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能力が高く人間性も優れている。

「そんな絵に描いたような男性は私の周りにはいない」というお話はよく聞きます。大都市(東京・ニューヨーク・パリ・ロンドン)などで活躍しているキリア志向の女性たちからの報告です。日本だけでなく世界のどの国でも「そんな絵に描いた理想の男性は(なかなか)いない」というのが現状のようです。一般例で言うと「ほとんどいない」これが現実ではないでしょうか。だから女性たちは苦労しているのかもしれません。


ちなみに能力が高いのを年収1000万円以上だとします。
国税庁の平均年収の詳細を見ると、年収1,000万円以上の割合は、男女計で3.9%、男性で6.0%、男性で年収1000万円以上稼いでいる人は100人のうち6人しかいません。(ほとんどいませんよね)


またその数少ない6人が人間的に優れているかというと、「そうではない」という話の方が私のところでは多い。20代、30代、40代の年収1000万円以上の独身男性は遊びが多い。夜遊び女遊びがとくに激しく、女にもてることで自分のステータス度を上げ、ストレスを軽減している傾向があります。男のステータス本能に「同性には尊敬され、異性にはもてる」というのがあり、それを無意識に実行しているのではないでしょうか。それだけ高額収入を得るにはストレスが多いということです。早朝から深夜まで働き、土・日の休みも会社に出勤するような生活。これはもうストレス、遊びに走らないと「やってられない」六本木のクラブ辺りで夜な夜な遊ぶ年収1000万男、ごくろうさまです。ストレスをもっと別な形で軽減してください。そうすればあなたは人格者になれます。



サラリーマンで年収1000万円以上稼ぐには大変なことです。では起業家はどうでしょうか?今は20代、30代の若い人も起業する人は多くなりました。その大半がうまくいかず、フリーの瀕死の極貧状態か、あるいは借金がかさみ潰れる傾向にありますが、中には競争に勝ち抜いて生き残った起業家もいます。今の時代、自分の夢を追いかけ成功する人は類まれな才能(能力と素質)、そして運に恵まれていると思います。「冬の時代の競争に勝つ」まさしく男のシンボルステータスです。人から見れば尊敬と称賛に値するが、恋愛においてはどうでしょう。ほとんどの起業家の経営者は恋愛をしている暇はありません。音信不通は当たり前、デートの途中で抜け出し仕事に戻る。今度いつ会えるか分からない状態が永遠に続く。こんな恋愛ばかり繰り返しています。これも能力は高いが人間性は優れていないという批評になっています。ここでの人間性は女性から見たものです。仕事における人間性が良いから成功しているのですが、女性に対する人間性は最大限に悪いという批評です。仕事も一生懸命、恋も一生懸命、全てにバランスのとれた男性はなかなかいないようです。20代、30代ではいないのかもしれません。余裕の精神構造はまだ構築されていないからだと思います。血気盛んな若い頃は一つ(仕事)に集中する。余裕はもっと大人になってからではないでしょうか。


結婚適齢期の男性(20代後半から30代前半)、もう過ぎた男性(30代中盤から40代中盤)年収1000万以上の独身の男性。果たしてその中の何人が女性の理想とする男性でしょう。ステータス(社会的な地位)があって、能力(高額収入)があって、一人の女性だけを愛する(浮気をしない、彼女にたっぷり時間をつくる)男性が何人いるでしょう?なかなかいないのが現状ではないでしょうか。だから女性たちが苦労するのかもしれません(笑)




今までは、本能のままの愛情に任せて、恋愛の高等教育?(愛の技術)はいらないという考え方が支配的だったが、これからの時代は愛情だけではなく、愛と算盤が重要となる。もちろん算盤だけ弾く機械的な計算だけではなく、根底には愛が必要である。


今日のお題は、渋沢栄一の論語と算盤からきている。
1916年(大正5年)に『論語と算盤』を著し、「道徳経済合一説」という理念を打ち出した。幼少期に学んだ『論語』を拠り所に倫理と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国全体を豊かにする為に、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけた。(ウィキペディア参照)


渋沢栄一は日本の基幹産業である銀行・証券会社・保険・鉄道・病院・ホテル・ビール工場・製紙工場・田園調布などの都市計画や不動産、その他多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。今日のある日本産業の基礎の大部分を創ったと言っていいだろう。


15年ほど前に私は埼玉県の深谷市に出向き、渋沢栄一の銅像の前で「あなたの英知を少しでも分けてください」とお願いしながら参拝した。神社より私は偉人たちの旧跡を訪ねて参拝するのが好きである。埼玉県には渋沢栄一(深谷市)、安岡正篤(嵐山町)、天海僧正(川越市)の三大偉人がいる。この三大偉人は私が最も尊敬する心の師である。


渋沢栄一の「論語と算盤」それをもじって沖川の「愛と算盤」これからどんな記事になるか?お題目を掲げた当人がプレッシャーを感じながらも、少しワクワクしている。



キャンセル情報

1/31(木)13時30分~14時30分と2/1(金)16時30分~17時にキャンセルが出ました。


キャンセル分は本日1/30の17時45分~18時の間で受付けます。埋まり次第終了とさせていただきます。



もし私が女性なら、結婚相手にはこういう目標を持つ。バカバカしいかもしれないが、「こんな考えもある」と聞き流してください。


私が女性なら男性は数字で見る。

だから男性とお付き合いするときは電卓を持ってお付き合いする(笑)

電卓とは面白い表現だが、損得の計算も人生には必要である。

私が女性なら電卓を持って男性を評価する。パチパチとそろばんを弾くように電卓をたたき、相手の条件を審査する。この人の生涯年収はいくら?体力・健康面の数値は?気力・忍耐・根性の数値は?人格や性格の数値は?相手の親子関係の数値は?人間関係と社会面のバランスは?身長は?体重は?私なりの条件表に従ってパチパチと弾く。数字とは面白いもので、まさにマジックである。その数字の組み合わせで夢や幸せが膨らんでくる。細かいけど広大なマジックである。でも、数字は大抵足りない部分がある。後は妥協しながら、自分にふさわしい数字に落としこんでいく。



数字は愛情より深い計算式だと私は思っている。世の中の創りは数字でできている、この地球上も、そして広大な宇宙も、数字でできている。数字のマジックを自分のものにするかで幸せの価値が決まる。


男性とお付き合いするときは電卓を持って付き合う(笑)もちろん相手には電卓を持って計算しているとは言わない(笑)「愛しているよ」と言って付き合う(笑)



男性らしい発想だが、女性の皆さんも恋愛に数字を取り入れてみたらどうだろう。損得(メリットデメリット)を図りながら相手を見ることは間違いではないと思うよ。




裁判に負けた彼女は私に報告を済ませ、それからは占い館を訪れなくなった。負け戦(敗軍の将、兵を語らず)とでも言うのか、彼女と彼の物語は終わった。




季節は巡り・・・一年の月日が流れた。




私はその後、いつもの通りに全国からの鑑定を請けていた。せわしい金曜日の予約日、たくさんの予約待ちの中に彼女の声があった。「○○です先生覚えていますか?」彼女だとピンときた。「「もちろん覚えていますよ」と言うと、「先生の予約が取りたい」と言う。


予約日に彼女の再訪を待った。

久しぶりに見る彼女の顔。

明るくて、とても晴れやかだった。

彼女は私に最高の報告をするために訪れたのである。

最高の報告とは、「結婚の報告である」



あれから・・・彼女は前に進んだ。

何故?前に進むことができたのか、やることを「とことんやった」からだ。ここまで徹底してやれば悔いは残らない。「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」の古代の明言を全て自分のものにした。この境地に達するのは並大抵のことではない。そして捨てる神あれば、拾う神ありも自分のものにした。人は行動する学問(活学)と試練に立ち向かうチャレンジ精神によって生き方を学ぶことができる。活学の集大成、その経験こそが学問である。ちょっとオーバーだが、沖川イズムの継承という卒業証書を彼女に与えたい(笑)



彼女は裁判には負けたが、長く落胆することはなかった。裁判に負けて生きる糧を失い、大きなトラウマとなる人もいるが、彼女はそうではなかった。この艱難辛苦の経験を次に生かしたのである。「失恋は教師である」恋は、できの悪い学者よりも数倍勝る人生の教師である。彼との波乱万丈の愛の物語は、十分におつりがくるほどいい勉強となった。その十分な勉強を彼女は次の実践の場に生かした。


男の人にこうしてはダメ。こうすれば男の人は喜ぶ。今までの女性である自分には気づかなかった男性心理が、元彼との失敗のお陰でよくわかるようになった。もともと能力の高い彼女がその技術(武器)を手に入れれば、もう鬼に金棒である。元彼との失敗は次の愛を成功させる教師であった。


前に進んだ彼女は、ある男性と出会う。過去の失敗を生かしながら付き合ったその男性との恋愛は順調に進み、まもなくプロポーズされた。本物の縁のある人とトントン拍子に進む愛、波乱万丈の愛を経験した彼女からすれば「え?こんなんでいいの」と少し戸惑いもあったが、その男性の愛を素直に受け入れることにした。本物の愛はトントン拍子に進むものである。その瞬間元彼との思い出は封印され、彼女の記憶から消えた。


「よくこんな男性がいたね」と私が感心するほどである。新しい彼の話を聞けば聞くほど、とても素敵な男性だということがわかる。


仕事に誠実で、勤続年数などの十分なキャリアもある。前向きで明るく人当たりも良く人間関係のバランスもとれている。社会的な常識も十分に兼ね備えており非の打ちどころがない。結婚するのならパーフェクトな条件。社会的な条件だけではない、彼女のことをとても大事にし、とても愛している。付き合ってすぐに彼女の親に「結婚を前提にお付き合いさせてください」と挨拶し、彼の実家の親兄弟にも「将来の妻」として紹介している。まさに絵に描いた結婚を前提にしたお付き合い。その行動の全ては彼が男らしく行っている。本気で結婚を考えている男性の行動はこうであるという見本である。


元彼と180度違う新しい彼。「よくこんな男性がいたね」と私が感心するほどである。それもこれも彼女が引き寄せたのである。彼女の前向きな潜在意識が。


彼女はとてもハッピーな笑顔で、最高の報告を私にしてくれた。今日は彼女の卒業式である。




元彼はどうなったか。
彼女の結婚が決まり、しばらくして彼女は学会のセミナーで元彼を見かけた。元彼は隅っこに一人でポツンと座っていた。久しぶりに見かけた元彼はとても太っていて顔色も悪く、とても不健康に見えた。私と付き合った頃はもっと血色が良く、しまりがあったのに・・・という感想を抱いたが、「もうどうでもよくなった」相変わらず窓際にポツンと座っている彼が以前よりとても可哀そうなくらい孤独に見えた。「彼の今後を祝福しよう」と一言願い、その日で最後にした。


この物語の結末は、彼女は裁判に負けて人生に勝ったのである。


「とことんやれば」ピンチの後はチャンスが訪れる。

彼女に続け。


終わり。




成功するためにはリスクは伴う。リスクを恐れて何もしなければ何も変わらない。リスクを恐れている者は成功しない、リスクから逃れた平凡以下の生活を送るだけである。そういう人は自分が望んでいるものは手に入らない。「ただ他人の幸せを」指をくわえてみているだけである。


他人から見れば、彼女の行動は「エゴ」だ「女のあさましい強欲に満ちたプライドだ」と非難されるかもしれない。だがリスクを恐れて泣き寝入りする人の方が負け犬になるのではないかな。やるときはやる「とことん」彼女みたいに。


「それでいい」と私は心底そう思う。人生は一度!やるときやらなければいつやるの?いつかやろうと思っている人は永遠にできないよ。やるときは今しかない。


彼女は裁判には負けたが、やることは全てやった。もちろん負けた悔しさもある。裁判に負けた当初は、悔しくて何日も眠れなかった。傷心し切ってやつれもした。美貌も崩れ女として自信も失くした。奈落の底、底辺に落ちたのである。ローマは一日にして成らず男の戦いはリスクを伴う熾烈な戦いだった。日本の離婚裁判は、「正義は負ける」というものをまざまざと見せつけた。何であんな卑怯な男が勝ち、私が負けるの!と日本の裁判制度を痛烈に批判した。現在のニーズに合わない男社会の司法制度、時代錯誤もはなはだしい。権力が決めたものは国民の心情は無視する。まるで政治の世界と一緒である。



しばらくは日本の裁判制度に怒りと疑念を抱いたが、一週間もすると彼女には新しい気持ちが芽生えてきた。

その気持ちとは、

「ほっとした」気持ちである。

これでローマは一日にして成らず男から解放される。

とことんやったから、

すっきりと開放された。

本当の白黒がついた。


実は・・・
彼女の潜在意識はそれを望んでいたのかもしれない。


続く。



一度しかない人生。

自分が持っている能力の全てを出して、「とことんやるのはいいことだ」たとえ周りに反対されても自分で責任を取ればいい。一度しかない人生とはそういうものだ。


とことんやっても全てがうまくいくわけではない。「でも後悔はない」とことん、ここまでやったのだから・・・後悔はない。物事を中途半端にするから後悔が残るのである。ならば後悔しないためにとことんやろう。



とことんやれば何かが見えてくる。わけのわからないモヤモヤとした気分、どんよりとした黒褐色の冬空のような寒くて暗いグレーの心が、自分は何を求めて何を探しているのか?その全貌がはっきりと見えてくる。まるで明るい春の兆しのように、自分の目指していたものが見えてくる。それが見えたとき、人は初めて本物の恍惚感、最高のハッピーな気分を味わうことができる。本当の「白黒」とは、とことんやってモヤモヤを吹き飛ばした先に決着がつくのではないだろうか。中途半端だから白黒決着がつかないのである。



他人から見れば執着だが、本人からすれば執着でも何でもない、そんな低レベルの次元で行動を起こしているわけではない。本人の意志とプライドがとことんやると決めたのだから誰も止めることはできない。思い起こせば、人類を動かした英雄たちはみんな彼女のような意志と信念を持って行動した。英雄のミニチア版、姉妹版が彼女の恋愛かもしれない。苦難の末、英雄たちが世界を動かしたごとく、彼女はたった一人の男を動かそうとした。裁判に勝って離婚を踏みとどめ、それから幸せな家庭を構築する。彼の誤解を解き、彼を納得させるのは私しかいないと決意した。ローマは一日にして成らず男との精神的な戦いが始まった。


でも、
英雄のように意気込んでも、調和と協調性がないと失敗に終わる。その調和と協調性を図るために彼女は私のところに訪れ、見識のある様々な事柄を話し合った。私だけではない、信頼のおける友人や尊敬できる上司や先輩、学校の恩師、親・兄弟、そして彼女の担当弁護士、人当たりが良く人間関係豊富な彼女ならでの調和である。彼にはその調和がない。彼と弁護士との孤軍奮闘しかない。たくさんの見識にある調和のとれた彼女と孤軍奮闘の彼。賢者から見れば「彼女の勝ち」と認めるが、裁判はそうではなかった。



彼女は負けたのである。


続く。



彼女とはいろいろな打ち合わせ(相談)をした。


まさか?裁判に訴えて出るとは予想もしていなかった。彼のおとなしい性格を考えるとそこまでしないだろうと高をくくっていたのかもしれない。だが、その反面ありえるかな?という気持ちも湧いてきた。マザコンの彼なら、対人関係は自分で解決する能力がない、だからママに頼るように弁護士と相談したのかもしれない。(あるいはママに言われて弁護士と相談したのだろう)育ちが良く依存心の強い人の動きは普通では予想がつかない。



もちろん、裁判に訴え出たのなら「辞めましょう」という話も出た。そこまでして彼に執着しなくてもいいだろう。客観的な大人の判断や、たくさんの事例を知っている私の経験談も話した。「彼はあなたにとって価値がない、そんな彼にこだわる必要もない」とも述べた。


彼女は優秀なので、ありとあらゆる想定を話し合った。彼を辞める話もしたし、裁判に勝つためにどうすればいいかという話もした。人生観の話、目標、願望、信念、哲学の話もたくさんした。私とのすべての話し合いが、この局面を乗り越え、今後どうするかの方向性が決まると思ったからだ。



たくさんの打ち合わせ(話し合い)の末、今後の対応は彼女の意志に任せることにした。



そして、彼女の意志は。
「とことんやる」という意志を選択した。能力の高い彼女らしい意志である。



彼女は「裁判に負けるわけにはいかない、裁判に勝つ」という意志を選択した。この意志はプライドだけではない、憎しみによる悔しい気持ちから出たわけでもない。ありとあらゆる想定を考え、たくさん時間をかけて熟慮した末に出た答えである。



私はその意志を尊重した。相談を請けている人が決めるものではない。まして占い師が決めるものではない。決めるのは本人、「本人の意志しかない」



その意志に従って彼女は、相手の訴状?である文章をひとつひとつ検証した。彼の話を聞いて弁護士が作成した文章。彼女を落とし入れるために作った身に覚えがない間違いだらけの文章。彼女はその訴状に対して反論文をつくった。



一個一個丁寧に時系列に乗っ取って反論文をつくった。相手が訴えている部分は「ここが違う!」違う部分を文章化し、証拠となる彼からのメールや写真、領収書やレシートなどを添付した。女性の記憶力は凄まじい。そして愛に関するものは大事にしまってある。彼が送ったメールや、彼からのプレゼント、彼と共に写した写真、デートした場所の記念品や二人で旅行に行ったときのお土産、それにまつわる領収書やレシート。想い出を証拠としてたくさん持つ女性なら、相手が送った訴状(離婚理由)に十分に反論するものだった。私は二つ(相手と彼女)の文章を読んでみて、「これは彼女の勝ちだなと思った。」彼は証拠もなく、言葉だけの嘘の供述、それを弁護士が「いかにも彼女が悪い」というふうに文章化している。法令に乗っ取った冷酷な文章、情のかけらもない。常識のある大人が判断すれば、彼からの離婚理由は「離婚に値しないと判断するのが普通だろう」と私は思った。


続く。




彼は弁護士を雇い離婚裁判に出た。


これが彼女を奈落の底に落とした原因である。



彼は一年あまりの彼女の努力を裏切る形で、弁護士を雇い離婚調停に持ち込んだ。調停で離婚が決まらなければ、離婚裁判をする決意である。自分の手は何も汚さず、すべて第三者である弁護士に委ねた。人間関係不信の高学歴の人がよくやる手口である。自分の力ではどうしょうもないので第三者の力を借りてこの問題の解決を図りにかかった。


弁護士から内容証明の書面が送られて来た。その時の彼女のショックは想像を絶するものであった。「人(彼)を信じていたのに」まさかこんな形で裏切られるとは予想もしていなかった。想定外の出来事が起きたのである。眠れない落胆の日々が続く。


司法の場に打って出た彼、そして弁護士からの訴状ともいえる書面の内容は、事務的で冷酷、さすが事態をよく把握していない弁護士(専門バカ)情のない文章そのものである。情のある生身の人間には読んでいて腹立しい機械的な文章である。法律に乗っといた文章とは言え、頭がくるほどちんぷんかんぷんの内容である。彼女は「よくもまあ、こんなでたらめな文章が書けるな!」と憤りを感じた。私も裁判にまつわる相談を何人か請けたことがあるが、弁護士の書く文章とはだいたいそんなものである。司法書士や行政書士、弁護士の法律関連の文章は人間味がない、プロの事務屋の文章は人間味がないのである。そこに腹を立ててもしょうがない。


相手が弁護士を雇ったので、彼女も弁護士と相談した。お互い第三者を入れての司法の戦いへと発展していった。


調停は不発に終わり、いよいよ離婚裁判となった。

続く。




対人関係が下手で、人間関係に自信のない人は自分を守るために予想もつかない行動に出ることがある。それは本能的に持っている自己防衛、悪魔の心である。人には自分を守るプライドがある。体の中の赤血球や白血球は自分にとって害を及ぼす不純物を俳除する働きがある。彼は彼女の行動は自分にとって害を及ぼす不純物であると考えた。本来の物質(ローマは一日して成らず・・・生まれ持った性格は直らない)自分の性質を損なうことになることを彼は恐れたのである。一度壊れたガラスコップは元に戻らない。一度切れた気持ちは元に戻らない。いくら彼女が努力しようと・・・



彼は君とはもう無理だ!という話を男らしく(人間らしく)彼女と話し合いをする気は毛頭ない。卑怯かもしれないが、これが彼の性格である。なんだかしらないが、そういう男が多い。女性の努力を曖昧にグレーにする男はこの地球上に数億人いる。彼もその中の一人である。女性がいくら頑張っても冷ややかに見て、自分の態度ははっきりしない。君が勝手に努力しているだけだ、僕のせいにするな。勝手に自爆して勝手にあきらめてくれ、そして最終的には僕の前から消えてくれとしか言いようがない。プライドだけが高くて恋愛に責任を取らない男たちがウイルスのように増殖している。そんな考えが裏にあるのに、女性は奇跡を信じて前向きに努力を続ける。この女性の努力は正義のある心の人には通じるが、悪魔の心を持った人には通じない。人の心は紙一重、天使も悪魔も同居している。心は常に陰陽説によって成り立っている。仲の良いときは陽の心が働き、不仲になると陰の心が働く。そして陰の心は時間と共に悪いウイルスが増殖し、女性の愛を俳除しようとする。



彼は悪い心のメカニズムを知っているのか知らないのか、彼女を奈落の底に落とす行動に出た。



続く。




「継続は力なり」彼女の前向きな努力は一時期効果を表した。彼の態度が前より柔和になってきた。離婚を切り出した頃は冷たく彼女を避けるような態度だったが、彼女の明るく前向きな努力のお陰で、彼の態度も少しずつ軟化してきた。



週に一回行われている勉強会の場でも、以前は彼女とうんと離れた隅っこの方に座っていたが、最近は彼女の近くに座るようになった。席がだんだん近づいてきたのである。嫌いな人とは距離を置くのが通例だが、彼は彼女の後ろ、斜め横、前の席に座るようになった。椅子を一個置いて彼の気配を感じるようになった。彼の席の移動は彼女に何らかしらの好意を抱いている証拠だろう。その席の移動も彼の動きはまだぎこちなく挙動不審ではある(笑)


勉強会の後、教室の皆でたまに行われる懇親会(飲み会)にも彼は積極的に参加するようになった。以前は勉強が終わればさっさと帰る彼だが、彼女が出る飲み会だと知っているのに、あえて出るようになった。彼なりに皆とそして彼女とのコミュニュケーションを計りたかったのだろう。孤独な男も人の輪に入りたいという心境になってきた。


その彼の動きは、それもこれも彼女のお陰である。彼女のビジョンは生き方を彼に教える。「人とはこうやって接するのよ」という見本を遠隔操作で示したのである。夫婦はお互いが反面教師、悪い見本となれば悪くなり、良い見本となれば良くなる。彼は彼女を見習い、人と接するようになったのである。


飲み会の時、彼はほとんど無口だが、人の話にどんどん参加するようになった。そして彼女とも一言二言会話もするようになった。彼女は彼に話したいことが山ほどあるが、「無理はよそう」少しずつ時間をかけて、彼とのわだかまりを解いていこうと考えた。


懇親会が終わって帰りの駅に向かう。彼、彼女、勉強会の仲間、5~6人ほどで駅に向かったが、それぞれが違う路線なので散会した。彼と彼女は同じ路線、5分ほど二人は目指す方向へ歩いた。「お茶でも飲まない?」と軽く彼女は誘ったが、「いや家に帰って勉強することがあるから」と彼は言って急ぎ早に改札口の方に消えた。「しまった・・・早まったかな?」と彼女は後悔した。まだ二人でじっくり話す気分に彼はなっていないようだ。焦るのはよそう。


このような流れで、彼女は週に一回の勉強会とたまにある懇親会に前向きな努力を実行し続けた。いつか訪れるチャンスを待ちながら。そしてこの流れが一年経過した。彼女は一向に進まない流れ、彼が何を考えているのか分からなくなったときは、私のところに訪れる。「先生と話しているととても安心する。そしてまた前向きになれる」という言葉を残し不安を払しょくした。前向きな彼女とは言え、やはりか弱い女性、時々元気になるエネルギーを注入しないと精神的に持たないのであろう。それだけこの作業は精神的に骨の折れる作業である。私は彼女の能力を信じ、心から応援する側に廻った。(ときどき叱咤激励も混ぜて)


少しずつではあるが、彼は近づいてきている。もうすぐだ・・・頑張れ。

継続は力なり・・・一年を経過して、よやく彼の態度が軟化してきた。彼は彼女の近くに座り、勉強会で会うたびに何らかの会話をするようになった。勉強が終わって帰る時も、彼は駅で彼女の帰りを待って一緒に電車にも乗るようになった。今日こそじっくり話せるかなと思ったら、彼は自宅のある駅までは乗らず、いつも途中下車して「それじゃ」と言って降りる。帰りの道のりはわずか5分一緒にいるだけ。勉強の話や仕事の話には応じるが、肝心な夫婦のプライベートの部分はいつも口を閉ざし、途中下車する。


「今日こそ話そう」と彼女は決心し。彼が途中下車する駅に彼女も降り、彼の後をついていった。彼女の行動に彼は一瞬びっくりしたが、彼女は「この駅にある本屋に寄るの、ねえ一緒に本屋にいかない」と彼を誘った。「ああ、本屋ならいいよ」と彼は受け入れた。彼が途中下車する駅に降り、二人は本屋に向かった。それから彼女は頭の中でいろいろプランを練ったが、彼の頭の中は彼女のプラン通りにはいかなかった。小一時間は一緒に居られたが、彼とお茶を飲みながら二人の問題を話し合う設定はとうとう出来なかった。彼は真面目でおとなしそうに見えるが、実は相当頑固なのである。


彼女は小さな試練を乗り越えながら確実に彼の心の領域に近づいて来ている。離婚を言い出した頃は彼女を避け、彼女を無視して、彼女に対して冷酷だった彼が、今は教室でも普通に会話をして、帰りもこうして一緒に帰れるようになった。



着実に前に進んでいるかのように見えた。


だが・・・






彼の悪魔の魂が動き出す。


続く。