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書き始めて3週間。

3/1程度進みました。

ページ数70ページ、文字数にして約33,000文字です。

1冊の本ができるまで、200~250ページ。文字数にすると、10万~12万文字です。

やっと3/1終りました。

このペースでいけば、11月末には1冊分書き上げることができるでしょう。

それから1ヶ月、再度見直しの編集です。

200ページ、10万超の文字を一個一個見直します。

これがまた大変。

私はプロの編集者ではないので編集には自信がありません。

時間もかかり、出来映えも今一かもしれません。

でもいいのです。自分の作品ですからボチオボチやります。

過去の恋愛日記を編集して書き直す作業をしているんですが、そこであることに気づきました。

何やっているんだ・・・オレ・・・ではなくて。

「感極まって感動している自分がいる」ということです。

いやー涙もろくなりましたね。

もちろん泣いてませんけど。

心で泣いているかな。

心の中で感極まって感動している。

よしよしいい子だ。

この子を世に出すぞ。もうすぐだ。

なんか・・・親みたいになってしまった(笑)

今まで忙しい過ぎて時間がなかったな。

このブログをまとめる時間がやっとできた。

次の人生はこれかな。

執筆家という人生。

これもありかな。

なんて思う今日この頃です。



毎朝6時に起きる。30分ほど散歩してからパソコンに向う。

朝の散歩は気持ちがいい。季節の移り変わりが肌で感じる。10月に入って少し寒くなった。空気がひんやりしている。でも、気持ちがいい。

なぜ、朝散歩をするか?それは血の巡りを良くするため。朝の起きたてのはボーっとして血液もドロドロ。コップ一杯の水を飲んで散歩に出かける。

散歩の途中に公園がある。そこに子供たちが遊ぶジャングルジムのような遊具がある。それを使って朝の筋トレ。「よいしょ、よいしょ」とスクワットやら腕立てうせやら、ぶらさがり健康みたいな運動をする。

すると、血液の循環が良くなる。

朝の散歩が終わって執筆活動に着手する。これから2時間は朝のゴールデンタイム。この時間の執筆がいちばん能力を発揮することができる。

今、やっているのは過去の恋愛日記のまとめ。

過去に書いた自分の記事なので、編集は簡単にできると思っていた。ところがぜんぜん違った。編集はそう簡単にはいかない。予想をはるかに裏切ってくれた。

例えば、「男は忘れた頃戻ってくる」というカテゴリを編集しているが、半分以上は書き直している。10年前の記事の感覚と今の記事の感覚は違う。感覚が違うのは書き直し。

また、文章の流れもおかしいものがいっぱいある、おかしい文章は全部書き直し。なんだなんだ過去の記事で使えるものが半分もないではないかと、少々がっかりしている。

でもよく読んでみると、使える記事もたくさんある。過去の記事は造詣の深いものもあるし、懐かしい思い出もたくさんある。よし、ここは残して、ここは削除して、この部分を書き直して、という編集作業にとりかかる。

まあ、編集とはそういうもの。
そのことは、最初から予想はしていた。


本編を書くより編集の方が骨の折れる作業だということを改めて知らされた。

毎日記事を書いている本人は、その日の気分で書きっぱなし。校正・校閲もできていいない。

校正・校閲とは、『徹底的に客観的に文章を読み、間違いを見つけること』。どう考えても「執筆者本人がその文章に対して徹底的に客観的になり間違いを探す」のは、明らかに限界がある。できれば自分以外の人(プロの編集者)に校正・校閲をしてもらう方がいいのですが、今回の作品は自分で全部やるしかない。

そう、自分で全部やるしかないのです。

もちろん私はプロの編集者ではありません。プロの編集者ではありませんが、自分の作品は自分で編集をするしかない。

その覚悟を持つと。
なんだか毎日が楽しくなってきた。
これを「充実」というのかもしれない。

朝のゴールデンタイムに過去の恋愛日記を編集する。自分で書いた記事だが、おぞましいほどたくさんある。「よくここまで書いたね」と褒める自分もいるが、面倒な作業に取りかかってしまったという自分もいる。

でも、いつかやろうと思っていたこと。いつか、恋愛日記をまとめようと思っていた。自分のブログ「恋愛日記」には自信がある。このブログは後生まで残したい大事なブログ。人生の最後の仕事として、まとめるのは生き甲斐でもある。

編集してまとめれば、きっと素晴らしい本ができると確信している。今はそれを夢見て、コツコツと努力するしかない。いい作品になるのを目指して。




今日は私の選択を述べさせていただきます。「沖川の選択などどうでもいい」という人はこの記事を飛ばしてください。お付き合い頂ける方は、へぇー沖川ってこんなことを考えているんだと、リラックスして軽い気持ちでお読みください。

私の選択。
コロナ過で何をやるか?

コロナの影響によって売上が落ちました。コロナ以前と比べると、売上は30%ほどダウンです。この落ち込みは、コロナのせいと私の実力不足のせいだと思います。

でも、他と比べるとまだましな方です。飲食業やホテル・旅館やその他のサービス業、イベント業などの集客を目的とする業種に比べれば、まだいい方です。

変な言い方ですが、「この減りかたは私には丁度いいかな」とさえ思っています。他の業種の皆さんには申し訳ありませんが、これはあくまでも私個人の感想だと思ってください。

さて、売上が減ったというこは「時間が出来た」ということになります。この余った時間をどう有効に使うかですね。

余った時間を命の洗濯に使ってもいい。将来のことを心配してもいい。あるいは余った時間を将来の準備のために使ってもいい。どちらを選択するかは個人の自由となります。

私は命の洗濯に充てました。コロナ禍でジタバタしてもしょうがない。今まで頑張ったぶん丁度いい機会だ、しばらくのんびりしよう。

このままのんびりして仕事を失くしたらどうする?「そのときは店を閉じればいい」と気楽に考えていました。


あれから1年が過ぎ。今年の夏くらいからかな、命の洗濯にも飽きてきました(笑)

ブログは毎日書いているのですが、なにかもの足りない。余った時間になにかやろうかな…という構想が少しずつ芽生えてきました。

さて、なにをやるか?
「執筆でもするか」これが1年かけて出てきた答えです。

何を執筆する?
ズバリ言うと、「恋愛日記のまとめ」です。

過去18年間の「恋愛日記」をまとめる。編集して書き直してまとめて書籍にする。(電子書籍)として。

これって面白いんじゃない?

考えたら膨大な作業。過去の記事数は6000記事以上。本100冊分くらいある。18年の年月は恐ろしい。ちりも積もれば山となる。でも、まいいか、時間はたっぷりあるから。

100冊分を10冊~20冊くらいにまとめて編集する。なるほど…面白いね。


いやーちょっと待て!本の編集は本編を書くより大変だということを思い出した。過去に13冊の本を出したが、出版社との打ち合わせ、校正や装丁や、ゲラの編集などなどいろいろと大変だということを思い出した。

あれをまたやるのか?
時間はたっぷりあるでしょ。
そうか、時間はたっぷりある・・・か。

どんな山積みの記事でも、本100冊分のブログでも、自分が書いた記事だ。1個1個丁寧にまとめていけばいい。編集して素敵な本を世に出すか。

なんていう構想が少しずつまとまってきました。


さて、では執筆の時間をどのように作るか?

いちばん頭が働く時間にしよう。

それは朝かな。

起きて2時間くらいは、いちばん頭が冴えている。この時間を執筆に充てよう。

今までこの時間はブログを書くことに充てていた。朝起きて散歩してブログを書く。これからは本を書くことにする。

では、ブログは?
営業時間に書く。
空いている時間に書く。

これで選択ができた。
昨日からこれをやってみたが、なんとかいけそうだ。

コロナ禍で何をするか?
今日書いた記事が私の選択となります。

まあ、ぼちぼちやります。


ここ数日雨ばかり。。。。

今日の雨は凄かった。
駅について、いきなり雷雨。
雨宿りしようかと思ったけど・・・傘を差して家路へ。

豪雨の中を歩くのは様にならない。びしょびしょ。服にも雨が染みこみ冷たい。

ひや・・・散々な目にあった。
10分の道のりが遠く感じた。

雨にも負けず風にも負けずとはまさにこのことを言うのだろう。ゲリラ豪雨の中、そんなことを感じた。

豪雨のときは、雨宿り。
駅のコーヒーショップで。
そうすれば良かった。
30分後には雨も小降りになったから。

まあ、いいか。
自分で選んだ結論だから。

目が醒めた。
カミナリでもうたれたように目が醒めた。実際カミナリが凄かったけど。お陰で今日の出来事としてブログに書いている。帰宅してすぐにブログを書くのは今までなかった。また新たなページが加わった。今までやったことがなかったことをやる。これもひとつの挑戦だと思う。 おやすみなさい。





人が思い出す過去は嫌な想い出ばかり。

いい想い出はあまり思い出さない。

私もそうだが、皆さんもそうだと思う。思い出す過去は、辛くて悲しい物語ばかり。仕事の失敗や失恋。人に裏切られたり裏切ったり、嘘をついたり嘘をつかれたり、自分の過去は褒められたものではない。穴があったら入りたいほどの恥ずかしい思い出がたくさんある。

どうして過去には嫌な想い出がたくさんあるのだろう。いい想い出もたくさんあるが、脳裏に浮かんでくるのは、どうしても嫌な想い出ばかりが出てくる。

今まではそれが嫌だった。過去の嫌なことを思い出すのは。でも、いまはそれもいい想い出と思うようにしている。

恥ずかしい失恋。
前の晩は眠れず、勇気を振り絞って、好きな人に告白したが、NOと言われた。頭が真っ白で一瞬にして終った。それは相手も気持ち悪かったであろう。告白するまで何日も緊張が続いて体調も悪くしていたから。

前の晩一睡もしないで告白したものだから、目は血走り、顔は狂気じみた怖い顔となり、話し方もオドオドして、何を言っているのかわからない口調で告白するものだから、相手に引かれてしまった。何年も温めていた自分の気持ちが一瞬にして終った。

あああ、恥ずかしい・・・惨めだ・・・終りだ・・・という思いで夜の繁華街をうろつく。メソメソ泣いている自分の姿を通行人は避ける。人気のいない路地で「バカヤロー」と大声で叫ぶが、しっかり誰かに聞かれた。後ろからバカにされているクスクス笑い声。恥ずかしくてその場から逃げるが、逃げても逃げても、バカにされているクスクス笑い声が耳元から離れない。

仕事の失敗。
仕事もぎょうさん失敗した。上司に怒られ、同僚からは使えない奴だと冷たい視線に送られ、「ああ、こんな仕事いつまでもやっていられない!辞めてやる!!」と何度、思ったことか。

人間関係の失敗。
人間関係も嫌な思いをたくさんした。気にくわない上司、気にくわない同僚、気にくわない部下、気にくわない経営者。相手も自分のことが気にくわなかったのだろう。散々いじめられ、足を引っ張られ、嫌がらせを受けた。

いい想い出もあるが、そんなの、思い出せない。悪い想い出のあとに強引にいい想い出を思い出すようにはしている。(ふと)したときは、嫌な想い出ばかりを思い出す。そこで嫌な想い出が出てきたときは、いい想い出もあったと探してみることにしている。

そうか、嫌な想い出ばかりが脳裏に浮かぶか?

苦労してきたからな。

そう考えれば、これは歴史か。
自分の歴史か。

自分の過去には嫌な想い出しか残っていない?それも自分の歴史だ。ならばそれを受け入れよう。あの嫌な想い出があったからこそ今日の自分がいる。それで良かったじゃないか。平坦な道より茨の道の方が人間は成長できるから。

過去の数々の嫌な想い出。悔し涙を飲んだ想い出。恥ずかしいほどみっともないことをした想い出。人を悲しませた想い出。人にバカにされた想い出。書けば書くほど自分がネガティブになってしまうほど、過去には嫌な想い出がたくさんある。

そして、過去の嫌な想い出に縛られるのはもうやめようと思った。

「あれがあったから、自分は成長できているのだ」と今は思うようにしている。

冷静に考えると嫌な想い出もあるが、その100倍はいい想い出があった。

お陰様で、今の自分は気楽に生きている。

今にしては、なにもかもいい想い出だった。



本日、ワクチン2回目の接種をしてきました。

今のところ、体調は良好です。

大事をとって、明日はお休みとさせて頂きます。

2回目の接種が終って、これで一安心です。

安心して対面鑑定を行なうことができます。

手洗い、アルコール消毒、空気を循環させ喚起を良くし、飛沫対策のパーテーション等で感性対策は行なっているのですが、手相を観る関係上、ワクチン接種は必然でした。2回目の接種が終りこれで一安心です。2回目の接種から1週間後にはワクチンの予防効果が出るみたいなので、もう一頑張りです。

ワクチンの接種後も、マスク着用、手洗い、アルコール消毒、喚起、飛沫対策のパーテーションは、このまま行ないます。コロナ危機を人類が早く乗り越えることを期待しています。



コロナのせいか、自分の実力がないせいか、予約は埋まらず暇である。

暇のときは、ブログを書いて種まきをするのがいちばん。

そう思って、時間があれば、こうしてブログを書いている。

今日は面白いことがあった。

あるお客様との電話鑑定だが、
ブログの印象と鑑定の印象が違うという。

ブログでは、硬い印象を持つが、実際に話してみると柔らかいと言われた。

((((;゚Д゚)))))))  へ?  そうなの?

驚きだね、そうなんだ。

そんな印象を持たれていたの?

ブログの印象では、
もっと怒られるのかと思った。
私は怒りません(笑)

もっと叱られるのかと思った。
私は叱りません(笑)

「この男はやめたほうがいい」と否定されると思った。

私は否定しません。

なんだ、ブログの印象と違うではないか。

はい、ブログの印象と違います。

どこにでもいる、普通のやさしいおじさんです(笑)

あるいは、おじいちゃんかもしれません。

娘と孫を相手にしています。

ときどき息子も相手にしています。

そうか・・・ブログの印象は固いか。

もっと柔らかくしないとね。

無理か・・・文体は変わらないし。

せめて、こちらの記事で報告しておくか。

私の鑑定は、心が温まると。



本日ワクチンを打ってきました。
1回目の接種です。
2回目は3週間後の予定です。

予約時間に病院の接種会場に向かい、ワクチンを接種してきました。
ワクチン打って、15分ほど病院に待機して、家に帰りました。
今のところ体調に変化がありません。

川越占い館では、コロナ対策はできる範囲で感染対策を行なっています。
最後に残っていたのは、自身のワクチン接種でした。
本日1回目の接種が終り、少し安心しています。
今月中には2回目の接種も終る予定です。
2回目の接種が終って2週間後、8/10からは、安心してお客様をお迎えできると思います。
もちろん接種後もコロナ対策は今まで通りに行ないます。
手洗い、アルコール消毒、喚起をよくして、マスクを着用しながら鑑定を行ないます。

今は電話鑑定が7割くらいですが、徐々に対面鑑定が増えてくるのではないかと期待しています。
生で皆さんと接する日が来ることを期待してお待ちしています。


こうして毎日ブログを書いているが・・・。
あるとき、書くことがなくなった。

書く気はあるが、何を書いていいかイメージが浮かばない。
そんな日もある。何かを書こう書こうと思っても、何も出てこない。こういうときは、書くことをやめて休んだら。「そうだね、休もうか」といいながら、キーにタッチしている。書くものがなくても書く、この習慣が15年続いている。

習慣とは恐ろしい、休みを与えてくれない(笑)
まあ、これが自分の仕事。これが自分の生き甲斐。これが自分の力(継続は力なり)。不思議なもので、書き始めれば悦に入る。それが解っているので、ちょっとでも記事を書いていけば気持ちは軌道に乗る。スタートが遅いだけ。スタートを切るのは、年々遅くなっているが、なに、どうってことない。始めればいいだけのこと。

今日はなんでこんな記事を書いたか?
おそらく、今日の記事は皆さんには何の役にも立たないだろう。今日の記事は自分を奮起させるために書いているからです。沖川も人間、朝起きたら不調のときもある。不調のときは、サボって怠けたいときもある。こういった心情はどの人間も持っている、沖川も同じ。正直いって、15年続いたこの習慣もやめたいと思うときもある。

やめたらどうなるか?
おそらく、自由が手に入り、のびのびと暮らせるだろう。使命感も義務感もなく、目標や計画もなく、願望や信念もなく、なんの縛りもなく自由に楽しく暮らせるだろう。生まれたばかりの赤ちゃんのように、毎年咲く花のように。自然と調和した自由が手に入るだろう。

なんの不安もなく。
なんの縛りもなく。
人生をやり切った感を持って、自由に楽に暮らしたい。これが自分の将来の夢。いつか、それを実現したいと思っている。

未だに自分は、将来に憧れを抱いている。
将来はもっとよくなるだろうと思っている。
今よりも未来は良くなると妄想までしている。
だから、未来に希望をもって今日を生きている。

明日よりも今日を大事にしなさい。
どの本にもそれが書いてある。偉人の伝記や、哲人たちの自己啓発書には、過去や未来を考えて思い煩うよりも、今日という日を充実させなさい、今を一生懸命努力して生きなさい、今を大切にして生きなさいと書いてある。

今に生きる?なんかそれだけでは切ない気がする。
今に生きなさい。それは十二分に解っている。わかっているが、今だけ生きても切ない気がする。今がしんどい場合はどうするか?今の生活がつまらなくて張り合いがない場合はどうするか?毎日毎日あくせく働いて苦労と努力ばかりで何も報われない場合はどうするか?

先人たちは今を大切に生きなさいと教える。
果たしてそれが正解か?
皆さんはどう思うかわかりませんが、私は不正解だと思っている。

未来に憧れ(希望)をもって、今を生きるのが正解ではなかろうか。
これはあくまでも私の持論だが。

今は苦労ばかりで何も楽しみがない、これでは生きている意味がない。今は苦労ばかりだが、未来はきっとよくなる。妄想でも創造力でもなんでもよいが、未来に憧れを持って生きるべきである。

未来の憧れは永遠に来ないと言われている。今を持って幸せにならなければ未来に幸せはない。未来の憧れは空前の灯で、いくら待っても来ない。幸せは今にあって未来にはない。

そうかな・・・。
私の考えでは、幸せは未来にある。
だから、今日の努力がある、、未来の自分を幸せにする努力が。
未来に希望を託し、未来はもっとよくなるだろうと思うから今日も頑張れる。

今日の幸せを見つけること?
そんなもの見つかるわけがない。
未来に憧れを持つから、今の自分が幸せになれる。

まだ見ぬ、果てしない未来。
このあと自分はどうなっているのだろうとワクワクするから楽しいのである。

現実はつまらないもの。
そして、今の苦労や努力はしんどい。
苦労や努力ばかりの現実から、未来の幸せなど想像できない。不幸で暗い未来しか想像できない。それより現実離れした妄想の方が未来は明るく照らすことができる。

私は過去と現実と未来を分けることにした。
過去と現実は陸続きで繋がっているが、未来は陸から離すことにした。未来は現在の延長でなく、別次元の憧れにした。現在の延長では夢も希望もなくてつまらない。もっと楽しく、もっと馬鹿げた空想で、現実ではありえない憧れを未来に託すことにした。

おそらくその未来は実現しないだろう。
未来の憧れは空前の灯として終るから。
だから、いいのです。
どうせ、空前の灯で終るのなら、自由に好きなように未来に憧れを持てばいい。

達成不可能な憧れを未来に持つから、現実のつまらない作業にも身が入り、面白くない生活にも光が差す。現実は努力ばかりでつまらなくても、未来に憧れを持てば、嫌なことが中和されて楽しく生きられる。

奇想天外な未来の憧れは誰しも持っていると思う。
実現不可能な夢だが、現在の自分に希望を与えているのは事実。今よりも未来は良くなると思って働くから人間は成長するようにできている。まだ見ぬ果てしない夢に向かって努力するから人間は生き甲斐が持てるようになる。だから、未来は風前の灯でいいのである。

今日は私のためだけの記事。
失礼しました。



最近はブログを書いている時間が多い。
暇なときは、こうしてブログを書いている。コロナの影響で、ブログを投稿する時間が増えた。これって良いことか、良いことだと思う。暇な時間を楽しんでいるから。

時を楽しむ。
時を楽しむのは最高の贅沢かもしれない。心やすらぐ時間をどれだけ作れるか、これが幸せの原点ではなかろうか。今まで忙しさに追われ、自己を見失っていた気がする。暇=幸せ。もっと時を楽しむべきである。

それは余裕のある人だけでしょ。
確かにそうかもしれない、余裕のある人はそれができるから。だが、余裕のない人でもできる。ちょっと頭を使えば、やすらぐ時間は誰でも作れる。しかも時間は誰にでも奪われることなく、失う心配もない。

時間は全世界共通。
金持ちも貧乏人も、時間は1日24時間と平等に与えられています。この時間をどのように使うか本人に任されています。仕事に使ってもいい。家族のために使ってもいい。趣味や遊びに使ってもいい。どのように使うかは本人次第です。

時間の使い方は、本人に任されている。
この時間をどのように使うか本人の自由です。コロナ過で仕事がうまくいってなくて悩む時間に使うのも自由です。コロナ過で恋愛がうまくいってなくて悩む時間に使うのも自由です。

また、コロナ過で仕事の時間が減り、余った時間を将来に備えて勉強するのも自由です。コロナ過で恋愛できない時間が減り、余った時間を自分磨きに専念するのも自由です。

どのように使うかは本人次第です。

今まで、それなりの収入があってそれなりの生活ができた。今はコロナ不況で今までと同じ生活ができないと悩みの時間に充てるのも自由です。

コロナ不況で今までの生活ができない、ならば0円生活を考えよう、なるべくお金を使わない方法に考える時間に充てるのも自由です。


不安や悩みの時間に充てるか?

少しでも希望の持てることに時間を充てるか?

そしてさらに、のんびりやすらぐ時間に充てるか?

本人の自由です。


不安なことはいくら考えても時間が足りません。
それこそ時間の無駄です。

それより、不安な考えはあきらめて、わずかな希望に時間を使うことです。

この時間をどう過ごすか。

最大の贅沢は、時を楽しむことです。

やすらぎの時間を楽しんでください。