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白黒決着を自爆だと勘違いしている人がいる。
自爆を恐れて、白黒決着を恐れている人がいる。
人生を左右する白黒決着、恐れていては人生を台無しにすることになりかねない。白黒決着は選択である。人生に選択はつきものだ。曖昧で、グレーで、はっきりしない優柔不断な相手には、白黒決着をつけるべきである。

自爆とは、
自分が乗っている飛行機・船舶・車などを自ら爆破すること。恋愛で例えるのなら、自分が付き合っている相手に自ら終わりを告げて自滅すること。自爆も自滅も、結果として最悪な結果となる。自ら望んでいない自爆(自滅)をすれば、人生は後悔のもととなる。

白黒決着とは、
文字とおり決着である。物事の是非・善悪・真偽などを決める。恋愛における白黒決着は、付き合う気があるのか、結婚する気があるのかを相手に質問して、はっきりさせることにある。【雌雄を決する】戦って勝ち負けを決める。恋愛も戦国時代のようになってきた。白黒決着ができるあなたは、間違いなく勇者である。

白黒決着の定義。
自爆は自らの自殺行為だが、白黒決着は勇者の誇り。
自爆は卑劣な行為だが、白黒決着は正しい選択。
白黒決着は自爆でなく、決めるための勇気ある行動である。
あなたは勇気を持って正しい選択をしたに過ぎない。
だから、結果が黒でも後悔することはない。
後悔するから、あなたの勇気ある行動が自爆となってしまうのである。
白黒決着は結果がどうあれ、後悔するものではない。
後悔が先に立たない、これが白黒決着の定義である。

白黒決着の結果が黒の敗北なら。
まずは結果を受け止めよう。結果を受け止め、悲しむだけ悲しめばいい。人は悲しむことによって未来が拓くようにできている。安心しなさい、人には動物にない能力が備わっている。悲観の後に、それ以上の幸福を手に入れる力が人間には備わっている。その力はみんな持っている、だから安心しなさい。多くの人間が悲しみから立ち直って以前より良くなっている。今では、あの悲しみが最高の贈り物だったと感謝している。白黒決着の結果が黒の敗北なら、それはそれで良かったと思うことです。優柔不断で責任をとれない相手とは幸せになれません。この結果で良かったのです。優柔不断は人類共通の敵、無責任も人類共通の敵です。どんなに好きでも、どんなに愛していても、どんなに母性愛や情をくすぐられる相手でも、無責任な優柔不断は人類の敵です。あなたは敵と別れて良かったのです。数年後、あなたはこの文章をかみしめ、感謝しているでしょう。


白黒決着は自爆でなく、決めるための勇気ある決断です。
この勇気があるから、あなたは幸せになれるのです。
そして、幸せになる相手は、あなたの勇気を受け止める相手です。
YES(白)と答える相手です。

人生を左右する白黒決着、恐れていては人生を台無しにすることになりかねない。白黒決着は選択である。人生に選択はつきものだ。曖昧で、グレーで、はっきりしない優柔不断な相手には、白黒決着をつけるべきである。




「心を道具として使いながら、思考と感情をコントロールする」
それができるか?と言われると、難しい。

頭では解っているが、いくら努力してもなかなかできない。
やはり、感情に左右される。
やはり、心が勝手にあっちこっちに散らばってしまう。
やはり、思考は役に立たない妄想ばかりを繰り返している。

心は自分の道具でなく、どうやら自分は心に使われているようだ。
いつも、不安や心配事の嫌な感情の世界にいる。
そこから逃げたくて、思考はいつも妄想ばかり。

現実は最悪なのに、そこから逃げたくて夢見る乙女でいたい。
現実は最悪なのに、そこから逃げたくて夢見る少年でいたい。
現実は精神的に不安定で体調も悪いのに、良くする気が起きない。


やる気が起きない。
努力する気にならない。
だってちょっと努力しただけで、しんどくてもう嫌になるから。
すぐにやる気がなくなり、嫌になる習慣が身についてしまった。
これじゃ自分でもダメだと解っている。
でも、しんどくてやる気が起きない。

人間の心や思考は、いつもそうなるようにできている。
やる気が起きない状態が、人間の本性でしかない。人間とは本来怠け者である。だから、怠け者はいつもやる気が起きない。怠けてばかりいると、後で後悔することになる。それは怠けている本人も解っている。だが、怠けたツケがいつか回ってくると解っていてもツケが回ってくるまで怠けていたい。そしてツケが回ってきたときに慌てればいいと考えてしまう。

怠けたツケは回ってきた。
最悪な状態。心も体もボロボロ。
恋愛はうまくいかず、好きな人に振られる。
結婚生活はうまくいかず、離婚となる。
仕事はうまくいかず、クビになった。
体調は悪くなり、病気となった。
お金はなくなり、貧困状態となった。
心も体もボロボロ、人生最悪な状態。
そこから、自分は立ち直れるのか?

大丈夫、立ち直れる。
人間の心や思考は、いつもそうなるようにできている。つまり、最悪な状態から立ち直るのが人間の正体。人間とは本来強い生き物。考える力があり、思考や感情をコントロールできる地球上の最強の生き物。怠けたツケが回ってきたら、今度は頑張るツケを回せばいい。怠けたツケは10年かかって最悪な状態になるが、頑張ったツケは1年で良い状態に持っていくことができる。つまり、10分の1の年月で最悪な事態から脱出できて最高のよい状態を保てる。

偉い人はこっち側の(頑張るツケ)を長く維持できるが、あっち側の(怠けるツケ)を持っている人は頑張るツケを長く維持できない。まあ、それが普通の人間だ。ずーと頑張るツケでは人生楽しくない。できれば、あまり頑張らず、あまり苦労せず、努力もほとんどしないで、楽に楽しく生きていきたいものだ。その気持ちは分かる。

つまりあれだね、人生は自転車操業だね。
自転車操業とは、操業を止めてしまえば倒産するしかない法人が、慢性的な赤字状態でありながら他人資本を次々に回転させて操業を続けていく状態のことをいう。簡単に説明すると、自転車は走っている間は倒れないが止まると倒れてしまう。あなたの人生もこれと同じ、自転車操業かもしれない。走っている間は倒れないが止まると倒れてしまう。だから、走り続けるしかない。マラソンのように。

自転車操業の人生から脱皮したいのなら、心を道具として使いながら、思考と感情をコントロールすること。これができれば、止まっても倒れることはない。

なぜ倒れないか?
それは財産があるからだ。
知恵知識の財産、肉体を強化した健康的な財産、経済的な自立ができる金銭的な財産、心を道具として使い、思考と感情をコントロールすると財産ができる。

財産がある人には余裕がある。余裕があれば、自転車操業の人生から脱皮できる。

私も自転車操業のあっち側の中にいたり、余裕のあるこっち側の中にいたりする。できれば、余裕のあるこっち側に長く居たいが、そんなに優れた人間ではないので、皆さんと同じように迷走している。自転車操業と余裕を行ったり来たりしながら、迷走しているのが人間の人生なら、それはそれでいいと思う。




これをやろうとして、他人に話したら、やめた方がいいと言われた。
他人は悪気があって言ったのではなく、あなたのためを思っていった。
それであなたはやめることにした。それからしばらく経って後悔した。

なぜ、あのときやらなかったのか?
あのときやっておけば、今頃大成功していた。今よりもっと金持ちになり、もっと健康になり、もっと豊かになっていた。あのときやっておけば・・・。

果たして、本当にそうなったのか?
あの時やっておけば成功したのか?
言えるのは、あとから後悔してもあとの祭り。
あとから後悔しても、夢のような結果にはならない。
それがあなたの実力だから、しょうがない。
それは単なる妄想に過ぎない。
あなたはあとの祭りが好きだから。
夢見るシンデレラだから。夢見るピーターパンだから。
ずっと、あの時やらなかった後悔に縛られるしかない。
妄想と後悔を繰り返す思考では、あのときやっていても失敗していただろう。
だから答えは、そうはならなかった。

人間には2種類のタイプがいる。
1,他人の意見に惑わされて自分の考えを変える人。
2,他人の意見に惑わされず、自分の考えを変えない人。
95%が1の人間で、5%が2の人間。


私も若い頃はずっと1の人間だった。1から2の人間になるのに長い年月がかかった。なんでこんなにかかったのと言われてもしかたがない、これが自分の実力だから。やっと2の人間になれても、ときどき1の人間に戻ることもある。他人の意見に惑わされて自分の考えを変えるときがある。そのとき、(ああ~自分もやっぱり人間だ、弱い人間だ)と思ってしまう。でも、それではいけないので、また2の人間に戻る。できれば、2の人間のまま維持したい。「我が輩の辞書に不可能はない」というナポレオンのように。

ほとんどの人が他人の意見に耳を貸して動揺して惑わされている。
自分というものを持っていない。
自分というものを持とうよ。
もっと。もっと。持とうよ。自分というものを。


それで、私の鑑定方針が変わった。
あなたに、もっと自分を創って欲しい。
自分の考えで行動する人間になって欲しい。
闇雲に自分の考えで行動するのでなく、
「真・善・美」の考えに従って行動して欲しい。

思考を取捨選択(善いものを取入れ、悪いものを捨てること)し、清く正しく行動して欲しい。「真・善・美」の取捨選択ができていれば、何をやってもいい。そのために自分が心の奴隷になるのでなく、心を自分の道具にするべきだ。心を自分の道具にして、心をコントロールすることができれば、「真・善・美」の取捨選択ができて、本物の願望が生まれる。そうなれば、他人の意見に惑わされることはない。




男性は仕事が命で、女性は恋愛が命。
これが男女の価値観の違いです。

なんだ、そんなことか。
くどい沖川は、そんなことを何度も何度も書いて。

くどいと言われても、私はそれを何千回も書こうと思っています。おそらく何千回書いても男女の価値観の違いは相手の異性には理解できない、私が何千回何万回違いを示しても永遠に伝わらないでしょう。人類が誕生して何十万年経ったか分かりませんが、何十万年経っても、男と女は、未だに相手の価値観を理解していない、これが現実だからです。こうなると、この価値観はもはや本能ですね。本能は天命とも言われるので、変えようがありません。

天命は変えられない。
変えられないが、理解することはできる。
理解することが、苦痛や苦しみをなくす方法となります。


男性の仕事が忙しくなり彼女を放置した。恋愛が命である女性は、放置されたことを苦しみ自爆した。このパターンはホント多い。この苦痛や苦しみをなくしたい。なくすためには理解することです。男性は仕事が命であることを。

反対に、(ある男性のコメントから)
勉強に集中したいことがあり、集中している時にあれこれ言われると言われた方はほんと苦痛です。自宅にまで押しかけてきて掃除洗濯もやってくれましたが、その際も小言ばかりでウンザリしてしまいました。この苦痛や苦しみをなくしたい。なくすためには理解することです。女性は恋愛が命であることを。

天命は変えられないが、理解することは可能です。その理解力が増して、あなた方はもう一個の頭が完成するのです。男性は仕事が命だけでは頭が足りません。女性も恋愛が命だけでは頭が足りません。足りない頭を完成させてこそ調和のとれた人間となるのです。人生は調和とバランスです。片一方だけに比重を置いたらバランスが崩れてしまいます。バランスが崩れれば人生は崩壊します。崩壊した人生を望むのなら、片一方だけに比重を置いてください。きっと孤立した寂しい人生が待っているでしょう。

それが嫌なら理解することです。
男性は仕事が命で、女性は恋愛が命という男女の価値観を理解することです。これは天から授かった天命だと理解することです。天命に逆らうことはできません。どんなに理性的な学問を積んでも、人間の知恵など天命には遠く及びません。男の理屈で、女の理屈で、男女の価値観を判断するのでなく、これは変えることのできない天命だと理解することです。


理解できれば物語が変わってきます。

男性の仕事が忙しくなり彼女を放置した。放置された彼女は、男性は仕事が命だと理解しているので、悩むことなく平気で放置された時間を過ごした。そしたら彼は帰ってきた。女性が安心して待てば、男性は安心して帰ってくる。これによって、男女の価値観の調和とバランスがとれるのである。調和すれば男女の愛は完成する。

勉強に集中したいことがあり、集中している時にあれこれ言われ、自宅にまで押しかけてきて掃除洗濯もやってくれましたが、その際も小言ばかりでウンザリしました。なんだ、そんなことか。そんなことはしょっちゅうだ。結婚している男性は日常そういうことばかりを経験している。それで別れようとか離婚しようなどと一切思わない。できた男性は、小言を言われ、仕事や勉強の邪魔をされても平気なのである。なぜ平気なのか、それが刺激となるからだ。「女性は恋愛が命だ」ということを本当の意味で理解している男性は、小言とは思わない。これは女性からの貴重なアドバイスと受け止めている。この気持ちがあるからこそ調和とバランスがとれるのである。調和すれば男女の愛は完成する。

男性は仕事が命で、女性は恋愛が命。
これが男女の価値観の違いです。
この価値観を本当の意味で理解できれば、
調和とバランスがとれ、愛は完成します。




理想的な生活を手に入れよう。
それは調和とバランスだ。
人生は、調和のあるところのみが完成し、調和のないところは完成しない。動物も、植物も、鉱物も、調和の取れたバランスで創られている。道路や建造物、自動車や家電製品、パソコンやスマホ、人間が作った文明物質のすべてが調和とバランスで作られている。つまり調和がないと完成しないということだ。

ところが人間はどうだ。
調和の取れていない人間が多いではないか。
自分のことのみ考えて、他の人々のことを考えないで生きている独りよがりの人が多い。これじゃ動物以下だ、植物以下だ、鉱物以下だ、人間が作った物質より以下ではないか。独りよがりの道路や建造物はない。独りよがりの自動車や家電製品はない、独りよがりのパソコンやスマホはない。すべてが人間の役に立つように調和が取れて作られている。だから、完成品としてこの世に出ているのだ。独りよがりの物質だと誰も買わないし、誰も使わない。物資が自分のことのみ考えて勝手に行動したらどうなる?それこそターミネーター(人間が機械に支配される)世界ではないか、もしそうなったら調和が取れなくなり人類は滅びてしまう。

動物や植物、鉱物や物質に至るまで調和は取れている。自然豊かな地球はそれで成り立って完成している。この世のすべては、調和があるから完成している。「人間は調和が取れて完成する」そのことを各自が自覚することである。

孤立と独立は異なる。
独立は、正しい自覚を持って人間として生きている尊い人生の生き方である。
孤立は、天理に反する無価値な人生の生き方である。
自分のことのみ考えて、他の人々のことを考えない生き方は孤立であり、他の人々のことを考えて人々の役に立つのが独立である。

独立は成長であり、孤立は後退である。
あなたが恋愛をするのなら、どうちらを選ぶ?
自分のことのみ考えて相手のことを無視する孤立型の後退を選ぶか。
自分のことより相手のことを考えて思いやる独立型の成長を選ぶか。
どちらを選ぶ?
どちらが正しいか、あなたには解っているはずだ。
正しい方を選びなさい。

人が恋をするということは成長である。
親から独立するために人は恋をするのである。
せっかくの自立・独立のチャンスをあなたは独りよがりによって後退させたとなると、あなたは親もとに戻って赤ちゃんに戻るしかない。人間はそのことを忘れている、基本を忘れている。この基本を今日からまた思い出すことである。自分以外の他人と付き合うことは調和が大切だということを再度自覚することである。特に愛ある相手には、調和をさらに大切にすること。動物より劣る、植物や鉱物、物質より劣る、独りよがりの行動はしないこと。どんなに忙しくても、それをやったら人間終わりだ。もしやったのなら反省して、明日から心ある人間に戻りなさい。人間とは反省する生き物。反省して反省して、調和の取れた人間に戻りなさい。そうすれば、あなたの人生は調和の取れたバランスのよいものとなる。





やる気のない相手との恋愛は大変だ。
なぜ女性は恋をすると、不安になるの?
なぜ女性は恋をすると、恋愛中心になるの?
それでもって、なぜやる気のない相手を好きになるの?
大変だね、やる気のない相手との恋愛は。

まあ、これが女性だといえばそれまでだが、いったい何を目指しているのか?ちんぷんかんぷんでよく解らない。よく解らない?が、それを解ろうとするのが、私の長年による直観だ。直観を駆使すると、なるほど、奇跡を起こしたいのだな。だから、私のところに来ている。自分では奇跡が起こせないから、私に頼る。うむ・・・私は占い師をやっているが、占い師は万能ではない。魔法使いでもない。魔法の杖で「えい!や!」と奇跡も起こせない。奇跡は占い師より、魔法使いより、神より、自分で起こすしかない。自分で奇跡を起こす、人間になるしかない。


常識のある考えでは、やる気のない相手との恋愛は、やめとけが正解である。親も友人もやめとけ、裁判所でもこの恋愛の判決はやめとけとなるだろう。やる気のない相手との恋愛はやめとけが世間一般の常識だからである。なのに、あなたは常識を破って私のところへ来ている。奇跡を求めて。

おそらくあなたの恋愛は、世間一般から見れば常識外れの恋愛となるだろう。常識外れの恋愛は常識的な物事の考えではうまくいかない。民や凡人の知恵ではうまくいかない。学者やエリートの知恵ではうまくいかない。逆に彼らに頼ったら尚更うまくいかない。彼らにはもう一個の頭が足りないから。では、どうすればうまくいくか?それは常識では考えられない奇跡を起こした人たちの知恵を借りることだ。


常識では考えられない奇跡を起こした人たちとは?
世界にいっぱいいる。
カーネギー、ナポレオン・ヒル、トーマス・エジソン、アインシュタイン、ヘレン・ケラー、ウォルト・ディズニー、ココ・シャネル、エイブラハム・リンカーン、ベートーベン、ビル・ゲイツ、ライト兄弟、孔子、孫子、松下幸之助、本田宗一郎、中村天風、まだまだたくさんいる。彼ら全員、常識ではとても考えられない奇跡を起こしてきた。友人に反対され、家族に反対され、社会や権力に反対され、中にはきちがい扱いされながらも、彼らは自分の夢を信じてあきらめずに奇跡を起こしてきた。あなたが、世間一般から見る非常識な恋愛をこれ以上続けるつもりなら、彼らと同じことをするしかない。

恋愛と世界の偉人たちを同じにするな。比べるな。
恋愛はビジネスでない。
常識ではそうなるだろう。
だが、あなたは常識外れの人を好きになっているのだ。
常識外れの人を好きになっているのなら、常識で物事を考えてはいけない。
常識に従うのなら、周りがやめろと言っているのだから、素直にそれに従えばいい。

それでもあなたは相手のことが好きだといっている。
あなたはきちがいだ。常識外れだ。偉人たちと頭の構造は一緒だ。
ならば、偉人たちの知恵を拝借することだ。
拝借は、成功した理性的な技術は必要でない。

拝借するのは精神面だ。

心の強さを彼らから学ぶのだ。
奇跡は心という武器を上手にコントロールするから起きる。
つまり悲観的なネガティブの心の奴隷になるのでなく、楽観的なポジティブな心を自分の僕とする。その方法を彼らは何万という手法を使って教えている。その中から自分にぴったり合った方法をあなたが学べばいいのである。




さようならだけが人生だ。
去る者は追わない、来るものは拒まない。
こういう生き方はどうだろう?
私は素敵だと思うのだが、皆さんは、どうかな?

それは寂しい。
それは薄情だ。
そんな生き方はあまりに冷たすぎる。
これじゃ情というものがない。
そんな生き方に愛情を感じられない。

そうかな。
人の自由を尊重する生き方は、薄情でもなんでもない。
愛情もあれば、情もある。
好きだけど、相手が去りたいのなら無理に引き留めない。
相手の未来を尊重し、自由に羽ばたいて欲しいと願う心がそこにある。
自分の元から去る人に未来に栄光あれ。
去る者は追わない、来るものは拒まないという人は、実は心優しい人が多い。
さようならは、人間の生き様を意味する。
さようならは、何ともいえない悲しみのペーソスが味わえる。
さようならには、深い愛情がある。これ以上ない深い愛情が。
さようならには、自分の欲望よりも、相手の自由を尊重する意味が含まれている。
この意味を完成させるために、去る者は追わない、来るものは拒まないのである。

こうやって文面を書いていると、何かを思い出す。
そうだ、男の演歌だ。男の演歌は未練たっぷりのものが多い。別れた女性を偲ぶ詩ばかり。「君には罪がない、悪いのはオレだ」という詩ばかり。あるいは映画の「男はつらいよ」の寅さんが振られたシーンばかり。愛情たっぷりで、ペースの悲しみがあり、男の日本文化の伝統がそこにある。男の日本文化は、バカなのである。とくに女に対してはだらしくなくバカ丸出し。「さようなら」を言った男は、船に乗って、汽車に乗って、飛行機に乗って、男はその思い出の地から旅立つ。「さようならを言った男」・・・?でも、男のほとんどは「さようなら」を言わない。黙ってその場を去る。これが女性たちに欺瞞の悲しみ(あざむかれ、だまされた悲しみ)を誘発させるが、男はあざむいているわけでも、だましているわけでもない。ただそれが本能に組み込まれて、ひとりで旅立つようにできているのだ。この気持ちは、おそらく女性には理解できないだろう。

このペーソスたっぷりの愛情豊かな男の別れの気持ちはおそらく女性には永遠に理解できない。理解できないから、「去る者は追わない、来るものは拒まない」ことができている男性と付き合っている女性はみな戦々恐々としている。

彼は、去る者は追わない人。だから、下手なことが言えない。自爆でもしようなら、彼は完全に去って行く。振り返らない。それが恐いから、何も言えない。その考えが女性側に染みついてくる。さらに女性は、「去る者は追わない、来るものは拒まない人」を冷酷な男と感じている。感じているから、そういう男性に怖さを覚え、自分にとって嫌な相手だとも思っている。

「去る者は追わない、来るものは拒まない」ができた男。
中には冷たい男もいるだろう。冷酷で非常識な男も。

だが、大半はそうではない。
大半は優しいのだ。

私が思うに、「去る者は追わない、来るものは拒まない」ができた人は、自立ができている人に多い。自立力があるから、自由を尊重する。自立ができた人には強さがある。そして自立のできた人は本当の優しさと愛情がある。彼女が「別れたい」というのなら、引き留めはしない。彼女が「他に好きな人ができたから別れたい」といったとしても、嫉妬も恨みもなく、別れを受け入れる。これが出来るのは強さがあるからだ。みっともなく、別れるのは嫌だと女を追い回し、最悪な場合ストーカーになるのは、自立のできていない男に多い。男というものは、最終的に惚れた女の幸せを願うもの。彼女が別れたいというのなら、そうすればよし。彼女が他の男性にいきたいのなら、そうすればよし。どの形にせよ、最終的に彼女が幸せになれるのなら、男はそれで満足なのである。「去る者は追わない、来るものは拒まない」男とは、以外と優しいのである。




人生はバランスが取れて幸せとなる。
バランスの取れた人生を構成する主な要因は3つから成る。「自分・家族・社会」この3つのバランスが取れて人は幸せになれる。

1.自分。
自分を大切にし、心と体の健康を保つ。
2,家族。
家族を大切にし、安定した平和な暮らしを保つ。
3,仕事。
仕事を大切にし、社会貢献のもとに安定した収入を得る。

3のバランスが取れないと人は幸せにはなれない。
自分だけ大切にして、家族をないがしろにして仕事をさぼれば不幸となる。
家族を頼り、家に引きこもり、仕事をしなければ不幸となる。
仕事人間で、自分も家族も大切しない人間は不幸となる。


バランスが取れていない人を多く見かける。

仕事人間で彼女を大切にしない男性。嫌になるくらいたくさんいる。バランスの取れていない人間がこれほどいるのかと、呆れるくらいである。恋愛は家族を形成するための基本。基本を無視した仕事人間は幸せになれない。結婚しても家族を大切にしない。どこかでバランスを取らないと。

恋愛中心で男性の仕事を理解できない女性が嫌になるほどたくさんいる。バランスの取れていない人間がこれほどいるのかと、呆れるくらいである。仕事は家族を形成するための基本。基本を無視した恋愛中心は幸せになれない。結婚しても男性の足を引っ張る。どこかでバランスを取らないと。

自分中心で家族や仕事を大切にしない人がいる。そういう人は説明するまでもなく不幸となる。人間は自分だけでは生きられない。人間は社会との関係や家族との関係で成り立っている。それを無視したら生きられない。どこかでバランスを取らないと。


人生はバランスである。
ほとんどの人が人生のすべての分野でバランスを失っている。
あなたにも身に覚えがないだろうか。
3つの分野は、私が解りやすくするために大きく分けた分野である。もちろんこの中に枝分かれの小さな分野もある。どの分野が自分のバランスか?3つの分野を基本にあなた自身でバランスを取ってください。


さて、「自分・家族・社会」の3つの分野だが、ここに私は男女の主観を取入れている。男は仕事が命で、女は恋愛が命という主観だ。この男脳と女脳は、どうもどっちかに一方的に偏りすぎる。これが不幸のもとではないかと思っている。男は女を理解して、女は男を理解して、初めて人は幸せになれる。片方の主観だけ押しつけては幸せになれない。バランスが取れていないからだ。人とうまくいくためには反対側にある苦手の分野を克服してこそ幸せが手に入る。

ほとんどの人が人生のすべての分野でバランスを失っている。
人生はバランスが取れて幸せとなる。



目標はあった方がいい。目標があれば意志の力が強くなるからだ。
では?目標のない人は意志の力を持てませんか?
そんなことはない。目標などなくとも意志の力は持てる。
ただし、意志の力は目標のある人に比べたら弱いと認めるしかない。
弱くても生きていくには差し支えはないが。

世の中に目標を持って生きている人は少ない。
せいぜい5%がいいところだろう。100%の人が目標をもったとしても、95%の人が挫折しているのが現状だからだ。挫折を乗り越えて目標を維持できているのが5%くらいである。大半がその日暮らしで、目標を持たないで生きている。どの人も夢を持ち、目標に向かうこともあるが、一回の挫折で目標をあきらめているのが世の中の普通の人たちである。

では、挫折した95%の普通の人はダメなのか。そんなことはない。普通の人、世間一般の人間がみんなそうなので、ダメなはずがない。平等にみんな幸せに生きているので問題はない。だが、その中に苦しみがある。個人個人の小さな悩みが苦しみをもたらしている。この小さな苦しみをなんとかするために、大きな目標はなくとも、苦しみを追い払う小さな目標は誰でも持つべきである。

大きな目標は待たなくてもいい。苦しみを追い払う小さな目標でいい。
私も大きな目標は持たない主義者である。
人間の欲望にはキリがない。
あまり欲に走りすぎると、かえって不幸になる。
身の丈に応じたほどよい幸せで十分満足である。
大きな目標は待たないが、苦しみを追い払う小さな目標は持つようにしている。
それは、日頃の心の状態を管理し、心の奴隷にならないようにすること。
心は道具だとブログで書いているのは、心の奴隷にならないように管理することである。


目標がない人は、せめてこのくらいの目標を持とう。
自分の心を管理するという目標だ。心をあっちこっちに散らかさない。悶々と余計なことを考えない。心は自分の道具だと思って自分で制御統括するべきだ。このくらいの目標なら誰しも持てるようになる。そしてそれが意志となる。




意志は目標であり、意志は目標から生まれる。
自分がこうなりたいという純粋な目標があれば、誰でも意志が持てるようになる。


あれこれと余計なことを考えている心の姿は怠けものでしかない。これを私は怠け心と呼んでいる。人間は怠ける生き物であり、できれば努力も苦労もなく、無理をしないで楽に生きたいというのが人間の心である。無理なく楽に生きる極楽人生が幸せかもしれないが、だが、その人生は長く続かない。人生は極楽から地獄に落とされる試練が常につきまとっているのである。

人間は試練に打ち克つように創造主によって創られた。
人間の心は、放っておけばあれこれと余計なことを考える、これが試練の始まりとなる。余計なことを考える暇が、悶え(モヤモヤとした制御できない心)を発生させるのである。心が煩悶状態になると、悩みがあれこれ勃発し、心全体がネガティブ思考となる。創造主は人間に考える力を与えたと同時に悩むことも与えた。あとは君たち人間がそれをどう乗り越えるか?とても楽しみだと与えた。人間は試練に打ち克つように創造主によって創られたのである。


創造主が与えた試練を乗り越えた人がここにいる。
あなた方は幸せだ。何も努力しなくてもこのブログで試練を乗り越えられるからだ。このブログの隠し味はそこにある。あなた方の潜在意識に、これでもかこれでもかと試練を乗り越える術を打ち込んでいるからだ。人によって理解の尺度は違うかもしれないが、どんな人にも平等に打ち込んでいる。だから。これからの記事にさらに注意を向けてほしい。

さて、今日のテーマは意志について。意志はどこから生まれるのか?
人間の心は、放っておけばあれこれと余計なことを考える。この余計な考えが試練の始まりだと説明した。試練を乗り越える方法は、余計なことを考えないことである。どうやって、余計なことを考えないようにすることができるのか?考えを取捨選択して統括することである。これは良い考えだから取っておく、これは悪い考えだから捨てると取捨選択することである。取捨選択する権限を持ったのが意志である。意志はボーッと生きた中からは生まれない。意志は悩み悶え苦しみの中から生まれる。悩み悶え苦しみ、このままでは生きていけないという人生のどん底から生まれる。創造主は人間に試練を与えて苦しみも与えるが、そこから生まれる意志も与えている。君はこのままでは生きられない、だから意志を持ちなさいと。


君はこのままでは生きられない、だから意志を持ちなさい。
意志は悩み悶え苦しみの中から生まれる。
自分はこのままでは生きられない。
このままでは生きられないから、何かをやらなければいけない。
何かをやる。これが目標の始まりであり、意志の始まりである。
意志は目標があって持てるのである。
自分がこうなりたいという純粋な目標があれば、誰でも意志が持てるようになる。
純粋で気高い目標があれば、誰でも意志の力を発動することができる。

手前みそで申し訳ないが、自分の経験を述べます。
私がこの仕事に就いたときの話をします。
この仕事に就く前は、あなた方と同じように煩悶の世界にいました。このままでは生きていけないという苦境に追い込まれ、どうやってこの苦境を乗り越えるか、試練の中で悶えに悶えたあげく、たどり着いたのが「よしこの仕事をやろう」という目標でした。このままでは生きていけない中から生まれた目標なので、意志も備わっていました。

そして、意志は私にこう命令します。
「遊びは禁止だ」と命令します。

今まで遊んでいたから苦境に追い込まれた、これからは目標を達成するまで遊ぶな。こう意志にいわれちゃ仕方がありません。(別に意志が言葉に出してそういった訳ではありません、直観でそう感じたのです)苦境の中にいた私は直観というべき意志の力を信じることにしました。このままでは生きていけないという苦境の中から生まれた目標と意志によって、私は遊びを禁止したのです。3年間休まず働き、映画も見ず、旅行にも行かず、お酒を飲みに行かず、人間の娯楽という遊びを一切禁止したのです。そのとき私は心の取捨選択ができていました。この考えは目標に役立つから取っておこう。この考えは目標の弊害となるから捨てよう。放っておけばあれこれと余計なことを考える心を統括することができたのです。心を統括できたのは、目標を達成しようという意志の力でした。

意志は目標であり、意志は目標から生まれる。
自分がこうなりたいという純粋な目標があれば、誰でも意志が持てるようになります。