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自立のいいところはひとり立ちです。
ひとり、単独で生きることができれば、孤独にも強くなり、心は安定して強くなります。そうなれば、いぞというときに強さを発揮することができるでしょう。人間生きている間、様々な問題に巻き込まれます。そんなとき自立していれば、自らの責任で問題を解決することができます。自ら責任を負うことができれば、心も安定するでしょう。

だが、自立心が芽生え、心が安定するにはかなりの時間がかかります。

ひとり暮らしはお金がかかります。
まずは、お金の心配。実家で暮らせば家賃を払わなくて済む。食事も母が作ってくれるので困らない。電気水道ガス代の光熱費が高い。今までそんなお金の心配をほとんどして来なかったのに、一人暮らしは意外とお金がかかることに気づく、そこからお金の心配が始まる。

ひとり暮らしは孤独との闘い。
ひとり暮らしは、お金も心配だが、寂しさに負けてしまう。もう寂しくて寂しくてたまらない。こんなに寂しくてこのままやっていけるのかと、こんなに寂しいのなら実家を出ない方がよかったのかなと後悔する。

お金の心配と孤独。
これが最初に湧き上がる、自立の不安です。常にお金の心配がつきまとい、常に孤独の寂しさがつきまとう。まあ、これが自立ってものです。皆さんはそれを承知の上で自立をしているのです。自立とはそういうものです。

自立の始まりは、寂しさとお金の心配をすることから始まるが、これでいいのです。
寂しさを克服し、お金の心配を克服する。これが否応なしにあなたについて回るので、実家にいたころよりも、真剣に努力することになるでしょう。その努力がまたいいのです。お金の無駄使いを省き、食事も外食ばかりでは健康に悪いので自分で作って自炊することになる。そうやってだんだんと一人の生活に慣れていくのです。

今までの甘えだった生活が一変して何もかも自分でやらなければいけない。
人間とは環境に慣れるものです。お金の心配に追われ一生懸命働く。自分で食事を作って、自分で洗濯をして、自分で部屋の掃除をする。そうしているうちに生活力が身につくものです。

生活力が身についたら、もう実家など帰ろうという気が起きません。
自立=生活力、生活力=自己責任能力。そして自己責任能力は=自由も手に入ることができます。一度自由という自己責任能力が手に入れば、もう実家には戻る気がしません。親のことは心配ですが、そこには自由がありません。そこは隔離された自由のない世界だからです。

寂しさとお金を心配を克服する自立は、結婚の条件になります。
寂しさとお金の心配を自らの努力でもって生活力を身につけて克服する。それってどういう意味かというと、結婚にはピッタリの条件だということです。結婚は身内とするわけではありません。結婚は独立した赤の他人とするのです。自立した他人同士が、親の庇護のもとを離れて結婚する。親離れ子離れをする、これが結婚する条件です。そのために自立がかかさない条件だということです。

自立をしても、最初は不安だらけです。満足な結果が出るのはずっと後でしょう。だが、結果として自立した方が最終的にはいい結果を得られます。それが分かるには人生の終盤かもしれません。自分の人生を振り返ってみて、あのとき自立してよかったと思える日が必ず来るはずです。自立していない人はいつまで経ってもその生き様や感動を味わうことができません。いつも不安で、いつも心が不安定だからです。親が亡くなって強制的に自立させられたとしても、心の安定は取り戻せないでしょう。

自立をしても、最初は不安だらけです。満足な結果が出るのはずっと後です。でも、あなたは自立をするべきです。これからの人生の不安を克服するために。


次回から新シリーズが始まります。

次回は、女性が一番悩んでいることをテーマにします。

いま、あなたが一番悩んでいることはなんですか?

次回のシリーズで答えが見つかるといいですね。





自立ができていない人は、自分だけの道を歩こうとし、他の人々や親は自分を保護して助けてくれるものと思っている。これこそまさに甘えです。

自分は自由気ままな生き方をし、改めることもなく勝手なふるまいをしながら、他の人々は自分を助ける助手で、親は常に厄介から自分を守ってくれると思い込んでいる。他人に助けられ、親に保護されることを望む、これこそ依存であり、甘えです。

依存心と甘えのある人を恋人にしたらどうなるのでしょう。
彼氏にしたら、彼女にしたらどうなるのでしょう。
彼氏は自分を助ける助手で、つねに厄介から自分を守ってくれると思い込んでいるとしたら、または彼女は自分を助ける助手で、つねに厄介から自分を守ってくれると思い込んでいるとしたら、どうなると思います。

もうあなたのことは面倒見切れないとなるでしょう。
うざいんだよあなたは、重いんだよあなたは、「自立しなさい」と言って恋人は去ってしまいます。
甘えと依存心が強い人の面倒は見切れないからです。

真の自立をしないと、依存心が去らず、人生における恐怖心は克服するこができません。また、依存している限り、助けや救いがないと不平不満ばかりを生じてしまいます。これではいくつになっても心の安定は保てないでしょう。

真の自立を確立した人にのみが、内的な安定感を得られるのです。自立心とは、恐怖を取り除く内的な安定感を得るためにあります。ですから、いつまでも甘えて依存してはいけません。自分の力で立ってこそ、平等な愛が受け取れるのです。それが平和でいつまでも続く愛の形です。愛は平等でなかればいけません。片方だけの甘えと片方だけの依存では、愛は崩壊してしまいます。


とはいっても。
「自立しなさい」と言っても、あなたは弱き人間です。
そう簡単に自立できないでしょう。
あなたは大人でも強い人間でもありません。
甘えの環境で育った弱き人間です。

自分は弱い人間だと?
それに反発する気持ちも分かります。
もう少し、私の話を聞いてください。

自立する前は、みんな弱いのです。
私も自立前は弱き人間でした。

頭では自立するべきだと分かっていても、なかなか自立できるものではありません。人間とは考えと行動が一致しない生き物でもあるのです。「考えと行動が一致する」これができればいいのですが、なかなかその境地までいきません。そこから先は、自分で気づく悟りの世界だからです。まるで修行僧ですね。

でも、あなたは出家して修行僧になるわけにはいかないでしょう。またわざわざ自立を覚えるために出家することもありません。自立へ向かうには、今のままの生活でも十分に悟ることができます。それは幾たびの失敗と反省です。

失敗は人間を大きくします。
挫折は人間を大きくします。
こんな生活嫌だ。
こんな仕事嫌だ。
というワガママも、人間を大きくします。

人間を大きくするのは反省です。
失敗して反省する。挫折して反省する。こんな生活嫌だといって反省する。こんな仕事嫌だといって反省する。反省とは、このままでは生きていけない。生き方を変えよう、考え方を変えよう、やり方を変えようという新しいことにチャレンジしようとする動機になります。

もう二度とあんな失敗はしたくない、もう二度とあんな苦しい思いをしたくないという動機になります。深く反省すれば、人間は自立に向かうことができるのです。なにも出家して修行を積む必要はありません。修行は、あなたが生きている現代社会にあるのです。お寺より厳し世界が現実の社会です。この世界で起きる幾たびの失敗を深く反省して生き方を変える、これが自立の動機となります。



彼は仕事が忙しく、デートする時間がないと言ってわたしを放置している。いいな男の人は仕事があって、仕事ばかり夢中になって、仕事の目標や目的があって、それを追及している彼は幸せでいいな。自分だけやることがあって、放置されているわたしは不幸を味わっているのに…。なんとも言えない苦しみの中にいるのに、彼はぜんぜん分かってくれない。いつまでわたしを待たす…つもりなの。

いいな友達のA子さんは、彼氏に大事にされて。毎週デートして連絡は毎日欠かさずに来ている。今度の誕生日は高級フレンチレストランで祝ってもらえるなんて、いいな。旅行の計画もあるらしい、来月は海外だって、いいな。こっちの彼は音信不通の地獄絵の彼氏に不満を抱いているのに、A子さんが羨ましい。

いいな周りの人は早く結婚できて。友達はみんな結婚しちゃった。結婚していないのはわたしだけ。唯一独身組だったA子も来春結婚するらしい。結婚式に招待されているけど、なぜか嫉妬しているわたしがいる。わたしだけ取り残された気分でとても憂鬱。いいな、周りは早く結婚できて。

人々は、他人の幸せをやっかむ癖がある。
他人の幸せに嫉妬する。この嫉妬は人間なら誰しも持っている。
そして「人の不幸は蜜の味」と喜ぶ。
この性格では、あなた自身が幸せになれないよ。
他人のことより、自分の幸福に期待をかけるようにしよう。
他人の幸せに嫉妬するより、他人の不幸をあげつらうより、他人の幸せや不幸はどうでもいいじゃないか。もっと自分を大切にして、もっと自分の幸せを願うことだよ。

鑑定に来られるお客さんに。
「もっと自分を大切にしよう、自分の幸せを願うことにもっと力を注ごう」と言っているのですが、なかなか伝わらないですね。

彼氏は仕事人間でわたしを放置している。友達の彼氏とのイチャイチャぶりを聞かされ、友達が結婚するという話を聞かされ、嫉妬している自分がいる。他人の幸せばかりが気にかかり、自分は不幸だと嘆き、しかも妄想によって自分の不幸を拡大し、自分だけが取り残された気分となり、自分はなんと不幸だと憂鬱になっている。

そんな人に自分を取り戻しなさい、もっと自分を大切にして、もっと自分の幸せを願いなさいといっても無理があるかもしれません。

でも、私はあきらめません。
鑑定に来られた人が幸せになることを、あきらめません。
たとえ、どんな憂鬱な状況でもあきらめることはしません。

もっと自分を大切にしてください。
落ち込まなければ、あなたは幸せになれる力があります。
期待があります。能力もあります。
私は皆さんが幸せになることを期待しています。

あなたには、それだけの力があるのです。
今を乗り越えれば、きっとあなたは幸せになれます。
それを信じています。


女性は彼氏に対する不平不満の愚痴が多い。

話のほとんどは、彼氏の悪口ばかりだ。

こんなひどい男がいるのか?こんなに薄情な男がいるのか?こんなに冷たい男がいるのか?こんなに非常識な男がいるのか?こんなに無責任な男がいるのか?男ってこんなに女性のことを舐めているのか?男ってこんなに女性をないがしろにしているのか?という内容ばかり。

やれ放置されたの、やれ音信不通だの、やれ浮気疑されたの、やれ曖昧ではっきりしないだの、やれやれの・・・愚痴のオンパレードだ。

こんなので、よく愛しているなーと思う。
こんな男をなぜ好きなのか?よく分からん?

それでも、女性たちは「彼が好き」だという。
これだけ愚痴のオンパレードが出て、まだ彼のことが好きか?
これだけひどい扱いされて、これだけ冷たくされ、これだけ飽きられて、まだ好きか?
呆れたものだね、女性の愛は。
というか、感心してしまう。

ならば、彼に合わせることだね。
彼は仕事が忙しいという。
      ↓   
仕事が落ち着くまで待とう何年も。

彼と連絡がつかない(音信不通)
      ↓
彼から連絡が来るまでまとう何年も。

彼の気持ちが冷めたみたい。
      ↓
彼の気持ちが戻るまで待とう何年も。

「何年も待とう」と極端な例を書いたが、これこそが愛ではなかろうか。彼の仕事が忙しければ何年も待てる、それだけ彼のことを信用している、これこそが本物の愛ではなかろうか。

愛とは相手に合わせること。
自分の気持ちを殺して、自分の要求を殺して、自分の欲求を殺して、自分の欲望を殺して、相手に合わせる。これが本物の愛ではないか。最近の私はつくづくそう思う。

そんなことをしたら、タイムリミットが過ぎてしまう。
女の人生が終ってしまう。
相手に合わせたら、自分だけがその期間苦しいままではないか。
わたしは嫌だ!そんなの。わたしは待てない。

好きなら相手に合わせること。
愛とは合わせること。
私がそう思うだけで、皆さんにこのやり方を勧めているわけではない。

ただ、文句ばかり言っていないで、少しは相手の気持ちを理解したらどうだろう。
男も女も、自分のことしか考えていない。今の時代はみんなワガママだ。そのように感じるからです。ワガママではことを成し遂げることができないと。

自分のことしか考えない時代に、あえて相手の考えに合せる。自分の都合より相手の都合に合わせる。自分の要望より相手の要望に合わせる。自分のことしか考えない時代に相手の考えに合わせる。あえて相手の考えに合せる人間が出てきてもいいのではないかと、思ったのです。それを「信じている」・・・それを「愛」・・・というのではないでしょうか。

では、先生は何年も苦しめというのですか!
苦しみなさいといっているわけではありません。
楽しみながら、信じて待ちなさいといっているのです。

待つことを苦しむ人もいれば、待つことを楽しめる人もいる。
苦しむ人は疑っている人。
楽しめる人は信じている人。
ただ、それだけです。

愛とは合わせるもの。
愛とは信じるもの。
それが本物の愛ではないでしょうか。



悲しみがあれば喜びがあり、喜びがあれば悲しみがある。悲しみも喜びも、善も悪も乗り越えてはじめて、囚われなくなる。

未来を思って取り越し苦労をしたり、過ぎ去った過去を悔いて患っていれば、幸せになれない。過ぎ去った日のことを悔いず、まだ来ない未来に憧れず、取り越し苦労はせず、現代を大切に生きれば、身も心も健康になり幸せになれる。

幸せは過去にも未来にもない、幸せは今ここにある。あなたが生きている今という時間を大切にすることで幸せになれる。

時という存在はみな平等だ。国王であろうが、大統領であろうが、国民や平民であろうが、企業の社長であろうが、サラリーマンであろうが、農民や漁師であろうが、正規雇用やや非正規雇用であろうが、病人であろうが、健康な人であろうが、金持ちであろうが、貧乏人であろうが、一日24時間という時間はみな平等に与えられている。

幸せとは、この時間を大切にした人に与えられる。
そして、大切な時間とは「心やすらぐ時をどれだけ得たか」ということではないでしょうか。

誰でもできる最大の財産とは、「心やすらぐ時間をどれだけ確保できるか?」それに尽きると思います。
忙しい現代社会で、リラックスする時間を作るのは難しいと思います。でも頭を使うことで、いつでもどこでも、やすらぐ時間は誰にも作れます。最大の財産であ「時を楽しむ」この心がけさえあれば、時間はいくらでもできます。時間がないないって言っているのは、忙しさに追われ、自己を見失っているからです。

時は頭を使うことで得られますが、時はまた、気を使うことによって失われるものです。雑事に気を使うことは、自己を見失っているからです。

時という存在は、忙しさに追われ、自己を見失っている人には得ることはできません。時は雑事から解放され、自己を自覚したときのみに存在するのです。そのとき初めて「時」は全世界に充ちていることが実感できます。

全世界で平等な時の存在を知る。そして幸せ心やすらぐときに得られる。幸せは過去にも未来にもない。今ここにある。この時間にある、心やすらぐこの瞬間にある。この時間をいかに確保するか、そして心やすらぐことでどれだけ得をしたか、そうすることによって幸せは手に入るのではないでしょうか。そう考えれば、幸せは誰にでも手に入ります。心やすらぐ時間を自分で作ればいいのですから。

恐怖や不安などの落胆したネガティブ思考では幸せを得ることができません。
死に急ぐような忙しささ中で体を酷使して心を痛めつける緊張の中で仕事を続けても幸せを得ることはできません。うまくいっていない恋愛に朝から晩まで嘆いて悩んでも幸せにはなれません。それらは全部執着だからです。

執着があれば、それに囚われて本質を見ることができません。執着を離れる心になって、初めて本質が見えてくるものです。あらゆるものは時間の中で生きていると。この時間を大切にして、心やすらぐ時間を得た人にのみが、幸せとは何かの本質が見えてくるのではないでしょうか。




自分さえよければいい。
ワガママな人が最近増えました。

自分さえよければいい。
そのために大学を出て、いい会社に入って高収入を得る。
成功して豊かな生活を得ることが人生の目標となる。

なるほど、それはいい目標だ。
一生懸命努力することはいい目標だ。
その努力によって、成功して。豊かな生活を手に入れてください。

でも・・・なんだかな・・・。
成功者はなんか足りないんだよね・・・。
足りないものはなにか?というと。
人を愛する気持ちが足りない。
成功者ほど愛情が足りない、そんな気がするのです。

成功者ほど、傲慢でワガママ。自分勝手で情けを知らない。
成功者ほど人を愛する常識がない、そして成功者ほど人を愛する資格がない、そんな気がするのです。

成功するためには、いい大学を出ていい会社に入って高い給料をもらうこと。この絵に描いた餅を親や大人たちは勧める。そして子供たちにハッパをかける。ハッパをかけられた子供たちは親や大人の意向に従って、一生懸命勉強して目的を達成する。成功するサクセスストーリーだ。

このサクセスストーリーをけなしているわけではないが、何かが違う気がする。それはこの仕事をやっている私の勘だが、徳を忘れた人間が多くなった。そんな気がするのです。

徳を忘れた人間とは、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を忘れてしまった人たち。偉くなるほど、頭の低い謙虚な姿勢になっていくのではなく、偉くなるほどふんずり返って威張っている。傲慢でワガママで、自分勝手で自分さえよければいいと尊大に振る舞う、そういう人が多くなった気がします。エリートほど非常識。そんな気がしてならないのです。

人間やはり徳を忘れてはいけませんよね。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」にならなくちゃいけませんよね。
しみじみそう思います。

自分の得ばかり考える人は結果として得を得ることはできません。得を得るのは徳のある人間になること。これが人生の最終目標ではないでしょうか。

いま威張っていても得を得ることはできません。人をバカにして人を見下しても得を得ることはできません。あなたに徳がない限り、どれだけ偉くなっても、どれだけ成功しても、人生は何も得の得られない無惨な墓場となってしまうでしょう。

得を得るためには、徳を養うことです。
どうすれば徳を養うことができるか?
      ↓
それは人を愛することです。

成功者ほど恋愛が下手くそ。
この教育を小学校から教え込まなければならないでしょう。教育を金儲けの手段として学ぶのではなく、人間愛の徳として学ぶことです。だから、彼らは頭が悪いのです。徳の勉強がまるでなっていないからです。その証拠に彼らの恋愛は下手くそです。威張り散らして偉そうにしているだけで、全部自分が正しいと思っているだけで、ホント頭悪いな~こいつら、という劣等生のレッテルを貼るしかありません。

愛とはなにか?
愛とは、合わせることです。
相手に合わせる、これが愛です。


自分さえよければいい。
自分勝手な人は、人を愛することはできません。
相手の意見も意向も聞かず、自分の都合だけで行動する人は、人を愛することはできません。

自分さえよければいい、自分だけ大切にされればいい、自分だけ優しくされればいい、自分だけ思われればいい、自分だけ愛されればいい。自分だけ得をすればいい。

自分からは相手の都合に合わせない。相手がどんなに悩んでいても相手の身になって考えることはしない。相手がどんなに忙しくても相手の身になって考えることはしない。相手が会いたいと言っても、自分が会いたくないから会わない。相手が相談したいと言っても、こんな面倒な相談持ってこないでと断る。自分さえよければいい。自分さえ幸せならそれでいい。相手の不幸など、相手の悩みなどどうでもいい、自分さえよければいい。

自分だけ愛されて自分だけ幸せならそれでいい。相手の都合など考えず、自分さえ良ければいい。

自分さえよければいいという自分勝手な愛。
相手に思われて、相手に愛されて、相手に尽くされて、相手に慕われて、自分だけが得をすればいい。相手の都合は考えず、自分の都合だけに合わそうとする心の狭い人間。これが自分勝手な愛です。エリートはこういう愛が多いということです。だから、エリートには徳がないのです。


もう一度いいます。
愛とは合わせることです。
自分の都合や、自分の気持ち、自分の考えを、さておいて相手に合わせる。これが愛です。エリートは自分にとって都合のいい有償の愛ばかり求めますが、愛は無償でなければいけません。相手に合わせてこそ、愛は本物となるのです。

その愛を手にすることができれば、あなたは徳を手に入れることができます。徳を手に入れれば人生は得することになります。これこそが、本物の完成型の成功者です。




夫婦間のいざこざ、恋人とのいざこざ、上司と部下の対立、嫁と姑の対立、親の介護、子供の進学、友人や職場の人間関係のトラブル。人間生きていれば、様々な悩みを抱えます。

数々の悩みに対して、私の考えは、「そんな悩み、どうでもいいじゃないか」と思ってしまいます。

人間生きていれば、いろいろなトラブルに巻き込まれ、複雑な問題にも巻き込まれ、様々な悩みが生じる。これが人間の生きている証です。

「そんな悩み、どうでもいいじゃないか」とは言っても、「投出してしまえ」と言っているわけではありません。問題は悩んでも解決しないということです。悩みは悩むのではなく、冷静に客観的に対処すること。「それをしなさい」といっているのです。

悩んでいる人間は、自分でも分からないのです。冷静に対処する方法が?悩みの当事者は、悩むことに懸命で、悩みが日常生活になって、悩みが性格の基本となって、悩むことがその人の人生となっています。だから明けても暮れても悩むのです。

だったら当事者になるのをやめましょう。
当事者の目で見るのではなく、冷静に客観的に物事を見ることです。

「客観的」とは、
特定の立場からモノを見たり考えたりするのではなく、「第三者としてモノを見たり考えたりすること」を意味します。 「自分の思い」を直接意見に取り入れるのではなく、具体的な数字や前例などから、物事を考えることを「客観的」と言います。

「冷静」とは、
辞書では、感情に左右されず、落ち着いていることを意味すると書いてありますが、私の考えはもっと飛躍した考えになります。「死んでしまえば、悩みなんかどうでもよくなる」という考えです。死んで棺桶に入ったつもりで、自分を見つめれば、自分は天国から見ている傍観者である。つまり、一度死んだ気になって見てみると、当事者ではないので、余計なことに思い煩わなくなる。それが私の考える冷静です。

悩みの当事者になるのではなく、第三者の目で見る。
死んだつもりになれば、悩みなんてどうでもよくなる。
これが冷静で客観的な判断です。

この判断ができるようになれば、「そんな悩み、どうでもいいじゃないか」となります。




悪いことをしている人。
嘘をついている人。
不倫をしている人。
浮気をしている人。

あなたは、「ばれなければいいか」と思っているが、いやちゃんとお天道様は見ているよ。

「お天道様は見ているよ」
昔の人は子供が悪いことをした時などに「どんなごまかしをしたって、お天道様は見ているんだぞ」と言って叱りました。「お天道様」というのは太陽のことなのですが、昔の人は空にある太陽を神様のように思っていましたから、このお天道様というのは、何でも知っている神様です。

誰も見ていないからごみを道路に捨ててしまう。誰ももみていないから万引きをしてしまう。誰も見ていないから壊したものをそのままにしてしまう。誰もみていないからキセルをしてしまう。確かに誰も見ていないから、あなたがやったことには気づかないかもしれない。しかし、お天道様は見ている。あなたの行為を見ているのです。

けっ、そんなの信じるか!
「お天道様が見ているよ」それは子供だましだろ。こちとらもう20歳をとっくに過ぎた大人だ。こんな迷信にだまされるものか。神様なんていないんだよ。

確かに神様はいないかもしれない。だが、見ていたのは神様だけでなく、もう一人いる。

え?誰だ、もう一人って。今度は仏様か?

いやいや神でも仏でもない。見ていたのはあなた自身だ。自分の行為をあなたがまじかで見ていた、自分の愚かな行為を。

ああ、自分がやったことを見ていたよ。ばれなければいいと思って悪いことをしたよ。嘘もついたし、ごまかしもした。ばれなければ、それでいいのじゃないの。

そうか、ばれなければいいか。

そうだよ、ばれなければ何をやってもいい。
一度しかない人生だ。自分がやりたいように好きなように生きればいい。

そうか、ではなぜ苦しむ。

あなたの浮気をあなたのパートナーは見ていない。ばれなければいいのだろう。ばれなければ苦しみむことないのに、なぜ苦しむ。

それは…。

それは、あなたが人間だからだよ。

人間はね、愚かな行いは必ず迷いを引き起こし、苦しみとなって自分自身に帰ってくる。いま、あなたは「ばれなければいい」と思って悪いことをしている。だが、ばれなくとも人間は悩みの世界に入る。人間はね間違ったことをすれば悩むようになっているのだよ。この苦しみを無くすには、悪いことをやめることだね、嘘やごまかしはやめることだね、浮気をやめることだね、不倫をやめることだね。そうすれば苦しみはなくなる。ちゃんと見ているのだよ、あなたというお天道様がね。



金持ちに嫉妬することもなく。

貧乏人を蔑ますこともなく。

普通の人にもっと上を目指せということもなく。

金持ちもよし、貧乏人もよし、普通の人もよしと考えたらどうだろう。

みんな自分の役割に従って生きている。それでいいではないか。金持ちを妬んで嫉妬しても自分が金持ちになるわけではあるまいし、貧乏人を哀れんでも救われるわけであるまいし、普通の人は平凡が一番だと思っているのでハッパをかける必要もあるまい。

それぞれがそれぞれの役目に従って生きている。

それでいいではないか。

自分はどの位置にいるのか?

金持ちか、貧乏人か、普通の人か、そんなことはどうでもいい。

自分は自分の人生の主役を務めるだけだ。


恋人がいてもよし、恋人がいなくてもよし。
仲のいいカップルに嫉妬することなく。恋人のいない人を蔑むことなく。恋人がいてもよし、恋人がいなくてもよしと考えよう。恋人がいれば、恋人がいる役割で生きている。恋人がいなければ、恋人がいない役割で生きている。それでいいではないか。妬むこともなく蔑ますこともなく、今の時間を楽しめばいい。

結婚してもよし、独身でもよし。
結婚している人を妬むことなく、独身の人を蔑ますことなく、結婚してもよし、独身でもよしと考えよう。結婚してパートナーがいればパートナーとの生活を楽しみ、独身でパートナーがいなければ孤独の生活を楽しめばいい。ないものねだりより、与えられた今の生活を楽しめばいい。

健康もよし、病気もよし。
健康な人を妬むことなく、病気の人を蔑むことなく。健康でもよし、病気でもよしと考えよう。健康な人は健康に感謝して生きていけばいい。病気の人は病気を友達して生きていけばいい。

妬みや嫉妬はいらない。

哀れむことも蔑ますこともいらない。

みんながそれぞれの役割で生きている。みんながそれぞれの環境の中で、それぞれの状況の中で生きている。貧乏人だろうが、金持ちだろうが、普通の人だろうが、恋人がいようが恋人がいないが、結婚していようが独身であろうが、病気であろうが病気でなかろうが、それぞれが自分の役割で生きている。生き方に甲乙つけることはない。

みんながそれぞれを役割で生きている、それでいいではないか。
嫉妬したり妬んだり、哀れんだり蔑ましたり、する必要はない。



欲望を捨てることで、必要なものが手に入る。
「求めよ、さらば与えられん」から「求めない、さらば与えられる」に転じた方がいい。その方が欲しいものが手入る。しかも、自然に本物が手に入る。そんな気がしてならない。

例えば、彼氏が欲しいとする。
恋愛相談に来る女性は、みなさん口をそろえて「早く彼氏が欲しい」と熱望する。「求めよ、さらば与えられん」を実行するわけだ。合コンに出かけ、婚活パーティーに出かけ、アプルなどで相手を探す。だが、求めている最中にはろくな男がいない。言い寄ってくる男性は、変な人、タイプでない人ばかり。そんな話ばかりを聞かされている。

欲しければ求めよ。求めて行動しなさい。それは分かるが、それで変な男ばかり捕まえてもしょうがないだろう。理想とほど遠い男性と付き合っても、時間を無駄にするだけではないか、相談を請け負っている私は、親心でそう思ってしまう。

逆にしたら、どうかな?
「求めよ、さらば与えられん」から「求めない、さらば与えられる」に変えたら、どうかな。

彼氏が欲しければ逆のことをやる。

仕事を大切にして、友達との関係を大切にする。

運動して読書をして、自分の健康や向上心に努める。

人を愛し、人に親切にし、人に思いやりを持って接する。

日々の生活を、愛情を持って充実させる。

そうすれば、「この子はいい子だな」と思って、神様がプレゼントしてくれるだろう。
素敵な彼氏を。

運命の出会いとは、欲望の中からは生まれない。
運命の出会いは、充実した生活の中から偶然に生まれる。

理想の恋人とは、そうやって出会うものだ。
運命の人は、欲望を捨て、充実した生活を維持するから出会えるようになっている。「求めない、さらば与えられる」欲望を捨ててこそ、与えられる。今後も充実した人生を送りたいのなら、その方がいいよ。