、頑固さが事実に基づかないで、うまくいっていない人もいる。こういった頑固は正しいとはいえない。だが、本人はそれを改めようとはしない。なぜなら、「固定観念」に縛られているから。

固定観念とは、「間違った方向に行ってしまった人生の決断という」またの名を「否定的信念」とも呼ぶ。

あなたは否定的信念で、人生を間違った方向に決断しているのではないだろうか。そういった心配がよぎるのなら、人生の決断をこのブログと共に修正してほしい。

否定的信念を持っている人は多い。

どうせ自分は何をやってもうまくいかない。

恋愛もうまくいかず、仕事もうまくいかない。

恋愛が長く続かない、このままでは一生結婚できないかもしれない。

仕事が長く続かない、転職ばかり繰り返している自分の将来が不安でたまらない。

久しぶりに好きな人に出来れば、フラれるか、振り向かれない片思いばかり。

自分に言い寄ってくる人は、変な人ばかりで、ロクな人がいない。

久しぶりにいい仕事に就けると喜んだら、不採用の通知が届いた。

上司のパワハラ、モラハラ、なんでいつも自分ばかりいじめられるの。

自分は育ちも悪くて学歴もない。

貧乏な家で育った、自分の家庭環境は最悪だった。

どうせオレなんか、どうせ私なんか、何をやってもうまくいかない。

このような、悲観、挫折に凝り固まっているのを「固定観念」否定的信念という。

世の中には自分の考えを変えない頑固な人がいる。でも、事実に基づかない間違った考え方は変えた方がいい。

否定的な信念のせいで、人生の問題に立ち向かうだけの力が自分にないと思わないこと。あなたには変えるだけの力がある。少なくとも私はそう信じている。あなたは自分を変えるだけの力があると。

あなたの否定的な信念は、はるか昔の出来事が作り出した歪んだフィルターから生まれたもの。育った家庭環境や裏切られた人間関係や思い通りにいかなかった数々の失敗や挫折から、フィルターが汚れて歪んだものになった。

これ以上、質の劣る信念に惑わされて、間違った人生を歩んではいけない。

固定観念を捨てなさい。
否定的な信念に執着することはない。

固定観念を捨てれば、物事を斬新な目で見ることができる。本当に正しいものは何なのか?斬新な目で見ることができる。

私はあなたの否定的な信念で凝り固まった固定観念を変えたい。この頑固さは必要ないと。この頑固さがあるからあなたの人生がうまくいっていない。だから、事実と異なった正しくない固定観念は捨てた方がいい。

過去の事実はどうでもいい。
正しいのは現在の事実だ。

現在の事実がうまくいっていなければ、過去の歪んだフィルターから卒業して、正しい認識で持って、現在の事実を正しい方向に変えていけばいい。

あなたならできる。
認識さえ変えれば、人生の問題に立ち向かうだけの力があなたには備わっているから。







仕事を好きになる。

別に、あなたを仕事人間に仕立てようとは思っていません。仕事に関することを、今までとは違った視点でみてほしいということです。

仕事が嫌いな人がいます。かつて私も働くことが嫌いでした。なんで、毎日会社にいかなければいけない「もう働くのは嫌だ!」と思ったものです。そうなると労働意欲は低下し、朝起きるのが辛く、一日が憂鬱でした。いつまでこんな暮らしをしているのだろうと嘆いたものです。

早く金持ちになってリタイアしたい。毎日が日曜日の生活をしたい。好きな時間に起きて好きなことをしたい。趣味を思う存分満喫して、一年中旅行がしたい。世界一周に10年かけてもいい。

都心のタワーマンションの最上階に住んで宝石箱をひっくり返したような絶景なる眺望の夜景のもとでテレワークをする。こんな暮らしをするのにおそらく100億円の金が必要だろう。現実的にはとても不可能だが、妄想ではいくらでもできる。

現実社会が嫌になればなるほど妄想が膨らむ。仕事に嫌気がさして働くのがしんどくなればなるほど、頭の中は狂気じみた妄想でいっぱいなる。一日中そうしている。来る日も来る日も妄想が続き、そこからに抜け出せない。飽きるほど続くので、妄想事態がときどき嫌になるくらい。

いつ自分は現実を取り戻すのだろう?家賃4万円の風呂なしオンボロアパートに住んで、妄想ではニューヨークのマンハッタンの最上階に住んでいる。馬鹿げた妄想だが、現実を直視することはできない。

妄想に明け暮れる毎日。
どなたにも、そんな経験があると思う。
違いがあるのは、そこにいる時間が長いか短いか。
言わずと知れたことだが、できれば妄想にいる時間は短くした方がいい。あまり長くいると不幸の時間まで長くなる。妄想にいた時間と同じだけ不幸の時間を過ごすことは人生そのものを台無しにすることになる。

一般的には短いと思う。
私も妄想にいる時間は短かったと思うし、あなた方もそうだと思う。良かった♪良かった。これで一安心。どうやら妄想は人生がうまくいっていないときに起きる。いちばんの原因は仕事がうまくいっていないとき。これを解決するのは、仕事が好きになるしかない。

よし、仕事を好きなろう。
単なる好きでなく、大好きになろう。女性なら彼氏よりも仕事の方を好きになろう。あなたがこの世でいちばん好きなのは仕事と言えるくらいになろう。この心境になれば、あなたの魂はどんどん磨かれるよ。


心は日々の労働によって磨かれる。

人間性を向上させたい。そこには難しい修行は必要ありません。座禅を組むとか滝壺に打たれるという荒行も必要ありません。ただ、ふだんの暮らしの中で自分に与えられた役割を果たすことです。

それが会社の業務であろうと、家事であろうと、勉学であろうと、たゆまず継続していくことです。日々の労働の中にこそ、心を磨き、魂を向上させる道があるのです。

「労働こそ哲学」哲学は本の中にあるのではありません。労働の中にあるのです。日々の努めをたゆまず果たしていけば哲学書など読まなくても、あなたは十分な哲人となれます。「労働こそ哲学」その言葉を是非覚えておいてください。

前半は「狂気じみた妄想」、後半は「仕事が大好き、労働こそが哲学」いかがでしたか?日々の労働によって心は磨かれる。仕事は魂を磨く哲学。このような考えを持てれば、どなたも仕事が大好きになれると思います。

彼にフラれた。(え!なんで?)
ショックだけど、わたしには大好きな仕事があるからいいか♪。大好きな仕事がわたしを救ってくれる♪このようにルンルン気分で生きていけばいいのです。仕事で魂を磨けば、恋愛なんていつでも復活できますから。



欲望を捨て、綺麗な心で生きる。
自分より相手を優先する。
難しいですよね。
人間は自分が中心ですから。
自分中心の人間が、果たして世のため人のために生きていけるでしょうか。そうして生きるのは難しいかもしれませんが、それに近づくことが人間の最終的な目標である集大成だと思います。
そのためには、
どんな心がけが必要か?
まず、嫉妬をなくすこと。「嫉妬は人間が持ってはいけない感情」これを徹底的に自分の心に覚えさすこと。どんな場面でも一切の抵抗を見せず、体に覚えさすこと。「嫉妬は人間が持ってはいけない感情」だと完全に覚えさすこと。これが最初の心がけ。

「嫉妬は人間が持ってはいけない感情」これが完全にマスターできれば、人間のほとんどの欲望は解決することができます。おそらく人間の欲望の8割は、それによって消滅するでしょう。

嫉妬を克服することは難しい。
自分だけ傷ついて自分だけ痛い目にあって、相手を憎む感情が制御できず、将来の希望は一瞬で真っ白になり、心はボロボロになり、その状態で「「嫉妬は人間が持ってはいけない感情」だなんてできない。それじゃ、あまりにも虚しすぎる。

そうですね、虚しいですよね。
そのとき、こう考えてはどうでしょうか。「自分の虚しさよりも相手の利を優先する」。自分中心の考えより、相手のために考えてあげる。自分の虚しさより相手の利を優先する?とんでもないと思うかもしれませんが、それが平気でやれる人間が最終的には平和な心を取り戻すことができます。

平和な心とは、欲望のない世界です。嫉妬は人間が持っている感情で最悪の欲望。この欲望を断ち切るには、自分の虚しさよりも、相手の利を優先すること。嫉妬に狂うくらいなら虚しさと戦った方がいい。相手を恨むより自分の心を癒やすこと、それでいいのではないでしょうか。

では、「嫉妬は人間が持ってはいけない感情」は、具体的にどんな場面のことをいうのでしょう。このブログは恋愛をテーマにした記事を主に配信しているので、恋愛でみていきましょう。

例えば、密かに片思いを寄せている人に恋人ができた。そのときは…「おめでとう」と祝福してあげること。嫉妬を無くす方法は、「嫉妬より祝福」です。

嫉妬より祝福すること。それができる人間は、おそらくいません。長年この仕事をやっていますが、それができた人は誰ひとりいませんでした。

できる人がいるとすれば、それは私くらいでしょう。自分で自分のことをいうのもなんですが、私ならできます。嫉妬するより祝福することができます。「嫉妬は人間が持ってはいけない感情」を記事にしているくらいですから、自分ならできます、完璧に。

それができたのも皆さんのお陰です。嫉妬に狂った何千の場面を観てきて、嫉妬によって最悪な結果になった場面をこれでもかというほどたくさん観てきて、「嫉妬は人間が持ってはいけない感情だ」と理解することができました。

ですから、今はどの場面でも嫉妬はしません。嫉妬をするより祝福することができます。そちらの方が心は平和になれると気づいたのです。もちろん虚しさは残ります。今となっては、また虚しさもいいですね。ペーソスで自分らしいと思います。人を恨むより、自分が虚しくしている方がどんなにいいか、いま・・・それを感じているところです。
もし、恋人が浮気したらどうする?これが夫婦で夫や妻が浮気をしたらどうする?どちらでも基本は同じです。「嫉妬は人間が持ってはいけない感情」を発動します。人を恨むより、自分の虚しさと戦いながら、起きた現状を冷静に対処するように心がけます。

愛のある世界は、期待も裏切りもあり、虚しい世界かもしれません。「嫉妬より祝福」する心得を持つことで、心を平和にキープすることができます。

自分の利よりも相手の利を優先すること。自分の幸せより相手の幸せを優先すること。なかなかできるものではありませんが、最終的にはそれを目指す人間になりたいですね。




「仁・義・礼・智・信」儒教で説く5つの徳目。


五常または五徳。


人を思いやること。(愛すること)


利欲にとらわれず、なすべきことをすること。


人を思いやることを具体的に行動すること。


学問に励むこと、知識を重んじること。


友情に厚く、嘘をつかず、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。


5つの徳か?なんか忘れてしまった感がある。儒教と聞くと少し抵抗があるかもしれないが、儒教とは関係なくても、5つの徳は積むべきだと思う。

一度人を愛したら、思いやりをもって、私欲に囚われず、約束を守り、嘘をつかず、誠実に具体的な行動でもって相手と接すること。

一度仕事に就いたら、周りとの協調性や信頼関係に厚く、仕事に関する勉強や知識を重んじ、利欲に囚われず、誠実になすべきことをやること。

恋愛や仕事を五常でまとめるとこんな感じかな。

簡単なことだけど、これがなかなかできない。

五常に背いている人の方が多いのかな?


人を愛したら、思いやりもなく、嘘をつき約束も守らない。自分勝手な都合ばかりを相手に押しつけ、私欲に走り、不誠実な態度で相手と接する。

仕事に就いたら、周りとの協調性や信頼関係もなく、仕事に関する勉強や知識を軽んじ、利欲に囚われ、サボってなすべきことをやらない。

付き合いたての頃は、前者の「五常」があったのに。

仕事初めの頃は、前者の「五常」があったのに。


今となっては徳を忘れた人間となってしまった。

まあ、誰しもある。そういうことが。

これが人間の弱さだ。

どんまいどんまい。

忘れたら、また思い出せばいい。

忘れていた徳をまた思い出せばいい。

思い出して実行に移せば、また徳は復活する。復活するのに照れなくていい。恥ずかしがらず、素直になって徳を復活させればいい。人間徳を積み重ねていけば、また強さを取り戻すことができるようになるから。

徳を忘れれば弱くなり。
徳を取り戻せば強くなる。
人間というものは、そのようにできている。



もう一度、再確認しよう。
「仁・義・礼・智・信」という、「五常」、「五徳」を。







「足るを知る」

物事は足りないくらいがちょうどいい。満足より不足だなと思うくらいがちょうどいい。やや物足りないくらいの生活がちょうどいい。

最近の私は「足るを知る」を座右の銘としています。私の座右の銘は年々変わります。若いときはチャレンジ精神豊富な西洋哲学が座右の銘でしたが、今は少し抑え気味の成熟した東洋哲学が座右の銘です。

「足るを知る」とは、「身分相応に満足することを知る」という意味です。欲張らずに今の生活の中に満足を見出すこと。人の欲求には際限がなく、例えば100万円という大金をもらったとしても「もっと欲しい」という気持ちが芽生えてしまうものです。

そのように欲を出そうとすると、日々の生活に満足できないばかりか身を滅ぼしてしまうことになりかねません。

同じものを得ても、足りないと思う人もいれば、いくら得ても足りないと思う人もいる。不平不満の絶えない人がいる一方で、どんなときでも心が満ち足りている人もいます。「足るを知る」を常に心の中に抱きながら生活していってほしいものです。

食事のとき、お腹いっぱい食べず腹八分目にする。(足るを知る) 飲み会のとき、いくつもいくつもはしご酒をしないで一次会で帰る。(足るを知る) お酒も食事も足りないくらいが健康にいいのです。

恋愛も足るを知る。デートも、会話も、連絡も、愛し方も、足りないくらいがちょうどいい。べったりより少し距離を置いた方がいい。あまりくっつき過ぎると、一生分の恋愛がそこで終ってしまうよ。

人間の欲望は果てしない。もっともっとと欲しがる。もっともっとと欲しがれば、やがてそれは破滅を迎える。



「困難は成長させてくれる機会を与えるもの」

これもいいね。
困難は人間を成長させてくれるものかと思えば、困難に遭遇したら「ありがとう」と感謝しなければいけないね。だって自分を成長させてくれるから。

順調だった仕事に陰りが出た。コロナ禍で売上が落ちた。まさに危機的状況の困難。ここで困難に嘆いて落ち込むか、困難を成長の糧だと思って頑張るか、「足るを知る」心を持っていれば、成長できる機会を与えてくれて「ありがとう」と困難に感謝することができる。

順調だった恋愛に陰りが出た。彼の不誠実な態度で恋愛は危機的状況の困難を迎えた。ここで困難に嘆いて落ち込むか、困難を成長の糧だと思って頑張るか、「足るを知る」心を持っていれば、成長できる機会を与えてくれて「ありがとう」と困難に感謝することができる。

音信不通?困難を与えてくれて「ありがとう」

彼と半年も会っていない?困難を与えてくれて「ありがとう」

彼との結婚が見えない?困難を与えてくれて「ありがとう」

彼が何を考えているかわからない?困難を与えてくれて「ありがとう」

彼に裏切られた?困難を与えてくれて「ありがとう」

なんだ・なんだ…恋愛とは困難ばかりではないか!ラブラブで順調なときは短く、苦難、悲観、困難の連続ではないか。まあ…それを好きでやっているからしょうがないか、「いないより、いた方がいいから」。ならば嘆き悲しむより、「ありがとう」と感謝して困難に立ち向かうとするか。

仕事も恋愛もそうだ。みんな困難だらけだ。
困難の乗り越え方は、「足るを知る」こと。困難に対して「ありがとう」と感謝して乗り越えるのがいちばんいい方法。

足るを知れば、もっともっとという欲望がなくなる。困難はもっともっという欲望では乗り越えることができない。現状に満足しながら、やるべきことをやって、時間をかけて乗り越えるしかない。




机上の空論より、現場で汗を流すこと。

「知識より体得を重視する」これが人生の原理原則。

「知っている」ことと「できる」ことは必ずしもイコールではない。知っているだけで、できるつもりになってはいけない。

情報社会で「知っていればできる」と思う人も増えてきたようですが、それは大きな間違いです。「できる」と「知っている」の間には、深くて大きな溝がある。それを埋めてくれるのが現場での経験なのです。

私もどちらかというと現場主義。
人の意見や人の知恵よりも、自分で汗水流して実体験で覚えるタイプ。ですから、俗世間の意見は聞かないことにしている。つまり、独学タイプ。

頭で考えるより、先に行動するタイプなので、この仕事をするときも後先考えずに行動した。もっと勉強してやればよかった。カウンセラーの資格をとってやればよかった。有名な占い師に弟子入りしてからやればよかった。などなどの考えは私にはなかった。

この仕事の勉強、この仕事の資格、この仕事の師は、すべて現場にある。現場に勝る師はいないし、現場に勝る勉強もないし、現場に勝る資格もない。知識は現場にある。私の先生は、皆さん。お客様であります。


自分の独学はどこから生まれたのか?

いっていいのかな…。
それは「オレ流」の落合博満の真似。

「オレ流」の落合博満。野球界のスーパースター。3冠王を3回とった男。落合博満は私と同い年。私も「オレ流」に憧れて「沖川流」とした。机上の空論より、現場での「オレ流」。この方が自分らしさを発揮できるとして、今でもオレ流を貫いている。

「オレ流」はいい。
自分より上に人がいないからいい。上司もいなければ、社長もいない。自分に命令するものは誰ひとりいない。それがいい。その代わり全部自分で責任を取らなければいけない。またすべての仕事の段取りを自分でやらなければいけない。孤独にも強くならなければいけない。それらすべて含めて「オレ流」はいい。自分にピッタリだと思う。


独学の「オレ流」を貫いて良かったこと。

まず、人間性が良くなった。
人に優しく、親切になった(笑)

組織で働いているときは、ギスギスしていて、人間性としてはあまり良くなかった。上司の命令に反抗したり、ひねくれたりして自己憐憫にもなった。ライバルとの競争に負けて足も引っ張れることもあった。「オレ流」の発揮できない組織は、窮屈なものであった。

独立して19年。
今は幸せである。


サラリーマン時代より、今の方が仕事に熱意がある。そしてとても真面目だ。毎日真摯に仕事に向き合って充実している。自営業はすべて働いた分の自給、休めば報酬はなし。だから熱意をもって真面目に真摯に仕事に向き合わなければならない。であるから、ラリーマン時代より当然熱意が上がる。

本日は私の回想録になってすみません。

もし、これから独立を考えている人がいれば、多少でも参考になるかと思って書きました。独立のモットーは「私流」を貫くこと。すべての責任を自分にすれば、熱意と情熱と、真面目に真摯に仕事に向かうことができます。

もちろん、しんどいことは多い。
でも、逆にこのしんどさが充実した人生を送れるバロメーターとなります。油断するとすぐに足下をすくわれるのが自営の世界。不安や心配の悩みのすべてを自分で背負っていかなければなりません。すべてが自己責任。だから「オレ流」でいいのです。

「知っている」と「できる」は違います。まずはやってみること。知識がなくて失敗してもいいからやってみること。現場での失敗、現場での苦渋の汗こそが、できる原動力となる。「知ったかぶりの人間より、できる人間になること」できる人間になれば、人間性はさらに向上します。




現代人の忙しい原因は?

私たちが忙しい最大の理由は、情報の多さが原因である。

情報の「発信・受信」を担うスマホを叩き割れば、
時間に関するほとんどの問題は解決すると、あるコラムを読んだ。

なるほどね、自分も普段から「携帯電話はいらない」と思っている人なので、このコラムには賛同するものがありました。

携帯電は仕事のみで使うべきで、生活の中には入れない方がいいという考えを皆さんは同意するでしょうか?同意しませんよね、私たちは絶対にそんんことをしません。みなさんスマホ中毒だからです。

生活のすべてが「スマホ」の中にあるサービスに依存しているので、もうこれなしの生活はあり得ないということです。スマホは生命の維持装置みたいになってますから。

私たちはサービスを提供するテクノロジー企業に踊らされているのかもしれません。あるいは洗脳されて、さらに悪いことに奴隷になっているのかもしれません。

テクノロジー企業とは、Google、Amazon、Facebook、Appleの4社で構成されたアメリカ企業、一般的にGAFAと呼ぶ、これらの企業のことです。

彼らの目的は、私たちから時間とお金を奪うことです。テクノロジー企業の売上の大半は広告収入です。スマホ利用者にどれだけ見てもらえるのか、どれだけお金を使ってもらえるのか、これが彼らの目的なのです。

ですから、あなたが手にしているスマホにはいろいろな仕掛けが施されているということです。彼らの目的は人々に長い時間スマホを見てもらえること。そしてお金を使ってもらえること。これに私たちはまんまと引っかかっているわけですね。

スマホを手にした途端、私たちの時間の9割は「デフォルト」初期設定され、いつのまにかスマホに洗脳され、スマホに依存し、スマホ中毒となるように設計されているということです。

さすが、世界一頭のいいといわれているテクノロジー企業の社員たち。彼ら頭脳に私たち凡人が敵うはずありません。私たちが予想もつかない方法で、テクノロジー技術を駆使して、スマホにいろいろな仕掛けをしているということです。

また彼らは、心理学に基づいた方法でスマホにいろいろ仕掛けをしている。人間の心理、人間の弱点をよく分析して、スマホ中毒になるように仕組んでいるとも述べていました。

二つの例をあげると。

1,人間は寂しい生き物なので、コミュニティを欲しがる。
テクノロジー企業は、それを「Facebook」、「Twitter」、「YouTube」、「Instagram」、「mail」、「Line」へと置き換える。

2,人間は賞賛と期待を欲しがるので、「いいね」や「フォロワー数」に置き換え、SNSを通して個人の期待値をあげる。

孤独を埋め、賞賛と期待を与えれば、人間は虜になる。人間の心理を科学的根拠に置き換えて、スマホ上にいろいろ仕掛けているのではないかといわれています。


さすが、世界一頭のいい企業ですね。
凡人にはお手上げです。

その凡人である私もいささか中毒になっています。スマホは手放すことができないし、パソコンも手放すことができません。

スマホを叩き割ることもパソコンを叩き割ることもできません。でも、抵抗は示したいと思います。それはスマホに頼ることなく時間管理を自分ですることです。

スマホの時間、パソコンの時間、ブログをやる時間、YouTubeを見る時間、Amazonプライムの時間を一定時間と決めることにしました。

休みの日に外出するときはスマホを持っていかない。これはもう10年前からやっています。スマホがなくても何ら問題ないことがわかりました。

パソコンは仕事のみに使うこと。ブログの投稿に60分~90分。メールチェックに10分ほど。

娯楽でYouTubeやAmazonプライムを見るのですが、これにも大幅な時間制限を設けることにしました。

休みの日に映画は1本。平日のYouTubeは1時間以内という制限を設けることにしました。前はだらだらと映画を見たり、YouTubeを見たりしたのですが、中毒にはなるまいという抵抗が強く、今はそうしています。

本当はスマホやパソコンのいらない生活をしたいのですが、なかなかそうはいきません。便利だからつい使ってしまいます。だが、このまま野放し状態で使うわけにはいかない。これ以上デジタルの世界に時間を奪われたくないからです。

それで、空いた時間に何をするか?というと。何をやりたいか?は直観に従ってやりなさいと書いてあったので、今は直観に従って好きなことをやっています。

本を読んだり、散歩をしたり、ジムへいって運動をしたり、行きたいなと思う街へ行ってみたり、音楽を聞いたり、好きなことを直観に従ってやっています。それによって、やっと人間らしい生活を取り戻した気がしています。これからもテクノロジーに頼ることなく、自分らしい生活を送りたいですね。



昨日は、「願望を成就につなげるためには、並みに思ったのではダメです」という記事を書きました。本日はそれを仕事に生かすための記事を書きたいと思います。

仕事も恋愛も私は同じだと思います。ビジネスと恋愛は違うとよく言われますが、違いはありません。その理由は、どちらも願望成就が基本にあるからです。

仕事はできるが恋愛はうまくいかない、恋愛は得意だが仕事はさっぱりという人もいますが、それは間違った解釈の持ち主です。ひとつに秀出た人はなんでもうまくいき、片方だけうまくいく人は、まだまだ半人前だということです。

恋愛も仕事も、物事の成就の母体は強烈な願望です。
ああなりたいね、こうしたいねという普段の願望を、気が狂わんばかりの強い願望に持っていくこと。「狂」となって思い続けるからこそ、強烈な願望となるのです。

成就の母体は強烈な願望です。
頭のいい人、学力優秀な人からすれば、これはあまり科学的ではない。単なる精神論だと退ける人もいるでしょう。しかし思い続け、考え抜いて、実際に結末が見えた人からすれば、学生気分の考える力では何も物事は見えてこないよと、いわざるを得ません。

もっとドロドロになりなさい、かっこだけつけていないで。
ドロドロになって、「狂」になって、最初は夢でしかなかったものがしだいに現実に近づくのです。かっこつけて適当にやったのでは夢は夢のままで現実には近づきません。泥臭い汗の結晶で、夢が現実となるのです。

自分はひとより遅くてもの覚えが悪い。
だからいいのです。遅くて・遅くて、ひとつのことを何度も何度もくり返して行なうからいいのです。カラオケなら普通の人が2~3回練習して歌うとすれば、泥臭い人は100回も練習して歌う。だから、泥臭い人の方がプロ並みに歌えるのです。

「狂」を灯した精神を仕事にいかせば、それは何だって成し遂げることができます。
強烈な願望を持っている人は、強く思うだけでなく、その実現のプロセスを頭の中で真剣に考えシュミレーションをくり返すからです。

それもしつこくシュミレーションをくり返します。1歩進んだら2歩下がり、3歩進めば2歩下がりながらシュミレーションをくり返しています。他人から見て無駄なことをやっているなと思われても、本人はやめることなく、繰り返し・繰り返しシュミレーションをやっているのです。

このしつこさが何を生むかというと、完成した形が頭の中に見えてきます。しかも克明に見えてきます。今までは夢と現実の境目があった。だが、今は境目がなくなって、夢が現実となっているのです。

夢を現実にするには、かっこつけた考えではダメです。それこそ気が狂わんばかりの思い続ける信念の継続が必要だということです。思い続け、考え抜き、イメージもぎりぎりまで濃縮すると、現実の結晶が見えてくるものです。

現実に結晶が見えてくれば、それはもう成功したものと同じです。あなたはそれを手に入れるためにすでに行動して、夢の実現を手に入れているでしょう。たとえ途中でも、あなたの成功は逃げたりしません。まだ手に入らなければ、さらに追い求めるだけです。


まとめ。

物事の成就の母体は強烈な願望である。

強烈な願望にするには、並みの思いではダメ。「すさまじく思う」ことが大切。漠然と「そうできればいいな」と思う生半可なレベルではなく、強烈な願望として、寝ても覚めても四六時中そのことを思い続け、考え抜く。頭のてっぺんからつま先まで全身をその思いでいっぱいにすることです。 盛和夫著 「生き方」を引用。