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男「僕が結婚したいとき、彼女は結婚する気がないという」
女「私が結婚したいとき、彼は結婚する気がないという」


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恋愛における最終目標である結婚。男と女は一番大切な局面ですれ違う。男と女では愛のタイミングがずれている。タイミングがずれているよくあるパターンは、男が最初に結婚を願望し、女は後から結婚を願望することにある。それぞれの愛の基準がずれているので、男と女はなかなか結ばれない。このずれている男と女の愛の基準をどう修正するかだ。

付き合い当初の彼は彼女のことがもの凄く好きだった。僕にはこの女性しかいない。この女性こそ僕の運命の人。彼は勢い余って彼女に結婚を申し込んだ。彼女は彼の勢いに戸惑いながらも…出した結論は、「結婚はまだ考えられない、付き合ったばかりなので結婚はまだ早い」と答える。女性心理から言えば当然のことだが、勢い余った男は待てない、結婚はまだ早いという彼女の結論によって、彼の結婚願望はここで断ち消える。一度断ち消えたものは二度と復活しない。それから先は結婚を意識しないなだらかな恋愛が続く。

二人は別れることなく、なだらかな恋愛が二年続いた。付き合って二年、彼のことはすべてわかるようになった。二年の年月によって、情も深くなり、愛も育み、心から彼のことが好きになった。彼と結婚したら幸せになれる。今度は彼女の方が結婚を意識するようになった。そろそろ彼と結婚したい。彼はどう思っているか?私との結婚を真剣に考えているか?それとも…?女心はいろいろと迷いながら、彼に結婚について自分の気持ちを伝える。女の伝え方は遠回しな言い方が多くストレートではない。「これからどうするの…?」彼にプレッシャーをかける遠回しな言い方。彼女の遠回しな言い方でも、彼には彼女が結婚意識し始めたと、なんとなくとわかる。そして、この言葉は彼にとってプレッシャーとなる。彼が結婚を意識しているときはハッピーな言葉になるが、結婚を意識していないときは不幸な言葉となる。不幸な言葉でプレッシャーをかけられれば、男は彼女との悲しい別れを想像する。

タイミングが合っていない。
どうすれば、タイミングが合うようになるのか?
男と女の愛の基準がずれている。
どうすれば、愛の基準を合わせることができるか?

タイミングの合わせ方は、付き合う前に相手を見極めること。
「男は最初にありき」あなたが結婚を強く意識し、今度付き合う人は結婚をしたいと思うのなら、「男は最初で女は後から」というメカニズムをうまく活用するといいでしょう。メカニズムをうまく活用するためには、すぐに付き合ってはいけない。胸キュンな恋心ばかりを先行させて、あまり深く考えずに付き合うから後から失敗するのです。ここで重要なのは、『好きになることより相手を見極めること』です。付き合うことをOKするまでによくよく相手の男性のことを観察して結婚相手としてOKかどうか見極めてから付き合うことです。


「決める」人になること。
「男は最初で女は後から」というメカニズムを知らずに付き合い、「これからどうするの?」というプレッシャーをかけたら彼は逃げてしまった…という状況のあなた。これからは決める女になりましょう。人生は何事も決められる人が勝利を納めています。あなたも決められる人に是非なってください。「彼と結婚をしたいなら?彼との結婚を決めてください」これが答えです。

そんな!簡単なものじゃない。簡単に決められないから悩んでいるのです。簡単に決まったら誰も苦労なんかしません。そもそもその考え自体が間違っているのです。その考えはネガティブです。そして物事をやりもしないで、最初から諦めている否定精神がうんとたくさん宿っています。それでは決めることができません。

決めるには、ポジティブになることです。彼と結婚をしたいなら?「彼と結婚する」とポジティブに決めることです。その考えをあなたの潜在意識にしっかりと強くインプットしてください。物事はシンプルにポジティブに考えること、これが基本です。

基本ができれば、決められる女になります。これから教えるのは、どのビジネスでも最高のセールができる屈指のテクニックです。これをマスターすれば、彼との結婚なんておちゃのこさいさいです。

セールスでは、決められる人と決められない人がいます。その違いは何か?
セールスでは、結果を出す人と結果を出せない人がいます。その違いは何か?
決められない人、結果を出せない人は、考え方がネガティブで、どうせ売れもしないと最初から諦めているからです。常に否定精神が宿っている、これが決められない人の特徴です。

決められる人は、その反対の精神が宿っています。決まるまで諦めない。結果を出すまで諦めない。常に前向きで、常にポジティブで、わずかなチャンスも見逃さない。一生懸命やったという過程も素晴らしいが、結果が出ないと意味がない、今までの苦労が水の泡となる。常に成果を求める精神が宿っている、これが決められる人です。

あなたも決められる人になってください。そのためには常日頃の訓練が大切です。
今の彼は結婚に否定的で逃げています。よし、今に見ていろ!私があなたとの結婚を決めてやるから!と心に誓い、あなたは今日から訓練を開始することです。

訓練方法は、日常生活で訓練することです。仕事・家事・人間関係等、全ての日常で、積極的に決める訓練をすることです。部屋を掃除すると決めてください。この仕事を今日まで完成させると決めてください。今日は友達と食事に行くと決めてください。日常生活において、決める訓練をすることです。そして、決めたら最後まで完遂するまで諦めないことです。優柔不断は人類共通の敵です。その訓練を積んでいけば、彼と結婚することなどそんなに難しいことではありません。訓練を積んでいけば、必ず彼と前向きな結婚についての話ができるチャンスが訪れるからです。


お褒めの言葉、ありがとうございます。
そのつもりで、私もブログを書いています。
世界に類のない「恋愛教科書」をいま執筆中です(笑)

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私のテーマはリアルで配信することです。
いま起きていることを、
私の感想を交えて、私の意見をいれて配信する。
このときは、(こうするべきだった)という思いも馳せて配信する。
つまり、恋愛の実況中継です。

この実況中継に「やらせ」はありません。
どこかのテレビ局がやっている「やらせ」は私のブログには存在しません。
そのままリアルに配信しているだけです。

だから、面白おかしくして視聴率(アスクセス数)を増やす気は毛頭ありません。汚い手段で数字稼ぎはしていないのです。日常そのまま思った事を記事に書く。私の記事によって少しでも多くの人が助かるように。少しでも多くの人が成長できるように、日々毎朝ブログを更新し続けているだけです。

目指すのは、どの本にもない恋愛指南書。
指南書という言葉はあまり好きではありません。
では、恋愛教科書か?教科書もいまひとつピンときません。
では、こういいましょう。
これは、「恋愛の成功哲学書」です。

ビジネスの成功哲学はどこにもありますが、恋愛の成功哲学はあまりない。恋愛指南書なる本を何冊か読んだことがありますが、私に言わせれば「なんだそれ?」と思われる内容ばかり。作者には申し訳ないですが、私が日常感じている現実とは違う。女性の心理、男性の心理を深く理解していない。表向きの男女の心理はまあまあだが、深層心理は今一である。

ならば私が書こう。
深層心理を深く理解している私が書こう。

人間は個人によって随分違うぞ、やり方も行動も沈黙も放置も連絡も愛し方も冷め方も優先順位も違う。相手にあった行動をしないと結果は反対の方向に動く。そこが恋愛の難しいところ。まさしく哲学だ。私はこの哲学を完成させるため、毎日配信している。個々の例題を、これでもかこれでもかと配信している。「私が書こう」は、この仕事をしている私の使命感によって生まれた。そんな気がします。

記事を書いている本人は、毎日が勉強です。
この勉強は、自分自身の進化向上に役立っていると思います。私が勉強して成長しないと人に教えることはできません。だから、私にはたくさんの教師がいます。それは、お客様です。先生、今日もよろしくお願いします。共に勉強しましょう。




誰一人、同じ内容はない。
70億の人間がいれば、70億人違う。
環境も状況も考え方も気持ちも愛し方も違う。
個々の鑑定は、まるで無限の宇宙のようだ。

だから、毎日刺激を受けている。
毎日内容が違うから、毎日が新鮮だ。
そして、毎日頭を悩まされている、複雑な内容に・・・。
普通の人なら、もうとっくに嫌になっているだろう。
精神的に弱い人なら、気が狂っているかもしれない。

だが、私は違う。
それを楽しんでいる。
よくもまあ、次々から次へと面倒で複雑な相談が来るものだ。
逆に面白いと、楽しんでいる。

経験とは恐い。いや経験とは凄い。
ネガティブな相談に耐えられる力が身につく。
すぐれた忍耐力も身につく。
仕事というのは、結局は忍耐力。
忍耐力があるから、無理難題の課題にチャレンジできる。
皆さんのお陰で、相当な忍耐力がついた。
そこは感謝です。とても有り難いことです。

私は皆さんに無理難題を押しつけられています(笑)
不可能を可能にするという無理難題を押しつけられています。
周りは「この男はやめておけ」という。
周りの意見は確かに常識のある考え。
つまり、1+1=2という公式のある考え。

だが、ここに来るお客さんは、この公式に納得していない。
1+1=2という公式を自分の都合のいい計算に変えたい。変えたいが、公式という常識も理解している。公式と自分が浴するものが違い過ぎて、どうしていいか分からず、私に悩みを打ち明ける。

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沖川曰く。
愛に公式は存在しない。
「公式はあなただ!」と明言する。
世間一般の常識なら、公式は1+1=2であろう。
だが、愛においてはこの公式は存在しない。
公式はあなた自身が作るもの。
70億人いれば、70億人の個人個人である「あなた方」が作るべきだ。

愛の世界には、学校で習った公式は存在しない。
先生方も、この複雑な問題を理解していない。

政治家も企業家も発明家も科学者も法律の番人でも理解していない。精神科や心理学者やでも理解していない。AIやスーパーコンピュータでも計算できない。人類の科学、文明の力を借りても、この複雑な愛の問題を解き明かすことは不可能なのである。

人類が解き明かせない課題が愛である。人を愛する精神構造は誰も解き明かせない。だから、愛には公式はないのである。公式はあなたが作るもの。70億人の人間がいれば、70億人分の愛があるということ。あなたもその中の一人。あなた自身が公式を作るしかない。

だから、私も大変よ。
ひとりひとり違うから。

毎日刺激を受けている。
毎日内容が違うから、毎日が新鮮だ。
そして、毎日頭を悩まされている、複雑な内容に・・・。
という気持ち。少しは理解して頂けたでしょうか。

世界で解明できないものを、私に解明できるか?
とんでもございません。それは不可能です。
70億人分の精神構造を私に解明出来るわけありません。

ただ、日々精進するしかない。
せめて、ここに来られるお客さんの味方になって日々精進するしかない。少しでも助けになるように、努力するしかない。そのつもりでこの仕事をしています。




「理想が高い」というのは、別に悪いことではない。とても良いことだ。
ただ、理想を手に入れるには、それに応じた能力が必要となる。

例えば3高(高身長・高学歴・高収入)を理想とする。まるで、昭和後期の女性たちの理想だが、3高を得るには、それなりの苦労が伴う。なかなか理想通りにはいかないという苦労が。

3高の男子には、3高の女子がお似合いだが、そういったお似合いのケースは少なく、正反対の背も小さく、学歴も収入も普通の女子が3高の男子を狙っていることの方が多い。結果、努力の甲斐なく、夢打ち破れている。

そして、悩む。
私には無理だと。

そして、彼女に問いただす。
「では、3高を諦めて、身の丈に応じた人を選びますか?」

彼女の答えは、
「それは嫌です」。
これが答え。
あれだけ辛い目にあっても、まだ3高が好きだという。

こうなったら、気持ちを世界レベルに持っていかなければならない。奇跡を起こした先人たちと同じ精神力を身につけなければならない。どんなに困難なことでもチャレンジして不可能を可能にした先人たちの強靱な精神力と知恵を学ばなければならない。

これは大変なことだ。
おそらく一般の人には、一生かかっても無理だろう。選ばれし天才になるには、並大抵の努力では無理だからだ。それだけの素質が彼女にあるのか?それは分からない。分からないが彼女はいつも口癖のように言っている。私は、身長は180センチ以上、高学歴で高収入の男性が好きだと。ずっと言っている。これが彼女の思い。彼女の夢だ。

浅ましい、厚かましい、ワガママな強欲だと人に思われても、これが彼女の夢だから仕方ない。人に文句を言われる筋合いでもない。私はずっと彼女の夢を応援している。早く3高の男性と結婚するといいねと。

彼女には素質はある。
いつも3高の男性と絡んでいる。身長185センチ以上の男性と。学歴もあって、収入の高い男性と絡んでいる。中には3ヶ月ほど付き合った男性もいれば、遊びで中途半端に終った男性もいる。目的は達成できないが、絡むことに関しては出来ている。

素質は、まず絡むことから。
それが出来ていれば、大したものよ。

あとは中味だ。
中味とは、3高の男性の上から目線の言葉に被害を受けないことだ。彼らは3高、エリート意識が高くプライドも高い。だから、どうしても自分より下のものを卑下する特徴がある。見下した卑下は、男性の言葉によって表れる。

君は背が小さいね。学力が低いね。料理ができないね。女らしくないね。美人でないね。頭が優秀でないね。・・・3高の上から目線の言葉を浴びせられる。

私のアドバイスは、男の言葉を真に受けないこと。
女性に発している男の言葉ほど、この世で信用できないものはない。良い言葉も悪い言葉も真に受けないこと。真に受けないことで、あなたは先人たちと同じ知識を見つけることができる。それは言葉の暴力に屈しない精神力だ。

女性という生き物は、いつも言葉にやられている。言葉によって無惨な思いもしている。理想も言葉によって潰されている。最終的には言葉によって悩んでいる。

理想を手に入れるには、今日から言葉による悩みを無くすことだ。男が言っている言葉は、嘘とプライドの塊で、なんの価値もない。逆に見下すくらいでいい。女性を見下す言葉は発する男は、価値のない男。いくら3高でも、バカが3つついているだけである。

彼女は、3高と絡む能力がある。
3高とご飯も行けて、ホテルも行ける能力がある。
あとは、本物にするだけ。

本物にするには、男の言葉でいちいち悩まないこと。
男のどんな言葉にも、不安を覚えない、自信を無くさないようにすれば、理想は手に入るだろう。これが先人たちの教えである。そして沖川の教えでもある。


「心を積極的に」私はこの言葉が好きで、日常生活でもこの言葉を取入れている。悩んだときは「心を積極的にせよ」と渇を入れ、消極的な考えを追い払うようにしている。人間は油断していると、すぐに消極的になりがちだ。だから、ときどき渇を入れる「心を積極的に」と。

人間の心は卑しくてケチだ。けち臭い考えのもとに心が消極的になるから始末に負えない。外食のとき、本当はこれが食べたいのに高いからといって安いものを注文する。本当は駅近の便利なマンションに住みたいのに、高いからといって安い不便なおんぼろアパートに住む。

節制を心がける身の丈に応じた生活を悪評しているわけではない。お金があるのにケチな考えで、心を卑しく萎縮しているのに問題がある。ケチな考えで心を萎縮すれば、それに応じた収入しか入らなくなる。収入は器に応じて入るもの、あまりにも心が消極的では、収入もそれに応じて小さくなり、出世もできなくなる。

そういう人に限ってけち臭い割り勘が多い。今の時代、割り勘を否定してはいけないが、あまりにもけちな割り勘が多い気がする。なんか頭にきて、がっかりするような、え!これ男なの?卑怯ともいえる割り勘が多い。卑しく自己防衛に走ったケチな割り勘。「あなたってけちね」と女性に言われそうな割り勘。男を下げる割り勘が多い気がする。

人間の心は卑しくてケチだ。けち臭い考えのもとに心が消極的になるから始末に負えない。もし、今のあなたがそんな状態なら、心を改め積極的にすることだ。節約や節制を非としているわけではない。「ケチになるな」といっているのだ。

けちな割り勘をするのなら、女性と付き合わない方がいい。お金がなければ恋愛禁止でいいではないか。「お金がないから恋愛を禁止にする」それができて節約や節制が光ってくる。お金にもないのに、けち臭い欲望で女に走るから、男を下げるのである。

人間はケチの考えのもとではダメだ。ケチは消極的な心の温床であり、そこから抜け出すには心を積極的にしてチャレンジしなければいけない。無謀なことにチャレンジしなさいといっているわけではない。身の丈に応じたチャレンジは誰にも出来るはずだ。ケチな考えで、いま出来ることをしなければ、一生後悔することになる。


男性が結婚できない理由のNO1はお金がないから。
それもまた、ケチな考えだ。
ならば、女性と付き合うな。
けちな男が女性と付き合う権利はない。
厳しいが、それが私の率直な意見。
古いオヤジでゴメン。

なに?
金持ちになりたい。
無理だね、ケチは金持ちになれない。

金持ちになりたければ、お金がないときに結婚することだ。
夫婦二人三脚で協力し合えば金持ちになれる。
これが金持ちになる基本。
世界の金持ちはみんなそうしている。

富裕層でなくていい。
普通でいいから、健康で豊かで幸福で安心した暮らしを手に入れたい。
無理だね、けちはそれも手に入らない。
けちな考えでは、孤独で不健康で不安な暮らししか手に入らない。

普通の安心した暮らしを手に入れたいのなら、お金がないときに結婚することだ。そうすれば、普通で安心した暮らしを手に入れるチャンスが生まれる。

実は普通というのが一番難しい。世界を支えているのは普通の人たちのたゆまぬ努力の結果にしか過ぎない。努力の継続があって、やっと普通が手に入る。お金がないといって結婚を渋っている人には普通も手に入らない。

金持ちが幸せではない。
貧乏人が幸せではない。
一番幸せなのは、普通の人だと私は思う。

普通を手に入れるのは難しいが、考え方を変えれば誰にでも手に入る。それはケチな考えは捨てて、心を積極的にすることだ。


仕事が大切・・・素晴らしい。
家族が大切・・・素晴らしい。
子供大切・・・素晴らしい。
生活が大切・・・素晴らしい。
パートナー(夫・妻、彼氏・彼女)が大切・・・素晴らしい。
何が大切か?自分で見つけること。

単体ではどれも大切だが、では組み合わせるとどっちが大切か?比べてみよう。
仕事とパートナー、どっちが大切か?
仕事と家族、どっちが大切か?
仕事と子供、どっちが大切か?
仕事と生活、どっちが大切か?
どっちを大切にするか?
どっちを優先にするか?

答えはどちらも大切である。
だが、両方同時にはできない。
バランスが大切である。
このバランスが崩れると、相手を悲しませ相手を不幸にさせる結果となる。

恋愛相談で多いのは、彼氏が仕事人間であること。
朝から晩まで仕事人間で、こちらの時間を作ってくれない。連絡は取れず音信不通。もう何ヶ月も会っていない。こんな相談ばかり。男たちは知らないのであろう。彼氏が仕事人間で日本全国数百万の女性が悩んでいることを。

仕事人間?
うむ、仕事人間が成功した例はないと思う。
やはり成功する人は、心にゆとりあってバランスの取れた人間だ。
バランスの取れない仕事人間が成功した例はないと思う。

仕事ばかりで彼女を悲しませる男が成功した例はない。
仕事ばかりで子供の運動会にもいかない男が成功した例はない。
仕事ばかりで家族と旅行にもいけない男が成功した例はない。
仕事ばかりでは男は成功しない。バランスが取れないと成功しない。
これが答えではないでしょうか。

この答えをどう見つけるか?
それは仕事人間の素質にかかっている。
どんな素質かというと、それは気づく素質だ。
気づく素質は、頭が良くないと構築されない。
読書をたくさんして、世の中で成功した人がどういう道をたどったか、先人たちの教えを学べば気づくことができる。独りよがりの頭の悪い性格では、一生気づくことはない。本から学ぶ努力、他人から学ぶ努力がない限り、一生気づくことはない。そのために独りよがりのプライドは捨てること。素直に先人たちの教えを素直に学ぶこと。それができれば、気づくことになる。

気づけば、豊かで幸福な人生が待っている。
気づかなければ、一生困り果てた不幸の人生が待っている。
ただ、それだけだ。

彼がそういった(読書をして先人の知恵を学ぶ)努力をしない場合、どうすればいいのですか?

答えは簡単、あなたが読書をして勉強すればいい。
恋人というのは、人を指導する立場にある。
指導するにあたって、知識もない人間が指導しても反感を買うだけである。彼が読書をしないのであれば、あなたが読書をして、読書から学んだ知識を彼に話すようにすればいいのである。

読書を真剣にした人は、どんな言い方がいいか?話をどんな風に持っていったらいいか、相手が理解して納得するようなシナリオが作れる。シナリオ作りが上手になり、シナリオ作りのプロになれば、彼を一生困り果てた不幸の人生から、豊かで幸福な人生へと導くことができる。

恋人同士というのは波動で繋がっている。
あなたが学べば彼も学ぶようになっているのです。先陣を切ってあなたが学べば、やがて彼も追随して学ぶようになるでしょう。双方が独りよがりのプライド、自己中心の勝手な思いや浅はかな知識だけでは、難局を乗り越えることはできません。難局を乗り越えるには、難局を乗り越えるだけの知識が必要なのです。

ですから、彼が本を読まないのなら、あなたが読めばいいのです。読んでいけば難局を乗り越える力が本には無尽蔵にあります。その力をいとも簡単にあなたは得ることができます。本にはそれだけの力があるのです。何が大切か?自分で見つけること。あなた自身が、何が大切か?学問を積んで見つけてください。





何を選択するか?
何を優先にするか?
人生は優先順位の選択によって決まる。

ホントにそう思う。
何が大切か?しっかり考えよう。

優先順位を間違えたら幸せになれない。
それどころか不幸になる。最悪な場合、人を傷つけ、人の命を奪うこともある。


幼い子に十分な食事を与えることもなく自宅に置き去りにして餓死させた女性。男に走って我が子を放置死させた女性。同棲していた男に我が子を虐待死された女性。そういったニュースを聞くたびに、なんで子供を守れなかったのかと・・・心が痛む。

もう、
男に走るな!
女に走るな!
といいたい。

恋愛とは、ある意味狂っているのかもしれない。
男と女の愛は、狂っている。何が大切か?優先順位を守らなければ、狂った愛でしかない。

愛にもルールが必要。
ルールなしの愛は「気持ち悪い」その一言に尽きる。

その気持ち悪さを取り除くには、冷静な客観的な優先順位が必要。優先順位を守るためには忍耐が必要。「なんでわたしばかりがこんな目に合うの」「なんでわたしばかりが我慢しなければならないの」「なんでわたしだけが子供のために人生を棒にふらなければならないの」「なんでわたしばかりが子供の犠牲にならなければいけないの」こういった嘆きに耐えるのが優先順位という忍耐だ。この忍耐力なしに人は幸せになれない。

子供を虐待して放置する男と女は忍耐力が足りない。気持ち悪い恋ばかりしている犯罪者に過ぎない。愛とは責任である。責任を放棄した愛に幸せが訪れることがない。愛とは自分の欲求を殺した忍耐の自己犠牲の上に成り立つもの。自分の欲望だけでは人を殺し、自分も殺すことになる。無責任な愛は、ただただ気持ち悪いだけである。

あなた方は気持ち悪い狂った愛をしないことだ。
狂った愛をしないためには、優先順位を守ること。
優先順位を守れないと、愛は狂ってしまう。

子供がいたら、子供を優先すること。
男を優先してはいけない。
間違った恋愛をしているのなら、正しい恋愛を優先すること。
すべてがこれに尽きる。

これからあなたは、優先順位の分かる女性になろう。
何が正しいか?よく考えて、優先順位を決めることだ。
そして、それが決まったら忍耐強くこの順番を守ることだ。

ここに無責任な男がいる。
あなたは、この男とは幸せになれないと判断した。
ここでの優先順位は、この男と別れること。

そのために、あなたは忍耐強く、この狂った愛を始末しなければならない。狂った、腐った、気持ち悪い愛を、なんとしても始末しなければならない。女性から愛を引き離すのは、とても困難なことだが、それをやらなければならない。それを、優先順位の忍耐という。

忍耐なしに人は幸せになれない。忍耐なしに狂った愛にしがみついている人は、この先の人生は不幸でしかない。優先順位の分からない人はいつも不幸になっている。いつまでも狂った愛にしがみついているからだ。今こそ、早く解き放て!この狂った愛を。早く始末しろ。ここにあなたの優先順位がある。

人生は優先順位の選択によって決まる。
あなたが幸せになりたいのなら、優先順位を守ることだ。どんなに辛くとも優先順位を守ることだ。何年、何十年かかろうとも優先順位を守ることだ。そこに人間の正しい生き方がある。




思いを集中させ、強い意志を持ち、自分の心をうまくコントロールする。
もし、それができれば誰でも成功できます。

「思いを集中させ、強い意志を持ち、自分の心をうまくコントロールする」ことができれば、望んだのは何でも手に入るでしょう。

成功とは、それがどんな種類のものであれ、努力したものに与えられる栄冠です。栄冠を手に入れるのも地に落とすのも心一つです。ジェームス・アレン(思いのパワーがすべてを決めているより)

こうして15年もブログを書いているのも、思いを集中させ、強い意志を持ってやっているからです。並大抵のことではできません。ときどき思いがぶれて集中できず意志薄弱となることがあります。「今日は何を書こうか?」「何も書くことない」「なんか・・・書く気がしない」心が一つではなく乱れることもあります。

それでもパソコンに向かって、ブログを書き始めます。ときどき至らない記事があるのは、心が集中できず意志がぶれているからです。それでも書く。これが自分の日課だと思って書く。自棄のやん八(やけのやんぱち)やっつけ仕事でも構わない。毎日欠かさず書くことに意義がある。「これが自分の歴史だ!」そう信じているからです。

成功するには犠牲を払うこと。
体調が悪くとも、やけのやんぱちでも書く。気分がすぐれなくとも書く。この15年間心の内戦と戦いながら犠牲を払ってきました。「体調が悪いときはブログを書くのをやめたら?毎日書く必要はないよ」という親切な忠告もあります。

この忠告は私にとって、余計なお節介かな。 これだと沖川でなくなる。そのうち書かなくなる日が来るでしょう。ペース配分は出来ているから大丈夫。やるところまでやってみるだけです。

成功とは自らの思いを集中させた結果です。集中力はときどきぶれますが、継続することで集中力がまた蘇ってきます。自らの思いは継続によって成り立つ。「ぶれた集中力は継続する力によって蘇る」それを肌で感じているからブログを書き続けているのです。

私は思います。
少しも成功しない人は、少しも犠牲を払っていないからです。
大きな成功を納めている人は、それだけ大きな犠牲を払っているということです。

だから、私は犠牲を払っているのです。小さな犠牲ですけど。
夢を大きく持つなら大きな犠牲を払わなければなりません。たとえばオリンピック選手なら、自分の自由時間はほとんどなく毎日の練習に8時間も10時間も筋肉を痛めつけて酷使しています。寝ても覚めても、考えるのはオリンピックでメダルを取ることだけしか考えていないでしょう。それは多大な犠牲です。でも、一般の人はそこまで犠牲を払っていません。また払う必要はありません。オリンピックはみて楽しむだけですから。

私も一般人なので、そこまで犠牲を払っていません。でも、小さな犠牲は払っています。犠牲なしに成功はあり得ないとすれば、犠牲を払えばいいのです。自由時間を怠惰な遊びだけで費やすのでなく、1日の1割でいいから、犠牲を払えばいいのです。これなら誰にでもできると思います。

私が毎日ブログを書いているのは、小さな犠牲です。1日24時間だとすると、1割の犠牲で2時間ちょっと、ブログに90分、運動に30分、読書に30分合計150分、合計2時間30分の犠牲を払っています。ボーッと生きるより、1割だけ犠牲を払うことにしています。

1割の犠牲。これがなかなかいい。
まず、不安がなくなる。
生活も安定して幸せに暮らせる。
この幸せは1割の犠牲によるものと確信しています。

大きな犠牲を払う必要はありません。
大きな犠牲はしんどいから、長く続きません。
その点、小さな犠牲なら長く続きます。

最後に、「犠牲」という言葉が嫌いな人もいると思います。
でも、私は好きですね「犠牲」という言葉が。

成功は犠牲を払うもの。
犠牲とは投資です。幸せになるための。
だから、犠牲なしの幸せはありません。
愛は犠牲を払うものだからです。



果たしてそうだろうか?

自分は悪いことをしていないの、なんでこんな目にあうの?といいい切れるだろうか。心の美しい人は、この美しさゆえに苦しむという考え方は、人間の自惚れに過ぎません。自分心に悪いところがないと、誰が言い切れるでしょうか。誰一人言い切れないと思います。

人間は分かっているのです。人間には卑しいところがあって、ずるいところがあって、悪い考えを持つことがあると分かっているのです。ですから、自分は悪いことを何もしていないの、なんでこんな目にあうの?といういいわけはしないことです。すべてはあなたが蒔いた種なのです。

自分に悪いところがあったから、こんな目にあった。
これが正解なのです。

自分の心に卑しいところがあった。自分の心にずるいところがあった。自分の心に悪い考えがあった。だから、あなたはこんな目にあっているのです。

己の欲求不満で、選んではいけない相手を好きになった。悪い男と知りながら最初は断ったけど、言い寄られて、押しに負けて付き合うことになった。付き合ってはいけない既婚者なのに、恋する女心に負けて、彼のことが好きになった。

私は何も悪いことをしていない。相手の執拗な押しに負けただけ。最初は断ったのよ。けど、彼は何度も何度も諦めずに口説いてきた。そして、私に奥さんとうまくいっていない、もう奥さんのことを愛していない、離婚したがっていることも言ってきた。彼のメンタルは相当弱っていて、私がなんとかしてあげようと同情している自分もいた。

最初は断ったのに、同情が愛に変わり。彼との楽しい時間を過ごしているうちに、彼のことがだんだんと好きになった。私は・・・恋に・・・落ちた。最初は断ったのに・・・。

最初に断ったのなら、最後まで断りなさい。
どんなに押されても、強く厳しく最後まで断ること。一生断り続けること。これがルールなのに、スイッチを持っている女性は、このルールを最後まで貫けない。この弱さが、こんな目に合う原因である。

彼の家庭はうまくいっていない。奥さんは悪妻。ヒステリックで旦那を非難する狂った奥さん。嫉妬深く束縛の激しい奥さん。料理もせず、部屋は散らかって、洗濯もしない、家事のまったくできない奥さん。金使いが荒く浪費の激しい奥さん。男好きで浮気ばかり繰り返して淫乱な奥さん。酒浸りでギャンブルばかりしていている最悪な奥さん。神経質でメンタルが弱く鬱病を発症して精神病を患っている奥さん。家庭がうまくいっていない男性の奥さんの悪口は山ほどある。

彼の家庭は最悪だ。
こんな奥さんなら、彼も大変だろう。
同情はする。

だが、そこまでだ。
奥さんを選んだのは彼の責任。そんな奥さんでもだ。あなたがそれに同情して責任を持つことはない。好きになるということは、責任を持つこと。あなたは彼に責任を持つことも好きになることもしてはいけない。これは彼と奥さんの問題だ。あなたの問題ではない。

彼があなたを選ぶ理由がよく分かる。
あなたは彼の奥さんとまったく正反対の女性だからだ。女性らしく美しく清らか。誠実で思いやりのあるとても素敵な女性。優しく健やかで、一緒にいてとても癒やされる女性。奥さんと正反対の女性に彼が憧れるのは分かる。惚れて口説くのも分かる。

だが、それまでだ。
あなたは、彼の欲求に負けてはいけない。自分が奥さんと正反対の女性だと認めて(女として勝った)と自惚れてもいけない。あなたは何があっても、絶対に彼と付き合ってはいけないのだ。これがあなた自身の身を守る不変のルールである。

このルールを破るから、あなたは「自分は悪いことを何もしていないのに、なんでこんな目に合うの?」という厳しい状況に追い込まれるのである。心の美しい人が、この美しさゆえに苦しむという状況に追い込まれるのである。ルールを破ったあなたには、もう心の美しさはありません。あなたの心は荒んで愛に狂った女になってしまったのです。こうなったら女はお終い。あなたの人生はそこから狂ってしまうのです。そうならないために、既婚者の口説きは、一生断り続けることです。



ただそれだけ。
思考を変な風にいじくることはない。「悪い思いを抱けば悪い結果となり、正しい思いを抱けば良い結果となる」ただ、それだけだ。

だからどんな境遇でも、正しい考えのもとで正しい思いを抱こう。
変な欲求に走って、自分の思いを悪い方向に考えないことだ。もう一度言う「悪い思いを抱けば悪い結果となり、正しい思いを抱けば良い結果となる」ただ、それだけだ。

悪い思いは苦しみを生み、正しい思いは喜びを生む。
これが人生の法則である。あなたはこの法則に従って生きればいい。

もし、あなたがいま苦しみのどん底なら、それはどこかで悪い思いを馳せたからである。この悪い思いを断ち切らない限り、あなたの苦しみは永遠に続くでしょう。苦しみを断ち切る方法は一つしかありません。それは悪い思いを断ち切ることです。

もしあなたが、不倫をしているのなら、この愛は断ち切ってください。不倫の愛を正当化してはいけません。多くの人がこういった間違った愛を一生懸命正当化しようとしますが、どんなに正当化しても、ここに正しい愛はないのです。

あなたは不倫をするような女性ではありません。あなたは不倫をするような男性ではありません。あなた方は基本的には正しい人間なのです。清く正しい心を持ったあなた方が、どういう運命のいたずらか分かりませんが、この愛し方は間違っていることに早く気づくことです。

あなたがもし浮気をしているのなら、それも間違っています。パートナーに飽きたとか、愛がなくなったからと、いろいろパートナーの悪口を言って自分を正当化しますが、浮気をすることが正しいとは言えません。あなたはただパートナーを傷つけているだけです。

いま付き合っている人を愛せない。もう好きでない、もう飽きた。相手の嫌な欠点ばかりが目につく。働かない、家事をしない、だらしない、このパートナーといると地獄だ。どんなに悪名高き理由があるにしても、あなたの行動は間違っています。

不倫・浮気、すべて間違っています。なぜなら順番が違うからです。あなたが新規の正しい恋をしたいのなら、パートナーと正式に別れたからしてください。結婚しているのなら離婚して、恋人がいるのなら恋人と別れて、新規の恋愛をしてください。

それは、おそらく様々な事情でできないでしょう。
結婚していれば、家族がいて生活があります。子供たちもいます。生活費もかかります。いま離婚したら、とても自立した生活はできません。つまり離婚しようにも、お金がないのです。結婚とは責任の上に生活が回るようにお金のシステムが組み込まれているからです。

お金のシステムが結婚なのです。結婚したら愛がお金に替わるのです。つまり愛=お金です。この愛を粗末にしてはいけません。お金の愛は恋愛の愛より尊いからです。お金があるから生活ができている。ここには恋愛より尊いのがあります。結局人間は愛だけでは生きていけません。安定した生活があるから生きていけるのです。

あなたはこの安定した生活を放棄してまで、不倫の愛を貫く覚悟がありますか?また家族愛が出来上がった子供たちの心を無視して、不倫の愛を貫く覚悟がありますか?たったひとつの恋愛感情の物語で、多くの人を裏切り、多くの人を傷つけてまで、不倫の愛を貫く覚悟がありますか?おそらくできないから、筋の通らない欲望の中にいるのでしょう。

こういった愛は欲望です、もう一度基本を取り戻してください。
愛には、正しい思いと悪い思いがあります。不倫や浮気の愛は、間違った愛です。人生の法則の基本を、もう一度基本を取り戻してください。「悪い思いを抱けば悪い結果となり、正しい思いを抱けば良い結果となる」これが人生の法則です。

こういった人生の法則がつまらないという人もいます。
好きでもないパートナーと地獄の苦しみを味わいながら生活していけとは?なんで私だけ犠牲にならなければならないの!という人もいるでしょう。自分の浮気や不倫の正当性をあらゆる形で主張する人がいます。自分は犠牲者だと。

犠牲者になりたくなかったら、自立することです。自立さえすれば、犠牲者になることはありません。もしあなたが男性で、不倫相手と結ばれたいのなら、残された妻や子供が一生困らない生活費を与えることです。愛とは責任です。この責任を果たしてこそ、あなたのワガママは通用するのです。

でも、それは宝くじでも当てない限り無理でしょう。
一般の人には無理です。あなたは妻や子供のために3億円用意できますか?億万長者でもない限り、無理だと思います。

では、どうするか?
後は簡単、犠牲者になることですね。
愛は犠牲の上に成り立つものですから。

ここから私の意見を述べます。
私は犠牲者になることをお勧めします。
愛は犠牲の上に成り立っているからです。

欲望が愛ではありません。家族のために身を粉にして身を犠牲にして働く。家族が安心して暮らせるお金を用意する。すべてが犠牲の上に成り立っている。これが男ではないでしょうか。愛とは犠牲の上に成り立つものなり。これが清らかな愛です。