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「このブログを読めば、それなりに成功できる。」大袈裟なタイトルだが、今朝目覚めたら私の意識がそのタイトルを書くように指示した。私の直観かな。朝5時に起き、新鮮な空気のもとに散歩に出かけ、頭をリフレッシュして家に帰り、机に向かってパソコンの前に座ったとき、このタイトルが浮かんだ。「このブログを読めば、それなりに成功できる。」大袈裟かな、自慢かな、自惚れかな、自分を何様だと思っているのだ、このタイトルが傲慢では?などという気持ちはさらさらない。自然に出てきた。自分の潜在意識の直観で。自然に出てきたものだからしょうがない。

ブログを書き始めて14年。
思えばそれがテーマだったのかもしれない。
「このブログを読めば、それなりに成功できる。」
それだ!
それを目指して、私は14年間ほぼ毎日ブログを書いて来た。
10年以上毎日ブログを書ける人はそうそういない。
みんな途中でへこたれてしまう。
成功するコツはへこたれないで続けること。
「継続は力なり」私は身を持って示してきた。
だから、「このブログを読めば、それなりに成功できる。」このタイトルで間違いない。

このブログを読めば成功できる。
このブログを読めば、恋愛がうまくいき、結婚生活がうまくいき、仕事がうまくいき、人間関係がうまくいき、健康で豊かで幸せな人生が手に入るようになる。成功できるとは、分相応のもの。決して高望みではない。人間は自分の器の分しか成功できない。自分の実力の分しか成功は手に入らない。大きな成功を収めたいのなら自分を大きくする努力を賢明にすればいい。燃えたぎるような情熱で人の2倍3倍働いて不眠不休で努力すればいいだろう。志を大きく持てば、人間には力があるので、それに見合った心と体ができてくる。それに見合った心と体ができれば、大きな成功も夢ではない。ここで目指しているのはプチ成功。スーパー偉人たちのような成功ではなく、誰にでもできる成功を目指している。

「成功」という言葉が嫌いなら、「幸せになれる」でいいだろう。
誰しも幸せになりたいはずだ。
このブログを読めば、幸せになれる。
このタイトルに変えてもいい。

だが、私は男だ。
「幸せ」という言葉はこちょばゆい。

なんか・・・女っぽくて嫌だ。
男が使ってはいけない言葉のように感じる。
やはり男は「成功」だ。
成功哲学だ。成功法則だ。
これが男っぽくて良い。この方が好きだ。
だから、タイトルは「このブログを読めば、それなりに成功できる。」にする。
ワガママでごめん。

というわけで、私の今朝の直観の独り言。
お付き合い頂き、ありがとうございました。


「このブログを読めば、それなりに成功できる。」
今朝の直観とはいえ、こんなたいそうなタイトルつけていいの?
という心配はしていません。
どうやってみんなを成功に導くの?
という心配もしていません。
なぜなら、ずっとこんな調子で書いてきたからです。
私が書いた記事、ひとつひとつには何らかの成功法則があるからです。
読む人は読むし、読まない人は読まないでしょう。
だから、ぜんぜん気にしていません。
ただ残念なのは、読まなかった人。
せっかくこのブログが人生の成功法則の佳境に入るのに、読まないと損すると思います。
きっと、何らかのタイミングで読まなかったのでしょう。
でも、ご安心ください。
このブログは逃げやしませんから。
数年後にまた機会があれば読んでみてください。
きっとあなたの何らかの役に立つはずです。



人間はどうでもいいことでクヨクヨ悩む。
悩みのほとんどは、どうでもいい小さなことばかり。
よくもまあ、次から次へと思い出して悩むものだ。
悩みの大半は過去の出来事から来ている。
未来の不安も、過去の悩みが中心となって起きている。

人間とは過去に生きている生命体なのかもしれない。
だから、過去を思い出して悩む。ポジティブな過去もあっただろうに、思い出すのはネガティブな過去ばかり。ポジティブな過去は3%で、ネガティブな過去が97%。過去の思い出は、こんな構成でできている。この比率は私の直観によるもので、科学的な統計はない。だが、大体こんなものだろう。皆さんのお話を聞くと、97%がネガティブなお話ばかりだからだ。ああ、人間とは過去に生きている生命体なんだな・・・というのが、この仕事をしてみれば分る。

人間は過去の煩悶(はんもん)に支配されている。
煩悶を今の言葉に訳すと(モヤモヤ)である。
人間は過去のモヤモヤに支配されている。
このモヤモヤが今も出てくる。
外に出れば、晴れた4月の爽やかな季節なのに、自分の心は晴れていない。
いつも曇っている。モヤモヤと。
こんないい天気なのに、心が晴れない。
なぜ心が晴れないのか?
心の中にいつもモヤモヤが残っているからだ。

よく考えれば、この悩みは大したことない。
今を生きるのに何ら支障はない。明日をしれない重い病気を持っているのならともかく、あなたはそれなりに健康だ。また明日を知らない重い病気を持っている人の方が、健康な人より達観した覚悟を持っているので悩みはそれほどないかもしれない。それに比べて健康の人の方がよく悩む。どうでもいい小さなことでクヨクヨ悩む。あなたは健康だ、あなた次第でこれから良くなるという希望を持たないで、ただいたずらに悩む。どうでもいいことをただ悶々と悩む。よく考えれば、この悩みは大したことない。これを自覚するべきなのに、自覚ができていない。

どうすれば、この悩みは大したことないと自覚できるか?
私のやり方を教えよう。

私だってモヤモヤはたくさんある。
モヤモヤは日によって違う。
昨日は好調でも今日は不調だということはよくある。
また今日一日でも、好調と不調の波(経時変化)がある。
朝の7時から10時までは気分良かったが、10時5分にふと嫌なことを思い出して午後12時までモヤモヤすることがある。追い出し方を知らないとモヤモヤは頭にはびこる。頭にこびりついて、このモヤモヤが嫌なドラマを作る。ネガティブドラマが楽しいのかどうか分らないけど、いつまでも頭の中で演出され途切れない。さらに自分が監督となってネガティブドラマの指揮をとっている。自分が監督だからやめられない。だから、いつまで経ってもモヤモヤが頭の中から離れない。

そこで考えた。
どうやってこのモヤモヤを退治しようかと。

まず、人間には煩悶(モヤモヤ)はいらないこと。
モヤモヤしている時間があれば、他のことに集中すること。
他のことに集中するためには意志を使うこと。
意志は気を入れて打ち込めば強化される。

だから、今は何事も気を入れて集中してやっている。
そうすると他のことは考えないで済むので、モヤモヤは入り込まない。

さらに、次元の高い考えを取入れること。
目標ができたら、あとは潜在意識に任せる。
目標は顕在意識に任せない。顕在意識に任せるとモヤモヤばかりが出てくる。
だから、目標ができたら、あとは潜在意識に任せることにしている。
これをやって、モヤモヤが消えた。
不安も恐怖もなくなった。
「目標ができたら、あとは潜在意識に任せる」これが私の今の最高のやり方です。




「ボーと生きてんじゃねーよ」これが意志の使い方だと前回説明した。
今回はこの続き。
意志とはなんだ?意志とは集中することだ。
だから、「ボーと生きてんじゃねーよ」は正しい。

そして、何事も気を入れてやること。
仕事も勉強も家事も、車の運転も、自転車に乗っているときも、歩いているときも、スポーツのときも、体を動かす運動のときも、本を読むときも、人と会話するときも、思考を活用して目標を立てているときも、具体的な計画を立てているときも、今日一日やることすべてに対して真剣に気を入れてやることだ。それじゃ疲れるのではないか?それが、以外と疲れないだよね。気を引き締めてやることはそんなに疲れるものではないよ。ボーッとやろうが、気を入れてやろうが、疲れることに大差ない。慣れてしまえば、ボーッとやった方が疲れるし、気を入れた方が疲れない。

それよか「ボーッと生きている方が大変なことになる」。あとからどんどんと疲れることになる。人間の疲れの原因は心の内側から発生していることが多い。つまり心の病だ。心が病めば、ちょっとしたことでも疲れやすくなる。階段を上って疲れ、仕事をして疲れ、うまくいっていない彼とデートして疲れ、酷くなればご飯を食べて疲れ、睡眠して疲れることになる。疲れは生命の危機、人間の生理現象さえ狂わすことになる。だから、ボーッと生きていると大変なことになる。気を入れて生きた方がいい。

正しい心の使い方は、何事も気を入れてやること。
これができない人は、心を正しく使っていないことになる。
気を入れると疲れることばかり考えているから、気を入れようとしない。
ただ、楽をしたいことばかりを考えている。
まあ、リラックスすることはいいことだ。
疲れたら休めばいい。
仕事から帰ったら3時間も4時間もテレビを見ればいい。
あるいは、3時間も4時間もスマホのゲームをすればいい。
どうだ、リラックスできたか?疲れは取れたか?
中にはリラックスできた、疲れが取れたという人もいるだろうが、大半の人は「逆に疲れた」という人の方が多いのではないだろうか。
少なくとも、向上心を持っている人はそうなるはずだ。
向上心を持たない人は疲れないが、向上心を持った人は疲れるはずだ。
このブログを読んでいる人は、みんな向上心を持っている人だと思う。
だからこのブログを読んでいるのだろう。

さて、向上心を持っている人集まれ。
今日から正しい心の使い方を学ぼう。
私の教えは疲れることはなにもない。
私の教えは元気になることだ。
明るく前向きになることだ。
その心を持てば、正しい心の使い方ができるようになる。
正しい心の使い方ができれば、悩みはなくなる。
悩みのもとである、困難そのものが面白くなる。
問題を一個一個解決していく自分が楽しくて嬉しくなる。
心を正しく使えば、人生が豊かになる。
そのために心を正しく使うことだ。
さあ、今日からやること全部に気を入れてやろう。


心を強くすれば、人生そのものが良くなり、あなたが望んだ人生が送れる。
仕事もうまくき、恋愛もうまくいき、結婚生活もうまくいき、人間関係もうまくいき、自分が立てた目標や計画もうまくいき、欲しいものや必要なものは何でも手に入るようになる。

「心を強くすれば、すべてうまくいく」この発想は、「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」に近いかもしれない。

近いというより、基本だ。
心が強いからこそ「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」力が働くのであって、心が弱い人には働かない。心の弱い人が、いくら頑張っても、いくら願っても、いくら神頼みしても、いくら懇願しても、何も起きないし、何も働かない。この二つの本の力を発揮できるのは心が強い人のみ。だから、近いというより、基本だ。

心の弱い人が、「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」本に書いている内容を実践してみる。
すると、なんだ・・・ちっとも引き寄せられないではないか、ちっとも思考は現実化しないではないか、この本は「インチキだ」といって、もう二度とこの類いの本は読まなくなる。ほとんどの人が楽に簡単に自分の都合のいい結果を求める。その結果、望んだものは何も手に入らない。逆に悪化していることの方が多い。そして落胆する、自分はダメだと。自分を救うために本を読んだのに、一生懸命勉強したのに、ちっとも良くならない。これじゃ何のために本を読んだのかわからない。自分には才能がなかった。どうせ自分は何をやってもダメな人間だ、本を読んだ時間はすべて無駄だった。

基本が間違っている。
心の弱い人が心の強い人の真似をしても挫折するだけ。「引き寄せの法則」や「思考は現実化する」で成功した人は心の強い人。まだあなたは彼らの真似はできない。あなたがやることは心を強くすることを実践することだ。

どうやって実践するの?

簡単なことだ。
重複して本を読むこと。
何度も何度も、できれば10回ほど重複して本を読むこと。
そして1ページごとに気を入れて読むこと。そのときは余計なことは考えない。余計なことを考えれば、本に書いてある本当の意味が分らなくなる。妄想に忙殺されて本を読んだら、何も残らない。

次に、本の読み方は、心を強くすることを念頭に置いて読むこと。
成功した人たちの華やかな結果より、その過程の努力を中心に読むこと。貧困からどうやってその人は這い上がったのか。困難をどうやって克服したのか。どうやって厚い壁を乗り越えたのか。困難のときの心構え、悲観のときの心構え、挫折を乗り越えたときの心構えなどを中心に読むこと。中心に読めば、それがあなたの記憶となる。その記憶があなたの心を強くする材料となる。

現代人は華やかな結果を求めるが、心を強くすることを忘れている。
はっきり言おう。
成功者はみんな心の強い人だ。
心が弱くて成功した人は誰一人いない。


別にあなたは成功者の真似はしなくていい。
大金持ちになる必要はない。
ただ、仕事も恋愛も結婚生活もすべてうまくいく人間になろう。
これは人間が生きていく上で、最低限必要な基本だから。
あなたはこの基本を作りたいだろう。
私もこの基本を作りたい。
そのために心を強くすることだ。



女性はマイナスの言葉に弱い。
彼にマイナスの言葉で否定されると、しばらく立ち直れない。
男性なら一日で回復できるが、女性は数週間回復できない。
女性はマイナスの言葉を吟味して枕にする。彼が放った嫌な言葉をベットまで持ち込み、それを枕にして寝るものだから、悲しい別れが夢の中で演出される。

男性だってマイナスの言葉に弱い人いるよね。なんで女性ばかりがマイナスの言葉に弱いと決めつけるの。
そうだね、大変失礼しました。
男性の中にもマイナスの言葉に弱い人はもちろんいます。というか、そういう男性が増えました。男性が女子化している、そんな時代になっている気がします。皆さんの話を聞いて、どちらが男性なのか、女性なのか、わからないことがたくさんありますから。彼女に言われたマイナスの言葉をベットに持ち込み、えんえんと泣いている男性がいます。彼女に言われた言葉がいつまでも頭に残り、男としての責任を果たせないプレッシャーと、男として生きていく自信のなさと、男として未来を確立できない不安で眠れない男性が、ベットの中で悶々としているのです。そういう男性は、翌日彼女に別れを告げます。「疲れた・・・君の気持ちに応えられない。僕では君を幸せにできない」とLINEで別れを告げます。

おいおい、なんだ?それ。
こういうことばかりが起きているのが、現代社会です。

マイナスの言葉に反応し、なかなか立ち直れない人は、どちらも繊細で神経質で極度の恐がりです。つまり、心が弱くなった。ただそれだけです。

心が弱くなったら、心を強くすればいい。
どうやって強くするの?心が弱い人の心を強くすることは無理じゃないの、それがその人の性格になっているから、もう無理でしょう。
それは性格ではありません。
これは性格ではなく、現代社会が生んだ副産物です。
いいですか、もともと人間の心は強いのです。
人間には潜在的に心の強さがあるのです。
心を強くするためには、まず自分は潜在的に「心が強い」と信じることです。
何事も信じないと、その力は発揮しません。だから、「自分は心が強い」と信じることです。

心が弱くなったのは、文化と学問のせい。時代が進化すればするほど心がついていけなかったせい。その点、野蛮人は文化と学問がないから心だけは強い。彼らは自然に生きているので悩みはほとんどない。ベットの中でメソメソ泣いたりしない。明日食べるだけで精一杯で泣いている暇などないだからだ。その点文化人は明日の食べ物に困らない。その代わり神経質で繊細な人間関係がまとわりつく。生産性を上げるための競争。ノルマを達成するための熾烈な戦い。より豊かな生活を確保するためには、より高い向上心と野心を持たなければならないからだ。だが、この熾烈な戦いには落ちこぼれも出る。落ちこぼれは熾烈な戦いに負けた心の弱い人たち。学問は積んだ。情報もたくさん手にしている。野蛮人から比べれば、なんと贅沢な暮らしをしているように見えるが、当の文化人はめまぐるしい進化に心がついていっていない。ただ、落ちこぼれて心貧乏となっている。

これからの文化人に与えられたテーマは、心を強くすることだ。
今の文化の知識を持ちながら、野蛮人のような心の強さを取り戻すことだ。
野蛮人のような心の強さを取りもどす?この言い方には語弊があるが、真理はあなたの潜在能力の心の強さを取り戻すことにあります。さあ、心を強くしよう。

心を強くするための第一歩として。
まず、自分の力を信じること。
自分は潜在的に心が強いと信じること。
そのために心の犠牲者にならないこと。
自分の心の犠牲者になってどうする、自分の心は自分が支配するもので、自分が自分の心の犠牲になってはならない。
合い言葉は「心の奴隷になるな、自分の心は自分が支配してコントロールすること」
その合い言葉でいこう。




先月、彼と別れました。
先週、彼にフラれました。
というような相談が多い。


ここに来る目的は、悩みを解消してもらえるため。
不安な気持ちを前向きにしてもらうため。
ネガティブをポジティブにしてもらえるため。
などなど・・・。
落ち込んだ心を安定させるため、ここに来ていると思う。

では、彼と復縁か?それとも彼を諦めて前へ進むか?というと、
それが、どうしていいか?分らないという。

そうだろうね。
分らないからここに来ている。
分ったらここに来ない。

まあ、考えてみたら決めてここに来ている人はほとんどいないと思う。
今までの経験からいうと、決めてここに来ている人は100人に一人くらいしかいない。
逆に、決められないからここに来ているといっていいだろう。
先生の意見を聞いて判断する、みたいな。
あるいは先生の話を聞いて何かのヒントを得る、みたいな。
またはブログを読んでこの先生なら話を聞いてくれるだろう、みたいな。

決められないからここに来る。
私はどちらでもOK。どんな人でも優しく温かく迎え入れる。
私の経験値を利用したいのなら、どんどん利用してください。
私はあなたの味方となって、知識をオープンに開示していますから。
このブログもそうだし、個人の鑑定でもあますことなく知識を開示しています。
個人の鑑定では、その人にあった方法を私の長年の直観から来るスピリチュアルな方法でも開示しています。知識を開示することを、勿体ないなんて私は一度も思っていません。
ですからあなたの胸の内を、あますことなく私に開示してください。
人に言えないことや他人に相談できないことを、全部私が面倒みます。
心が晴れるまで、どんどん私を利用してください。

さて、タイトルに戻って。
彼と終わったら、復縁か?前へ進むか?
どっちにしていいかわからない。
もちろん決めるのはあなたです。
でも、私と相談してから決めてもいいと思います。
そのために私がいるのですから。

話を聞いている間に、私はあなたの心が読み取れ、どちらを決めるべきか?大体わかるからです。深くて複雑な話から読み取る。何を選択するか読み取る。なるべく間違ってない方を読み取る。話が極まり深くなれば、方向性が見えてくるからです。

私は知っています。
女性の愛の深さを。
おそらく男性では、最もよく理解している一人に入ると思います。


その私があなたの胸の内を読むと。
あなたは納得していないのですね。
彼と別れたことを・・・。

納得できない。
これが女性の愛の深さです。

復縁するにも、前に進むのも、納得できないから決められない。
それがあなたの胸の内です。

ならば、納得しましょう。
納得できない、それは後悔と同じ意味です。
後悔は未来の扉を閉じます。
納得して後悔を取り除いてこそ、未来の扉は開くのです。

さあ、納得できる行動を取りましょう。
後悔がないように。
あなたは彼にフラれた。
フラれたことは悔しい。
納得できない。
このまま諦めたら後悔が残る。
あなたの胸の内を読み取ると、納得できない、このままでは後悔が残る。これが私には分るのです。

ならば、
何もしない後悔より、何かをした後悔を選びましょう。

その方が納得できます。
またその方が後悔がなくなります。
人は自分が納得するまで、何もしないより、何かをした方がいいのです。

振られた彼と寄りを戻して逆に振ってやる。
あるいは、振られた彼と寄りを戻して幸せになる。
または、振られた彼と寄りを戻してわたしの良さを再発見させる。
さらに、振られた彼と寄りを戻してその彼を卒業する。
納得すれば、その後はあなたがいくらでも好きなように調理ができます。
後悔がないように、納得に向けて行動してください。
私はいくらでも応援しますから。



「ボーと生きてんじゃねーよ」ははは(笑)NHKのチコちゃんのこの決め台詞、私は大好きです。鑑定の場でも笑いながら「ボーと生きてんじゃねーよ」と冗談交じりに言ったりもします。ということは、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる生き方を、皆さんがしているということになります。

私も「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる生き方をしています。自分の一日を振り返れば、物事に集中できなくてボーとしている時間の方が長いかな。禅の修行では、お腹が空いたらご飯を食べ、のどが乾いたら水を飲む、これが修行らしい。なんだそんなことか、それだった自分も毎日やっている。ところが違うのですね。一般の人は、ご飯を食べるときも水を飲むときも、あれこれといろいろなことを考えている。中にはテレビを見ながら、雑誌を読みながら、スマホを見ながら、ご飯を食べ水を飲んでいる。これじゃご飯のありがたみが分らない、水のありがたみが分らない。水や食物からくる栄養も吸収されない。ご飯を食べるときはご飯だけに集中しなさい。水を飲むときは水だけに集中しなさい。そしてご飯と水に感謝しなさい。そうでないとご飯と水のありがたみが分らないという教えが禅の修行である。

感謝して集中する。
これが一般の人にはなかなかできない。
だから、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られる。
私も含めて。

さて、題目は「意志」について。
意志とは何だ。
意志とは集中することだ。

「ボーと生きてんじゃねーよ」これが意志の使い方。
わかりましたか。
私もこの歳になって、やっとわかりました。
すみません、反省しています。

成功哲学では、意志を強固にしなさいという。
意志を強固にする?
意志ってなんだ?
この意味がなかなか分らなかった。
自己啓発の本や西洋の成功哲学の本には、そういうことがたくさん書いてある。成功するためには意志が大切だと。なるほど成功するためには意志が大切で、その意志を強固にすることが必要なんだ。頭では理解できた。だが、その理解は表面的な理解でしかなかった。頭では理解できても、実際には何も理解できていなかった。その証拠に意志の力がぜんぜん発揮されない。行動にも現われないし、心にも現われない。ただ頭で理解できて、ボーッと生きているに過ぎない。ためになる本を読んだけど、ためになる部分は映画の1シーンのように走馬燈のように消え、残った記憶は他人事のように置いてきぼりにしている。取り残された自分は、チコちゃんに叱られるだけ「ボーと生きてんじゃねーよ」と。

ためになる本を読んだけど、ためになる部分はぜんぜん生かされていない。
ただ、他人事のように過ぎ去り、取り残された自分はボーと生きている。
これを打破するためにはどうすればいいか。
そこで考えた。
何事も気を入れてやればいいんだ。
アニマル浜口ではないが、「気合いだ!気合いだ!」
そこまでオーバーアクションでなくて、心静かに気を入れてやればいいんだ。
一日のやることすべてに、気を入れてやればいい。
気が入っていないから、心がピンぼけとなる。
心がピンぼけになれば、モヤモヤが出てくる。
モヤモヤが出てくれば、意志がなくなる。
何事も気を入れてやる。
今まで気が入っていなかった。
ご飯を食べているときも、ご飯以外の別のことを考えていた。
仕事をしているときも、仕事以外の別のことを考えていた。
学校の授業でも、先生の話より別のことを考えていた。
友達と会話しているときも、友達の話は上の空で別のことを考えていた。
会社に出勤する前も、出勤する支度よりも別のことを考えていた。
本を読んでいるときも、中身の重い本は眠くなり別のことを考えていた。
別のことばかり考えるからモヤモヤする、それに気づいた。

だから、モヤモヤはなくす。
これからは別のことは考えない。
すべてのやることに気を入れて集中する。
何事も気を入れてやる。
私の考えに賛同して頂ければ、今日からそれを実行してください。
そうすれば、あなたの心にも意志が芽生えます。


目標や計画なしに生きている。
ある本に、100人中、98人は目標や計画なしで生きていると書いてあった。ホントかいな。まあ、そんなものかもしれない。私もこの仕事をしていて、100人中、98人は目標や計画なしで生きているのではないかと思うからです。私もその中に入り、あなたもその中に入っているのではないだろうか。いはやは参った・・・(汗)。自分は目標や計画なしに生きているのか?困ったものだ。困ったものだけど、別に支障はない。屋根のある家に住み、美味しいご飯が食べられて、それなりに健康で暮らしている。目標や計画がなくても問題はない。目標や計画などなくても、普通に平和に暮らしている。

この状態で、何の目標や計画がいるのだろうか?
成功とはなんだ?ときどき考えてしまう。


若い頃は、やれ目標だ!計画だ!と粋がった。
バカみたいに無理もした。
アホらしいほど努力もした。
嫌な目にもたくさんあい、挫折もたくさんした。
まあ、その甲斐あって今日の私がいるのかもしれない。

目標や計画なしに成功することはできない・・・か。
確かにそうかもしれない。
だが、目標や計画を持つことは良いことばかりではない
目標や計画を持つことは苦しいことばかりだ。
辛い目にもあい、悲しい目にもあい、忍耐強く我慢することも強いられる。遊びを捨て、欲望を捨て、人間らしい喜びや楽しみを捨て、場合によっては愛を失うこともある。目標や計画に邁進中はしんどいことばかり。それを自ら経験している。

世界の成功者は、これを信念だ、意志だ、情熱だ、熱意だ、モチベーションだ、エモーショナルだ、感動だ、願望を達成するための試練だ、根性だ、胆力だ、パワーだという。おいおいしんどいのを、そういうかっこいい言葉でごまかすわけ?私の意見を正直に述べよう。目標や計画を持つことはしんどく苦しいことばかりだ。これ以上でもこれ以下でもない。これが私の正直な答え。

おいおい今日の沖川はやけっぱちではないか。ご心配ありがとう。でも、やけっぱちではないよ。何か新しいものを作りたいだけ。「無理しないで成功する方法」なにかないかな?と考えている。大成功より、プチ成功。大金持ちより中の上の金持ちでいい。贅沢な暮らしより質素な暮らし。セレブより庶民。それでいて、安全に平和で暮らせる。こんなことを考えている。そうなるために、何かないかなと考えている。

もちろんそうなるためには、世界の成功者の考えや法則、意見も取入れなければいけない。小さな成功でも、信念や熱意は大切だからです。目標や計画も大切だが、そんな大袈裟な目標や計画はいらない。大きな目標があるとすれば、それは潜在意識に任せて、あとは忘れても構わない。普段やることは、今日やることをちゃんとやるだけでいい。そんなこんなで、プチ成功、何かないかなと考えている。そういったものを ボチボチとブログに書いていきます。




人間は心か?体か?
どっちだと思いますか?
人間は心だという人もいれば、体だという人もいるでしょう。
宗教では、「人間は心だ」という教えの方が圧倒的に多い気がする。
また、「心と体が一体となって人間」という教えもあるだろう。
私はどっちか?
私は宗教を否定も肯定もしない。
人間は心でも体でもあり、心と体が一体したのが人間であるという考え方に否定はしない。ただ、もっと次元の違う考え方も持っている。

次元の違う考え方とは?
その考えは、中村天風先生から教わった。
人間は心でも体でもなく、気体(霊魂)だという考え方。
天風先生はいう。「人間は心でも体でもない、人間の正体は気体だ」。
気体とは霊魂のことを指す。
生命の根源は、見えない世界に充満するエネルギーにある。
我とは霊魂という気体である。
霊魂が人間の生命体の本体で、心だ、肉体だというのは、霊魂が現象世界で活動するための単なる道具にしか過ぎない。

人間は心でも体でもなく、気体(霊魂)。
心と体は生命を維持するための単なる道具にしか過ぎない。
この説を聞いたとき、わたしは思わず「え?え?」となってしまった。
そして、すぐにその考えが私の中に入った、とても造詣の深いものとして。

霊魂をさらに掘り下げると、霊魂とは自己のこと。
自己とは自分(私)のこと。
人間は自己が中心である。
自己が中心とは自己中のことではない。
自己とは(私)が中心であるということ。
心と体は私を中心に動いているに過ぎない。
心と体は私が支配するもので、心と体に支配されてはいけない。
心と体は私が道具として使うもので、心と体に使われてはいけない。


具体的にいうと。
腕を怪我したとする。
怪我した腕が痛い痛いと叫ぶ。これが普通の人の現象だが、天風先生の教えは、怪我をしたのは体の一部である腕、一部の腕が痛いのであって、私が痛いわけではない。一部が痛いものを全部が痛いというな。痛い箇所を体の一部ととらえ、「私が痛いわけではい」という考えが治癒力を高め、逆に痛いのを全部だと捉えれば治癒力は遅くなる。

彼にフラれた。
彼にフラれて失恋した。失恋した女性は、この世の終わりかと思うほど先が暗くなる。ご飯も食べられず、夜も眠れない状態が続き、げっそり痩せ、精神状態はおかしくなる。ここでも天風先生の教えは、傷ついたのは心の一部の恋心に過ぎない、私が傷ついたわけではない。失恋した心の傷を全部にするな。全部にするから立ち直れないのであって、一部にすればすぐに立ち直れる。私は傷ついてないとすれば、復縁もできるし、新しい人もすぐに見つかる。人生はバラ色だ。

多くの人は、心と体に使われている。
自分が心と体を道具として使い、支配するべきなのに、心と体に使われている。
だから、悶々とした人生を送っているのだ。
今日から、
痛いのは私ではない。
傷ついたのは私ではない。
辛いのも悲しいのも苦しいのも私ではない。
私の道具である心と体がポンコツになっているだけだ。
だから、私がしっかりする。
ポンコツになった心と体を私が治癒させる。
自己の力で。
私が中心に心と体を支配して治す。

そう考えよう。



人間生きている限り、常に不安と恐怖に苛まされる。
人間の活動は、不安と恐怖を無くすために活動しているのではないかと思うほどだ。
私もそう、不安と恐怖を無くすために活動している。
毎日こうしてブログを書いているのも、仕事をしているのも、ジムに通って体力を作っているのも、思えば不安をなくすために活動している。そんなに大したことはやっていないが、自身に巣つく不安と恐怖を退治するために活動しているといっていいだろう。

サボったらどうなる。
それは大変なことになる。
不安と恐怖がひしひしと押し寄せ、心がにっちもさっちもいかなくなる。
私も時々サボるが、サボったあと、好調だった前の状態に戻すまで数カ月から数年かかることがある。
安心して手を抜いたつけは、なかなか取り戻せないものだ。

サボるときは、「あきらめよう、そうすればうまいく」という思考が働いたとき。老師の言葉だが、自分はまだその域に達していないようだ。もっと達人になればあきらめても不安と恐怖はなくなるだろうが、自分はなくなることはまずない。まだまだですね自分は。でも懲りることなく「あきらめよう、そうすればうまいく」は思考として使っている。それを使うときは疲れたとき。一生懸命頑張って疲れたときに、やることはやった、後は運を天に任そうと思って使っている。で、結果はどうなったか?あきらめた結果となった。悔しいけど、そういう結果だ。そして不安と恐怖がまた再燃する。あきらめたのだからいいのではないかといっても、よくはなかった。あなたの恋愛と同じように、あきらめるのが実は嫌だったのだ。

でも、あのまま続けていたらぶっ壊れていた。
あのまま続けたら、精神が病み、体もボロボロになっていた。
「あきらめよう、そうすればうまくいく」は、心と体を休ませるために使う。
休んだらまたチャレンジできる。そのために使うことにしている。

だが、休みすぎることもある。
十分に休んだのに心が復活できない。
サボり癖は習慣となる。
怠惰怠慢の悪習が生活の一部となる。
悪習になれば言い訳をする。
「もう、頑張らなくてもいいんじゃないか。十分に頑張ったのだから、もう引退しなさい。人間引き際が肝心だよ」
と、神の声だか、悪魔の声が聞こえてくる。
なるほど・・・。ではもう少しサボるか。
サボって楽なはずなのに、なんだかちっとも楽ではない。またじわじわと不安と恐怖が襲いかかってくる。
あれ?あきらめて、よくなるはずなのに、全然良くならないじゃないか。
良くするために、また、不安と恐怖を打ち消す活動に入る。

人間の活動は一生を通じて不安と恐怖を打つ消すためにある。生きている限りずっと。
一時期の気休めでは不安と恐怖はなくならない。
一時期休んでリフレッシュしたら、また不安と恐怖を打つ消す活動に専念しなさい。
と、自分は神に言われている気がする。

私の不安と恐怖を打つ消す方法は。
先人の偉人たちと同じ思考を手に入れるようにしている。
手に入れる方法は本を読むこと。
彼らの真似はできないが、彼らの思考は手の入れることができる。
本を読めば手に入れることができる。
中村天風を読めば、中村天風の思考が手に入る。
ナポレオン・ヒルを読めばナポレオン・ヒルの思考が手に入る。
カーネギーを読めばカーネギーの思考が、松下幸之助を読めば松下幸之助の思考が手に入る。
歴史上の偉人たちの本を読めば、歴史上の偉人たちの思考が手に入る。
彼らの真似はできないが、彼らの思考は手入る。
私の不安と恐怖の解消方法は、偉人達と同じ考え、同じ思考を持ったとき解消されている。
その思考をもとに行動すれば、自然と不安と恐怖は消える。

不安と恐怖の中にいる人は、不幸の切符を手にしていることになる。
私はそんな切符は自ら買わない。
だが、さぼったときは知らぬ間に買っていることになる。

だから、この切符は捨てる。
次に手にするのは、成功への切符だ。
偉人達と同じ思考を持って、幸せになるために活動する。