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本日、ワクチン2回目の接種をしてきました。

今のところ、体調は良好です。

大事をとって、明日はお休みとさせて頂きます。

2回目の接種が終って、これで一安心です。

安心して対面鑑定を行なうことができます。

手洗い、アルコール消毒、空気を循環させ喚起を良くし、飛沫対策のパーテーション等で感性対策は行なっているのですが、手相を観る関係上、ワクチン接種は必然でした。2回目の接種が終りこれで一安心です。2回目の接種から1週間後にはワクチンの予防効果が出るみたいなので、もう一頑張りです。

ワクチンの接種後も、マスク着用、手洗い、アルコール消毒、喚起、飛沫対策のパーテーションは、このまま行ないます。コロナ危機を人類が早く乗り越えることを期待しています。



コロナのせいか、自分の実力がないせいか、予約は埋まらず暇である。

暇のときは、ブログを書いて種まきをするのがいちばん。

そう思って、時間があれば、こうしてブログを書いている。

今日は面白いことがあった。

あるお客様との電話鑑定だが、
ブログの印象と鑑定の印象が違うという。

ブログでは、硬い印象を持つが、実際に話してみると柔らかいと言われた。

((((;゚Д゚)))))))  へ?  そうなの?

驚きだね、そうなんだ。

そんな印象を持たれていたの?

ブログの印象では、
もっと怒られるのかと思った。
私は怒りません(笑)

もっと叱られるのかと思った。
私は叱りません(笑)

「この男はやめたほうがいい」と否定されると思った。

私は否定しません。

なんだ、ブログの印象と違うではないか。

はい、ブログの印象と違います。

どこにでもいる、普通のやさしいおじさんです(笑)

あるいは、おじいちゃんかもしれません。

娘と孫を相手にしています。

ときどき息子も相手にしています。

そうか・・・ブログの印象は固いか。

もっと柔らかくしないとね。

無理か・・・文体は変わらないし。

せめて、こちらの記事で報告しておくか。

私の鑑定は、心が温まると。



本日ワクチンを打ってきました。
1回目の接種です。
2回目は3週間後の予定です。

予約時間に病院の接種会場に向かい、ワクチンを接種してきました。
ワクチン打って、15分ほど病院に待機して、家に帰りました。
今のところ体調に変化がありません。

川越占い館では、コロナ対策はできる範囲で感染対策を行なっています。
最後に残っていたのは、自身のワクチン接種でした。
本日1回目の接種が終り、少し安心しています。
今月中には2回目の接種も終る予定です。
2回目の接種が終って2週間後、8/10からは、安心してお客様をお迎えできると思います。
もちろん接種後もコロナ対策は今まで通りに行ないます。
手洗い、アルコール消毒、喚起をよくして、マスクを着用しながら鑑定を行ないます。

今は電話鑑定が7割くらいですが、徐々に対面鑑定が増えてくるのではないかと期待しています。
生で皆さんと接する日が来ることを期待してお待ちしています。


こうして毎日ブログを書いているが・・・。
あるとき、書くことがなくなった。

書く気はあるが、何を書いていいかイメージが浮かばない。
そんな日もある。何かを書こう書こうと思っても、何も出てこない。こういうときは、書くことをやめて休んだら。「そうだね、休もうか」といいながら、キーにタッチしている。書くものがなくても書く、この習慣が15年続いている。

習慣とは恐ろしい、休みを与えてくれない(笑)
まあ、これが自分の仕事。これが自分の生き甲斐。これが自分の力(継続は力なり)。不思議なもので、書き始めれば悦に入る。それが解っているので、ちょっとでも記事を書いていけば気持ちは軌道に乗る。スタートが遅いだけ。スタートを切るのは、年々遅くなっているが、なに、どうってことない。始めればいいだけのこと。

今日はなんでこんな記事を書いたか?
おそらく、今日の記事は皆さんには何の役にも立たないだろう。今日の記事は自分を奮起させるために書いているからです。沖川も人間、朝起きたら不調のときもある。不調のときは、サボって怠けたいときもある。こういった心情はどの人間も持っている、沖川も同じ。正直いって、15年続いたこの習慣もやめたいと思うときもある。

やめたらどうなるか?
おそらく、自由が手に入り、のびのびと暮らせるだろう。使命感も義務感もなく、目標や計画もなく、願望や信念もなく、なんの縛りもなく自由に楽しく暮らせるだろう。生まれたばかりの赤ちゃんのように、毎年咲く花のように。自然と調和した自由が手に入るだろう。

なんの不安もなく。
なんの縛りもなく。
人生をやり切った感を持って、自由に楽に暮らしたい。これが自分の将来の夢。いつか、それを実現したいと思っている。

未だに自分は、将来に憧れを抱いている。
将来はもっとよくなるだろうと思っている。
今よりも未来は良くなると妄想までしている。
だから、未来に希望をもって今日を生きている。

明日よりも今日を大事にしなさい。
どの本にもそれが書いてある。偉人の伝記や、哲人たちの自己啓発書には、過去や未来を考えて思い煩うよりも、今日という日を充実させなさい、今を一生懸命努力して生きなさい、今を大切にして生きなさいと書いてある。

今に生きる?なんかそれだけでは切ない気がする。
今に生きなさい。それは十二分に解っている。わかっているが、今だけ生きても切ない気がする。今がしんどい場合はどうするか?今の生活がつまらなくて張り合いがない場合はどうするか?毎日毎日あくせく働いて苦労と努力ばかりで何も報われない場合はどうするか?

先人たちは今を大切に生きなさいと教える。
果たしてそれが正解か?
皆さんはどう思うかわかりませんが、私は不正解だと思っている。

未来に憧れ(希望)をもって、今を生きるのが正解ではなかろうか。
これはあくまでも私の持論だが。

今は苦労ばかりで何も楽しみがない、これでは生きている意味がない。今は苦労ばかりだが、未来はきっとよくなる。妄想でも創造力でもなんでもよいが、未来に憧れを持って生きるべきである。

未来の憧れは永遠に来ないと言われている。今を持って幸せにならなければ未来に幸せはない。未来の憧れは空前の灯で、いくら待っても来ない。幸せは今にあって未来にはない。

そうかな・・・。
私の考えでは、幸せは未来にある。
だから、今日の努力がある、、未来の自分を幸せにする努力が。
未来に希望を託し、未来はもっとよくなるだろうと思うから今日も頑張れる。

今日の幸せを見つけること?
そんなもの見つかるわけがない。
未来に憧れを持つから、今の自分が幸せになれる。

まだ見ぬ、果てしない未来。
このあと自分はどうなっているのだろうとワクワクするから楽しいのである。

現実はつまらないもの。
そして、今の苦労や努力はしんどい。
苦労や努力ばかりの現実から、未来の幸せなど想像できない。不幸で暗い未来しか想像できない。それより現実離れした妄想の方が未来は明るく照らすことができる。

私は過去と現実と未来を分けることにした。
過去と現実は陸続きで繋がっているが、未来は陸から離すことにした。未来は現在の延長でなく、別次元の憧れにした。現在の延長では夢も希望もなくてつまらない。もっと楽しく、もっと馬鹿げた空想で、現実ではありえない憧れを未来に託すことにした。

おそらくその未来は実現しないだろう。
未来の憧れは空前の灯として終るから。
だから、いいのです。
どうせ、空前の灯で終るのなら、自由に好きなように未来に憧れを持てばいい。

達成不可能な憧れを未来に持つから、現実のつまらない作業にも身が入り、面白くない生活にも光が差す。現実は努力ばかりでつまらなくても、未来に憧れを持てば、嫌なことが中和されて楽しく生きられる。

奇想天外な未来の憧れは誰しも持っていると思う。
実現不可能な夢だが、現在の自分に希望を与えているのは事実。今よりも未来は良くなると思って働くから人間は成長するようにできている。まだ見ぬ果てしない夢に向かって努力するから人間は生き甲斐が持てるようになる。だから、未来は風前の灯でいいのである。

今日は私のためだけの記事。
失礼しました。



最近はブログを書いている時間が多い。
暇なときは、こうしてブログを書いている。コロナの影響で、ブログを投稿する時間が増えた。これって良いことか、良いことだと思う。暇な時間を楽しんでいるから。

時を楽しむ。
時を楽しむのは最高の贅沢かもしれない。心やすらぐ時間をどれだけ作れるか、これが幸せの原点ではなかろうか。今まで忙しさに追われ、自己を見失っていた気がする。暇=幸せ。もっと時を楽しむべきである。

それは余裕のある人だけでしょ。
確かにそうかもしれない、余裕のある人はそれができるから。だが、余裕のない人でもできる。ちょっと頭を使えば、やすらぐ時間は誰でも作れる。しかも時間は誰にでも奪われることなく、失う心配もない。

時間は全世界共通。
金持ちも貧乏人も、時間は1日24時間と平等に与えられています。この時間をどのように使うか本人に任されています。仕事に使ってもいい。家族のために使ってもいい。趣味や遊びに使ってもいい。どのように使うかは本人次第です。

時間の使い方は、本人に任されている。
この時間をどのように使うか本人の自由です。コロナ過で仕事がうまくいってなくて悩む時間に使うのも自由です。コロナ過で恋愛がうまくいってなくて悩む時間に使うのも自由です。

また、コロナ過で仕事の時間が減り、余った時間を将来に備えて勉強するのも自由です。コロナ過で恋愛できない時間が減り、余った時間を自分磨きに専念するのも自由です。

どのように使うかは本人次第です。

今まで、それなりの収入があってそれなりの生活ができた。今はコロナ不況で今までと同じ生活ができないと悩みの時間に充てるのも自由です。

コロナ不況で今までの生活ができない、ならば0円生活を考えよう、なるべくお金を使わない方法に考える時間に充てるのも自由です。


不安や悩みの時間に充てるか?

少しでも希望の持てることに時間を充てるか?

そしてさらに、のんびりやすらぐ時間に充てるか?

本人の自由です。


不安なことはいくら考えても時間が足りません。
それこそ時間の無駄です。

それより、不安な考えはあきらめて、わずかな希望に時間を使うことです。

この時間をどう過ごすか。

最大の贅沢は、時を楽しむことです。

やすらぎの時間を楽しんでください。




どなたも、一生貫く仕事があるといいですね。
一生貫く仕事であれば、縦軸の目標はいらないからです。

縦軸の目標は疲れます。
目標を高い位置に設定してそこに向っていくからです。下からやっとの思いで頂上に達したときは喜びもひとしおで満足感も大きいでしょう。でも、この満足感はすぐに色褪せ、また高い目標を設定することになるからです。

縦軸の目標は、一瞬の喜びで色褪せ、また過酷な辛い日々を過ごすことになります。企業や組織などの人間というものは欲深い人間が多く、もっともっとと上を目指す傾向があります。上ばかり目指せば、人間は疲労困憊して疲れるだけです。

目標を高い位置に設定して、そこにチャレンジすることに喜びを見出す人もいますが、それはごくまれで、わずか1%の人間です。残り99%の人間は高い目標に嫌気がさして、疲労困憊のつまらない人生を送っているのでないでしょうか。

なんのために自分は生きていると。そう思っても仕方がありません。

私自身も残り99%の人間です。いつまでも高い目標を設定するわけにはいきません。そうなると仕事人間となって、つまらない人生を送るからです。

仕事だけが人生ではない。
そう思うからです。

とはいっても、仕事は一生つきまといます。
まあ、これが男の使命だから仕方がないでしょう。

横軸の目標に変えれば、仕事が楽しくなる。
この仕事が一生貫く仕事がどうかわかりません。
でも、今はこの仕事をやっている。

やるのであれば、上を目指す高い目標はいりません。
目標は横に長く、平坦でいい。
いや、目標そのものいらない。
目標がなければ、これでいいという終わりもない。

縦軸の目標があるから終わりが来る。
横軸の目標であれば終わりは来ない。


目標を横にすると、なんか続けようかな、という気持ちになる。
こういった仕事が生き甲斐ではないだろうか。

若い頃は縦軸の高い目標を目指してきた。
それは疲れた。そしてつまらなかった。疲労困憊のストレスだけが残った。

今は目標を横軸に変えて楽しんでいる。
仕事があることはいいことだ。
そして仕事があることは幸せだ。
これなら一生貫く仕事となるだろう。



希望は苦しい状況から生まれます。
だから、この苦しみは無意味ではありません。
無意味になるのは、あきらめてしまうからです。

あきらめなければ、苦しみは希望に変わります。
どうやって苦しみを希望に変えるの?
それは苦しみから逃げないで克服することです。

苦しみと戦ってください。
苦しみに負けないでください。
自分を大切にして、苦しみと向き合ってください。

でも、それだけでは心が持たないですよね。
心を持たせる方法は無になることです。
無になるということはどういうことですか?
それは、欲望を捨てることです。

例えば、
商売がうまくいっていない。
コロナ禍で日本中の多くの商売がうまくいっていない。一時期は儲けたのに、今は儲かっていない。売上が上がらず、赤字続き。いつ店をたたもうかと考えている商店主はいっぱいいると思います。

私のところもそうです。一時期は予約が殺到したのに、今はそうでもない。いつ店をたたもうか考えています。もう以前のような人気はない、そろそろ潮時かな・・・と思うときがあります。

これは儲かっているから続ける、儲からないから辞めるという心の動きです。商売は儲かってナンボの世界ですから。儲かるから続ける、儲からなかったら辞める、この心の動きになるのは仕方がないことだと思います。売上の上がらない世界はどの世界でも厳しいですから。

この状態で希望を作ることができるか?
この状態でも、希望は作ることができます。
どうやって?
それは欲望を捨てることです。

儲けるから続ける、儲からないから辞めるという欲望を捨てることです。欲望を捨てれば何が残るか?それは、「この仕事が好き」というものが残ります。そう自分はこの仕事は好きなのです。好きなものは儲けを度外視しても続けることができます。

希望は、欲望を制したときに生まれます。
儲かるか、儲からないか、そんなものどっちでもいいのです。

この仕事が好きで、
この仕事を続けることが生き甲斐なら、
そこに希望が生まれます。
好きなことを続ける、それに勝る希望はありません。

これは恋愛にもいえます。
恋愛も欲望をすてれば、希望に変わります。
彼と結ばれるか結ばれないか、そんなものどっちでもいいのです。素直に彼のことが好きであれば、それでいいではないですか。彼を自分のものにしたい、彼を支配したいという欲望を捨てれば、この恋愛は希望に変わります。

好きな人がいるということは生き甲斐です。我がものにしようという欲望からは生き甲斐が生まれません。欲望に走りすぎて、生き甲斐そのものを木っ端微塵にしてしまうでしょう。


儲かるか、儲からないか。
結ばれるか、結ばれないか。
そんなもの、どっちでもいいのです。
単純に好きでいいではないですか。




私がやっている仕事は、世間からみればどうでもいい仕事です。

人の恋話を聞く。

仕事の悩みを聞く。

人間関係の悩みを聞く。

正直言ってとりとめのない話題ばかりです。世間から見れば、どうでもいい話ばかりかもしれません。

勝ち組や安定した生活を送っている人から見れば、こんな話に付き合っている暇はないという内容のものばかりでしょう。

悩んでいるのは、たるんでいるから。うまくいかないのはすべが自己責任だ。悩んでいる暇があれば仕事しろ。常識人の大人から見れば、そのように見えるのかもしれません。

常識のある大人から見れば、取るに足りない仕事。勝ち組の人から見ればお粗末な仕事。弱った人や負け組手ばかを相手にして、あなたの仕事は世間で役に立たない、よほど暇なんだなと思われるかもしれません。

確かに、ここに来られている方は常識人から見れば、負け組に見えるかもしれません。それをお相手している私も変わっている人だと思われても仕方がありません。

だが、私はそのように思っていません。
ここに来られる方は決して負け組ではないからです。

ここに来られている方は、感動を求めてきているのです。
今は忘れてしまった感動。常識のある大人や権威のある成功者が忘れてしまった感動です。

常識人から見れば、一見くだらないとりとめのない話から感動が生まれます。人を愛し人に尽くす心から感動が生まれます。裏切られて悲しむことからも感動は生まれます。

ここには、利益を生む生産性の話は何もありません。尽くしてただ働きの物語ばかりです。利益と価値を重視する生産効率の高さを求める企業や学校教育、権威ある勝ち組からすれば、おそらく何も利益をうまないこの場所は無駄に思えるでしょう。

しかし、どうなんだろうね。
成功した人。安定した仕事をしている人。結婚して豊かな家庭を築いた人。事業に成功して金持ちになった人。常識人の勝ち組の人に果たしてそういう人に感動があるのでしょうか?果たして生き甲斐があるのでしょうか?

そういう人たちには「感動がない」のではないでしょうか。

物欲が豊かになればなるほど生産性を重視するがあまり感動がなくなる。自分に与えられた時間は利益を追及するものばかり。利益を追及すれば忙しすぎて、心に余裕がなくなり感動がなくなる。そんな時代になった気がします。そこに成功者と言われる人や、一般的な常識を持った人たちは生きているのです。

いまの時代はテレビや映画を観ても感動しません。演劇やコンサートに行っても感動しません。本を読んでも、ユーチューブを観ても感動しません。

テレビは低俗なものばかり。
映画も感動する作品がない。
音楽もわけのわからない雑音ばかり。
インターネットも混乱する情報ばかり。
本も良書というものがない。
(探せばあると思うのですが)

いずれにしても、感動するものがない。
これが今の時代です。
皆さん平和ボケになったのかもしれません。

なぜならメディアの都合で作者の都合で監督の都合で政治家の都合で権威者の都合で、自分たちに都合のよいものばかりをこの世に出しているので、一個人としては自分に合ったものがなく感動するものがないのです。

いまの時代は豊かになった人こそ感動のない時代なのかもしれません。
また豊かではなくとも、普通に暮らしている人でも感動がないのかもしれません。
礼儀正しく常識に生きて来た人にも感動がないのかもしれません。
今の時代は、感動が欠乏している時代といっても過言ではないと思います。

テレビは面白くない報道ばかり繰り返し。映画もいまいちピンとくる作品がない。ネットでは情報が氾濫し、自分が探しているものはどこにあるか、わけのわからない時代になったのではないでしょうか。

感動欠乏症で情報過多で空しく生きる。
これが今の時代かもしれません。

今の時代は、個人個人が自分に合った感動とやりがいを求めているのではないでしょうか。


その点、私の仕事は個人の求めている感動を引き出すことになります。
そんな大袈裟なことはしていません。
ただ、とりとめのない話を聞くだけです。

この場所には、メディアや大作家などのイベントものは何もありません。個人のとりとめのない話ばかりです。話はコロコロ変わります。いい方向や悪い方向や思わぬ方向へと転じていきます。

彼とうまくいっていない悩みから、彼の悪い部分の話になり、この男性はやめた方がいいという話になったかと思うと、やはり彼が好きだという話に舞い戻ってしまう。

私は人をなかなか好きになれない、彼は久しぶりに好きになった人。こんな彼だけど大切にしたいと決意表明したかと思えば、やはり彼はやめた方がいい、彼とは幸せになれないという話に舞い戻ってしまう。

堂々巡りのとりとめのない話が続く。

感動とはこのとりとめのない話にあるのではないかと私は思っています。大手メディアが作成したものより、個人の問題提起の中にある。個人の悩みこそ、感動のテーマである。そのように私は思っています。悩みこそが感動を生む最高のシナリオだとね。

悩みのシナリオから感動が生まれる。
個人の問題を解決することで、そこに感動が生まれる。
また解決ができなくとも、話を聞くことで感動が生まれる。
とりとめのない話には、生きる哲学がある。
悩みのシナリオから哲学が生まれ、これが感動を呼び起こすのです。

個人個人の生き方、その哲学がここにある。
だから、ここに来られる方は決して負け組ではない。
一人一人が感動を求めている哲学者なのだ。

私の仕事は、魂を満足させること。
たっぷりとりとめのない話を聞いて。
そこに哲学を見出して。
やる気と生きる知恵を見出して。
自分の問題を感動に置き換える。

メディアが提供してくれなかった感動がここにある。
個人の感動は個人の悩みにある。

私の仕事はまだまだですが、皆さんが求めている感動を提供したいと思う。
魂を込めて。




私は人々の悩みを請け負っている。
その数は膨大だ。私の力で人々の悩みがすべて解決できるとは思っていない。だが自ら関わることで、少しでも解消できるのではないかと思っている。

普段はボーッとしている頭だが、仕事に就くと活気を取り戻した頭になる。経験とは恐ろしいものだ、仕事になると頭の中に眠っている知識がどんどん出てくる。いくたびの経験が私の頭の中には蓄積されているのだろう、これを潜在意識というのかもしれない。私の潜在意識はドラえもんのポケットのように必要なものを必要なときに取り出させるようになっている。

でも、普段は出てこない。
普段はスイッチをOFFにしているからだ。

私のスイッチが入るのはお客さんと接したとき。
お客さんが強制的にスイッチをONにしてくれる。
一度スイッチが入れば、お客さんの悩みに深く関わることになる。

こんなに多くの人の悩みを抱えて、ネガティブなことに深く関わっておかしくならないか?それはない。それがあったらこの仕事はしていない。中には、あまりにも大勢のネガティブに関わりおかしくなる人もいると思うが、私は鈍感なのか、その辺のダメージはない。それより私が関わることで、お客さんの悩みが少しでも解消されることに喜びを感じている。

ネガティブダメージを喜びに変える?変な人。
そうだね、私は変な人だね。
奇人変人かもしれない(笑)

自分でもいうのもなんだが、まあこのくらいの精神修行はやってきたつもりといっていいでしょう。どうやってこの修行を積んだの?それはサラリーマン時代に積んだ。お坊さんの修行でなくとも、サラリーマンでも十分な修行ができる。

どの世界でも修行はある。生きることは苦しみの連続、常に艱難辛苦がつきまとう。サラリーマンでも30年以上勤めれば、お坊さん以上の修行を積んで悟りを得ることができる。サラリーマンを舐めるな!サラリーマンの修行が今世紀最大の修行だと私自身が経験によって認めている。だから、この経験を生かし仕事にあたっている。サラリーマン時代の生きた経験がネガティブを喜びに変える力となっているといっていいでしょう。

お客さんの悩みは事細かい。
ここでは人に言えない懺悔を暴露する。
他で言えないからここで言う。
お客さんのストレスが解消されれば、それはそれで良いと思う。
ストレス発散で私は使っても構わない。
とくに女子のストレスは次から次へと出てくる。
彼氏が聞いてくれないから、私が聞き役に回っている。
ここはそんな場所だ。
それを私は毎日毎日繰り返している。
そうなると、私の精神はますます逞しくなる。

日々逞しくなる精神。
心は強くなり、何事にも動じなくなる。
経験とは恐ろしいものだ。
この経験でもって、日々の鑑定を行なっている。

人の悩みは解消されるわけではないが、自ら関わることで少しでも解消されればと思いながら、この仕事を続けている。



「おはようございます」
今朝は目覚めの悪い自分がいました。朝からだるい、そのせいかブログを書く時間がいつもより30分遅れ。キーボードをタッチするが、遅れとだるさのせいで、なかなか進まない。これではまともな記事が書けない。ああ~・・・。

ま、こんな日もあるさ。
体調は毎日いいわけではない。爽快な日もあれば不快な日がある。気分の乗る日と気分の乗らない日がある。天気と一緒だ。晴れに日もあれば、曇りの日、雨の日、嵐の日がある。気温も暑い日もあれば寒い日もある。天気と一緒だ。自分の体調も。

それでも書く。
晴れだろうが曇りだろうが、好調だろうが不調だろうが、自分で決めたことはやる。自分に誇れるものを残したい。その一心で書く。

書いているうちに、目覚めてきた。
不思議なものだ。今朝は何も書く気がしないと思っても、書いているうちに目覚めてくる。頭の中はモヤモヤと混乱しているが、書いているうちにこれを書こうかなという道筋がなんとなく見えてくる。これが一日にリズムの取り方かもしれない。

1年のうち95%は快調だが、5%は不調の日がある。
今日は5%の日。あきらめよう・・・いい記事を書くのは。

日頃から体調管理に気をつけ万全を尽くしているつもりなのに、なぜこんな日があるのか?それは私が人間だからだ。沖川も人の子、365日万全ではない。5%くらいは不調の日もある。その日があってもいいと思っている。

体調が悪い日は書くのをやめたら。
もちろん体調の悪い日は書くのをやめる。それはご心配なく。さすがの私も40度の高熱があったら記事は書けない。そうでなくて、ストレスやスランプのような不調なときどうするかだ。不調なときはあえて書くようにしている。折れそうな心を折れないようにする。これが自分の役目だからだ。

見本を残したいのだろう。
こうすればいいという見本を。「継続は力なり」という見本を皆さんに残したいのだろう。途中で辞めて後悔するより、好きなものはとことんやりなさいという見本を皆さんに残したいのだろう。

それが自分の役割。
人間は何かの役割を持って現在を生きている。自分はこの仕事をやって、このブログを書いているという役割。これが自分の役割なら、一生懸命演じるだけ。これが自分のやり方、自分の役割だと信じて。

さて、出勤する時間となりました。
今朝のブログはここまで。