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「不幸な自分」若かりし頃、私もそういう時代がありましたね。コンプレックスがあって自信のない時代。周りが良く見える(隣の芝生は青い・・・みたいな)自分と比較して何でみんなは幸せなんだ、それに比べて自分の境遇はなんて不幸なんだ・・・と思い煩ったこともあります。


自虐的になった青春、社会人になっても、その殻からなかなか抜け出せない。それでも生きていかなくてはならない。若いころは「自信なんてない」という時代を過ごしている人が大半ではないでしょうか。自信がないから経験を積もうとする、だけど経験不足ですぐに挫折する。挫折がトラウマになりまた自信を失ってしまう。失恋、仕事での失敗、人間関係のこじれ、挫折の種はあっちこっちにバラまかれている。そのひとつひとつの挫折が生きる希望を失う。やる気を失い、何とも言えない喪失感と挫折感に苛まされる。出るのはため息ばかり「はぁー」とため息をつきながら、「これではいかん」と思って、また生きる希望を見つけようとする。だがなかなか生きる希望が見つからない、そのうち見つからないのに慣れてしまい、淡々と社会の歯車になって、何の希望もなくその日暮らしで生きていく。


そんな堕落した時代、私にも確かにありました。
「このままではいかん!」と思って、何かにチャレンジするのですが、いつも失敗ばかり。藁をもつかむ気持ちで焦るのですが、ことごとく失敗ばかり。そのうちチャレンジすることを諦めてしまう。そして日がない生活を淡々と繰り返す。心の中はいつも砂漠の中、ノドが渇いてもオアシスが見えてこない。そんな日々を過ごした時代が。


今にして思えば、「そういう時代があって良かったと思っている」だからこそ今の自分がいる、そう思うようにしている。若かりし頃の辛くて苦い経験。ゲーテのように悩むのも決して悪いことではなかった。そういう苦い経験があったからこそ今の自分がいる、今はそう回想しています。




自分不幸からの脱却は目標を見つけること。
人の生きた証である歴史は、挫折でも遠回りでも、全てがその人のために与えられた定めなのです。その定めという経験は試練の方が多いですが、その経験の一歩一歩の積み重ねが人間形成を創るのです。イチローや浅田真央みたいに早く目標を見出す者もいれば、私みたいに晩年になって目標を見出すものもいます。イチローや浅田真央は親や指導者がその子の才能を見出し、早くから目標を植え付けたのですが、私はそんな親や指導者もなく、才能もなかったので、自助努力で晩年になって目標を見つけたのです。彼らのような能力も才能もないのですが、自分の力量とペースでそれなりの目標を見つけました。目標ができて思うことは、「自分は不幸ではない」ということです。自分にあった正しい目標を見つけてそれに向かっている人は、苦しいけど不幸ではないのです。何故?不幸ではないかというと、それはもう毎日の積み重ねが神との出会いだからです。神と出会いながら夢に向かっていく。忙しくて、新鮮で、毎日モチベーションが上がり、不幸になっている暇がないからです。目標の途中で、今日はどんなことが待っているのだろう、明日は何がまっているのだろう。多少嫌なことがあったとしても、楽しみの方が多いのです。毎日が充実している、楽しくてしかたがない♪。苦労してやっと手に入れた目標、あなたもそんな目標を見つけてください。




簡単な攻略方法などありません。


シャイでもどんなタイプがじっくり見極めること、そこから始めないと攻略方は見えてこないでしょう。相手を精査し、細かく分析して、一番その人に合った方法で攻略する。頭を使ったこの妙技は面白いものです。計算された通りに物事が運べば楽しくなります。ただ単純にシャイな男を攻略する方法はどんな方法ですか?と言われても「私にはわかりません」としか言いようがありません。「相手を分析する」そこから始めないと攻略方法は見えてこないのです。個人の性格や状況はそれぞれ違うわけですから、その人に合ったやり方で頭を使って事を進めないとうまくいかないでしょう。世の中には何事もそうですが、簡単にうまくいく方法などないのです。



私のところでは、経緯や状況など、細かく聞くようにしています。そして相手の性格はどうなのか九星で判断します。相談に来られた人の手相を見て目標を立てます。そのような流れで相手を分析し攻略方を考えます。ブログで明かせない深い真理が相談者の話から山のようにいっぱい出てきます。その中からその人の合った攻略方を見つけるのです。いろいろ細かいところまでお話を伺わせていただき、今度どうすればいいかというアドバイスもしていきます。後は相談に来られた当事者の実行力に委ねるしかありません。ブレない心で、「心を積極的に」実行してくれることを願うだけです。



女性から告白すると恋は短く終わる。というのがルールだとすれば、シャイナ男も(オス)であるから女性(メス)から告白してはならないというルールになります。(オスがメスを追いかえるという自然界のルールに従えばですが・・・)


ところが人間界は男らしい(オス)が少なくなってしまった。「女性(メス)たちが強くなり、男性(オス)たちは弱くなってしまった。」という風潮が、マスコミやいろいろな書物で論じられています。(古いけど、戦後強くなったのは女性と靴下みたいな論評です)・・・でも私の考えは、単純に女性が強くなり男性が弱くなってしまったとは思っていません。私の考えでは「女性にモテるために女性に合わせている」としか思えてならないのです。女性にモテるために努力していたら、いつのまにか男らしい男が減ってしまったというのが私の見解です。


昨今の女性は、荒々しく、亭主関白で、自分勝手な男尊女卑的な男性を求めているわけではありません。優しくて包容力があり、スマートでロマンチックな男性を求めているのです。色グロで汗臭い男より、キレイでおしゃれな男性を好む傾向がある。その女性の求める傾向に男性が合わせた結果、草食系やシャイな男たちが増えて来たのではないでしょうか。昨今は男でもトイレの洗面所などで、自分の顔をチェックして何度も髪形を整えたり、フアッションチェックするナルシスト系の男性をたくさん見かけます。男たちが女に好かれるためにキレイになってきた。そういう時代なのかもしれません。


メスに好かれるためにオスが努力をする。それは自然界の動物の世界でも起きています。体力と腕力があり、獲物を捕える脚力とスピードのあるオスをメスたちが求めているとすれば、オスたちはそうなるように努力します。メスたちが自分の子孫を残すために必要と思われる遺伝子を求めれば、オスはその遺伝子に合格するように努力します。


このように人間界でも、自然界の動物の社会でも、オスたちはメスにモテるために努力しているのではないでしょうか。


女性にモテるために努力した結果。人間界ではシャイな男たちが多くなってきた。そうではないのかと私は思っています。



「頭でなく子宮で恋をしているようで」・・・うーん、、、私には今一よくわかりません。私は女性ではないからです。女性の皆さんはその問いについてどう考えますか?逆に教えてください。皆さんからのコメントお待ちしております。



その前に、私の見解を述べたいと思います。

相談の場でも頭で考えるより、気持ちだけが方が先行している恋愛は無数にあります。相手を思う気持ちや好きだという気持ちのみが先行して、相手に彼女がいても、奥さんがいても、「好きだから仕方がない」として人間としてのルールや法律を無視している。そのことを言っているのでしょうか?


でも・・・そういった気持ちは男性にもあります。相手に彼氏や旦那さんがいても「好きだから自分のものにしたい」という欲望はあります。ただ恋愛においては女性の方が恋愛に対する気持ちが強く、男性は女性ほど強くありません。欲望と性衝動で相手に彼女や奥さんがいても「好きになったから仕方がない」と最初は頑張るのですが、最終的には理性が働き「こういう恋をしてはいけない」と、とどのつまりいつも逃げるのが男性だからです。男性の理性はときに自分勝手で卑怯なことが多いのです。


男の恋は最初に欲望から始まり後から理性が働いてくる。逆に女の恋は最初に理性が働き後から欲望が出てくる。そんな気がします。後から欲が出てくる。理性でなく感情や愛情「好きだという気持ちだけが先行し理性を忘れてしまう」それが子宮で考えるという意味でしょうか?



頭ではなく子宮で恋愛をしているようで。
もっと掘り下げて、その確信に迫ってみましょう。
「女性は子供を生むために天から与えられた創造物」そう考えると少し理解できます。男性は子供を出産することができません。だから子宮で恋愛をしている意味がわからないと思います。おそらく人類が生きている間、永遠にわからないでしょう。


子を生むために恋愛をし、結婚をする。そのために男性に途中で逃げられたり、途中で裏切られたりしたら生命の危機にさらされるからです。男性に逃げられたら自分と子供は生活していけません。それこそ死活問題です。そうならないように男性を食い止めなければなりません。「子供を安心して生んで育てるため」それが子宮で恋愛をするという意味なのでしょうか。


これはあくまでも私の見解です。間違っていたら教えてください。



男40代は男盛り、女40代も女盛り。経験豊富なその世代は、人生のど真ん中、人生の中心にある。40代は不惑の年とも言われ、不惑の迷いの中にいるが、四十にして惑わず、自分の経験を通して信念を貫く年齢である。


信念を貫けば、自分は何のためにこの世に生まれたのか?その使命である天命を知ることができる。人生でもっとも自分にふさわしい生甲斐である天命。それを知る一歩手前が40代である。だから迷ったり恐れることはない、一番人間としての真価が発揮できるこの40代を颯爽と生きよう。


だからもうこう言う言葉を発するのは辞めよう。
「自分は歳だから、若い子には勝てない」とか「若い子のようにはいかない」とか「もう若くないから勢いがない」とか、もう若くないから・・・と、どうのこうの言うのは辞めよう。何を言っているのですか!あなたはネガティブな言葉を発するために40年も生きて来たのですか?まだまだ若い子に負ける年齢ではないですよ。逆に若い子の見本とならないでどうする!あなたの経験を今生かさないでどうする!若い子にない英知と聡明さと経験豊富な人生経験を、今こそ発揮しようじゃありませんか。


そのために、「相手がいない」という情けないことは言わないことです。相手はいます。あなたが「もう若くないから」という言葉を取り消せば必ず相手はいます。間違いなくあなたの経験を駆使していけば相手は必ず見つけることができます。それが人間として一番真価が発揮できる40代なのです。人生で一番の女盛りである40代を恋も仕事も充実させて楽しく生きようではありませんか。



沖川の予約は現在いっぱいとなりました。

また次回、9/30(金)より、10/7~10/13分の予約を受け付けますので、よろしくお願いします。



尊敬できる大人の女性を最後まで続けた女性が成功を収める。


その一言に尽きます。


15歳以上歳が離れた場合、女性が40歳だとすると、彼はまだ25歳前後、彼はまだまだお子さんです。「そのお子さんに女になって依存するからいけないのです。」恋は盲目と言われています。特に女性は恋をすると、いくつになっても少女に戻る傾向があります。(40歳でも18歳に戻ってしまうのです)付き合えば歳の差は感じないと少女のように恋に甘えるのではなく、年相応の尊敬できる振舞いは年下の彼と付き合う場合、最低限必要なルールとなります。年上の女性としての尊敬できる部分がなくなれば、単なる男に依存しているそんじょそこらの若い女性と何ら変わらないからです。



年下の彼が、何故?うんと歳の離れたあなたを選んだのでしょう。そこをよく考えてください。アラフォー世代が25歳前後の男の子と付き合うのがブームと前回記事にしましたが、25歳前後の若い男の子もアラフォー世代の女性と付き合うのがブームになっています。このくらいの男の子は「年上願望が強いのです」同年代の女の子はワガママでいけない、そのワガママに嫌気がさして付き合うのは疲れる。それに比べて年上の女性はいい。しっかりしていて、落ち着いていて、甘えることができ、頼りがいもある。25歳前後の若い男の子の年上願望は、「安心できる甘えの構造と頼りがいのある尊敬」から来ているのです。それはおそらく少子化が招いた産物だと思います。兄弟が少なく兄弟間の競争がない、母の愛を一人占めできる。そういったマザコン気質から年上の女性を好む傾向がでてきていると思います。



そんな現代の日本の状況を察知して年下の男の子と付き合わないとうまくいかないでしょう。厳しい日本経済、そこに置かれている家族のありかた、世代間の違い、今の男女は何を考え、何を求めているのか、グローバルな視点からあなた自身の恋を見ていかないと失敗するでしょう。



40歳の女性と25歳の男性が結婚したケースもあります。どんな女性が、それができたのかいうと・・・ずばり言って「能力の高い女性」です。



能力の高い女性、その一
お話を聞いていて、とにかく頭がいい。物事を冷静に客観的に判断している。仕事も男性に負けていない。男性の部下を持つくらいのチームリーダーのポジションにいる。ビジネスに強く精通しているので、働く男の心理をよく理解している。戦略的な計画で目標を達成する能力が高い。男に食べさせてもらう必要がないくらい経済力があり、逆に男を専業主夫にしてもいいくらいの経済力がある。そういう能力の高い女性は、男に依存することも従属することもない。子供ができても彼の経済力はあてにしないで立派に生んで育てる力を持っている。生活も出産も子育てもすべて自分でできる100%の自立力を持っているので、年下の男の子は逆に安心する。そんな年上の彼女に彼はいつまでも憧れて尊敬していく。「僕にはこの人が必要だ」と思って長く一緒にいたがるだろう。その女性は若い男の生きる見本となっているからだ。そして年上の彼女は年下の彼を教育係と自覚し、彼が成長できるように訓練していく。生意気で頑固で青臭い彼を私の力でどのくらい成長させることができるのか、その将来が楽しみである。またそれが可愛くてしかたがなく年下の彼と共に暮らしていくのである。まるで子供を育てる母のように。



続いて能力の高い女性、その二
女性の誇りである美しさを持っている。40歳なのに、20代の女子と同じ美貌と外見を持っている。そして年相応の聡明さが光っている。聡明で美しく可愛い。ほしのあきがそうであるように、それを代表する筆頭株が吉永 小百合である。いくつになってもキレイで美しい。女性の誇りである美をいつまでも堅持している。そこまでの聡明さと美しさがあれば、年下の男の子は誰しも憧れて一緒になりたいと願うだろう。




アラフォー世代、人生経験豊富な世代。経験に応じた男性選びをしてほしいものです。


ときどき経験とは別な、こういう人を選んでいいの?という男性を選ぶ傾向があります。


「こういう人を選んでいいの?」というのは歳がうんと離れた年下の男の子を恋人にすることです。極端な例でいいますと、彼女が40歳、彼が20歳。このようにうんと歳の差が離れた男性を選ぶ傾向がアラフォー世代には多く見受けられます。「愛には歳の差は関係ない」を持論でいっているような、うんと年下の男の子と付き合うのがアラフォー世代のブームとなっています。これもひとつの時代の流れかもしれません。私のところの恋愛相談では彼氏が圧倒的に年下の方が多いのもその要因の裏付けになっていると思います。



何故?これほど離れた年下の男の子を選ぶか。
ひとつは、女性たちが強くなってきた。昔は男性の方がその傾向は強かった(石田純一や加藤茶みたいに)今は女性の方がその傾向が強くなってきている。


ひとつは、同世代では相手がいない。アラフォー世代の男性たちはほとんどが結婚している。独身のアラフォー世代の男性もいることはいるが、40にもなって結婚できない男性は何か欠点があるのではないかと思ってしまう。バツイチのアラフォー世代の男性もいるが、バツイチでは結婚に対する夢がないなど、結婚に対するトラウマを抱えている男性が多く、子供がいるというリスクも高くなる。頭では同世代がいいと分かっているけど、現実には同世代には相手がいない。それなら何も汚れていない若い男の子を選んだ方が自分にはふさわしいと思ってします。


うんと歳の離れた年下の男の子を選ぶ昨今のブーム。果たしてそれでうまくいくのだろうか?


正直難しいだろう。何故難しいかというと、若い青年もやがて男の自我に目覚めるからだ。最初は頼れるお姉さんみたいに年上の女性と付き合い、甘えることをするが、やがて男の自我に目覚める。男の自我に目覚めれば本来の男の役目を果たそうとする。男の本来の役目とは同年齢か年下の若い女の子と結婚して子供を生み家庭を築くことにある。その本能をほとんどの人間は持っているのである。


恋愛としてはうんと歳の離れた人と付き合うことはできるが、結婚となるとそういうわけにはいかない。子供をつくらない家庭を持つことを双方が望んでいれば別だが、子孫繁栄の原理からしてそういうわけにはいかないだろう。


女性が強くなったとはいえ、現実には15歳以上離れた男の子との結婚は無理である。結婚ではなく恋愛止まりである。アラフォー世代の結婚に結び付く男性の選び方として15歳以上離れた年下の男性はお勧めできない。事実こちらの相談でも結婚までほとんど行っていないのが現実である。唯一の例外を除いて。


次回唯一の例外についてお話しよう。



「いつも私は短い恋ばかり」という人は、まだ本気の恋に巡り合っていないのでしょう。でも大丈夫!人生はこれからです。あなたがちゃんと成長していけば、本気の恋に巡り合うことができます。今のままでは短い恋ばかりだという人は、今の自分では「ダメだ!」と認識して、自己啓発による自己改革を行ってください。


恋愛が長く続かない人、仕事が長く続かない人。どうも私は同じように見えてなりません。両方とも根気がないのです。根気のある人は仕事でも恋愛でも長く続くと思います。長く続くか続かないかは、その人が持っている胆力の差だと思います。後は仕事でも恋愛でも相手の選び方次第ですね。


胆力とは、忍耐、根気、根性などの精神力が基になります。その精神力は訓練によって鍛えることができます。訓練の方法はまずたくさんの自己啓発の書物を読むことです。年間100冊以上自己啓発の本を読めば精神力の基礎ができます。基礎ができれば後は実践です。ただ書物を読んで机上の空論ばかりでは、頭でっかちになり過ぎて使い物にはなりません。本で学んだことを実際に実践してみてどうなのか、(自分でもそれができるのか?その方法は自分にあっているのか?あっていないのか?)勇気をもってチャレンジしてみて、初めて胆力が少しずつ備わっていくのです。それを行動する学問、活学といいます。


活学で学んだものは、自分の血となり肉となるので一生忘れることはありません。行動する学問(活学)をいくつ持っているかによってその人の人生が決まるのです。あなたがその学問を何一つ持っていないとすれば、今からでも遅くありません、ひとつ活学を身につけましょう。


活学を学ぶ方法は目標を持つことです。何かひとつ最後までやり抜く目標を掲げてください。例えばあなたが高校生で野球部に入ったとします。「目指せ!甲子園」それが目標になると思います。3年間、甲子園を目指して必死に練習する力が活学の基礎となります。「どんなに苦しくても歯を食いしばって逃げずに3年間練習する。」そのひたむきな努力が活学の基礎なのです。活学は目標に向かって艱難辛苦の努力をすることによって身についていきます。努力の結果、たとえ甲子園には行けなくても、その過程の努力が甲子園に行く以上に大切なのです。


その過程を途中で放棄する人は、後の人生で運の悪い人生が待ち構えています。今運が悪い人は過去に悪いことをした、あるいは目標から逃げた、やるべきことをしないでだらしなく怠けて過ごした人に悪運がつきまといます。


その悪運を退治する方法は、活学のみです。今度こそ途中挫折しないで最後までやり抜いてください。


途中挫折の人は多いと思います。私もたくさん挫折してきました。だからといって挫折を恐れる必要はありません。ずいぶん遠回りしたけど、今からでも遅くありません、今度は挫折しない人生、最後までやり遂げる人生を歩んでください。


活学が身についてくれば、相手の選び方、仕事でも恋愛でも間違えることはありません。しっかり相手を選び、善い仕事と善い恋愛をしましょう。




「あきらめよう、そうすればうまくいく」その言葉、好きですね。


ここでいう「あきらめよう」は欲望に対してです。


欲望は捨てることで自身の人生は良くなる。


最近そう思うようになりました。




たくさんの欲望が渦巻いています。

個人個人、一人一人の中にもたくさんの欲望があるでしょう。私自身の中にもそれはあります。身の丈に応じていない欲望をどう軌道修正して身の丈に応じた目標に軌道修正していくのか毎日自分との戦いです。


「身の丈に応じていない欲望は、あきらめよう・・・そうすればうまくいく」そう考え、それを実行するように心がけています。


幸は自分から行動して手に入れるものと、向こうから舞い込んで来るものがあります。若いころの私は営業力を駆使して自分から行動して手に入れようとしました。でも最近は自分からは営業しないで向こうから来るものを待つようにしています。待つという感覚はなく、ただ毎日自分の努めを果たすだけに専念しています。ブログもこうして毎日書けるのも「毎日の努めを淡々と果たす」ことから来ています。今日は気分が乗らないので書くのは嫌だ!という日ほとんどありません。どちらかというと「今日は何を書こうかな♪」という楽しみの方が多いのです。世間の批評はどうあれ、自分は自分というペースで楽しみながら続けていこうと考えています。



「去る者は追わず来るものは拒まず」その言葉も好きですね。まさしく私の仕事はそれです。たくさんのお客様が去り、たくさんのお客様が来ています。その一人一人に感謝しながらもひたすらコツコツと前へ進むだけです。(自分のペースでね)


こういった経験を元に、このブログを読んでいる皆様にメッセージを伝えるとすれば、「去る者は追わず来るものは拒まず、幸は向こうからやって来る」という言葉をメッセージとして伝えたいですね。


去られて傷つくことも多いと思います。・・・が、それも勉強です。自分の足りなかったところ、自分の落ち度を反省してひたすら前向きに勉強していけばいいのです。「自分の能力と経験が足りなかった」ただそれだけなのです。相手を恨んでも憎んでも仕方ありません。「ああそういうことか・・・」という短い感想でその問題を忘れるようにしましょう。深く追求し過ぎて自分自身を傷つけないようにしてください。相手もあなたも経験不足で幼かっただけですから傷つくことはありません。それよりその挫折のときこそ自分磨きです。ひたすら淡々と自分の努めを果たしてください。自分磨きは壮大な輝かしい目標ばかりではありません。毎日やらなければいけない努めをひたすら淡々と続けることが本来の自分磨きなのです。「継続は力なり」それを信じて続けていれば幸は向こうからやってきます。去った彼も修業を積んであなたの元へ戻ってくるでしょう。




皆様に必要なのは正しい待ち方ではないでしょうか。

「正しい待ち方」ができている人は、待っていることを苦しんでいません。どちらかというと待っていることさえ忘れているのです。「恋愛は忘れたころに戻ってくる」正しい待ち方のできている人は、その潜在意識の神の力を自然に手に入れているのです。欲望で釈迦利器に追いかけるのではなく、自分の努めを果たしながら悠々と待つ。戻ってこようが戻ってこなかろうが、そんな小さなことはどうでもよい。ただ自分の努めを淡々といつもと変わらない精神で果たすだけでいいのです。


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ネットで出会うバーチャルな恋愛も増えてきました。ここのところ急増しているのではないでしょうか。ネットでの注意点を皆さんも重々承知していると思いますが、私なりに気づいたことを書いていきたいと思います。


ネット出会いの注意点として

【最初から遠距離恋愛ではうまくいかない】

まずネットでの出会いは遠距離が多いということです。何故?わざわざ遠距離の人を選ぶのかよく分かりませんが、おそらく「波長が合った人」なのでしょう。いろいろな人とメールを交信していて自分とぴったり波長の合った人をその中から選ぶ、そしてたまたま選んだ相手が遠距離だったという流れだと思います。


だが、そこには落とし穴があります。
「女性は感受性で恋をしますが、男性は合理性で恋をします。」女性は恋にいっぱい時間をかけますが、男性は恋にはあまり時間をかけません。その代わり仕事にいっぱい時間をかけます。恋において効率や合理性を重んじる男性は「遠距離恋愛はできない」というのが鉄則です。近距離から転勤などの理由で遠距離になってもうまくいかないのに、最初から遠距離ではうまくいくはずがありません。恋する女性たちはその男脳をもっと勉強すべきですね。恋愛はロマンからスタートするが、最後には条件などの合理性で決まるのです。遠距離はとても非合理的、非効率的ですよね、ネット恋愛の大半の終わりは遠距離だったということを女性の皆さんは是非学んでください。



【ネット恋愛は競争社会】

ウソが多いという話も聞いています。既婚者がネット上で不倫や浮気相手を探したり、独身であっても特定の恋人がいるのに、もうその恋人に飽きたという理由で次の相手を探したり、あるいはSEXが目的でセフレになる相手を探していたりといろいろワルだくみを考えている人が多いのも事実です。その反対にフリーで本気で純粋に恋人や結婚相手を探している人もいます。


本物なのか偽物なのか、ネットで相手を探す場合、それなりの見識と人間性を見極める能力が必要になります。その能力がない人は泣きを見ることになるだけです。


ネット恋愛では、たとえ付き合えたとしても短く終わるケースの方が多い。何故?短く終わるかと言うと、そこには競争が働いているからです。たくさんの中からいろいろな人を物色して一人に絞る、だがその絞った相手がちょっとした理由で嫌になると、すぐさま次の相手を探せるシステムになっているからです。最初は良かったけど、数ヵ月後には音信不通になり、彼はネットでまた他の女性を物色中という話はよく聞きます。無尽蔵にたくさん出会う場があればあるほど、人は強欲になり「もっといい男がいるのでは、もっといい女がいるのでは」とエゴの権現になるからでしょう。


嘘も裏切りも、良し悪しも全部含めてネットの出会い系(バーチャルな世界での出会い)は競争社会なのです。そこで出会いを求める場合、あなたはその競争に勝つ訓練を積んでいかないとダメでしょう。その訓練の心構えの第一歩は、「すぐに好きだと言うスイッチを入れないことです。」相手に嘘をつかれた、相手に騙された、相手に裏切られたとなったとき、スイッチが入った人はその競争には勝てないからです。