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何かのために働くから仕事は生きてくる。何かのためが無い人は仕事も生きない。「何かのために頑張ろう」その目的がある人と目的のない人の差は天と地の開きがある。


その何かとは?
それは愛である。


愛と書くとこそばゆい(恥ずかしい)が・・・人は愛があるから頑張れるのであって、愛無くしては頑張れない。独りでもある程度までは頑張れるが継続性がない。なぜ?続かないのかそれは継続して守るもの(愛)がないからだ。愛は子育てと同じ、長い時間かけて育てなくてはいけない。子供は大人になるまで少なくても20年以上育てる義務がある。この何十年という継続性は愛以外他に見当たらない。この何十年という継続性が責任をつくり、この何十年という継続性が正しい習慣をつくり、この何十年という継続性が生きる目的をつくる。何の目的かと言うと、愛を守る目的である。



男の人生で言えば・
恋愛は数年間のまぼろしの出来事、結婚して暫く新婚生活が続くが、そのうち子供が生まれ、いよいよ本格的な愛のシーズンが到来する。このシーズンは果てしなく長い。恋愛と新婚生活の二人だけの愛の時間は5年、二人の子供が大学を卒業するまでの24年、30年近くお父さんは頑張らなくてはいけない。手を抜けば子供のミルク代もでない、幼稚園も小学校も中学校もいけない。高校、大学となるともっと必死に頑張らないと行かすことができない。お父さんは大変だ。。。こう書くと、独身の男性は「だから結婚は嫌だ!」と思うだろう。でも違うんだね。一気にやろうと思うから嫌になるのであって、毎日続ければどうってことない。毎日守るものがあることはいいことなんだよ。仕事で疲れたとき彼女の顔を見ればホットするし、仕事で嫌なことがあったとき子供の無邪気な顔を見れば癒される。ぎゅっと抱きしめ守りたくなる。そう守るものがあるから「明日も頑張ろう」となる。守るものがなかったら「明日は頑張れない」となってしまう。


自分さえ良ければいい。守るものがない独身は成功しない。一時期成功したかのように見えても、人生をトータルで考えれば失敗組の仲間に入るだけである。


毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ♪(およげタイ焼き君)の歌があるが、日常のお父さんたちは皆そうやって生きている。苦労しないで金を手に入れようとするサギまがいの若者の発想からすれば、こんな生き方は嫌だ!バカバカしいとなるだろう。「家族と組織の奴隷になって嫌な思いをして人生を歩むなんてアホらしい、オレはこんな生き方嫌だね」悪い見本の代表として家族を守るお父さんたちをさんざんコケ下ろしている。



そうかな。
若者よ。君はまだ青い。
タイ焼き君にもタイ焼き君のポリシーがある。

家族の奴隷、組織の奴隷になっているわけでもない。家族と組織の中で生かされているという優越感の方が強い。それは時々嫌なことにもあるが、嫌なことを乗り越えるものが組織と家族にある。それは社会と家族を守るという使命感である。その使命感のバックボーンは愛からきている。さっきの若者のような発想で人間が何十年も持つわけない。家族の奴隷でもなく組織の奴隷でもないから持つのである。一時期の時代の寵児のサギまがいに騙されて変な発想を持つより、タイ焼き君を真似た方が幸せになれるよ。その幸せは手に入れた者しかわからない。大変そうなことばかり社会では風潮されているけど、それはほんのごく一部。ほとんどの人は満たされている。仕事においては遣り甲斐と使命感で満たされているし、家庭においても家族団欒の愛で満たされている。平凡になり過ぎてそのありがたみを忘れているだけである。このありがたみは失って初めて気づくもので、「平凡はつまらない」、刺激を求める人間はなかなか気づこうとしないだけである。



守るものが無く、自由で遊んで暮らしている人に何の目的があるのだろう・・・。仕事か?金儲けか?酒か?女か?かっこいいステータスか?それとも誰も成し遂げなかった夢か?まあ好きにやりなさい。それは一時期達成しても虚しさが残るだけである。何故かというと愛がないからだ。




「独りでは寂しいからパートナーが欲しい。」その欲求は人間なら誰しもあると思います。人は独りでは生きていないからです。人間は自分が強く思ったものは手に入れる力があります。ほとんどの人が自分の力量に合わせて欲しいものを手に入れているはずです。能力の差はあれ、自分の力量に合ったものを手に入れる力は人間なら誰しもあります。独りでは寂しいからパートナーが欲しい。それも大半の日本人は達成しています。「自分と釣り合う人と一緒に結ばれる」これはごく普通に達成されることなのです。今相手がいない人も不安にならないでください。何も心配いりません、あなたはいずれ自分と釣り合うパートナーを見つけることができます。


そのために力をつけましょう。
それは生きる力です。


「生きる力は自立によってもたらされる」と私は思います。自立をしている人は親元でぬくぬく生活している人よりハングリー精神があります。ぬるま湯生活から脱した人には根性もあります。孤独と戦って生活苦と戦って、どうすれば生きていけるか、その基礎も学んでいます。孤独と生活苦の戦いからハングリー精神と根性が芽生える。これが生きる力です。その力が備えれば、やがて独りでは寂しいからパートナーが欲しいという希望は叶えられるでしょう。



私はどちらでも良い。
結婚したければ結婚すればいい。
独りになりたければ独りでもいい。
私はどちらでもいい。


相手が私を選ばなければそれでもいい、後は相手の幸せを祈るだけだ。
相手が私を選んでくれたら、それは正直嬉しい❤私の全能力を使って相手を幸せにするだけだ。


パートナーと一緒でも独りでも私は生きていける。楽しくね。さてそれぞれ違う人生をどう楽しむかだ。


相手に振られたら、それは悲しいことだ。でも相手を許す、怨むことはしない。ただ今は相手の未来を祝福するだけだ。私はどうやって立ち直る?そうさな・・・時間が解決してくれるだろう。旅にでも出るか。

人と人は難しい、愛があると尚更難しい。いっそのこと愛無くして付き合った方がいいのかもしれない、そうすれば裏切られることもない。うむそれでは味気ない・・・やはり愛は必要だ!愛無くして人とは付き合えない、たとえ裏切られても。

裏切るなら裏切っても良い。別れるのなら別れても良い。私はその瞬間が来る前の楽しみを大事にしながら生きていける。(良かった頃の思い出を大事にしまって)たくさんの人とさようならしてきた。思い出と共に・・・。最後は悲しい結末だが、楽しい思いでの方が多い。今はそれを誇りに思う、あの瞬間は楽しかった。私の元を去った人々よ、「みんな幸せになれ」私はみんなを祝福する。


エゴを捨てれば、思い通りにならなくても生きていける。人を愛することがあっても人に期待しないで生きていける。なぜ人は期待できないか?人は弱い生き物だからだ。弱い人間をこちらの思い通りにすることはできない。思い通りにならないものを無理して思い通りにしようとするから障害が起きるのである。相手には相手の考え方生き方がある。何も共存することだけが愛ではない。愛は相手の生き方を尊重し祝福することにある。


人は期待できないが唯一期待できるものもある。それは愛だ。でも、その愛は一方通行では期待できない。期待できる愛は相思相愛に限る。エゴを捨てれば相思相愛に近づくと私は信じている。



別れた彼を祝福する。うまくいっていない彼を祝福する。そしてうまくいっている彼には周りから祝福されて幸せになる。


別れた彼が風のうわさで新しい彼女ができたと聞いたら「良かったね、今度こそ幸せになってね」と祝福してあげよう。別れた彼のことがまだ好きで、忘れられなくて引きずっていたとしても彼の幸せを祝福するのを忘れないでほしい。嫉妬はいけないよ、嫉妬は善意を汚すことになるから。


うまくいっていない彼が忙しいと言って私を放置するのなら、彼の忙しさを祝福してあげよう。仕事に専念したいというのなら専念させればよい。趣味や遊びに夢中になりたいというのなら好きなようにさせればよい。他の女を見てみたいというのなら勝手に見させればよい。私はもうあなたのことを責めたり恨んだりしない。今年いっぱいあなたを信じて待って、それであなたが帰って来ないのなら、あなたの今後の活躍を期待して私はサヨナラするだけである。


うまくいっている彼とは過去の男性たちを祝福したから出会えた。祝福しないで恨んだり嫉妬していたら出会えなかっただろう。辛かった過去、悲しかった過去、幸せとはほど遠かった過去とは今日でさようなら。これからの人生は周りに祝福されて愛する人と共に歩んでいく。



何でもかんでもマルチ人間になる必要はありません。お付き合いしている人がとても誠実でとても信頼できる人なら、その人のみを大切にしてください。彼があなたを大切にしているのならよそ見をする必要はありません。お互いが相手を信頼している付き合いに勝る付き合い方はありません。信頼し合っているカップルは、お互いを思いやり、足りないものを補い、協力して助け合って二人の関係を構築しようとします。男女の付き合い方は本来そういう形のはずです。またそういう形に持っていくのが正しいのです。スムーズにトントン拍子に結婚するカップルはそんなお付き合いをしていると思います。マルチ人間になろうと言う言葉に触発されて信頼している人を裏切ることがあってはなりません。信頼している人を裏切る行為は因果応報が働く元となります。自身の欲求不満で墓穴を掘らないでください。


日本人の多くのカップルは、お互いを信頼し、尊敬しながら付き合っているはずです。日本人の心である道徳心、相手を思いやる心、相手に対する礼儀は世界でもトップクラスだからです。私が住んでいる街にもあなたが住んでいる街にも、愛情あふれる家庭がいくつも形成されているのはそのためです。道徳と礼儀と綺麗でバランスのとれた街並みがある日本家庭は世界に誇れるものです。私はこの日本に生まれて本当に良かったと思います。


日本人の多くは幸せな結婚生活を送っている。お付き合いしているカップルがその方向を目指しているのなら何ら問題はありません。だが全ての人がそうとは限りません。日本人の多くは礼儀と道徳心と綺麗でバランスのとれた街並みの家庭を形成するのですが、中にはその形成に参加できない人もいます。生きるのに自信が無く、礼儀や道徳心もなく、無責任で不安定、嘘つきで悪い人、浮気や裏切りが多い、自分勝手で自分さえ良ければ相手はどうなってもいいという考えの人、または一生結婚はしないで生涯独身をエンジョイしようとする人とは礼儀と道徳心と綺麗でバランスのとれた街並みの家庭を形成することはできません。マルチの発想は、そういう人と付き合っている人、または別れたけど、まだその人が好きで追いかけている人に伝授する生きる知恵です。


「これからはマルチの時代」という発想は、前記に記した内容で、愛がうまくいっていない人、幸せとはほど遠い人に、現代社会のニーズに合わせた方法論を私の経験から植え付けるものです。全ての人に適用するものではありません。そのことをよく踏まえ、中身のあるマルチ人間になってください。



人はなぜ浮気をするのか?

(欲求不満があるから浮気をする)
浮気の定義はこうだと決めつけられませんが、長年の経験で、浮気を起こし得る要因が少しずつ見えてきました。その最たる要因は相手と己自身に欲求不満があるから浮気をするということです。パートナーに不満があるから欲求不満となる、そして己自身に不満があるから欲求不満となる。つまりパートナーと己自身に欲求不満があるから浮気をしてしまう。健全な欲求が満たされていないから浮気をする、そんな気がしてなりません。逆に言えば欲求が満たされていれば浮気はしないということになります。


相手に対して欲求不満がある、己自身に対して欲求不満がある。相手と己自身の欲求不満、どちらの不満が多いかとなると、それは個人差があるので何とも言えませんが、長年鑑定して来た私の経験では、浮気をする人は己自身の欲求不満の方が多いから浮気をすると思います。なぜそう言い切れるのか、人間は欲求の高い感情的な生き物だからです。


結局のところ人は、己自身の感情のままに生きています。家族や社会の前では人間関係によって己自身の感情をセーブしていますが、一人の空想の時間では自分が世界の中心となっています。いろいろな妄想を抱くのが人間です。浮気に関する妄想でも、浮気は(社会通念上)許されない行為だとわかっていても、自分の世界では正当化して許される行為としてしまいます。自分の世界観では浮気の罪悪感を打ち消し、自分の行為を正当化しているのです。「一度しかない人生、自分の好きなようにやって何が悪い」と社会に対する反抗心も強く、法律もルールも人が作ったもの、自分以外の他人が作った法律やルールに従う必要がないと勝手に決めてしまいます。人は己自身の感情のままに生きています。浮気をする人は己自身の感情が自己中心的で、法律やルール等の社会通念上の理性が働かず、己の欲求不満のみで行動するから浮気に走るのではないでしょうか。簡単に言うと理性がコントロールされていないのです。浮気をする人はその理性に強い欲求不満を感じています。自分の欲求や自分の好きなことを封じ込める法律やルールなど無視しています。自分さえ良ければこの先どうなってもいいという自己中的な考えに支配され、理性がコントロールできなくなっているのです。理性がコントロールできなければもはや人間ではありません。動物以下です。



「浮気する男にガマンする必要がない。さっさと別れてしまえばそれで済むこと。浮気をする男はどんなに優れた人でも浮気を繰り返す。だからどんなに好きでも損切りだ!」


そう言い切れるとかっこいいですね。

是非そういうカッコいい女性になってください。

物事は決めることです。決められる女性になってください。




決めることは、さっと決めても、長い時間かけて決めても、決めることは同じです。「人生は選択です」いつか決めなければいけないことはいずれ決まるのです。決まるまでの時間はその人の性格と準備次第だと思います。さっと決められる人は決断力も早く準備も早いのでしょう、長い時間かけて決まる人は決断力が遅く準備が遅いということになります。いずれにしても悪いことは早く決めた方がいいでしょう。悪いものに執着していると人生を無駄にします。



人生は決めることです。

たとえ損だとわかっていても、苦しいのならやめることです。今は損でも決めてしまえば後から得することになります。


そうは言ってもなかなか簡単に決められないことはあると思います。


それは準備不足だからです。

決めるために着々と準備をしていきましょう。


我慢は準備という目標ががあるから出来るもので、目標がなければ我慢には限界があります。浮気男と別れるには自立が必要です。その自立をつけるため準備をしていきましょう。



いいことだと思う。

前に進むことは。


みなさん損切りを覚えて来たのかな?
それとも私が書いている最近の記事のせいかな?
「復縁はもう時代遅れ、これからはマルチの時代」これがだんだんと浸透してきたのかもしれない。


復縁したかったらどうぞ。
前に進みたかったらどうぞ。
あるいは両方目指しかったらどうぞ。
あなたの人生、誰も止めやしない。
一度しかない人生、自分の思うように生きればいい。


最近の傾向は「余裕」を持つことだ。どうも恋をすると余裕を持てない人たちが多過ぎる。余裕がないから一人の男にアップアップしている。まるで泳げない人が無理して水に飛び込みもがいているようなもの。本人は懸命に努力しているが、一向に浮かぶことも前に進むこともできない、やがて疲れ果てて沈んでしまう。そんな恋愛ばかりをしている。もっと訓練をしよう。そしてその訓練によって余裕を持とう。訓練はたくさんの経験から成る。一人の男性にこだわらず、もっとたくさんの男性を見るべきだ。あなたの失恋は「訓練が足りてないから別れたのだよと神から告げられたもの」経験をもっと積むべきです。



愛と自由、どちらが大切か?

あなたはどちらが大切ですか?

人によって、愛が大切だという人もいれば、自由が大切だという人もいるだろう。だがこの両者は恋愛では結び付かない。愛が大切だという人は自由を束縛し、自由が大切だと言う人は愛を放棄する。悲しいかな男と女の世界では愛と自由の葛藤が日常茶飯事で起きている。結びつかない考え方の違いで男女は葛藤し悩んでいる。


私はこう思う。
だったら両方手放したら。いっそのこと愛と自由を手放したらどうだろう。手放すとは自分の心から愛も自由も場合によってはいつでも手放すことができるという意味である。「これが大切だ!」そんな頑固なプライドは必要ない、もっと心を広く器を大きくしたらどうだろう。「これが大切、これを失ったら終わりだ」と言いながら苦しんでいるようでは、それは単なるエゴ、本当に大切なものではない。苦しかったらやめなさい、苦しかったら終わりにしなさい。それが心の広い人の考え方である。


心の広い人は自分のプライドに執着しない。愛する相手の考えに合わせて物事を決めることができる。


愛する相手が結婚して子供が欲しいと望んだらそれを叶えてあげる。自分の自由や夢は後回し、相手の望みを叶えてから自分の夢と自由を達成する。


愛する相手が夢のために結婚ができないと言えば、相手との結婚をあきらめ、相手の夢を応援する。


相手の気持ちで物事を考える。
それでいいのではないかな。
愛は自由でいい、
たとえ悲しい結果になっても、
愛した瞬間は幸せだった。
それでいい。



愛を失っても辛い。
自由を失っても辛い。
相手の身になって、その辛さを受け止めることができれば、逆に相手はその両方をあなたに与えてくれるだろう。



第二ステージを乗り越えた者が成就する第三ステージへの舞台に進むことができる。第三ステージは自己実現のドラマ。恋する二人の望みが叶うステージである。煌めくロマンのステージが終わり、危機と挫折の試練のステージを乗り越えた二人は、お互いを尊重し信頼し合っている関係になっている。信頼関係が構築した二人にはもう何の不安もない。これが成就する男女の恋愛、第三ステージである。


彼は恋愛によって遅れた仕事を取り戻し、安心して恋愛ができる状態になっている。
彼女は彼がいない間、過去の失敗を生かして失敗(自爆)しない第二ステージを過ごした。


お互い余裕で第二ステージを過ごしたのである。
彼は仕事に夢中になり、彼女は恋愛以外のことに夢中になる。なぜそれが出来たのか?二人とも過去の第二ステージで失敗しているからだ。


彼の過去の第二ステージでは、仕事が忙しいときに限って女性に邪魔をされた。「放置は許さない、付き合っている責任とってよ」とヒステリックに責められた。だが今度の彼女は違う。彼女は僕の仕事を理解し、いい感じで愛の波動を送ってくる。うまく説明できないが、彼女も彼女なりに人生を充実させて楽しんでいたのだろう。


彼女も過去の第二ステージでは定番通りの失敗を繰り返していた。最初は男から後から女という定番を繰り返し自爆して失敗していた。だが今回の彼は違う、今度は失敗しないように彼を信じようと決めた。彼ならたとえ騙されも裏切られても信じようと決めた。「男は自分を100%信じた女を裏切らない」という教訓通りになった。