ホーム > 月別アーカイブ: 2016年03月
ぽかぽか陽気に誘われて、今日は花見に行ってきました。
まだ満開ではないのですが、(5分から7分咲き)だと思います。最高に良い天気でしたので出かけました。

お弁当持参の花見。アルコールはなし。桜の木の下にシート敷いてお弁当を食べる。極楽極楽♪殿様気分♪あまりにも気持ちが良いので、ついうたたねをしてしまった。爽やかな風と心地よい鳥の声、ときどき子供がはしゃいでいるが、それもこれも自然だと思って、桜に囲まれた恍惚感に酔いしれる。アルコールは入ってないが桜に酔ってしまった(笑)

3月最後の日、明日から4月だ。新年度に向けた良い休日でした。

DSC_0682 (640x427)

DSC_0700 (640x427)

DSC_0710 (640x427)

DSC_0699 (640x427)

DSC_0693 (640x427)

DSC_0706 (640x427)

DSC_0698 (640x427)

DSC_0686 (640x427)







はっきりしない世の中、世界は、日本は、どこに向かっているのだろう。これは政治や経済の話しか?というと、そうではない。これは男女の話である。今世紀、いや今どき男女ははっきりしない。いつまで経っても晴れない世界に男女関係がある。世界は、日本は、どこに向かっているのだろう?川越の片隅にある小さな川越占い館では、いつもそれを心配している。ここで起きている問題はコップの中の嵐かもしれない。5万人という小さな出来事の嵐。東京ドームが満員となる程度の嵐。ここでは、はっきりしない男女の物語が多い。グレー、男らしくない彼の言動と態度にいつも女性たちが苦しめられ、卑怯ともいえる彼の行動に女性たちが傷ついている。ああ~卑怯だ、ずるい、これでも男か、という話が、毎日7時間も続く。聞いていて厭になるほど続く。厭になるほど聞いている自分は精神的に参ったかというと、免疫ができているので参ることはない。参った、精神的におかしくなった、そんな低次元の感情はあいにく持ち合わせていない。同じようなパターンが何百回も続けば、それは慣らされて免疫ができる。来る日も来る日もネガティブダメージを受ければ、それは精神的に強くなる。心の面の皮が厚くなったというのが正解。心の皮が厚くなれば、物事を客観的に冷静に見て判断することができる。こうして書いている記事も、10年も書き続けているブログも、みな客観的な事実の下に記事にしている。川越の片隅にある川越占い館の小さな出来事かもしれないが、そこから発信する内容は世界を動かすと、自分はマジで信じている。

男の悪口は散々聞いた。
でも悪口をただ聞いているだけでない。
男の心情を理解し、擁護もしている。男をかばって守ることもある。
彼だけが悪いのではない、彼を信じなかったあなたも悪い、と注意もしている。
彼に変わって、なんでこうなったのか?彼の言葉になって理由も説明している。何千何万と繰り返されている男女の営みや葛藤を、私は生き証人として説明することができる。男の論理はお手のもの、男の理論は朝飯前、なんで彼がこうなったのか、彼に変わって十分に説明することができる。奇人変人変態の男や、DVの男や、狂った男や、鬱の男や、普通の男や、天才肌の能力の高い男や、意識が高い系の男や、生意気な男や、全部総まとめて男は男。全部まとめて説明するこができる。彼らの恋愛感情はお茶の子さいさいだ。

なぜ?彼が別れを切り出したか?何万通りの別れが同じように繰り返されているので別れの理由は察しがつく。察しがつくが、簡単には解決できない。別れは別れだからだ。私とお客さんの話はそこからが長い。今後に向けての話は、とても壮大で、とても深く、とても長い、解決への道のりはいつまでも続く。



無駄な一日をなくそうと思っているが、無駄な一日を結構過ごしている。仕事などで一日は無駄に過ごさなくても、時間割で考えると、覇気なくダラダラ過ごしていることの方が多い。のんびりもいいけど、のんびりなのか?無駄なのか?暇なのか?満足しない不満がが続く。のんびりしようと思っても、ほとんどのんびりした気がしない、あれはのんびりだったのか?無駄だったのか?貧乏暇なし症の私は無駄だったと決めつけている。のんびりは性に合わないのかもしれない。

いつかのんびりするぞ!いつ…?いつも来ない。いったいのんびりはいつ来るのだろう?それこそ一生来ないかもしれない。頭ではいつかのんびりするぞと思っていても、のんびりが無駄だと認識する私は一生のんびりすることはできないかもしれない。でもいつかきっとのんびりするぞ、そのときはボケたときか、死んだときくらいだろう。その日が来るまで活動的でありたい。その間、のんびりは忙しいときに少々の暇(余裕)を与えるくらいにとどめておこう。

座り仕事で運動不足だった私が、ジムへ行くようになった。それはすごくいいことだ。お陰さまで、首肩のこりが改善されてきた。血流も良くなり若返った気がする。そんなに無理していないが、体重が1カ月で1Kg落ちた。もっと落ちるだろうと言われても、無理はしていないので、1Kg落とすくらいで丁度いい。リフレッシュできてストレスも発散できて丁度いい。若いころのように筋肉隆々の体を作る気はない、腹筋が割れたボディービルダーを目指しているわけではない、ポコ腹をへっこますだけでいい。ちょっと腹もへっこみ、メタボから卒業できそうだ、それで十分満足。月1Kgを目標に、3か月で3Kg落とすのを目標に頑張りたいと思う。

ブログを書き、占いの仕事をして、スポーツジムで汗を流す。いいことだが、少々疲れている、疲れているのはまだ体ができていないからだ。そのうち体ができるだろう、体さえできてしまえば、後は疲れないですむ。思い起こせばいつもそうやって自分を作ってきた。少々無理して体を作る。仕事も勉強も体力も精神力も、そうやって作ってきた。心技体を充実させる、忘れたことを思い出したように夢中になっている。




冷静に客観的に判断すると、バランスのとれてない相手を好きになっている。恋は盲目とはよく言ったものだ。そうか、人はバランスのとれていない相手を好きになるのか。男から見ればなんでこんな男を好きになるの?あいつは札付きのワルではないか、女から見ればなんでこんな女を好きになるの?あの子は男に媚を売っているぶりっこではないか、こんな女好きのダメ男やめなさい、こんな男好きのダメ女はやめなさいとよく言われる。だが人は人に反対される相手を好きになる傾向がある。全てではないが、この傾向は意外と多い。同性から反対される相手をわざわざ選んでいる、恋は盲目かもしれない。

恋は盲目。
それでいいのでは。
誰に反対されようと、好きなのは好き。

あなたに信念があれば、反対されてもあなたはその信念を曲げずに成就することができるだろう。反対された分だけ道のりは厳しいかもしれないが、また皆が心配していた試練に遭遇するかもしれないが、後から条件が違ったと後悔するかもしれないが、好きになったものは盲目ではないときっぱりと否定し、自分の目は節穴ではないと、自分の選んだ相手は正しかったと、皆を納得させるまで、自分の恋を成就させることだね。


客観的に見れば、バランスのとれてない相手を好きになっている。
自分とのバランス、相手とのバランスがとれていない。
なのに…好き。
その好きは、試練であると同時にチャレンジでもある。
あなたが成長するために、神様はその恋を用意した。
さて、うまくいくかなと用意した。
あとはあなた次第、頑張りなさいと神は客観的な目であなたを応援している。



社会的な論理?いや男性思考の論理で考えると、恋とは非合理、非常識である。恋とは非常識?果たしてそうだろうか?では人はなぜ?その非常識な恋に夢中になるのだろう。合理化や生産性を忘れ、時間を忘れ、無駄な時間をたっぷり使って、人はなぜ恋をするのだろう?恋の初動のテンションの高い男性は、ホントあきれるほどに女性を口説き、花や蝶よとまくし立、仕事を忘れ、寝るのを惜しみながら、女性に夢中になる。

なぜそうなるのか?それは生き甲斐だからだ。生き甲斐(モチベーション)それがないと人間は生きていけない。君が恋するのは、合理化のためではない、生産性のためではない、もちろん仕事のためでもない、自分がこの世に生れた証、生き甲斐を得るために恋をするのだ。人間生き甲斐をなくしたらおしまい。何のために働いているのか?その意味さえ失ってしまう。人は愛する者を求めて生きている、それを忘れたら人間ではない。

その点、女性はりっぱである(ある意味)。いくつになっても恋をしている。生き甲斐のために恋をしている。男性から見れば非合理で非常識な恋だが、女性から見れば生き甲斐である。人間なんのために生きているのか?それを女性は恋をすることで証明している。

恋愛は革命である。常識ではない。法律でもルールでもない。心理でも哲学でも宗教でも理性でも論理でも自己啓発でもない。恋は生き甲斐を見つける革命である。だから恋には常識など必要ない、常識なんかくそくらえ!とばかりに女性たちは恋に夢中になる。

そして悩む、常識に捉われて悩む。罪悪感にむしばれて心を痛める。自分がやっていることは良いことなのかと常に善悪の境にいる。フリーの恋でも、不倫の恋でも、浮気の恋でも、恋する女性は常に切ないほど病んでいる。常識で考えたら「そんなのやめちぇ」なのだけど、常識では計り知れない運命に翻弄されて、女性たちは恋に邁進する。常識ある社会性から見れば、これは非常識かもしれない。だがその常識は権威者たちが作った偶像に過ぎないと、恋する乙女は偶像を破壊して自分の恋愛を正当化する。好きなものは好きと、人を好きになって何が悪い、好きだから仕様がないと正当化する。

ではなぜ悩むのか?権威者が作った偶像の世界に男たちがいるからだ。また第三者や大人ぶっている人や、社会のルールや論理も、みな偶像の世界に支配されているからだ。そいつらと戦っているのが、恋している乙女のみ。恋は革命だと、まるで革命児のように戦っている。誰もわかってくれなくて、たった一人で戦っている。

恋は革命だ。そして恋は生き甲斐だ。それがなくて人間は生きていけない。忘れていた生き甲斐を取り戻すために乙女は恋に走る。そして権威者にがんじがらめに凝り固められた男たちに訴える。仕事だけが生き甲斐ではないと。生き甲斐は人を大事にして愛するからこそ生まれると訴える。




男性のビジネス思考では恋愛はできない。その思考は固くていけない。学校や社会で習ったものをそのまま押しつけているからだ。時は金である、ルールに従い常識にのっとって合理的に最善の近道で生産性を上げなさい。物事は冷静に客観的に判断し、無駄なもの悪いものは排除しなさい。世の中は頭で考えた通りに動くから、勉強しなさい、勉強しなさい、頭が良くなればあなたは成功するから勉強しなさい。理論や論理の理屈をいっぱい覚えなさい。物事はどうやって作られたのか計算して覚えなさい。世の中で渦巻いているのは、政治、経済、法律、道徳、哲学、心理、宗教、生産性、合理的、精神力と体力、そしてお金、すべてが稼ぐ力だ。世の中には勝ち組と負け組しかいない、君は負け組になるな!勝ち組になれ!と頑なに教えられる。

恋は革命である、こんな固い頭では恋などできない。


政治、経済、法律、道徳、哲学、宗教、などの権威者的な考え方から言ったら、恋は無駄。こんな無駄なことをしている暇があれば、もっと向上心を持って働け、仕事は全能の神様、それに勝る営みはない、人間は仕事だけやっていれば幸福になれると教えられる。恋は暇なとき余裕のあるときにするもの、それが全てではない。君のすべては合理的に生産性を上げて仕事をすることだ、と教えられる。厳しい世の中のルールが、化け物の化身となって流行り病のように教えている。甘くて優しい青年は、その厳しい世の中のルールに恐喝され、恋をやめようとする。そして頭は固く固くなり、ロマンのないつまらない男が出来上がる。


恋とは革命である。
名誉や地位や財産より、私は可憐な乙女の微笑の方が嬉しい。政治、経済、法律、道徳、哲学、宗教、などの権威者的な考え方はバカバカしい。それは人間が作った愚かなルールに過ぎない。恋は革命である、ルールに縛れず、自由に甘美なロマンの世界に行くのもいいものだ。頭の固い理屈っぽい人を相手にするより、自分を頼りにしている乙女を相手にしている方が100倍も楽しい。こんなに楽しい世界はないのに、なんでわざわざ厳しい世界に舞い戻るのだ、そこは楽しいか?楽しくないだろう?仕事、仕事ばかりで、仕事など楽しくない。仕事は恋をする余裕があってこそ楽しいのであって、権威者の理屈バカを相手にしても楽しくないはずだ。なのに、君は権威者の命令に従って仕事ばかりしている、アホじゃないの。革命を持ちなさい、自分の心に。権威者に踊らされてはいけない。踊らされれば君はロボットになる。





男は人生の生き方をビジネス思考(仕事を中心としたものの考え方)で生きて、女は恋愛思考(愛を中心にしたものの考え方)で生きている。

男と女は考え方と生き方が違う、だからトラブルが起きる。男はビジネス思考、女は恋愛思考、双方が理解を示せば男と女はうまくいく。だが双方はそれをなかなか理解しようとしない、いつも自分勝手な思考(男は男脳の本能、女は女脳の本能)に従って、自分に都合の良い考え方を相手に押しつけてしまう。


男は仕事が忙しくなれば恋愛などどうでもよくなる。だから忙しい間は彼女に連絡しない。ビジネス思考の男はいとも簡単にそれができる。愛する彼女がいても、仕事が忙しければ、彼女のことを忘れて仕事に打ち込む。そうすることが男の使命、男の愛だと、ビジネス思考の男はそれを真面目に考えている。仕事に打ち込む姿こそ真の愛だと。

今まで恋愛思考だった彼が突然ビジネス思考に戻る。その瞬間は、女性にとってとても嫌な瞬間でパニックを引き起こす。今まで優しかった彼が急に怪しくなった、という印象から始まり、彼の性格がまるで別人のように、私に冷たくなったと感じるようになる。そうなったら女性は最後、恋愛思考をフル活動して、彼を恋愛思考の感情の世界へ導く。そうすることが女の使命、女の愛だと、恋愛思考の女はそれを真面目に考えている。忙しい時こそ女を守るのが真の愛だと。また忙しい時こそ、私が彼に尽くすべきだと。


ビジネス思考と恋愛思考は、相いれない思考。
男は女を仕事の邪魔だと感じ、
女は男を冷酷で卑怯な男だと感じ、
そして、中間に厄介な愛が存在する。
相いれない厄介な愛。トラブルの当事者はその存在を知らない。だから、悲しい別れという悲劇を繰り返す。何度も何度も悲劇を繰り返し、やっと男と女の愛し方が解るようになる。



悩みに費やしている時間はどのくらいだろう。80年の人生で、人はどのくらい悩みの時間にいるのだろう。時間が長くなればなるほど、その間何も生まれない。生産性もなければ向上心もない。ただ漠然と暗闇の中にいるだけ。冷え切った牢獄の中で悶々と暮らしているだけ。

悩みなんて、諦めちゃえばいいこと。諦めれば、悩みはそれで解決する。そして前へ進める。前に進むことが恐いのか!前に進むのがそんなに不安か!ならばいつまでも悩んでいろ!悩んでばかりでウダウダしていると、いつまで経っても君の悩みは解決しないぞ、かえって悩みを悪化させるだけだ。悩みなんて諦めちゃえばいい。


悩みは諦めることで解決する、諦めて前へ進むことで解決できる、そうは思わないか。やめた、やめた、でいいではないか。私なんかいつでも「ああ~やめた、やめた」で通している。本来の目標は見失わないが、悩むことはやめることにしている。悩んだってしょうがない、悩んでも何も解決しない、時期とタイミングが来るまでじっと我慢するしかない。世の中すべてチャンスとタイミングでできている。そのチャンスとタイミングが来るまで、悩むより、前向きに過ごしてチャンスとタイミングを迎え入れたい。



好きな人と別れる。
こんな辛いことは人生でそうそうないだろう。
お先真っ黒に打ち拉がれ、この世の地獄を味わうほど苦しみ、人間失格となって生きる希望も自信も失うだろう。失恋とは多くの人が体験する小地獄である。失恋した人にどんな慰めの言葉を言っても通じないと思うが、だが、そんなもの、諦めちゃえ。試練に打ち勝つ第一歩は諦めること。「終わった」と納得すること。諦めないで、納得しないで、ウダウダと反省とか後悔をするから悩みの世界へ入ってしまう。おいおいそこに入ったら抜け出せないよ、なのになんで好き好んで入ってしまうの?困ったものだ。そこに入るから、君の悩みは解決しないんだよ。失恋は諦めることが一番、たっぷり悲しんで相手を忘れる儀式をやって恋の葬式をするのが一番。そうすることであなたの恋は成仏できる。成仏すればそこには悩みはない。悩みがなくなれば人は前へ進むことができる、そしてそこに次のチャンスとタイミングが待っている。




なんとかなると考えればなんとかなる。人間はあれこれ心配する生き物だ。最悪な事態ばかりを想像するのが人間かもしれない。ホント人間は取り越し苦労の多い生き物だ。取り越し苦労の大半(97%)は実際には起きないと言われているのに、そのたった3%のために人間は朝から晩まで思い煩っている。たった3%のためにどれだけの時間を費やしているのか、考えただけでも無駄である。

なんとかなる。型破りな考えだが、「なんとかなる」と考えた方が時間は節約になる。なんとかなる、反面開き直った考え、その考えをほめ、素晴らしい考えだだと称賛することだね。なんとかなるは、とても素晴らしいと。

なんとかなるは、うまくいかなくてもなんとかなる。思い通りにいかなくてもなんとかなる。彼と別れてもなんとかなる。彼に裏切られてもなんとかなる。仕事でつまずいてもなんとかなる。会社を辞めてもなんとかなる。金がなくても、明日からご飯が食べられなくても、人間必死になれば、なんとかなる。なんとかなるは、いざというときに諦めてもいい精神。嫌なこと、心を煩わすこと、ネガティブなことは諦めてしまえばいい。そんなものに後生大事にしがみつくからよくない。そんな腐った心の病は捨ててしまえ、捨てるからこそ、なんとかなる。先々の心配ばかりしているから、なんともならない。心配する心を捨て、心を開放するからこそ、なんとかなる。なんとかなると開き直ってしまえば、心は豊かになる。

いつでも、なんとかなる精神で、心が豊かになれば、人を許せるようになる。
彼が音信不通にしている?バカバカしいほど仕事が忙しいのだろう、男は仕事人間、仕事をするためにこの世に生まれた。私を音信不通にするくらい仕事に頑張っている彼はすべてが二人の将来のために頑張っている、だから許す。その間私は、私はなんとかなる、彼が忙しい間、私は好きなことをやっている。

彼の音信不通は他に理由があった。彼は仕事が忙しいといって他の女と浮気をしていた。バカな男よ、こんな男に嫉妬などしない。裏切られたというショックも感じない。私はいつでも諦めることができる、なんとかなる精神を持っている。彼は色情魔で性欲が強く、女にもてる男。もてない男よりもてる男がいいと思って付き合ったが、最後に彼は私を裏切った。彼の評価は不合格。不合格な男に用はない、だから許す。嫉妬に狂って彼を怨むと、いつまで経っても不合格な男に支配されるだけ、だからバカな男はさっさと許して忘れた方がいい。怨んでいる間、彼に支配されている時間がもったいない、無駄だ。私は次の合格者を探す。

なんとかなるは、どんな最悪な事態でもなんとかなる。これを覚えれば、君は人生で成功できる。



「なぜ結婚したいの?」と質問すると、「ひとりだと老後が寂しいから」と多くの女性が答える。「ひとりだと老後が寂しいから」この言葉、私は何千回と聞いている、ひ・と・り・だと、老後・が・寂しい・から。


結婚は寂しいからする、それが正解かもしれない。かくいう私も寂しいから結婚した。ひとりの方が自由で気楽でいいかもしれないが、寂しさには勝てない、だから結婚した。

逆に寂しくなければ、あるいは孤独に強ければ、結婚はしなくてもいい。周りからどうのこうの言われても、頑固に無視をすればいい。自分はシングルライフの方が好きだと主張すればいい。変わり者だと言われても、生き方は自分で決めるもので、他人が決めるものではないからだ。


「ひとりだと老後が寂しいから」
そうかな?
考え方によっては、ひとりの方が老後は楽しいかもしれないよ。喧嘩が絶えないパートナー、心配ばかりかけるパートナー、浮気ばかりを繰り返すパートナー、働かないパートナー、酒乱でギャンブル狂で借金だらけのパートナー、なんでこんな男と私はいるのと思わせるパートナー、不安と心配と悲しみと、落胆と精神的苦労の多いパートナーと居るより、ひとりの方がよほどいい。皆さんのお話を聞いていると、女に苦労ばかりかける男をなぜ好きになるの?それならひとりの方がいいではないか、と言いたくなる。

これからはおひとり様の時代。
そういう時代になった。
と私は感じている。

ならば、楽しく生きられるおひとり様を目指そうではないか。
楽しく生きるには、まずは経済力、男に頼らなくても生きていける経済力が必要。これからの愛はお金だと思って、一生懸命働いてお金を貯めること。おひとり様を快適に過ごすには、ある程度の経済力がないとできない。だからきばれ、自立できる女性になれば、おひとり様も悪くない。むしろ男と居るより楽しいかもしれない。余計な心配がなくなるからだ。孤独で寂しい?そんなことはない。自立ができた女性は、多くの友達ができ、またいろいろなものにチャレンジができ、おかしく楽しく過ごせる。