女性にはタイムリミットがある。
何歳までに結婚して、子供を何歳までに産みたい。
その気持ちは分かる。
だが、焦るのはよくない。
焦ったらことを仕損じる。
焦るのはよくないが、願望を持つことは正しい。
例えば、26歳までに結婚して30歳までに子供を二人儲けたい。
願望をこうやって明確にして期日を設定するのは正しい。
そこに意義→目的→達成があるからだ。
この流れを人生の成功法則と呼ぶ。
法則に従って、自分の願望を達成すればいい。
願望と焦りは何が違うか?
願望は、明確な目標とポジティブな思考でできている。
焦りは、不安と恐怖のネガティブな思考からできている。
もちろん焦りにも明確な目標がある。
何歳までに結婚して、子供を何歳までに産みたいという願望はある。だが、焦る人はこの目標をポジティブにしないで、ジタバタとネガティブにしている。世の中思い通りにいかない。まして恋愛は相手の立場や気持ちがあるから、なかなか自分の思うようにいかない。
人は思うようにいかなければ焦る。焦ってもしょうがないのに焦る。もう私には時間がないのと焦る。
問題をポジティブに考える人は、相手がその気がないのなら自分が変わるだけとポジティブな思考を持っている。「自分の人生だ。」相手に振り回されることなく自分の人生を行けばいい。
相手がその気がないのなら、相手と別の道をいけばいい。私の目標は、あくまでも26歳で結婚して30までに二人の子供を産むこと。そこには意義があり目的もある。私はこれを必ず達成する。
好きになった恋愛感情はどうするか?
物事をポジティブに考えられる人は、恋愛感情そのものもポジティブである。だから、自分の願望と一致している人のみ好きになる。願望と一致しない人とは、たとえどんなにタ好きでも、好きという気持ちを外すことができる。「私が好きになるのは願望が一致している人と」と強く決めている。願望が一致したとき、初めてこの人のことが好きになり信用もできる。ああ、この人となら今後も一緒にやっていけるという自信にもなる。
信用とは願望が一致すること。
願望が一致しないものは信用してはいけない。
だから、私は願望が一致しない人には焦ったりしない。恋愛初期がときめいても、恋愛期間が楽しくても、最終的に願望が一致しなければ、その人と別れる。愛し合った期間があって残念だけど、自分には人生の意義と目的を達成するために別の道を歩む。
頭では解っていてもそれができないという女性がいる。では、その女性たちの頭の中はどうか?というと、頭の中はネガティブだらけだ。ネガティブで焦っているのが頭の中身。ネガティブ感情に支配された思考では、頭で解っていることが永遠に理解できず、頭で解っていることが永遠に行動できないだろう。そしてさらに焦りとネガティブが続くだけだ。
願望が一致しない恋愛に、死に急ぐことない。
願望が一致しなければ一致するまで待て。
相手にその気がないのなら、その気になるまで待て。
持てないのなら、自分の気持ちを伝えなさい。
怖いけど伝えなさい。伝えることで相手が理解を示すこともある。
でも…伝えたけど、一致できなかった。
ならば…しかたがない、別れよう。
潔く別れよう。
人生の意義・目的は大切だ。
この大事な部分で一致できない人とは別れよう。
大事な部分が一致しないとあなたの意義・目的は達成されないからだ。
恋愛の最終章は、二人の意義・目的が達成されて成就する。
これを成し遂げるために、みなさん必死に努力している。
努力は報われるか?
この記事を読んで、ポジティブに行動すれば報われる。
それは私が保証する。
ホーム > 月別アーカイブ: 2021年01月
ある女性が、「私は生涯結婚しない」といった。
周りの人は、もう三十路なのだから早く結婚しなさいというが、わたしはそれを言われるたびに嫌な気持ちになる。なんで女だから結婚しなければいけないの?「結婚はいつなの、子供はどうするの?」と言われるたび、ああ私は女なんかに生まれるのではなかったとついつい思ってしまう。
年老いた母は「早く孫の顔が見たいという」父は何も言わないが・・・なんとなく私が結婚することを世間並みに望んでいるようだ。実家に帰る度に結婚はいつ?とオーラが出ているので、ここ数年は、仕事が忙しいといって実家に寄りつかなくなった。
なんで女ばかり結婚しないことをバッシングされるの?会社の上司や同僚、学生時代からの友達、実家の両親や親戚、「結婚はいつなの?」「なぜ、結婚しないの?」「いい人いないの?紹介しようか?」「結婚相談所に入会したら?」「婚活をしたら?」結婚、けっこん、ケッコンの猛ダッシュの批判を浴びて、ひどく迷惑して、うんざりしている。
私のサイトで、「独身は成功しない」「富裕層の92%は既婚者だ」という記事を読み、その記事に傷つきながら、あるいは反発心を持ちながら鑑定を受ける女性もいる。「独身は成功しない」という記事に傷ついた女性は、普通に考えたら私の鑑定など受けない。だが、私の記事はただ単に独身を否定しているわけではない。恋愛日記を深く読めば読むほど、この人との鑑定を受け、相談したくなるという気持ちになる。この人なら私の気持ちが分かるだろうと。
そう・・・私は分かる。
あなたのお気持ちは誰よりも分かる。
結婚だけが人生ではないことも、他の誰よりも分かる。
また結婚が素晴らしいことも、他の誰よりも分かる。
私の仕事は人々の幸せを願うことにあるからだ。
独身であろうが結婚していようが、そんなことはどうでもいい。
また、バツイチだろうがバツ2だろうがバツ3だろうがバツ10だろうが、そんなことはどうでもいい。
また、純愛だろうが、不倫だろうが、浮気だろうが、同性愛だろうが、そんなことはどうでもいい。
人々が悩みを抱えているものを、軽減するだけである。
理解したところで、「なぜ、結婚しないのですか?」と私が質問する。
だって、今は男らしいオトコがいないでしょ。
みんなクズばっかりで。
思わず私は笑ってしまった。
みんなクズか?
どうやら彼女はクズばっかりの男と付き合ったようだ。
クズか?
男性には大変申し訳ないが、クズが増えた気がする。
それは私だけの長年の経験だけではなく、20代、30代の若い女性の証言である。
「最近はろくな男がいない、私の周りにいるのはクズばかり」この傾向は年々増えている気がする。
私はかねてから男性を擁護してきた。男性自身も不安でこの世で生きていく自信がないのだと。だから、男性を買いかぶってはいけない、依存して頼ってもいけない。もはや今は男性に依存して頼る時代ではなくなった。これからの時代は女性の自立が必要なのだ。今の男性は、世の中が不安定で自信がないのである。
「結婚は監獄だ」これは男性の言い分だが、おそらく今後は女性の言い分となるだろう。結婚は自由を失った鳥かごに入るようなもの。私はそんな生活はイヤ。これからは自由に外に羽ばたきたい。
「結婚は監獄」その言葉は男性より女性に合っている。
自由に目覚めた女性たちが今後増えるかもしれない。
周りの人は、もう三十路なのだから早く結婚しなさいというが、わたしはそれを言われるたびに嫌な気持ちになる。なんで女だから結婚しなければいけないの?「結婚はいつなの、子供はどうするの?」と言われるたび、ああ私は女なんかに生まれるのではなかったとついつい思ってしまう。
年老いた母は「早く孫の顔が見たいという」父は何も言わないが・・・なんとなく私が結婚することを世間並みに望んでいるようだ。実家に帰る度に結婚はいつ?とオーラが出ているので、ここ数年は、仕事が忙しいといって実家に寄りつかなくなった。
なんで女ばかり結婚しないことをバッシングされるの?会社の上司や同僚、学生時代からの友達、実家の両親や親戚、「結婚はいつなの?」「なぜ、結婚しないの?」「いい人いないの?紹介しようか?」「結婚相談所に入会したら?」「婚活をしたら?」結婚、けっこん、ケッコンの猛ダッシュの批判を浴びて、ひどく迷惑して、うんざりしている。
私のサイトで、「独身は成功しない」「富裕層の92%は既婚者だ」という記事を読み、その記事に傷つきながら、あるいは反発心を持ちながら鑑定を受ける女性もいる。「独身は成功しない」という記事に傷ついた女性は、普通に考えたら私の鑑定など受けない。だが、私の記事はただ単に独身を否定しているわけではない。恋愛日記を深く読めば読むほど、この人との鑑定を受け、相談したくなるという気持ちになる。この人なら私の気持ちが分かるだろうと。
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また結婚が素晴らしいことも、他の誰よりも分かる。
私の仕事は人々の幸せを願うことにあるからだ。
独身であろうが結婚していようが、そんなことはどうでもいい。
また、バツイチだろうがバツ2だろうがバツ3だろうがバツ10だろうが、そんなことはどうでもいい。
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人々が悩みを抱えているものを、軽減するだけである。
理解したところで、「なぜ、結婚しないのですか?」と私が質問する。
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みんなクズばっかりで。
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どうやら彼女はクズばっかりの男と付き合ったようだ。
クズか?
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それは私だけの長年の経験だけではなく、20代、30代の若い女性の証言である。
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私はかねてから男性を擁護してきた。男性自身も不安でこの世で生きていく自信がないのだと。だから、男性を買いかぶってはいけない、依存して頼ってもいけない。もはや今は男性に依存して頼る時代ではなくなった。これからの時代は女性の自立が必要なのだ。今の男性は、世の中が不安定で自信がないのである。
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「結婚は監獄」その言葉は男性より女性に合っている。
自由に目覚めた女性たちが今後増えるかもしれない。
人間の心にはポジティブとネガティブが同居している。
100%ポジティブの人もいなければ100%ネガティブの人もいない。二律背反、二つの相反する命題や推論が人間の頭の中でごちゃごちゃと渦巻いている。人間は難しい問題に差し掛かるとネガティブになったりポジティブになったりと頭の中は混乱する。一体どっちを信用したらいいのだ。自分の考えは、自分の心は、どっちが正しいの?どっちが正解なの?と悩み始める。人間の心には常にポジティブとネガティブ同居しているからである。
この状態で答えが見つかるのか?
答えの見つけ方はある。
それは、
ポジティブとネガティブのバランスを変えることだ。
うまくいっていない人は、
ネガティブが3にポジティブが1。
うまくいっている人は、
ポジティブが3にネガティブが1.
うまくいっていない人は概ね、「ネガティブが3にポジティブが1」という思考回路になっている。悩みを抱えている人は、悪いことばかり考えているわけではない、たまには良いことも考えている。ずっとネガティブではなくときにポジティブになったりする。三日悩む日もあれば、1日悩まない日もある。だが、次の日からまた三日間悩む。一瞬前向きになっても、またすぐに後ろ向きになる。うまくいっていない人は「ネガティブが3にポジティブが1」という思考回路、3対1のループにはまっている。
これを逆にすればいいのだ。
「ポジティブが3にネガティブが1」という思考回路に変えること。うまくいっている人はそうしている。恋愛が順調なときは、みんなそういう思考回路を持っていた。ところが恋愛が不調になったとき「ネガティブが3にポジティブが1」に思考回路に変わる。だから、いつまで経ってもうまくいかないのである。単純なことだ、難しく考えなくていい。あなたの思考回路を今から逆転させることだ。「ポジティブが3にネガティブが1」という思考回路に変えることだ。
「ポジティブが3にネガティブが1」という思考回路をさらに詳しく説明すると。
ポジティブだけでは失敗する。ネガティブ1とは、慎重さと警戒心のことをいう。相手のことを前面に信用するのではなく「3つ信用して1つ疑う」くらいで丁度いいのである。
恋愛がうまくいっていない人は「3つ疑って1信用する」という思考回路が出来上がっているので、「3つ信用して1つ疑う」という思考回路に変えれば、恋愛がうまくいく人になれる。
とにかくやってごらん。
簡単なことだ。
あなたの思考を、「ポジティブが3にネガティブが1」に変えることだ。
「ポジティブが3にネガティブが1」に変える思考回路を、もっと踏み込んで哲学的に論じてみよう。
「ポジティブが3にネガティブが1」の思考回路にするには、「意義と目的」を持つことだ。あなたの恋愛の意義はなんですか?あなたの目的はなんですか?あなたは彼とどうしたいのですか?その意義・目的はなんですか?あなたは何を達成したいのですか?というような哲学の流れにすればしっくりくる。
私の意義と目的は、「彼と結婚して幸せな家庭を作ること」そして、これを必ず達成する。という単純な流れでいい。
これが意義→目的→達成の流れだ。この意義・目的・達成を念頭に置けば「ポジティブが3にネガティブが1」の思考回路が出来上がる。意義・目的・達成するために、余計なネガティブ感情はいらないからだ。あなたはその哲学に従って意義・目的を達成すればいい。
100%ポジティブの人もいなければ100%ネガティブの人もいない。二律背反、二つの相反する命題や推論が人間の頭の中でごちゃごちゃと渦巻いている。人間は難しい問題に差し掛かるとネガティブになったりポジティブになったりと頭の中は混乱する。一体どっちを信用したらいいのだ。自分の考えは、自分の心は、どっちが正しいの?どっちが正解なの?と悩み始める。人間の心には常にポジティブとネガティブ同居しているからである。
この状態で答えが見つかるのか?
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それは、
ポジティブとネガティブのバランスを変えることだ。
うまくいっていない人は、
ネガティブが3にポジティブが1。
うまくいっている人は、
ポジティブが3にネガティブが1.
うまくいっていない人は概ね、「ネガティブが3にポジティブが1」という思考回路になっている。悩みを抱えている人は、悪いことばかり考えているわけではない、たまには良いことも考えている。ずっとネガティブではなくときにポジティブになったりする。三日悩む日もあれば、1日悩まない日もある。だが、次の日からまた三日間悩む。一瞬前向きになっても、またすぐに後ろ向きになる。うまくいっていない人は「ネガティブが3にポジティブが1」という思考回路、3対1のループにはまっている。
これを逆にすればいいのだ。
「ポジティブが3にネガティブが1」という思考回路に変えること。うまくいっている人はそうしている。恋愛が順調なときは、みんなそういう思考回路を持っていた。ところが恋愛が不調になったとき「ネガティブが3にポジティブが1」に思考回路に変わる。だから、いつまで経ってもうまくいかないのである。単純なことだ、難しく考えなくていい。あなたの思考回路を今から逆転させることだ。「ポジティブが3にネガティブが1」という思考回路に変えることだ。
「ポジティブが3にネガティブが1」という思考回路をさらに詳しく説明すると。
ポジティブだけでは失敗する。ネガティブ1とは、慎重さと警戒心のことをいう。相手のことを前面に信用するのではなく「3つ信用して1つ疑う」くらいで丁度いいのである。
恋愛がうまくいっていない人は「3つ疑って1信用する」という思考回路が出来上がっているので、「3つ信用して1つ疑う」という思考回路に変えれば、恋愛がうまくいく人になれる。
とにかくやってごらん。
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あなたの思考を、「ポジティブが3にネガティブが1」に変えることだ。
「ポジティブが3にネガティブが1」に変える思考回路を、もっと踏み込んで哲学的に論じてみよう。
「ポジティブが3にネガティブが1」の思考回路にするには、「意義と目的」を持つことだ。あなたの恋愛の意義はなんですか?あなたの目的はなんですか?あなたは彼とどうしたいのですか?その意義・目的はなんですか?あなたは何を達成したいのですか?というような哲学の流れにすればしっくりくる。
私の意義と目的は、「彼と結婚して幸せな家庭を作ること」そして、これを必ず達成する。という単純な流れでいい。
これが意義→目的→達成の流れだ。この意義・目的・達成を念頭に置けば「ポジティブが3にネガティブが1」の思考回路が出来上がる。意義・目的・達成するために、余計なネガティブ感情はいらないからだ。あなたはその哲学に従って意義・目的を達成すればいい。
ここに来るお客さんは、みなさん緊張なさっている。
でも、10分後には打ち解けている。
なぜすぐに打ち解けることができるのか?
私とお客さんの相性はすごくいいから(笑)
というか、私はどんな人でも合わせることができるから。
よく「占いが初めて」というお客んが来る。
すかさず私は、「ここで良かったね」という。
「なぜならここは優しいから、占いが初めての方にはもってこいの場所ですよ」と答える。
占いを怖がっているお客さんに、ここの占いは怖くない。安心して信頼して任せていいよ、という含みを持たせている。
占いが初めて?別にここは占い初心者の登竜門ではない。初心者の登竜門にしては、私自身がかなりの経験を積んでいる。初めてがここで良かったねというのは、とてもラッキーだねという感覚でお話をしている。数多い占いの中で、よく私を選んでくれた。私もラッキーだがお客さんもラッキー。最初がここですごく幸運だねという意味でもある。
緊張しているお客さんに、なるべく多くを語ってもらいたい。
人間打ち解けてくれば、何でも話し合える仲になる。
相性のいい友達のように何でも話し合える仲になれる。
さあ、緊張を解いて何でも私に話してごらん、あなたの胸のつっかえがとれるよ。
すると、10分後には佳境に入っている。
話が悦佳境に入り、時間を忘れて問題に取り組んでいる。
手ごたえのある話し合いが永遠に続く。
話が一段落したら手相を観る。
手を洗いしてアルコール消毒してから手相を観る。
手相から未来が分かる。
今後どうしていいか?目標も見える。
この未来の目標に沿って努力するべし。
手相の線は薄かったり濃かったりする。
薄ければ、努力すれば濃くなる。
手相は変わる、変えるのはあなただ。
そう告げて私の鑑定は終了となる。
人独りで悩みを抱えるのはよくない。
私なら、人に話せないどんな悩みでも受け入れることができる。
そして、的確なアドバイスもすることができる。
恋愛は人に話せない内容が多い。
正しい恋もあれば正しくない恋もある。
純愛もあれば不倫もある。
どんな相談でも、私は真摯に受け止める。
そして、正しい方向へアドバイスすることができる。
さあ、いらっしゃい。
占い初心者よ。
ここなら安心して、思うだけ話し合うことができるよ。
しかも、プロのアドバイスつきで。
でも、10分後には打ち解けている。
なぜすぐに打ち解けることができるのか?
私とお客さんの相性はすごくいいから(笑)
というか、私はどんな人でも合わせることができるから。
よく「占いが初めて」というお客んが来る。
すかさず私は、「ここで良かったね」という。
「なぜならここは優しいから、占いが初めての方にはもってこいの場所ですよ」と答える。
占いを怖がっているお客さんに、ここの占いは怖くない。安心して信頼して任せていいよ、という含みを持たせている。
占いが初めて?別にここは占い初心者の登竜門ではない。初心者の登竜門にしては、私自身がかなりの経験を積んでいる。初めてがここで良かったねというのは、とてもラッキーだねという感覚でお話をしている。数多い占いの中で、よく私を選んでくれた。私もラッキーだがお客さんもラッキー。最初がここですごく幸運だねという意味でもある。
緊張しているお客さんに、なるべく多くを語ってもらいたい。
人間打ち解けてくれば、何でも話し合える仲になる。
相性のいい友達のように何でも話し合える仲になれる。
さあ、緊張を解いて何でも私に話してごらん、あなたの胸のつっかえがとれるよ。
すると、10分後には佳境に入っている。
話が悦佳境に入り、時間を忘れて問題に取り組んでいる。
手ごたえのある話し合いが永遠に続く。
話が一段落したら手相を観る。
手を洗いしてアルコール消毒してから手相を観る。
手相から未来が分かる。
今後どうしていいか?目標も見える。
この未来の目標に沿って努力するべし。
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手相は変わる、変えるのはあなただ。
そう告げて私の鑑定は終了となる。
人独りで悩みを抱えるのはよくない。
私なら、人に話せないどんな悩みでも受け入れることができる。
そして、的確なアドバイスもすることができる。
恋愛は人に話せない内容が多い。
正しい恋もあれば正しくない恋もある。
純愛もあれば不倫もある。
どんな相談でも、私は真摯に受け止める。
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さあ、いらっしゃい。
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ここなら安心して、思うだけ話し合うことができるよ。
しかも、プロのアドバイスつきで。
多くの人が同じような内容で悩んでいる。もし、欲望を捨てたら?
人間は欲望を捨てることはできない。
また、欲望を捨てたら人間は終り。
人間は、葛藤と矛盾の中で生きている。
欲望を捨てることは理性を働かすことだが、理性ばかりでは努力と忍耐が強いられるだけで面白みがない。努力と忍耐が面白いという人間になるには、まだまだ先、もっと年を取ってからだ。恋愛感情を持っている若いうちは、理性より欲望が勝つのはしょうがない。
人間の欲望は概ね決まっている
金銭欲、色情欲(色恋、性欲など)出世欲(地位や名誉など)
お金、色恋、地位、などが人間の欲望だ。
自分はお金をいらない、愛する人もいらない、地位や名誉もいらないとなれば、人と接することのない山奥に棲んで自給自足をしながら仙人みたいな生活をするしかないだろう。
都会、あるいは地方でも、人間関係のある世界に住んでいれば、人間は欲望を持つようになる。お金、色恋、地位などの欲望を持つようになる。こういった欲望は、人間なら誰でも持つ欲望なので、ある意味仕方がないこと。逆にこの欲望は正しいのだという条件付けをして生きていくのが人間なのかもしれない。
だが、欲望というのは人間を苦しめるものである。
なぜ苦しむのか?
それは欲望に負けているからだ。
欲望に負けているから、みな同じ悩みで苦しむ。
例をあげよう。
仲の良かった彼に、突然音信不通にされた。
仲の良かった彼に、突然別れを告げられた。
音信不通の理由は?別れたいという理由は?
彼は何も語らない。黙っている・・・本当のことはいわない。
女性は白黒はっきりさせたいという欲望を持つが、男性はグレーで曖昧ではっきりしない態度を貫く。白黒決着型の女性に対して男性はキープ型ではっきりしない。これが色情欲である愛の苦しみである。人を愛する欲望は、相手の気持ちが変わったときに苦しみに変化するのである。
このような形で、みな苦しんでいる。
だから、みな同じような悩みで苦しんでいる。
色情欲は、相手の気持ちが変化したときに苦しみへと変わる。
人間は欲望なしでは生きていけない。
だが、欲望だけでは苦しみの連続だ。
欲望を捨てれば、苦しみはなくなるだろう。
音信不通にして、別れを告げた男性など切ってしまえば、欲望は消すことができる。だが、人間の欲望は体に染みついているので、そう簡単に切れない。切ろうとすればするほど傷つく。人間に巣くった欲望は剥離することは難しい。なぜなら人間は愛なしでは生きていけないからだ。
欲望を捨てたら、苦しみは消える。
だが、苦しみが消えたのは一時的なもので、また新たな苦しみが加わる。それは愛をなくしたという苦しみ。この苦しみが失敗のトラウマとなる。
どっちに転んでも苦しい。
人間の欲望とは、苦しみを増幅させるものである。
というような、同じ悩みを人間は抱えている。
みんな同じだ。証拠にもなくみな同じだ。
さて、どうするか?
正直言って、私は聞き飽きている。
毎日毎日、同じような苦しみにうんざりするほど聞き飽きている。
この苦しみをずっと続けるわけにはいかないだろう。
では、どうやってこの苦しみを取り除けるのか?
それは欲望を捨てることだ。
ええ、欲望を捨てたらまた新たな苦しみが加わるのではないの?
新たな苦しみも欲望だ、だから新たな欲望も捨てること。
それってどういうこと?
苦しみは欲望から生まれる。欲望を捨てれば苦しみはなくなる。
でも人間は欲望がなかったら生きていけないではないですか。
お金がなくて、愛がなくて、自分の地位がなくてどうやって生きていくの?
お金、愛、自分の地位である立つ位置は必要。それらは欲望がなくとも手に入れることができる。もちろん原動力は欲望だが、欲望だけでは手に入らない。手に入らない人は何かが足りないのだ。
それは何ですか?
それは・・・。
理性だ。
理性をバカにしてはいけない。
若い人みたいに、理性を嫌がってはいけない。
理性とはすべての欲望をコントロールする司令塔だ。理性の指令なしに勝手に欲望のまま行動するから失敗するのである。
音信不通?
別れたい?
グレー?
なんだ?それ。
こんなものに欲望をかざすことない。
こんなものに苦しむことない。
これが理性だ。
最初は欲望から入って最後は理性で判断する。
最後は人生の司令塔である理性に判断を委ねる。
これができれば、お金、色情、地位という欲望は手に入れることができる。
欲望があるから、過去、現代、未来と苦しむのだ。
欲望を理性でコントロールすれば、過去、現代、未来と楽しくなる。
理性を侮ってはならない。
理性を取り戻すには、欲望の何倍もの努力が必要だからだ。
欲望の努力はたかが知れている。
相手のことを思いやって苦しむだけだ。
だが、理性の努力は、自分のことを思いやって自分を助けることにある。
欲望は依存。
理性は自助努力。
依存は簡単だ。苦しむだけでほとんど努力しなくていいから。自助努力は大変だ。あまりにも努力と忍耐を強いられるのでみんな逃げ出してしまう。だが、逃げたら終り、また苦しみの世界に舞い戻ってしまう。理性を継続する方がはるかに難しい。あなたを救うにはあなた以外他にいない。自助努力力を上げ、恋愛をするならば「最初は欲望から入って最後は理性で判断する」人間になることである。そして理性で合格した人と一緒になれれば、過去、現代、未来と楽しくなる。
人間は欲望を捨てることはできない。
また、欲望を捨てたら人間は終り。
人間は、葛藤と矛盾の中で生きている。
欲望を捨てることは理性を働かすことだが、理性ばかりでは努力と忍耐が強いられるだけで面白みがない。努力と忍耐が面白いという人間になるには、まだまだ先、もっと年を取ってからだ。恋愛感情を持っている若いうちは、理性より欲望が勝つのはしょうがない。
人間の欲望は概ね決まっている
金銭欲、色情欲(色恋、性欲など)出世欲(地位や名誉など)
お金、色恋、地位、などが人間の欲望だ。
自分はお金をいらない、愛する人もいらない、地位や名誉もいらないとなれば、人と接することのない山奥に棲んで自給自足をしながら仙人みたいな生活をするしかないだろう。
都会、あるいは地方でも、人間関係のある世界に住んでいれば、人間は欲望を持つようになる。お金、色恋、地位などの欲望を持つようになる。こういった欲望は、人間なら誰でも持つ欲望なので、ある意味仕方がないこと。逆にこの欲望は正しいのだという条件付けをして生きていくのが人間なのかもしれない。
だが、欲望というのは人間を苦しめるものである。
なぜ苦しむのか?
それは欲望に負けているからだ。
欲望に負けているから、みな同じ悩みで苦しむ。
例をあげよう。
仲の良かった彼に、突然音信不通にされた。
仲の良かった彼に、突然別れを告げられた。
音信不通の理由は?別れたいという理由は?
彼は何も語らない。黙っている・・・本当のことはいわない。
女性は白黒はっきりさせたいという欲望を持つが、男性はグレーで曖昧ではっきりしない態度を貫く。白黒決着型の女性に対して男性はキープ型ではっきりしない。これが色情欲である愛の苦しみである。人を愛する欲望は、相手の気持ちが変わったときに苦しみに変化するのである。
このような形で、みな苦しんでいる。
だから、みな同じような悩みで苦しんでいる。
色情欲は、相手の気持ちが変化したときに苦しみへと変わる。
人間は欲望なしでは生きていけない。
だが、欲望だけでは苦しみの連続だ。
欲望を捨てれば、苦しみはなくなるだろう。
音信不通にして、別れを告げた男性など切ってしまえば、欲望は消すことができる。だが、人間の欲望は体に染みついているので、そう簡単に切れない。切ろうとすればするほど傷つく。人間に巣くった欲望は剥離することは難しい。なぜなら人間は愛なしでは生きていけないからだ。
欲望を捨てたら、苦しみは消える。
だが、苦しみが消えたのは一時的なもので、また新たな苦しみが加わる。それは愛をなくしたという苦しみ。この苦しみが失敗のトラウマとなる。
どっちに転んでも苦しい。
人間の欲望とは、苦しみを増幅させるものである。
というような、同じ悩みを人間は抱えている。
みんな同じだ。証拠にもなくみな同じだ。
さて、どうするか?
正直言って、私は聞き飽きている。
毎日毎日、同じような苦しみにうんざりするほど聞き飽きている。
この苦しみをずっと続けるわけにはいかないだろう。
では、どうやってこの苦しみを取り除けるのか?
それは欲望を捨てることだ。
ええ、欲望を捨てたらまた新たな苦しみが加わるのではないの?
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それってどういうこと?
苦しみは欲望から生まれる。欲望を捨てれば苦しみはなくなる。
でも人間は欲望がなかったら生きていけないではないですか。
お金がなくて、愛がなくて、自分の地位がなくてどうやって生きていくの?
お金、愛、自分の地位である立つ位置は必要。それらは欲望がなくとも手に入れることができる。もちろん原動力は欲望だが、欲望だけでは手に入らない。手に入らない人は何かが足りないのだ。
それは何ですか?
それは・・・。
理性だ。
理性をバカにしてはいけない。
若い人みたいに、理性を嫌がってはいけない。
理性とはすべての欲望をコントロールする司令塔だ。理性の指令なしに勝手に欲望のまま行動するから失敗するのである。
音信不通?
別れたい?
グレー?
なんだ?それ。
こんなものに欲望をかざすことない。
こんなものに苦しむことない。
これが理性だ。
最初は欲望から入って最後は理性で判断する。
最後は人生の司令塔である理性に判断を委ねる。
これができれば、お金、色情、地位という欲望は手に入れることができる。
欲望があるから、過去、現代、未来と苦しむのだ。
欲望を理性でコントロールすれば、過去、現代、未来と楽しくなる。
理性を侮ってはならない。
理性を取り戻すには、欲望の何倍もの努力が必要だからだ。
欲望の努力はたかが知れている。
相手のことを思いやって苦しむだけだ。
だが、理性の努力は、自分のことを思いやって自分を助けることにある。
欲望は依存。
理性は自助努力。
依存は簡単だ。苦しむだけでほとんど努力しなくていいから。自助努力は大変だ。あまりにも努力と忍耐を強いられるのでみんな逃げ出してしまう。だが、逃げたら終り、また苦しみの世界に舞い戻ってしまう。理性を継続する方がはるかに難しい。あなたを救うにはあなた以外他にいない。自助努力力を上げ、恋愛をするならば「最初は欲望から入って最後は理性で判断する」人間になることである。そして理性で合格した人と一緒になれれば、過去、現代、未来と楽しくなる。
音信不通をする人は最低、人間としての常識がない。
こういったモラルのない、常識のない人間が増えている。
なんで携帯電話なんか作ったのだろう。
なんでメールやlineを開発したのだろう。
しかも、それを個人の自由裁量に任せて。
これじゃ、不誠実な人が増えるわけだ。
音信不通で悩んでいる人が毎日のようにここ川越占い館を訪れます。
お客さんの第一声は「先生の恋愛日記のような展開になり、今は音信不通です。」飽きれるほど、これでもかこれでもかと音信不通の相談が後を絶たない。どうしちゃったの日本人よ、いや世界の男性よ。なぜ、あなたはモラルのない常識のない人間になり下がったのか?まあ…聞いてもしょうがないか、携帯ができたお陰で、モラルのない非常識な人間が増えた。これが時代だと思えば、あきらめもつくだろう。
いっそのこと携帯を放棄したらどうだろう。自分は携帯を持たない。その方がかっこいいかもしれない。とはいっても今の時代は携帯はかかせない必需品となった。では、携帯は仕事のみで使ったらどうだろう。仕事と情報を取るのみに使ってコミュニケーションツールとして使わない、これならどうだろう。
携帯を使わないでどうやって付き合うの?
昔のやり方で付き合うことだね。昔は携帯電話などなかった。だから、約束は会ったその日に交わした。次のデートは来週のこの日でどうですか?と次の約束を交わした。それなら、携帯電話がなくても何ら問題はない。
今の時代に逆行する考え方だが、便利な時代から不便な時代へと逆行するやり方だが、これだけ音信不通が多くなると、恋人同士では連絡を取らない方がいいのではないかと思ってしまう。愛を確かめるのは、会ったときでいいのではないか、そう思ってしまう。
もちろん今の時代に昔のやり方を導入するつもりもない。また不可能だろう。では、音信不通にどう対処すればいいかとなると、今の時代にふさわしい精神力を各個人が身につけなければならない。時代は変化しているのに、古い遺伝子、旧態依然の精神力では、バランスがとれなくなり壊れてしまう。それでは、この時代をたくましく生きていけない。
この時代をたくましく生きる精神力とは、音信不通で苦しまない精神力を作ることである。音信不通にする人は人間性が欠如しているという常識を振りかざしてもしょうがない。携帯電話ができたお陰でその常識は通用しなくなった。人はその日の気分で生きている。人は自分勝手に生きている。連絡するしないは個人の自由である。それをいちいち連絡するのが当たり前でしょ、連絡するのが常識でしょ、といったところで、個人の自由を阻止することはできない。人間は自由なのだ。自由は常識をはるかに上回っている。だれも、文句を言うこともできないし、誰も相手の自由を阻止することはできない。
というように、音信不通にしている人は、自分の自由意思でしている。罪悪感を持ちながら、連絡するかどうか迷いながら、しどろもどろ躊躇しながら、やっぱ…やめておこうと自由意思で連絡をしないでいる。そして面倒臭いから連絡をしないでいる。面倒臭いと感じるのも本人の自由意志である。その身勝手な非常識を、自由を重んじる世界では、誰も止めることができないし、誰も注意することができない。下手に注意をしたら、即刻その人が嫌われるだけだ。
というわけで、音信不通は本人の自由意思でやっている。非常識だろうが、なんだろうが、本人の自由意思で音信不通にしているのである。そして、音信不通にしている人に、「これって人してどうなの?」という常識は通じない。自由意思に常識もくそもないからだ。
では、された側はどうか?
された側にも自由意思がある。
今回はされた側の自由意思をもっと強化することにある。
相手が非常識なら苦しむことはない。なぜ、あなたは非常識なことをされて苦しみむの?それが意味わからない。非常識な行動を取っているのは相手の方で、あなたが思い悩むことはこれぽっちもない。
私が何かしたから彼は音信不通にしている?
私が責めたから、私がヒドイ言葉を発したから、私が焦って白黒勝負に出たから、私がネガティブになって暗い女になったから、私が嫌われることをしたから…私のせいだと思う女性はいっぱいいる。
そうではない。男女間の軋轢や葛藤は日常茶飯事の喧嘩両成敗だ。どちらも悪いし、どちらにも罪はない。自分が悪かったと反省するより、音信不通にしている意気地なしの彼を見下げた方がいい。こんなことくらいで音信不通にする男は将来見込みないねと見下げるくらいで丁度いい。
自分が悪かったと悩めば苦しむことになるし、意気地なしと見下げてしまえば余裕が生まれ、苦しむことがなくなる。そこから先は、彼の優しい言葉を待てばいい。男の謝罪と優しい言葉は忘れたころに来る。だから、早く忘れちぇばいいのである。
音信不通にしたら終わり。
最後に、された側の自由意志の強化の部分に入る。
音信不通は相手の自由意思でやっている。ならば、された側も自由意思で終わりにすればいい。音信不通は自由意思なので常識は通じないといっても限度がある。やはり常識は必要だ。常識のない人は不誠実だ。私は不誠実な人と付き合うつもりはない。だから、音信不通にした時点でその人を切る。それが私の自由意志だ。そこのところを強化すること。
不誠実な人には不誠実な対応を。
非常識には非常識な対応を。
この対応こそが、常識であり誠実である。
愛の変なフィルターでごまかされないこと。
音信不通にしたら有無を言わせず切る。
このくらいに毅然とした態度があなたを救うのである。
あなたが望んでいる幸せを手に入れたいのなら、毅然とした態度を貫くことである。それができれば、あなたはもう音信不通で苦しむことはなくなる。音信不通にしたら即終わりだからである。
そういう風にして音信不通男をばっさばっさ切っていけば、残った男性は、音信不通にしない男性ばかりが残る。
あなたはどちらを選ぶ?
それもあなたの自由意志だ。
自由意志の強化は、あなたの情や未練を成敗して、強く正しい本物の愛を手に入れることにある。だから、音信不通にされたら、その時点で切ってしまえ。どんなに好きでも切ってしまえ。それがあなたの精神強化である。
こういったモラルのない、常識のない人間が増えている。
なんで携帯電話なんか作ったのだろう。
なんでメールやlineを開発したのだろう。
しかも、それを個人の自由裁量に任せて。
これじゃ、不誠実な人が増えるわけだ。
音信不通で悩んでいる人が毎日のようにここ川越占い館を訪れます。
お客さんの第一声は「先生の恋愛日記のような展開になり、今は音信不通です。」飽きれるほど、これでもかこれでもかと音信不通の相談が後を絶たない。どうしちゃったの日本人よ、いや世界の男性よ。なぜ、あなたはモラルのない常識のない人間になり下がったのか?まあ…聞いてもしょうがないか、携帯ができたお陰で、モラルのない非常識な人間が増えた。これが時代だと思えば、あきらめもつくだろう。
いっそのこと携帯を放棄したらどうだろう。自分は携帯を持たない。その方がかっこいいかもしれない。とはいっても今の時代は携帯はかかせない必需品となった。では、携帯は仕事のみで使ったらどうだろう。仕事と情報を取るのみに使ってコミュニケーションツールとして使わない、これならどうだろう。
携帯を使わないでどうやって付き合うの?
昔のやり方で付き合うことだね。昔は携帯電話などなかった。だから、約束は会ったその日に交わした。次のデートは来週のこの日でどうですか?と次の約束を交わした。それなら、携帯電話がなくても何ら問題はない。
今の時代に逆行する考え方だが、便利な時代から不便な時代へと逆行するやり方だが、これだけ音信不通が多くなると、恋人同士では連絡を取らない方がいいのではないかと思ってしまう。愛を確かめるのは、会ったときでいいのではないか、そう思ってしまう。
もちろん今の時代に昔のやり方を導入するつもりもない。また不可能だろう。では、音信不通にどう対処すればいいかとなると、今の時代にふさわしい精神力を各個人が身につけなければならない。時代は変化しているのに、古い遺伝子、旧態依然の精神力では、バランスがとれなくなり壊れてしまう。それでは、この時代をたくましく生きていけない。
この時代をたくましく生きる精神力とは、音信不通で苦しまない精神力を作ることである。音信不通にする人は人間性が欠如しているという常識を振りかざしてもしょうがない。携帯電話ができたお陰でその常識は通用しなくなった。人はその日の気分で生きている。人は自分勝手に生きている。連絡するしないは個人の自由である。それをいちいち連絡するのが当たり前でしょ、連絡するのが常識でしょ、といったところで、個人の自由を阻止することはできない。人間は自由なのだ。自由は常識をはるかに上回っている。だれも、文句を言うこともできないし、誰も相手の自由を阻止することはできない。
というように、音信不通にしている人は、自分の自由意思でしている。罪悪感を持ちながら、連絡するかどうか迷いながら、しどろもどろ躊躇しながら、やっぱ…やめておこうと自由意思で連絡をしないでいる。そして面倒臭いから連絡をしないでいる。面倒臭いと感じるのも本人の自由意志である。その身勝手な非常識を、自由を重んじる世界では、誰も止めることができないし、誰も注意することができない。下手に注意をしたら、即刻その人が嫌われるだけだ。
というわけで、音信不通は本人の自由意思でやっている。非常識だろうが、なんだろうが、本人の自由意思で音信不通にしているのである。そして、音信不通にしている人に、「これって人してどうなの?」という常識は通じない。自由意思に常識もくそもないからだ。
では、された側はどうか?
された側にも自由意思がある。
今回はされた側の自由意思をもっと強化することにある。
相手が非常識なら苦しむことはない。なぜ、あなたは非常識なことをされて苦しみむの?それが意味わからない。非常識な行動を取っているのは相手の方で、あなたが思い悩むことはこれぽっちもない。
私が何かしたから彼は音信不通にしている?
私が責めたから、私がヒドイ言葉を発したから、私が焦って白黒勝負に出たから、私がネガティブになって暗い女になったから、私が嫌われることをしたから…私のせいだと思う女性はいっぱいいる。
そうではない。男女間の軋轢や葛藤は日常茶飯事の喧嘩両成敗だ。どちらも悪いし、どちらにも罪はない。自分が悪かったと反省するより、音信不通にしている意気地なしの彼を見下げた方がいい。こんなことくらいで音信不通にする男は将来見込みないねと見下げるくらいで丁度いい。
自分が悪かったと悩めば苦しむことになるし、意気地なしと見下げてしまえば余裕が生まれ、苦しむことがなくなる。そこから先は、彼の優しい言葉を待てばいい。男の謝罪と優しい言葉は忘れたころに来る。だから、早く忘れちぇばいいのである。
音信不通にしたら終わり。
最後に、された側の自由意志の強化の部分に入る。
音信不通は相手の自由意思でやっている。ならば、された側も自由意思で終わりにすればいい。音信不通は自由意思なので常識は通じないといっても限度がある。やはり常識は必要だ。常識のない人は不誠実だ。私は不誠実な人と付き合うつもりはない。だから、音信不通にした時点でその人を切る。それが私の自由意志だ。そこのところを強化すること。
不誠実な人には不誠実な対応を。
非常識には非常識な対応を。
この対応こそが、常識であり誠実である。
愛の変なフィルターでごまかされないこと。
音信不通にしたら有無を言わせず切る。
このくらいに毅然とした態度があなたを救うのである。
あなたが望んでいる幸せを手に入れたいのなら、毅然とした態度を貫くことである。それができれば、あなたはもう音信不通で苦しむことはなくなる。音信不通にしたら即終わりだからである。
そういう風にして音信不通男をばっさばっさ切っていけば、残った男性は、音信不通にしない男性ばかりが残る。
あなたはどちらを選ぶ?
それもあなたの自由意志だ。
自由意志の強化は、あなたの情や未練を成敗して、強く正しい本物の愛を手に入れることにある。だから、音信不通にされたら、その時点で切ってしまえ。どんなに好きでも切ってしまえ。それがあなたの精神強化である。
貴女が彼との別れを考えているとする。
世の中には恋愛不適合者の男性がいる。
病的なオンナ好きで浮気を繰り返す人。
病的な仕事人間で家庭(愛)を顧みない人。
病的にお金にだらしなく借金の山を作る人。
病的なアルコール中毒の人。
病的な精神疾患を持っている人。
病的な、なになにとは、恋愛不適合者の男性のことをいいます。その判断はあなた自身の常識の範囲内で判断してください。
さらに付け加えれば、恋愛不適合者とは女性を苦しめる相手です。音信不通にして苦しめる。会おうとしないで苦しめる。約束を果たさず苦しめる。嘘をついて苦しめる。騙して苦しめる、話し合いに応じないで苦しめる、ような男性が恋愛不適合者です。
恋愛不適合者と付き合えば、別れるしかありません。
別れて縁を切ることで、あなたの未来は拓かれるのです。
このままここに残って恋愛を続ければ、あなたはますます不幸になります。いつまでも、とめどくなく続く辛い場所にいつまでも踏み止まってはいけません。勇気を振り絞って、この場所から離れることです。
そうはいっても。
わかります…。あなたは女性ですから、愛を失いたくないのでしょう。
女性は愛を失うのをひどく恐れるからです。
愛を失った途端に生き甲斐を失い、何かもやる気がなくなる。
食事ものどを通らなくなり、夜寝れなくなる。
愛を失ったら女性は生きる屍となってしまう。
女性は愛を失ったら生きていけない。
こういった恐れがあるから、女性は愛を失いたくないのでしょう。
でも、それはとんだ誤解です。
とんだ錯覚です。
大丈夫です、愛を失っても生きていけます。
ほんのちょっと悲しめば、また前に進めます。
大丈夫、あなたは愛を失っても生きていけますから。
女のサガにいつまでも振り回されてはいけません。しつこく絡んだ女というDNAのサガ、まるでアリ地獄に落ちた女のサガ。悪魔のように恋愛にしがみつく女のサガ。まるで呪いにかかったような女のサガ。正しいことを正しく見ない女のサガ。女のサガは時として恐ろしく、冷静な正しい判断を狂わすものです。
恋愛不適合者と一緒にいても、幸せは訪れません。幸せが訪れるどころか、日に日にみるみるあなたを不幸にしていくだけです。もうこれ以上、この苦しみに耐えるのはやめましょう。あなたはやるところまでやった。もう十分でしょう。
もう十分に尽くした。
あとは、別れるだけ。
さて、ではどうやって別れるか?
愛を失うのを一番恐れている女性が、どうやってその人と別れるか。
それは簡単です。
失ってもいいという覚悟を持てばいいのです。
その覚悟さえあれば、何でもできます。
過去を清算することも、未来に進むことも、何でもできます。
愛を失うのを皆さんは恐れますが、愛とはなんでしょう。
よく考えてみてください。
愛とはなんですか?
あなたが考えている間に私の考えを述べます。
これから述べる私の考えは、とても冷たいです。
冷たいが、そこに真実があります。
私の考えは、「そこに愛がなかった」ただ、それだけです。
愛は物体である。物体はいつか消滅します。またこういう考え方もできます。物体そのものがなかった。「ある」と思うから恐れるのであって「ない」と思えば恐れることはない。傷ついて恐れているのは自分だけ。物体はなかったのです。あったのは、思い出と記憶だけです。だから愛という物体はなかったのです。
愛はいつか終わります。愛はいつか消滅します。永遠なる愛があるといっているのは、人々の虚像です。恋愛にあるのは、いつか終わることを余儀なくされた愛のみです。そしてそこにあるのは物体ではありません。無常の「無」なのです。愛は無上の無だと思えば、終わるときは、そこに「愛」がなかったのです。
私の考えは、仏教的な変な哲学論に走りましたが、私がいいたのは、一言だけです。
「愛はそこになかったのです。」
そこにあった愛は、無常の無だったのです。
これが有の愛なら、別れることを考えることなくここに残ったでしょう。
残らなった愛は、愛そのものがなかったのです。
物体はなかった。愛もなかった。なかったことが理解できれば、失う覚悟が持てるようになります。
あなたは恋愛不適合者の彼との別れを望んでいます。
相手を許して、失う覚悟で別れてください。
そこに愛はなかったのですから。
世の中には恋愛不適合者の男性がいる。
病的なオンナ好きで浮気を繰り返す人。
病的な仕事人間で家庭(愛)を顧みない人。
病的にお金にだらしなく借金の山を作る人。
病的なアルコール中毒の人。
病的な精神疾患を持っている人。
病的な、なになにとは、恋愛不適合者の男性のことをいいます。その判断はあなた自身の常識の範囲内で判断してください。
さらに付け加えれば、恋愛不適合者とは女性を苦しめる相手です。音信不通にして苦しめる。会おうとしないで苦しめる。約束を果たさず苦しめる。嘘をついて苦しめる。騙して苦しめる、話し合いに応じないで苦しめる、ような男性が恋愛不適合者です。
恋愛不適合者と付き合えば、別れるしかありません。
別れて縁を切ることで、あなたの未来は拓かれるのです。
このままここに残って恋愛を続ければ、あなたはますます不幸になります。いつまでも、とめどくなく続く辛い場所にいつまでも踏み止まってはいけません。勇気を振り絞って、この場所から離れることです。
そうはいっても。
わかります…。あなたは女性ですから、愛を失いたくないのでしょう。
女性は愛を失うのをひどく恐れるからです。
愛を失った途端に生き甲斐を失い、何かもやる気がなくなる。
食事ものどを通らなくなり、夜寝れなくなる。
愛を失ったら女性は生きる屍となってしまう。
女性は愛を失ったら生きていけない。
こういった恐れがあるから、女性は愛を失いたくないのでしょう。
でも、それはとんだ誤解です。
とんだ錯覚です。
大丈夫です、愛を失っても生きていけます。
ほんのちょっと悲しめば、また前に進めます。
大丈夫、あなたは愛を失っても生きていけますから。
女のサガにいつまでも振り回されてはいけません。しつこく絡んだ女というDNAのサガ、まるでアリ地獄に落ちた女のサガ。悪魔のように恋愛にしがみつく女のサガ。まるで呪いにかかったような女のサガ。正しいことを正しく見ない女のサガ。女のサガは時として恐ろしく、冷静な正しい判断を狂わすものです。
恋愛不適合者と一緒にいても、幸せは訪れません。幸せが訪れるどころか、日に日にみるみるあなたを不幸にしていくだけです。もうこれ以上、この苦しみに耐えるのはやめましょう。あなたはやるところまでやった。もう十分でしょう。
もう十分に尽くした。
あとは、別れるだけ。
さて、ではどうやって別れるか?
愛を失うのを一番恐れている女性が、どうやってその人と別れるか。
それは簡単です。
失ってもいいという覚悟を持てばいいのです。
その覚悟さえあれば、何でもできます。
過去を清算することも、未来に進むことも、何でもできます。
愛を失うのを皆さんは恐れますが、愛とはなんでしょう。
よく考えてみてください。
愛とはなんですか?
あなたが考えている間に私の考えを述べます。
これから述べる私の考えは、とても冷たいです。
冷たいが、そこに真実があります。
私の考えは、「そこに愛がなかった」ただ、それだけです。
愛は物体である。物体はいつか消滅します。またこういう考え方もできます。物体そのものがなかった。「ある」と思うから恐れるのであって「ない」と思えば恐れることはない。傷ついて恐れているのは自分だけ。物体はなかったのです。あったのは、思い出と記憶だけです。だから愛という物体はなかったのです。
愛はいつか終わります。愛はいつか消滅します。永遠なる愛があるといっているのは、人々の虚像です。恋愛にあるのは、いつか終わることを余儀なくされた愛のみです。そしてそこにあるのは物体ではありません。無常の「無」なのです。愛は無上の無だと思えば、終わるときは、そこに「愛」がなかったのです。
私の考えは、仏教的な変な哲学論に走りましたが、私がいいたのは、一言だけです。
「愛はそこになかったのです。」
そこにあった愛は、無常の無だったのです。
これが有の愛なら、別れることを考えることなくここに残ったでしょう。
残らなった愛は、愛そのものがなかったのです。
物体はなかった。愛もなかった。なかったことが理解できれば、失う覚悟が持てるようになります。
あなたは恋愛不適合者の彼との別れを望んでいます。
相手を許して、失う覚悟で別れてください。
そこに愛はなかったのですから。
誰かが言っていた。
人生の喜びは一瞬であとは苦労の連続だ。
仏教では、人生は艱難辛苦ともいわれている。
艱難辛苦とは、非情な困難にあって苦しみ悩むことをいう。
人間生きていれば、必然的に困難にあって悩み苦しむようにできている。
それが人間だ、それが生きている証だ。
だから、辛い悩みや苦しみがどんどん押し寄せてくる。
まるで、それに対抗するのが人間のように。
見方を変えれば、艱難辛苦に押し潰されることはない。
人生は苦労の連続だと思えば、艱難辛苦に押し潰されることはない。
逆にこれは面白い、これが生き甲斐であると感じてもいい。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
逆に、「面白いではないか」と感じてしまえばいいのである。
困難にあって悩み苦しむ人もあれば、困難にあって面白いと感じる人もいる。後者は(空海や中村天風)のような悟りを得た人間かもしれないが、私もいつかは困難を面白いといえる人間になりたい。皆さんもそうだと思います。艱難辛苦を面白いといえる人間になりたいのではないでしょうか。
困難を面白いといえる人間になる。
そのために、相当な修行が必要か?お坊さんのような荒行の修行を積まないと悟りは得られないか?そんなことはありません。人間はひとりひとりが生きているだけで相当な修行を積んでいるからです。
あなたが生きていることで、あなたが社会に貢献することで、あなたが誰かを愛することで、あなたが子育てをすることで、あなたが仕事をすることで、あなたが家事をすることで、あなたが生活することで、それらすべてが修行なのです。人間生きていること自体が修行なのです。だから、あなたは十分に修行を積んできた。お坊さん以上に修行を積んできたといっていいでしょう。
あとはあなたがどう考えるかです。
お坊さんは、その点考える世界の修行を積んでいます。
仏に仕え、困難を生き抜く知恵を、毎日お経を唱えながら学んでいます。これを繰り返せば、そういう考え方、そういう思考が身につくものなのです。
私たちはお坊さん以上の修行を積んだとしても、そういった考え方を日常生活に取入れていません。だから、取入れればいいのです。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
面白いではないかと、あなたの考え方にいれればいいのです。
あなた方は十分な修行を積んでいます。
あとは、考え方を変えればいいのです。
困難は面白いと考えることで、あなたが今まで積んで来た修行が役に立ちます。あなたは十分に生きるための修行を積んできました。あとはものの考え方です。
恋愛にもたくさんの困難があります。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
これが恋愛です。
こいつは面白いと考えることで、辛い恋愛が楽しくなるのです。
是非、困難を楽しむ人間になってください。
これが生きている証ですから。
人生の喜びは一瞬であとは苦労の連続だ。
仏教では、人生は艱難辛苦ともいわれている。
艱難辛苦とは、非情な困難にあって苦しみ悩むことをいう。
人間生きていれば、必然的に困難にあって悩み苦しむようにできている。
それが人間だ、それが生きている証だ。
だから、辛い悩みや苦しみがどんどん押し寄せてくる。
まるで、それに対抗するのが人間のように。
見方を変えれば、艱難辛苦に押し潰されることはない。
人生は苦労の連続だと思えば、艱難辛苦に押し潰されることはない。
逆にこれは面白い、これが生き甲斐であると感じてもいい。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
逆に、「面白いではないか」と感じてしまえばいいのである。
困難にあって悩み苦しむ人もあれば、困難にあって面白いと感じる人もいる。後者は(空海や中村天風)のような悟りを得た人間かもしれないが、私もいつかは困難を面白いといえる人間になりたい。皆さんもそうだと思います。艱難辛苦を面白いといえる人間になりたいのではないでしょうか。
困難を面白いといえる人間になる。
そのために、相当な修行が必要か?お坊さんのような荒行の修行を積まないと悟りは得られないか?そんなことはありません。人間はひとりひとりが生きているだけで相当な修行を積んでいるからです。
あなたが生きていることで、あなたが社会に貢献することで、あなたが誰かを愛することで、あなたが子育てをすることで、あなたが仕事をすることで、あなたが家事をすることで、あなたが生活することで、それらすべてが修行なのです。人間生きていること自体が修行なのです。だから、あなたは十分に修行を積んできた。お坊さん以上に修行を積んできたといっていいでしょう。
あとはあなたがどう考えるかです。
お坊さんは、その点考える世界の修行を積んでいます。
仏に仕え、困難を生き抜く知恵を、毎日お経を唱えながら学んでいます。これを繰り返せば、そういう考え方、そういう思考が身につくものなのです。
私たちはお坊さん以上の修行を積んだとしても、そういった考え方を日常生活に取入れていません。だから、取入れればいいのです。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
面白いではないかと、あなたの考え方にいれればいいのです。
あなた方は十分な修行を積んでいます。
あとは、考え方を変えればいいのです。
困難は面白いと考えることで、あなたが今まで積んで来た修行が役に立ちます。あなたは十分に生きるための修行を積んできました。あとはものの考え方です。
恋愛にもたくさんの困難があります。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
これが恋愛です。
こいつは面白いと考えることで、辛い恋愛が楽しくなるのです。
是非、困難を楽しむ人間になってください。
これが生きている証ですから。
人生は戦いから成り立っています。
好むと好まざるにかかわらず、誰もが生まれたときから、勉強、仕事、人間関係の葛藤に駆り立てられ、悩み、傷つきます。
生きることは辛くて苦しいことです。戦いの中では、たた生き抜くこと、これこそ勇敢で価値のあることなのですが、戦いに敗れ、試練を克服することができず、無気力感にないなまされ、生きる希望を失い弱音を吐いている人も多く見受けられます。
戦いに勝った人のみが勝利者で幸せになれるか?
西洋哲学の「成功の哲学」では、そのように言われています。これらの本は戦いに勝つ精神論や成功するためのノウハウを作者の持論と学者や研究者からなる膨大な資料で科学的に成功するためにはこうするべきだとふんだんに書いてあります。「戦いに勝った人のみが勝利者で幸せになれる」これが本のうたい文句になっている気がしてなりません。
では、そこから外れた一般の人はどうなるか。
成功者の1%が幸せで、残り99%は不幸か?
私はそのように思いません。
99%に属する私は、成功者の幸せ論には反対です。
お金や地位や名誉だけが幸せではないからです。
平凡の中の幸せを目指す、この方が自分にあっていると思うからです。
1%の成功者の幸福より、99%の不幸と共に戦う。大袈裟ですが、私はこの志で仕事にあたっています。また、99%の人が不幸ではありません。皆さんそれぞれ必死に戦っています。生きるために必死に戦っています。思い通りにいかない人生を、悩みながら、苦しみながら、必死に戦っています。私はその人たちの背中をそっと押すだけです。
人生は思い通りにならない、それでいいのではないですか。
どんな人でも、人生は思い通りにならないのです。
たとえ、金持ちでも、地位や名誉のある人でも、事業で大成功を収めた人でも、人生は思い通りにならないのです。
人は一人では生きていけません。成功してもパートナーとうまくいかなかったり、家族とうまくいかなかったりします。事業で一時期は大成功した人でもライバルに先を越され、共同経営者に裏切られ、時代の流れに事業がついていかず、銀行から融資を断れることもあります。成功者の失敗は、一般人の100倍もの不幸を背負うことになるでしょう。失敗の原因は成功に有頂天になり、人の心を無視して人を見下し人を卑下したからです。こうなると1%の成功者は不幸の道をたどることになります。
生じたものは滅びる。
栄光盛衰。
これが思い通りにいかない人生の掟です。
人々を大切にしないと、成功は失敗に変わります。
人の心を無視すると、成功は失敗に変わります。
なぜ失敗するのか、ここには愛がないからです。
人を大切にして愛する。
そして、自分を大切にして愛する。
人を好きになり、自分も好きになる。
これだけあれば、人生は思い通りにならなくても、なんとかやっていけます。不幸になっている大半の人は人を裏切っているからです。
人生は戦いから成り立っています。
人生はどんな人でも思い通りになりません。
人生は思い通りにならない、それでいいのではないですか。
思い通りにならなくても、ただ、生き抜くこと。
それで、いいのではないでしょうか。
私たちは99%の枠の中にいる人間です。
欲望渦巻く1%の人間が幸せとは思えません。
1%の世界を羨むより、平凡を楽しむ。
これでいいのではないでしょうか。
好むと好まざるにかかわらず、誰もが生まれたときから、勉強、仕事、人間関係の葛藤に駆り立てられ、悩み、傷つきます。
生きることは辛くて苦しいことです。戦いの中では、たた生き抜くこと、これこそ勇敢で価値のあることなのですが、戦いに敗れ、試練を克服することができず、無気力感にないなまされ、生きる希望を失い弱音を吐いている人も多く見受けられます。
戦いに勝った人のみが勝利者で幸せになれるか?
西洋哲学の「成功の哲学」では、そのように言われています。これらの本は戦いに勝つ精神論や成功するためのノウハウを作者の持論と学者や研究者からなる膨大な資料で科学的に成功するためにはこうするべきだとふんだんに書いてあります。「戦いに勝った人のみが勝利者で幸せになれる」これが本のうたい文句になっている気がしてなりません。
では、そこから外れた一般の人はどうなるか。
成功者の1%が幸せで、残り99%は不幸か?
私はそのように思いません。
99%に属する私は、成功者の幸せ論には反対です。
お金や地位や名誉だけが幸せではないからです。
平凡の中の幸せを目指す、この方が自分にあっていると思うからです。
1%の成功者の幸福より、99%の不幸と共に戦う。大袈裟ですが、私はこの志で仕事にあたっています。また、99%の人が不幸ではありません。皆さんそれぞれ必死に戦っています。生きるために必死に戦っています。思い通りにいかない人生を、悩みながら、苦しみながら、必死に戦っています。私はその人たちの背中をそっと押すだけです。
人生は思い通りにならない、それでいいのではないですか。
どんな人でも、人生は思い通りにならないのです。
たとえ、金持ちでも、地位や名誉のある人でも、事業で大成功を収めた人でも、人生は思い通りにならないのです。
人は一人では生きていけません。成功してもパートナーとうまくいかなかったり、家族とうまくいかなかったりします。事業で一時期は大成功した人でもライバルに先を越され、共同経営者に裏切られ、時代の流れに事業がついていかず、銀行から融資を断れることもあります。成功者の失敗は、一般人の100倍もの不幸を背負うことになるでしょう。失敗の原因は成功に有頂天になり、人の心を無視して人を見下し人を卑下したからです。こうなると1%の成功者は不幸の道をたどることになります。
生じたものは滅びる。
栄光盛衰。
これが思い通りにいかない人生の掟です。
人々を大切にしないと、成功は失敗に変わります。
人の心を無視すると、成功は失敗に変わります。
なぜ失敗するのか、ここには愛がないからです。
人を大切にして愛する。
そして、自分を大切にして愛する。
人を好きになり、自分も好きになる。
これだけあれば、人生は思い通りにならなくても、なんとかやっていけます。不幸になっている大半の人は人を裏切っているからです。
人生は戦いから成り立っています。
人生はどんな人でも思い通りになりません。
人生は思い通りにならない、それでいいのではないですか。
思い通りにならなくても、ただ、生き抜くこと。
それで、いいのではないでしょうか。
私たちは99%の枠の中にいる人間です。
欲望渦巻く1%の人間が幸せとは思えません。
1%の世界を羨むより、平凡を楽しむ。
これでいいのではないでしょうか。
私は以下の言葉が好きである。
「人間の大きな進歩は、必ず苦しみによってもたらされる」。
苦しみこそ自己の成長に必須。
苦しみは、克服し、それを活かすことによって、自己の才能を開花させる。
すなわち人生の究極は、自らの弱さの克服、その自助努力にあるのです。
コロナ禍で苦しんでいる皆さんにぴったりな言葉だと思います。
緊急事態宣言によって、経済は困窮し、そこで働いている皆さんは先の見通しのない時代を必死に堪えて生きていると思います。今は苦しい時です。今はお先真っ暗です。だが、いつかはコロナは終息します。人類の力でコロナを終息することができるでしょう。朝の来ない夜はありません。日はまた昇るのです。経済が活動して普段の生活が戻るまで、長いトンネルから抜け出すまで、明るくなるまで、もう少しの辛抱です。皆さんで、この苦しみを克服し、さらなる成長と発展を遂げていきましょう。コロナに負けるなです。
人間の大きな進歩は、必ず苦しみによってもたされる。
苦しみこそ自己の成長に必須だ。
苦しみは、克服し、それを活かすことによって、自己の才能を開花させることができる。
すなわち人生の究極は、自らの弱さの克服、その自助努力にある。
この言葉は、皆さんへの言葉ではなく、私自身へあてた言葉でもあります。
平和だと、この言葉を忘れますね。平和ボケしてつい忘れてしまいます。
また、日々努力。自助努力ですね。
自分のことは自分が助けるしかありません。
どうやって?自分を助けるの?
それは自分を信じることです。
困難な時は、人は自分の力を低く見積もる癖がありますが、困難なときほど自分の力を高く見積ることです。別に他人に言うわけではありません。自分が自分自身に言うのです。誰も聞いていません、聞いているのは自分だけです。その自分が自分に言うのです。自分人は力がある、自分なら大丈夫、この困難を乗り越えられる。「だから、もっと力を発揮せよ」と自分に言い聞かせ、自分の力を信じることです。
「人間の大きな進歩は、必ず苦しみによってもたらされる」。
苦しみこそ自己の成長に必須。
苦しみは、克服し、それを活かすことによって、自己の才能を開花させる。
すなわち人生の究極は、自らの弱さの克服、その自助努力にあるのです。
コロナ禍で苦しんでいる皆さんにぴったりな言葉だと思います。
緊急事態宣言によって、経済は困窮し、そこで働いている皆さんは先の見通しのない時代を必死に堪えて生きていると思います。今は苦しい時です。今はお先真っ暗です。だが、いつかはコロナは終息します。人類の力でコロナを終息することができるでしょう。朝の来ない夜はありません。日はまた昇るのです。経済が活動して普段の生活が戻るまで、長いトンネルから抜け出すまで、明るくなるまで、もう少しの辛抱です。皆さんで、この苦しみを克服し、さらなる成長と発展を遂げていきましょう。コロナに負けるなです。
人間の大きな進歩は、必ず苦しみによってもたされる。
苦しみこそ自己の成長に必須だ。
苦しみは、克服し、それを活かすことによって、自己の才能を開花させることができる。
すなわち人生の究極は、自らの弱さの克服、その自助努力にある。
この言葉は、皆さんへの言葉ではなく、私自身へあてた言葉でもあります。
平和だと、この言葉を忘れますね。平和ボケしてつい忘れてしまいます。
また、日々努力。自助努力ですね。
自分のことは自分が助けるしかありません。
どうやって?自分を助けるの?
それは自分を信じることです。
困難な時は、人は自分の力を低く見積もる癖がありますが、困難なときほど自分の力を高く見積ることです。別に他人に言うわけではありません。自分が自分自身に言うのです。誰も聞いていません、聞いているのは自分だけです。その自分が自分に言うのです。自分人は力がある、自分なら大丈夫、この困難を乗り越えられる。「だから、もっと力を発揮せよ」と自分に言い聞かせ、自分の力を信じることです。
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