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自信のない人が多い。過ぎたる自信のなさは、人生そのものをつまらなくする。
不安や心配事の多い人は、なんのために生きているかわからなくなる。毎日が不安、毎日が心配ばかりでは、性格そのものがネガティブとなる。ネガティブの性格が一度でも植え付けられると、それがクセとなり、そこから脱出するのが困難となる。


ネガティブは本人が知らない間にどんどん増殖していく、手に負えないほど増殖していく。どこかで増殖を食い止めなければいけないのに、本人は食い止めるどころか、どんどん増殖の範囲を広げていく。気がつけば手の施しようもないくらいに悪くなっている。


そういう人が友達(他人)と相談すれば、友達(他人)は避けようとする。最初のうちは親身になって聞くが、ネガティブがあまりにも過ぎると、これ以上話しても無駄だと思うようになる。他人はネガティブに対しては無視と決めている。ネガティブは放置することで良くなると思っている。落ち込んでいる人(ネガティブな人)とこれ以上話してもダメ、後は自分で解決しなさいと。


他人の冷たい仕打ちによってさらに落ち込む。ネガティブの人はどんどん物事を悪い方に増殖していく、もう友達(他人)と相談できない、私はどうすればいいの。


どうすればいいの?
そんなに落ち込むことはない。所詮他人は他人、あなたの気持などわからない。他人はいいことをしてくれた。それはあなたを無視したことだ。無視されればもう他人はあてにできない。所詮他人はあてにならないというのを勉強しただけだ。後は己自身で、このネガティブの問題を解決するしかない。それが人間ひとりひとりに与えられた使命だ。


こう考えよう。
ネガティブの本質は、取り越し苦労のつまらないもの、と考えよう。事実ネガティブはつまらない。人はよくもまあ、このつまらないものを後生大事に胸にしまっているものだ。「ああ、つまらない」だから考えるのは辞めた。となればネガティブは消えていく。そう、考えるのを辞めればネガティブは消えていく。人は取り越し苦労を後生大事に胸にしまっている。それはいけないことだと気づけばいい。

人はどの生き方にも自信を持つことだ。
正社員でも、派遣社員でも、契約社員でも、フリーターでも、ニートでも、オタクでも、ひきこもりでも、自分の生き方に自信を持つことだ。人の能力にはそんなに差はない。差がないものに負けを認める必要はない。それぞれの生き方がそれぞれで生きていけるのなら、あなたは王侯民族の暮らしをしている。雨風をしのげる家があって、ゴハンが食べれて、電気がついて水が出て、冷蔵庫があってエアコンがあって、テレビがあって、風呂にも入れる、おまけにパソコンやスマホもある。これこそ王侯民族だ。今のあなたは300年前の殿様よりいい暮らしをしている。その時代のどの人より贅沢な暮しをしている。そう思えばいい。そう思えば、今の暮らしのありがたさがわかる。今の時代のありがたさを知って、そこからさらに飛躍することを考えればいい。つまらない悩みごと、つまらない人間関係で悩んでいないで、少しでも飛躍することに力を注ごう。そのために己自身に自信を持つことだ、人間の能力に差はない。自信がついてくれば、それがわかってくる。


僕は(わたしは)オタクだから、ひきこもりだから……だから自信は持てません。人間の能力に差はない。オタク、ひきこもりもいい根性だと思う。よくもまあ、家の中にずっといられるな、よくもまあひとつの趣味にずっと没頭していられな、普通の人にはとても真似のできないいい根性を持っていると思うよ。そしてさらに家に引きこもって王侯民族の暮らしをしている、視点を変えれば君は凄いことをしている。他人からどうのこうのと言われるより、自分は凄いことをやっていると思えばいい、それがやがて自信に繋がる。君は家に引きこもって待機しているのだね、いつか自分の出番が来る日を待ちながら。



困難な問題を扱うプロフェッショナル。楽な問題ではなく、難しい問題を引き受けるプロフェッショナル。先日NHKの番組で見た。クリーニングのしみを落とすプロ。その番組を見ているうちに自分に共感するものがあった。



私の仕事もそうだな。複雑な問題ばかり、どれひとつ同じではない。海千山千の千差万別。簡単な仕事ではない。そのたびに頭を使う。お客さんの話は多岐にわたり、考えている暇もないくらい(笑)でも、その中で考える。多岐にわたる話の中で考えなければいけない。『おいおいちょっと待て、今考えるから』と言いたいが、その暇もないくらい、お客さんの話はどんどん先行する。話を先行させながら要点を絞らなければいけない。これが大変(笑)

結論を先に言わない女性は、1から最後まで話を聞かなければならない。それが男には難儀だ。男性は解決策を主眼とするので、先に結論をいって欲しい。結論があって問題可決の糸口が見えるのだが、結論が先送りなので問題可決の糸口がなかなか見えない。目標を小さくまとめ、要点を絞った問題解決。そこに持っていきたいが、なかなかそういうわけにいかないのが難しいところである。


とはいっても慣れてきた。女性の話を聞く場合は要点より、たっぷり話を聞くこと、それに慣れてきた。とりとめのない話から問題の総点が見えてくる、多岐にわたる話からこちらが最後に要点を絞らなければいけないというのもわかってきた。複雑な問題から、ダメだという問題から、何とか解決策を探すしかない。そこが少しずつ面白いと感じるようになった。

旅の途中、フアミレスにて投稿



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気の向くまま、思い通りに、行きたいところに旅する。
関越自動車道を北へ走る。案内標識を見ながら車を北へ北へと走らす。

「さてどこへ行こうか?」

着いたのが北アルプスのふもと、上高地だった。

天候にも恵まれて、上高地で一日を過ごす。

絶景の中で、ウグイスの声を聞きながらの散歩。
いや~最高でした。


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「わたし、本気でなければ嫌だから」と奥さんが言う。旦那さんがいて子供がいる家庭持ちの奥さんが、不倫相手に「わたし、本気でなければ嫌だから」と言う。
そして不倫相手は、「君には家庭があるのだから本気になったら困るだろう、割り切った関係でいこう」と言う。

恋愛に対する解釈が男と女では違う。それが浮き彫りになったシーンである。
女は本気を求め、男は割り切った関係(遊び)を求める。

女性が本気だというシーンは、正直いつも観ている。毎日本気で好きになったという話ばかりを聞かされている。恋愛を遊びと捉える女性は少なく、いつも本気なのが女性だ。女はいつも本気の相手を探している。

では、男性はどうなのだろうか?男はいつも本気の恋愛を求めているのか?男の本心をちょっとだけ覗いてみよう。
男の本心は、半分本気で半分遊びの恋愛が多い。
本気で好きになることもあるが、途中で遊びになることもある。最初は遊びだったのが、後から本気になることもある。そしてもうひとつの流れはトリプル、最初は本気→途中から遊びに変わり→最後にまた本気になる。トリプルはその逆もある。最初は遊び→途中から本気→最後はやはり遊びで終わる。グレーの恋愛心理を持つ男はカメレオンのように七色に変化する。七色の七変化は女性の専売特許だったが、今は男たちの専売特許となった。女心と秋の空ではなく男心と秋の空に変わりつつある。それだけ優柔不断な男たちが増えてきた。


もっと男の本心を探ってみよう。
男は恋愛と結婚を分けている。
恋愛は遊び。結婚は本気。という分け方か?それに近いが、あながちそうとも言えない。恋愛は遊び、結婚は本気。という白黒ではなく、お好みで、フリーで、その日の気分とある条件で、本気と遊びを分けるという形をとっている。

男の恋愛と結婚の分け方は、ズバリ!こうだ。
結婚する条件と恋愛する条件。
結婚は安定を求め、恋愛は刺激を求める。
●結婚するなら、清楚で誠実な家庭的な女性がいい。
●恋愛するなら刺激的でエロチックで遊び感覚満載な女性がいい。
家庭の妻としてふさわしい女性と、外に連れていってふさわしい女性。つまり内と外を分ける女性のことを分けるという。その分け方に本気も遊びもない。どちらも有効なのである。

遊びを否定する女性がいるが、男性から言わせればそれは否定するものではない。

遊びとは、車のハンドルのような余裕である。遊び(余裕)がないと事故になってしまうよ、というのが男の言い分である。恋愛は本気だけではダメ。本気になれば被害者が増える。世の中には本気になれば被害者が増える恋愛が多い。だから遊びでいいのである。遊びだと割り切れば被害が少ない。期待して本気になるから傷も深くなる。だから時と場合によっては、遊びも必要なのである。そして本気になるときは、被害者がいない、誰も傷つかないと分かったとき本気になればいいのである。






連絡したいときに連絡し、逢いたいときに会える女。
都合のいい女。
男はそういう女を求めているのかもしれない。


都合のいい女を求める理由は、

1、時間と労力を節約できるから。
めまぐるしい世の中(物の動きが早くて目が回るような忙しさ、変化が激しくて対応できない)そんな時代に生きている男たちは、異性にかける時間がどんどん減っている。だから、都合のいい女を求める。


2、情報過多は欲望を生む。
情報量が多いと人間は迷いが生じて欲も深くなる。迷いが生じて欲が深くなれば、ひとつに決められることに抵抗する(ひとりの女では満足できなくなる)情報過多はいい情報ばかりではなく、どちらかというと悪い情報の方が多い。赤信号みんなで渡れば恐くないというような、みんなが悪いことをしている情報ばかりが目につく。みんなが不倫や浮気をしているから(オレだって)という心理が働き、どの男も複数の異性と付き合うことを希望する(情報過多の弊害)真面目な男ほど、その情報過多の罠にはまっている。複数の異性と付き合えば、当然時間がなくなる。だから都合のいい女を求める。


3、男の心理面でいくと。
情報過多や時間と労力以外でも、男はやはり都合のいい女を求める。なんていうのかな……、男は女ほど恋愛に夢中になれないから。狂ったように恋愛に夢中になる男もいることはいるが、これは小説やドラマに出てくるような希少価値の高い少数民族である。基本的に男脳は恋愛脳には向いていない。最初の狂った野獣の勢いだけ、三月もすれば勢いはなくなり、半年後には冷めている。それが平均的な男の恋愛脳。冷めた半年後は都合のいい女を求める。熱が冷めたら、後は割り切って付き合いたい。これが大半の男の望みである。半年後に冷める男たちがなぜできたのか?それは情報過多の時代のせいでもあり、女たちのワガママが進化したせいでもある。情報過多は愛を早く冷めさせ、恋愛せっかちな女が愛を早く冷めさせている。そして運の悪いことに企業も半年後にはその男をめちゃくちゃ忙しい男に変える(ブラック企業の餌食となる)だから男の愛は半年と持たない。半年しか持たない愛が横行すれば、付き合う女は都合のいい女だけで十分となる。


と……まあ。皆さんの話を聞いていると、こんな風にまとまる。

でも、何か違う。
それでいいのか?と思ってしまう。
今こそ、
純愛が必要ではないか。
と逆に思ってしまう。
都合のいい恋愛ではなく、熱き心が永遠に続く純愛。
それが今の時代は欠けている気がする。
偽物ではなくて本物の恋愛が今の時代は必要である。そうでなければ、人間は生きている意味がない。情報過多の悪い情報にコントロールされて、時間と労力を企業や国のために売っているロボットに過ぎない。己の時間を国や企業、サイトの情報ばかりに酷使している。これは人間とは言わない。人間はロボットではない、人間は熱き心で人を愛するものだ。それが今の時代は欠けている。





全てがそうだとは言い切れないが、信じれば男は帰って来る。ブーメランのように帰って来る。しかし、疑いがあれば帰って来ない。ブーメランは疑いがあれば帰って来ない。あなたの彼が、信じるに値する男かどうかだ。そして、あなたが彼を信じることが出来るかどうかだ。

あなたは彼を信じることが出来ますか?そこをあなたに問いたい。信じるとは、たとえ裏切られても信じることです。心から信じていたのに、裏切られた。その局面でも怨みっこなしで信じることです。それでその恋が終わるのなら、それでもいい、いい人で終わることです。疑いを持った心で憎んで傷つくより、最後は信じて終わることです。

信じたわたしがバカだった。そんな惨めな自分になりたくない。だから彼を信じない、裏切ったら彼を憎んでやる。殺したいほど憎んでやる。憎しみで恋を終りにする女性たちが多い。「憎んでやる」それが女性の白黒決着かもしれません。良いことも悪いことも、はっきりと決着をつけるのが女性だからです。信じて裏切られたら憎んで終わる。そうでないと彼に執着してしまう。彼を最大の悪者にすることで、彼をあきらめることができるからです。でも、そういう女性はこの先の幸せを手に入れていません。また同じ恋を繰り返すからです。最後は裏切られて憎んで終わる恋を繰り返しているのです。それを繰り返しているうちに、心に深い傷が刻み込まれ、それがトラウマとなり、不幸な恋ばかりを繰り返すのです。怨みは連鎖反応で次に引き継がれるのです。

どっちがいいのでしょう。
前者と後者、どっちがいいのでしょう。
幸せになっているのは、間違いなく前者です。

私は傷つかない、いい人をお勧めします。
自分がバカを見る?
いいじゃないか、自分がバカを見るくらい。
そのくらいどうってことない。
自分がバカをみるだけで誰も傷つかない、怨めば自分も相手も傷つく。
自分が好きになった人くらい、とことん信じよう。たとえ裏切られても。
いい人は器が大きいのだ。ワッハハハ。
怨むより、笑い飛ばすのだ。
これもいい勉強だと、笑い飛ばすのだ。
ワッハハハ。
笑えば福来る。
ブーメランが帰って来る。
帰ってきたなこいつ。(ブーメラン)
ワッハハハ。




自己責任という言葉があるが、私はその言葉があまり好きではありません。「自己責任」言葉としてはしごく当然な言葉ですが、聞きしに勝り、予想以上に人に危機感を与え、その言葉に逆らえないやるせない気分を人に与えるからです。「自己責任」その言葉は、弱者をいじめているような気がしてなりません。


自分で自分の責任を取る、それは当たり前です。でも、そこまで成長していない人が多いのも事実です。成長していない人に「自己責任だ!」とプレッシャーをかけても、その言葉に逆らえないやるせない気分によって、逆に落ち込むだけです。自己責任を取る能力のない人は、自己責任と言う言葉に脅えるだけです。


自己責任を待つ大人に成長させる。これが大人の責任ではないでしょうか。人は一足単に成長できるものではありません。何年何十年もかかって成長するものです。自己責任を持つ大人に成長させるには、教える側が根気よく教えるしかありません。

私はこのように解釈します。
自己責任とは、大人が教えること。「自己責任のない人に、いつか責任を取れるように教えること」これが自己責任ではないでしょうか。

ある意味、自己責任を取れない人は6歳の子供と一緒です。小学校に入学する前の幼稚園の年長さんです。幼稚園では年長だが、まだ義務教育のスタートを切っていない。そんな20代、30代、40代、50代の大人がゴロゴロいます。6歳の子供はまだ素直だが、大人はすねている。そんなひねくれ者でも、責任の取れる大人が愛を捧げなくてはならない。可愛い我が子だと思って、叱咤激励と愛情で育てなくてはいけない。これが真の大人の自己責任ではないでしょうか。




「一生独りでいい。自由気ままに生きて自由に遊んで、たった一度の人生をなんの束縛もなく自由に生きたい」。

羨ましい……と思う。反面羨ましいな。
でも、そうかな。
一生独りでいい、ホントにそうかな。


若いときはそう感じるかもしれない。あるいは中年になって、または定年退職を迎えた老人になって、結婚生活に疲れたとき、そう感じるかもしれない。人は疲れたら自由になりたいものだ。自由という世界に憧れるものだ。自由気ままに生きる世界を夢みるものだ。そこにはどんなに新鮮な輝きがあるのだろう?あれもしたいこれもしたいという妄想と願望が膨らむ。新しい人生のスタート、残された第二の人生をどう楽しく生きるかに希望が湧いて来る。

自由気ままで夢のある人生。
その希望を打ち砕くわけではないが、私は知っている、その後の人生がどうなったか知っている。その後の人生は希望通りにいかない。せいぜい孤独死が待っているだけだ。孤独死無縁仏となるのが関の山。それが実態であることを知っている。私はそのことを普通の人より何百倍も知っている。普通の人がそれだけ多くの人生相談を受けるわけがない、若者がどう理論整然と理屈を言おうが、疲れた年寄りがどうプライド高い皮肉を言おうが、あなた方が望んでいるオアシスはどこにもない。残念だけど、ない。

結局人間は独りでは生きていけない。
支えがないと生きていけない。
愛がないと生きていけない。
そのことを早く知ることだ。ひねくれていないで、素直にそのことを知ることだ。かっこつけることはない、独りで生きているのはかっこいいとは言えない。人類の運命に逆らって生きる姿がかっこいいとは言わない。他人から見れば独りよがりのバカにしか見えない。

他人は聡明なので、そのことをあなたにいちいち説明しない。聡明な他人は分かっているのだ、あなたの生き方はバカバカしいと。だから自由に生きなさい。その代わり他人に迷惑をかけないでほしい。こちらに媚売ったり愛情を注がないでほしい。独りを希望する人の愛は、これ以上迷惑なことはない。なぜならその愛は遊びだからだ。気持ち悪いくらい虫唾が走る。あなたは人を愛さないでほしい。どうぞ独りで勝手に生きてください。厳しいけど、聡明な他人はそうやってあなたを見ている。

一生独りでいい。自由気ままに生きて自由に遊んで、たった一度の人生をなんの束縛もなく自由に生きたい」というオアシスは孤独によって崩壊する。そのオアシスはほんの一瞬、後は暗い闇が待っているだけ。

そうなりたくなかったら。
素直になりなさい。
人を愛することに素直になりなさい。
ひねくれていないで。



よくわからない。
僕は結婚がしたいのか、恋愛がしたいのか、よくわからない。
自由と束縛の瞑想にふける男。
最初は結婚も視野に入れて彼女と付き合うのだが、恋愛をしている途中でだんだんと結婚が遠ざかってしまった。遠ざかる理由は、結婚が現実に見えてこないのだ。現実を見ようとするのだが、見える現実はいい現実より悪い現実ばかり、結婚には夢がないという現実ばかりが見えてくる。

悪い現実しか見えない僕は、まだまだ子供なのだろうか?精神的に幼いのだろうか?それとも男としてダメなのだろうか?
女の人はいう。
「一生独りは嫌だ」と。
なんで?
一生独りでもいいではないか、一生独りだということは、一生自由だということだ。こんな素晴らしい人生は他にないと思うよ。束縛より一生自由の方が僕はいい。

「一生独りは嫌だ」という人は寂しいからだろう。それは無人島で暮らせば寂しいだろうけど、日本で暮らす分には寂しくない。東京などの大都会でアグレッシュブに暮らしてもいいし、風光明美な景色のいい田舎でノンビリ暮らせしてもいい。自分が楽しければちっとも寂しくない。寂しければ繁華街に繰り出して女の子と遊べばいいし、部屋にペットを置いてニャンニャンとワンワンの相手をしていればいい。寂しさは一時期のもの、その一時期を過ぎれば自由の素晴らしが見えてくる。寂しさは一時期のもの、その一時期が過ぎれば自由の素晴らしが見えてくる。うむ名文だ。僕はその名文に従う。

歳とって介護の必要が出てきたらどうする?またまたお節介な人はそんなことを心配する。自由気ままに生きている人は介護の必要はない。ストレスが少ないからいつまでも元気だ。どうしても介護が必要になれば施設に入ればいい。家族を持たなかった分、蓄えはある。歳とってくたびれた古女房に嫌々介護をしてもらうより、施設の若いおねえちゃんにおむつを替えてもらった方がうんと幸せだ。身内だと気を使うが、他人だと気を使わなくていい。金さえ払えば、相手はプロだ。十分に満足なサービスが受けられる。自由に生きれば、歳をとっての介護の心配もない。それが僕の人生の自由設計だ。


そんな生き方で本当に寂しくないの?
正直いうと、たぶん寂しいだろう。
でもその寂しさは勘違いかもしれない。
人間としてやることをやっていないという寂しさ、世間一般から外れた寂しさ、常識から外れた寂しさ、そんな寂しさだろう。でもね、その寂しさは人から強要されているものだよ。古い大人のしきたりさ。僕は嫌だね、その古いしきたりは、僕は新人類を目指す。

新人類は一生独りでいい。自由気ままに生きて自由に遊んで、たった一度の人生を束縛がなく自由に謳歌したい。寂しさで束縛を選ぶか、寂しいけど自由を選ぶか、僕は寂しいけど自由を選ぶ。

そんな若者が増えている。
あなたはそんな若者に、何を提言できるのだろうか。
女性の大半は、一生独りは嫌だと言う。男性から見れば、それは女性独自の考え、だと思っている。男性は女性ほど、一生独りは嫌だという考えは持たない。中には一生独りでもいいではないかという考える人もいる。そんな男性に、あなたは何を提言できるのだろうか?そこを考えてほしい。結婚に夢がないという男たち。そんな彼らに、どうすれば夢を与えられるのか、結婚は素晴らしいという夢をどうすれば与えられるのか?そこを考えてほしい。

なぜそんな時代になったのか。
私は思う。
それは、本物の愛がなくなったから。

男も女もみんな自分の都合のいい愛ばかり。
だから結婚に夢が持てないのだろう。
そんな気がしてならない。




見てはいけないものを見てしまった。
いい子だと思ったのに、がっかりした……失望した……。
天使が悪魔に変わるとき、楽園が地獄に変わるとき、男は黙って退散する。男は沈黙する理由や退散する理由を説明しない、ただ黙って彼女を遠ざける。逃げるように。

男と女が失望する理由はたくさんある。いい人だと思っていたのに、いい子だと思っていたのに、いい人(いい子)を裏切られた瞬間に失望する。その失望はショックから来ている。そしてショックはすぐに回復できない。回復するのに長い時間が必要となるので、相手を遠ざける。遠ざけている間に気持ちがだんだんと冷め、もう相手のことは必要としなくなり、男と女の関係(恋物語)は終わる。(人間関係が終わるといってもいいだろう)長い間続けたいい人(いい子)の物語が、たった一度の失敗で終わるのが男と女の物語である。

男の失敗は紳士が狼に変わったとき、女の失敗は味方から敵に変わったときが多い。
1、紳士が狼に変わったとき
いい人だと思って信用していたのに、突然性の対象で見られたとき、女はすごくショックを受け、もの凄く裏切られた気分となる。いい人だっただけにショックが大きい。

2、味方から敵に変わったとき
いい子だと思って信用していたのに、突然感情的になって責められたとき、男はすごくショックを受け、もの凄く裏切られた気分となる。いい子だっただけにショックが大きい。

男と女はこの1,2の失敗が多い。
別れる男女はこの失敗で別れ、結ばれる男女はこの失敗をしない。みんな分かっているのだ、この失敗は致命的であるということを。だが人類は、この失敗を何度も繰り返している。人として生まれ、このかた何年も何回も繰り返している。そして学習して、この失敗をしないようにする。1と2は本性として誰しも持っている。だが、本性のままに出すと誰しも失敗する。男と女が付き合う場合、その本性をどうセーブするかにかかっている。うまくいくためには、落胆と失望が起きないようにするしかない。人間の心はガラス細工だからだ。


失敗したらどうしたらいいの?
「前へ進みなさい」これが答えとなる。
失敗したら前へ進みなさい、後ろは振り向かないこと。後ろを振り向いたら、また同じ失敗を繰り返す。同じ失敗を繰り返すと、運の悪い人間になる。だから失敗したら過去を振り返ってはならない、その失敗を学習して前に進むしかない。大好きな彼に失敗したら、大好きな彼に振り向かないこと。また新しい大好きな彼をつくろう。前へ進めば、大好きな人は無数にいる。これが人生だ。それは保証する。人はその時々で好きな人と恋に落ちる。それが人生。さあ思い切って前へ進みなさい。過去のトラウマを乗り越えて前へ進みなさい。自分の未来に希望を持たないで、過去ばかり振り返っている人は、そこで成長を止めていることになる。そうなると、自分でタイムリミットを喪失することになる。時は待ってくれない。