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今朝は5時半に目がさめた。
洗面して水を500CC飲む。500CCの水?多い気がするが、朝は血液がドロドロなので、このくらい飲んだ方が良いみたいだ。

それからマスクをつけて散歩に出る。
今朝は冷える。4月末だというのに寒い。でも、歩いているうちに体が温まる。辺りを見回すと綠が綺麗だ。ここは田舎なので綠が多い。通行人?300メートル先にひとりいるかいないか。朝の人気のない道を気持ちよくウオーキングする。

朝の散歩が好きなのは気分がいいからだ。朝の斜光と綠、汚れていない新鮮な空気をおなかいっぱい吸いながら、全身で朝の太陽の紫外線を浴びるので、心も体も消毒される。

自分のリフレッシュはお金がかからない。タダだ(笑)そして気持ちがいい。気持ちがいいから、一日が充実できる。そして誰にも迷惑がかからない。これが昼間や夕方だと、人通りが多くて迷惑がかかる。早起きはその点で得だ。

朝型人間と夜型人間がいるが、自分は間違いなく朝型人間。休みの日の用事は午前中に済ませるようにしている。午後からではなくて午前中にすべての用事を済ませる。午後から夕方にかけては自分の自由時間に充てている。そうすると一日得した気分になる。

午前中の活動時間長いので、1日が2倍に感じる。
本を出版したときは、朝の6時~8時までが執筆作業、8時~9時がブログの投稿。それから占い館に出勤し20時まで働く。午前中に書き物、午後は占いの仕事の二重奏。ハードスケジュールをこなせたのは、朝に強かったからだと思う。

何かをやるときは、朝に強くならなければいけない。
これは自分の考えなので強制するつもりはない。

もし自分が朝弱かったら、どうなったか?朝が弱く、9時か10時頃に起きるようになったらどうなるか?午前中は頭が重く、活動は午後からになるだろう。そうなると1日を損した気分になる。なんと無駄な1日を過ごしたと後悔することになるだろう。

無駄な1日を何年も何十年も過ごせば、これはもう浮かばれない。限られた人生の大半を無駄に過ごしたことになる。そうなると、不幸な人生しか待っていない。不健康で貧乏人の人生が。

自分はそうなりたくないので、朝は早く起きることにしている。大した才能もないので、せめて朝は早く起きるようにしている。

心にはゆとりが必要である。ゆとりは早起きによってもたらせる。心に余裕があれば、大抵の危機は乗り越えられる。朝からの活動が早ければ不安はない。夜遅くまで起きているから不安になる。早起きは得なので皆さんにもお勧めしたい。



不安?
「不安は、なるようになるさ。」

不安についてあれこれ考えてもしょうがない。頭ではしょうがないと分かっているが、でもあれこれ考えてしまう。まあ、これが人間のサガかもしれない。

考えるのが人間の習性なら、悪い方向にいくのか?良い方向にいくのか?それはその人自身の考え方で決まる。出す答えは人によって違う、それぞれの考え方があり、答えも千差万別だと思う。

では、私の答えは?
「なるようになるさ」である。
諦めとも、開き直りともいえる答えだが、やっとこの答えにたどり着いた。今はこの答えで満足している。

若いころは気づかなかったが、この歳になって気づいた。
「なるようになるさ」を。

正直いって、ここまでたどり着くのに大分時間がかかった。もっと早く気づけば良かったものを、不安と心配性の性格がたどり着くのを遅らせた。若いときは余裕がなくて、とてもこの境地に至らなかった。じたばたとあくせくしながら、ただただ日常の不安に振り回されていた。

今にして思えば、振り回されたのも勉強であった。すべてが経験となった。一番いい勉強は自らの経験。この経験によって自分は成長できた気がする。

不安で一番厄介なのは、考え過ぎること。

考えてもしょうがないことを、人間は飽きもせず悶々と考えてしまう。本人はその考えをやめて他のことを考えたいのだが、ところが不安はそうはどっこい問屋が卸さない。つねにわたし(不安)のことを考えなさいよと命令してくる。不安の正体はわたし(自分)なのである。

来る日も来る日もわたしという不安が朝から晩まで出現する。せっかくわたしを抑え込んでも今度は他人の言葉で不安が再発する。不安の正体は、他人からの伝染と自らの心から湧き上がるもの、これが不安の正体である。

せっかく前向きになっても、友達にネガティブな言葉を言われると、すぐに落ち込んでしまうのが人間の弱さである。この弱さはどこからきているのか?それは自分を持っていないところからきている。

自分を持とうよ。
他人の意見に惑わされない自分を。
そして、自分に惑わされない自分を。
持とうよ。

そのために、「心は自分の道具だ」とすることだね。道具であれば、自分が惑わされることはない。道具は自分が思うように使うだけ。道具に使われて奴隷になってはいけない。あくまでも心は自分の道具だ。

そして、他人の意見も同じこと。
他人の意見は他人の意見である、自分の考えと違えば、この意見に従う必要がない。他人の意見も道具だ。この道具はアドバイスとして優れた道具か?それとも不良品の役に立たない道具か?判断するのは自分である。


自分を持っていれば、不安は「なるようになるさ」で終わらせることができる。


悩みは、

1千人いれば1千人とも違う。個人個人が抱える悩みはまるで宇宙のように広大である。

さまざまな考えが次々とまとまりもなく現れては消えていく。

悩みは次から次へと形を変えて襲いかかってくる。

今日も新たな恐怖となってまた悩みの世界に入る。

いつまで経っても解決しない堂々巡りの悩みが続く。

負のスパイラルに陥った人間は、いつまで経っても悩みの世界から抜け出せないでいる。


もう・・・やめようか。
悩むことを。
バカバカしいと思いませんか。

なんでこんなバカバカしいことを人々は後生大事に持っているのでしょう。

悩みなんて価値ありませんよ。悩みの原因となっている不安も価値ありませんよ。

価値のないものにいつまでも付き合ってはいけませんよ。

どの人にも言えることだが、悩みなんてポイッと捨てちゃいなさいよ。

そうすれば悩みは解決するよ。

そういうあんた(沖川)はどうしているの?

私?

私もポイッと捨てているよ。

ときどきね。毎日ではないよ、ときどきだよ。ときどきポイッと捨てているよ。


そうだな・・・一週間分の悩みを休みの日に捨てるかな。今日は休みだから一週間分の悩みを今日捨てる。一週間たまった洗濯のようにね。命の洗濯をしているのだよ。汚れた悩みは洗ったらすっきりする。さらに干して日光に当てれば消毒されてスッキリする。

悩みの正体は千差万別。
千人いれば千人の悩みがある。
その千人に言いたいのは、もうやめようか悩むことを。

洗濯しちゃえ、こんなの。
あなたの休みの日に洗濯しちゃえ!

洗濯すれば汚れた悩みが綺麗になる。彼が薄汚れているのなら、洗濯すれば綺麗になるだろう。きっといい男の生まれ変わるよ(笑)

まあ、いずれにしても命の洗濯は大切だ。あなたの心だけでも洗濯して綺麗にしましょう。




不安はひとつのことを捉えて、その事ばかりを考える。
不安そのものが主人公になって、シェイクスピアの四大悲劇、『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』のような作品を自ら作り上げてしまう。あるいは、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』のような作品も作り上げてしまうだろう。

不安を抱えている人は朝から晩まで四六時中そのことを考えているので、何冊もの本が書ける。不安や悩みを主人公にした作品は多い。あなたは今、どんな作品を手がけているのだろうか。

不安はそうだな・・・。
あなたの人生の作品だと思えばいい。そう考えれば気が楽だ。

どんな色づけをしていくかは、あなたの自由だ。あなたの想像によって仕上げればいい。
妄想でも構わないよ。

ここにいる時間が好きなら、ここにいればいい。皆さんここにいて、えらく楽しんでいるようだ。

なに?楽しくない。不安が楽しいわけがないでしょ。そっか。じゃ哲学だと思えばいい。

哲学とは真理を追求する知的な営みのことをいう。あなたはあなたの不安を追求している。
まさしくあなたの哲学だ。哲学だと思えば、楽しくなる。

彼はなぜこんなことをするのか?彼はなにを考えているのか?なぜ自分がこんな目に合わなければいけないのか?二人は今後どうなるのか?わたしの将来はどうなるのか?押し寄せる不安によって、あなたは真理を追究する哲学の世界にいる。

そう考えれば、あなたはりっぱな哲学者だ。なぜこうなったかという真理を追究するのはとても楽しいことだ。是非追求したまえ、いい答えが出るように。

いい答えなんて出ない。出るのは悪い答えばかり。

なるほど・・・出るのは悪い答えばかりか。

じゃ、いい答えが出るように進言しよう。

いい答えの出し方は、「相対的」に「トータル」で答えを出すこと。

「相対的」とは「他のものとの比較した場合の状態や価値、他のものと比較の上に成り立つさま」を意味する。

「トータル」とは全体としてとらえるさまのことを意味する。

つまり客観的に冷静にみて、相手や自分のことをトータルで判断すること。

具体的にいえば、
彼の悪いところ、良いところを、相対的にみてトータルで判断することです。トータルが悪ければ彼をあきらめ、トータルが良ければ彼と続けるということです。最終的にはトータルで判断することです。

皆さんは細かいネガティブの部分だけを拾い上げ、悶々と悩んでいます。それを否定するつもりはありませんが、もっと大きな観点から、相対的にトータルで、相手のことをみてやったらどうでしょうか。最終的にはトータルでの総合判断が正しい結果を生むのです。

最終的にはトータルで判断する。
これを心がけてください。


不安だから自分磨きをしたいが、この自分磨きがなかなか思うようにいかない。誰にも、そんな経験があると思います。

例えばなまった体を鍛えるために運動する。よし明日から6時に起きてジョギングをしようと思い立つのですが、明日になれば6時に起ききれない。たとえ起きたとしても雨が降っているからやめた・・・なんてことがあると思います。

何かをするためには邪魔が入るものです。体調だったり、怠けようとする心だったり、しまいには天候だったり、何かをするには邪魔が入るものです。やる気がない、体もだるい、雨が降っているからできない・・・いいわけという邪魔が入ります。

本を読むときもそうです。本を読むと頭が痛くなる。目が疲れる。ためになる本がない。どの本を読んでも面白くないので5分も読むと眠くなる。無理して長時間読めば、腰と首が痛くなる。そうするとこんなの長く続けていられないとなります。

何かの資格を取ろうにも同じ事が言えます。最初は夢に向かって資格の勉強をするのですが、しばらくやってみると、この資格は自分に合わない?何の意味があるの?という迷いが生じてきて、勉強そのものに興味を失い、途中で辞めてしまいます。

何かをするには邪魔が入るものです。
邪魔の正体は言わずと知れたあなた自身です。あなたの体調や心ではありません、あなた自身です。あなたが自分を甘えかすから、心も体もいうことをきかないのです。

何かをするためには、心も体もいうことをきかす、あなた自身を作らなければいけません。あなたの命令通りに動く心と体を作る必要があります。

「先生は面白いことをいうね」と思われるでしょう。そうなのです私は面白いのです(笑)さらに面白い理由をつけましょう。「心と体」と「あなた」は別のものです。「あなた」と「心と体」は分けてください。それができれば自分磨きは淡々とできます。

心と体は道具だ。
あなたがリーダーで、心と体がリーダーではありません。心と体はあなたの道具にしか過ぎません。今のあなたの道具は錆びています。錆びた道具を磨くのが自分磨きです。


錆びた道具は訓練によって磨かれます。怠けてワガママになった錆びた道具のいいなりにならないでください。こいつらをあなたが鍛え直すのです。これがリーダーとしてのあなたの役目です。

道具に勝手な振る舞いをさせないこと。あなたがしっかり見張って、運動しなさい、本を読みなさい、勉強しなさいと、命令して監視することです。

しっかり監視すれば、道具たちはあなたの命令に従います。心と体の道具が統制された状態を本当の自分磨きといいます。そうなれば、そこには不安は存在しません。



人は不安があると不安のことを考えるくせがある。
だが、不安のことを考えても、何も良いことは起こらない。なのに人間は不安のことばかりを考える。不安があるとき不安のことを考えない人間がいるだろうか?いることはいると思う。でもそれは限られた一部の人間のみではないだろうか。99%の人間は不安があるとき、不安のことを考える。それが人間に埋め込まれたひとつの習性かもしれない。

では、不安があるとき不安のことを考えない人間とはどんな人間か?

空想で物事を見れば、冷たいロボット。
ターミネーターのような機械人間なら不安のとき不安のことを考えない。機械は生産性だけ上げるためにだけにプログラムされているので、不安の感情は持たない。ロボットや機械は感情がないから不安にならない。そういう機械のような冷たい感情を持った人間がいることはいるが、彼らが成功した例はない。冷酷非道の人間は成功しないように人間の世界はできているからだ。

空想ではなく現実で物事を見れば、達観した人。
達観した人は不安のとき不安のことを考え失敗した人。嫌というほど挫折を繰り返して嫌というほど失敗をした。なぜ自分はここまで失敗したのか?なぜここまで何もかもうまくいかなかったのか?神に裏切られ、彼女に裏切られ、信頼している人にも裏切られたのはなぜか?と深く考え抜いた結果、ついに原因を突き止めた。それは不安がそうさせたという原因を突き止めたのである。

「不安がそうさせた」それに気づいた人を達観した人という。
達観した人は、もう不安のことを考えない。
不安があったとしても考えないようにしている。
考えれば、また失敗して不幸になることを知っているからだ。
だから不安なことは考えない。

不安があるときは不安のことを考えない。
これが不安を克服した人の経験。彼らは人間である。ロボットではない。不安を抱えている人よりも感情は豊かで愛情もたっぷりある。幸せでないと成功しない。これを自ら学んだ人たちである。


反対に充実した生活とはなにか?
それは、努力というしんどさの上に成り立つものである。

充実した生活を勘違いしている人がいる。
なにを勘違いしているか、それは充実した生活が楽だと思っている点だ。不安を抱えている人からみれば、「あなたはいいわね、何の問題もなく生活ができているから、あなたをみていると悩みがなさそうで羨ましいわ」と充実した生活を送っている人を揶揄する人がいる。

だがそれは、とんだ勘違いだ。
充実した生活を送ることは決して楽なことではない。まだ不安を抱えている人の方が楽に生きている。なぜなら、充実した生活を送るには、それ相当の努力と忍耐が必要だからだ。

充実した人生はどちらかというと、しんどい方が多い。辛くて、しんどくて、我慢できないほどの忍耐力と厳しさが要求されるのが充実した生活だ。

不安があると充実した生活は送れない。
不安を抱えている人はのらりくらりしながら考え事をするものだから、不安を理由に活動しないでじっとしている。それは頭のいいやり方だし、不安な気持ちでいるほうが、活動的で何かに打ち込むより、得るものは少なくとも、明らかに楽であるからだ。

そして、不安のとき次の言葉を発する。
「不安がいっぱいなのに、いったいどうして行動することができるだろうか?」と。あるいは、不安のときは「何も手がつかない。××のことが心配で心配で・・・」ともいう。こうした病んだ現象は、恋愛、結婚、仕事、金銭、健康などといった分野にも当てはまる。

不安のお陰で自分は変わらずに済むことを選ぶ。何かを行動するよりも、不安を抱いている方が、あえて真実を知るよりラクだからだ。不安を抱えている多くの人はその楽な方を選ぶ。

だが、不安の世界にいたら生きた心地がしない。
これはどの人にも当てはまる。

そして、その世界から抜け出すようにもがく。
もがいても、もがいても不安の溝は埋まらない。
どうすればいいの・・・わたし。
となる。

そのときは、自ら充実した生活を切り開くことだ。
自らの手で、あなたの手で切り開くことだ。

もうそろそろいいだろう。現在の時は、過去や未来の囚われで生きていくのではなく、充実して生きる時が来た、と考えることにしよう。

わたしはこの時間を不安のために使ってしまっているけど、いったい何を避けているのだろう。そして、自分が避けているのはなんであれ、それに取り込むことだ。不安に対する最善の策は避けていることをもう一度思い直して行動に移すことだ。

先にも述べたが、充実した生活は、努力というしんどさの上に成り立っている。だが、一度その生活の住人になってしまえば、あなたの生活は充実して間違いなく不安は解消される。不安が解消されれば、あなたは成功に向けた第一歩が踏み出すことができる。




人は不安になった時や悩んだ時や何を信じたらいいのか分からなくなった時に、占いや宗教やお守りやお参りなど何かに頼りたくなると思います。自分が弱っている時に色々と周りから良くも悪くも洗脳されていきます。一つのアドバイスとして聞き自分にとって解決になると思ったら受け入れようと私は思っていますが…

たまに何かに頼れば願いは叶うと心のどこかで思ってしまいます。先生も、そういう経験はあったのでしょうか?またはお客さんで占いや宗教の言葉は全て正しい、その通りにしていれば全てうまくいくと思っている方はいたのでしょうか?もし、いましたらお話をお聞きしたいと思っております。どうすれば自分が思っているように進む事ができるのでしょうか?

人は悩んだときに占いや宗教お守りやお参りなどに頼りたくなる。
それによって占いや宗教、神社などの仕事が成り立っているのも事実です。不安や悩みがなければこの仕事は成り立ちませんから。私自身も多くの方の悩みを解決したくて占い師の仕事を選びました。

人は弱っているとき、周りから良くも悪くも洗脳されます。
その通りですね。だが、洗脳されるのはよくありません。周りの意見はひとつのアドバイスとして受け止めることです。ちなみに、私は弱っているとき周りの人の意見は聞きません。周りの意見よりも先人たちの教えから方向性を見つけるようにしています。

先人たちの教えとは、本からの学びです。
私は弱っているとき、周りの意見は聞きません。現存している周りの人間は自分より能力が高くないからです。

この仕事を選んだときもそうでした。周りとは一切相談していません。結果として相談しなくて良かったと思います。相談すれば反対意見によって悪い方に洗脳されたからです。自分の悩みは自分で解決する。自分の夢は自分で成し遂げる。成し遂げる知恵は先人たちから学ぶ。悩んだときは本から学ぶ、これを私は信条としています。

だから私は何かに頼れば願いが叶うと思っていません。

頼れるのは自分自身です。いかに勤勉に努めるかです。占いや宗教やお守りやお参りなど何かに頼りたくなったことはこの仕事をやってから一度もありません。自分が占い師なのに、なにそれ?と思われるかもしれませんが、私は占いを信じていないからです。

占いの手法だけでは、不安や悩みは解決できません。悪い部分は当てることができますが、良くなる方法は占いでは当てることができません。従って占いではよくなる方法を見つけるのは難しいと思います。

またはお客さんで占いや宗教の言葉は全て正しい、その通りにしていれば全てうまくいくと思っている方はいたのでしょうか?

私の教えに従ってうまくいった人もいます。そういったお礼の手紙ももらったことがあります。でもそれはほんの1部で全部ではありません。鑑定を受けた後は、お客さんの考え方に委ねる。これが私の仕事のあり方だと思っているからです。

良くなる方法の伝授は、先人たちの教えと、この仕事を通した私の経験によって伝授できると確信していますが、私自身がまだまだ未熟だと思っています。良い答えがでるように切磋琢磨しているのが今の私の現状だからです。

先人たちの教えは数千冊の本から学びました。彼らの経験は占い師や宗教家や神社の歴史の比ではありません。それよりはるかにしのぐ潜在的な能力を持っています。尽きることのない彼らの勤勉に学べば、悩みの解決法が見つかると確信しています。そして今までの私の経験もきっと役に立つ、そう信じてこの仕事を続けています。