ホーム > カテゴリ: 人生哲学
成功するためには必要なことは何でもやること。
KZ190105003_TP_V1_20191106084318a74.jpg

それがなかなかできない。
成功するためには必要なことは何でもやること。頭では解っているが、それがなかなかできない。なぜできないか?それをやるにはしんどいからだ。人間はしんどくて疲れることはあまりやりたがらない。

できれば楽して儲けたい、楽して願いを叶えたいというのが人間の心の中にある。これが人間の本質かもしれない。人間の本質は怠け者だ。怠け心は誰しも持っている。

この怠け心はとても頑固で、とても強情でとても強固だ。この怠け心は努力のすべてを否定する。努力しても無駄、努力しても報われない、だから努力はやめよう。今の時代は努力する時代ではなくいかに楽をするかだ。もうやめよう昔の大人みたいに努力することは。努力、努力といっている奴は頭の悪いバカだ。古臭いじじいだ。などと叩かれる。

成功するためには必要なことは何でもやらなければならないのに、努力はバカがすることだと言われたら努力する気が起きない。やっても無駄となるからだ。何の保証もない努力はバカかがすること、そのように叩き込まれると必要なことはしなくなる。

必要なことをしても、これをやればうまくいく、これをやれば成功するという保証はない。
保証のないもののに人間はやる気が起きない。こうすれば確実にうまいくよというものがなければ人間はやる気が起きない。なぜやる気が起きないのか?人間はすぐに結果を求めるからだ。

「人間の進歩は実にゆっくりしている」と言われても、冗談じゃない、私には時間がないの、私にはタイムリミットがあるのといって、その考えを受け入れない。今の子たちは保証を求める。すぐにいいい結果が出るという保証を求める。だから、すぐに結果の出ない必要なことはやろうとしない。

確かに、必要なことをやっても良い結果に結び付くとは限らない。
努力は無駄に終わることもある。これがいいと思って行動したことが裏目に出ることもある。必要だと思って何でもやったが、全部裏目に出て全部失敗した。自分は何をやってもうまくいかないということもあるだろう。何やっても裏目に出る。何やっても失敗する。人にはこういう時期がある。これは運の悪い時期という。この運の悪さが続くと人間はだんだんやる気がなくなる。そして努力を放棄するようになる。

そして、努力を放棄すれば苦しみが待っている。
これはとても厄介だ。この苦しみは長く続くからとても厄介だ。そして人はこの苦しみを長く続かせるために妥協に入る。妥協は始末に負えない苦しみを長く続けせるための精神状態かもしれない。

不思議とこの世界にいると苦しみが長く続く。なぜ長く続くか?妥協でもって苦しみを中和するからだ。そして不思議なことが起こる。よくもまあ、こんな時間に長く居られるものだ。よくもまあ、こんな状態で生きていけるものだという不思議な生活が長く続く。人間には底力があり、苦しい状態でも妥協で中和しながら長く生きていけるのである。貧困にあえぎながらも生きることができるのは、人間が持っている底力があるからだ。

でも、その生活は長く続かない。苦しみの妥協の生活が長く続くわけがない。そこから希望を見出す。この苦しみから抜け出す希望を。それはいつになるか解らない。解らないけど、人間はここに来て努力を始める。努力を放棄して苦しみを味わった人間は、もう努力することをバカにしたりしない。いつかこの妥協による苦しみから抜け出してやると思うようになる。そのためには努力が必要だと誠実に感じるようになる。

苦しみは目標を見つけるためにある。逆境の後にはそれ以上の幸福になる種子が含まれている。人は苦しみによって何かを見つける。そういった言葉の類は、みんなそこから来ている。あなたにそれを気づかせるように神が試練を与えたのだ。だから負けてはいけない。今からその試練に打ち克つのだ。


まとめ
試練に打ち克つには動くことです。
さあ、動こう!
必要なことは何でもやろう。
明朗活発に何でもやろう。
これをやったらうまくいくの?などと考えずに、あなたが必要だと思ったことは何でも活発にやろう。
後のことは考えなくていい。勢いよく必要なことは何でもやればいいのだ。

そのうち、必要なことが淘汰されていくだろう。
淘汰されれば、これを習慣とすればいい。
習慣になれば、必要なことは何でも手に入るようになる。





誰もが抱える不安。
不安は、仕事のことだったり、恋愛のことだったり、結婚のことだったり、家族のことだったり、人間関係のことだったり、お金のことだったり、病気のことだったり、老後のことだったり、不安の根拠は枚挙に遑がない。現代人は闇夜のごとく不安を抱えている。
KAZ20181201000.jpg

不安の退治方法は、以下の3つからなる。
1、自ら湧きあがった不安の退治方法。
2、他人から伝染した不安の退治方法。
3、すべての不安を一気に退治する方法。
この3つの答えを一気に書いていく。

1、自ら湧きあがった不安。
人間は考える葦である(パスカル)人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で 最も弱いものである。だが、それは考える葦で あるから。弱い人間が考えすぎるから不安になる。考え方を建設的に考えれば不安にならないが、非建設的な悪いことばかりを考えると不安になる。

だから、不安になる考えをやめよう。やめ方は簡単だ。建設的に動いて自分を忙しくすればいい。考える暇がないくらい忙しくすればいい。忙しくする方法は分単位の目標を持つことだ。朝起きたら歯を磨いて洗面する。通勤電車の中で本を10ページ読む。建設的な目標を1日を通して分単位で行えばいい。とにかく暇を作らない、そうすれば余計な考えは入らなくなる。

自ら湧きあがる不安は、うまくいっていない事柄から起きる。うまくいっていないものは厄介だ。だが、それは今すぐに解決できるものでない。今すぐに解決できないものを悩んでもしょうがない。あなたはすでにこの解決に向かって努力している。必要なのは忍耐と根気だけ。あなたは必要な忍耐と根気を養うため、建設的な前向きな行動だけを今は取ればいい。

だが油断は禁物。大丈夫だろうと安心せず、うまくいっていない事柄を真剣に考える必要がある。一日の終わりに30分間だけ考える時間を与えよう。この考えは不安と向き合い、大丈夫だろうと遊ぶためではない。不安と向き合い、ネガティブになるためでもない。不安と向き合い、どうすれば良くなるかと建設的に考えるためだ。いろいろ考えて前向きな考えが出たら、そこでやめること。

最後に不安は自らの戦いだ。自ら湧きあがった不安は自分の責任で退治しなければならない。あなたの不安を他人が請け負うことは絶対にない。あなた自身で建設的な考えを日々入れて解決していくしかない。自分の前向きな考えを信じて解決していくしかない。


2、他人から伝染した不安の退治方法。
人間は他人の言葉に左右されやすい。他人から伝性も厄介なものだ。不安から立ち直るために苦労して、やっと前向きになれたのに、他人と相談して不安が蘇り、逆戻りして前向きから後退してしまったという経験は誰しもあるだろう。他人からの否定は不安を蘇らせるためにもあるからだ。

他人に悪気はない、きっとあなたのためと思って言ったと思う。だが、あなたはその言葉で傷ついた。なぜ傷ついたか?なぜ不安が逆戻りして蘇ったか?それはあなた自身の心がまだできていないからだ。不安の中にいる人は、ちょっとした言葉に反応して傷つく。自分の意に反する言葉を言われると「やっぱりそうか・・・」と神経質になって過敏に反応する。

過敏に反応すれば、不安の最中にいる人はすぐに物事を悪く考える。深く細かく悪く考える。悪く考えれば心は自爆するように出来ている。自分で自分の心を台無しにする。他人の意見には否定的なものもあれば、叱咤激励もあり、あれて試練を与えて方向性を示すものもある。他人と相談するときは、その心構えが出来ていないと相談をしてはいけない。

他人と相談するな、とはいっていない。心構えを作って相談しなさいといっているのである。心構えさえあれば、否定的な意見にも対処できるだろう。否定的な人とは次から相談しなければいいだけだ。そういう友達がいたら、その友達とは二度と彼の話はしないことだ。それでも聞かれたら?オブラートに包んで嘘の物語を話せばいい。

中には良き相談相手もいる。自分の嫌な相談も共感できて前向きにしてくれる人だ。その友人はあなたのことがよっほど好きなのだろう。その友人は大切にしなさい。相談者は選ぶこと。自分の意に反する否定はしないこと。自分の悩みを軽減してくれてやる気を促してくれる人。相談して心がすっきりになれば良き相談相手だ。

まとめ。
3、すべての不安を一気に退治する方法。
自ら湧きあがった不安であろうが、他人から伝染した不安であろうが、克服するのはあなた自身だ。
あなたは不安のことを考え過ぎてもいけない。また不安を放置してもいけない。
建設的な考えの元に不安を退治すること。そのために不安を退治する目標を見つけること。
不安を分析すれば、何が原因だったのか?やがて解るようになる。
分析した結果が完全に解るまで、必要だと思うことを片っ端からやればいい。
忙しくやっていれば、ネガティブな考えは入らなくなる。
暇を見つけるとネガティブな考えが入るので、暇を見つけないように。
建設的な活動を分単位で行おう。

これって疲れない?
不安のことを一日中考える方が疲れる。
どうせ疲れるのなら、建設的な活動をした方がいい。
不安から脱出する糸口を見つけるには、建設的な活動を続けること。
そうすれば、不安があなたから逃げていく。


不安があるから人間は成長できる。
shinagawa197161495_TP_V.jpg

止めどもない将来の不安。不安のことを考えるのをやめようと思っても、不安は次から次へと湯水のごとく出てくる。繊細に神経質に胸がきゅーと締まるくらい出てくる。早くこの状態から脱出したいので開き直って別のことをする。仕事をして、運動をして、晩強してみるが、不安の解消法は一時的なもの。行動が止まれば、また不安はぞくぞくと心の片隅から出てくる。にっちもさっちもいかない不安をどう退治していいかわからなくなる。

そこで、不安について考えてみた。不安を不安なことと考えるからいけないのだ。不安は人が成長するために必要なもの、不安があるから人間は成長できる、そう考えるようにした。そう考えると、不安がない人は成長が止まった人。平和で安楽な生活に身を置いている人は、生き甲斐がなく生きる屍だ。不安のない人生なんてあの世にいってからでいい。自分は生きている間、不安と戦う。不安なくして成長はあり得ない。この不安をずっと持ち続け、戦いながら自分を成長させていく。



不安は自分を叱咤激励してくれる友人だ。
この友人は容赦しない。この歳まで随分頑張ったのだからもう勘弁して、といっても容赦はしない。歳関係なく、歳に見合った分の試練を与える。怠けるな!サボるな!と心に冷たいきついムチを与える。おいおいオレはもうそんな苦労はしたくないといっても、生きた年齢に見合った苦労を与える。気力体力が衰えても不安は容赦しない。

なぜこんな苦労を自分に与えるの?と不安に聞けば、あなたを生かすためさと答える。おいおい冗談じゃないぜ、オレを生かすためにオレをいじめるのか?

「いじめではない、あなたにもう一度若さを取り戻すための教訓を与えているのだ」。なんだそれ?考えてみなさい、安楽を覚えた老人の姿を。何の目標もなくただボーッと家でテレビを見ている姿を。日がな一日を公園のベンチでごろ寝している姿を。活力がなくただお迎えが来るのを待っている姿を、あなたはそうなりたいのですか。

うむ、確かに、ああはなりたくない。あれになるのはもっと先でいいかな。生きている間は活力にみなぎっていたい。だから友人としてあなたに不安を与えているのだよ。ええ!不安がオレの友人?そんなの欲しくないね。だってあなたは叱咤激励ばかりで、ぜんぜん安心感を与えてくれないではないか。そうワタシはあなたに安心感を与えない。常に心配の種ばかり与える。その心配の種が次から次へと不安を生み、あなたに休みを与えないようにしている。

なんという意地悪な友人だ。こん畜生と思わないでいただきたい。ワタシはあなたの友人だが、あなた自身でもあるのだよ。


 まとめ
安楽な生活に希望はない。
不安とは、楽な生活はするなと己を戒め、自ら不安を引き受けているに過ぎない。思い起こせば、安楽な生活に希望はない。不安のない生活は何も生まれない。夢も希望も目標も生まれない。達成感のあるゆとりの生活など、生きる屍だ。人間は達成感のあるゆとりの生活を目指すが、それは死んでからでいい。

生きている間は不安と戦いながら努力するべし。心配事の種が尽きない方が人間は頑張れる。不安があるからこそ技術と学問と精神力を鍛える。悩みがあるからこそ生きている証拠。心配、不安、悩みがなくなったら人間は生きる屍だ。だから安楽な生活には何の希望もない。希望があるのは不安と戦っている姿だ。不安を打ち負かす努力こそが人生の生き甲斐となる。

不安に負けたらまた戦えばいい。不安のない人生はつまらないとともに、失敗のない人生もつまらない。安楽な生活ほどつまらないものはない。だからいいのだ。このままの不安の状態で。まだあなたは戦えるから幸せだ。逆境の中にこそ生き甲斐がある。不安は自分を成長させる道具に過ぎない。逆境の中にこそ生き甲斐がある。不安とは自分を成長させる道具だ。


妄想はやめた。
妄想は楽しいが、良いことは何ひとつない。ただ、無駄な時間が過ぎるだけ。一日どれだけ妄想に時間を使ったか?今まで生きてきた人生でどれだけ時間を使ったか?考えると恐ろしい。どんだけ時間を無駄にしたか?考えるだけで嫌になる。もはや時間は取り戻すことができない。空想は雑念になり、妄想はやがて悲劇的な人生を送る。なにの人々は妄想する。あくなき時間を妄想に充てる。自分が悲劇の人生に向かっていることを知らずに。やっと私は気づいた。この時間は無駄だったと。このブログを読んでいる読者も気づいてほしい。妄想は時間の無駄だと。だから、私は妄想はやめた。これからは現実の問題に直面して生きていこうと思う。自分の力量に嘘をつかず、自分の力量を過大評価の妄想で膨らませず、過去の過ちを妄想で正義とせず、あのときあーすれば良かった、こうすれば良かったと考えず、過去に戻ればこうなったと過去を巻き戻すことなく、現実に直面して生きていくことを決めた。

今となっては妄想は楽しくない。だからやめることにした。妄想で想像力を発揮して大成功をした人がいる。あれは嘘だ。妄想が想像力に変わることはない。想像力は直面の現実の課題にある。現実の課題に真摯に向き合うから想像力が生まれるのであって、現実に直面していない課題はいくら妄想しても物事は解決しない。ただあきらめているだけなのだ、妄想に逃げることによって。



妥協することもやめた。
妥協とはやる気がなくなってあきらめること。だから妥協することをやめた。
「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」とは違う。この心理は、あきらめることでうまくいく心理であり妥協とは違う。自分の方向性を決めるとき、やれることはとことんやって、それでも無理だと感じたときはあきらめることでうまくいくこともある。「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」は方向性を変えるときに使う言葉で妥協とは違う。妥協とは自分がやる気がなくなって、妄想にふけて、なにも努力せず、「自分はこのままでこれでいいや」とあきらめてしまうことをいう。少しは努力したかもしれないが、妄想にふけるがあまり、悩みばかりが増えてしまい、不安に押しつぶされるのが怖くてあきらめてしまった。つまりやる気がなくなってあきらめてしまったことを妥協という。「自分はこのままでいいや」、多くの人がその言葉を発するが、妥協でないかよく考えてほしい。自分は努力もなしに妥協したくないので、妥協するのはやめた。まだチャレンジをしたいからです。



怠惰怠慢をやめた。
一日中怠惰怠慢のときがあります。とくに休みの日はそう。一日中寝たり、ずっとテレビばかり見ていたりします。アマゾンの映画が好きで、ユーチューブの動画も面白く、気つけば5時間ほど、テレビやパソコンの画面に陣取って居座ったりします。目が疲れます。頭も痛くなります。それでもやめられない怠惰怠慢な生活、これをやめることにした。もうテレビは見ません。それは嘘です(笑)。見る時間を休みの日に2時間ほどにします。余った時間を何に使うのか?それはまず休むことの休養です。そして体力作りと知的好奇心を高めることです。最近本を読み始めしたが、以前よりうんと少ないことが判明しました。楽して油断していたのですね。これだけの経験と知識があれば、まあいいかなという油断です。油断は怠惰怠慢を生みます。人は人生の半分をボーッと生きているともいわれています。妄想、妥協、怠惰怠慢で貴重な人生の半分を無駄に過ごしています。この時間は娯楽というより怠けです。怠け者は不幸になる格言に従えば、自分は不幸にはなりたくありません。この時間をもっと充実させたいと思います。だから、怠惰怠慢になることをやめました。




思いっきり環境を変えて良かった。
最初は不安だったけど、まだ不安は続いているけど、やがてこの環境に慣れて自分は新しいスタートが切れるだろう。


思い起こせば、引っ越ししもそうだった。
田舎から東京へ。東京に来たときは、憧れだったけど、果たしてこの地でやっていけるのかと不安になった。東京は田舎と違って無機質。建物も人も空気も無機質。道は異常に狭く、一方通行が多く、変な異臭がする、これが都会の臭いか。ごちゃごちゃした商店が所狭しと並んでいる。買い物はまるで満員電車並みだ。行き交う人には活気があって欲しいものは何でも揃っている。田舎にいるときはスーパに買い物に行くのに徒歩20分かかったけど、東京では徒歩3分でスーパーに行ける。しかも田舎より品数が多くて豊富だ。またおしゃれだ。その代わり家賃はべらぼうに高い。古びたアパートで6畳一間で1ヶ月の家賃が73000円。田舎なら駐車場付きの新築の一軒家が借りられる。東京の家賃は神奈川の2倍、埼玉の3倍だ。自分はこの街に住む。大都会に。新宿や渋谷ではない。目黒の私鉄沿線沿いだ。引っ越しは大きく環境が変わる。それは何を意味するものか、新しい旅立ちを意味する。環境を変えて良かった。

失恋も環境を変える大きなチャンス。
好きな子にフラれた・・・失恋は人生で最も過酷な瞬間である。目の前がホントに真っ黒になるのを覚えた。頭がパニックで真っ白になるのも、そのとき始めて経験した。今まで抱いていた淡い期待も淡い夢も淡い希望もすべて失ってしまった。今までいたものがいなくなる。今まで手にしていたものがなくなる。人間は愛を失うと生きていけない。失恋後は誰しもそういう心境になる。もう二度とこんな素敵な女性に出会えない。なのに自分はなんてバカなことをしたんだ。こんな結果になるとは思わなかった。こんなはずではなかった・・後悔と反省でむせび泣く。未練たらしい嫌な男の時間が長く続く。長い長いやるせない未練のあと、新しい出会いを求めて環境を変える。環境を変えれば、「いた運命の人が」でも、これは運命の人ではないかもしれない。だが、これから運命の人になる。歴史と時の長さの愛が運命を形作る。失恋は大きく環境を変える。新しい運命の出会いのために。

転職も大きく環境を変えるチャンス。環境を変えれば天職が見つかる。
自分は気が小さく職を失うのを最も恐れる人間。たぶん男はみなそうだろう。男は仕事を失ったら生きていけないからだ。自分も過去に3度転職した。1個1個の転職、仕事を失う瞬間を思い出すたびに今も胸が苦しい。当時を思い出せば、ちっぽけなネガティブ人間になるので、今は思い出さないようにしている。人間過去を思い出せば、過去の嫌な部分に引き戻され、その時点で後退するからだ。男の失職は失恋より辛い。これ以上の生き地獄はない。これを3度経験した。お陰でずいぶんたくましくなった。そんな気がする。よくもあ、あのブラック企業で耐えたな。あそこであれだけ耐えることができればどこに会社でも通用するさ。これを励みに仕事の環境を変えた。そうするとどうなったか?環境を変えて良かったという結果になった。自分は転職のたびに成長している。収入も上がってきている。嫌な仕事を我慢強く続ける必要がないことが解った。なのに気づくのが遅かった。ブラック企業の会社2つをそれぞれ15年以上続けたからだ。もっと早く辞めておけば良かった。気が小さかったのだ。でも、まあ。それが今日生きているかな。3度目の仕事で運命の出会いがあったからだ。天職という仕事に。

今にしてみれば、環境を変えて良かった。
自分はそう思う。

今あなたがいろいろ悩んでいるのなら、これは環境を変えるチャンス。
思いっきりよく環境を変えなさい。
環境を変えるのは「思いっきり」が大切。
そうすれば新しい道が拓きます。



いつまでも迷っている人がいる。
いつまでも悩んでいる人がいる。

それは誰のことですか?
それは、あなたのことです。
そして、私のことです。
そしてさらにそれは、人間のことです。

人間という生き物は、いつまでも悩みの中にいて、いつまでも迷いの中で彷徨っているものだ。まあ、それが人間だから仕方がないと解釈もできるが、逆に人間だからこそなんとかなるではないか。なんとかなる方法は、心をコントロールすることだ。心のコントロール方法を私なりにいろいろ調べてみて、一番いい方法が中村天風先生の教えにあった。「人間は心でも体でもない、人間の正体は気体だ」この教えに従えば確かに心はコントロールできるようになる。自分で試して実際にそうなった。

先生の教えを紐解くと。
迷っているのは自分の心が迷っているだけ、自分が迷っているわけではない。悩んでいるのは自分の心が悩んでいるだけで、自分が悩んでいるわけではない。自分の心と体を道具のように使えば、迷いも悩みもなくなる。


人間の正体は気体だ、心でも体でもないという教え。
とても強いメッセージだが、気体とはなんだ。

ここから先は、私(沖川)独自の解釈となります。
気体とは宇宙と繋がった自分自身のことを指す。
宇宙は天にある。
天は上にある。
つまり、気体とは上から(高い見地から)自分自身を客観的に見て判断する能力のことをいう。上から見た自分が下にいる自分の心と体を冷静に客観的に見て、正しい方向にコントロールすることをいう。これが、創造主から与えられた人間の力である。気体(上)から見れば、心と体は下界のざわめきごとに過ぎない。汚れた心が感情的になって騒いでいるだけに過ぎない。体も動物のような欲望で汚れた心に支配されているだけに過ぎない。汚れた心から起きている感情に支配された心と体をコントロールするのが、気体という宇宙と繋がった創造主の自分の役目である。

これで、頭で考えたことを実行しなさいという意味が解ったと思う。
頭で考えたことは、あなたの思考が考えたこと。思考とは天から授かった創造主の考え。あなた自身もそのことはなんとなく解っている。頭で考えたことは、ただ闇雲に考えたものではないことを。でも、感情がついていけないという。でたね、「頭では理解しているが、感情がついていけない」という言葉が。この言葉をいつまでも後生大事にして、いつまでも守っているようでは、あなたはいつまで経っても悩みと迷いの世界から抜け出すことができないよ。

人間は感情の生き物だ。
それは認める。
だが、感情と思考が正反対では困ることになる。
感情と思考が一致していないから、あなたは迷って悩んでいるのである。
感情と思考が正しい方向に一致して人間が人間らしく生きられるのである。
だから、感情と思考を一致させること。
一致させるには、汚れた感情は正しい思考で成敗することに限る。
あなたは今の自分の汚れた感情を、自分の正しい思考で成敗できるのか、それによってあなたの将来の運命が左右する。

将来良い運命にするためには、
思考よ、汚れた感情に勝利せよ。
汚れた感情に勝利し、正しい感情に導くこと。
天(上)から見た思考で、迷っている心を、悩んでいる心を、正しい方向に導くこと。
神は人間に考える力を与えました。
この力を最大限に発揮してください。




本日5月1日(水)は、私の誕生日。そして令和となる。
昭和、平成と生きてきて、ついに新元号の令和となった。
自分の誕生日から始まった新元号は、心引き締まるものがある。
清々しい凜とした気持ちで令和を迎えたい。

自分の人生を振り返ってみて。
「まあまあだった」これが振り返った感想。
自分の人生はまあまあだった。普通の感想だがそれで自分は満足している。

挫折はあったか?
あった。
大きな挫折は、昭和で1回、平成で2回あった。
どれも仕事の行き詰まりによるもの。
仕事の行き詰まりが挫折?
こんなことで?と思うかもしれないが、男は仕事が命だからしょうがない。
男は、仕事を失えば生きていけない。
仕事を失う心境は、失恋よりもたちが悪くなかなか立ち直れない。
失恋は数ヶ月で立ち直れるが、失職は立ち直るのに数年かかる。
この長きに渡る煩悶とした時間が挫折期間。
思えば辛かった。
また辛かった期間があったからこそ、自分の人生はまあまあだったといえるようになった。
「よく乗り越えたな」と自分を褒めることができるから。
乗り越えたからこそ今日がある。だから、まあまあの人生だった。

どうやって挫折を乗り越えたか?
1回目の挫折は若かったせいか、挫折の乗り越え方は分らなかった。知識も経験もなく、ただ必死にもがいた。もがいた結果、若さの勢いもあって何とか乗り越えた。若さの特権は気力も体力も十分にあり、家族を養える給料さえもらえば仕事は選ばないでいいこと。土・日の休みなどいらない。ブラックでもなんでもいい。家族さえ食べていければ贅沢はいらない。犯罪以外の仕事はどんな仕事でもやるつもりで職を探した。その考えで就職したので、それでなんとかなった。就いた仕事は家族を養える給料をもらえたが、年間の休みは普通の企業の半分以下で勤務時間も相当長い。まさにブラック、しんどかった。だが、1年もすれば体が慣れてしまった。どんな仕事も1年もすれば体が出来上がり精神力もつく、そのときそれを覚えた。若いときは生きる哲学は必要としなかった。ただがむしゃらに働くだけでよかった。

2回目の挫折のときは、哲学が入ってきた。
自分は何のためにこの世に生まれたのか?という哲学。
もう若くはない。
壮年期を迎えた自分はどうやって生きていくか、そればかり考えていた。
自分の生き方を求めて煩悶とする時間ばかりが過ぎていく。
長く永遠と思われる煩悶が、何も見出せないまま漠然と過ぎていく。
人生は、青年期・壮年期・老年期と生き方が違ってくる。
それぞれの危機を乗り越えて人は大きく成長する。
壮年期の挫折から自分に哲学が入ってきた。
哲学は煩悶から生まれた。
煩悶はピンチだが、じっと耐えて努力しているとチャンスに変わる。
チャンスに変わった哲学によって、自分は挫折を乗り越えることができた。

3回目の挫折も哲学で乗り越えた。
生きる法則の哲学を覚えたお陰で、自分の人生はまあまあの盤石なものになった。
この哲学(生きる法則)は今も生かされ、未来も生かされるのは間違いない。
こう思うようになった。


この仕事に就き、令和を迎えた。
令和の心構えは、自分で見つけた哲学(生きる法則)を自分だけのものにするのではなく、世に広めること。これが令和の私の心構えとなった。


皆様にとっては余計なことかもしれない。
なんで沖川の法則を私たちが学ばなければならないのと。
余計なこと、迷惑だったらごめんなさい。
必要でなければ、このブログは外してください。
でも、ここではたくさんの人が悩み、この哲学を必要としている人が大勢います。
自分はそれを肌で感じています。
自分の経験が良いかどうか、皆さんにとってためになるかどうか分りませんが、令和の心構えとして、私は法則を遂行していきます。今までも沖川の法則を記事に記してきましたが、さらに進化して、より深く、皆様の心に届けようと思います。お付き合いくだされば幸いです。



「このブログを読めば、それなりに成功できる。」大袈裟なタイトルだが、今朝目覚めたら私の意識がそのタイトルを書くように指示した。私の直観かな。朝5時に起き、新鮮な空気のもとに散歩に出かけ、頭をリフレッシュして家に帰り、机に向かってパソコンの前に座ったとき、このタイトルが浮かんだ。「このブログを読めば、それなりに成功できる。」大袈裟かな、自慢かな、自惚れかな、自分を何様だと思っているのだ、このタイトルが傲慢では?などという気持ちはさらさらない。自然に出てきた。自分の潜在意識の直観で。自然に出てきたものだからしょうがない。

ブログを書き始めて14年。
思えばそれがテーマだったのかもしれない。
「このブログを読めば、それなりに成功できる。」
それだ!
それを目指して、私は14年間ほぼ毎日ブログを書いて来た。
10年以上毎日ブログを書ける人はそうそういない。
みんな途中でへこたれてしまう。
成功するコツはへこたれないで続けること。
「継続は力なり」私は身を持って示してきた。
だから、「このブログを読めば、それなりに成功できる。」このタイトルで間違いない。

このブログを読めば成功できる。
このブログを読めば、恋愛がうまくいき、結婚生活がうまくいき、仕事がうまくいき、人間関係がうまくいき、健康で豊かで幸せな人生が手に入るようになる。成功できるとは、分相応のもの。決して高望みではない。人間は自分の器の分しか成功できない。自分の実力の分しか成功は手に入らない。大きな成功を収めたいのなら自分を大きくする努力を賢明にすればいい。燃えたぎるような情熱で人の2倍3倍働いて不眠不休で努力すればいいだろう。志を大きく持てば、人間には力があるので、それに見合った心と体ができてくる。それに見合った心と体ができれば、大きな成功も夢ではない。ここで目指しているのはプチ成功。スーパー偉人たちのような成功ではなく、誰にでもできる成功を目指している。

「成功」という言葉が嫌いなら、「幸せになれる」でいいだろう。
誰しも幸せになりたいはずだ。
このブログを読めば、幸せになれる。
このタイトルに変えてもいい。

だが、私は男だ。
「幸せ」という言葉はこちょばゆい。

なんか・・・女っぽくて嫌だ。
男が使ってはいけない言葉のように感じる。
やはり男は「成功」だ。
成功哲学だ。成功法則だ。
これが男っぽくて良い。この方が好きだ。
だから、タイトルは「このブログを読めば、それなりに成功できる。」にする。
ワガママでごめん。

というわけで、私の今朝の直観の独り言。
お付き合い頂き、ありがとうございました。


「このブログを読めば、それなりに成功できる。」
今朝の直観とはいえ、こんなたいそうなタイトルつけていいの?
という心配はしていません。
どうやってみんなを成功に導くの?
という心配もしていません。
なぜなら、ずっとこんな調子で書いてきたからです。
私が書いた記事、ひとつひとつには何らかの成功法則があるからです。
読む人は読むし、読まない人は読まないでしょう。
だから、ぜんぜん気にしていません。
ただ残念なのは、読まなかった人。
せっかくこのブログが人生の成功法則の佳境に入るのに、読まないと損すると思います。
きっと、何らかのタイミングで読まなかったのでしょう。
でも、ご安心ください。
このブログは逃げやしませんから。
数年後にまた機会があれば読んでみてください。
きっとあなたの何らかの役に立つはずです。



人間はどうでもいいことでクヨクヨ悩む。
悩みのほとんどは、どうでもいい小さなことばかり。
よくもまあ、次から次へと思い出して悩むものだ。
悩みの大半は過去の出来事から来ている。
未来の不安も、過去の悩みが中心となって起きている。

人間とは過去に生きている生命体なのかもしれない。
だから、過去を思い出して悩む。ポジティブな過去もあっただろうに、思い出すのはネガティブな過去ばかり。ポジティブな過去は3%で、ネガティブな過去が97%。過去の思い出は、こんな構成でできている。この比率は私の直観によるもので、科学的な統計はない。だが、大体こんなものだろう。皆さんのお話を聞くと、97%がネガティブなお話ばかりだからだ。ああ、人間とは過去に生きている生命体なんだな・・・というのが、この仕事をしてみれば分る。

人間は過去の煩悶(はんもん)に支配されている。
煩悶を今の言葉に訳すと(モヤモヤ)である。
人間は過去のモヤモヤに支配されている。
このモヤモヤが今も出てくる。
外に出れば、晴れた4月の爽やかな季節なのに、自分の心は晴れていない。
いつも曇っている。モヤモヤと。
こんないい天気なのに、心が晴れない。
なぜ心が晴れないのか?
心の中にいつもモヤモヤが残っているからだ。

よく考えれば、この悩みは大したことない。
今を生きるのに何ら支障はない。明日をしれない重い病気を持っているのならともかく、あなたはそれなりに健康だ。また明日を知らない重い病気を持っている人の方が、健康な人より達観した覚悟を持っているので悩みはそれほどないかもしれない。それに比べて健康の人の方がよく悩む。どうでもいい小さなことでクヨクヨ悩む。あなたは健康だ、あなた次第でこれから良くなるという希望を持たないで、ただいたずらに悩む。どうでもいいことをただ悶々と悩む。よく考えれば、この悩みは大したことない。これを自覚するべきなのに、自覚ができていない。

どうすれば、この悩みは大したことないと自覚できるか?
私のやり方を教えよう。

私だってモヤモヤはたくさんある。
モヤモヤは日によって違う。
昨日は好調でも今日は不調だということはよくある。
また今日一日でも、好調と不調の波(経時変化)がある。
朝の7時から10時までは気分良かったが、10時5分にふと嫌なことを思い出して午後12時までモヤモヤすることがある。追い出し方を知らないとモヤモヤは頭にはびこる。頭にこびりついて、このモヤモヤが嫌なドラマを作る。ネガティブドラマが楽しいのかどうか分らないけど、いつまでも頭の中で演出され途切れない。さらに自分が監督となってネガティブドラマの指揮をとっている。自分が監督だからやめられない。だから、いつまで経ってもモヤモヤが頭の中から離れない。

そこで考えた。
どうやってこのモヤモヤを退治しようかと。

まず、人間には煩悶(モヤモヤ)はいらないこと。
モヤモヤしている時間があれば、他のことに集中すること。
他のことに集中するためには意志を使うこと。
意志は気を入れて打ち込めば強化される。

だから、今は何事も気を入れて集中してやっている。
そうすると他のことは考えないで済むので、モヤモヤは入り込まない。

さらに、次元の高い考えを取入れること。
目標ができたら、あとは潜在意識に任せる。
目標は顕在意識に任せない。顕在意識に任せるとモヤモヤばかりが出てくる。
だから、目標ができたら、あとは潜在意識に任せることにしている。
これをやって、モヤモヤが消えた。
不安も恐怖もなくなった。
「目標ができたら、あとは潜在意識に任せる」これが私の今の最高のやり方です。




「ボーと生きてんじゃねーよ」これが意志の使い方だと前回説明した。
今回はこの続き。
意志とはなんだ?意志とは集中することだ。
だから、「ボーと生きてんじゃねーよ」は正しい。

そして、何事も気を入れてやること。
仕事も勉強も家事も、車の運転も、自転車に乗っているときも、歩いているときも、スポーツのときも、体を動かす運動のときも、本を読むときも、人と会話するときも、思考を活用して目標を立てているときも、具体的な計画を立てているときも、今日一日やることすべてに対して真剣に気を入れてやることだ。それじゃ疲れるのではないか?それが、以外と疲れないだよね。気を引き締めてやることはそんなに疲れるものではないよ。ボーッとやろうが、気を入れてやろうが、疲れることに大差ない。慣れてしまえば、ボーッとやった方が疲れるし、気を入れた方が疲れない。

それよか「ボーッと生きている方が大変なことになる」。あとからどんどんと疲れることになる。人間の疲れの原因は心の内側から発生していることが多い。つまり心の病だ。心が病めば、ちょっとしたことでも疲れやすくなる。階段を上って疲れ、仕事をして疲れ、うまくいっていない彼とデートして疲れ、酷くなればご飯を食べて疲れ、睡眠して疲れることになる。疲れは生命の危機、人間の生理現象さえ狂わすことになる。だから、ボーッと生きていると大変なことになる。気を入れて生きた方がいい。

正しい心の使い方は、何事も気を入れてやること。
これができない人は、心を正しく使っていないことになる。
気を入れると疲れることばかり考えているから、気を入れようとしない。
ただ、楽をしたいことばかりを考えている。
まあ、リラックスすることはいいことだ。
疲れたら休めばいい。
仕事から帰ったら3時間も4時間もテレビを見ればいい。
あるいは、3時間も4時間もスマホのゲームをすればいい。
どうだ、リラックスできたか?疲れは取れたか?
中にはリラックスできた、疲れが取れたという人もいるだろうが、大半の人は「逆に疲れた」という人の方が多いのではないだろうか。
少なくとも、向上心を持っている人はそうなるはずだ。
向上心を持たない人は疲れないが、向上心を持った人は疲れるはずだ。
このブログを読んでいる人は、みんな向上心を持っている人だと思う。
だからこのブログを読んでいるのだろう。

さて、向上心を持っている人集まれ。
今日から正しい心の使い方を学ぼう。
私の教えは疲れることはなにもない。
私の教えは元気になることだ。
明るく前向きになることだ。
その心を持てば、正しい心の使い方ができるようになる。
正しい心の使い方ができれば、悩みはなくなる。
悩みのもとである、困難そのものが面白くなる。
問題を一個一個解決していく自分が楽しくて嬉しくなる。
心を正しく使えば、人生が豊かになる。
そのために心を正しく使うことだ。
さあ、今日からやること全部に気を入れてやろう。