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寂しい・・・つまらない。
何か面白いことないかな?刺激があって、ワクワクさせてくるもの、つまらない気分を吹き飛ばして寂しい心をホットにさせてくれるもの。


恋がしたい・・・でも相手がいない。「いい人よ」いつになったら私の前に現れるの?


付き合っている彼がいるが、私の願いと反対の行動をする彼、そんな彼に熱が冷め始めている自分がいて、彼に疑いを持っている自分もいる。


彼に振り回されて疲れている女性も多い。それでも女性は一同に彼のことが好きだという。うまくいっていない恋愛ほど彼への思いが強い、順調な恋よりもはるかに強い。



相手がいないもの、相手がいるがうまくいっていないもの、それぞれの思いを託して占い館を訪れる。


私はただ優しく受け入れるだけ。あなたの味方になり情を注ぎ、時には正悪を正すため厳しくなることもあるが、最後は経験に基づく冷静な判断で答えを出していく。彼が喋らない分私が喋ろう、彼が話を聞かない分私が話を聞こう。そのときの私は彼と同じ性格になっている。何故なら生年月日で私は彼と同じ性格になれるからだ。そしてあなたの性格もわかり二人の融合性を見つけながら私はあなたの相談に乗っている。あなたに相手がいなければ、相手を探せるヒントもあげよう。モチベーションを上げる方法も伝授しよう。それから先はあなたの努力次第である。



不安は他人から伝染するものと、自分の心の内から湧き出るものがある。その多くの原因は取り越し苦労である。


「まだ来ていない未来に対して今から苦労している。」未来はこうなりたいという夢と願望はあるが、現状達成されていないものに焦りと不安を感じる。頭では分かっている(目標を持ち、計画を立て、実行すれば夢が近づくことも・・・)でもその保証はない。確実な保証があれば行動に移すこともできるが、そんな保証はどこにもない。まして過去に失敗ばかりしている私にはそれを実行する自信もない。


夢は誰でも持っている。空想、妄想、雑念の中にも夢はある。夢があるから人は妄想にふけるのかもしれない。あの人と結ばれたいという淡い恋を夢見ることもあれば、流れ作業でうんざりした仕事に飽き飽きし南国の島でリッチに暮らしたいという夢を抱くこともあるだろう。空想、妄想、雑念が入り混じって迷走しているのかもしれない。迷走していたら叶わぬ夢にがっかりし、残っているのは不安だけとなる。



西洋哲学では、こんな不安に対して、目標を持ち、計画を立て、信念を持って行動しようという成功哲学がある。それに対して東洋哲学では「あきらめようそうすればうまくいく」老子の言葉に代表されるように身の丈に応じた生活が幸せと教えている。西洋哲学はアグレッシブな改革精神、東洋哲学は身の丈に応じた心の平和。金銭を産むのは西洋哲学だが能力と体力が続くかがカギとなる。過労死するか金持ちになるかその限界にチャレンジしないといけないかもしれない。それに対して東洋哲学は金銭の目標はあまり記していない、金持ちも貧乏人も平等と考え、個人のプライドを重んじ、民と仲良く平和に暮らすことに重きを置いている。略奪、暴漢、盗みを禁じ、清楚で平和な心の安定が一番幸せだと説いている。


日本人は東洋哲学的思想の方があっているのかもしれない。アグレッシブな改革精神よりも、平和と平等を重んじ、民と仲良くすることの方があっているのかもしれない。大震災のときも略奪、暴漢、盗みを忌み嫌い、秩序正しく行動した国民性を見れば、東洋哲学的思想だということが納得できる。


若い時は西洋哲学のアグレッシブな改革精神に走り、歳をとれば東洋哲学の心の安定に重きを置く。その生き方でもいいのではないかと思う。自分に置き変えればそんな生き方をしてきたかなと記憶している。


不安は誰しもあるものです。そこから脱する方法は西洋哲学的な手法を取るのか、東洋哲学的な手法を取るのか、あるいは両方混ぜてやるのか、どれを実行するのか考えるのはあなたです。不安に対して言えることは、まだ来ていない未来にあれこれと取り越し苦労をしないことです。取り越し苦労にかけている時間があれば、今を自分のスタイルにあったやりかたで充実させることです。アグレッシブな前向きな行動をとるのか、身の丈に応じた行動を取るのか、今日一日のやるべきことに充実させてください。



私のところに来る男性のお客さんは真面目な人が多い。お話を聞いていると、恋愛日記で起きているような女性を困らせ、女性を苦しめるような人はいないのではないかと思うくらいである。


皆さんは優しく、とても親切である。どちらかというと女性に振り回されているかな?(笑)


ところ変われば相手も変わるとでもいいましょうか、それぞれの状況や立場で、人は異性に振り回されているのかもしれない。振り回されながらも、けなげに前向きに相手との関係を良くしようと努力している。



振り回されながら努力している姿はいいのではないかな。冷たく逃げている人よりずっといい。何かに一生懸命取り組む姿は生きているモチベーションを感じる。何かに夢中なのはいいことだ。


男子は真面目だと思う。とくに仕事に対しては真面目である。男の命の部分が真面目なのはいいことだ。だが、それによって彼女を放置して他の男性に取られたという話もよく聞く。ホッタラカしにした自分が悪かったという反省も見えるが、愛する彼女は元に戻って来ない。仕事人間の自分がバカだった・・・彼女は何度か自分に警告したのに自分はそれに気づかなかった。忙しい男は余裕がないのである。忙しい時は一日のすべての時間を仕事に充てる。稼働している時間も精神的に悩んでいる時間も全て仕事に充てる。仕事の不安で夜も眠れないくらい、寝ても覚めても忙しいのが追い込まれた男の仕事である。さぼること(彼女とのデート)に罪悪感を感じ、「このままではいけない」と自分を戒め、仕事のみに夢中になろうとする。


その結果、彼女に振られる。



ああ無情・・・。「僕は仕事だけで人生を終わりにしたくない。恋愛もし、結婚もし、子供も作り家庭もつくりたい。そして仕事でも成功したい。そのために仕事に頑張ってきたのに、彼女に振られるとは予想もしていなかった」後の祭りである・・・。



「余裕がなかったね」と一言いって、彼に私が知りうる限りの女性心理を教える。もちろん生年月日で割り出した性格や特徴も交えて。それから復縁作戦を練るのだが、はっきり言って難しい。好きという気持ちが切り替わった女性ほど難しいものはない。男性からの復縁は難しいというのをとことん教える。


だが彼は男だね。こういうときに真剣になる男は正直男らしい。昨今は頼りない、男らしい男がいないと思ってきたが、危機に直面して必死に頑張る姿は、「ああ男だ!」とつくづく思う。現代の男子も捨てたものではない。


これなら面白い、私も協力しよう。その代わり男ならどんな状況でも腐らないことだ。精神的に病んでクヨクヨしないこと、いつまでも竹を割ったような爽やかな性格でいること、男らしく爽やかに最高のストーカーを目指そうか(笑)ストーカーですか?いやいやストーカーという言い方は語弊があったね、改めて男らしく恥も外聞もなくガンガン彼女に愛の攻撃をしよう。明るく優しく、細かいサービスで徹底的に。


「それでいいのですか?」

「最初はそれでいい」ただし最初は彼女の冷たい仕打ちに合うだろう。「何で今さら」という冷たい仕打ちだ。大抵の男はそこで悔やんで辞めてしまう。それは計算通りのこと、そこから押したり引いたりを繰り返しながら、あきらめないで頑張り続ける精神力が君にあるかどうかだ。女性の君に対する疑心暗鬼はそう簡単にとれない、そしてもうひとつ女性は上書き保存体質で、好きな人は一人と決めている。もう彼女には好きな人がいる、君がどこまでそこに割り込めるかだ。男が同時に複数の女を愛するのとわけが違うよ女性の上書き保存は、これがとても厄介で、その牙城は戦国時代の城を責めるより難しい。いくたびの抵抗があり、その牙城を責め落として天下を取るにはよほどの信念がないと無理だね。


「そんなに・・・難しいのか・・・」

「やってみれば、私に言っている意味がわかるよ」


私には、女性が新しく好きになったのを応援したい気持ちもある。だがここに来ている真面目な男子も応援したい。彼の真摯な態度は男らしい。男が本気になってやろうとしているわけだから応援しないわけにはいかない。それは強いて言えば彼女のためでもあるわけだ。「オンナはオトコに愛されてナンボ」これから愛する男の本気を彼女に見せようではないか。だから頑張ろうとついつい応援したくなる。


世の中、頑張ることを阻止している風潮がある。とくに恋愛に置いてはその傾向が顕著に見える。ものの考え方、価値観の違い、男と女のすれ違いによる葛藤、誤解、嘘やごまかし、裏切り、嫉妬や憎しみ、いいわけ、不安、心配、悲しみ、どれが正しいのか、どれが間違っているのかわからないのが人の恋する感情である。その間違いだらけの感情に、また晴れない誤解に真摯に必死に取り込む姿勢は一筋の光である。



感情に対しては感動を与えるしかない。
人の感情はとても厄介である。人の気持ちをコントロールする術はない。その感情に感動を与えるしかない。今しかできないできるうる限りの努力で相手に感動を与えるしかない。それが振られた側の役目である。




男とは怪しい疑い深い生き物かもしれない。恋愛において、とくに女性の前では嘘とごまかしが多いのかもしれません。優しく思わせぶりな態度をとったと思えば翌日には音信不通・・・???不可解な意味不明な行動をとるのが男である。


なぜそんな行動をとるのか?それはその人自身が男として自信がないからである。あるいは100%その女性のことを愛していないのかもしれない。100%女性を愛し続けることは至難の業でもある。ほんのわずかな狂いで愛は100%をすぐに切ってしまうからだ。最初は100%、120%の勢いで、一人の女性にも猛烈にアタックする男性がいるが、三か月もすると音信不通になった話は何万何千とある。あまりにも多いので私はこれを「流行り」と呼んでいる。そしてその防御策がこうである「流行りに乗っからないで、すぐに切り替えて前へ進むこと」これを女性たちのルールにすればいいと思う。


女性の特徴である「白黒」これを現代の流行である恋愛に取り入れると少々無理がある。(携帯の通信機器時代は昔風の白黒は通用しない)もっとスピーディーな解決を求められる時代であるのではないでしょうか。【音信不通=終わり】というルールも持ってもいいのではないかと思う。相手は音信不通にして逃げているわけだから、逃げる相手は白黒など望んでいない、「察しろよ!」ということかもしれません。疲れたから嫌になったから逃げている、そう考えてもいいのではないでしょうか。そういうネガティブな相手が、正々堂々とした白黒を望んでいるわけではありません。「男らしくない」と思うかもしれませんが、男らしくない男が多いのが現代なのです。今さら男らしくありなさいというのが無理でしょう。現代の女性たちが最近の男性を見て、男らしくない、頼りがないと言っていますよね、その言った通りの現実が今の恋愛では起きているのです。


男の言い分として、
何でわざわざ白黒をつけて自分が傷つき相手を傷つける必要がある。「君のことが嫌いになった、もう愛していないから別れよう」などと口が裂けても言えない。僕はそんな悪魔ではない。僕は優しい人間なんだ。だから答えを先延ばしにし、グレーにする。曖昧のままとって置けば、いつか良くなるかもしれないじゃないか。僕が成長して自信がつき、君も成長していい女になっていけば、またやり直せるかも・・・。そういいながら大抵は自然消滅する。


自分を悪者にしたくないという男の言い分が、いかに女性たちを傷つけているか男には分からない。「男の勘違いの優しさが女性を傷つけている」それを男は知らない。男は男脳に従い、女は女脳に従い、この世を生きている。


そんな時代に、
いつまでも旧態依然の恋愛の考えでは先に進むこともできません。男が白黒つけられなければあなた自身が白黒をつければいい。相手と相談しようにも相手は音信不通で逃げているわけですから相談しようにも相談ができない、だから相手と相談することなく自身で白黒をつける。それでいいのではないですか。

敵前逃亡、
社会には礼儀と秩序というルールがあります。仕事においても、恋愛においても、生活においても、人間関係においても礼儀や秩序は守るべきです。もし・・・仕事において音信不通にしたら会社を解雇されるでしょう。自営業が取引先の顧客に対して音信不通にしたら取引は中止になるでしょう。サラリーマンであれば半年も会社に出勤もせず消息不明の音信不通をすればクビになるのは間違いありません。会社ではその行為を敵前逃亡とみなすからです。それは恋愛でも同じことが言えます。何の理由もなく突然消息不明の音信不通になる人は敵前逃亡と同じなのです。


会社であれば、採用して三か月の社員が突然出勤せず、連絡もつかないとなれば、すぐに「これはダメだ」と判断し、我が社では必要ないとします。10年選手だと、あいつはそれなりに会社に貢献した、実績もあるからという理由で半年くらいは待ちますが、それでも復帰しない場合は解雇を言い渡すでしょう。


恋愛においてもそういう判断をしたらどうでしょうか。三か月程度の短い付き合いで音信不通にしたらすぐに解雇する。数年付き合った相手なら半年待つ、それでも連絡が来ないなら解雇する。そういうルールを採用したらどうでしょう。


逃げている男には白黒は通用しません。あなたが判断するべきです。


なあに。仕事でも恋愛でもネガティブに同情しないで前に進んでいけば、適材適所に人員が配置され、必要不可欠な人材は育つものです。こうやって地球はまわり、みな落ち着くところに落ち着いているのです。前向きな人は自分の居場所をちゃんと見つけることができます。だから敵前逃亡に同情することなく、しっかり判断して前に進むようにしてください。




雪の中を・・・ザクザク歩く。
当たりは真っ白・・・雪化粧が朝日にあたって眩しい。


ザクザクと滑らないように歩く。途中で犬を散歩している人に出会い「おはようございます」と申し訳ない程度に小さく声をかけて挨拶する。向こうも声が聞こえない程度に「おはようございます」と挨拶をする。犬も白い息をもらしながらまんまるい顔でこちらを見ている。(うん❤可愛い・・・)飼い主によく似た犬である。(いいな♪君は雪の朝もこうやって散歩に連れてもらって幸せだぞ・・・)と心の中でつぶやく。


いつもと変わらない、何でもない朝。昨夜は雪が降って辺り一面が白いだけ、そして道が滑りやすく硬っている。滑らないように気をつけながら歩く以外はいつもの朝と変わらない。


一時間散歩して家に変えれば、パソコンに電源を入れブログの記事を書く。変わり映えのしない朝、それから事務所である占い館に出かけ、皆さんの鑑定にあたる。毎日が同じような日課である。あきたか?というとそうでもない、商売はあきないという、だから商いである(笑)何を言いたいのかというと変わり映えのしない何でもない生活が実は幸せなんだ!ということである。普通にあった当たり前の生活、それを無くした被災地の皆様に比べれば、どれだけ幸せか、今朝はそれをしみじみ考える朝でした。


好きな人と、恋人と、友達と、家族と、何でもなく単調に続く毎日。何でもない普通の日々がとても大切かもしれない。


無の境地で何かに没頭する。無駄を省き節制を重んじ、目標に向かってコツコツ努力をする。自分で立てた計画に従い、1分の時間も無駄にすることなく夢に向かって進んでいる。夢に向かっている途中は毎日が神との出会いである。その心境に達すれば、すべての雑念が消えさる。苦しさも、悲しさも、不安も心配もない。欲望やエゴは消え去り、何かを成し遂げようとしている充実感に我が身を置くことになる。それが人間の本当の幸せである。


自分は何のために生きているのか、天命を知ったとき、人は本当の幸せを掴むことができる。巷で起きている仕事の失敗や失恋など眼中にない。そんなもの、もうどうでもいい。失敗や失恋でお先真っ暗だと騒ぎたてる必要もない。天命の我が道をひたすら前に向かって進むだけである。


人は夢や目標がないから仕事や恋愛に依存するのではないだろうか。仕事や恋愛にもちゃんとした目標や夢があるはずなのに、それをおろそかにし、ただ相手に依存しているだけである。おんぶにだっこ、ぶら下がりの仕事や恋愛ではいずれ相手に煙たがられ、重荷を感じ、拒絶されるだろう。状況の変化を感じ、状況を改善する人間になることである。状況を変えることのできる人は仕事でも恋愛でも自立している人である。あらゆる状況でも自立する精神を己自身に宿すことである。


自立するためには、夢や目標を持つことである。そして計画を立て、その計画に従い毎日を充実させることである。その充実感がないと自立はできない。そんなのめんどくさい、くだらない、バカバカしい、そんなことをやっても意味がない、それより自由に遊ぶことだ、人生は遊ぶことが楽しいのであって、くだらない努力をするためにあるのではない。お堅いバカの扇動に乗ることはない。あるいは頭では分かっているがそれができない。・・・依存して自由に遊んでいる時は、しばらく甘えの世界にいたいのだろう。それも遠回りの人生、個人の選択である。私も若い時はその選択をしてきた。自由に遊び、責任のない人生を若い時は謳歌してきた。管理職になるのを嫌がり会社を辞めたこともある。転勤が嫌で左遷されたこともある。出世などしたくない気軽な平社員でいいと本気で思ったこともある。その方が楽な人生を送れると思ったからだ。控え目でシャイをモットーとする沖川の若い時代である。でも・・・その甘えの構造は長く続かなかった。


状況を変えなければいけない試練が次から次へと起きる。神に脅され、神に試されるように試練が年齢の計時変化と共に起きる。よくもまあ、次から次へと不幸な試練が起きるものだ。あまりひどいので神を恨んだこともある。辛くて悔しくて、その試練に挑んでいたら、いつのまにか免疫ができてしまった。その免疫が自分の自立力を高めた。私自身も初めから自立力があったわけではない。試練に脅されながら自然に鍛えられていった結果である。そしてピンと閃いた「試練よありがとう」と変かもしれないが、試練を感謝する気分になった。そしてその気分はこんな風に考えるようになった。「よくもまあ次から次へと試練が襲いかかってくるものだ!面白いではないか!」という気分に変化したのである。だから私にとって皆さんの試練は面白いのである。


試練は恐れるものではない。試練はチャレンジするためにある。チャレンジの最中が、これまた面白いのである。その面白い計画をあなたも立てることである。結果を気にせず、試練に立ち向かう面白い計画を立てることである。そして真摯にコツコツ節制を重んじながら計画を実行することである。その瞬間を充実しているという。この充実感の最中は、実はどんな遊びより楽しいのである。堕落した遊びは楽しくない、何故かというと遊びの後には不幸が待っているからだ。「怠け者は不幸になる」という格言が示す通りである。




「やってしまったものはどうしょうもない」過ぎてしまった過去をクヨクヨ悔やんでもどうしょうもない。いまさら過去には戻れない。


さあ!これからの人生の計画を立てよう。


自爆、失敗は人生の挫折である。人は挫折があるから成長できる。成功を収めた多くの人は挫折からスタートしている。「あの失敗があったからこそ今日の自分がいる」そういう自分になろう。あの失敗を笑い飛ばせる人間になろう。ここまで落ちればもういいだろう。十分に奈落の底をみた!後は這い上がるだけである。


挫折は人を素直にさせてくれる。挫折をしたことのない人間は傲慢でワガママの人が多い。自己中心的で世の中は自分を中心に廻っていると勘違いしている。その勘違いを修正するのが挫折である。「挫折よ、こんにちは」よくぞ私のところへ来てくださった。よくもまあ!こんな辛い苛酷な状況を味わせてくれた、感謝しているぞ挫折よ。これで自分は大きく成長できる、ありがとう挫折よ。・・・これから前に向かって一歩踏み出す人間は挫折を感謝して面白がる。こんな素敵な教訓はないと面白がる♪♪そして挫折を真摯に素直に受け止め、今日から挫折をバネに這い上がる計画を立てていく。


挫折を素直に受け止める人間は冷静で客観的になれる。状況は苦しいが、頭は冷静になることである。今さらジタバタしても遅い、今は冷静にコツコツ将来の計画を立てるしかない。節制を重んじ、今の自分に何ができるか、それを真剣に考えることである。状況が好転するには、まず自分自身の運を上げることである。運は真面目に努めを果たすことから拓けてくる。運を上げる最大の努めは生活を見直すことである。仕事、勉強、体力作り、家事などの生活面、挫折によってモチベーションが下がっているこれらの分野をまずは真面目に一歩一歩真剣に取り組むことである。人が生きていくための基盤「生活に努めを果たす」それをおろそかにしてはいけない。それらの分野をおろそかにすれば挫折から立ち直ることはできない。


前にむかって人間らしく生きている。仕事と生活に充実感がある。その充実感があってこそ新たな目標も生まれる。その新たな目標は今までしたことがなかった新規改革である。運が良くなる人はその新規改革を自分の目標にしたとき運は拓けてくる。


挫折は、「このままでは生きていけないよ」という神からの試練である。恋愛においてもそう、彼から「このままの君とは付き合えないよ」という試練である。その試練は挫折を知らない人にはわからない。また挫折を味わったばかりの当事者も何で???とすぐにはわからないだろう。ここに「自分を知る」大きな機会を与えられることになる。人生はそこからである。自分を変えようという壮大な目標がスタートするのはこれからである。自分を変えようとする新規改革、それによって運が拓き、あなたの運は時と共に善くなってくるのである。「運を拓く時計」あなたは今からそれを手にするべきである。いつまでも過去の挫折にクヨクヨしているべきではない。過ぎてしまった過去はいまさらどうしょうもないのです。「そこにいつまでもいないことです」さあ!新たな人生の目標に向かって自分を改革していきましょう。



男女の関係においての白黒は、どちらかをはっきりさせるためのものである。
白であればこれからも仲良く付き合っていく関係となり、黒であれば今までの愛を清算して別れる関係となる。白(付き合うのか)黒(別れるのか)どちらかを選択する二者択一が「白黒」である。


人生は選択である。恋愛もどちらかを選択する場面が訪れる。そのとき、「いかに自分の覚悟ができているか」究極はそれである。白黒より、どちらの答えが出てもそれを受け入れる覚悟ができているか、人生は良い結果をもたらすものばかりではない、どちらかというと悪い結果の方が多い。その最悪の悪い結果でも真摯にそれを受け入れる覚悟ができているかである。はっきり言って「失う覚悟を持って白黒決戦は臨まないといけないよ」と言いたい。


別れ際において男性はグレーと言うが、女性も白黒と言っておきながら実はグレーなのである。何故グレーかというと、その白黒は覚悟を持った白黒ではないからだ。女性のいう白黒は冷静さを失い、極度の不安と恐怖から精神のコントロールが効かなくなり、感情が怒りに転嫁して白黒決着を急ぐのである。そうしないと自分の精神が「やばい」からだ。とてもこのままでは耐えられない、なんとか手を打たないと私はボロボロになる。恐怖と不安の満身創痍の心で白黒を急ぐ。


だが、その白黒は二者択一の白黒ではない。どちらかというと「白」しか考えていない。本人は苦しいから早く「白」という結果を出してくれと懇願しているだけである。「私を好きだとはっきりさせたい」それが女性たちの白黒である。ところが男性という生き物は女性たちの反対の生き物で、女性が苦しんで白黒を臨んだら「黒」という。言い訳がましく「黒」という。ほとんどの男性が、女性が苦しんで白黒を臨んだら「黒」という。これは掟と言っていいほど世界のルールである。私はこれを「自爆」と呼んでいる。


多いのは、白黒の結果、「黒」となってしまったのに未だに彼が好きなので復縁をしたいという女性たちである。うむ・・・この女性は白黒の意味がわかっていない。白黒と言っておきながら、白黒を曖昧でグレーにしている。自爆して一巻の終わりになってしまったのに復縁を希望する。これはさすがに無理ではないの?と考えるのが普通である。私のところでは自爆して手遅れになって駆け込む女性たちも多いのである。私は神様でも仏様でもないので無理なのは無理なのである。まぁ、そう無下にすることもできず、話だけは聞くようにしている。話の内容によっては絶望的な状況を打開する起死回生の方法もあるからだ。その起死回生は男の曖昧でグレーな部分とエゴの部分をうまくつく作戦を講じれば、なんとかなるかもしれない。その作戦とは、男が受け入れやすい愛をどう伝えるかだ。このへんに関しては危機に面した女性より私の方が一枚上手である。



はっきり言って、白黒が自爆になってしまったら遅い。そんな苦労をする前に、白黒の意味をちゃんと理解しよう。


本当の白黒は覚悟ができてから。失う覚悟を持って臨むべきである。失ってもいいと覚悟があれば、白黒は迫真の演技となる。相手に遠慮することも相手の顔色を見る必要もない。堂々と最後の勝負、最後のクロージングができる。「覚悟を持った白黒」あなたにそれができるかである。




女性には抵抗のある言葉だと思うが、男性からすればこれは必見!なるほどという言葉である。「そっか恋は仕事なんだ」道理で。


仕事モードのときの男性は恋愛には興味がない。男脳はいっぺんに二つのことができない。仕事モードのときは24時間が仕事と自分の生活のためだけにある。そこに恋愛が入り込む余地がない。ある意味男性は恋愛を第二の仕事だと思っている。恋は仕事と同じ・・・だから疲れるのかもしれない。


通常の仕事(1)が生活のためと自身の向上と自己実現のためにあるとすれば、(2)の仕事である恋愛は将来の幸せのための結婚する仕事である。

1が生活するための仕事、2が幸せになるための仕事。
1はお金になるが2はお金にならない。

なるほど、なるほど。

ではお金にならない恋を何故?する。

仕事だけじゃ人生はつまらないからだ。それだけじゃなんのために生きているのかわからない。「女性を愛することができない人生なんてつまらない」となる。オレは仕事人間、仕事バカ人間にはならない。仕事も恋愛も両方こなせる人間になりたいからだ。


それはごもっとも、で、両方忙しくなったらどうする?「それは1を大事にするよ、2は放っとく。さすがにオレはスーパーマンではないから両方いっぺんにできないね。彼女もそれはわかっている。だから2は放っておいてもいいんだ」


そうかな・・・。

男は男の脳で物事を解決する。女は女脳で物事を解決しようとする。この男脳と女脳は性格が合わない、考え方も価値観も違う。考え方、価値観も違うということが何万年かかっても双方の脳は未だに理解できていない。


1が忙しくなったら2を放って置く。それが男のクセである。そのクセはどうやら世界中の男が共有しているようだ。アメリカでもヨーロッパでもアジアでも、世界の国々に男と言う生き物がいる限り1が忙しくなったら2を放って置くというクセが蔓延している。


しかし、その男のクセは女性にとって最も恐怖なクセである。それを男性たちは理解していない。ごく当たり前だと思って、そのクセを実行している。


だって2番目の仕事だもの、1の仕事が忙しくなれば当然2の仕事をやる暇がない、だから2は後回しにする。暇ができれば当然2番目の仕事にも目を向けるよ。


1が忙しいと言って2を放っておき、1、2以外の友人と遊ぶのはどういうこと?友人と遊ぶ暇があれば2を大事にしたら?友人は仕事ではないからね、ストレス解消の娯楽みたいなもの。1も2も仕事、忙しくなったら優先順位の1を大事にし、1のストレス解消のために娯楽がないとやってられないよ。2の仕事はそれが全部終わってから。


恋は娯楽ではないの?「恋は2番目の仕事です」




男と付き合うのなら「放って置くこと」を覚えること。

しかし女性はその放って置くことがでない。

だが、それを覚えないと昨今の男性とはうまくいかない。

放って置くことをマスターできない女性とは、いずれ危機が訪れ別れることになる。


男女の別れには、「放って置くことができれば回避できた」という事例があまりにも多い。もし、あのとき女性が男性を放って置くことができたら二人は今も仲良く付き合っていただろうというカップルが私のところでも何千とある。ああもったいない、たったこれだけのこと「男を放って置く」ということが何故マスターできなかったのか、とても残念である。


今になって冷静に客観的にみれば、彼を放って置くことができただろう。だが当時はそれができなかった・・・多くの女性が、失ってみて初めて気づく回想録である。当時はその冷静さを失いパニクッテいた。後の祭りだが、今からでも遅くない、失敗した経験を踏まえて自分を成長させることである。