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私はいつも思っている。(幸せはいつもちょっとした先にある)と。
人は苦境に立たされたとき、いつも不幸を感じる。
もうダメだ。終りだ。この先この悪い状態がずっと続くと恐れる。
この状態がずっと続けば確かに不幸だが、そんなことは決してない。
人間には逆境を乗り越える心理的免疫システムがある。
この心理的免役システムは誰しも持っている。みんな持っている。
あとはこのシステムを発動すれば良いだけのこと。

苦境を乗り越える心理的免疫システムとは、人間の心は弾力性を持っているということです。弾力性が危機に遭遇したとき、最初は落ち込むが、時間の経過と共に立ち直るという役割を果たします。人間の心には弾力性があるので、いつまでも落ち込んでいるわけにいかない免疫システムがあるのです。要するに、早く心理的免疫システムを発動した方が立ち直りは早いということです。

心理的免疫システムの発動は人によって差があります。
早いか遅いかの差です。
三日で発動する人もいれば、3年かかってやっと発動する人もいます。
早く幸せになれるのは、もちろん前者の方です。後者は長く不幸の旅が続くでしょう。
幸せはこの心理的免疫システムをいかに早く発動するかにかかっています。

仕事で落ち込んだとき、恋愛で落ち込んだとき、結婚生活で落ち込んだとき、人間関係で落ち込んだとき、いかに早く心理的免疫システムを発動するかです。単純にいえば、成功者は発動か早く、成功しない人は発動が遅いということです。

なぜ成功者は発動が早いのか?それはそのことについて勉強しているからです。逆に成功しない人は勉強などしていません。こんな素敵な方法があったなんて知らなかったのです。今日あなたはここで勉強することになります。だから今日からあなたは心理的免疫システムを早く発動させる側の人間になれます。

苦境を乗り越える人は、危機を成長のきっかけとします。
そして、危機は最初に思ったほど絶望的ではないと考えます。
危機は人の前向きな成長の土台となると考えます。
そのような考えを持つことで、逆境を乗り越える心理的免疫システムが発動します。
もちろん戦いはあります。
こちょばゆい戦いがね。
私はこちょばゆい戦いを楽しんでいます。
不安があるからこそやる気が出る。
怖いからこそやる気が出る。
批判・非難にさらされているからこそやる気が出る。
不安よ恐怖よ批判よ非難よ、オマエらを見返してやる。
「倍返しだ」と息巻く。
不安はこちょばゆい。恐怖もこちょばゆい。人の批判や非難もこちょばゆい。行動しているときはこれらのネガティブはこちょばゆく感じるが、止まっているときは恐怖に感じ、不安に苛まされる。だから立ち止まってそのことを悶々と考えてはダメ。前進するのだ。こちょばゆく感じながらも前進するのだ。

幸せはちょっとした先にある。
このこちょばゆく感じた先にある。
つまり、心理的免疫システムを発動させて、努力している最中に幸せはある。



多くの人が選択で迷います。
「人生は選択の連続だ」この言葉は誰もが耳にしたことがあると思います。
人生は選択、人生は選択の連続だ、とね。
選択は人生で避けて通れない。
だが、多くの人は選択で迷います。
とくに人生を左右する大きな選択は決められないで迷い苦しみます。

この仕事を辞めるか続けるか、恋人と別れるか続けるか、離婚するかしないか、住み慣れた街を引っ越すか引っ越さないか、別れた恋人と復縁するか新しい人を見つけるか、夫(彼氏)、妻(彼女)の浮気を許せるか許せないか、人生の大きな選択は別離に集約されます。辞めるか辞めないか、別れるか別れないかの選択です。多くの人はその選択で迷います。そして決められなくて苦しみます。

選択で苦しまないために。
世の中には、選択で迷わない人もいます。

どういう人たちなのでしょう・・・・・・選択で迷わない人とは。

それは目標を持っている人です。

「目標なら私にもあります」と、あなたはいうかもしれません。
目標があって選択で迷うようなら、それは目標とはいいません。
口先だけの目標か、目標が単にぶれているだけです。
「ぶれない目標」これが選択で迷わない人です。

ぶれない目標を持っている人には計画があります。
1日単位、一週間単位、月単位、年単位の計画があります。
彼らはその計画に沿って人生を遂行し楽しんでいます。
計画を邪魔するものは排除し、無駄な時間を過ごそうとはしません。有意義な時間だけを過ごすよう努力しています。美と健康に努め、心と体の健康を保ちながら脳の筋肉も同時に鍛えています。目標のある計画は、選択で苦しまないためのものと彼らは心得ています。

そんな彼らが人生最大の別離の危機に遭遇すると、選択はどちらでもいいのです。仕事を辞めてもいいし続けてもいい。恋人と別れてもいいし続けてもいい。離婚してもいいし離婚しなくてもいい。引っ越してもいいし引っ越さなくてもいい。別れた恋人と復縁してもいいし新しい人を見つけてもいい。夫(彼氏)、妻(彼女)の浮気を許してもいいし許さなくてもいい。どちらでもいいのです。彼らには目標があるのですから。そしてその目標を達成する計画もあります。彼らの選択は、目標を達成する計画に沿って選択をしていくだけです。だからどちらでもいいのです。どっちに転んでも彼らはうまくやれます。目標のある計画とはそういうものです。

それって冷たいじゃないですか?
人の気持ちや感情は・・・。
心配には及びません。
彼らには温かい心があります。
人を許す包容力があります。
心に余裕があるのです。
目標のある計画は、そういう人間を作るからです。
だから彼らは選択で迷うことはありません。
「人生は選択の連続だ」その言葉は彼らに与えられた言葉です。
目標がある人にね。


人間を作るのは安楽な生活ではありません。
堕落した放蕩な生活では後から負債の請求書が送られてくるだけです。ほとんどの人間は何かをせざるを得ない状況に追い込まるまで何もしようとしません。また、追い込まれて何かをしようとしても、今度は選択の幅に阻まれて苦しみます。便利な生活、安楽な生活、安全地帯の危険を避けた生活に長くいると、人間は決断力が乏しくなり優柔不断となります。何かをしようにも決められない人間になってしまうのです。

そういう人が恋愛をすると苦しみます。
相手は安楽な生活をあなたに与えくれません。
相手は便利にあなたに使われるだけではありません。
相手はあなたに安全地帯を提供して危険を避けさせるわけではありません。
そういったことをするのは最初だけです。
相手は、最初の恋の賞味期限が過ぎると、人が変わったようにあなたに冷たくなります。
連絡頻度が薄くなり逢う頻度も薄くなり、あなたを恋の危険地帯へと招きます。
相手は安楽な生活をあなたに与えくれません。
相手は便利にあなたに使われるだけではありません。
相手はあなたに安全地帯を提供して危険を避けさせるわけではありません。
あなたに与えるのは負債の請求書だけです。

負債の請求書。
多くの女性がそれを試練と言いますが、私はそれを試練だと思っていません。こういった流れを何万人と観ているので、これはもはや試練ではなく今の風潮、ごく普通にある当然の流れだと認識しています。この流れを一般では非常識と呼ぶかもしれませんが、これだけ多ければ、非常識と単なる言葉で片付けられる問題ではないと思います。この流れは便利な世の中が生んだ副産物といっていいでしょう。

さて、負債の請求書を彼から送られたあなたへ。
どうします?
このままただ悩んでいるだけでいいのでしょうか。
悩むだけなら負債額は増えるだけです。
やがて、大きなストレスとなってあなたを蝕むでしょう。
こんな最悪な事態でも、幸せになる方法があります。
それは、「高い精神力」を身につけることです。
そして身につけることを苦痛と思わず、楽しむことです。
それによって幸せは訪れます。
人間を作るのは、
安楽ではなく努力です。
便利さではなく困難です。
順調なときより不調のときに前向きな考えを持てるかです。
疑うより自分と相手を信じることです。
安楽・便利・安全地帯にいる人間では自分を作ることはできません。
人間を作るのは、困難に立ち向かう努力です。
困難に立ち向かう努力によって、高い精神的な楽しみが生まれます。
そのとき人はしあわせです。




私たちの考えている問題は、結果的には、災い転じて福となります。
恋人と別れ、仕事を失い、夢をあきらめ、将来に希望がまったくの持てない大問題でも、時が経つにつれて、そういった問題は形を変え、前より良くなり、より幸せで、より満足させるものとなります。

そのために、挫折は問題と呼ばないことです。
挫折は、チャンス。「さらに素晴らしいものを創造する絶好の機会だ」と呼ぶことです。挫折は、「安全地帯から出なさい」とあなたに警告しているのです。ぬるま湯の生活で、なにも苦労せず、労せずうまく切り抜けようとしている生活では、決して成長しません。安全地帯から出ることです。さあ、挫折を機会に変えて自立をしましょう。未知なる世界へ飛び込むのです。リスクを新しい発見とみなし、可能性を広げることです。挫折は問題でなくチャンスなのです。さらに素晴らしいものを創造する絶好の機会をあなたに与えたのです。

災難のとき、最初はとても苦しいものです。この世の終りだと思うかもしれません。でも、人間はこの世の終りの時間に長くいることはできません。時が経つにつれて、そういった考えは形を変えいくものです。この世の終りだと思っていても、数年後にはこの世の春を満喫し、自分をハッピーにするのが人間の力です。災難からしばしば偉業は達成されます。そういう見本がこの世にたくさんあることを忘れないでください。

災難、挫折、などの難題のお陰で、あなたは見事に最善を尽くし、見事に輝いている自分を創り出すことができます。そこに向かっている自分が素敵だと思いませんか。そうハッピーにポジティブに楽しい人生の旅を続けることです。


コメントの中から。
今の私は、彼氏にお別れ宣言を先週され今週一週間が地獄の様に感じています。お互い罵りあう大喧嘩をしてしまいました。売り言葉に買い言葉なのかもしれませんが、その時に彼に言われた人格を否定する言葉達が胸に刺さって抜けないままでいます。どうしても表情に寝不足や毎晩涙してしまうために疲労感が出てしまい、職場でも気を使われてしまっている気がします。そして、全てに対して自分に全く自信を持てなくなりました。彼に言われた言葉で私の会話はつまらないといわれ、人と会話するのが怖くなりました。それでも、確かに仕事もあり、好きなものを飲み食い出来るだけのお給料も貯金あり、屋根のある家で不自由なく暮らせていることを幸せに思うべきなんだと、今回のブログから感じました。

幸せは主観的なもので、それぞれ違う。
不幸も主観的なもので、それぞれ違う。
幸せも不幸も主観的なものなら、自分の心でどうにでもなる。

ここで証言しよう。
男性が言った言葉は全部嘘です。
嘘が適切でないなら、感情的になって言い方を間違えたと言っていいでしょう。人は争い事になると、自分の身を守るため相手をやっつける傾向があります。親しい中ほどその傾向が強く、夫婦や恋人はその犠牲者になりやすい。本来なら感情的にならず冷静に間違いを正せばいいものを、人生経験が不足している若い人はついかっとなって相手をやっつけてしまうのです。付き合いが深くなればなるほど相手の欠点がよく解るので、これを言えば相手をやっつけることができる。だから、たまった鬱憤をすべてここにはき出すことになるのです。彼氏から言われた人格否定の言葉は、他人にはない的を射る言葉なので相当傷ついたと思います。

愛する彼女を人格否定の言葉でやっつける。
バカだな。忍耐力ないね。まだ成熟していないね。若いね、知恵が足りないね。プライドだけが一人前で能力は半人前だね。男としてはまだまだ未発達だね、成功にはほど遠い。という感想しかありません。この場合、傷つくよりその程度の男かと判断するべきです。

言った本人はどうかというと。間違いなく気分を悪くして落ち込んでいます。心にもないことを言った・・・と深く反省しているのは事実です。彼女をやっつけて平気でいる男性はこの世にいません。いるとしたら神か悪魔です。彼は神でも悪魔でもありません。プライドだけが高い心の弱い人間です。心の強い人間が愛する彼女を人格否定でやっつけるはずがありません。心の弱い人間だけが彼女をやっつけるのです。

では、その後どうすればいいのか?
あなたは心の弱い人間に人格否定されただけです。
だから、あなた自身が強くなればいいのです。

強くなるために私なら彼の言った言葉を反対語にします。
私の会話はつまらない・・・私の会話は面白く友達はみんな喜んでくれる。
あなたの会話の方がつまらない。仕事の話ばかりで学の低さが分かる。
オマエはブスだ・・・私は美人だ。
オマエといると疲れる・・・私といると楽しい。
女はメンドくせぇー・・・男の方がメンドくせぇー。
オマエはバカだ・・・私は天才よ。
オマエのこと好きではない・・・私のこと大好きなんだ。
彼の批判を賞賛に変える。
彼の否定を肯定に変える。
つまり、男の悪い言葉は、反対語に変える。
これを心の中で念じると強くなります。

幸せとは反対語にすることです。



不幸探しの女性がいる。
その女性は幸福を見つけるのが下手。
自ら幸福になることを否定している。

せっかくこちらが前向きなアドバイスしても、不幸探しの習性が染みついているのか、前向きなアドバイスを否定する。

「おいおい、それじゃダメですよ。あなたのためを思って、私が全知全能をかけてアドバイスしているのに、それを否定したら意味がありませんよ。」
そう言われて女性は「はっ」と我に返った。
(私はいつも否定ばかりしている)と気づいたらしい。

ここまできたアドバイスも、二人で何時間も話し合って決めたこと。現実に即した可能性をありとあらゆる方向から探り、現状で起きたことも、時系列に何時間も具体的に聞きながら、こうした方がいいだろうとたどり着いた答え。彼の性格を十分に把握し、相談者の性格も十分に把握している私の知識を余すことなく、私の全知全能をかけたアドバイス。占いだけでなく、私と相談者の二人の会話による共同作業で見つけた答え。話している途中で本人も納得した答え。その最終的な方向性のアドバイスを否定する。

それが傷ついた女性の特徴とはいえ、それでは前に進まない。何も解決しない。ただ振り出しに戻るだけ。そして、堂々巡りの悩みが続くだけ。

決められない。
これがこの世界の現状かもしれない。
苦境で苦しみ、悲しみに明け暮れた女性たちは決められない。
マイナス思考でネガティブに支配された女性たちは決められない。
不幸探しをしている女性たちは決められない。
なぜ決められないのか?
それは、
心の中で犠牲者の役を演じているからだ。

私の仕事はこの役柄を変えること。
あなたは犠牲者ではない。
今日からあなたはヒーローだと、演じる役を変えること。
もう犠牲者の役は終了。
明日からあなたはヒーローだ。
と。

不幸探しから幸福探しに廻る。
不幸を多く探すより、幸福を多く探した方がいい。
どんな小さなことでも不幸に反応するのでなく、どんな小さなことでも幸福に反応しよう。

長い時間かけて導いた答えも、ちょっとした不幸の考え、ちょっとした否定の考えで、台無しにしてしまう。
台無しにしてしまったら、いつまで経っても幸せになれない。
堂々巡りの不幸が続くだけ。

これからは、
不幸探しをするのでなく、幸福探しをすること。
そのために、心の中で犠牲者の役をこれ以上演じないこと。




楽観主義者は失敗を一時的なものと考える。
悲観主義者は失敗を永遠に続くものと考える。

悲観主義者が失恋すれば、自分の人生は終りだ、自分は一生幸せになれないと考える。
楽観主義者が失恋すれば、自分の人生はこれからだ、次にいい人が見つかると考える。

悲観主義者が仕事で失敗すれば、挫折感に苛まされ無気力になる。
楽観主義者が仕事で失敗すれば、失敗をテコにさらなる上を目指す。

楽観主義者と悲観主義者。世の中には二人の人間がいるとすると、
あなたはどちらを目指しますか?

私はどうか?というと、
私は、楽観主義者も悲観主義者も目指さない、私は現実主義者を目指す。
現実から逃げない、現実に責任をとる人間を目指す。

若い頃は悲観主義者だった。
失恋したときは、生きる希望を失った。
悲しみのあまり、思いでの場所をあてもなく彷徨い、失恋ソングで傷ついた心を癒やす日々が続いた。当時は失恋ソングがやけに流行っていた(苦笑)。思いでの街をあてもなくふらついたときに街頭から流れる音楽はいつも悲しみを増長させる失恋ソングばかり。切なさのバラードをバックミュージックに、横浜の伊勢崎町や山下公園、東京の渋谷や新宿をうろついた。幸せそうなアベック(現在はカップルという)を見れば嫌な気分(おそらく嫉妬)になって、ここにいる全ての人が幸福そうに見えた。その中で自分だけが不幸に見えた。周りが羨ましい・・・自分はなんでこう惨めなんだ・・・くそ。やるせない気持ちが自分をどんどん無気力にしてしまった。あのときはこの惨めな気持ちが永遠に続くと思った。

だが、それは短かった。人間には再生能力がある。自助能力というのか、自己改善能力というのか、よく分からないが、人間はどん底から這い上がる再生能力がある。時間が解決してくれるという天の摂理に従えばどんな苦しみもやがて過去のものとなる。三月で傷は癒え、1年後にはすっかり元に戻った。元に戻ったけど、心のどこかに失恋の傷を抱えたまま。それがまた次の失恋を生む。証拠にもなく繰り返し失恋する。何回失恋したのだろう?自分でも覚えていない。一度植え付けられた心の傷は消えないのか、それがトラウマとなって自信をまたなくしてしまうのか。度重なる失恋によって、内面に生まれる心的状態がおかしくなり、感情・ 感動・情熱などが無気力となり、ペーソスとなってしまった。しばらくペーソスの期間が長かったと思う。だが、人間はそのペーソスからも立ち直る。人間の再生能力は凄い。全部時間が解決してくれる。天の摂理に従って時間を味方につければ、どんな問題も解決できる。そのときは解決できなくても、時間が来れば解決している。悲しみは一生続かない。それを覚えた。

時間が解決してくれることは覚えたけど、時間がかかり過ぎた。思えばずいぶん無駄な時間を過ごしてしまった。なぜ?ここまで時間がかかったのか、それは現実から逃げていたからだ。悲観主義者は現実から逃げる。逃げれば時間が解決してくれると分かっているからだ。だが、根本では何も解決していない。逃げては何も解決しない。また次に同じ過ちを繰り返すことになる。では楽観主義者の方がいいか、悲観主義者より楽観主義者の方がいいだろう。だが、楽観主義者にも欠点がある。それは現実離れした妄想を抱くからだ。現実を無視した妄想では何も解決しない。それも逃げているに過ぎない。問題を解決するには事実に即した現実に逃げずに向き合うこと。これしかない。現実から逃げるな、全部自分の責任だ、と自分に言い聞かせるしかない。今の苦境は全部自分の責任だ。自分が選んだ仕事も、自分が好きになった相手も、うまくいっていないのは全部自分の責任だ。現実主義者になるには、それらの責任を認めること。そこから事実に即した解決策が見えてくる。事実に即した解決策は、逃げることではない、戦うことである。相手の批判・非難に対して勇気を持って戦うこと。自分の怠惰・怠慢に対して勇気を持って戦うこと。自分を信じて。これが現実主義者の生き方。私はそれを目指す。



川越占い館に来るしあわせ。
そう言ってくれると、くすぐったいほど照れますね。
私の願いは皆さんが幸せになってもらうこと。皆さんの幸せを願って戦略的に計画を立て、今の問題をどうクリアにするか、事実に基づいた構想、楽観主義より悲観主義より現実主義で計画を立てることにあります。


幸せは主観なので、周りと比べないことからスタートすると思います。
あとは本当に多少の心配はあるけど、元気で、毎日通う会社があり、おいしいご飯があり、おいしいお酒があり、それが何と幸せなことか。

会えなくても離れていても繋がっていなくても想える相手がいるということです。

国際恋愛で2年間お付き合いしていた彼が頭に浮かびました。嫉妬や距離からの不安で終わりの見えない遠距離に終わりを告げました。遠距離だからこそ話せる どうでもいい日常話。テレビ電話 日常の些細な事を好きな相手に共有して一緒に笑えることが幸せでした。

幸せとは、大切な人がそばにいることです。家族も恋人も、大切な人がわたしにはいます。

個人的には、大きな出来事がない事、(地震、事件、事故、戦争など)何でもない、いつもの日常が普通に毎日来ることが幸せです。屋根がある、危険に身をさらされないで生活できる家=国家がある。自分にはそれが全ての幸せの根幹です。

イライラしたり、ガッカリしたり、イヤな気分にならないでいられることが幸せ。

自分のそれまでの人生、その時点の生活、状況、全ての自分自身をふと省みた時に、それを自分自身で認められること、肯定してあげられること。

幸せは揮発性ってどっかの本に書いてありましたがその通りだと思います。
絶対、完璧な幸せってなんでしょう…(笑)

人間、どんなことがあっても生きていかなきゃならないし、生きていれば幸せだと思えるものてすよ。だから私今51歳ですが、最高に幸せです。

その瞬間は気づかないかも。後で振り返った時、あー幸せだったんだと気づいた。好きな人とデートしてる時は、幸せだったなー。

大好きな人と一緒に過している時。好きなことをしている時。そのプロセスそのものを経験できていることが幸せなのかなと思います。

現状に満足することなく、いつも少しお腹が空いた状態に自らを置く。今日という日を健康に笑顔で過ごせた事に感謝しながら眠りに就く。幸せとは何かを成し遂げた先にあるものではなく、今ここに在ると感じる心だと思う。

私にとって幸せとは、なーんにも努力しないで向こうからやってくるもの


幸せは主観的なもので、それぞれ違う。
不幸も主観的なもので、それぞれ違う。
幸せも不幸も主観的なものなら、自分の心でどうにでもなる。
不幸を追い払い、幸せを取入れるには、どんな時でも幸せ気分でいること。朝から晩まで幸せ気分でいること。たとえ嫌な気分に面しても、すぐに気持ちを良い気分に切り替えること。
幸せは主観的なものだが、自分で作ることもできる。ただ、良い気分で一日を過ごせばいい。そうすれば、毎日が幸せでいられる。


成功とは、成功したから幸せになるのでなく、幸せだったから成功したのである。
成功するには幸せを先行させること。まず幸せになることを探し、幸せだと思うことを探すこと。どんな小さなものでもいいから幸せを見つけること。たとえ今は不幸でも、最悪な状態でも、とても幸せな気分になれないとしても、頭を切り換えて小さな幸せを見つけることから始めよう。小さな幸せを積み重ねれば、幸せはどんどん大きくなり、やがて心が幸せで満たされる。心が幸せになれば、どんな問題でも前向きに解決でき、成功も手に入る。成功するには自分の心を幸せで満たすこと。さあ、今日から幸せを先行させよう。




幸せは主観的なもの。自分の心の持ちようで幸せになれる。
幸せが主観的なものなら、自分で幸せを見つければいい。
また、「いつだって自分は幸せだ」と思うようにすればいい。
幸せだと思うようにするには、不幸を排除すること。
不幸は寄せ付けない、と決めること。
目の前の不幸は、じつは不幸でなく幸せだと、不幸を幸せに反転すること。

私の幸せのあり方は、いつでも何処でも何時でも幸せを感じるようにしている。日常の生活でも、仕事の中でも、友人との人間関係でも、家族といるときでも、趣味やスポーツに嵩じているときでも、独りのときでも、幸せを感じるようにしている。今まではなかなかそれが出来なかった。だが、これからはいつでも何処でも何時でも幸せを感じるようにしていきたいと思っている。まさしくこれは訓練、身体と脳と思考の訓練だ。

私の訓練はまだまだ続く。
これからやっていく訓練は、不幸を幸せに反転する訓練。
不安、恐怖、怒り、恨み、嫉妬、悲しみ、落胆、悲観、怠惰、その他のネガティブ要因。不幸になるネガティブ要因をポジティブな考えによって幸せに反転することを心がけようとしている。

これは難しい・・・・・・。ネガティブな力は恐ろしく強い。それを変えるのはなかなか至難の業。
いつもそうしようと思って負けている。ネガティブに負けて打ちのめされている。このままではダメだと思いながら、いつも打ちのめされている。自分も並の人間、じつに弱い。弱いけど、なんとか立ち向かっている。生きている間、ネガティブは避けられない。なんとかこいつらを僕にして、踏み台にして、レバレッジをかけて、ジャンプできないかなと考えている。またこいつらを生きる肥やしにして共存できないかなと考えている。全てが順調でうまくいくことが幸せではない。平坦な道が幸せであろうはずがない。平和な暮らしにこいつらが現れて平和な暮らしをかき乱して邪魔をする。いつもそう、こいつらは人の幸せを邪魔する。なぜ邪魔をするのか?これは「警告だ」と思えばいい。そうネガティブは警告なのだ。

警告か?
ならば、こいつらと共存するか。
調子こいている自分を戒めてくれる(事前に注意してくれる)。
不安があるから人間は手を抜けず頑張れる。
頑張れば不安は単なる思い過ごしだと分かる。

不安、恐怖、怒り、恨み、嫉妬、悲しみ、落胆、悲観、怠惰などのネガティブ要因は、みな不幸になる警告だ。

警告だから、警告に従って前向きに頑張ればいい。
警告に怯えて、後ろ向きに逃げるから不幸になる。
どうせ自分はダメだと思うから不幸になる。

不幸と幸せは隣り合わせ。
警告を上手に取入れて、奮起すれば幸せになれる。
警告を下手に取入れて、落胆すれば不幸になる。
すべてが心の持ちよう。

毎日が幸せ、小さな幸せを見つけかたは、そんな難しく考えなくていい。ほんのちょっとしたことに気をつけて改善すればいい。毎日小さく起こる不安を、上手に摘み取って、(ああ、いま自分は不安のことを考えている)・・・その瞬間に別のことを考えればいい。別の楽しいこと。嬉しいこと。希望のこと。空を見上げるとか、綠の草花を見るとか、音楽を聴くとか、そういうことをして、楽しいことに瞬間移動すればいい。不幸の虫はいつでもそうやって断ち切ることができるものだよ。やってごらん。

ちいさな積み重ねがやがて大きな力となる。
そして、その先にあるのは、「困難が幸せ」だと思う強い心。

困難が幸せ。
自分はその思考を目指している。
脳を鍛えて鍛えて、その思考に近づける努力をしている。
そうでないと、この仕事はできない。
皆さんがたくさんの困難を持ってくるから(笑)
一緒に困難を幸せだと思うことにしよう。
困難を乗り切るのは楽しいではないか。
その心を持ってすれば、問題は解決できる。



あなたの幸せはなんですか?
幸福とは主観的なもので、誰にとっても同じではない。つまり、人間一人ひとり幸せの感じ方が違う。美味しいものを食べているときが幸せと感じる人もいれば、好きな人デートしているときが幸せと感じる人もいれば、寝ているときが幸せだと感じる人もいれば、仕事で成功を収めたときが幸せだと感じる人もいれば、困難に立ち向かっているときが幸せだと感じる人もいるだろう。

あなたの幸せを教えてください。
コメントお待ちしています。


幸せとはなんだろうね、ふわっとした喜びかな。大きなことを成し遂げたときの天にも昇るような大きな喜びもあれば、日常生活でちょっとしたプチ贅沢での小さな喜びもある。喜びを感じる幸せの許容範囲は広い。

誰もが幸せになりたい。
だが、幸せは長く続かない。
幸せは一瞬で終わる。
またすぐに現実に引き戻されてしまう。
長期休暇が終り、ああ~明日からまた仕事か、ちっとも幸せを感じない現実が、また明日から待っている。気が滅入るな・・・憂鬱だな・・・こんな感じで、ちっとも幸せを感じない日々があなたたちを向かい入れる。

幸せがもっと長く続くといいな。
朝から晩まで一日中幸せだといいな。
毎日朝から晩まで幸せ。寝ているときも幸せ。24時間幸せ。365日幸せ。
こんな暮らしをしてみたい。
あなたもそう思いませんか?私もそう思います。
それで、私自身密かにそうなろうと決心しました(エヘ)
小さな幸せを見つける。(小さい秋みつけた・・・)みたいな幸せです。
どんな小さなことでも幸せに変える。
こんな思考回路の変換を試みようと思っています。

小さな幸せの見つけ方は、初心に戻ること。
人はハネムーン効果が終わると、気が滅入る現実となってしまう。
ハネムーン効果とは初心のトキメキである幸福感。
仕事でも恋愛でも結婚でも初心のときは幸福感を感じるが、しばらく経つと初心を忘れて幸福感が薄れてしまう。最初に仕事に就いたときの初心。最初に恋愛したときの初心。最初に結婚したときの初心。仕事に生き甲斐ややり甲斐を感じたときの初心、好きな人がいるワクワク感やドキドキ感の初心、結婚した相手と将来を共に歩むと約束した初心。ハネムーン効果が終われば人は初心を忘れてしまう。

ハネムーン効果が終わった後は、仕事はしんどくやる気が起きない。恋人を粗末に扱い、音信不通にして何ヶ月も逢っていない。結婚生活が長くなれば「亭主留守で元気がいい」と働く夫を粗末に扱ってしまう。

初心を忘れている。
愛を忘れている。
仕事に愛情を感じなくなり、恋人に愛情を感じなくなり、夫や妻に愛情を感じなくなり、あの初心の愛はどこへいった?
これでは幸せになれない。
人はハネムーン効果が終わると、気が滅入る現実となってしまう。

初心を取り戻そう。
毎日を幸せにするのは、まずは初心の心を取り戻すこと。
自分も今日から初心を取り戻す。
活力のある日々を再認識する。
頑張ろう。