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私たちが一番恐れているのは拒絶されることだ。
恋愛でいえば、相手が自分を受け入れるか、それとも拒絶されるか、によって恋愛の明暗が分かれる。ここに来る多くの女性が悩んでいるのは彼氏に拒絶されている悩みが多い。音信不通で連絡が取れない状況はまさしく一番恐れている拒絶に値する。

「いやそんなことはないよ。彼はあなたを拒絶しているわけではない。ただ仕事が忙しいだけ、だからそんなに心配なさんな」と、いくらこちらが男性は仕事が忙しくなるとこうなるよと説明しても、当事者である女性はそれを素直に受け入れない。私は彼に拒絶されたという考えが強く、落胆するだけである。

恋する女性は、彼氏の反応が、自分の価値や値打ちを示すバロメーターとなっている。彼氏の仕事が忙しくて連絡が取れないという理由は、少なくとも彼女の心の中では、本質的には拒絶である。仕事の忙しさを理由にして、「僕は貴女がほしくない。貴女では不満足だ」と受け取ることができる無言のメッセージは、決して愉快なものではない。

彼氏に拒絶されていると感じている女性はその後どういう動きを見せるか?
ほとんどが行動の回避である。
彼氏から連絡が来ない…ならばこちらから連絡するしかない。
こちらから連絡したら…無視された。
連絡がついて、逢えない?と誘ったら断られた。
無視とお断り、この二つの拒絶が予想されて、なかなか連絡をとる勇気が持てない。彼氏の無視と彼氏から断られるのが怖くて、行動の回避をとるしかない。断られて屈辱を味わう危険を冒したくない。一か八かの賭けに出ない方が楽ではないか。行動を起こさなければ、痛みも恐怖もない。行動を起こさなければ、問題は消える。回避の論理はこのように働く。

これが、ものごとを分かっている女性ならそうはならない。ものごとが分かっている女性は、こういうときは「放っておけ」という作戦が自然にできる。彼の仕事が忙しくなって連絡がつかないことなど、どうってことないという心構えがすでにできているからだ。男は放っておくときは放っておくこと、これが出来る女性なら、この問題はすでに解決済みなので、悩むことはなくなる。

だが、私の知る限りでは、そこまで器の大きな女性はお目にかかったことがない。放っておける女性がいるとすれば、まさしく奇跡の女性だ。この女性ならどんな奇跡でも起こせるだろう。だが、世の中にそんな女性はいない。「亭主元気で留守がいい」といってCMのおばちゃんは、すでに夫に対して恋愛の愛情がなくなった女性。恋愛の愛情を持っている女性が、愛する彼氏を放っておける女性など、世の中に存在しないかもしれない。

そこでだ。
こういう相談が舞い込んだとき、私は次の2点をアドバイスする。
1、大人の女性には待ち方を教える。
2、若い女性にはチャレンジ精神を教える。

1、ある程度年齢を重ねている経験豊富な女性には、「男は放っておけ」という待ち方を教える。

2、人生経験が浅い若い女性には、回避よりも行動というチャレンジ精神を教える。


また、年齢に関係なく、1の待ち方と2のチャレンジ精神を両方ミックスして教える場合もある。

大切なのは逃避で問題は解決しないことだ。
行動を怖がって、躊躇しても何も解決しない。
行動を起こさなければ、問題は消えることはない。
なにもしないということは、見切りをつけることになる。
人生は見切りをつけたことに対して、見返りを与えくれない。
偽りの平和に甘んじるよりも、怖くてもいいから行動することが肝要なのである。


あなたの目標は、うまくいっていないことの反対にある。

あなたの心が折れているとすると、あなたの目標はこの折れた心の中にある。
なぜ、あなたの心は折れてしまったのでしょうか?
恋愛がうまくいっていないから?結婚生活がうまくいっていないから?仕事がうまくいっていないから?人間関係がうまくいっていないから?どの項目も、悩んでいる人にとっては重要なこと。とても大変な逆境の中にいるといっていいでしょう。

最近気づいたのですが、目標はその中にあるのではないか、ということです。目標は心が折れた逆境の中にある。この辛い状況をただ耐えて見過ごすのではなく、なあなあに甘えて見過ごすのではなく、かっこつけた変なプライドで見過ごすのではなく、目をつぶっていればいつか通り過ぎるだろうと思って見過ごすのではなく、今の悲しい現実を素直に受け止め、それを認めて奮起することに目標がある。それに気づいたのです。なんとかなるだろうではなく、なんとかしなければいけない、これが目標となるのです。

うまくいっていないことを素直に認める。何も抵抗しないで素直に認める。認めてがっかりするのでなく、がっかりはよそに置いて、この試練の中から突破口を見つける。どんな小さなことでも構わない。何かの突破口を見つける。果たしてこのやり方でいいのか?余計なことは考えず、とにかく何らかの突破口を見つける。見つけたらやってみる。やってみると不安になるだろう。この不安は成果の出ない不安。そこでまたうまくいっていない心境に戻ろうとするが、ここは戻らないで、踏ん張ってとにかく三日間は続けてやってみる。三日続けると、わずかだが明かりが見てくる。

明かりが見えてきたらしめたものだ。あとはこれを正しい習慣にするだけ。今までうまくいっていないことの悪い習慣にいたが、三日踏ん張るだけで正しい習慣へと切り替えることができる。神と悪魔は紙一重、天才と凡人は紙一重。悪い習慣と正しい習慣は紙一重。「あなたの目標は、うまくいっていないことの反対にある。」それをたった三日踏ん張ることで見えてくる。

悪い言葉で「三日坊主」と言われているが、私は「三日坊主」を良い言葉にして、とにかく三日はやってみることをお勧めしたい。「男子三日合わなければ刮目して見よ」という中国の古いことわざがあるが、人間は本気になれば三日で変わることができると、私は確信している。

三日坊主で終わる人は、端っからやる気のない人。やる気のない人は何年やってもやる気がない。それこそ、うまくいっていない悪い習慣に染まっているからだ。本気の人はたった三日で人が変わる。メラメラと変わる。あれだけ苦しんでいた人が嘘のように。まあ本人も、あれだけ苦しんだのだから、いつまでもうまくいっていない悪い習慣にいるわけにはいかなくなったのだろう。この三日間は悪い習慣と「おさらば」する時間。4日目からはすでに正しい習慣の中にいる。

ルール5,あなたの目標は、うまくいっていないことの反対にある。





うまくいっていないことを認めることで、うまくいっていないことがうまくいくようになる。

自分自身について真実を認めるようになると、あなたの価値は高くなり、あなた自身の人生の見積額も高くなるだろう。
うまくいっていないことを認めたくないという気持ちも分かるが、自分の現状をかっこつけてごまかしてもダメ、プライドだけでは生きていけないことがやがて骨身にしみて理解することになるだろう。人生とはそういうものだ。かっこつけてプライドだけで生きている人生はやがて挫折することになる。


挫折は人を大きくすると言われているが、挫折とはうまくいっていないことの繰り返しにしか過ぎない。
うまくいっていないことがこれでもか!これでもか!とあなたの目の前に現れて、あなたの動きを封じ込めるから挫折になるのである。挫折を乗り越えるのは、うまくいっていないことを認めることだ。素直になって認めるからこそ、挫折の乗り越え方がなんとなく見えてくるのである。頑固にうまくいっていないことを認めず、変にかっこつけても、事態は好転しない。それどころが妄想に逃げるだけで、いつまで経っても苦しい現状は変わらない。

本当に変わりたければ中途半端ではいけない。

真から自分のうまくいってないところを、誰もが持っている醜い面、臆病な面、冴えない面、みっともない面を認めることだ。

認めることによって、あなたはひどいネガティブな状態になるかもしれない。
認めることによって心が折れてしまうこともあるだろう。私はあなたを貶めようとしているのではない。現実的になってもらおうとしているだけだ。今までと違う人生を送るために、現実に向き合って欲しいと願っているだけだ。

良いことを教えよう。「人生は、うまくいっていないことを認めることで好転するように出来ている。これが人生だ。

このことを、身を持って体験する機会を、今得ていると思えばいいのである。そんなに難しく考える必要はない。自分のうまくいっていることを認めるのは、そんなに恥ずかしいことではない。恥かしがって認めないからうまくいかないのである。隠すことはない、恥も外聞も捨てて、自分のうまくいっていないことを素直に認めてこそ、人生は好転するように出来ている。
多くの人間が自分のうまくいっていないことを認めないから、好転しないのである。なぜ好転しないか?うまくいっていないことには、うまくいくための重要な目標が隠されているからである。これを見逃すからうまくいかないのである。


さあ、自分のうまくいっていないことを認めよう。

あなたが太っているのなら、あなたは太っていると認めよう。
認めることで、そこにダイエットの目標ができる。

あなたが不健康で病気がちだとすれば、それを認めよう。
認めることで、あなたに健康になるための目標ができる。

あなたが自分は臆病な人間だとすれば、自分は臆病な人間だと認めよう。
認めることで、あなたはどうすれば勇気が持てる人間になるかの目標ができる。

あなたは自信がない人間ならば、自信がない人間だと認めよう。
認めることで、あなたには自信を植え付ける目標ができる。

あなたが怠けものなら、自分は怠けものだと認めよう。
認めることで、怠けない忍耐強い根性のある目標ができる。

あなたが男運が悪いのなら、自分は男運が悪いと認めよう。
認めることで、次は男運の良い目標ができる。

あなたが彼に放置されて苦しんでいるのなら、それを認めよう。
認めることで、放置に対して正しい選択の目標が持てるようになる。

あなたが女として魅力がないのなら、自分は女として魅力がないことを認めよう。
認めることで、女を磨くための真からの自分磨きの目標ができる。

あなたは不安症で心配症なら、自分はいつも不安に悩まされると認めよう。
認めれば、不安を克服できる信念という目標ができる。

あなたがネガティブなら、自分はネガティブだと認めよう。
認めれば、ポジティブになる目標ができる。

私たちが健全な目標と反するのは、うまくいっていないことを認めないからだ。うまくいっていないことを妥協するからよくない。うまくいっていないことをなあなあにしてごまかすから、うまくいっていないことが改善されないのである。


うまくいっていないことを認めるのは、確かに残酷かもしれない。
だが、それは考え方の違いで、目標は残酷の中に埋もれているというのを人々は知らないだけだ。うまくいっていないことを認めるのは決して残酷なことではない。残酷どころか、とても素直に自分の人生に向き合っていることになる。この素直さがあって、正しい自分の目標が見つかるのである。妥協のない目標を、妄想で逃げていない目標が見つかるのである。

ルール4、うまくいっていないことを認めることで、うまくいっていないことがうまくいくようになる。




自分のうまくいっていないことを認めれば、現状は変えられる。

紙に書くときはうまくいっていない現状を正直に書くこと。
恋愛であれば、彼とうまくいっていないことを正直に書こう。
たとえば、彼とは音信不通だ、彼ともう何カ月も逢っていない、彼は仕事が忙し過ぎて私を放置しているとか、現状を正しく書こう。それに対して私の現状の気持ちを正直に書こう。私はこんな彼でいいのか?私はこんな彼では嫌だ。いやこんな彼でも私は好き。彼以外にも他にいい人がいるのではないか?いや彼に勝るいい人は他にいない。紙に書いて声に出して読み上げてもいいだろう。自分で書いた文章を声に出して自分の耳で聞いてみる。これはとても良い学習だ。冷静に物事を客観的にみることが出来る。なにがうまくいっていないのか、冷静に現状が把握できるからだ。

そして現状を変えるには、彼のことが好きだという愛のフィルターでみないこと。愛のフィルターは現状を無視して判断を誤るからだ。またネガティブな感情でみてもダメ。ネガティブな感情は相手の考えを無視して自分の考えのみで判断するからだ。どういうことかというと、彼は仕事で一生懸命頑張っているのに、放置された女性は仕事が忙しいのを正しく理解できず、待たされていることに苛立ち、ホントに仕事が忙しいの?他に女でも出来たのではないの?仕事が忙しいのを口実にして嘘をついているのではないか?といらぬ妄想を抱いて判断を誤るからだ。紙に書くということは、冷静な判断を誤らないためでもある。紙に書くときは冷静にあなたの直観に従って書くといいだろう。


紙に書くということは問題を直面することにある。
彼とうまくいっていない問題を認めることは、非常に恐ろしい面もある。自分に大きなプレッシャーをもたらすこともある。自分自身を非難することにもなるだろう。だが、自分のうまくいっていないことを認めない限り問題は解決しない。「何とかうまくいっている」といってごまかしても、問題は一向に改善されない。

問題に直面すれば、もう妄想を抱いていられない。
彼とうまくいってなければ、白黒勝負に出て自爆するか、変化を起こすか、どちらかを選択するしかない。


自爆は簡単。だが、多くの女性がそれを望んでいるわけではない。多くの女性は変化を起こし、問題を改善して彼と仲良くなることを願っている。

そのために、現状でうまくいっていないことを認めることだ。
事実を顧みないで変化を起こすのは困難である。なぜ困難か事実に対して自分が否定して嘘をついているからだ。うまくいっていないのが事実であり、彼に嫌われるのを恐れるのは事実に反することになる。「嘘をついてまで恋愛をするな!」これが事実である。うまくいっていない恋愛とは事実に反する恋愛。まずそれを認めることである。認めこそ、選択や行動によって自分の経験を作りだせるのである。

ルール3、うまくいっていない事実を認めること。


快楽を求めて苦痛を避けるのが人間の本能。
人間は本来快楽主義である。誰しも苦痛より快楽を求める。これが前提なら、自分を変えることがいかに大変か、いかに生やさしいことでないかがよくわかるだろう。人間は快楽主義の考え方をなかなか変えることができず、すぐに快楽主義に戻ってしまうからだ。

快楽に走る人間は現状維持を好み、変化を恐れる。
変化はときに恐ろしく、ときに危険で、ときに面倒で厄介なことを多く押しつけて要求するからだ。快楽主義で怠けた心と体は、変化についていけない。自分を変えようとする変化は、なかなかやる気が起きない、嫌な苦痛が伴うにできている。自分でも気づかないうちに快楽主義に汚染されているからだ。かったるくてやる気が起きない。これが快楽主義者の発する言葉である。

快楽主義に浸った人間はこうも弁解するだろう。
努力なんて無駄なこと、努力なんかしても報われないからやめておけと。努力はバカな人間がすること、頭の悪いアホな人間がすること。努力する奴はバカだ!死ねと、汚い言葉を発する人もいる。快楽主義に浸った人間は自分を変えようとする努力を放棄し、努力を毛嫌いする。ここに自分の人生がうまいくいっていない事柄の大半があるのに、快楽主義は努力して改善しようとする希望さえも破壊する。

すると、どうなるか?
ご覧の通りにうまくいっていない人生の境地にいる。
それも自分の人生だ、自分がそう決めたのだ、こうなったのも自分の責任だと、腹をくくればいいものを、どういうわけか腹をくくれないでジタバタと慌てて騒ぐ。「辛いよ、苦しいよ、誰か助けてくれ」と依存心でもって誰かにすがる。だが、誰も助けてくれない。それが分かると、今度は世間のせいにして他人を怨む。私はこうなったのも政治のせい、学校教育のせい、親のせい、私を振った彼氏のせい、裏切った友達のせい、家庭環境のせい、時代背景のせい、状況のせい、なになにのせいは…山ほどあるが、自分のせいだとは気づいていない。

だが…いずれ気がつく。
こうなったのも全部自分のせいだと。
ずいぶんとネガティブな前置きが長かったが。
ここからがあなたの人生の出発点である。
だから、安心しなさい。
あなたはここに来て、ようやく変わる決心をしたのだ。
そのために快楽主義とおさらばしよう。
なかなかおさらばできないかもしれない。
あなたがおさらばできないから、あなたという神が自分に試練を与えたのである。
快楽によって苦しむ自分をあなたが作ったのである。

自分で作ったのだから、自分で始末するしかない。
快楽主義を自分で始末しなさい。

それができれば、あなたは変わることができる。

ルール2、快楽主義とおさらばしよう。





人生うまくいってなければ、変えるしかない。
恋愛がうまくいっていない。結婚生活がうまくいっていない。仕事がうまくいっていない。
うまくいっていなければ、変えるしかない。
何をどう変えるの?
自分自身を変える。ここから始めないと何も変わらない。

自分の人生で我慢している有害なこと。
たとえば、酒・煙草・ギャンブルなどの不健康なもの。ヒステリックや怒りや恐怖や不安などのネガティブな感情。働かない、時間にルーズ、約束を守らないなどの人間的な欠陥。ワガママ、だらしない、礼儀やマナーをわきまえない常識外れの性格。などなど・・・自分の人生で我慢している有害なことは誰しもあるはずだ。自分自身を変えるとは、この有害な現実に対して、冗談抜きに率直に誠実に現実的に自分自身と対決することだ。有害な現実とは、あなたにとって最も残酷な現実でもある。この有害な現実を認め、人生を台無しにするような行動をとっていることを認めることである。自分はどういう人間で何が悪いのか、情け容赦なく自分自身に真っ正直になるというレベルに到達する気がないなら、変えることはできない。


今あなたの運が悪いのも、我慢している有害なことが原因である。
何が原因か自分でもよく分かっているはずだ。分かっているのに、直すことに着手しない。それで運が悪くなっていることに自分でも気づいている。いつか直そうと試みるが、何年経っても直そうとしない。何年たっても行動に移さない。これが運を悪くする原因である。

人生うまくいっていない人はたくさんいる。
その当事者にいいたい。
うまくいっていなければ、変えることだ。

変えることに遅いということはない。
変えることに年齢は関係ない。
だから、変えることを慌てる必要もない。
ただ、今変えたいと真剣に思うことだ。
何を変えたいか?まずは紙に書いてみることから始めればいい。
紙に書くと、自分の何を変えたいかが大枠で見えてくる。
変えたい事柄に欲張る必要はない。紙に書いた大枠、大筋でいいのである。それが変えたいための第一歩。そう思って紙に書くとよい。

うまくいっていない人はそれさえもできなかった。
紙に書くことさえも、面倒くさくてできなかった。
それが出来たのなら、あなたは自分を変えることに着手することが出来るということだ。
頑張って、書くことからまずはスタートするといいだろう。
自分を変えるルール1、紙に書くこと。
ここからスタートしよう。


不安があったとき、皆さんはどうしてますか?
私は不安があったとき、不安のことをよく考えます。

本当は不安なことは考えない方がよいのでしょうが、なぜか不安は追い払っても追い払ってもまとわりつく。
不安なことを考えるのをやめて別なことを考えよう・・・としても、興味があるのは不安になる出来事ばかり。他のものには興味がなくなる。興味があるのは不安の中味。この先自分はどぷなるんだろう・・・という不安の中の恐れにしか興味がない。

おいおいどうなっているんだ・・・自分はこのままでいいのか・・・。
ブログでは自ら湧き出てくる不安は自ら退治しなさい。不安な考えが出てきたら、別のことを考えなさい。不安が出てきたら、頭を切り換えなさいと教えているが、なかなか出来るものではない。不安のことを考えてはダメ!と不安な考えが出てきたら、ダメ!ダメ!と首を横に振って不安を追い払っているが、首を横に振るのも正直疲れた・・・(笑)首がゴキゴキ痛い・・・(笑)疲れるので、自然に不安を受け入れることにした。そして不安のことをあれこれ考える。

そうするとどうなるか・・・。
疲れる。
不安のことをいろいろ考えると疲れる。
不安というのは興味が最大限に高いので、ついつい不安のことを考えるが、その反動でさらにさらに疲れる。
ホント嫌になるほど疲れる。
疲れたらどうなるか・・・。

不思議だよね、そのあと前向きな考えが出てくる。
ちょっとずつではあるが、前向きな行動をしたくなる。
ちょっとずつやっている間に、前向きな考えが大半を占めるようになる。
へ~不安とは、前向きな考えへの起爆剤か。
なるほど、そう考えればいいわけだ。
だから、不安をいたずらに追い払わないで、受け入れればいいんだ。
受け入れても1日か2日、長くても1週間。来週には前向きな自分を取り戻せる。
人生とはこれの繰り返しよ。
不安を同居させながら、前向きな気持ちになる。
そうなると当たりだね人生は。

今不安なのは、前向きなシナリオがまだ出来ていない証拠。
前向きなシナリオはまだかまだか、と待っている状態。
早く前向きなシナリオを作って行動しなさいと自分の神が言っているのに、なにも動こうとしないから不安になる。
そして不安は、どんどんその人自身を蝕む。前向きなシナリオを作らせないように、前向きな行動をさせないように、その人を不安にがんじがらめにさせて阻止する。これが不安の正体。

私は最近その正体に気づいた。
そうか不安は未来の希望を阻止するためにあるのだ。
でも、未来の希望を見つけるのも不安の中にある。
だから、私は不安を受け入れる。
その中に未来の希望があるからだ。
不安で疲れたら、未来の希望が見えてくる。
その正体を確かめるため、私は不安を同居させている。
なるほど。そう考えればいいんだ。


成功するためには必要なことは何でもやること。
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それがなかなかできない。
成功するためには必要なことは何でもやること。頭では解っているが、それがなかなかできない。なぜできないか?それをやるにはしんどいからだ。人間はしんどくて疲れることはあまりやりたがらない。

できれば楽して儲けたい、楽して願いを叶えたいというのが人間の心の中にある。これが人間の本質かもしれない。人間の本質は怠け者だ。怠け心は誰しも持っている。

この怠け心はとても頑固で、とても強情でとても強固だ。この怠け心は努力のすべてを否定する。努力しても無駄、努力しても報われない、だから努力はやめよう。今の時代は努力する時代ではなくいかに楽をするかだ。もうやめよう昔の大人みたいに努力することは。努力、努力といっている奴は頭の悪いバカだ。古臭いじじいだ。などと叩かれる。

成功するためには必要なことは何でもやらなければならないのに、努力はバカがすることだと言われたら努力する気が起きない。やっても無駄となるからだ。何の保証もない努力はバカかがすること、そのように叩き込まれると必要なことはしなくなる。

必要なことをしても、これをやればうまくいく、これをやれば成功するという保証はない。
保証のないもののに人間はやる気が起きない。こうすれば確実にうまいくよというものがなければ人間はやる気が起きない。なぜやる気が起きないのか?人間はすぐに結果を求めるからだ。

「人間の進歩は実にゆっくりしている」と言われても、冗談じゃない、私には時間がないの、私にはタイムリミットがあるのといって、その考えを受け入れない。今の子たちは保証を求める。すぐにいいい結果が出るという保証を求める。だから、すぐに結果の出ない必要なことはやろうとしない。

確かに、必要なことをやっても良い結果に結び付くとは限らない。
努力は無駄に終わることもある。これがいいと思って行動したことが裏目に出ることもある。必要だと思って何でもやったが、全部裏目に出て全部失敗した。自分は何をやってもうまくいかないということもあるだろう。何やっても裏目に出る。何やっても失敗する。人にはこういう時期がある。これは運の悪い時期という。この運の悪さが続くと人間はだんだんやる気がなくなる。そして努力を放棄するようになる。

そして、努力を放棄すれば苦しみが待っている。
これはとても厄介だ。この苦しみは長く続くからとても厄介だ。そして人はこの苦しみを長く続かせるために妥協に入る。妥協は始末に負えない苦しみを長く続けせるための精神状態かもしれない。

不思議とこの世界にいると苦しみが長く続く。なぜ長く続くか?妥協でもって苦しみを中和するからだ。そして不思議なことが起こる。よくもまあ、こんな時間に長く居られるものだ。よくもまあ、こんな状態で生きていけるものだという不思議な生活が長く続く。人間には底力があり、苦しい状態でも妥協で中和しながら長く生きていけるのである。貧困にあえぎながらも生きることができるのは、人間が持っている底力があるからだ。

でも、その生活は長く続かない。苦しみの妥協の生活が長く続くわけがない。そこから希望を見出す。この苦しみから抜け出す希望を。それはいつになるか解らない。解らないけど、人間はここに来て努力を始める。努力を放棄して苦しみを味わった人間は、もう努力することをバカにしたりしない。いつかこの妥協による苦しみから抜け出してやると思うようになる。そのためには努力が必要だと誠実に感じるようになる。

苦しみは目標を見つけるためにある。逆境の後にはそれ以上の幸福になる種子が含まれている。人は苦しみによって何かを見つける。そういった言葉の類は、みんなそこから来ている。あなたにそれを気づかせるように神が試練を与えたのだ。だから負けてはいけない。今からその試練に打ち克つのだ。


まとめ
試練に打ち克つには動くことです。
さあ、動こう!
必要なことは何でもやろう。
明朗活発に何でもやろう。
これをやったらうまくいくの?などと考えずに、あなたが必要だと思ったことは何でも活発にやろう。
後のことは考えなくていい。勢いよく必要なことは何でもやればいいのだ。

そのうち、必要なことが淘汰されていくだろう。
淘汰されれば、これを習慣とすればいい。
習慣になれば、必要なことは何でも手に入るようになる。





誰もが抱える不安。
不安は、仕事のことだったり、恋愛のことだったり、結婚のことだったり、家族のことだったり、人間関係のことだったり、お金のことだったり、病気のことだったり、老後のことだったり、不安の根拠は枚挙に遑がない。現代人は闇夜のごとく不安を抱えている。
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不安の退治方法は、以下の3つからなる。
1、自ら湧きあがった不安の退治方法。
2、他人から伝染した不安の退治方法。
3、すべての不安を一気に退治する方法。
この3つの答えを一気に書いていく。

1、自ら湧きあがった不安。
人間は考える葦である(パスカル)人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で 最も弱いものである。だが、それは考える葦で あるから。弱い人間が考えすぎるから不安になる。考え方を建設的に考えれば不安にならないが、非建設的な悪いことばかりを考えると不安になる。

だから、不安になる考えをやめよう。やめ方は簡単だ。建設的に動いて自分を忙しくすればいい。考える暇がないくらい忙しくすればいい。忙しくする方法は分単位の目標を持つことだ。朝起きたら歯を磨いて洗面する。通勤電車の中で本を10ページ読む。建設的な目標を1日を通して分単位で行えばいい。とにかく暇を作らない、そうすれば余計な考えは入らなくなる。

自ら湧きあがる不安は、うまくいっていない事柄から起きる。うまくいっていないものは厄介だ。だが、それは今すぐに解決できるものでない。今すぐに解決できないものを悩んでもしょうがない。あなたはすでにこの解決に向かって努力している。必要なのは忍耐と根気だけ。あなたは必要な忍耐と根気を養うため、建設的な前向きな行動だけを今は取ればいい。

だが油断は禁物。大丈夫だろうと安心せず、うまくいっていない事柄を真剣に考える必要がある。一日の終わりに30分間だけ考える時間を与えよう。この考えは不安と向き合い、大丈夫だろうと遊ぶためではない。不安と向き合い、ネガティブになるためでもない。不安と向き合い、どうすれば良くなるかと建設的に考えるためだ。いろいろ考えて前向きな考えが出たら、そこでやめること。

最後に不安は自らの戦いだ。自ら湧きあがった不安は自分の責任で退治しなければならない。あなたの不安を他人が請け負うことは絶対にない。あなた自身で建設的な考えを日々入れて解決していくしかない。自分の前向きな考えを信じて解決していくしかない。


2、他人から伝染した不安の退治方法。
人間は他人の言葉に左右されやすい。他人から伝性も厄介なものだ。不安から立ち直るために苦労して、やっと前向きになれたのに、他人と相談して不安が蘇り、逆戻りして前向きから後退してしまったという経験は誰しもあるだろう。他人からの否定は不安を蘇らせるためにもあるからだ。

他人に悪気はない、きっとあなたのためと思って言ったと思う。だが、あなたはその言葉で傷ついた。なぜ傷ついたか?なぜ不安が逆戻りして蘇ったか?それはあなた自身の心がまだできていないからだ。不安の中にいる人は、ちょっとした言葉に反応して傷つく。自分の意に反する言葉を言われると「やっぱりそうか・・・」と神経質になって過敏に反応する。

過敏に反応すれば、不安の最中にいる人はすぐに物事を悪く考える。深く細かく悪く考える。悪く考えれば心は自爆するように出来ている。自分で自分の心を台無しにする。他人の意見には否定的なものもあれば、叱咤激励もあり、あれて試練を与えて方向性を示すものもある。他人と相談するときは、その心構えが出来ていないと相談をしてはいけない。

他人と相談するな、とはいっていない。心構えを作って相談しなさいといっているのである。心構えさえあれば、否定的な意見にも対処できるだろう。否定的な人とは次から相談しなければいいだけだ。そういう友達がいたら、その友達とは二度と彼の話はしないことだ。それでも聞かれたら?オブラートに包んで嘘の物語を話せばいい。

中には良き相談相手もいる。自分の嫌な相談も共感できて前向きにしてくれる人だ。その友人はあなたのことがよっほど好きなのだろう。その友人は大切にしなさい。相談者は選ぶこと。自分の意に反する否定はしないこと。自分の悩みを軽減してくれてやる気を促してくれる人。相談して心がすっきりになれば良き相談相手だ。

まとめ。
3、すべての不安を一気に退治する方法。
自ら湧きあがった不安であろうが、他人から伝染した不安であろうが、克服するのはあなた自身だ。
あなたは不安のことを考え過ぎてもいけない。また不安を放置してもいけない。
建設的な考えの元に不安を退治すること。そのために不安を退治する目標を見つけること。
不安を分析すれば、何が原因だったのか?やがて解るようになる。
分析した結果が完全に解るまで、必要だと思うことを片っ端からやればいい。
忙しくやっていれば、ネガティブな考えは入らなくなる。
暇を見つけるとネガティブな考えが入るので、暇を見つけないように。
建設的な活動を分単位で行おう。

これって疲れない?
不安のことを一日中考える方が疲れる。
どうせ疲れるのなら、建設的な活動をした方がいい。
不安から脱出する糸口を見つけるには、建設的な活動を続けること。
そうすれば、不安があなたから逃げていく。


不安があるから人間は成長できる。
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止めどもない将来の不安。不安のことを考えるのをやめようと思っても、不安は次から次へと湯水のごとく出てくる。繊細に神経質に胸がきゅーと締まるくらい出てくる。早くこの状態から脱出したいので開き直って別のことをする。仕事をして、運動をして、晩強してみるが、不安の解消法は一時的なもの。行動が止まれば、また不安はぞくぞくと心の片隅から出てくる。にっちもさっちもいかない不安をどう退治していいかわからなくなる。

そこで、不安について考えてみた。不安を不安なことと考えるからいけないのだ。不安は人が成長するために必要なもの、不安があるから人間は成長できる、そう考えるようにした。そう考えると、不安がない人は成長が止まった人。平和で安楽な生活に身を置いている人は、生き甲斐がなく生きる屍だ。不安のない人生なんてあの世にいってからでいい。自分は生きている間、不安と戦う。不安なくして成長はあり得ない。この不安をずっと持ち続け、戦いながら自分を成長させていく。



不安は自分を叱咤激励してくれる友人だ。
この友人は容赦しない。この歳まで随分頑張ったのだからもう勘弁して、といっても容赦はしない。歳関係なく、歳に見合った分の試練を与える。怠けるな!サボるな!と心に冷たいきついムチを与える。おいおいオレはもうそんな苦労はしたくないといっても、生きた年齢に見合った苦労を与える。気力体力が衰えても不安は容赦しない。

なぜこんな苦労を自分に与えるの?と不安に聞けば、あなたを生かすためさと答える。おいおい冗談じゃないぜ、オレを生かすためにオレをいじめるのか?

「いじめではない、あなたにもう一度若さを取り戻すための教訓を与えているのだ」。なんだそれ?考えてみなさい、安楽を覚えた老人の姿を。何の目標もなくただボーッと家でテレビを見ている姿を。日がな一日を公園のベンチでごろ寝している姿を。活力がなくただお迎えが来るのを待っている姿を、あなたはそうなりたいのですか。

うむ、確かに、ああはなりたくない。あれになるのはもっと先でいいかな。生きている間は活力にみなぎっていたい。だから友人としてあなたに不安を与えているのだよ。ええ!不安がオレの友人?そんなの欲しくないね。だってあなたは叱咤激励ばかりで、ぜんぜん安心感を与えてくれないではないか。そうワタシはあなたに安心感を与えない。常に心配の種ばかり与える。その心配の種が次から次へと不安を生み、あなたに休みを与えないようにしている。

なんという意地悪な友人だ。こん畜生と思わないでいただきたい。ワタシはあなたの友人だが、あなた自身でもあるのだよ。


 まとめ
安楽な生活に希望はない。
不安とは、楽な生活はするなと己を戒め、自ら不安を引き受けているに過ぎない。思い起こせば、安楽な生活に希望はない。不安のない生活は何も生まれない。夢も希望も目標も生まれない。達成感のあるゆとりの生活など、生きる屍だ。人間は達成感のあるゆとりの生活を目指すが、それは死んでからでいい。

生きている間は不安と戦いながら努力するべし。心配事の種が尽きない方が人間は頑張れる。不安があるからこそ技術と学問と精神力を鍛える。悩みがあるからこそ生きている証拠。心配、不安、悩みがなくなったら人間は生きる屍だ。だから安楽な生活には何の希望もない。希望があるのは不安と戦っている姿だ。不安を打ち負かす努力こそが人生の生き甲斐となる。

不安に負けたらまた戦えばいい。不安のない人生はつまらないとともに、失敗のない人生もつまらない。安楽な生活ほどつまらないものはない。だからいいのだ。このままの不安の状態で。まだあなたは戦えるから幸せだ。逆境の中にこそ生き甲斐がある。不安は自分を成長させる道具に過ぎない。逆境の中にこそ生き甲斐がある。不安とは自分を成長させる道具だ。