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人の性格が変わることはほとんどない。
ごくたまに変わることもあるが、これは他人の力で変わったのではなく、本人の力で変わったのです。
変わる原因として上げられるのは、大きな失敗や大きな挫折に遭遇したとき。このままでは生きていけないという人生最大の危機に直面したとき、人は変わる。このままでは(この性格では)生きていけない、と強く自覚するから。

人生最大のピンチで変わるのはまだ良い方で、中には変わらない人もいる。そういう人は、オレ様の暴君になるか、ダメ男の運の悪い人になるか、どちらかである。いずれにしても、このままでは不幸。

人の性格は本人の力量によるもの。
他人の力ではどうすることもできない。
また、他人の力でどうにかしてはならない。
性格はその人のもの、その人に任せるしかない。

失敗しない人生を送る安全策のとれた頭のいい人は、付き合いにふさわしくない人は選ばない。付き合うのにふさわしい人を選ぶ方が、ふさわしくない人と付き合って相手を変えようとするよりずっとたやすいことを知っているから。人の性格は変わらない、だからお付き合いする人は自分にふさわしい人と決めている。

人の性格は変わらない。
だが中には勘違いする人もいる。
他人を自分と同じような人間につくり変えることが道義的責任だと考えている人がいる。
この多くが恋愛をしている女性。
女性は恋をすると、彼を変えようと努力する。この努力は凄まじい。来る日来る日も言って聞かせ、来る日も来る日も言っても聞かない相手のことで悩む。母なる愛情か?好きな人に対する愛情か、尽くせば尽くすほど、彼を変える努力は日に日に増していく。

だが、結末はいつも悲しい物語。
この悲しい物語を恋する乙女は有史以前から続けている。

そろそろ悲しい物語に終止符を打とう。

そのために。
人の性格は変わらないと自覚すること。
単なる言葉だけの自覚ではなく。命がけで学んだ教訓、一生忘れない教訓として、この自覚を肌身離さず持ち続けること。人の性格は変わらないと、強く。


自覚ができたら、
お付き合いは、自分にふさわしい人を選ぶ。
ふさわしくない人とは付き合わない。
ふさわしくない人と無理して付き合って相手を変えようとしないこと。


今現在ふさわしくない人と付き合っていたらどうすればいいのですか?
私の答えは、
ふさわしくない人との付き合いは、「さっさと逃げること」これにつきる。
とてもばかばかしい答えでしょう。でも、これが一番効果のあるやり方です。
それはできない。
ならば、自然と遠ざけて疎遠となり、時間をかけて自然消滅するやり方もあります。

これって終りにするやり方でしょ。
私は彼のことが好きなのです。恋愛相手としてはふさわしくない人ですが、彼のことが好きなのです。終りにする方法ではなく、うまくいく方法を教えてください。

せっかく人の気持ちは変わらないと、道義的に説明しても理解してくれない人たち。堂々巡りの質問が続く・・・。この質問の続きは、こちらに来たときにお話しをしましょう。

このブログは、「人の性格は変わらない、だから彼を変えようとしない」がテーマとなっています。テーマに書いてある内容をよく確かめ、生きる知恵の参考にしていただければ助かります。あなたの質問の続きは、こちらに来たとき。繊細な宇宙のテーマとして、紐を解く努力をしましょう。




彼が何を考えているのか?それは誰にもわからない。わかるのは彼自身。だから他人がわかろうとするのは無駄なことなのです。男女がうまくいく方法は、自分以外の彼氏を含めた他人の考えを人生のひとつの謎と考えて、その人の考えを理解しようと思わないことです。

女性が「彼は何を考えているの?」と悩むときは、たいてい心配事があるときです。男女が付き合えば、信頼関係の前に心配事が起きるものです。付き合って半年が経過し、彼は急に私を避けるようになった・・・彼からの連絡が減り、音信不通となった。最後に会ったのは去年の11月、もう2ヶ月も会っていない。心配になって私からラインしても既読がつかない。彼は何を考えているの?・・・。という心配事のパターンは、今年に入ってから多い。

ホント、彼(男)は何を考えているのやら。
鑑定している私にもわからない。

手相と生年月日である程度のことは推測できるが、詳しいことはご相談に来られたご本人に聞くしかない。「彼と何があったのか?」聞くしかない。付き合っているのはご本人。彼氏のことは恋人である彼女が一番よく知っている。

話を伺ってみると、
なるほど。
いろいろ読めてくる。
なぜ?こうなったか、状況が読めてくる。
喧嘩したとか、彼を責めて自爆したとか、いろいろ見えて、読めてくる。

また、読めないこともある。
彼が常識では考えられない行動に出たときは状況が読めない。
昨日まで仲が良かったのに急に人が変わった。なんの兆候もなく急に冷たくなった。表向きは好青年で裏の顔は凶悪なジキルとハイドの現象。常識では考えられない行動は予想ができない。程度の差はあれ、心の病を抱えた人たちの行動は読めない。

男女の価値観の違いによるトラブル。
心の病を抱えた男性とのトラブル。
どのケースでも私は対処するようにしている。
それだけの経験は積んできたつもり。
こういったケースの対処法は、鑑定に来られた依頼人の気持ちをほぐすこと。相手が何を考えているか?より、鑑定に来られたご本人に夢と希望を与えるのが私の仕事。一人で悩みを抱えるより、私に話を聞いてもらった方が元気になり、勇気も沸いてくる。

彼が何を考えているか?は知る必要もない。
あなたはあなた自身。
あなたの考えさえ正しければそれでいい。

彼のことを心配すればするほど、事態は悪化する。
彼のことを疑えば疑うほど、事態は悪化する。
そんな心配事をしているあなたとどう向き合うか。
私に心配事をぶつけ欲しい。
私の答えは、「心配しなくていいよ」という答えになるだろう。


深く考えることをやめる。これが自由になる一番の方法。「人々はあまりものごとを考えない」「人々はあなたのことに関心がない、関心があるのは自分のことだけ」。これに従えば、あなたが相手のことを深く考えたところで相手には通じない。あなたが考えていることと、相手が考えていることはまったく違うのはしごく当然のこと。かたくなに真実を追究するより、もっと自由でいいのではないか。相手には相手の考えがあって、私には私の考えがある、お互いの考えを尊重し、人々はもっと自由になるべきだと思う。

深く考えるのをやめる。
考えすぎの人はそれがなかなかできない。
考えすぎが性格となっている場合は深く考えることをやめられない。
だが、考えすぎは自由を奪う。考えすぎは想像力を失う。考えすぎは一番大切なときにチャンスを失う。そう考えると、考えすぎは人生の障害となることが多い。

人々はあまり物事を考えないで生きている。
逆に言えば、あまり物事を深く考えない方が幸せに生きられるコツとなっている。
そんな気がする。



申し分のない仕事。申し分のない計画。申し分のない場所。というものはないことをしっかり心に刻むことである。恋愛においても、申し分のない人はいない。人間はどこか欠点があって完璧な人いない。

人生は取引だが、どこかで妥協しなくてはならない。ある意味理想、ある意味妥協、トータルでOK、みたいな選び方で取引はした方がいい。結婚相手の選び方もそれでいいのではないかな。トータルでOK、欠点は許容の範囲以内、それで選んで間違いないと思う。

今まで生きてきて、多くの人が取引という選択をしてきた。私もそうだし、皆さんもそうだと思う。自分の過去をみても、たくさん取引をしてきた。進学で学校を選ぶとき、社会人になって仕事を選ぶとき、結婚して家を買うとき、車を買うとき、サラリーマンを辞めて商売を始めるとき、たくさん取引してきた。どれも完璧なものはなかった。どれも理想とはほど遠く、満足し納得するものはなかった。理想を言えば、もう1ランク上、いや2ランク上かな。だが、自分の実力では無理、これで精一杯。不満足ながらも妥協するしかなかった。妥協はするが、トータルでOKとする。ある意味理想に近い、これで納得(OK)するしかないと自分に言い聞かせ、取引に応じてきた。理想ばかり追い求めては何も決まらない。怖いのは何も決められないことだと思ったから。

人生は取引だが、取引には失敗も多い。
実力のなさからの失敗。
金のなさからの失敗。
多岐にわたる失敗をたくさん重ねてきた。
失敗は仕方がない。
安いもの悪いものをつかまされた教訓から自分の実力を上げていくしかない。
人は失敗しないと学ばないから。

失敗を重ねれば、自分の力量に合わせて、トータルでOKな取引ができるようになる。そうすれば失敗は未然に防げる。
選んだのが、あなたの実力だからだ。



男性から見れば、摩訶不思議な女心。
女心は、論点から外れた相談が多い。おそらく、他の人では相談にならない内容。また、相談しても無駄になる内容が多い。他人には相談できない内容が、私のところには多く集まる。詳しく聞いてみると、やはり女心は摩訶不思議。男性には理解できない内容がふんだんにある。私でさえ時々?になるのに、付き合っている彼氏(男性)はもっと???だろう。おそらく女心が理解できなくてパニックになっているのかもしれない。また、女性も男心がわからずパニックになっている。男女双方がパニックでは愛は成就しない。

男性から見れば摩訶不思議な女心。女性から見れば摩訶不思議な男心。私はこれを通訳する。彼は何を考えているのか?彼女は何を考えているのか?この状況では、こう考えているのだろうと、なるべく詳細に通訳する。手相を観て、気学の運勢を観て、今までの何万という歴代の組み合わせを見て、なるべく詳細に通訳する。そうすると、依頼人は「当たっている」という。当たっている、当たっていないは別にして、彼の気持ちおそらくこうだろうとわかった。彼女の気持ちもおそらくこうだろうとわかった。では、これからどうする?そう、そこが肝心。「今後どうするか?」そこが肝心で、そこが大きな課題となる。

課題の難しいところは、
相手の気持ちが自分の望まないところにあって、自分の考えとは真逆の方向に進んでいる点にある。正反対の考え方を調整するのは難しい。

日夜私はそういった課題に取り組んでいる。
自分の出した答えがすべて正しいとは思っていない。
中には間違った答えもあるだろう。
あるいは、正しい答えを出しても鑑定を受けた当事者の能力によって成否が分かれることもあるだろう。
いずれにしても、
今後どうする?という課題は難しい。
いつか誰もが納得する答えを見つけたい。
一生かかっても誰もが納得する答えは見つからないかもしれないけど、それを目指すしかない。


それはできない。
何かを得るために何かをあきらめなければならないことは。
愛を継続中の人にはできない。
愛をあきらめるなんて問題外だ。

論理、理論、冷静な判断は、愛する気持ちには反映されない。
愛する気持ちは、不可思議なルールで構成されている。

つまり、頭ではわかっているが常識が通じない。これが愛の世界。

愛は奇跡の世界で、人間が作ったルールは適用されない。
人間が作ったルールは、愛を否定するものばかりだからだ。

人間が作ったルールに従うと、愛は納得できるものにはならない。
獣のように、欲望のおもむくままにやらないと愛は納得できない。
たとえ、それが間違っていたとしても、自分が納得するまでやるしかない。

優柔不断でいいではないか。
愛とは不可思議なルールで構成されている、だから優柔不断でいい。
愛とは迷うようにできている、だから優柔不断でいい。
あわてて決める必要もない。
優柔不断にながらも、決め手見つかるまで、じっくりと苦悩し、じっくりと考慮すればいい。
それが愛ではないか。

常識では通じない世界に私も身を置いている。
常識では別れていい相手との悩み相談。恋愛相手としては不向きな相手との対面鑑定や電話鑑定。
浮気男だったり、借金男だったり、ギャンブル依存症の男だったり、アルコール依存症の男だったり、パワハラ、モラハラ、メルヘラ男だったり、とにかく常識では考えられないダメ男の鑑定記録が山のようにある。もちろんダメ女の鑑定記録も山のようにある。その世界に身を置いていると、私も常識では考えられない世界にいる。

常識では考えられない世界。
なるほど。
いいじゃないか。
これが私の仕事だ。

非常識な世界の住人となって、そこで私の考え方を述べよう。
鑑定依頼人の味方になって。
私の経験値を述べよう。
納得いくような形になるまで、とことん付き合おうではないか。




どちらも大切なので、なかなか決められない。
今の時点ではどちらも大切。だから、今すぐ決めなくていい。
そのうち決まるだろうという日を過ごせばいい。
決められないときは、問題のことは考えず、他のことを考えよう。
別のことに意識を持って別のことに着手すればいい。
できれば、楽しいこと、充実することに着手しよう。
私の場合は趣味・スポーツ。私の場合は仕事。私の場合は勉強。あなたの好きなことに気持ちを切り替えればいい。
好きなことに前向きに行動すれば運が拓く。
運が拓けば、どちらが大切なのかわかるようになる。

どちらも保証がないので、なかなか決められない。
今の時点ではどちらにも保証はない。だから、今すぐ決めなくていい。
そのうち保証されるだろうという日を過ごせばいい。
考えてみなさい、世の中に安全なものはない。
保証は、すべてが自らの責任でしかない。
決められないときは、問題のことは考えず、他のことを考えよう。
別のことに意識を持って別のことに着手すればいい。
できれば、楽しいこと、充実することに着手しよう。
私の場合は趣味・スポーツ。私の場合は仕事。私の場合は勉強。あなたの好きなことに気持ちを切り替えればいい。
好きなことに前向きに行動すれば運が拓く。
運が拓けば、どちらが安全か(どちらに保証があるのか)わかるようになる。

どちらもあきらめたら後悔するので、なかなか決められない。
今の時点ではどちらも後悔する。だから、今すぐ決めなくていい。
そのうち後悔することなく決めることができるだろうという日を過ごせばいい。
人生とは選択の連続。「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」の境地に達するまで、この問題を暖めていけばいい。あきらめたら後悔する、あなたはとても人間らしい。とても優しくてとても愛情豊かだ。そんな愛の深いあなたが瞬時に決める必要は何もない。さあ、たっぷり後悔しないための時間を過ごすがよい。
決められないときは、問題のことは考えず、他のことを考えよう。
別のことに意識を持って別のことに着手すればいい。
できれば、楽しいこと、充実することに着手しよう。
私の場合は趣味・スポーツ。私の場合は仕事。私の場合は勉強。あなたの好きなことに気持ちを切り替えればいい。
好きなことに前向きに行動すれば運が拓く。
運が拓けば、あきらめても後悔しなくなる。


いいじゃないか、優柔不断でも。
それがその人のペースだから。





大半の人はわかっている、何かを得るためには、何かをあきらめなければならないことを。だが・・・悩む。頭ではわかっているが、感情が承知していないから悩む。

悩みの大半は、
何かを得るためのもの。
そして、何かをあきらめるためのもの。
どちらも大切なので、なかなか決められない。
どちらも保証がないので、なかなか決められない。
どちらもあきらめたら後悔するので、なかなか決められない。
何かを得るためには、何かをあきらめなければならない・・・頭ではわかっている。頭ではわかっているが、気持ち(感情)がついていけない。だから、悩む。

世の中の成功者を見ていると、
何かを得るために、何かをあきらめることを、時間をかけずに素早くやった人のように見える。つまりチャンスを逃さなかった人。チャンスは素早い決断によって持たされる。素早い決断はとても前向きで、とても積極的で、とても勇気があって、とてもスピーディーだ。たとえ決めたことが間違っていても、早く決断したことで間違いも早く修正することができる。つまり早く決められる人には時間に余裕がある。決断の遅い人は時間が足りないが、決断の早い人は時間に余りがある。この余った時間で、失敗の部分や問題の部分を修正することできる。何かを得るためには経験が必要。経験には時間が必要。成功する人は、早くこの経験値、経験する時間に飛び込もうとする。その環境に早く身を置いて、様々な問題や様々なトラブルや失敗に着手する。失敗しても構わない、時間は余り余っている。失敗も経験のうち。成功する人はそれも計算に入れている。いかに多く失敗したかで、いかに多くの利を得られるかを知っている。成功する人は、何かを得るために、何かを素早くあきらめている。これを瞬時に行うのが成功者の特権。こういった人種は世界に1%しかいない。

99%の人は、
何かを得るためには、何かをあきらめなければならないことを瞬時にできなかった人たち。つまり優柔不断な人たち。優柔不断は人類共通の敵と言われている。成功しない原因の第一位、失敗する原因の第一位が、優柔不断が原因となっている。99%の人が、程度の差はあれ、その中に入っている。この記事を書いている私自身もその中に入っている。程度の差はあれ、私も優柔不断な人。何かを得るためには、何かをあきらめなければならないことを瞬時にできない。私の性格では、そんな薄情なことはできない、そんな冷酷なことはできない、となってしまう。私には情がある。だから、そんな非情なことはできない。


非情なことはできないが、でも・・・何かを得るために、何かをあきらめている。

時間はかかっているが、実際にやっている。

自分の人生を振り返って見ても、過去の歴史で、何かを得るために、何かをあきらめている。うんと時間はかかったがやってきた。何かを得るために、何かをあきらめることを。


だから、優柔不断でいい。
優柔不断でも、いつか決まる。
これが自分のペース。
人は自分のペースが一番能力を発揮する。
だから私は、ウサギよりカメでよい。




代償と犠牲

一生懸命働くことも、怠けて働かないことにも代償がある。

将来のために貯金をすることも、金を使ってしまうことにも代償がある。

人を好きになることにも、人を好きにならないことにも代償がある。

結婚して家庭を持つことも、結婚しないで家庭を持たないことにも代償がある。

子を持つことも、子を持たないことにも代償がある。

夢を持つことにも、夢を持たないことにも代償がある。

誠実に生きることにも、不誠実に生きることにも代償がある。

正しい行いすることにも、まったくなにもしないことにも代償がある。

生きることにも、死ぬことにも代償がある。

つまり、世の中には無償のものはない。
すべてが代償と犠牲で成り立っている。
何かを得るためには、何かをあきらめなければならない。



「何かを得るためには、何かをあきらめなければならない」人生は果てしない選択という取引の連続である。




なぜ、メンタルが弱い男が好きなのか?
それは、
この人は私がいないとダメになる。
この男性を育てたい。
この男性の成長に協力したい。
と思っているから。

母なる愛情で、育てたい、協力したい、一緒に成長したいという女性の熱い思いがあるから。

うむ・・・凄いね、女性は。
男の世界では・・・メンタルの弱い男は自然界の弱肉強食に従って無視するけど、女性は違う。女性って優しいんだね。この優しさがあるからダメ男も生きていけるんだなと思ってしまう。

だが、メンタルの弱い男は、その優しさに甘える。甘えてどんどんつけ上がる。母なる愛情で、育てたい、協力したい、一緒に成長したいという女性の熱い思いを迷惑だと勘違いする。女性の熱い思いとは裏腹に、メンタルの弱い男はこれでもかという苦難を女性に与える。女性の願いとあべこべの現象がこの世界では起きている。

私は思う。
メンタルの弱い男性は女性の優しさでは教育できないと。
なぜ女性の優しさでは教育できないか?それは統制が取れていないからだ。統制が取れていない優しさは、あるときは優しいが、あるときはヒステリックとなる。そして思い通りにならなければ教育者自身がネガティブになって悩む。教育しようという方向性も目標も計画もなく、ただ感情論だけで教育しようとしている。それでは教育できない。

では、どこで教育すればいいか?
それは、軍隊かな(日本でいえば自衛隊)
あるいは、戸塚ヨットスクールのようなスパルタ教育。
こういった場所は、統制が取れている。
統制が取れた場所の厳しい訓練によって男は精神力が強くなる、これは間違いない。

でも、彼がこういった場所に行くわけない。
現実問題としては、それは無理だろう。

私が言いたいのは、男の教育は統制(一定の計画や方針に従って指導・制限すること)が必要だということ。男性を教育するには、長い間、この統制力が必要となる。出来る、出来ないは別として、そういう考えを持つことが重要だということ。

それができない。
できないなら、その男性はやめなさい。

それでも彼が好き。
ならば統制力を磨きなさい。
厳しい戦いになるかもしれないが、あなたができる女になりたいのなら、統制力の訓練をあなた自身が積むしかない。