新しいものにチャレンジすることはいいことだと思う。旧態依然のやり方では幸せになれないのなら是非新しいものにトライしてほしい。人間は慣れ愛(合い)の生活に甘んじるところがある。慣れた生活は確かに楽だが、これでいいの?という不安が常につきまとう。これでいいの?という不安を払拭させるには勇気を持って新規改革に挑むことだ。
恋愛においても新規改革は必要だと思う。いつまでも終わった恋に執着していないで、新しい人へトライしてほしい。しばらく休んで恋の葬式が終わったら、悲しみを乗り越えて前へ歩こう。執着では幸せになれない、何故なら前向きではないからだ。信念は前向きに宿るのであって執着には宿らない。自分が思っていること、やっていることが常に前向きであるかどうか確認することだ。自分だけ思って愛しても、相手には迷惑の場合がある。迷惑な思いと行動は信念と呼べない、執着以外何ものでもないからだ。
新しい人にチャレンジする場合、新しい人を否定しないことだ。新鮮な気持ちでチャレンジしよう。前向きにワクワクしながら。新しいものはよほど覚悟して取り込まないと手に入らない。開拓精神にはパワーがいる。心と体力を鍛え、強い精神力で望もう。
女性たちは恋が終わると新しい人を否定する癖がある、不思議でしょうがない。何故新しい人を拒むのか?不思議でならない。男脳から言わせれば新しい人へのチャレンジはとても新鮮でやり甲斐のあるものなのに、何故その気にならないのか不思議でしょうがない。おそらくその脳は太古から受け継がれたものだろう。太古の大昔、男たちは開拓によって新しい世界を創り、女たちは敵や猛獣と戦うことなく塀の中の安全な場所で暮らしていた。その安全な場所で暮らす集団帰属が長く続くとそれが本脳になる。だから女性は新規開拓が苦手、慣れた相手と慣れた場所で永遠に暮らしたいと願う。太古から受け継がれた本能、それは子供を育てるにはふさわしいが、子供を育てる前に相手を見つけなければならない。
見つけるためには動かなければならない。
動くためには開拓精神が必要である。いつまでも愛の帰属にいるな。その場所はもう終わったのだ。新しい住みかを見つけるために女性たちも大移動しよう。新しい世界を開拓しながら。
新しい人は元彼よりいい。
そこを発見することだ。
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数々の恋愛相談を重ねてきて。
ここにきて、
男と女の道、沖川流の恋愛の道教を書くたくなりました。東洋や西洋の哲学ではありません。日々私が感じ取ったものを私の主観でつらつら述べていきます。
今日のテーマ(無償の愛)
愛は捧げるもので見返りを求めるものでない。愛は祝福するもので妬んだり嫉妬したり奪い取るものではない。「愛されるより愛せよ」本物の愛には自己都合のエゴや欲望はない。愛は永遠で、愛は尊厳なのです。
愛する人の対する心構え、
騙すより騙されてもいい。裏切るより裏切られてもいい。裏切られても騙されても人を信じよう。裏切られることや騙されることを恐れるより人を信じられない方がもっと恐ろしい。騙されて裏切られたときはパニクッテうろたえるより逆に冷静沈着になろう。そして「あっそういうことか」と納得しよう。そのテクニックは悪の耐性能力の修業だと思えばいい。残念ながら耐性能力なしでは人を愛せないのがこの世の中なのかもしれない。たくさんの裏切り、騙しを見聞きするたびに悪に対する耐性能力は必要不可欠だと思うようになった。悪にマインドコントールされるより悪を防御する心を鍛えよう。そうすれば己の愛はブレることはない。
皆さんから学んだ私の愛への考えは大きく変わってきた。
今の私なら、どんな苦境の愛も怖くない。
愛する相手が私を裏切って浮気をしたとしても許すことができる。片想いの人が自分を選ばず他の人を選んだとしても祝福することができる。皆さんが苦境に立たされて苦しんでいる愛のほとんどは私にとってどうってことないものばかりとなってしまった。皆さんのお陰でもの凄い耐性能力が身に着いた(笑)これで私もおバカさんのいい人を目指すことができる(笑)
いい人は報われないからいい人。愛においては、自分は幸せになれなくてもいい。それより人が幸せになるのを祝福する方が楽しい。
ここにきて、
男と女の道、沖川流の恋愛の道教を書くたくなりました。東洋や西洋の哲学ではありません。日々私が感じ取ったものを私の主観でつらつら述べていきます。
今日のテーマ(無償の愛)
愛は捧げるもので見返りを求めるものでない。愛は祝福するもので妬んだり嫉妬したり奪い取るものではない。「愛されるより愛せよ」本物の愛には自己都合のエゴや欲望はない。愛は永遠で、愛は尊厳なのです。
愛する人の対する心構え、
騙すより騙されてもいい。裏切るより裏切られてもいい。裏切られても騙されても人を信じよう。裏切られることや騙されることを恐れるより人を信じられない方がもっと恐ろしい。騙されて裏切られたときはパニクッテうろたえるより逆に冷静沈着になろう。そして「あっそういうことか」と納得しよう。そのテクニックは悪の耐性能力の修業だと思えばいい。残念ながら耐性能力なしでは人を愛せないのがこの世の中なのかもしれない。たくさんの裏切り、騙しを見聞きするたびに悪に対する耐性能力は必要不可欠だと思うようになった。悪にマインドコントールされるより悪を防御する心を鍛えよう。そうすれば己の愛はブレることはない。
皆さんから学んだ私の愛への考えは大きく変わってきた。
今の私なら、どんな苦境の愛も怖くない。
愛する相手が私を裏切って浮気をしたとしても許すことができる。片想いの人が自分を選ばず他の人を選んだとしても祝福することができる。皆さんが苦境に立たされて苦しんでいる愛のほとんどは私にとってどうってことないものばかりとなってしまった。皆さんのお陰でもの凄い耐性能力が身に着いた(笑)これで私もおバカさんのいい人を目指すことができる(笑)
いい人は報われないからいい人。愛においては、自分は幸せになれなくてもいい。それより人が幸せになるのを祝福する方が楽しい。
面白い?記事を書くとコメント数が多くなりますね(笑)賛否両論を模索する記事は面白いと思います。人の考えは千差万別、簡単に分けると陰陽に分かれます。
世界でも西洋と東洋の教えには相違点があり、日本はそのどちらも取り入れている国だと思います。一国民で一般人である私の考えは、西洋の教えは成功哲学、東洋の教えは人の道を教える哲学だと考えています。ビジネスツールの成功哲学を唱えるのか、いやいやここは欲を持たず人として道を歩むべきだと唱えるのか、そのときの状況によって選択をしていけばいいと思っています。
西洋哲学にも陰陽説があり、東洋哲学にも陰陽説がある。西洋哲学も東洋哲学もすべてが正しいわけでもないし、すべてが間違っているわけではない。問題は個人がそれをどうとらえるかである。
私も若い頃は西洋の成功哲学を中心に唱え、歳を取った今は東洋哲学の人の道を中心に唱えている。片方に偏るのではなく両方ミックスしていると言っていいだろう。
西洋哲学の陰の部分は金儲け主義の発想が多いにある。ロックフェラー財団はその部分が強く出ており、私はあまり好きではない。その配下たちは戦争を公共事業と考えているふしがある。資本主義国家の超大国であるアメリカは幾度も戦争を繰り返し、戦争によって国民を鼓舞し経済の活性化を図ってきた。(まさしく戦争は一種の公共事業である)犠牲になった兵士の命を顧みず、自分たちは戦争にいかず、のこのこと金儲けをしている。こんな構図が見えるので西洋の金儲け思想はあまり好きになれない。人を犠牲にしても金を設けるという思想があまりにも多いからだ。彼らの成功哲学の一部だけを取り入れ、心は東洋の心を取り入れている。
東洋哲学も陰陽に分かれる。
国家権力を主とする孔子の教え、一般の民を主とする老子荘子の教え。私は老子・荘子の教えが好きである。
孔子はエリート官僚を育てる導き書のところがあり権威には値するが、私自身の心にはあまり響かない。響くのは一般国民ではなく、これから国を統制しようとする政治家や官僚、財界のエリートたちだけであろう。権力で人の上に立つためには孔子の教えが必要だからだ。エリートを育てる導き書が孔子学問である。
私はエリートではないので、もっぱら老子・荘子の民の教えの方が好きである。とくに老子の「あきらめよう、そうすればうまくいく」という言葉が好きである。西洋哲学に反し、孔子の教えに反し、人間だからあきらめることも必要。背伸びしないで自分にあった生き方で十分じゃないか。なんかほっとするこの言葉が好きである。
どれが道の教えなのか、私はこれから道教をとらえていくつもりである。
世界でも西洋と東洋の教えには相違点があり、日本はそのどちらも取り入れている国だと思います。一国民で一般人である私の考えは、西洋の教えは成功哲学、東洋の教えは人の道を教える哲学だと考えています。ビジネスツールの成功哲学を唱えるのか、いやいやここは欲を持たず人として道を歩むべきだと唱えるのか、そのときの状況によって選択をしていけばいいと思っています。
西洋哲学にも陰陽説があり、東洋哲学にも陰陽説がある。西洋哲学も東洋哲学もすべてが正しいわけでもないし、すべてが間違っているわけではない。問題は個人がそれをどうとらえるかである。
私も若い頃は西洋の成功哲学を中心に唱え、歳を取った今は東洋哲学の人の道を中心に唱えている。片方に偏るのではなく両方ミックスしていると言っていいだろう。
西洋哲学の陰の部分は金儲け主義の発想が多いにある。ロックフェラー財団はその部分が強く出ており、私はあまり好きではない。その配下たちは戦争を公共事業と考えているふしがある。資本主義国家の超大国であるアメリカは幾度も戦争を繰り返し、戦争によって国民を鼓舞し経済の活性化を図ってきた。(まさしく戦争は一種の公共事業である)犠牲になった兵士の命を顧みず、自分たちは戦争にいかず、のこのこと金儲けをしている。こんな構図が見えるので西洋の金儲け思想はあまり好きになれない。人を犠牲にしても金を設けるという思想があまりにも多いからだ。彼らの成功哲学の一部だけを取り入れ、心は東洋の心を取り入れている。
東洋哲学も陰陽に分かれる。
国家権力を主とする孔子の教え、一般の民を主とする老子荘子の教え。私は老子・荘子の教えが好きである。
孔子はエリート官僚を育てる導き書のところがあり権威には値するが、私自身の心にはあまり響かない。響くのは一般国民ではなく、これから国を統制しようとする政治家や官僚、財界のエリートたちだけであろう。権力で人の上に立つためには孔子の教えが必要だからだ。エリートを育てる導き書が孔子学問である。
私はエリートではないので、もっぱら老子・荘子の民の教えの方が好きである。とくに老子の「あきらめよう、そうすればうまくいく」という言葉が好きである。西洋哲学に反し、孔子の教えに反し、人間だからあきらめることも必要。背伸びしないで自分にあった生き方で十分じゃないか。なんかほっとするこの言葉が好きである。
どれが道の教えなのか、私はこれから道教をとらえていくつもりである。
皆さんの参考になるかどうか?
「苦しんで待つより、楽しんで待つ」という女性がいます。
どんな待ち方かというと、他の男性にチヤホヤされながら待つ、彼が忙しくて会えないのなら他の男性と遊んじゃえという子です。「女はもててナンボ」を実践している子です。彼に待たされて、会えない彼のことを朝から晩まで思い煩って悩んでいるくらいなら他の男性と遊ぶ。仕事だかなんだか知らないが、忙しいといって私を放置するのは許せない。私を放置するのなら私を愛していない証拠。本当に愛しているのならもっと私を大事にするはず。他の男性は私を大事にしてくれる、だから遊ぶ、チヤホヤされながら(エヘ)・・・ワガママというか欲張りというか、とても小悪魔な女の子。
これって因果応報が働くのでは?そんなことをしているとバチが当たるぞ?確かにバチが当たるだろう。だが笑ってしまう(ククク)何の悪気もなくさらっと言えるその子に笑ってしまう。「前向きだ」と素直にそう思ってしまう。因果応報の恐れより因果応報を吹き飛ばすくらい能動的だ。自分の可愛さ、明るさ、前向きさをたくさんの男性にアピールしている(恋のスーパーレディ)モテル子とはそういう女の子かもしれない。おそらくこの子は女性たちからやっかみを覚えられ、非難されるだろう。女性に嫌われる性格かもしれない。しかし反対の性格である男性側から見れば明るくて可愛い素直な子に見える。男ってこんな女の子に弱いんだな(笑)
因果応報を考えるより、その子が女性の基本かもしれない。メス(女性)はオス(男性)をたくさん引き寄せて(モテテ)ナンボ。自然界では発情期になると、メスの廻りにたくさんのオスたちが集まる。一頭のメスをめぐってオスたちがしのぎを削りながら(優秀さをアピールしながら)メスを得ようとする。自然界はメスに愛の選択権がある。こう考えると彼女の行動には正当性がある。彼女は一度しかない人生だから、たくさんの男にもてようとしている。何も一人の男に縛られる必要はない。役に立たなければ捨てるだけ。代わりはいくらでもいる。うむ、そこまで言い切ればあっぱれである。
「苦しんで待つより、楽しんで待つ」という女性がいます。
どんな待ち方かというと、他の男性にチヤホヤされながら待つ、彼が忙しくて会えないのなら他の男性と遊んじゃえという子です。「女はもててナンボ」を実践している子です。彼に待たされて、会えない彼のことを朝から晩まで思い煩って悩んでいるくらいなら他の男性と遊ぶ。仕事だかなんだか知らないが、忙しいといって私を放置するのは許せない。私を放置するのなら私を愛していない証拠。本当に愛しているのならもっと私を大事にするはず。他の男性は私を大事にしてくれる、だから遊ぶ、チヤホヤされながら(エヘ)・・・ワガママというか欲張りというか、とても小悪魔な女の子。
これって因果応報が働くのでは?そんなことをしているとバチが当たるぞ?確かにバチが当たるだろう。だが笑ってしまう(ククク)何の悪気もなくさらっと言えるその子に笑ってしまう。「前向きだ」と素直にそう思ってしまう。因果応報の恐れより因果応報を吹き飛ばすくらい能動的だ。自分の可愛さ、明るさ、前向きさをたくさんの男性にアピールしている(恋のスーパーレディ)モテル子とはそういう女の子かもしれない。おそらくこの子は女性たちからやっかみを覚えられ、非難されるだろう。女性に嫌われる性格かもしれない。しかし反対の性格である男性側から見れば明るくて可愛い素直な子に見える。男ってこんな女の子に弱いんだな(笑)
因果応報を考えるより、その子が女性の基本かもしれない。メス(女性)はオス(男性)をたくさん引き寄せて(モテテ)ナンボ。自然界では発情期になると、メスの廻りにたくさんのオスたちが集まる。一頭のメスをめぐってオスたちがしのぎを削りながら(優秀さをアピールしながら)メスを得ようとする。自然界はメスに愛の選択権がある。こう考えると彼女の行動には正当性がある。彼女は一度しかない人生だから、たくさんの男にもてようとしている。何も一人の男に縛られる必要はない。役に立たなければ捨てるだけ。代わりはいくらでもいる。うむ、そこまで言い切ればあっぱれである。
変化(チェンジ)を恐れてはいけない。
悪い恋愛は終わりにしよう。うまくいっていないものに神経を注ぎこむことは時間の無駄。辞めよう、終わりにしよう。もういいだろう十分だ!思い切って捨て去ることだ。失うものを恐れてはいけない。
皆さんは失うことを極端に恐れているが、失った後にチャンスが訪れることに気づいていない。いや、実は気づいているのかもしれません、だから女性は白黒をつけて前へ進みたいという気持ちがあるのでしょう。前へ進みたい気持ちとそれを阻む愛の執着が葛藤してなかなか結論がでないのではないでしょうか。
心配することはありません。別れることを恐れないで前へ進みましょう。復縁はもう時代遅れです。これからの時代は「新規改革」復縁はその新規の波に乗ってついでに復縁するというやり方の方がふさわしいのです。逃げている男は追いかけないで前へ進みなさい。自分勝手で威張っている男は相手にしなくていいです。何もあなたがそんな男にバカにされたり舐められたりして愚弄される必要はありません。そんな男にしつこいほど謝罪して嫌になるほど反省して、「お願い私を捨てないで」と追いかけるのはみっともないですよ。メスがオスを追いかけるという自然界ではありえない行動を人間界の女性はとってはいけません。謝罪と反省ばかりしている女性に男性は興味がないのです。哀れに苦しんでいる女性に男性は興味がないのです。興味はどうやってその女と「別れようか」しかないのです。壊れたガラスコップにしがみついている女性など興味がない。そう言い切っていいでしょう。
ではどんな女性に興味を持つのか?それは生まれ変わった女性です。前に進み、新規のパワーを手に入れた女性です。
新規はパワーを生む。
それは何も恋愛だけではありません。仕事でも勉強でもスポーツでも芸術でも新規はパワーを生むのです。やる気がなくてマンネリ化した人間が新しい所へ移ってパワーをつけたという話はこの世にたくさんあります。例えば同じ仕事を長年続ければマンネリ化していきます。そこへまったく違う部署へ異動(転勤)となる。仕事も環境も今までとはまったく違うとなれば人間は一からやる気をださなければいけません。新しいことを覚えるやる気がパワーの源なのです。不安もありますが新しい物を一から覚えるパワーの方が強いのです。転勤や異動だけでなく、転職の時もそのパワーは出てきます。パワーを出さないと不安に押しつぶされるからです。ところ変われば(環境が変われば)パワーがでる。それは勉強でもスポーツでも芸術でも、恋愛でも結婚でも、人間の営みはすべて同じです。新規でパワーを発揮しないとこの先やっていけないからです。
終わったものにすがりつかないで新規にパワーを注ぐ。それをあなたもやってください。それができない人は、会社(彼)が君は戦力外通告(クビ)と言っているのに、嫌だと言って窓際にしがみついている能力のない人と同じです。窓際族は買い殺し状態、いつまで経ってもこの会社(彼)で這い上がることはありません。会社(彼)は本人が嫌になって辞めるのを待つだけです。そんなわざわざ地獄の苦しみを味わうことはありません。その苦しみは長く味わえば味わうほど負け犬になり下がるだけです。負け犬になると人生は不幸になります。
不幸になりたくなければ、新規にパワーを注ぐことです。終わったものダメになったものに執着してはいけません。旧態依然の古きものより新しいものにチャレンジしてください。新しいものはパワーを生みます。一から創り上げる建造物にもっと興味を持ちましょう。その新しい建造物はあなたの遠回りした愛から基礎ができます。元彼との愛はあなたが未来の幸せとなる基礎なのです。その基礎を踏み固め乗り越えて新しい建造物をそこに建てましょう。初心に戻って一からやり直し、純粋に素直になって一からやり直し。その志しで新規にパワーを注ぎましょう。
新しい所で力をつければ、前の会社(元カレ)から最高の条件でオファーがあるかもしれません。これがこれからの復縁です。復縁するかどうか、その時のあなたの成長具合で判断してください。NOでもYESでもどちらでも構いません。NOなら前の会社(元カレ)は優秀な人材を失うだけです。
悪い恋愛は終わりにしよう。うまくいっていないものに神経を注ぎこむことは時間の無駄。辞めよう、終わりにしよう。もういいだろう十分だ!思い切って捨て去ることだ。失うものを恐れてはいけない。
皆さんは失うことを極端に恐れているが、失った後にチャンスが訪れることに気づいていない。いや、実は気づいているのかもしれません、だから女性は白黒をつけて前へ進みたいという気持ちがあるのでしょう。前へ進みたい気持ちとそれを阻む愛の執着が葛藤してなかなか結論がでないのではないでしょうか。
心配することはありません。別れることを恐れないで前へ進みましょう。復縁はもう時代遅れです。これからの時代は「新規改革」復縁はその新規の波に乗ってついでに復縁するというやり方の方がふさわしいのです。逃げている男は追いかけないで前へ進みなさい。自分勝手で威張っている男は相手にしなくていいです。何もあなたがそんな男にバカにされたり舐められたりして愚弄される必要はありません。そんな男にしつこいほど謝罪して嫌になるほど反省して、「お願い私を捨てないで」と追いかけるのはみっともないですよ。メスがオスを追いかけるという自然界ではありえない行動を人間界の女性はとってはいけません。謝罪と反省ばかりしている女性に男性は興味がないのです。哀れに苦しんでいる女性に男性は興味がないのです。興味はどうやってその女と「別れようか」しかないのです。壊れたガラスコップにしがみついている女性など興味がない。そう言い切っていいでしょう。
ではどんな女性に興味を持つのか?それは生まれ変わった女性です。前に進み、新規のパワーを手に入れた女性です。
新規はパワーを生む。
それは何も恋愛だけではありません。仕事でも勉強でもスポーツでも芸術でも新規はパワーを生むのです。やる気がなくてマンネリ化した人間が新しい所へ移ってパワーをつけたという話はこの世にたくさんあります。例えば同じ仕事を長年続ければマンネリ化していきます。そこへまったく違う部署へ異動(転勤)となる。仕事も環境も今までとはまったく違うとなれば人間は一からやる気をださなければいけません。新しいことを覚えるやる気がパワーの源なのです。不安もありますが新しい物を一から覚えるパワーの方が強いのです。転勤や異動だけでなく、転職の時もそのパワーは出てきます。パワーを出さないと不安に押しつぶされるからです。ところ変われば(環境が変われば)パワーがでる。それは勉強でもスポーツでも芸術でも、恋愛でも結婚でも、人間の営みはすべて同じです。新規でパワーを発揮しないとこの先やっていけないからです。
終わったものにすがりつかないで新規にパワーを注ぐ。それをあなたもやってください。それができない人は、会社(彼)が君は戦力外通告(クビ)と言っているのに、嫌だと言って窓際にしがみついている能力のない人と同じです。窓際族は買い殺し状態、いつまで経ってもこの会社(彼)で這い上がることはありません。会社(彼)は本人が嫌になって辞めるのを待つだけです。そんなわざわざ地獄の苦しみを味わうことはありません。その苦しみは長く味わえば味わうほど負け犬になり下がるだけです。負け犬になると人生は不幸になります。
不幸になりたくなければ、新規にパワーを注ぐことです。終わったものダメになったものに執着してはいけません。旧態依然の古きものより新しいものにチャレンジしてください。新しいものはパワーを生みます。一から創り上げる建造物にもっと興味を持ちましょう。その新しい建造物はあなたの遠回りした愛から基礎ができます。元彼との愛はあなたが未来の幸せとなる基礎なのです。その基礎を踏み固め乗り越えて新しい建造物をそこに建てましょう。初心に戻って一からやり直し、純粋に素直になって一からやり直し。その志しで新規にパワーを注ぎましょう。
新しい所で力をつければ、前の会社(元カレ)から最高の条件でオファーがあるかもしれません。これがこれからの復縁です。復縁するかどうか、その時のあなたの成長具合で判断してください。NOでもYESでもどちらでも構いません。NOなら前の会社(元カレ)は優秀な人材を失うだけです。
人は遠くに正しい道があると思っている。
人は遠くに幸せがあると思っている。
でも、正しい道や幸せは近くにある。遠くではなく近くにある。
もっと近くを大切にしよう。もっと身近な人を大切にしよう。いつまでも遠くにいる青い鳥ばかりを追いかけないで、目の前にある身近な幸せを大切にしよう。自分が住んでいる街、一緒に暮らしている家族、地元の友人や仲間をもっと大切にしよう。近過ぎてつまらないとか、面白くないとか、刺激がないとか、ときめかないとか、そんなワガママばかり言っていないで、今ある現実を幸せだと思うことだ。現実は厳しいけど現実の中で努力するから人は幸せになれる。
正しい道は身近にある、遠くばかり見ないことだ。なぜこんな記事を書いたかというと家族を大切にしていない相談内容がここ数日続いたからだ。夫を愛していない妻、妻を愛していない夫。みんな好き勝手に浮気や不倫をしている。いい歳こいて困ったものだ。世帯主である夫の浮気も多いが、配偶者である妻の浮気も多い。「今は節操のない不倫ブームかもしれない」困ったものだ。近くの夫や妻より遠くの恋人ばかり漁っている。
「もう夫のことは好きでない。夫とは体の関係は持ちたくない。」「妻のことは好きではない妻とはSEXしていない。」それで他に好きな人(SEXできる相手)ができたという話は耳が痛くなるほど聞かされている。恋愛は自由とは言え、そんなことでいちいち悩むな、罪悪感で因果応報を恐れている恋愛など最初からするなと言いたい。不倫や浮気は単なる遊びでしかない、そこに本気になるから心はやけどするのである。悪い遊びは早く卒業することだ。
正しい道は近くにある。もっと夫を大切にしなさい、もっと妻を大切にしなさい。愛は男女が愛し合う恋愛(性欲)ばかりではない。生活の安定こそが最も大切な愛である。夫や妻が仕事や家事で汗水たらして働いて守っている生活こそが本物の愛。その愛をもっと大事にしよう。二人で苦労した歴史を再度思いだしてごらん(いろいろ・・・あったはずだ。良いときも悪いときもいろいろあったはず・・・)二人で歩んできた苦労を思い起こせば夫や妻に対して(憎しみや冷めた気持ちより)感謝に変わるはずだ。ひとときの浮かれた恋愛のロマンなど何十年も汗水たらして働いた愛には勝てない。それが正しい道は近くにあるという教えである。
人は遠くに幸せがあると思っている。
でも、正しい道や幸せは近くにある。遠くではなく近くにある。
もっと近くを大切にしよう。もっと身近な人を大切にしよう。いつまでも遠くにいる青い鳥ばかりを追いかけないで、目の前にある身近な幸せを大切にしよう。自分が住んでいる街、一緒に暮らしている家族、地元の友人や仲間をもっと大切にしよう。近過ぎてつまらないとか、面白くないとか、刺激がないとか、ときめかないとか、そんなワガママばかり言っていないで、今ある現実を幸せだと思うことだ。現実は厳しいけど現実の中で努力するから人は幸せになれる。
正しい道は身近にある、遠くばかり見ないことだ。なぜこんな記事を書いたかというと家族を大切にしていない相談内容がここ数日続いたからだ。夫を愛していない妻、妻を愛していない夫。みんな好き勝手に浮気や不倫をしている。いい歳こいて困ったものだ。世帯主である夫の浮気も多いが、配偶者である妻の浮気も多い。「今は節操のない不倫ブームかもしれない」困ったものだ。近くの夫や妻より遠くの恋人ばかり漁っている。
「もう夫のことは好きでない。夫とは体の関係は持ちたくない。」「妻のことは好きではない妻とはSEXしていない。」それで他に好きな人(SEXできる相手)ができたという話は耳が痛くなるほど聞かされている。恋愛は自由とは言え、そんなことでいちいち悩むな、罪悪感で因果応報を恐れている恋愛など最初からするなと言いたい。不倫や浮気は単なる遊びでしかない、そこに本気になるから心はやけどするのである。悪い遊びは早く卒業することだ。
正しい道は近くにある。もっと夫を大切にしなさい、もっと妻を大切にしなさい。愛は男女が愛し合う恋愛(性欲)ばかりではない。生活の安定こそが最も大切な愛である。夫や妻が仕事や家事で汗水たらして働いて守っている生活こそが本物の愛。その愛をもっと大事にしよう。二人で苦労した歴史を再度思いだしてごらん(いろいろ・・・あったはずだ。良いときも悪いときもいろいろあったはず・・・)二人で歩んできた苦労を思い起こせば夫や妻に対して(憎しみや冷めた気持ちより)感謝に変わるはずだ。ひとときの浮かれた恋愛のロマンなど何十年も汗水たらして働いた愛には勝てない。それが正しい道は近くにあるという教えである。
女の人は愛が命だと思う。ホントつくづくそう思う・・・。
そこまで男性を愛する女性は凄いと思う。逆にそこまで愛されている男性は羨ましいとも思う。自分は女性にそこまで愛されたことがあるのか?と問いだすと「そこまで愛されたことがないな」と言い切れる。ほとんどの男性がそこまで愛されたことがないと実感するのではないだろうか(笑)結婚して平凡な暮らしが続くと「亭主留守で元気がいい」と年輪を重ねた奥さんたちのシュプレヒコールが聞こえる(笑)
それに比べてここに訪れる女性たちの愛は凄い。「女は愛が命」と実感する場所である。「おーい男性諸君、君たちの彼女は凄いぞ!本気で君のことを愛している」とここで騒いでも諸君には届かないか?他人である私ばかり気づいて当の本人には届かない。付き合っている当人同士は相手の愛に気づかないのかもしれない。気づくどころかプレッシャーを感じているだけかもしれない。冷静な第三者の方が愛を正確に判断できるのかもしれない。
男は仕事が命。これもたくさんの女性たちの話(報告)から気づかされた。男である私は前々から実感していたが、3万人以上の女性たちの恋愛相談から「男は仕事が命」だということがさらにさらに鮮明にこれはもう間違いないというくらい実感することになった。女性の恋愛の敵は男性の仕事と言い切れるくらいである。恋の終わりの大半は男性が仕事モードになってから終わっている。それだけ世の中余裕がないのかもしれない。男性も余裕がないし女性も余裕がない。愛にせっかちで愛に焦り愛に不安を抱いている。そんな気がしてならない。
「男は仕事が命、女は恋愛が命」そうくくりたくないが、そうくくった方が物事は鮮明に見えてくる。くくらなくて見えないより、くくって見えた方が次の一手が打てる。男女それぞれが持っている違う愛に勝つには、相手の愛をよりよく理解し、それに応じた自分の心をつくることから始めてみたらどうだろう。男女が相手の愛を優先することができたら男女の関係はうまくいく。逆に相手の愛を優先することなく自分ばかりのエゴの愛に走っていては男女の関係はうまくいかない。そんな気がしてならない。
そこまで男性を愛する女性は凄いと思う。逆にそこまで愛されている男性は羨ましいとも思う。自分は女性にそこまで愛されたことがあるのか?と問いだすと「そこまで愛されたことがないな」と言い切れる。ほとんどの男性がそこまで愛されたことがないと実感するのではないだろうか(笑)結婚して平凡な暮らしが続くと「亭主留守で元気がいい」と年輪を重ねた奥さんたちのシュプレヒコールが聞こえる(笑)
それに比べてここに訪れる女性たちの愛は凄い。「女は愛が命」と実感する場所である。「おーい男性諸君、君たちの彼女は凄いぞ!本気で君のことを愛している」とここで騒いでも諸君には届かないか?他人である私ばかり気づいて当の本人には届かない。付き合っている当人同士は相手の愛に気づかないのかもしれない。気づくどころかプレッシャーを感じているだけかもしれない。冷静な第三者の方が愛を正確に判断できるのかもしれない。
男は仕事が命。これもたくさんの女性たちの話(報告)から気づかされた。男である私は前々から実感していたが、3万人以上の女性たちの恋愛相談から「男は仕事が命」だということがさらにさらに鮮明にこれはもう間違いないというくらい実感することになった。女性の恋愛の敵は男性の仕事と言い切れるくらいである。恋の終わりの大半は男性が仕事モードになってから終わっている。それだけ世の中余裕がないのかもしれない。男性も余裕がないし女性も余裕がない。愛にせっかちで愛に焦り愛に不安を抱いている。そんな気がしてならない。
「男は仕事が命、女は恋愛が命」そうくくりたくないが、そうくくった方が物事は鮮明に見えてくる。くくらなくて見えないより、くくって見えた方が次の一手が打てる。男女それぞれが持っている違う愛に勝つには、相手の愛をよりよく理解し、それに応じた自分の心をつくることから始めてみたらどうだろう。男女が相手の愛を優先することができたら男女の関係はうまくいく。逆に相手の愛を優先することなく自分ばかりのエゴの愛に走っていては男女の関係はうまくいかない。そんな気がしてならない。
慎重でネガティブな人はときによっていい場合もある。失敗を恐れているので失敗は少なくて済む。だが、小さな失敗は回避できるかもしれないが大局を逃すことがある。人生をトータルで見た場合に慎重でネガティブな人は損をしていることが多い。
再起不能の取り返しのつかない失敗は誰しも避けたい。だが失敗ばかり恐れて何もしないのもどうかと思う。何もしなければ何も変わらないのが人生の掟である。若いのにボケ老人のようになってどうする?それで人生が楽しいかい?チャレンジしない人生は楽しくないよ。
自信はどうすればつきますか?という質問が時々舞い込んで来る。自信は「ローマは一日にして成らず」と同じでそう簡単に身に着くものではない。今までの性格でチャレンジすることなく無事に平凡に暮らそうと思ったら自信は一生身に着かないだろう。
自信をつける手っ取り早い方法はチャレンジすることだ。何でもいい、あなたがやりたいことにチャレンジすることだ。そしてたくさん失敗することだ。チャレンジして失敗してまたチャレンジする。それを繰り返すことで自信はついてくる。自信は失敗の教訓から生まれる。自信のある人はいかにたくさん失敗したかだ。「失敗を恐れないでチャレンジしなさい」という言葉が自信の元とである。自信のある人とない人の差は、いかに失敗を恐れるか恐れないかの差である。自信のある人は100の失敗も恐れない、100回失敗しても101回チャレンジする。自信のない人はたった1回の失敗で人生終わりだと落胆してしまう、そしてもう二度とチャレンジする気が起きない。同じ失敗でもこのように二つの人間に分かれるだけである。
自信のある人とない人の差は性格ではないの?容姿である外見や知恵・知識等の能力の差や生まれ持った環境の差だとか人間形成上の問題やコンプレックス等がいろいろ混ざって自信のある人ない人に分かれるのではないでしょうか?
確かに自信は「性格」から生まれる。いい環境で育てば自信がつくだろうし、悪い環境で育てば自信はつかない。それは否定しない。だは自信のある人は良い環境で育った人のみが持っているわけではない。どちらかというと自信のある人は悪い環境で育った人の方が多い気がする。かくいう私も裕福な環境で育ったわけではない。貧乏子だくさんの貧困な環境で育った。学校のお昼の弁当は梅干しにごはん(日の丸弁当)だけなので同級生に見られないよう隠して食べた(笑)恥ずかしかったのである。家にお金がないので小学校の頃から新聞配達をして家計を助けた。小学校から働いている私は社会人になるころには仕事の根性だけは人一倍身に着いた。それもひとつの自信だろう。環境に身を置けば自信になる。その基礎が子供の頃にあった。
そしてたくさん失敗をした。それはもう恥ずかしいくらい。とても恥ずかしくて過去の失敗は言えない(笑)
恥ずかしいくらい失敗をしなさい。「なあに別に死ぬわけではない」赤っ恥をかきながらたくさん失敗しなさい。人にバカではないの?頭がおかしいのではないの?と言われなさい。ははは、それでも失敗を恐れないでチャレンジしなさい。あなたの夢でしょう?夢はそう簡単にあきらめてはいけません。夢は恥をかくくらいたくさん失敗した人が手に入れているのだよ。常に失敗のトラウマと戦いながらね。最近の私なんかよくもまあ、次から次へと不幸が来るね!面白い!と逆に開き直って皆さんの相手をしながら楽しんでいる。それも乙な人生かなと思っている。
慎重でネガティブな人よ恥をかくくらい大いに失敗しなさい。その失敗でトラウマになったら私のところへおいで。自信をつけさすから。
再起不能の取り返しのつかない失敗は誰しも避けたい。だが失敗ばかり恐れて何もしないのもどうかと思う。何もしなければ何も変わらないのが人生の掟である。若いのにボケ老人のようになってどうする?それで人生が楽しいかい?チャレンジしない人生は楽しくないよ。
自信はどうすればつきますか?という質問が時々舞い込んで来る。自信は「ローマは一日にして成らず」と同じでそう簡単に身に着くものではない。今までの性格でチャレンジすることなく無事に平凡に暮らそうと思ったら自信は一生身に着かないだろう。
自信をつける手っ取り早い方法はチャレンジすることだ。何でもいい、あなたがやりたいことにチャレンジすることだ。そしてたくさん失敗することだ。チャレンジして失敗してまたチャレンジする。それを繰り返すことで自信はついてくる。自信は失敗の教訓から生まれる。自信のある人はいかにたくさん失敗したかだ。「失敗を恐れないでチャレンジしなさい」という言葉が自信の元とである。自信のある人とない人の差は、いかに失敗を恐れるか恐れないかの差である。自信のある人は100の失敗も恐れない、100回失敗しても101回チャレンジする。自信のない人はたった1回の失敗で人生終わりだと落胆してしまう、そしてもう二度とチャレンジする気が起きない。同じ失敗でもこのように二つの人間に分かれるだけである。
自信のある人とない人の差は性格ではないの?容姿である外見や知恵・知識等の能力の差や生まれ持った環境の差だとか人間形成上の問題やコンプレックス等がいろいろ混ざって自信のある人ない人に分かれるのではないでしょうか?
確かに自信は「性格」から生まれる。いい環境で育てば自信がつくだろうし、悪い環境で育てば自信はつかない。それは否定しない。だは自信のある人は良い環境で育った人のみが持っているわけではない。どちらかというと自信のある人は悪い環境で育った人の方が多い気がする。かくいう私も裕福な環境で育ったわけではない。貧乏子だくさんの貧困な環境で育った。学校のお昼の弁当は梅干しにごはん(日の丸弁当)だけなので同級生に見られないよう隠して食べた(笑)恥ずかしかったのである。家にお金がないので小学校の頃から新聞配達をして家計を助けた。小学校から働いている私は社会人になるころには仕事の根性だけは人一倍身に着いた。それもひとつの自信だろう。環境に身を置けば自信になる。その基礎が子供の頃にあった。
そしてたくさん失敗をした。それはもう恥ずかしいくらい。とても恥ずかしくて過去の失敗は言えない(笑)
恥ずかしいくらい失敗をしなさい。「なあに別に死ぬわけではない」赤っ恥をかきながらたくさん失敗しなさい。人にバカではないの?頭がおかしいのではないの?と言われなさい。ははは、それでも失敗を恐れないでチャレンジしなさい。あなたの夢でしょう?夢はそう簡単にあきらめてはいけません。夢は恥をかくくらいたくさん失敗した人が手に入れているのだよ。常に失敗のトラウマと戦いながらね。最近の私なんかよくもまあ、次から次へと不幸が来るね!面白い!と逆に開き直って皆さんの相手をしながら楽しんでいる。それも乙な人生かなと思っている。
慎重でネガティブな人よ恥をかくくらい大いに失敗しなさい。その失敗でトラウマになったら私のところへおいで。自信をつけさすから。
こんないい子がなぜ幸せになれないの?
素直で可愛い子がいる。とても優しく、人のためにひたむきに尽くす。その子が醸し出す雰囲気は「これが女性」という優しさである。その優しさはその子が自然に持っているもので、なんの飾りつけもない。赤ちゃんを抱いている母のような優しさもあれば、男が必ず傍にいてほしいという優しさもある。「男が守ってやる」という理想の優しさを持っている女の子。この子と結婚する男性はきっと幸せになれるだろう。私が見ても他の誰が見てもこの子はいいお嫁さんになるという評価を与え、結婚に向いている女性として太鼓判を押して推薦したくなる子である。
なのに・・・なかなか結婚できない。
優しくて性格もいい子なのに、なぜか結婚ができない。
何故か?
というと。
男性でもいい人はなかなか結婚できないように、女性でもいい子はなかなか結婚できない。という答えから始まる。
人は良いが、その反対に自信がないのである。
その自信のなさが不幸を呼び起こし、不幸探しをしている。自信のなさがネガティブになって不幸探しをしていることに本人はまったく気づいていない。その子のひたむきな優しさは、自分の幸福を相手に譲る優しさ、その控え目な優しさと引き換えに自分を不幸に陥れているのである。一歩前に出て幸福を手に入れるのではなく、一歩後退して幸福を取り逃がし、不幸なくじばかりを引いている。その子の優しさは不幸のくじを引こうとしている遠慮からきている。性格が良く優しくてとてもいい子だが、遠慮ばかりしていては幸せにはなれない。「もっと自信を持て!」とついつい叱咤激励したくなる。
その子のネガティブ心理を書くのは辞めておく。たくさんあり過ぎて書くのに骨が折れる。だいたい皆さんは想像がつくと思うので皆さんの想像に任せる。
ただ私が言いたいのは、
「もう不幸探しはやめなさい。相手を信じて早く結婚しなさい」である。
素直で可愛い子がいる。とても優しく、人のためにひたむきに尽くす。その子が醸し出す雰囲気は「これが女性」という優しさである。その優しさはその子が自然に持っているもので、なんの飾りつけもない。赤ちゃんを抱いている母のような優しさもあれば、男が必ず傍にいてほしいという優しさもある。「男が守ってやる」という理想の優しさを持っている女の子。この子と結婚する男性はきっと幸せになれるだろう。私が見ても他の誰が見てもこの子はいいお嫁さんになるという評価を与え、結婚に向いている女性として太鼓判を押して推薦したくなる子である。
なのに・・・なかなか結婚できない。
優しくて性格もいい子なのに、なぜか結婚ができない。
何故か?
というと。
男性でもいい人はなかなか結婚できないように、女性でもいい子はなかなか結婚できない。という答えから始まる。
人は良いが、その反対に自信がないのである。
その自信のなさが不幸を呼び起こし、不幸探しをしている。自信のなさがネガティブになって不幸探しをしていることに本人はまったく気づいていない。その子のひたむきな優しさは、自分の幸福を相手に譲る優しさ、その控え目な優しさと引き換えに自分を不幸に陥れているのである。一歩前に出て幸福を手に入れるのではなく、一歩後退して幸福を取り逃がし、不幸なくじばかりを引いている。その子の優しさは不幸のくじを引こうとしている遠慮からきている。性格が良く優しくてとてもいい子だが、遠慮ばかりしていては幸せにはなれない。「もっと自信を持て!」とついつい叱咤激励したくなる。
その子のネガティブ心理を書くのは辞めておく。たくさんあり過ぎて書くのに骨が折れる。だいたい皆さんは想像がつくと思うので皆さんの想像に任せる。
ただ私が言いたいのは、
「もう不幸探しはやめなさい。相手を信じて早く結婚しなさい」である。
自分の好み、好きという直感。人それぞれ千差万別だと思うが、自分の好みが果たして幸福と結びつくかどうかというといささか疑問である。「まあ好きだからしょうがないか」と思えばこれ以上悩まないことだ。好きであれば何でも乗り越えられるはず、そのために人は人を好きになる。好きになることも自己責任です。
好きになることは自由。でもその自由は、うむ・・・間違っていることが多いかな。自由なら幸せになれるはずなのに、逆に苦しい展開の不幸になっている。直感が働いて好きになったはずなのに何故か不幸になっている。
幸せになるための直感があるとしたら、どうやら私の直感とここに来られる皆さんの直感は違うようだ(笑)ここに来られる女性の直感と経験を積んでいる私の直感は違う。年の功から言わせてもらえば私なら絶対選ばないオトコを皆さんは選んでいる。とても失礼な言い方だが、「不幸になる相手を好きになっている」言い過ぎかもしれないが、連日連夜うまくいっていない相談を繰り返している私からすれば、君たちのオトコ選びは間違っているよと言いたくなる。
「不幸になる相手を好きになる前に自分を立て直そう」それが今回のテーマとなる。先生それって条件でしょう?もちろん条件は大切。だが、今回はそれを述べる気はない。過去のブログを読んで自分の条件表を作ってもらえばそれでいい。私は愛よりも条件の方が大切だと考えている、条件を通過してこそ素敵な愛に発展する、それを誰よりも早くマスターして幸せになることだ。その考えも経験力ある年の功から来ている。年の功は若い人の考えと反するが、あなたも20年30年歳を重ねればわかると思います。20年30年待てないというのなら私のブログを読んで勉強してください。年の功が書く経験力の古臭い教えにも学ぶべきものはあります。一気に20年30年先の精神力を養うことができるので、それはあなたの財産になりますよ。きっと(笑)
さて、「不幸になる相手を好きになる前に自分を立て直そう」まずはあなた・あなた自身です。あなたは素直でとても純真な女性だと思います。「どうしてこんな良い子が不幸になるの?」という事件が川越占い館で多発しています。こんな良い子なのに何でそうなるの?もちろんその原因の多くは「オトコ選びを間違っている」と片づけてしまえばそれで終わりだが、では何故間違えるのか、そこに総点をあてたい。直感で好きになって付き合うが、直感のラブロマンスは短く、その後の苦しい展開の方が長い。私はそれを3・6・6事件と呼んでいる。3カ月のラブロマンス、相手が何を考えているのかわからない?音信不通となり会えなくなり苦しい6カ月、そして引きずりながら終焉に向かう6カ月。あのラブロマンスの三か月間を取り戻したくて女性たちは頑張るが、ラブロマンスは戻ってこない。
3・6・6事件を検証しよう。私は3・6・6事件になる前に3・3で片付ける訓練を積んでいってほしいと思います。この訓練は人生を無駄にしない訓練、それは女性たちの必須科目です(笑)1年以上かけるか半年で終了とするか、そこに生きるカギがあります。男の心理を知り尽くしている私の考えはこうです。オトコのラブロマンスは一回のみ、二回目はない。だからラブロマンスが終わればもう二度とラブロマンスは戻って来ないのです。ラブロマンスが三か月で終われば、もうないのです。いくら待っても無駄です。それをご丁寧にあの頃をもう一度というロマンに走らないことです。ロマンが消えた三か月で決着をつけるようにしましょう。短いラブロマンスを私はニセモノと呼んでいます。本物は短く終わりません。一生とは言いませんが、長く続くものです。本気で彼女を愛した男性は彼女のことを長く愛します。その本物に出会うため、偽物は3・3で決着をつけてください。直感では本物だと思ったが、偽物だということもあるのです。
次回は続いてもっと厄介な記事を書きます。
不幸になる人は自ら不幸探しをしている。
「不幸になる相手を好きになっている」という女性は知らないうちに自ら不幸探しをしているという記事です。深いオンナの心理。どんな記事になるか・・・。
好きになることは自由。でもその自由は、うむ・・・間違っていることが多いかな。自由なら幸せになれるはずなのに、逆に苦しい展開の不幸になっている。直感が働いて好きになったはずなのに何故か不幸になっている。
幸せになるための直感があるとしたら、どうやら私の直感とここに来られる皆さんの直感は違うようだ(笑)ここに来られる女性の直感と経験を積んでいる私の直感は違う。年の功から言わせてもらえば私なら絶対選ばないオトコを皆さんは選んでいる。とても失礼な言い方だが、「不幸になる相手を好きになっている」言い過ぎかもしれないが、連日連夜うまくいっていない相談を繰り返している私からすれば、君たちのオトコ選びは間違っているよと言いたくなる。
「不幸になる相手を好きになる前に自分を立て直そう」それが今回のテーマとなる。先生それって条件でしょう?もちろん条件は大切。だが、今回はそれを述べる気はない。過去のブログを読んで自分の条件表を作ってもらえばそれでいい。私は愛よりも条件の方が大切だと考えている、条件を通過してこそ素敵な愛に発展する、それを誰よりも早くマスターして幸せになることだ。その考えも経験力ある年の功から来ている。年の功は若い人の考えと反するが、あなたも20年30年歳を重ねればわかると思います。20年30年待てないというのなら私のブログを読んで勉強してください。年の功が書く経験力の古臭い教えにも学ぶべきものはあります。一気に20年30年先の精神力を養うことができるので、それはあなたの財産になりますよ。きっと(笑)
さて、「不幸になる相手を好きになる前に自分を立て直そう」まずはあなた・あなた自身です。あなたは素直でとても純真な女性だと思います。「どうしてこんな良い子が不幸になるの?」という事件が川越占い館で多発しています。こんな良い子なのに何でそうなるの?もちろんその原因の多くは「オトコ選びを間違っている」と片づけてしまえばそれで終わりだが、では何故間違えるのか、そこに総点をあてたい。直感で好きになって付き合うが、直感のラブロマンスは短く、その後の苦しい展開の方が長い。私はそれを3・6・6事件と呼んでいる。3カ月のラブロマンス、相手が何を考えているのかわからない?音信不通となり会えなくなり苦しい6カ月、そして引きずりながら終焉に向かう6カ月。あのラブロマンスの三か月間を取り戻したくて女性たちは頑張るが、ラブロマンスは戻ってこない。
3・6・6事件を検証しよう。私は3・6・6事件になる前に3・3で片付ける訓練を積んでいってほしいと思います。この訓練は人生を無駄にしない訓練、それは女性たちの必須科目です(笑)1年以上かけるか半年で終了とするか、そこに生きるカギがあります。男の心理を知り尽くしている私の考えはこうです。オトコのラブロマンスは一回のみ、二回目はない。だからラブロマンスが終わればもう二度とラブロマンスは戻って来ないのです。ラブロマンスが三か月で終われば、もうないのです。いくら待っても無駄です。それをご丁寧にあの頃をもう一度というロマンに走らないことです。ロマンが消えた三か月で決着をつけるようにしましょう。短いラブロマンスを私はニセモノと呼んでいます。本物は短く終わりません。一生とは言いませんが、長く続くものです。本気で彼女を愛した男性は彼女のことを長く愛します。その本物に出会うため、偽物は3・3で決着をつけてください。直感では本物だと思ったが、偽物だということもあるのです。
次回は続いてもっと厄介な記事を書きます。
不幸になる人は自ら不幸探しをしている。
「不幸になる相手を好きになっている」という女性は知らないうちに自ら不幸探しをしているという記事です。深いオンナの心理。どんな記事になるか・・・。
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