ホーム > 月別アーカイブ: 2018年07月
男と女は慣れ親しんでくると喧嘩はつきもの。
喧嘩をしないカップルもいますが、それは両方または片方が争い事の嫌いな性格の持ち主で喧嘩をなるべくしないように気をつけているからです。冷静沈着な性格の持ち主はごく希で、通常の男女はたとえ成人した大人でもパートナーとの喧嘩やトラブルは避けることができません。それは冷静沈着な人間でも同じです。今は喧嘩もなく平穏無事に付き合っているとしても、男と女は脳の性格が違うので、やがて衝突することになります。多少の衝突(喧嘩)は避けられない。ではどうやって危険レベルまでいく衝突(別れの原因となる喧嘩)を未然に防げるのか、そこにメスを入れたいと思います。

男と女に喧嘩はつきもの。
それは避けて通れません。
たとえ仲のいいカップルでも避けて通れません。
喧嘩はつきものと認めて、避けるのを諦めた方がいいでしょう。
避けるのを諦めれば、改善策は見えてきます。

どうやって?
まず喧嘩のときの男と女の性格を知ることです。
女性は感情的になり、男性は沈黙する。
これが喧嘩のときの男と女の性格です。
この性格を男女がよく理解すること、これに尽きます。

でも、男性の中にも喧嘩のときに感情的になる人がいますよね、こういう人はどうなんですか?という質問に対しては、こういう人は男脳の持ち主でなく女脳の持ち主だということです。男性が喧嘩のとき感情的な破壊活動に至るのは長きにわたって喧嘩してきた長期的なストレスによるものです。早い段階での喧嘩は通常の男性は押し黙ります。黙って嵐が過ぎ去るのを待つ、これが一般的な男脳だからです。

喧嘩のときに感情的になる女性。
女性には感情の回復能力があって立ち直りも早い。
泣いたり、わめいたり、責めたり、なじったり、ヒステリックになって激しい喧嘩を展開する女性。この経験はほとんどの女性にあると思います。喧嘩のときはすごく感情的になって傷ついている女性のように見えますが、実は女性は男性ほど傷ついていません。それはなぜかというと、女性は感情に対する耐性能力が男性より優れているからです。パートナーとの付き合いの中で起こる些細な口論で気まずい雰囲気になることを女性は男性ほど嫌がらないからです。それに対して男性は彼女との口論で動揺するのは不快であり嫌な気分になる。女性は対立をそれほど嫌がらない。むしろ感情的な衝突を好んでいるといっていいでしょう。女性が感情的になるのは、怒りはもちろんありますが、感情をぶつけることで自分の真を問いたい使命感のようになっているからではないでしょうか。


喧嘩のとき押し黙る男性。
男性は女性と感情的な喧嘩になると、黙って嵐が過ぎ去るのを待ちます。男性が殻に閉じこもってしまうのは男脳特有の防衛本能からきています。男性は感情に対する耐性能力が女性より優れていないので、感情のパニックから身を守るために殻に閉じこもります。女性が感情的でヒステリックなときの男性の心拍数は苦痛を表すレベルまで上昇します。このままだと取り返しのつかない危険領域に達するので、冷静さを取り戻すのに殻に閉じこもるのです。殻に閉じこもれば危険領域だった心拍数が徐々に落ち着いてきて心の安定を保てるからです。

ところが皮肉なことに、男性が殻に閉じこもれば今度は女性の心拍数が上がります。自分の話を聞いてくれない彼、逃げる彼、押し黙る彼、殻に閉じこもる彼に対して、女性の心拍数はどんどん上昇し、精神的苦痛を表すレベルまで上がります。

男性は対決を避け、女性は対決に持ち込もうとする。この男女の違いが、事を荒立て、修復を不可能にしているのです。逆にこの違いがよく理解できれば修復は可能となります。男女の違いを最初に解っていれば、危険レベルの喧嘩まで発展させない、その前にストップできるからです。その思考の技術をあなた自身がマスターすれば、取り返しのつかない喧嘩は避けることができます。



仕事の生産性の上げ方は、この仕事を愛することです。
仕事を愛すれば生産性が上がり幸せになれます。
あなた今やっている仕事を愛していますか?
愛していないのなら愛することです。

愛とはバランスです。
仕事を愛すること。
異性を愛すること。
奥さんや家族を愛すること。
友人や仲間との人間関係を愛すること。
愛はバランスです。
愛はバランスがあって幸せになれるのです。
愛のバランスのない人は幸せになれません。

よく聞く話ですが、男性は仕事人間になって彼女や奥さんを大切にしないという話をよく聞きます。仕事が忙しくて仕事以外のことを構っていられないというのが理由らしいですが、こういう人は仕事が出来るかというと、そうでもなさそうです。ただ単に仕事の奴隷になっているだけかもしれません。仕事の奴隷になれば生産性は上がりません。生産性が上がらなければ仕事に対して夢も希望もなくなります。ただ毎日、いっぱい・いっぱいだといってあえぎ苦しみながら効率の悪い仕事を夢も希望もなく必死に食らいついているのが現状だと思うからです。こんな状態ではやがて心が病んで体を壊すだけです。やはり仕事は周りに助けられて、恋人や家族を大切にして、バランス良くやることです。仕事人間は幸せになれません。

仕事を愛するということはバランスを取ることです。
仕事は彼女がいれば彼女を大切にして家族がいれば家族を大切にしてバランスよく効率よくやることです。そうすれば、仕事の生産性は上がります。できる男はみなそうしています。できる男は大切な彼女や家族を放置しません。大切なものを守るという愛があってこそ仕事ができるのです。だから仕事で成功しているのです。

この仕事を愛しているか?
この質問を私にぶつけると。
ほぼほぼ愛しています(笑)ほぼほぼ・・・どこかのCMみたいですね・・・。
私はこの仕事をほぼほぼ愛しています。そう、ほぼほぼです。
わたしのほぼほぼとは95%です。95%この仕事を愛しているということです。
残り5%は?
仕事がときどき嫌になることがあるからです。
ときどき嫌になる。この時々嫌になるが、反省であったり、不安や心配事であったり、この仕事いつまで続けるかなという逃げだったり、あるときは独りグチだったり、内省検討だったり、妄想や空想にふけったり、想像力をかき立てたり、ネガティブとの戦いだったり、希望や期待との戦いだったり、とにかくこの5%の中にいろいろな頭の混乱が混じっているということです。100%満足して仕事をしている人間はいないというのが私の見解で、それが人間だと思うからです。ということで、私はこの仕事をほぼほぼ愛しています。

若い頃の私は今ほど仕事を愛していませんでした。
どちらかというと嫌いでした。
95%仕事が嫌いだったといっていいでしょう。
生活のためしかたなく働いた、というのが現状だったからです。

なぜ今は、95%仕事を愛しているのか?
それは、天職だからです。
私の天職は49歳にして見つけました。
ずいぶん遅いですね、遅咲きの花です。
皆さんも早く天職を見つけるといいですね。



この記事を書いている本人が生産性を上げないと意味がありません。
なので、私個人が現在実行している生産性の上げ方を述べます。

1, 健康。
毎朝30分の散歩。現在夏なので早朝の5時半から散歩に出かけます。日が昇ると暑いので太陽が昇る前に散歩を終わらせます。毎朝の散歩以外に週に2回ジムに通っています。事務所で暇のある時間は、5分ほどスクワットや腕立て伏せをしています。食事は脂っこいものや炭水化物、砂糖の入った甘い物はなるべく食べないようにしています。糖質を制限した食事といっていいでしょう。生産性をあげる健康の面でも毎日戦いです。ときどき朝がしんどくて眠いときがあります。今日一日くらい散歩にいかなくていい、このままベットで寝てよう・・・と悪魔の誘惑に負けそうなときもあります。そのときは怠けて不健康になることを選ぶか、しんどくても健康になることを選ぶか自問自答します。自問自答した結果、健康にいい方を選びます。食事のときもそう。目の前にケーキがある。以前は何も気にしないで食べていましたが、健康に気を遣っている今の私はケーキをゴミ箱に捨て、代わりにナッツや野菜を食べます。今日一日くらいケーキ食べてもいいじゃない、という誘惑もありますが、健康か不健康かで考えると健康にいい方を選ぶようになりました。健康の生産性を上げるとは、常に自問自答による選択です。こういった選択は朝から晩まで一日中あります。「人生は選択」とはよくいったもので、選択とは何も人生を左右する大きなものばかりではありません。選択は毎日、日常にあるのです。そして私がやっていうのは簡単なことです。朝の30分の散歩は大したことありません、簡単なことです。また散歩にいかなくても大したことはありません、いかないことも簡単なことです。どちらも簡単なことなので、健康にいい簡単なことを選んでいるだけです。食事にしてもそう、どちらも簡単なことを選んでいるだけです。ジャンクフードやケーキを食べるのも簡単なこと、糖質を制限した食事を食べるのも簡単なこと、どちらも口をパクパクすればいいだけのことですから。


2, 勉強。
私は大して勉強していません。
朝30分、夜30分、本を読んでいるだけです。
毎日良書を1時間読みなさい。これが成功するコツ、これが成功哲学だという偉人たちの教えに従って本を読んでいるだけです。私が本を読む習慣は、数年ごとに変化します。大きな挫折に面したときは1年間必死に本を読みました。すると挫折から抜け出し成功へと向かいます。成功したら今度は油断が生じて本をあまり読まなくなります。そしてまた失敗曲線へと向かいます。このままではやばい、不幸になると思い、また本を必死に読み始めます。この読んだり読まなかったりの曲線は数年単位で起きています。今はどうかというと、また本を読み始めました。今度は一生続く習慣にしたいと思っています。勉強するのも戦いです。読むか読まないか、毎日の小さな選択との戦いです。読めば幸せに向かい、読まなければ不幸に向かう。どちらも簡単な選択。ならば幸せになる方を選ぶだけです。そんな大袈裟なことではありません。本を読むことを難しく考えないでください。簡単なことなのです。


私がやっているのはすべて簡単なことです。
あとは選択に勝つだけ。
つまりやるかやらないかの選択です。
毎日数時間単位で起きる選択、あるいは5分単位、10分単位、30分単位で起きる選択を健康にいい方、ためになる方を選べばいいだけのことです。とても簡単なことです。そんなに難しいことではありません。誰にでもできます。


3の仕事については次回書きます。





幸せの基本は三つからなります。
1, 健康。
2, 勉強。
3, 仕事。
「健康・勉強・仕事」が幸せになるための基本ベスト3です。
幸せになるためには、この三つの生産性を上げていけばいいのです。
三つの生産性を上げるのは、そんなに難しいことではありません。ちょっとした心がけで誰にでもできます。

ここでいう生産性とは会社や企業などの(利益を上げろ、もっと稼げ、もっと金儲けしろ)などの会社や組織が潤う生産性とは違います。ここでいう生産性はあなた個人のもの。あなた個人が潤い、あなた個人が幸せになるための生産性です。あなたが幸せにならないとあなたは成功しないからです。だからあなた個人が生産性を上げるべきなのです。生産性とは、一定の資源からどれだけ多くの付加価値を産み出せるか、となります。一定の資源とはあなた個人のことを指し、そこからどれだけ多くの付加価値を生み出せるか、その努力をしなさいということです。

個人が生産性を上げる努力はそんな難しいことではありません。誰にでも簡単に出来ることです。ほんのちょっとした心がけ、ほんのちょっとした自己管理で誰にでも出来ます。誰にでも出来るのに出来ない理由は、大袈裟に物事を考えているからです。そして、速く速くと急かすからです。大袈裟に物事を考えるとは、あまりにも目標が大きすぎるとかえってダメになるという意味です。目標があまりにも大きすぎるとすぐに挫折してしまいます。人間は一度挫折すると、もうその目標に対してやる気がなくなります。やる気が起きなければ人間は不幸になります。つまり不幸の方程式、不幸のドツボにはまることになります。また速く速くと急かすことも不幸を呼び込む失敗の原因です。私には時間がないの速くして!と結果をすぐに出したい。速くブレークしたい。速くヒット商品を作りたい。速く速く、もっと早く早く・・・と急かして焦る心理はすべての失敗を意味しています。ヒット商品、ブレークした芸人は1年後にはこの世から消えています。生産性を上げるコツは、簡単にできることを焦らないで地道にコツコツやることです。

地道にコツコツ?
う~ん・・・なんかダサイ。
と思わないでください。
そう思っているあなたがダサイのです。
だから、不幸なのです。
不幸になりたくなかったら。
今からでも遅くありません。
「健康・勉強・仕事」
この三つの生産性を上げるプランを作り、今から少しずつ実行することです。
プランは簡単に実行できるものでいい。
さあ、あなたなりのプランを作ってください。
あとは、それを毎日実行するだけです。




努力は報われない。
努力は報われる。
人によって努力が報われない人もいますが、努力が報われる人もいます。この差はなんなのでしょうか?

前者と後者の違いは、否定的か肯定的か、非生産的か生産的かによって違います。肯定的で生産的な努力は報われ、否定的で非生産的な努力は報われません。

努力とは何を意味するのか?
何を目指すのか?努力は人によって違います。
勉強する。ダイエットする。筋トレする。資格を取る。仕事のスキルを上げたい。出世したい。もっと収入を上げたい。何かの商売をしたい。自分のお店を出したい。起業したい。恋愛相手を見つけたい。結婚相手を見つけたい。好きな人に告白したい。好きな人から別れを告げられたのでそれを阻止したい。好きな人うまくいくようにしたい。好きな人がダメ男なので教育したい。好きな人がマザコンなので母親から取り戻したい。好きな人が世間知らずの子供なので精神的にサポートしたい。好きな人が病を抱えているので健康管理をしたい。好きな人が仕事人間なので待つ忍耐力を持ちたい。好きな人といずれ結婚したい。好きな人の子供を作りたい。マイホームを持ちたい。料理の腕を上げたい。家事を完璧にこなしたい。穏やかで温かい家庭を作りたい。語学を習いたい。世界一周をしたい。プロスポーツ選手になりたい。映画スターになりたい。アイドルになりたい。
自分が何をやりたいか?何を目指して何を努力するのか?努力は人それぞれ違います。

努力とは何を意味するのか?
努力とは目標がある人の継続です。
人によって目標のない人もいるでしょう。あるいは昔は目標があったけど今はないという人もいると思います。そういう人は人生がうまくいっていて目標がなくても生きていける人か、あるいは怠け者で人生を諦めた人のどちらかです。人生がうまくいっていて目標などなくても健康で豊かで幸せに生きていける人は羨ましいですね。でもそういう人は世の中に1%しかいません。残り99%は何らかの努力をしないと生きていけないということです。残り99%の我々は、何らかの努力が必要になります。人生を諦め努力をしない、それもその人の生き方ですが、健康で豊かで幸せな生活からはほど遠くなります。

自分はこんなに努力しているのになぜ報われない。
もう疲れたよ・・・努力するのに・・・疲れた。
努力なんてばかばかしい。
バカじゃないの報われない努力を一生懸命にやって、アホくさ。
こんなにこんなに努力したのに、自分には何も良いことが起きないじゃないか。
努力したお陰でかえって物事が悪くなった。
えーい努力なんかやめちぇ。努力は報われない、だから努力は放棄だ。


努力が報われる人は知っています。
努力は目標のある人の継続だということを。
継続だから、どんなことがあってもやめることはしません。
継続だから、無理をしません。無理をすれば努力は続かないからです。
継続だから、無理をしない程度に毎日少しずつやります。
継続だから、怠ける心を自己管理していきます。
継続だから、たとえ今はうまくいってなくても希望を捨てたりしません。
継続だから、焦ることも慌てることも騒ぐこともありません。
継続だから、いつそれをやるか、やる時間が決まっていて習慣化になっています。
継続だから、時間をかけます。努力は時間を味方につけた方が勝ちだとわかっているからです。

努力とは時間がかかるものです。
すぐに答えを見つけたい人には向きません。
白黒決着を急ぐ人には向きません。
効率重視のスピードアップの人には向きません。
努力とはコツコツやるもので、ださくてかっこ悪い継続をいくら根気よく続けるかです。
そして、ださくてかっこ悪い継続を肯定しながらいかに生産的にやるかで努力は報われます。報われるためには努力の過程でそれに見合った知恵も身につけなければなりません。たとえばダメ男を改心させるような知恵。今はその知恵がなくても、毎日続ければ神から知恵を授かることができます。これは毎日努力することによって得られる成果です。ださくてかっこ悪い努力をコツコツ続ければ、それを肯定していけば、生産的に努力は結ばれます。





精神の幸福を得るカギは、不快な感情をコントロールすることにあります
不快な感情をコントロールする。
なかなか難しいですね。
日常生活で不快なものはつきものです。
不安やネガティブ。恐れや落胆。
苛立ちや嫉妬。疲れや怠慢。
些細なことから大きなことまで不快なものはつきものです。
その日の午前中は良い気分でも午後から気分が悪くなった、そんな日もあるでしょう。
一日を快適に過ごすことは難しいものです。
嫌な気分のとき、皆さんはどうしていますか?
不快指数から快適指数に上げるにはどうしていますか?
皆さんの考えをお聞かせください。

わずかな違いを提示している私の考えは、
不快のときは、不快のままで、そこから何かヒントを得るようにしています。
苦しみも創造性や精神性を養う力だと思っているからです。
だから不快も歓迎です。
でも、長く不快な気分にいたくありません。
そのときは瞬時に頭を切り替えるようにしています。
不快な考えから別の考えに瞬時に移行する。
なんでもいいのです。
なんでもいいから、生産的な前向きなものに移行すればいいのです。

たとえば、
健康になることに切り替える。
嫌な気分になったら、頭を切り換えて30分ほど散歩に出かけます。散歩に出かければ、気分はスッキリして足腰が強くなります。散歩は体力を鍛えて健康になる、とても前向きで生産的です。散歩する時間がないときは、その場でスクワットと腕立て伏せをします。各20回ずつやれば少々息切れしますが体力がつきます。定期的にジムに通う。私は週に2回ジムに通っています。本当は毎日でもジムに通いたいのですが、時間の都合上、それはできません。週に2回90分ほど汗を流します。ジムのお陰でとても新陳代謝が良くなった気がします。不快から快適に変えるにはまずは体力を鍛えることです。人間健康でないと幸せにはなれませんから。

余談ですが、散歩はどんな滋養剤やサプリメントよりいいし、健康状態が長く持続できます。私は30分の散歩で1000円以上の滋養剤より効果があると思っています。高い滋養剤を買うよりこっちの方が良かったと得した気分になります。

続いての切り替えは、
読書です。読書は良書を読むこと。
私の場合は自己啓発本が主流ですが、本の力によって頭を切り替えています。頭を理性的にする、それも前向きで生産的です。

体を鍛える。
本を読む。
ちょっとした生産性を上げる。
それに費やしている時間はわずかなものです。
一日各30分くらいでしょうか。
誰にでもできるわずかな時間です。
ホントにわずかな時間なので誰にでもできます。
幸せになるには、誰にでもできることを、するかしないかです。
わずかな違いは、誰にでもできることをやることです。

ちょっと前向きで、ちょっと生産性を上げることは誰にでもできます。何でもいいのです。前向きで生産性を上げることは何でもいいのです。嫌なことを考えている暇があれば、部屋の掃除でもしましょう。さあ掃除機でもかけて部屋を綺麗にしてください。この方が前向きで生産性が上がります。
そのちょっとした積み重ねが、後で大きく変わってきます。
変われば、自分が幸せになれます。
私は幸せだと思うこと。
そこからですね、あなたの成功哲学は。



皆さんのコメントが素晴らしかったのでご紹介したいと思います。

結婚して、子どもが居て、仕事があって、友だちも居て、大切な人や自分が元気に幸せで暮らしている。独身で、彼氏が居なくて、好きな人と曖昧な関係が続いていて、家族は元気で、仕事があって、大好きな友だちが居て、周りがみんな元気で幸せに暮らしている。私は後者ですが、トータルで幸せです。結婚や子どもを産み育てる事も、幸せに繋がる事だとは思いますが、私は今のところ、友人や周りの人を羨んだりした事はありません。結婚式では、いつも本人達も周りも幸せそうで嬉しい。人それぞれ。自分の幸せを見つける生き方が出来たら良いと私は思います。トータルで幸せを感じる。この生き方ですね。


少し前までは、私も結婚してる人はみんな幸せなんだと思ってました。でも、現実には結婚して、出産して後悔してる人も沢山います。他人は他人。私は自分で働いて、自分で生きていける。世の中には、誰かに養ってもらわなければ、生きていけない人もいる。望まない結婚生活を、生活の為に我慢して続けてる人を、何人も見てきました。どちらが幸せかは、他人がとやかく言えることではありませんね。隣の芝生は青く見えますが、実際は人それぞれ違います。


よくきく「マウンティング女子」。常に自分が他人より勝っていたり、優位に立っていたい女性のこと。結婚したらしたで旦那さんの職業や収入などがその対象になり、自分と他人の生活を比較して自分が上でいたいという考え方。比べる対象が他人なので、競争相手は常に他人。きっと一番苦しいのは自分自身であろう。「あの人より私の方が何倍も努力してるのに、何で?」(私は報われないの?)「あの人より私の方が綺麗で能力もあるのに、何で?」(あの人は結婚できて私はできないの?)そんなに自分を否定してたら疲れちゃう…。もっと自分が素晴らしい存在であることに気がついてほしい。唯一無二の自分をもっと褒めて認めてあげてほしい。すると他人の努力も、他人の素晴らしいところも素直に「素敵ね」って言えるのにね。他人と比較すればするほど、自分の置かれた状況に不満を持つ。ありのままでいい。今の私で十分幸せだ、と思うことですね。



わずかな違いの見つけ方は、他人と自分を比較しないことです。
皆さんのコメントのように適切な感情を持つことです。
精神の幸福を得るカギは、不快な感情をコントロールすることにあります
不快な感情をコントロールすれば精神は安定します。
精神が安定すれば他人と比較しなくなります。
他人と比較しなければ、自分は今のままでいいと感じるようになります。
自分は今のままでいい、そうありのままでいいのです。
ありのままでいい。そう自分は今のままで十分幸せだと思うことです。
自分は幸せだと思うこと。それがわずかな違いを知るスタートとなります。
わずかな違いを知るスタートは、まずは自分が幸せになることです。



友人は若くして結婚した。
私と同じ年齢なのに、彼女にはすでに二人のお子さんがいて、幸せな結婚生活を送っている。
私の年齢を考えると、中学生や小学生の子供いてもおかしくない年齢。周りにはそういう人がたくさんいるのに、私はこの歳になっても未だに結婚相手に恵まれず子供もいない。私と周りの人との違いはなんなのですか?

その違いは、わずかな違いです。
わずかな違いなので、あなたがその気になればいつでも夢は叶います。わずかな違いをいかに理解し、いかに簡略化して、いかに大切にするかで、今後の人生は決まると言ってもいいでしょう。わずかな違いを大袈裟に考えてはいけません。わずかな違いはわずかな違いなのですから。

友人は結婚してすでに中学生と小学生の子供がいる。
自分は未だに結婚もできず子供もいない。
このわずかな違いは、女性だけでなく男性にもたくさんいます。

もしあなたが、他人と比較しない性格なら、この問題はとくに問題ありません。他人は他人、自分は自分だからです。友人は若くして結婚して二人のお子さんがいる、それはそれで良かったねと思えばいいのです。そして自分は未だに独身、独身が嫌ではなく、独身を選択している自分は誇らしいと思うことです。結婚はできなくても自由な独身生活をエンジョイしている、それはそれで良かったねと思えばいいのです。人間はないものねだりする生き物です。ないものを欲しがり、ないものを羨ましがる生き物です。他人は他人、自分は自分というポリシーさえ持てば、どの位置にいようと、それはそれで良かったねと思えばいいのです。

だが、他人と比較する性格なら。
このわずかな違いに気づくことです。
友人とあなたに大きな違いはありません。
能力も知識も体格も差はないし、美貌にも差はないはずです。
どちらかというとあなたの方が綺麗で能力や知識でも勝っているのかもしれません。そうするとあなたはこう考えるでしょう。私より劣っている友人が結婚して私は結婚できないのはおかしい。神様はなんて不公平なの・・・不公平な神の扱いに憤りを感じているかもしれません。憤りを感じた考えは、嫉妬あり恨みあり憎悪ありの問題だらけの精神状態の闇の世界となります。闇の世界、つまりネガティブの世界。このネガティブの世界から脱出すること。これがわずかな違いを知る第一歩となります。



人は希望がないと生きていけない。
希望とはなにか?
希望とはどうやって作るのか?

希望とは生きる糧である。
希望の作り方は日常にある。

希望が生きる糧だということはわかった。
だが、希望の作り方が日常にあるってどういうこと?

日常生活がつまらないと思えば希望はなくなる。
日常生活が面白いと思えば希望は出てくる。
いかに日常生活を楽しむか、そこにコツがある。

日常生活???
日常生活は単調でつまらない。
日常生活は日々同じ事の繰り返しで夢もロマンもない。
朝仕事に出かけ、夜に帰宅し、晩ご飯食べて寝るだけ。
たまの休みに恋人とデートし、友達と遊びに行くだけ。
毎日単調な生活、一週間単調な生活。
恋人がいればいいが、友達が多ければいいが、
恋人も友達も少ない私は毎日単調で刺激のない生活を送っている。
こんな生活をしている私に希望など持てない。
ああ、もっと刺激的なロマンが欲しい。もっと夢あふれる楽しい生活がほしい。
単調な生活をがらりと模様替えする、白黒はっきりした明確な答えがほしい。

希望は、
今すぐ欲しい人には手に入らない。
白黒決着を急ぐ人には手に入らない。
つまり、答えを今すぐ求める人には手に入らない。
希望とは今でなく、うんと時間がかかった先にある。

希望とは答えを優先しない答えを求めない計算しない先にある。
つまり、つまらない時間をどれだけ目的を持って根気よく過ごすかによって希望の芽は出てくる。
その芽は、そんなにかっこいいものではない。
はたから見れば、なんでそんなつまらないものに興味持っているの?なんでそんなつまらないものに一生懸命やっているの?と揶揄されるくらいで丁度いい。周りからやめなよと反対されるものでいい。

希望とは自分独自のもの。
人の評判など気にしなくてもいい。
目立たなく、ださくてかっこ悪い静かなもの、これが希望の正体である。

つまらない日常生活に、目立たなく、ださくてかっこ悪い静かな希望を取入れよう。希望を取入れるにはちょっとした自己管理が必要となる。その自己管理とは自制心だ。希望の芽が出るのはうんと時間がかかる。それこそ何年もかかる。すぐに答えを求める人は3ヶ月で潰れてしまうだろう。潰れれば、もうこの先希望は持てなくなる。それじゃ無味乾燥な人生を送ってしまう。希望の芽が出るまでの何年間かの根気に備えて、ちょっとした自己管理である自制心を身につけることである。

自制心を持った自己管理で、目立たなく、ださくてかっこ悪い静かな希望を追い求める。静かな闘志でコツコツと希望の芽が出るまで継続する。やがてこれが習慣となり、生きる希望となる。能力や才能などなくてもいい。そんなものなくても、辛抱強く続ければ、どんな天才より上にいく。希望の継続は天才を上回るもの。だから、希望を日常生活に取入れよう。

つまらない日常に、目立たなく、ださくてかっこ悪い静かな希望を取入れる。この生き方が素敵な生き方となります。



証拠とは?
「あなたが一生懸命尽くして努力した結果、この人とは結ばれないと解ったとき」これが証拠となる。証拠とは警察が犯人に仕立てる物証的な証拠でなく、あなたの心の判断、あなたの気持ちの判断でいい。あなたの心や気持ちの証拠は警察の物証より、その何十倍も価値がある。これだけ証拠が揃えば別れる決断をした方がいい。


彼のことがどんなに好きでも彼が変わらなければ意味がない。私がどれだけ彼のことを思いやっても彼の私への思いやりがなければ意味がない。私がどれだけ彼のことを大切にしても彼が私を大切にしない限り意味がない。私がどれだけ彼のことを愛していても彼が私を愛さない限り意味がない。

彼は嘘つきで自分勝手で暴君。
私を裏切り、私をののしり、私に罵声を浴びせ、悪いのは全部私のせいだという。私は知っている、悪いのは全部彼だということを。友達に聞いても、親に聞いても、世間に聞いても、裁判官に聞いても、悪いのは彼だという判決を下しているのに、彼は「オレは悪くない、悪いのはオマエだ」と全部私のせいにする。女を奴隷にする暴君と、もうこれ以上付き合っていられない!女を舐めるのもいいかげんにしろ!

今まで私は暴君に従ってきた。
何年も何年も従ってきた。
だが・・・もう限界。

この限界が証拠となる。
人は限界に達したとき、決断が出る。
この決断は苦渋の選択かもしれない。
だが、それでいいのである。
人生の苦渋の選択は誰にもある。
私にもあるし、皆にもある。
その選択によって人生は決まる。
それから先は落胆より、希望に変えよう。
希望に変えなければ、今まで努力したことが無駄になる。
さあ!希望に変えよう。
私も手伝う。