ホーム > カテゴリ: 人生哲学
思いっきり環境を変えて良かった。
最初は不安だったけど、まだ不安は続いているけど、やがてこの環境に慣れて自分は新しいスタートが切れるだろう。


思い起こせば、引っ越ししもそうだった。
田舎から東京へ。東京に来たときは、憧れだったけど、果たしてこの地でやっていけるのかと不安になった。東京は田舎と違って無機質。建物も人も空気も無機質。道は異常に狭く、一方通行が多く、変な異臭がする、これが都会の臭いか。ごちゃごちゃした商店が所狭しと並んでいる。買い物はまるで満員電車並みだ。行き交う人には活気があって欲しいものは何でも揃っている。田舎にいるときはスーパに買い物に行くのに徒歩20分かかったけど、東京では徒歩3分でスーパーに行ける。しかも田舎より品数が多くて豊富だ。またおしゃれだ。その代わり家賃はべらぼうに高い。古びたアパートで6畳一間で1ヶ月の家賃が73000円。田舎なら駐車場付きの新築の一軒家が借りられる。東京の家賃は神奈川の2倍、埼玉の3倍だ。自分はこの街に住む。大都会に。新宿や渋谷ではない。目黒の私鉄沿線沿いだ。引っ越しは大きく環境が変わる。それは何を意味するものか、新しい旅立ちを意味する。環境を変えて良かった。

失恋も環境を変える大きなチャンス。
好きな子にフラれた・・・失恋は人生で最も過酷な瞬間である。目の前がホントに真っ黒になるのを覚えた。頭がパニックで真っ白になるのも、そのとき始めて経験した。今まで抱いていた淡い期待も淡い夢も淡い希望もすべて失ってしまった。今までいたものがいなくなる。今まで手にしていたものがなくなる。人間は愛を失うと生きていけない。失恋後は誰しもそういう心境になる。もう二度とこんな素敵な女性に出会えない。なのに自分はなんてバカなことをしたんだ。こんな結果になるとは思わなかった。こんなはずではなかった・・後悔と反省でむせび泣く。未練たらしい嫌な男の時間が長く続く。長い長いやるせない未練のあと、新しい出会いを求めて環境を変える。環境を変えれば、「いた運命の人が」でも、これは運命の人ではないかもしれない。だが、これから運命の人になる。歴史と時の長さの愛が運命を形作る。失恋は大きく環境を変える。新しい運命の出会いのために。

転職も大きく環境を変えるチャンス。環境を変えれば天職が見つかる。
自分は気が小さく職を失うのを最も恐れる人間。たぶん男はみなそうだろう。男は仕事を失ったら生きていけないからだ。自分も過去に3度転職した。1個1個の転職、仕事を失う瞬間を思い出すたびに今も胸が苦しい。当時を思い出せば、ちっぽけなネガティブ人間になるので、今は思い出さないようにしている。人間過去を思い出せば、過去の嫌な部分に引き戻され、その時点で後退するからだ。男の失職は失恋より辛い。これ以上の生き地獄はない。これを3度経験した。お陰でずいぶんたくましくなった。そんな気がする。よくもあ、あのブラック企業で耐えたな。あそこであれだけ耐えることができればどこに会社でも通用するさ。これを励みに仕事の環境を変えた。そうするとどうなったか?環境を変えて良かったという結果になった。自分は転職のたびに成長している。収入も上がってきている。嫌な仕事を我慢強く続ける必要がないことが解った。なのに気づくのが遅かった。ブラック企業の会社2つをそれぞれ15年以上続けたからだ。もっと早く辞めておけば良かった。気が小さかったのだ。でも、まあ。それが今日生きているかな。3度目の仕事で運命の出会いがあったからだ。天職という仕事に。

今にしてみれば、環境を変えて良かった。
自分はそう思う。

今あなたがいろいろ悩んでいるのなら、これは環境を変えるチャンス。
思いっきりよく環境を変えなさい。
環境を変えるのは「思いっきり」が大切。
そうすれば新しい道が拓きます。



いつまでも迷っている人がいる。
いつまでも悩んでいる人がいる。

それは誰のことですか?
それは、あなたのことです。
そして、私のことです。
そしてさらにそれは、人間のことです。

人間という生き物は、いつまでも悩みの中にいて、いつまでも迷いの中で彷徨っているものだ。まあ、それが人間だから仕方がないと解釈もできるが、逆に人間だからこそなんとかなるではないか。なんとかなる方法は、心をコントロールすることだ。心のコントロール方法を私なりにいろいろ調べてみて、一番いい方法が中村天風先生の教えにあった。「人間は心でも体でもない、人間の正体は気体だ」この教えに従えば確かに心はコントロールできるようになる。自分で試して実際にそうなった。

先生の教えを紐解くと。
迷っているのは自分の心が迷っているだけ、自分が迷っているわけではない。悩んでいるのは自分の心が悩んでいるだけで、自分が悩んでいるわけではない。自分の心と体を道具のように使えば、迷いも悩みもなくなる。


人間の正体は気体だ、心でも体でもないという教え。
とても強いメッセージだが、気体とはなんだ。

ここから先は、私(沖川)独自の解釈となります。
気体とは宇宙と繋がった自分自身のことを指す。
宇宙は天にある。
天は上にある。
つまり、気体とは上から(高い見地から)自分自身を客観的に見て判断する能力のことをいう。上から見た自分が下にいる自分の心と体を冷静に客観的に見て、正しい方向にコントロールすることをいう。これが、創造主から与えられた人間の力である。気体(上)から見れば、心と体は下界のざわめきごとに過ぎない。汚れた心が感情的になって騒いでいるだけに過ぎない。体も動物のような欲望で汚れた心に支配されているだけに過ぎない。汚れた心から起きている感情に支配された心と体をコントロールするのが、気体という宇宙と繋がった創造主の自分の役目である。

これで、頭で考えたことを実行しなさいという意味が解ったと思う。
頭で考えたことは、あなたの思考が考えたこと。思考とは天から授かった創造主の考え。あなた自身もそのことはなんとなく解っている。頭で考えたことは、ただ闇雲に考えたものではないことを。でも、感情がついていけないという。でたね、「頭では理解しているが、感情がついていけない」という言葉が。この言葉をいつまでも後生大事にして、いつまでも守っているようでは、あなたはいつまで経っても悩みと迷いの世界から抜け出すことができないよ。

人間は感情の生き物だ。
それは認める。
だが、感情と思考が正反対では困ることになる。
感情と思考が一致していないから、あなたは迷って悩んでいるのである。
感情と思考が正しい方向に一致して人間が人間らしく生きられるのである。
だから、感情と思考を一致させること。
一致させるには、汚れた感情は正しい思考で成敗することに限る。
あなたは今の自分の汚れた感情を、自分の正しい思考で成敗できるのか、それによってあなたの将来の運命が左右する。

将来良い運命にするためには、
思考よ、汚れた感情に勝利せよ。
汚れた感情に勝利し、正しい感情に導くこと。
天(上)から見た思考で、迷っている心を、悩んでいる心を、正しい方向に導くこと。
神は人間に考える力を与えました。
この力を最大限に発揮してください。




本日5月1日(水)は、私の誕生日。そして令和となる。
昭和、平成と生きてきて、ついに新元号の令和となった。
自分の誕生日から始まった新元号は、心引き締まるものがある。
清々しい凜とした気持ちで令和を迎えたい。

自分の人生を振り返ってみて。
「まあまあだった」これが振り返った感想。
自分の人生はまあまあだった。普通の感想だがそれで自分は満足している。

挫折はあったか?
あった。
大きな挫折は、昭和で1回、平成で2回あった。
どれも仕事の行き詰まりによるもの。
仕事の行き詰まりが挫折?
こんなことで?と思うかもしれないが、男は仕事が命だからしょうがない。
男は、仕事を失えば生きていけない。
仕事を失う心境は、失恋よりもたちが悪くなかなか立ち直れない。
失恋は数ヶ月で立ち直れるが、失職は立ち直るのに数年かかる。
この長きに渡る煩悶とした時間が挫折期間。
思えば辛かった。
また辛かった期間があったからこそ、自分の人生はまあまあだったといえるようになった。
「よく乗り越えたな」と自分を褒めることができるから。
乗り越えたからこそ今日がある。だから、まあまあの人生だった。

どうやって挫折を乗り越えたか?
1回目の挫折は若かったせいか、挫折の乗り越え方は分らなかった。知識も経験もなく、ただ必死にもがいた。もがいた結果、若さの勢いもあって何とか乗り越えた。若さの特権は気力も体力も十分にあり、家族を養える給料さえもらえば仕事は選ばないでいいこと。土・日の休みなどいらない。ブラックでもなんでもいい。家族さえ食べていければ贅沢はいらない。犯罪以外の仕事はどんな仕事でもやるつもりで職を探した。その考えで就職したので、それでなんとかなった。就いた仕事は家族を養える給料をもらえたが、年間の休みは普通の企業の半分以下で勤務時間も相当長い。まさにブラック、しんどかった。だが、1年もすれば体が慣れてしまった。どんな仕事も1年もすれば体が出来上がり精神力もつく、そのときそれを覚えた。若いときは生きる哲学は必要としなかった。ただがむしゃらに働くだけでよかった。

2回目の挫折のときは、哲学が入ってきた。
自分は何のためにこの世に生まれたのか?という哲学。
もう若くはない。
壮年期を迎えた自分はどうやって生きていくか、そればかり考えていた。
自分の生き方を求めて煩悶とする時間ばかりが過ぎていく。
長く永遠と思われる煩悶が、何も見出せないまま漠然と過ぎていく。
人生は、青年期・壮年期・老年期と生き方が違ってくる。
それぞれの危機を乗り越えて人は大きく成長する。
壮年期の挫折から自分に哲学が入ってきた。
哲学は煩悶から生まれた。
煩悶はピンチだが、じっと耐えて努力しているとチャンスに変わる。
チャンスに変わった哲学によって、自分は挫折を乗り越えることができた。

3回目の挫折も哲学で乗り越えた。
生きる法則の哲学を覚えたお陰で、自分の人生はまあまあの盤石なものになった。
この哲学(生きる法則)は今も生かされ、未来も生かされるのは間違いない。
こう思うようになった。


この仕事に就き、令和を迎えた。
令和の心構えは、自分で見つけた哲学(生きる法則)を自分だけのものにするのではなく、世に広めること。これが令和の私の心構えとなった。


皆様にとっては余計なことかもしれない。
なんで沖川の法則を私たちが学ばなければならないのと。
余計なこと、迷惑だったらごめんなさい。
必要でなければ、このブログは外してください。
でも、ここではたくさんの人が悩み、この哲学を必要としている人が大勢います。
自分はそれを肌で感じています。
自分の経験が良いかどうか、皆さんにとってためになるかどうか分りませんが、令和の心構えとして、私は法則を遂行していきます。今までも沖川の法則を記事に記してきましたが、さらに進化して、より深く、皆様の心に届けようと思います。お付き合いくだされば幸いです。



「このブログを読めば、それなりに成功できる。」大袈裟なタイトルだが、今朝目覚めたら私の意識がそのタイトルを書くように指示した。私の直観かな。朝5時に起き、新鮮な空気のもとに散歩に出かけ、頭をリフレッシュして家に帰り、机に向かってパソコンの前に座ったとき、このタイトルが浮かんだ。「このブログを読めば、それなりに成功できる。」大袈裟かな、自慢かな、自惚れかな、自分を何様だと思っているのだ、このタイトルが傲慢では?などという気持ちはさらさらない。自然に出てきた。自分の潜在意識の直観で。自然に出てきたものだからしょうがない。

ブログを書き始めて14年。
思えばそれがテーマだったのかもしれない。
「このブログを読めば、それなりに成功できる。」
それだ!
それを目指して、私は14年間ほぼ毎日ブログを書いて来た。
10年以上毎日ブログを書ける人はそうそういない。
みんな途中でへこたれてしまう。
成功するコツはへこたれないで続けること。
「継続は力なり」私は身を持って示してきた。
だから、「このブログを読めば、それなりに成功できる。」このタイトルで間違いない。

このブログを読めば成功できる。
このブログを読めば、恋愛がうまくいき、結婚生活がうまくいき、仕事がうまくいき、人間関係がうまくいき、健康で豊かで幸せな人生が手に入るようになる。成功できるとは、分相応のもの。決して高望みではない。人間は自分の器の分しか成功できない。自分の実力の分しか成功は手に入らない。大きな成功を収めたいのなら自分を大きくする努力を賢明にすればいい。燃えたぎるような情熱で人の2倍3倍働いて不眠不休で努力すればいいだろう。志を大きく持てば、人間には力があるので、それに見合った心と体ができてくる。それに見合った心と体ができれば、大きな成功も夢ではない。ここで目指しているのはプチ成功。スーパー偉人たちのような成功ではなく、誰にでもできる成功を目指している。

「成功」という言葉が嫌いなら、「幸せになれる」でいいだろう。
誰しも幸せになりたいはずだ。
このブログを読めば、幸せになれる。
このタイトルに変えてもいい。

だが、私は男だ。
「幸せ」という言葉はこちょばゆい。

なんか・・・女っぽくて嫌だ。
男が使ってはいけない言葉のように感じる。
やはり男は「成功」だ。
成功哲学だ。成功法則だ。
これが男っぽくて良い。この方が好きだ。
だから、タイトルは「このブログを読めば、それなりに成功できる。」にする。
ワガママでごめん。

というわけで、私の今朝の直観の独り言。
お付き合い頂き、ありがとうございました。


「このブログを読めば、それなりに成功できる。」
今朝の直観とはいえ、こんなたいそうなタイトルつけていいの?
という心配はしていません。
どうやってみんなを成功に導くの?
という心配もしていません。
なぜなら、ずっとこんな調子で書いてきたからです。
私が書いた記事、ひとつひとつには何らかの成功法則があるからです。
読む人は読むし、読まない人は読まないでしょう。
だから、ぜんぜん気にしていません。
ただ残念なのは、読まなかった人。
せっかくこのブログが人生の成功法則の佳境に入るのに、読まないと損すると思います。
きっと、何らかのタイミングで読まなかったのでしょう。
でも、ご安心ください。
このブログは逃げやしませんから。
数年後にまた機会があれば読んでみてください。
きっとあなたの何らかの役に立つはずです。



人間はどうでもいいことでクヨクヨ悩む。
悩みのほとんどは、どうでもいい小さなことばかり。
よくもまあ、次から次へと思い出して悩むものだ。
悩みの大半は過去の出来事から来ている。
未来の不安も、過去の悩みが中心となって起きている。

人間とは過去に生きている生命体なのかもしれない。
だから、過去を思い出して悩む。ポジティブな過去もあっただろうに、思い出すのはネガティブな過去ばかり。ポジティブな過去は3%で、ネガティブな過去が97%。過去の思い出は、こんな構成でできている。この比率は私の直観によるもので、科学的な統計はない。だが、大体こんなものだろう。皆さんのお話を聞くと、97%がネガティブなお話ばかりだからだ。ああ、人間とは過去に生きている生命体なんだな・・・というのが、この仕事をしてみれば分る。

人間は過去の煩悶(はんもん)に支配されている。
煩悶を今の言葉に訳すと(モヤモヤ)である。
人間は過去のモヤモヤに支配されている。
このモヤモヤが今も出てくる。
外に出れば、晴れた4月の爽やかな季節なのに、自分の心は晴れていない。
いつも曇っている。モヤモヤと。
こんないい天気なのに、心が晴れない。
なぜ心が晴れないのか?
心の中にいつもモヤモヤが残っているからだ。

よく考えれば、この悩みは大したことない。
今を生きるのに何ら支障はない。明日をしれない重い病気を持っているのならともかく、あなたはそれなりに健康だ。また明日を知らない重い病気を持っている人の方が、健康な人より達観した覚悟を持っているので悩みはそれほどないかもしれない。それに比べて健康の人の方がよく悩む。どうでもいい小さなことでクヨクヨ悩む。あなたは健康だ、あなた次第でこれから良くなるという希望を持たないで、ただいたずらに悩む。どうでもいいことをただ悶々と悩む。よく考えれば、この悩みは大したことない。これを自覚するべきなのに、自覚ができていない。

どうすれば、この悩みは大したことないと自覚できるか?
私のやり方を教えよう。

私だってモヤモヤはたくさんある。
モヤモヤは日によって違う。
昨日は好調でも今日は不調だということはよくある。
また今日一日でも、好調と不調の波(経時変化)がある。
朝の7時から10時までは気分良かったが、10時5分にふと嫌なことを思い出して午後12時までモヤモヤすることがある。追い出し方を知らないとモヤモヤは頭にはびこる。頭にこびりついて、このモヤモヤが嫌なドラマを作る。ネガティブドラマが楽しいのかどうか分らないけど、いつまでも頭の中で演出され途切れない。さらに自分が監督となってネガティブドラマの指揮をとっている。自分が監督だからやめられない。だから、いつまで経ってもモヤモヤが頭の中から離れない。

そこで考えた。
どうやってこのモヤモヤを退治しようかと。

まず、人間には煩悶(モヤモヤ)はいらないこと。
モヤモヤしている時間があれば、他のことに集中すること。
他のことに集中するためには意志を使うこと。
意志は気を入れて打ち込めば強化される。

だから、今は何事も気を入れて集中してやっている。
そうすると他のことは考えないで済むので、モヤモヤは入り込まない。

さらに、次元の高い考えを取入れること。
目標ができたら、あとは潜在意識に任せる。
目標は顕在意識に任せない。顕在意識に任せるとモヤモヤばかりが出てくる。
だから、目標ができたら、あとは潜在意識に任せることにしている。
これをやって、モヤモヤが消えた。
不安も恐怖もなくなった。
「目標ができたら、あとは潜在意識に任せる」これが私の今の最高のやり方です。




「ボーと生きてんじゃねーよ」これが意志の使い方だと前回説明した。
今回はこの続き。
意志とはなんだ?意志とは集中することだ。
だから、「ボーと生きてんじゃねーよ」は正しい。

そして、何事も気を入れてやること。
仕事も勉強も家事も、車の運転も、自転車に乗っているときも、歩いているときも、スポーツのときも、体を動かす運動のときも、本を読むときも、人と会話するときも、思考を活用して目標を立てているときも、具体的な計画を立てているときも、今日一日やることすべてに対して真剣に気を入れてやることだ。それじゃ疲れるのではないか?それが、以外と疲れないだよね。気を引き締めてやることはそんなに疲れるものではないよ。ボーッとやろうが、気を入れてやろうが、疲れることに大差ない。慣れてしまえば、ボーッとやった方が疲れるし、気を入れた方が疲れない。

それよか「ボーッと生きている方が大変なことになる」。あとからどんどんと疲れることになる。人間の疲れの原因は心の内側から発生していることが多い。つまり心の病だ。心が病めば、ちょっとしたことでも疲れやすくなる。階段を上って疲れ、仕事をして疲れ、うまくいっていない彼とデートして疲れ、酷くなればご飯を食べて疲れ、睡眠して疲れることになる。疲れは生命の危機、人間の生理現象さえ狂わすことになる。だから、ボーッと生きていると大変なことになる。気を入れて生きた方がいい。

正しい心の使い方は、何事も気を入れてやること。
これができない人は、心を正しく使っていないことになる。
気を入れると疲れることばかり考えているから、気を入れようとしない。
ただ、楽をしたいことばかりを考えている。
まあ、リラックスすることはいいことだ。
疲れたら休めばいい。
仕事から帰ったら3時間も4時間もテレビを見ればいい。
あるいは、3時間も4時間もスマホのゲームをすればいい。
どうだ、リラックスできたか?疲れは取れたか?
中にはリラックスできた、疲れが取れたという人もいるだろうが、大半の人は「逆に疲れた」という人の方が多いのではないだろうか。
少なくとも、向上心を持っている人はそうなるはずだ。
向上心を持たない人は疲れないが、向上心を持った人は疲れるはずだ。
このブログを読んでいる人は、みんな向上心を持っている人だと思う。
だからこのブログを読んでいるのだろう。

さて、向上心を持っている人集まれ。
今日から正しい心の使い方を学ぼう。
私の教えは疲れることはなにもない。
私の教えは元気になることだ。
明るく前向きになることだ。
その心を持てば、正しい心の使い方ができるようになる。
正しい心の使い方ができれば、悩みはなくなる。
悩みのもとである、困難そのものが面白くなる。
問題を一個一個解決していく自分が楽しくて嬉しくなる。
心を正しく使えば、人生が豊かになる。
そのために心を正しく使うことだ。
さあ、今日からやること全部に気を入れてやろう。


心を強くすれば、人生そのものが良くなり、あなたが望んだ人生が送れる。
仕事もうまくき、恋愛もうまくいき、結婚生活もうまくいき、人間関係もうまくいき、自分が立てた目標や計画もうまくいき、欲しいものや必要なものは何でも手に入るようになる。

「心を強くすれば、すべてうまくいく」この発想は、「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」に近いかもしれない。

近いというより、基本だ。
心が強いからこそ「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」力が働くのであって、心が弱い人には働かない。心の弱い人が、いくら頑張っても、いくら願っても、いくら神頼みしても、いくら懇願しても、何も起きないし、何も働かない。この二つの本の力を発揮できるのは心が強い人のみ。だから、近いというより、基本だ。

心の弱い人が、「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」本に書いている内容を実践してみる。
すると、なんだ・・・ちっとも引き寄せられないではないか、ちっとも思考は現実化しないではないか、この本は「インチキだ」といって、もう二度とこの類いの本は読まなくなる。ほとんどの人が楽に簡単に自分の都合のいい結果を求める。その結果、望んだものは何も手に入らない。逆に悪化していることの方が多い。そして落胆する、自分はダメだと。自分を救うために本を読んだのに、一生懸命勉強したのに、ちっとも良くならない。これじゃ何のために本を読んだのかわからない。自分には才能がなかった。どうせ自分は何をやってもダメな人間だ、本を読んだ時間はすべて無駄だった。

基本が間違っている。
心の弱い人が心の強い人の真似をしても挫折するだけ。「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」で成功した人は心の強い人。まだあなたは彼らの真似はできない。あなたがやることは心を強くすることを実践することだ。

どうやって実践するの?

簡単なことだ。
重複して本を読むこと。
何度も何度も、できれば10回ほど重複して本を読むこと。
そして1ページごとに気を入れて読むこと。そのときは余計なことは考えない。余計なことを考えれば、本に書いてある本当の意味が分らなくなる。妄想に忙殺されて本を読んだら、何も残らない。

次に、本の読み方は、心を強くすることを念頭に置いて読むこと。
成功した人たちの華やかな結果より、その過程の努力を中心に読むこと。貧困からどうやってその人は這い上がったのか。困難をどうやって克服したのか。どうやって厚い壁を乗り越えたのか。困難のときの心構え、悲観のときの心構え、挫折を乗り越えたときの心構えなどを中心に読むこと。中心に読めば、それがあなたの記憶となる。その記憶があなたの心を強くする材料となる。

現代人は華やかな結果を求めるが、心を強くすることを忘れている。
はっきり言おう。
成功者はみんな心の強い人だ。
心が弱くて成功した人は誰一人いない。


別にあなたは成功者の真似はしなくていい。
大金持ちになる必要はない。
ただ、仕事も恋愛も結婚生活もすべてうまくいく人間になろう。
これは人間が生きていく上で、最低限必要な基本だから。
あなたはこの基本を作りたいだろう。
私もこの基本を作りたい。
そのために心を強くすることだ。



女性はマイナスの言葉に弱い。
彼にマイナスの言葉で否定されると、しばらく立ち直れない。
男性なら一日で回復できるが、女性は数週間回復できない。
女性はマイナスの言葉を吟味して枕にする。彼が放った嫌な言葉をベットまで持ち込み、それを枕にして寝るものだから、悲しい別れが夢の中で演出される。

男性だってマイナスの言葉に弱い人いるよね。なんで女性ばかりがマイナスの言葉に弱いと決めつけるの。
そうだね、大変失礼しました。
男性の中にもマイナスの言葉に弱い人はもちろんいます。というか、そういう男性が増えました。男性が女子化している、そんな時代になっている気がします。皆さんの話を聞いて、どちらが男性なのか、女性なのか、わからないことがたくさんありますから。彼女に言われたマイナスの言葉をベットに持ち込み、えんえんと泣いている男性がいます。彼女に言われた言葉がいつまでも頭に残り、男としての責任を果たせないプレッシャーと、男として生きていく自信のなさと、男として未来を確立できない不安で眠れない男性が、ベットの中で悶々としているのです。そういう男性は、翌日彼女に別れを告げます。「疲れた・・・君の気持ちに応えられない。僕では君を幸せにできない」とLINEで別れを告げます。

おいおい、なんだ?それ。
こういうことばかりが起きているのが、現代社会です。

マイナスの言葉に反応し、なかなか立ち直れない人は、どちらも繊細で神経質で極度の恐がりです。つまり、心が弱くなった。ただそれだけです。

心が弱くなったら、心を強くすればいい。
どうやって強くするの?心が弱い人の心を強くすることは無理じゃないの、それがその人の性格になっているから、もう無理でしょう。
それは性格ではありません。
これは性格ではなく、現代社会が生んだ副産物です。
いいですか、もともと人間の心は強いのです。
人間には潜在的に心の強さがあるのです。
心を強くするためには、まず自分は潜在的に「心が強い」と信じることです。
何事も信じないと、その力は発揮しません。だから、「自分は心が強い」と信じることです。

心が弱くなったのは、文化と学問のせい。時代が進化すればするほど心がついていけなかったせい。その点、野蛮人は文化と学問がないから心だけは強い。彼らは自然に生きているので悩みはほとんどない。ベットの中でメソメソ泣いたりしない。明日食べるだけで精一杯で泣いている暇などないだからだ。その点文化人は明日の食べ物に困らない。その代わり神経質で繊細な人間関係がまとわりつく。生産性を上げるための競争。ノルマを達成するための熾烈な戦い。より豊かな生活を確保するためには、より高い向上心と野心を持たなければならないからだ。だが、この熾烈な戦いには落ちこぼれも出る。落ちこぼれは熾烈な戦いに負けた心の弱い人たち。学問は積んだ。情報もたくさん手にしている。野蛮人から比べれば、なんと贅沢な暮らしをしているように見えるが、当の文化人はめまぐるしい進化に心がついていっていない。ただ、落ちこぼれて心貧乏となっている。

これからの文化人に与えられたテーマは、心を強くすることだ。
今の文化の知識を持ちながら、野蛮人のような心の強さを取り戻すことだ。
野蛮人のような心の強さを取りもどす?この言い方には語弊があるが、真理はあなたの潜在能力の心の強さを取り戻すことにあります。さあ、心を強くしよう。

心を強くするための第一歩として。
まず、自分の力を信じること。
自分は潜在的に心が強いと信じること。
そのために心の犠牲者にならないこと。
自分の心の犠牲者になってどうする、自分の心は自分が支配するもので、自分が自分の心の犠牲になってはならない。
合い言葉は「心の奴隷になるな、自分の心は自分が支配してコントロールすること」
その合い言葉でいこう。




「ボーと生きてんじゃねーよ」ははは(笑)NHKのチコちゃんのこの決め台詞、私は大好きです。鑑定の場でも笑いながら「ボーと生きてんじゃねーよ」と冗談交じりに言ったりもします。ということは、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる生き方を、皆さんがしているということになります。

私も「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる生き方をしています。自分の一日を振り返れば、物事に集中できなくてボーとしている時間の方が長いかな。禅の修行では、お腹が空いたらご飯を食べ、のどが乾いたら水を飲む、これが修行らしい。なんだそんなことか、それだった自分も毎日やっている。ところが違うのですね。一般の人は、ご飯を食べるときも水を飲むときも、あれこれといろいろなことを考えている。中にはテレビを見ながら、雑誌を読みながら、スマホを見ながら、ご飯を食べ水を飲んでいる。これじゃご飯のありがたみが分らない、水のありがたみが分らない。水や食物からくる栄養も吸収されない。ご飯を食べるときはご飯だけに集中しなさい。水を飲むときは水だけに集中しなさい。そしてご飯と水に感謝しなさい。そうでないとご飯と水のありがたみが分らないという教えが禅の修行である。

感謝して集中する。
これが一般の人にはなかなかできない。
だから、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる。
私も含めて。

さて、題目は「意志」について。
意志とは何だ。
意志とは集中することだ。

「ボーと生きてんじゃねーよ」これが意志の使い方。
わかりましたか。
私もこの歳になって、やっとわかりました。
すみません、反省しています。

成功哲学では、意志を強固にしなさいという。
意志を強固にする?
意志ってなんだ?
この意味がなかなか分らなかった。
自己啓発の本や西洋の成功哲学の本には、そういうことがたくさん書いてある。成功するためには意志が大切だと。なるほど成功するためには意志が大切で、その意志を強固にすることが必要なんだ。頭では理解できた。だが、その理解は表面的な理解でしかなかった。頭では理解できても、実際には何も理解できていなかった。その証拠に意志の力がぜんぜん発揮されない。行動にも現われないし、心にも現われない。ただ頭で理解できて、ボーッと生きているに過ぎない。ためになる本を読んだけど、ためになる部分は映画の1シーンのように走馬燈のように消え、残った記憶は他人事のように置いてきぼりにしている。取り残された自分は、チコちゃんに叱られるだけ「ボーと生きてんじゃねーよ」と。

ためになる本を読んだけど、ためになる部分はぜんぜん生かされていない。
ただ、他人事のように過ぎ去り、取り残された自分はボーと生きている。
これを打破するためにはどうすればいいか。
そこで考えた。
何事も気を入れてやればいいんだ。
アニマル浜口ではないが、「気合いだ!気合いだ!」
そこまでオーバーアクションでなくて、心静かに気を入れてやればいいんだ。
一日のやることすべてに、気を入れてやればいい。
気が入っていないから、心がピンぼけとなる。
心がピンぼけになれば、モヤモヤが出てくる。
モヤモヤが出てくれば、意志がなくなる。
何事も気を入れてやる。
今まで気が入っていなかった。
ご飯を食べているときも、ご飯以外の別のことを考えていた。
仕事をしているときも、仕事以外の別のことを考えていた。
学校の授業でも、先生の話より別のことを考えていた。
友達と会話しているときも、友達の話は上の空で別のことを考えていた。
会社に出勤する前も、出勤する支度よりも別のことを考えていた。
本を読んでいるときも、中身の重い本は眠くなり別のことを考えていた。
別のことばかり考えるからモヤモヤする、それに気づいた。

だから、モヤモヤはなくす。
これからは別のことは考えない。
すべてのやることに気を入れて集中する。
何事も気を入れてやる。
私の考えに賛同して頂ければ、今日からそれを実行してください。
そうすれば、あなたの心にも意志が芽生えます。


目標や計画なしに生きている。
ある本に、100人中、98人は目標や計画なしで生きていると書いてあった。ホントかいな。まあ、そんなものかもしれない。私もこの仕事をしていて、100人中、98人は目標や計画なしで生きているのではないかと思うからです。私もその中に入り、あなたもその中に入っているのではないだろうか。いはやは参った・・・(汗)。自分は目標や計画なしに生きているのか?困ったものだ。困ったものだけど、別に支障はない。屋根のある家に住み、美味しいご飯が食べられて、それなりに健康で暮らしている。目標や計画がなくても問題はない。目標や計画などなくても、普通に平和に暮らしている。

この状態で、何の目標や計画がいるのだろうか?
成功とはなんだ?ときどき考えてしまう。


若い頃は、やれ目標だ!計画だ!と粋がった。
バカみたいに無理もした。
アホらしいほど努力もした。
嫌な目にもたくさんあい、挫折もたくさんした。
まあ、その甲斐あって今日の私がいるのかもしれない。

目標や計画なしに成功することはできない・・・か。
確かにそうかもしれない。
だが、目標や計画を持つことは良いことばかりではない
目標や計画を持つことは苦しいことばかりだ。
辛い目にもあい、悲しい目にもあい、忍耐強く我慢することも強いられる。遊びを捨て、欲望を捨て、人間らしい喜びや楽しみを捨て、場合によっては愛を失うこともある。目標や計画に邁進中はしんどいことばかり。それを自ら経験している。

世界の成功者は、これを信念だ、意志だ、情熱だ、熱意だ、モチベーションだ、エモーショナルだ、感動だ、願望を達成するための試練だ、根性だ、胆力だ、パワーだという。おいおいしんどいのを、そういうかっこいい言葉でごまかすわけ?私の意見を正直に述べよう。目標や計画を持つことはしんどく苦しいことばかりだ。これ以上でもこれ以下でもない。これが私の正直な答え。

おいおい今日の沖川はやけっぱちではないか。ご心配ありがとう。でも、やけっぱちではないよ。何か新しいものを作りたいだけ。「無理しないで成功する方法」なにかないかな?と考えている。大成功より、プチ成功。大金持ちより中の上の金持ちでいい。贅沢な暮らしより質素な暮らし。セレブより庶民。それでいて、安全に平和で暮らせる。こんなことを考えている。そうなるために、何かないかなと考えている。

もちろんそうなるためには、世界の成功者の考えや法則、意見も取入れなければいけない。小さな成功でも、信念や熱意は大切だからです。目標や計画も大切だが、そんな大袈裟な目標や計画はいらない。大きな目標があるとすれば、それは潜在意識に任せて、あとは忘れても構わない。普段やることは、今日やることをちゃんとやるだけでいい。そんなこんなで、プチ成功、何かないかなと考えている。そういったものを ボチボチとブログに書いていきます。