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「悩むことは贅沢」

そういった発想はなかった。

どちらかという悩みを排除する派だった。

悩みの世界にいるのは無駄なこと。生産性も生まれず利益も生まれない。悩む時間があればもっと有意義なことをことに目を向けること。向上心を持って前向きなことにチャレンジすること。明るい未来に向かって、希望のある未来に向かってチャレンジすること。

悩みは人生を無駄にする。その世界に長くいれば人生そのものも破綻させる。ずっとそう思っていた。

なにの・・・人間は悩んでばかりいる。私は、悩み多き人々を何万人と相手している。

無駄なことなのに、なぜ悩む?

「悩むことは贅沢だから」

そうか。

悩むことは贅沢なんだ。

だから、みなさん贅沢な悩みを抱えてこちらに来ているのだね。

合点がいった。

考えてみれば、悩みがなかったら人間でなくなる。

人間は生きている間、なんだかんだと問題を抱えて悩む。

悩みがあるということは生きている証拠だ。

そして、悩みは人を成長させる。

思えば、自分も悩みによって成長できたし、多くの人が悩みによって成長できている。悩みは生産性を生まないのではない。悩みを克服することで生産性が生れ利益が生れる。

なんの悩みがなくボーっと生きている人間より、どうすればこの問題を解決できるかと一生懸命悩んでいる人間に神は問題解決のヒントを与える。

悩みとは、思考を現実化させること。

悩んでいる最中の思考は停止していない。常にそのことに対して朝から晩まで考えている。考え過ぎて妄想の世界に入ってしまい、さらにネガティブの世界にはいってしまい、頭の中がカオスになって混乱した状態のことを悩みという。

悩みは思考を現実化させる。だが、悩みの状態では思考は現実化できない。なぜ現実化できないのか?それは答えが見つかっていないからだ。問題の解決策が見つからない。問題の方向性が見つからない。この方法でいこうという具体的な方法論が見つかっていない。

悩みの正体とは、「答えが見つかっていない」状態のことをいう。

答えが見つかっていないから人は悩むといっていいだろう。

具体的な解決策が見つかれば人は悩むことはない。問題解決に向かってこの方法が正しいという確固たる信念のある方法論が手に入れれば、人は悩むことはない。あとはその解決策を信じて邁進するだけである。

だが、この解決策はなかなか見つからない。人間というのは、自分がこうしたいという答えがなかなか見つからないようにできている。答えが見つからないから悩む。もし、自分がこうしたいという答えをすぐさま見つけられる人ならば、それは奇跡を生む人となる。

奇跡を生む人は、悩みの中から生まれた。

悲観に明け暮れた最悪な状態から生まれた。

いくつもの苦痛に苛まれた最悪な人生から生まれた。

そして、彼らは悩みに悩みを重ねて答えを見つけた。

この答えを見つけ出すのに、相当苦労して相当悩んだ。

中途半端な悩みではない、それこそ命を削るような悩みから答えを見つけた。

人間深く深く悩めば、あるとき電球のような光を「パッと」見ることができる。

これが神から与えられたヒントでありアイデアである。

それで彼らは答えを見つけた。

なぜ、あるとき、そのヒントを見つけたのか?

それは思考が現実化したからだ。

人間の人生は、その人が考えていることがすべて。

その人が日がな一日何を考えているかで人生が決まる。

一日中考えている集大成が、その人の人生を作る。

そして、考える思考は悩みによって形成される。

なにもなければなにも考えずにボーっと生きていける。ボーっと生きれば、ボーっとした人生を送ることなる。

一日中、イライラすることばかり考えていれば、頑固おやじかヒステリックおばさんになって、不平不満の人生を送ることになる。

一日中仕事のことばかり考えていたら、愛のない仕事人間の人生を送ることになる。

一日中恋愛のことばかり考えていたら、生産性の上がらない人生を送ることになる。

人間は何を悩み、何を考えるかで、その人の人生を送ることになる。一日中考えていることがその人の人生を作るからだ。

悩みの正体とは?

悩み=答えが見つかっていないことをいう。

すると、なんの答えを見つけるかだ。

その問いに私が答えよう。

答えとは、

「完成」だ。

答え=完成。

恋愛であれば成就。

仕事であれば成功。

つまり、自分の望みを完成させること。

皆さん答えが見つかっていないから悩む。

答えが見つかって完成させれば悩みはなくなる。

完成させたあとも、人生はまだまだ続く。

一度完成させても、また新たな悩みが出現する。

そして、またその問題を完成させるための答えを見つけなければならない。人生はそれの繰り返しだ。

この繰り返しこそが、生きている証拠。

だから、生きている間、悩もう。

死んだら悩むことはなくなる。

悩みは生きている間だけ。

そういった点で、

悩みは最高の贅沢だ。



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最高の教育とはなにか?

今日も本を読んでいて、本の中身をおさらいした文章を書きます。そのまま引用するわけにはいかず、自分になりに咀嚼してまとめてみました。

最高の教育は日々の仕事にある。

そして、最高の教育は日々の生活にある。

仕事と生活を維持することが最高の教育だ。


学校の教育など、教育のほんの初歩を教えてくれるにすぎない。人間は、読書ではなく労働によって自己を完成させることができる。

人間を向上させるのは学問ではなく行動。文学でなく生活であり、伝記ではなく働く意欲によって向上することができる。

もちろん学校教育や読書を否定しているわけではない。すぐれた教育や本には学ぶことが多く、生きていく指針も与えてくれる。悩んでいる時、心を奮い立たせる糧としても役に立つ。教育や本は我々が目標を成し遂げるには何が必要かをはっきり示してくれる。

学校教育と読書はすぐれた学問を教えてはくれるが、それでもやはり、日々の労働と日々の生活には勝てない。人間の人生は労働と生活がすべてであり、学校教育と読書はそれを補う程度にしかすぎない。

生きる基本は労働と生活。これに勝る学問はない。

会社や職場で、お店や工場で、農家や林業で、商売などの自営業で、人が集まるところならどこでも、毎日の教育は実践されている。働きながらの生活を社会の一員になるための教育という。この教育に勝るものはない。

実際の仕事を学びながら人間性を磨き、克己心を養うことができれば、人は正しい規律を身につけ、自ら義務や仕事をうまくこなしていけるようになる。

本のおさらいはここまで。

ここから自分の感想文。

最高の教育は日々の労働と日々の生活から生まれる。

なるほど・・・ではなく、まさしくその通り。

普段自分が感じていたことを代弁してくれた。

人生で大切なのは生活。生活を維持安定させるための労働こそが人生でいちばん大切なこと。それをしっかりと認識することができた。

われわれ人間の向上心や克己心は学校教育や読書から学ぶことはできない。学校教育や読書は自分がどの方向に行くべきか、何も教えてくれない。教えてくれるのは日々の労働と日々の生活が教えてくれる。日々の労働と日々の生活こそが、最高の自分磨きだということが自覚できた。

最高の自分磨きとは働くこと。働いて得た金銭で生活を安定させること。これに勝る学問もなければ、これに勝る自分磨きもない。

人生で大切なのは生活。

愛ではない。

だから、うまくいっていない恋愛で悩んでばかりいないで、仕事をしなさい。生活を安定させなさい。この基本がないから、いつまで経ってもウダウダと悩んでいるのだよといいたい。

実際仕事をしていない人は悩みが多い。社会の一員となっていない人は悩み癖がついて一日中悩んでいる。暇は人間に悩みの時間ばかりを提供する。なぜ。そこにいるのか?それは最高の教育を忘れてしまったからだ。

忘れたのなら思い出そう。

最高の教育とは、日々の仕事にある。そして、日々の生活にある。これが生きるための基本。思い出したら、最高の自分磨きを始めてください。

さあ、始動です。いつまでもウダウダ悩んでないで、仕事をみつけましょう。働いて生活を安定させることに着手してください。生きる基本は労働と生活。この基本さえ手に入れば、愛はあとからついてきます。




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目標は、年齢に関係なくいまから作ってもいいのです。

これは私の経験ですが、私も若い頃は目標などありませんでした。20代、30代、40代は夢破れた経験ばかりで、夢を掴む年代になったのは50歳になってからです。人生の後半で「やっと自分にあった仕事を見つけた」というのが私の経験となります。

そのとき思ったのが「目標に年齢は関係ない」ということです。逆に考えれば、今の仕事は若い人には無理、この年齢になってやっと出来る仕事、幾多の失敗や挫折は人生の遠まわりではなく、自分が何をやりたいのかを見つけるための試練だと思います。

「今後どうしていいかわからない。」という言葉をよく聞きます。年齢に関係なく、将来に不安を抱え、生きる目的を失い、今後どうしていいかわからなくなったという人はたくさんいます。でも、安心してください。目標は今から作ればいいのです。今後どうしていいかわからないというあなた、「逆にこれはチャンスだ」と思ってください。

今後どうしていいかわからないということは、頭の中は新(さら)の状態、考え方次第で、自分の夢を描けるということです。夢を描くためには、まずは頭の中を整理することから始めて下さい。

整理の方法は、頭の中の不安とネガティブだらけの考えを考えないようにすることです。頭の中のキャンバスに目標を描きたいのなら、頭の中は真っ白でなくてはいけません。現在の頭の中がお先真っ暗の黒の状態か、先の見えないグレーの状態なら、一度考えることをやめることです。そうすることで頭の中はまだ一度も使っていない新(さら)の状態になります。

考えることをやめても、不安とネガティブな考えは後から次々と湧き出て来るものです。そのときは不安とネガティブを味方につけてください。不安だからこそチャレンジする、ネガティブだからこそポジティブにすると、味方につけてください。目標を達成する人は常に不安とネガティブとの戦いです。もうあんな時代(不安とネガティブだらけの人生)に戻りたくないという意気込みが目標を達成する原動力となります。

目標とはそのものが新しいことを意味します。昔から夢描いていたものであっても、一から新しく作るのが目標です。今からでも遅くありません。もうあんな時代に戻るのは嫌だと、不安とネガティブな考えを味方につけて、自分にふさわしい目標を今から作ってください。


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純愛を忘れたのは年配者だけではない、若者も純愛を忘れている。

文明が発達すればするほど、純愛がどんどん遠ざかっている気がする。

年配者が純愛を忘れるのは、経験によるもの。愛では食べていけないから仕事を中心とした生活を送る。仕事をせず愛という欲望ばかりに走ったら生活ができないことを、長年の経験で痛いほど分かったから、純愛を忘れてしまったのです。

生きていくにはお金が必要。恋愛は一文の得にもならない。

生きていくためには愛よりもお金の方が大事。そういった経験を何十年と積めば、純愛がなくなってしまうのは仕方がないことだと思います。

経験豊富な年配者に純愛がなくなったことは理解できる。しかし、昨今では若者が純愛を忘れている。おいおい、まだ若いのに、まだ経験不足なのに、なぜ純愛を忘れる。それは早いスピードで文明が発達していったせいだと思います。

今の時代は情報の伝達スピードが早く、昔なら10年で学習したものを今は1年で学習できる。年配者が20年かかって純愛がなくなったとすれば、今の若者は2年で純愛がなくなくなってしまうという計算になってしまう。

年配者も若いころに恋愛をした。当時好きな子がいて、その子のことを2年間純な気持ちで愛した。

現代の若者が恋愛をすれば、2か月間純な気持ちで愛して、3か月目には放置している。

今の時代は、愛が冷めるのが早くなった。そんな気がする。

情報の伝達スピードは、恋愛時間が短くなっただけではない。たくさんの不正極まりない欲望の選択を多くしている。恋人がいながら他の人とデートしたり連絡を取ったりするのはごく当たり前の普通の出来事となってしまった。

不正極まりない欲望の選択は、ごく普通の真面目な少年少女も、真面目な紳士淑女もやっている。文明の発達は、純な心を蝕むように時代を変えようとしている。

純愛がなくなってしまった・・・か。

ならば、逆行してもいいかな。

純愛を無くすのではなく、純愛を取り戻す。そんな生き方があってもいいと思う。

そのために、文明の情報過多に目を向けず、耳を貸さないこと。不正極まりない渦巻く欲望に一切目を向けず耳を貸さないこと。これを終始徹底してやれば、欲望の情報に躍らせることはない。

今の時代、それじゃ生きていけない?

もちろん最新の情報は生きていくのには必要です。だが、情報に振り回されてはいけない。いい情報か悪い情報か、取捨選択することが必要になってきます。入り口のところで何が自分にとって有益な情報か?取捨選択することです。

取捨選択のやり方は簡単。
ネガティブを排除すること。悪いニュースは見ない。悪い情報に耳を貸さない。入り口のところで取捨選択をすればいいのです。

さらに飛躍した考えなら、スマホはいらないかな。携帯がなかった時代に戻る。かなり逆行した考えですが、これで純愛が取り戻せるのではないかと考えている自分がいます。

恋人間にスマホはいらない。
スマホは仕事のみで使うのであって、恋人同士で使ってはいけない。なぜかというと、コミニケの取り過ぎ。コミニケを取りすぎると恋愛の神秘性を失ってしまう。神秘性を保つためには、恋人同士でスマホを使ってはいけない。そう取り決めれば、純愛が長く続くと思います。

スマホはいらない。古きオヤジの提言に皆さんが反対するのは重々承知しています。しかし、この提案は古きオヤジの提言ではありません。あなたもこの仕事を20年もやれば、恋人同士ではスマホは使わない方がいいという結論に達するはずです。

いいじゃない、スマホなどなくても。

連絡したかったら手紙を書けばいい。

恋文っていいですよ。

恋人同士のデートの約束は?

次のデートは、会ったときに約束すること。その間は一切連絡をしない。この方法がもっとも長く純愛を継続することができます。連絡が取れない分、愛が深まるからです。

仕事が忙しくなって会えないときもあるでしょう。でも、連絡は取らない。なぜなら会えない分、愛が深まるからです。

純愛中の心とは、常に相手がそばにいる状態です。連絡が取れなくても、会えなくても、ずっとそばにいます。今のように気軽に連絡が取れて会えたら、純愛でなくなります。

逆行した考え方を採用するかどうかはあなたに任せます。ただ私は、皆さんに純愛を取り戻してほしいと願っているだけです。



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楽をすれば苦しくなり、努力をすれば楽になる。

努力して楽になるとサボってまた苦しくなる。苦しくなればまた努力していく。

人間はこれの繰り返しだ。余裕のある人はほとんどいない。みんな限界ぎりぎりで頑張っている。限界ギリギリの人生を多くの人が歩んでいる。

ならば、ずっと努力して楽になる貯金をしていけばと思うのだが、なかなかそうはいかない。努力を継続するのはとてもしんどいことなので、しんどさに耐えられなくて努力をやめてしまう。

人間はギリギリで生きている。不思議とどの人もギリギリで生活している。働かなければ食べていけない状況に多くの国民が追い込まれている。

努力をすれば楽になる。
だが、努力を続けるのはしんどい。


いったい自分はどこまで努力しなければいけないのだ。どこまで頑張らなければいけないのだ。死ぬまで永遠に努力して頑張らなければいけないのか!「もう勘弁してよ」といいたくなる。

一生続く努力を誰も褒めやしない。一生続くと思うと、もう苦しくてたまらない。早く楽になりたい。宝くじでも当たらないかな、株でひと儲けできないかなと安易に考えるのが人間の悪い癖である。

多くの人がギリギリの生活をしている。サボれば苦しくなり努力をすれば少しは楽になる生活をしている。楽になるよう努力を続けることができればいいのだが、苦しみに耐えきれない人間のサガが邪魔して、いつまで経っても余裕のある生活ができない。

それで人間は努力という言葉を忌み嫌い、頑張ろうという言葉を忌み嫌うようになる。この二つの言葉は、精神的に人間の心を追い込むからだ。

努力して頑張って良くなればいいが、中には良くならないものもある。そうなると人間は頑張って鬱になったり努力して鬱になったりする。「頑張れ、努力しなさい」という言葉は、やがて禁句となり、忌み嫌う言葉となってしまった。

「努力しなさい、頑張って」が忌み嫌う言葉となってしまったか・・・結果がでないと当然そうなるね。努力しても無駄、頑張っても無駄となると、この二つの言葉は人間に嫌われても仕方ない。なぜならこの二つの言葉は人間を追い込むからだ。

結果が出ないのはオマエの努力が足りないからだ。結果が出ないのはオマエの頑張りが足りないからだ。パワハラ上司にいじめられている気分になる。

「努力」や「頑張れ」がそこまで嫌われたか・・・可哀そうだね、努力君や頑張り君が。誰か友達になってよ。人々に嫌われて報われない「努力君」と「頑張り君」が寂しがっているよ。


「努力君」と「頑張り君」と友達になる方法がある。

それはあまり期待しないことだ。成果を上げようと期待しないで、ただ仲良くなればいい。仲良くなれば辛いと思わないし、苦しいとも思わない。いつでも隣にいる仲間だ。仲間なら一緒に向上心を持って成長できるだろう。

仲間外れにされた努力君と頑張り君をあなたの仲間に入れよう。来る日も来る日も遊んであげよう。こいつよく頑張ったな。こいつよくここまで努力したなと褒めてあげよう。

そうすることで、皆から嫌われた「努力君」と「頑張り君」があなたの味方になる。今までは嫌々努力して頑張っていたから味方にならなかった。今は味方だ。あなたの最高のパートナーだ。「努力君」と「頑張り君」を味方にすれば、人生恐いものなしとなる。

それによって、あなたはギリギリの生活から脱出することができる。




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チコちゃんに叱られるかもしれないけど。
最近ボーッと生きている。
コロナ疲れか、年末疲れか、単なる年齢的なものから来ているのか、よく分からないけど、活力がない。なんかけだるい。

まあ、いいか。
こういう時間を過ごすのも・・・たまにはいいか。
けだるいのは、癒やしを求めているからだろう。
そこで音楽を聴く。
けだるい癒やしで、ユーチューブで探してみる。

あった。
小野リサさんの「あの日に帰りたい」
♪あの頃の私に戻って、あなたに会いたい♪
ちょっとけだるい歌い方、声質に聞き惚れた。
小野リサさんの歌声を聴いて癒やされた。

なんだろうね、この歌は。
一番良かったあの頃に戻りたい、青春時代に戻りたいというより、過ぎてしまった過去を思い出しながら当時を懐かしく思っている、今の私にぴったりだ。

さて、いつまでけだるく生きるか。
慌てることはない。
明朗快活な生き方を信条とする私だ。
また、来年から少しは快活になるだろう。
だから今は、けだるくノンビリ生きよう。

幸福の土台は、快活さを失わずに努力すること。
プラス思考で前向きに明るく積極的に活動しなさい。
それは分かっている。人生は常に快活に努力しなさいだろ。

西洋哲学では、みな同じ事を書いてある。
強い願望と信念を持って、それに従って忍耐強く行動しなさいと。
それは分かっている。分かっているから、いつでもそれができる。
だが、突っ走ってばかりではつまらない。
たまには、けだるさもいい。

人生の大半は、明瞭快活な生き方でいくこと。
それは分かります。
だが、それでは余裕がなくなる。
仕事の虫になって人間性を失ってしまう。

だから、1割はけだるく生きる。
ボーッと生きていることもお勧め。
退屈で暇、何もすることがない。
退屈な時間を贅沢な時間という。
今は贅沢な時間を味わっている。
また活力を得るために。

もちろん、ずっとけだるく生きていくつもりはない。
ずっとけだるく生きたら、人生を台無しにしてしまう。

またずっと快活に生きていくのもしんどい。
ずっと快活に生きていたら、人間らしさを失ってしまう。

快活さとけだるさを上手にミックスして生きればいい。

明朗快活な生き方は、また来年から。

来年新たな気分で頑張ろう。




今年は、皆さんコロナ禍で頑張った。

頑張りすぎて、燃え尽き症候群になった人もいるかもしれない。

車に例えるなら、エンジンがオーバーヒートしている状態か、燃料のガソリンがなくなっている状態。

こういうときは休めばいい。

美味しいものを食べて、たくさん栄養を取って休めばいい。

もうすぐ正月休みだ。

丁度いいではないか。



苦しい時の神頼み。
自分もある。
苦しいときに神頼みをしたことがある。
だが、願いはぜんぜん叶わなかった。
叶うどころか、逆に後退して悪くなった。

私だけでなく、そんな経験は誰にもあるのではないだろうか。神は無常、本当に苦しんでいる人を助けてくれない。神様なんていない。信じた自分がバカだった。

今は自分も大人になったので、苦しい時の神頼みはしない。神は神聖なものと崇めているので、神様なんていない、神様を信じないと愚弄したりもしない。ただ、神は自分の心の中にいる神聖なものとして。

私は神社の凜とした空気が風水上いいので、年に数回神社を訪れる。川越にはいっぱい神社があるから。

神社に行っても、自分都合のお願い事はしない。神は自分都合の願い事は聞き入れてくれないと分かったからだ。願い事をするのは、自分以外のみんなのこと。世界が平和でありますように、お客様が幸せになれますようにと願っている。自分のことは願わないようにしている。

神は盲目ではない。
自分のことを願っても聞き入れてはくれない。「自分のことは自分で何とかしないさいよ」といっているような気がする。そうだね、神は盲目でないから、自分のことは自分でやるしかないか。神頼みした分が愚かだった。神は盲目でないから、さらに試練を与えてくれた。ありがいたい試練を与えてくれた。

逆境は自分で乗り越えるしかない。
逆境の乗り越え方は、希望を捨てないことだ。
どんな逆境でも、希望を捨てないことだ。
希望を持ちながら、誠実に忍耐強く努力していくこと。
「希望をもって誠実に忍耐強く努力していく」これが、神が与えた人間の力、人間の基本だ。これを私たちは持っているのに、努力を放棄して神頼みに走るから、願い事が叶わないのである。

「もう一度基本を取り戻しなさい」と神様がおしゃっている。
誠実に忍耐強く努力しなさいと。

わたしは努力してきました。
苦しいことにも耐えてきました。
誠実に忍耐強く努力しても、願い事は叶いませんでした。
という不幸な人もいる。
誠実に忍耐強く努力しても、願い事は叶わなかったと。

この人に足りなかったのは、希望を捨てたこと。
どんな逆境でも、希望を捨てないこと。
希望を捨てれば、努力は水の泡となり悲観に終る。
希望持っていれば、努力は永遠に続けることができる。
だから、努力中にうまくいかなくても希望は捨てないことだ。

希望というのは、自分はこれだけやりましたと後悔することではない。希望というのはこれだけやりましたけど、結果ダメでしたということより、結果に囚われず続けることに意味がある。希望の意味は、どんな逆境でも希望を捨てないこと。途中で希望を捨てるから、努力したけどダメでしたと後悔するのである。ダメから続けるのもまた希望を復活させることになる。だから、最後まで希望を捨てないでほしい。

幸運の女神はいない。
いないから、あなたが女神になればいい。

神は盲目ではない。
神頼みではなく、あなたが人間としての素質を取り戻せばいい。
希望を持って、誠実に忍耐強く努力していく人間の基本を取り戻せばいい。



メリークリスマス。
今年はコロナ過でおうちクリマスが多いと思いますが、皆さんはどうお過ごしですか?感染拡大が過去最高を更新しながら迎えたクリマス。それぞれ気をつけながら、楽しいクリマスをお過ごしください。

クリスマスの思い出。
ここ20年、クリスマスは毎年仕事をしているので、私の方はとくに思い出はありません。どちらかというと、来年のプランを立てながらお客さんと過ごす日となりました。クリマスを恋人過ごせなかった人に「来年はパートナーと一緒だ」というプランです。

本日、2020年12月25日のクリスマス。
来年のプランを立てる人が何人いるか?楽しみです。本日はまだ1名しか予約が入っていないので、皆様の御予約お待ちしています。私と一緒に来年のプランを立てて見ませんか?年末は今年の総決算、年末に来年(未来)の構想を練ることはとても良いことだと思います。

私のクリスマス。
クリスマスの思い出は若いころにあったかな。
10代後半から20代前半のクリスマス。
恋人はいなかった。
例年、一人ぽっちのクリスマス。
寂しかったけど、いい思い出だった。
東京の安アパートで暮らすクリスマス。
わびしさもあったけど、自由だった。
また、この自由が良かった。粋で洒落ていた。
クリスマスソングを聴きながら、一人ワインを飲む。
ハードボイルドな映画を見て、男臭さを演じる。
「男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」などと言ってみる。いや~かっこいい。クリスマスは哀愁漂う一人の時間を粋がって過ごした。

あの当時のみんなは寂しかったのではないだろうか。いまのみんなも寂しいかもしれないけどね。でも、寂しいのは悪いことばかりではない。自由という素敵な時間を手にすることができる。自由を手に入れるには、孤独に強くならなければいけない。そして自分は手に入れた、孤独に打ち克つ心を。

今となっては、それが自分の人間形成を作ったのかもしれない。
寂しさに耐える力。苦しさに耐える力。
これが人様より、ちょっと強くなった。
そのお陰で今日があるのかもしれない。

孤独に強くなれば、余裕が生まれる。そして、余裕があれば寂しがって弱っている人を助けることができる。「男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」これが実践できる。

人間は何でも経験です。
苦しみも悲しみも辛さも経験です。
潰されるから、経験が生かせないのです。
生かすことです。
どんな苦しみも悲しみも辛さも生かすことです。
生かすことが出来れば、タフで優しい人間になれます。



こんな時期は誰しもある。
目標もなく生き甲斐もなく、堕落してしまった自分。周りの人はクリマスイベントで心を踊らせているが、自分はとくにない。ひとりぽっちのクリマスだ。

寂しいか?というと。
そうでもない。

若いころは寂しかったが、今はひとりぽっちの方が気は楽だ。一人で過ごすクリマスはいいものだ。クリマスソングも聞こえず、聖夜の鐘も聞こえず、ブルーライトでキラキラ光っているイルミネーションを見ることなく、冬空の下でなんとなく生きている。

なんでこんなわびしい記事を書いたか?
人生の大半はわびしいからだよ。
みんなが華やかに生きているわけではない。
多くの時間は孤独の中でいきている。
一日何もすることなく、堕落した生活の中で生きている。

では、仕事はどうか。
仕事が忙しければ、仕事以外何もすることない。
それで一日が終る。後は家に帰って寝るだけ。
ただ、それだけだ。

恋人がいなければ、休みの日は家でゴロゴロしている。
たまに出かけるのはコンビニくらい。
クリスマスケーキは買わず、コンビニ弁当を食べる。
ホットチキンを1個つけて。

なんか今日の記事は暗いね。
今日は寂しがっている人の味方。
孤独も退屈もいいよ、ノンビリできて。
でも、あんまりノンビリすると・・・。
どうかな?という気持ちになってくる。
そのときは、そのとき考えればいい。

そのとき何を考えるかで、あなたの生き甲斐が出てくるから。

生き甲斐か?
自分には何があるのだろう。
考えたけど、何もない。

なければ、ないでいい。
そのまま、一人で孤独を噛みしめながらボーッと生きればいい。
そのうち、ときが回って自分の番がくるさ。

孤独で退屈だという人は、余裕のある人だ。
生き甲斐を求めて走り回っている人ほど余裕がない。
その点、退屈な人はその気になれば何でも出来る。
何でも出来るが、今は何もやる気が起きないだけ。
さて・・・何をやろうかなという時を待っているだけ。
このまま何もやらず一生が終ってしまうかもしれない。
それでもいいよ、不安にならなければ。
これから死ぬまで余裕があるのは良いことだ。

何をやっても面白くない。
何もやる気が起きない。
逆にそれは平和だ。
あなたは平和の中で幸せに暮らしている。
まったりしたこの時間を楽しめばいい。

堕落してしまった自分、目標もなく生き甲斐もない。
人生の大半はこんなものよ。
堕落した自分を責めれば、また堕落してしまうよ。
堕落ではなく孤独を楽しんでいると考えよう。
そのうち堕落にも飽きてくるだろう。
飽きれば、また何か活動を始めるさ。

活動すれば、メンドクサイ目標が、メンドクサイ恋愛があなたを待っている。あなたの思考をかき乱し、あなたを不安に陥れ、来る日も来る日もそんなことばかり考えてしまう余裕のない生き甲斐があなたを待っている。

人間には活動期と休止期がある。今は命の洗濯の休止期。またメンドクサイ活動期があなたの生き甲斐となって訪れるだろう。だから、今のうちに休んでおきなさい。



時代とは社会に任せるものではない。
政治や経済などの社会情勢に任せなくいとも、自分で時代を作ればいい。
一度しかない自分の人生。自分で時代を作ればいい。

そこまで粋がらなくとも、自然と時代は作れる。ただ、その流れに乗っていけばいいだけのことだ。時代の流れに乗るのを悪い意味でいっているのではない。怠惰な流れではなく、やるべき努力をしながら時代の流れに乗ればいい。自分は真面目にやっている、それでいいではないか。そうすれば、自分の時代は自分で作れる。

若いときは苦しかった。青春とはいつの時代も苦しいものだ。青年期になっても中年期になってもこの苦しみは続いたが、今思い起こせばそれで良かったと思っている。真面目に生きていれば、必ず自分で時代を作れるからだ。

自分は、その時代の主人公だった。
楽しいこともあれば、辛いこともあった。しんどくて辞めたいときもあれば、妙にハマって一生懸命になったときもあった。楽しかった、苦しかった、生き甲斐を感じた、やる気がなくなった、幸せだった、不幸だった、喜んだ、悲しかった。最後に残ったのは、みんないい思い出だ。いろいろあったけど・・・自分はその時代を生きていた。

いま、あなたが苦しんでいるのなら。
時代は変わるから、もう少し踏ん張ってみては。
なに?もう踏ん張れない。
ならば、辞めて次の時代に進んだら。
時代とは、苦しみが終って進むものだよ。
君の苦しみはここで終了。
それでいいじゃん。
ご苦労様。

しばらくは失った悲しみが続くけど、でも大丈夫、時代は変わるから。
また、あなたは新しい時代の主人公になれる。
今度はどんなドラマが待っているか、楽しみだね。
いいドラマを作るためには、ときを味方につけることだね。
そうすれば、自分にぴったりあった時代を作ることができるよ。

時代が終ることを恐れてはいけない。
逆にワクワクするくらいで丁度いい。
楽しみだね、次の時代が。