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ここに来るお客さんは、みなさん緊張なさっている。
でも、10分後には打ち解けている。
なぜすぐに打ち解けることができるのか?
私とお客さんの相性はすごくいいから(笑)
というか、私はどんな人でも合わせることができるから。

よく「占いが初めて」というお客んが来る。
すかさず私は、「ここで良かったね」という。
「なぜならここは優しいから、占いが初めての方にはもってこいの場所ですよ」と答える。
占いを怖がっているお客さんに、ここの占いは怖くない。安心して信頼して任せていいよ、という含みを持たせている。

占いが初めて?別にここは占い初心者の登竜門ではない。初心者の登竜門にしては、私自身がかなりの経験を積んでいる。初めてがここで良かったねというのは、とてもラッキーだねという感覚でお話をしている。数多い占いの中で、よく私を選んでくれた。私もラッキーだがお客さんもラッキー。最初がここですごく幸運だねという意味でもある。

緊張しているお客さんに、なるべく多くを語ってもらいたい。
人間打ち解けてくれば、何でも話し合える仲になる。
相性のいい友達のように何でも話し合える仲になれる。
さあ、緊張を解いて何でも私に話してごらん、あなたの胸のつっかえがとれるよ。

すると、10分後には佳境に入っている。
話が悦佳境に入り、時間を忘れて問題に取り組んでいる。
手ごたえのある話し合いが永遠に続く。

話が一段落したら手相を観る。
手を洗いしてアルコール消毒してから手相を観る。
手相から未来が分かる。
今後どうしていいか?目標も見える。
この未来の目標に沿って努力するべし。
手相の線は薄かったり濃かったりする。
薄ければ、努力すれば濃くなる。
手相は変わる、変えるのはあなただ。
そう告げて私の鑑定は終了となる。

人独りで悩みを抱えるのはよくない。
私なら、人に話せないどんな悩みでも受け入れることができる。
そして、的確なアドバイスもすることができる。
恋愛は人に話せない内容が多い。
正しい恋もあれば正しくない恋もある。
純愛もあれば不倫もある。
どんな相談でも、私は真摯に受け止める。
そして、正しい方向へアドバイスすることができる。

さあ、いらっしゃい。
占い初心者よ。
ここなら安心して、思うだけ話し合うことができるよ。
しかも、プロのアドバイスつきで。



多くの人が同じような内容で悩んでいる。もし、欲望を捨てたら?
人間は欲望を捨てることはできない。
また、欲望を捨てたら人間は終り。
人間は、葛藤と矛盾の中で生きている。

欲望を捨てることは理性を働かすことだが、理性ばかりでは努力と忍耐が強いられるだけで面白みがない。努力と忍耐が面白いという人間になるには、まだまだ先、もっと年を取ってからだ。恋愛感情を持っている若いうちは、理性より欲望が勝つのはしょうがない。

人間の欲望は概ね決まっている
金銭欲、色情欲(色恋、性欲など)出世欲(地位や名誉など)
お金、色恋、地位、などが人間の欲望だ。
自分はお金をいらない、愛する人もいらない、地位や名誉もいらないとなれば、人と接することのない山奥に棲んで自給自足をしながら仙人みたいな生活をするしかないだろう。

都会、あるいは地方でも、人間関係のある世界に住んでいれば、人間は欲望を持つようになる。お金、色恋、地位などの欲望を持つようになる。こういった欲望は、人間なら誰でも持つ欲望なので、ある意味仕方がないこと。逆にこの欲望は正しいのだという条件付けをして生きていくのが人間なのかもしれない。

だが、欲望というのは人間を苦しめるものである。
なぜ苦しむのか?
それは欲望に負けているからだ。
欲望に負けているから、みな同じ悩みで苦しむ。

例をあげよう。
仲の良かった彼に、突然音信不通にされた。
仲の良かった彼に、突然別れを告げられた。
音信不通の理由は?別れたいという理由は?
彼は何も語らない。黙っている・・・本当のことはいわない。
女性は白黒はっきりさせたいという欲望を持つが、男性はグレーで曖昧ではっきりしない態度を貫く。白黒決着型の女性に対して男性はキープ型ではっきりしない。これが色情欲である愛の苦しみである。人を愛する欲望は、相手の気持ちが変わったときに苦しみに変化するのである。

このような形で、みな苦しんでいる。
だから、みな同じような悩みで苦しんでいる。
色情欲は、相手の気持ちが変化したときに苦しみへと変わる。
人間は欲望なしでは生きていけない。
だが、欲望だけでは苦しみの連続だ。
欲望を捨てれば、苦しみはなくなるだろう。
音信不通にして、別れを告げた男性など切ってしまえば、欲望は消すことができる。だが、人間の欲望は体に染みついているので、そう簡単に切れない。切ろうとすればするほど傷つく。人間に巣くった欲望は剥離することは難しい。なぜなら人間は愛なしでは生きていけないからだ。

欲望を捨てたら、苦しみは消える。
だが、苦しみが消えたのは一時的なもので、また新たな苦しみが加わる。それは愛をなくしたという苦しみ。この苦しみが失敗のトラウマとなる。

どっちに転んでも苦しい。
人間の欲望とは、苦しみを増幅させるものである。
というような、同じ悩みを人間は抱えている。
みんな同じだ。証拠にもなくみな同じだ。

さて、どうするか?
正直言って、私は聞き飽きている。
毎日毎日、同じような苦しみにうんざりするほど聞き飽きている。

この苦しみをずっと続けるわけにはいかないだろう。
では、どうやってこの苦しみを取り除けるのか?

それは欲望を捨てることだ。
ええ、欲望を捨てたらまた新たな苦しみが加わるのではないの?
新たな苦しみも欲望だ、だから新たな欲望も捨てること。

それってどういうこと?
苦しみは欲望から生まれる。欲望を捨てれば苦しみはなくなる。
でも人間は欲望がなかったら生きていけないではないですか。
お金がなくて、愛がなくて、自分の地位がなくてどうやって生きていくの?
お金、愛、自分の地位である立つ位置は必要。それらは欲望がなくとも手に入れることができる。もちろん原動力は欲望だが、欲望だけでは手に入らない。手に入らない人は何かが足りないのだ。

それは何ですか?

それは・・・。

理性だ。

理性をバカにしてはいけない。
若い人みたいに、理性を嫌がってはいけない。
理性とはすべての欲望をコントロールする司令塔だ。理性の指令なしに勝手に欲望のまま行動するから失敗するのである。

音信不通?
別れたい?
グレー?
なんだ?それ。
こんなものに欲望をかざすことない。
こんなものに苦しむことない。
これが理性だ。

最初は欲望から入って最後は理性で判断する。
最後は人生の司令塔である理性に判断を委ねる。
これができれば、お金、色情、地位という欲望は手に入れることができる。
欲望があるから、過去、現代、未来と苦しむのだ。
欲望を理性でコントロールすれば、過去、現代、未来と楽しくなる。

理性を侮ってはならない。
理性を取り戻すには、欲望の何倍もの努力が必要だからだ。
欲望の努力はたかが知れている。
相手のことを思いやって苦しむだけだ。
だが、理性の努力は、自分のことを思いやって自分を助けることにある。

欲望は依存。
理性は自助努力。

依存は簡単だ。苦しむだけでほとんど努力しなくていいから。自助努力は大変だ。あまりにも努力と忍耐を強いられるのでみんな逃げ出してしまう。だが、逃げたら終り、また苦しみの世界に舞い戻ってしまう。理性を継続する方がはるかに難しい。あなたを救うにはあなた以外他にいない。自助努力力を上げ、恋愛をするならば「最初は欲望から入って最後は理性で判断する」人間になることである。そして理性で合格した人と一緒になれれば、過去、現代、未来と楽しくなる。




音信不通をする人は最低、人間としての常識がない。
こういったモラルのない、常識のない人間が増えている。
なんで携帯電話なんか作ったのだろう。
なんでメールやlineを開発したのだろう。
しかも、それを個人の自由裁量に任せて。
これじゃ、不誠実な人が増えるわけだ。

音信不通で悩んでいる人が毎日のようにここ川越占い館を訪れます。
お客さんの第一声は「先生の恋愛日記のような展開になり、今は音信不通です。」飽きれるほど、これでもかこれでもかと音信不通の相談が後を絶たない。どうしちゃったの日本人よ、いや世界の男性よ。なぜ、あなたはモラルのない常識のない人間になり下がったのか?まあ…聞いてもしょうがないか、携帯ができたお陰で、モラルのない非常識な人間が増えた。これが時代だと思えば、あきらめもつくだろう。

いっそのこと携帯を放棄したらどうだろう。自分は携帯を持たない。その方がかっこいいかもしれない。とはいっても今の時代は携帯はかかせない必需品となった。では、携帯は仕事のみで使ったらどうだろう。仕事と情報を取るのみに使ってコミュニケーションツールとして使わない、これならどうだろう。

携帯を使わないでどうやって付き合うの?
昔のやり方で付き合うことだね。昔は携帯電話などなかった。だから、約束は会ったその日に交わした。次のデートは来週のこの日でどうですか?と次の約束を交わした。それなら、携帯電話がなくても何ら問題はない。

今の時代に逆行する考え方だが、便利な時代から不便な時代へと逆行するやり方だが、これだけ音信不通が多くなると、恋人同士では連絡を取らない方がいいのではないかと思ってしまう。愛を確かめるのは、会ったときでいいのではないか、そう思ってしまう。

もちろん今の時代に昔のやり方を導入するつもりもない。また不可能だろう。では、音信不通にどう対処すればいいかとなると、今の時代にふさわしい精神力を各個人が身につけなければならない。時代は変化しているのに、古い遺伝子、旧態依然の精神力では、バランスがとれなくなり壊れてしまう。それでは、この時代をたくましく生きていけない。

この時代をたくましく生きる精神力とは、音信不通で苦しまない精神力を作ることである。音信不通にする人は人間性が欠如しているという常識を振りかざしてもしょうがない。携帯電話ができたお陰でその常識は通用しなくなった。人はその日の気分で生きている。人は自分勝手に生きている。連絡するしないは個人の自由である。それをいちいち連絡するのが当たり前でしょ、連絡するのが常識でしょ、といったところで、個人の自由を阻止することはできない。人間は自由なのだ。自由は常識をはるかに上回っている。だれも、文句を言うこともできないし、誰も相手の自由を阻止することはできない。

というように、音信不通にしている人は、自分の自由意思でしている。罪悪感を持ちながら、連絡するかどうか迷いながら、しどろもどろ躊躇しながら、やっぱ…やめておこうと自由意思で連絡をしないでいる。そして面倒臭いから連絡をしないでいる。面倒臭いと感じるのも本人の自由意志である。その身勝手な非常識を、自由を重んじる世界では、誰も止めることができないし、誰も注意することができない。下手に注意をしたら、即刻その人が嫌われるだけだ。

というわけで、音信不通は本人の自由意思でやっている。非常識だろうが、なんだろうが、本人の自由意思で音信不通にしているのである。そして、音信不通にしている人に、「これって人してどうなの?」という常識は通じない。自由意思に常識もくそもないからだ。

では、された側はどうか?
された側にも自由意思がある。

今回はされた側の自由意思をもっと強化することにある。
相手が非常識なら苦しむことはない。なぜ、あなたは非常識なことをされて苦しみむの?それが意味わからない。非常識な行動を取っているのは相手の方で、あなたが思い悩むことはこれぽっちもない。

私が何かしたから彼は音信不通にしている?
私が責めたから、私がヒドイ言葉を発したから、私が焦って白黒勝負に出たから、私がネガティブになって暗い女になったから、私が嫌われることをしたから…私のせいだと思う女性はいっぱいいる。

そうではない。男女間の軋轢や葛藤は日常茶飯事の喧嘩両成敗だ。どちらも悪いし、どちらにも罪はない。自分が悪かったと反省するより、音信不通にしている意気地なしの彼を見下げた方がいい。こんなことくらいで音信不通にする男は将来見込みないねと見下げるくらいで丁度いい。

自分が悪かったと悩めば苦しむことになるし、意気地なしと見下げてしまえば余裕が生まれ、苦しむことがなくなる。そこから先は、彼の優しい言葉を待てばいい。男の謝罪と優しい言葉は忘れたころに来る。だから、早く忘れちぇばいいのである。

音信不通にしたら終わり。
最後に、された側の自由意志の強化の部分に入る。
音信不通は相手の自由意思でやっている。ならば、された側も自由意思で終わりにすればいい。音信不通は自由意思なので常識は通じないといっても限度がある。やはり常識は必要だ。常識のない人は不誠実だ。私は不誠実な人と付き合うつもりはない。だから、音信不通にした時点でその人を切る。それが私の自由意志だ。そこのところを強化すること。

不誠実な人には不誠実な対応を。
非常識には非常識な対応を。
この対応こそが、常識であり誠実である。
愛の変なフィルターでごまかされないこと。

音信不通にしたら有無を言わせず切る。
このくらいに毅然とした態度があなたを救うのである。

あなたが望んでいる幸せを手に入れたいのなら、毅然とした態度を貫くことである。それができれば、あなたはもう音信不通で苦しむことはなくなる。音信不通にしたら即終わりだからである。

そういう風にして音信不通男をばっさばっさ切っていけば、残った男性は、音信不通にしない男性ばかりが残る。

あなたはどちらを選ぶ?
それもあなたの自由意志だ。

自由意志の強化は、あなたの情や未練を成敗して、強く正しい本物の愛を手に入れることにある。だから、音信不通にされたら、その時点で切ってしまえ。どんなに好きでも切ってしまえ。それがあなたの精神強化である。


貴女が彼との別れを考えているとする。

世の中には恋愛不適合者の男性がいる。

病的なオンナ好きで浮気を繰り返す人。
病的な仕事人間で家庭(愛)を顧みない人。
病的にお金にだらしなく借金の山を作る人。
病的なアルコール中毒の人。
病的な精神疾患を持っている人。
病的な、なになにとは、恋愛不適合者の男性のことをいいます。その判断はあなた自身の常識の範囲内で判断してください。

さらに付け加えれば、恋愛不適合者とは女性を苦しめる相手です。音信不通にして苦しめる。会おうとしないで苦しめる。約束を果たさず苦しめる。嘘をついて苦しめる。騙して苦しめる、話し合いに応じないで苦しめる、ような男性が恋愛不適合者です。

恋愛不適合者と付き合えば、別れるしかありません。
別れて縁を切ることで、あなたの未来は拓かれるのです。
このままここに残って恋愛を続ければ、あなたはますます不幸になります。いつまでも、とめどくなく続く辛い場所にいつまでも踏み止まってはいけません。勇気を振り絞って、この場所から離れることです。

そうはいっても。
わかります…。あなたは女性ですから、愛を失いたくないのでしょう。
女性は愛を失うのをひどく恐れるからです。
愛を失った途端に生き甲斐を失い、何かもやる気がなくなる。
食事ものどを通らなくなり、夜寝れなくなる。
愛を失ったら女性は生きる屍となってしまう。
女性は愛を失ったら生きていけない。
こういった恐れがあるから、女性は愛を失いたくないのでしょう。

でも、それはとんだ誤解です。
とんだ錯覚です。
大丈夫です、愛を失っても生きていけます。
ほんのちょっと悲しめば、また前に進めます。
大丈夫、あなたは愛を失っても生きていけますから。

女のサガにいつまでも振り回されてはいけません。しつこく絡んだ女というDNAのサガ、まるでアリ地獄に落ちた女のサガ。悪魔のように恋愛にしがみつく女のサガ。まるで呪いにかかったような女のサガ。正しいことを正しく見ない女のサガ。女のサガは時として恐ろしく、冷静な正しい判断を狂わすものです。

恋愛不適合者と一緒にいても、幸せは訪れません。幸せが訪れるどころか、日に日にみるみるあなたを不幸にしていくだけです。もうこれ以上、この苦しみに耐えるのはやめましょう。あなたはやるところまでやった。もう十分でしょう。

もう十分に尽くした。
あとは、別れるだけ。

さて、ではどうやって別れるか?
愛を失うのを一番恐れている女性が、どうやってその人と別れるか。

それは簡単です。
失ってもいいという覚悟を持てばいいのです。
その覚悟さえあれば、何でもできます。
過去を清算することも、未来に進むことも、何でもできます。

愛を失うのを皆さんは恐れますが、愛とはなんでしょう。
よく考えてみてください。
愛とはなんですか?


あなたが考えている間に私の考えを述べます。
これから述べる私の考えは、とても冷たいです。
冷たいが、そこに真実があります。

私の考えは、「そこに愛がなかった」ただ、それだけです。

愛は物体である。物体はいつか消滅します。またこういう考え方もできます。物体そのものがなかった。「ある」と思うから恐れるのであって「ない」と思えば恐れることはない。傷ついて恐れているのは自分だけ。物体はなかったのです。あったのは、思い出と記憶だけです。だから愛という物体はなかったのです。

愛はいつか終わります。愛はいつか消滅します。永遠なる愛があるといっているのは、人々の虚像です。恋愛にあるのは、いつか終わることを余儀なくされた愛のみです。そしてそこにあるのは物体ではありません。無常の「無」なのです。愛は無上の無だと思えば、終わるときは、そこに「愛」がなかったのです。

私の考えは、仏教的な変な哲学論に走りましたが、私がいいたのは、一言だけです。

「愛はそこになかったのです。」

そこにあった愛は、無常の無だったのです。
これが有の愛なら、別れることを考えることなくここに残ったでしょう。

残らなった愛は、愛そのものがなかったのです。
物体はなかった。愛もなかった。なかったことが理解できれば、失う覚悟が持てるようになります。

あなたは恋愛不適合者の彼との別れを望んでいます。
相手を許して、失う覚悟で別れてください。
そこに愛はなかったのですから。




誰かが言っていた。
人生の喜びは一瞬であとは苦労の連続だ。
仏教では、人生は艱難辛苦ともいわれている。
艱難辛苦とは、非情な困難にあって苦しみ悩むことをいう。
人間生きていれば、必然的に困難にあって悩み苦しむようにできている。
それが人間だ、それが生きている証だ。
だから、辛い悩みや苦しみがどんどん押し寄せてくる。
まるで、それに対抗するのが人間のように。

見方を変えれば、艱難辛苦に押し潰されることはない。
人生は苦労の連続だと思えば、艱難辛苦に押し潰されることはない。
逆にこれは面白い、これが生き甲斐であると感じてもいい。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
逆に、「面白いではないか」と感じてしまえばいいのである。

困難にあって悩み苦しむ人もあれば、困難にあって面白いと感じる人もいる。後者は(空海や中村天風)のような悟りを得た人間かもしれないが、私もいつかは困難を面白いといえる人間になりたい。皆さんもそうだと思います。艱難辛苦を面白いといえる人間になりたいのではないでしょうか。

困難を面白いといえる人間になる。
そのために、相当な修行が必要か?お坊さんのような荒行の修行を積まないと悟りは得られないか?そんなことはありません。人間はひとりひとりが生きているだけで相当な修行を積んでいるからです。

あなたが生きていることで、あなたが社会に貢献することで、あなたが誰かを愛することで、あなたが子育てをすることで、あなたが仕事をすることで、あなたが家事をすることで、あなたが生活することで、それらすべてが修行なのです。人間生きていること自体が修行なのです。だから、あなたは十分に修行を積んできた。お坊さん以上に修行を積んできたといっていいでしょう。

あとはあなたがどう考えるかです。
お坊さんは、その点考える世界の修行を積んでいます。
仏に仕え、困難を生き抜く知恵を、毎日お経を唱えながら学んでいます。これを繰り返せば、そういう考え方、そういう思考が身につくものなのです。

私たちはお坊さん以上の修行を積んだとしても、そういった考え方を日常生活に取入れていません。だから、取入れればいいのです。

よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
面白いではないかと、あなたの考え方にいれればいいのです。

あなた方は十分な修行を積んでいます。
あとは、考え方を変えればいいのです。

困難は面白いと考えることで、あなたが今まで積んで来た修行が役に立ちます。あなたは十分に生きるための修行を積んできました。あとはものの考え方です。

恋愛にもたくさんの困難があります。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
これが恋愛です。
こいつは面白いと考えることで、辛い恋愛が楽しくなるのです。
是非、困難を楽しむ人間になってください。
これが生きている証ですから。




人生は戦いから成り立っています。
好むと好まざるにかかわらず、誰もが生まれたときから、勉強、仕事、人間関係の葛藤に駆り立てられ、悩み、傷つきます。

生きることは辛くて苦しいことです。戦いの中では、たた生き抜くこと、これこそ勇敢で価値のあることなのですが、戦いに敗れ、試練を克服することができず、無気力感にないなまされ、生きる希望を失い弱音を吐いている人も多く見受けられます。

戦いに勝った人のみが勝利者で幸せになれるか?
西洋哲学の「成功の哲学」では、そのように言われています。これらの本は戦いに勝つ精神論や成功するためのノウハウを作者の持論と学者や研究者からなる膨大な資料で科学的に成功するためにはこうするべきだとふんだんに書いてあります。「戦いに勝った人のみが勝利者で幸せになれる」これが本のうたい文句になっている気がしてなりません。

では、そこから外れた一般の人はどうなるか。
成功者の1%が幸せで、残り99%は不幸か?
私はそのように思いません。

99%に属する私は、成功者の幸せ論には反対です。
お金や地位や名誉だけが幸せではないからです。
平凡の中の幸せを目指す、この方が自分にあっていると思うからです。

1%の成功者の幸福より、99%の不幸と共に戦う。大袈裟ですが、私はこの志で仕事にあたっています。また、99%の人が不幸ではありません。皆さんそれぞれ必死に戦っています。生きるために必死に戦っています。思い通りにいかない人生を、悩みながら、苦しみながら、必死に戦っています。私はその人たちの背中をそっと押すだけです。

人生は思い通りにならない、それでいいのではないですか。
どんな人でも、人生は思い通りにならないのです。
たとえ、金持ちでも、地位や名誉のある人でも、事業で大成功を収めた人でも、人生は思い通りにならないのです。

人は一人では生きていけません。成功してもパートナーとうまくいかなかったり、家族とうまくいかなかったりします。事業で一時期は大成功した人でもライバルに先を越され、共同経営者に裏切られ、時代の流れに事業がついていかず、銀行から融資を断れることもあります。成功者の失敗は、一般人の100倍もの不幸を背負うことになるでしょう。失敗の原因は成功に有頂天になり、人の心を無視して人を見下し人を卑下したからです。こうなると1%の成功者は不幸の道をたどることになります。
生じたものは滅びる。
栄光盛衰。
これが思い通りにいかない人生の掟です。

人々を大切にしないと、成功は失敗に変わります。
人の心を無視すると、成功は失敗に変わります。
なぜ失敗するのか、ここには愛がないからです。

人を大切にして愛する。
そして、自分を大切にして愛する。
人を好きになり、自分も好きになる。
これだけあれば、人生は思い通りにならなくても、なんとかやっていけます。不幸になっている大半の人は人を裏切っているからです。

人生は戦いから成り立っています。
人生はどんな人でも思い通りになりません。
人生は思い通りにならない、それでいいのではないですか。
思い通りにならなくても、ただ、生き抜くこと。
それで、いいのではないでしょうか。

私たちは99%の枠の中にいる人間です。
欲望渦巻く1%の人間が幸せとは思えません。
1%の世界を羨むより、平凡を楽しむ。
これでいいのではないでしょうか。


私は以下の言葉が好きである。
「人間の大きな進歩は、必ず苦しみによってもたらされる」。
苦しみこそ自己の成長に必須。
苦しみは、克服し、それを活かすことによって、自己の才能を開花させる。
すなわち人生の究極は、自らの弱さの克服、その自助努力にあるのです。


コロナ禍で苦しんでいる皆さんにぴったりな言葉だと思います。
緊急事態宣言によって、経済は困窮し、そこで働いている皆さんは先の見通しのない時代を必死に堪えて生きていると思います。今は苦しい時です。今はお先真っ暗です。だが、いつかはコロナは終息します。人類の力でコロナを終息することができるでしょう。朝の来ない夜はありません。日はまた昇るのです。経済が活動して普段の生活が戻るまで、長いトンネルから抜け出すまで、明るくなるまで、もう少しの辛抱です。皆さんで、この苦しみを克服し、さらなる成長と発展を遂げていきましょう。コロナに負けるなです。

人間の大きな進歩は、必ず苦しみによってもたされる。

苦しみこそ自己の成長に必須だ。

苦しみは、克服し、それを活かすことによって、自己の才能を開花させることができる。

すなわち人生の究極は、自らの弱さの克服、その自助努力にある。

この言葉は、皆さんへの言葉ではなく、私自身へあてた言葉でもあります。

平和だと、この言葉を忘れますね。平和ボケしてつい忘れてしまいます。

また、日々努力。自助努力ですね。
自分のことは自分が助けるしかありません。

どうやって?自分を助けるの?
それは自分を信じることです。

困難な時は、人は自分の力を低く見積もる癖がありますが、困難なときほど自分の力を高く見積ることです。別に他人に言うわけではありません。自分が自分自身に言うのです。誰も聞いていません、聞いているのは自分だけです。その自分が自分に言うのです。自分人は力がある、自分なら大丈夫、この困難を乗り越えられる。「だから、もっと力を発揮せよ」と自分に言い聞かせ、自分の力を信じることです。



人には仕事時間と恋愛時間と自由時間がある。
恋人がいなければ、人は仕事時間と自由時間だけで過ごせる。ひとたび恋人が出来ると恋愛時間がプラスされる。恋愛時間はいいものだ。胸がキュンとなって心がときめく。自分にもこの瞬間がやっと来た!と小躍りしてしまう。長い間求めていた、やっと好きになった人が出来た。これでもう孤独でない、寂しくもない。これからは幸せになるぞ、幸せを満喫するぞと心に誓う。

恋愛時間は男と女では違う。
最初は同じだが、後から違ってくる。
男性は最初に夢中になるが、この時間は短い。
女性は最初にそうではなく、後から夢中になり長くなる。
両者では、恋愛時間は女性の方がうんと長い。
なぜなら女性は恋する生き物、乙女だからだ。
乙女になった女性は、恋愛が中心となる。
男性は恋愛がピークに差し掛かった頃、恋愛以外の時間を求めるようになる。
そして、男女の考え方と価値観がずれてくる。

自分の時間が欲しい、彼女と仕事と自由の狭間にいる男性。
今日に記事は、それについて男性の心理を述べていきたいと思う。
恋愛が中心になった彼女に男性はどう対抗しようとしているのか?
これを述べる。

対抗とは、とても嫌な言い方だが、男性の心の中には対抗という意識がある。彼女には悪いが、僕はずっと恋愛などできない。僕にはまだやらなければならないことがたくさんある。

仕事ももっと頑張らなければいけない。もっと出世したい。そのために勉強する時間も欲しい。僕は向上心のある人生を歩みたい。また、自分の時間が欲しい。趣味に没頭したいし、もっと遊びたい。友達と飲みにも行きたいし、気晴らしでどこかに旅行も行きたい。彼女が出来てから、僕にはその時間がなくなった。24時間、彼女に監視されているようで、僕の自由時間はなくなった気がする。恋する男性は、彼女に対抗する意味で、このような考え方を持つようになる。

では、「愛は大事か?」というと、大事だ。
愛はとても大切だ。
時間がないといっておきながら、愛はとても大切だといっている。

愛は大切だけど、束縛されるのは嫌、男性の心の中は矛盾だらけである。
でも、これは説明がつく。愛は大切、だが四六時中愛に束縛されたくないというのが男性の言い分。女性の言い分も、わたしはそんなに束縛していない。彼の仕事は邪魔していないし、彼の自由時間も奪っていないというのが女性の言い分。だが、男性からすればなんだかんだと彼女からの圧力がかかっているのは事実である。その典型が女性は繋がりを大事にするからだ。線の繋がりを大事にする女性と点の繋がりで十分だという男性。この両者の違いが、愛における葛藤を起こしている。

単純にいえば、「女性は恋愛が命」で「男性は仕事が命」男女間の命の違いが、葛藤の根底となっている。

恋愛が命である女性は、恋愛が中心となる。
仕事が命である男性は、仕事が中心となる。
この本能だけは、誰がなんといっても崩すことのできない宿命である。
女性からみれば、これは嫌な解釈だろう。

恋愛が中心と決めつけられるのも嫌だし、男性は仕事が中心なんて嫌、そんなもの聞きたくもないと思うだろう。

分かりました、嫌な解釈はそのくらいにして。
では、男性が望んでいることを説明していこう。
男性が望んでいるもの、それは、バランスだ。

恋愛時間、仕事時間、自由時間という時間のバランスだ。
男性が望んでいるバランスは、仕事時間が8、自由時間が1,恋愛時間が1というバランスだ。最初の頃は恋愛時間を8にした男性も、3ヶ月~半年と経過すれば、恋愛時間を1にしたくなる。この変化は女性からすれば、激減に見えるかもしれないが、男脳の造り上、ごく自然な流れである。恋愛時間を1にした男性は、一日のうち1%だけ彼女用の時間を持つことは可能。1%とは、15分以内だ。だから、連絡は1日1回、15分以内で済ませたい。足りない分は、週に1回のデートして補う。これが男性のぎりぎりの恋愛時間だ。恋愛時間1というのは、毎日ではない。トータルで1だ。毎日の連絡は15分以内。週に1回1日デートすれば、1は大幅に過ぎてしまう。これが限界である。

最初に時間を使いすぎた。
恋愛時間を8にして使いすぎた。
この3ヶ月間、彼女のために時間を使った。
もう一生分使った(オーバーだが)
これからは、少し時間調整しよう。
仕事が溜まり。
自由時間がなくてストレスが溜まり。
僕はもぅ限界だ。
これからは、彼女に対する時間を削るしかない。
もう今まで通りに連絡はできないよ。
もう今まで通りに会えないよ。

男性の心は、恋愛時間のバランスを取るように働く。
男が望んでいるのは、こういうことなのです。
あなたのことが嫌いになったわけではありません。
自分の時間が欲しくなっただけです。



人生の苦しみの多くは錯覚です。
錯覚とは、この苦しみが永遠に続くと思っていることです。この苦しみが永遠に続くと思っている以上、苦しみから解放されないでしょう。

苦しみの後には、必ず喜びや、幸せなことが訪れるものです。だからといって何もしなければ、幸せが訪れることはありません。悲観的に苦しい状態にただ身を置いても、何も変わらないのです。それでは、苦しい状態がずっと続くだけです。

苦しい時は勉強しなさい。本でもとって読みなさい。苦しみの克服方法は勉強することです。勉強すれば、いずれ力となって幸福をもたらすでしょう。

また、苦しい時は運動しなさい。体力が劣ったと思ったら運動することです。運動すれば体力もついて同時に精神力もついてきます。

さらに、苦しい時はチャレンジしなさい。今までと違ったものにチャレンジしなさい。部屋が汚かったら部屋を奇麗にすることにチャレンジしましょう。いつもの通勤ルートを変えて別の道を歩くのもチャレンジです。仕事のやり方も変えてみましょう。今までとは違った視点からチャレンジすることは、苦しみを克服するのはもってこいなのです。

苦しみの克服方法は、あまり自分に考える時間を与えないことです。考える時間を与えれば、人間は苦しみのことをずっと考えてしまうからです。考える時間を与えないためには、何かに集中することです。勉強で知識を蓄える、運動して体力を養う、今までとりかかったことのなかった仕事にあえてチャレンジする。あるいは一部の仕事を倍こなす。今までやらなかったことにチャレンジすることで、新たな刺激が加わり、それに集中することで、考える時間を減らすことができます。


何もしなければ何も変わらない。
苦しみの後には、必ず喜びや、幸せなことが訪れるものです。だからといって何もしなければ、幸せは訪れることはありません。何もしなければ何も変わらないのです。ただ、この苦しみが永遠続くと思ってチャレンジを恐れ、思考を停止して行動を停止すれば、あなたは何も変わらず、この苦しみがずっと続くことになります。

何をやろうにも何をやればいいの?
本を読んでも集中できない。5分で飽きてしまう。
運動するにも、寒くて外に行く気がしない。
新しい仕事をするにも、躊躇して遠慮してしまう。
何かをやろうにも、面倒くさくなって何もやる気が起きない。
自分は、この苦しみのことを考えて悩んでいる方が生に合っている。その方が安心できる。悩んで妄想していれば、きっと誰かが助けてくれるだろうと思うから。

誰も助けてくれないよ。
それはあなた自身がよく分かっているはずだ。

いいのよ。
本を5分でも読めれば最高じゃん。この5分は、今まであなたに出来なかったことだ。明日も5分読みなさい。明日の5分は今日の5分と違ってくるから。明日はきっと10分読んでいるだろう。

外にウオーキングに出た。寒くて10分で家に帰った。本当は30分ウオーキングしかったのに、10分で家に帰るとはなんて自分は情けないと思わなくていい。明日も10分ウオーキングしよう。明日はおそらく目標通りの30分ウオーキングできるだろう。

新しい仕事にチャレンジしてみた。今までの仕事に少し思考を変えてやってみた。だが、いいアイデアが浮かばず途中でやめてしまった。頭の中にはこうしようああしようという考えが浮かぶが、いざやってみるとどれもこれもうまくいかない。入り口でくじけてしまった。ならば明日も新しい仕事にチャレンジしよう。明日は入り口に入れるかもしれないよ。

人間というのは、やる気のスタートが遅いものです。最初からうまくいきません。頭ではこうしようと考えても、エンジンがかかるのはずっと先です。でも、エンジンさえかかってしまえば、あとはスムーズにその波に乗れます。さあ、なかなかかからないエンジンをかけましょう。

エンジンがかかってどのくらいで習慣になるの?
3週間です。繰り返し繰り返し行えば、習慣は3週間でできます。
習慣さえ作ってしまえば、波に乗れ、運が良くなります。
運が良くなれば、苦しみのあとに喜びや幸せが訪れるのは間違いありません。さあさ、幸せを招く準備を今から始めましょう。
あなたが、ほんのちょっと根気強くなればいいのです。



セラピストの仕事は、ネガティブな感情を最小限にすること。人々の不安や怒り、抑うつを軽減するためのポジティブな心理的介入を施すことにある。ネガティブよりポジティブに、後ろ向きより前向きに、悲観的より楽観的に、物事を明るく前向きにポジティブに心を積極的にする話をすることである。

私も最初はそのつもりだった。
ネガティブを否定してポジティブを肯定する方法で鑑定をしていた。

だが、来る日も来る日もネガティブな感情をお客さんは持ってくる。前回ポジティブな感情を取り戻してスッキリして帰ったはずなのに、数日経てばまた元のネガティブ感情になってしまう。そしてまた前向きになるようなお話をして心を落ち着かせる、これの繰り返しだ。今日も私の仕事は、不安や怒り、悲しみを最小限にすることである。「ネガティブな感情は突き放してネガティブな感情を退治する」これが私の仕事だと思っていたが、これだけではうまくいかないなと最近思うようになった。

なぜうまくいかないか。
それは一時的なものだからだ。
心の病は慢性的な病、心の闇は慢性的な闇だからだ。
私の鑑定を受けて、一時期は闇から解放されてスッキリしたとしても、明日になればまた不安な闇が覆い被さってしまう。これから先は、お客さんが情緒不安定に対して、もっと現実的なアプローチが必要となる。たとえ悲しみや、不安や、怒りの只中にあっても、うまく機能することを学ぶことである。

不安や、怒りの中にあっても、うまく機能する現実的なアプローチを学ぶとは?
そこから先は私の考えだが、私は、ネガティブ感情を受け入れることにした。
ネガティブ感情は仲間を、味方を、欲しがっている。
ネガティブ感情は突き放されることを恐れている。
誰もわたしの話を聞いてくれない。
こんなネガティブな話は誰も受け入れてくれない。
変人扱いされて、頭がおかしいと思われてしまうだけ。

そうなるとどうなる?
突き放されたネガティブ感情はひねくれて悪化の道をたどる。
ネガティブ感情は同情を求め味方を求めている。
否定より肯定を求めている。
なのに・・・誰も分かってくれない。
それが、最近分かってきた。いや以前から分かっていたが、いま明確になった。

つまり、ネガティブからポジティブに持っていくためには、ネガティブ感情を否定するより肯定して受け入れて、そこからポジティブな感情を取り戻すように機能させなければならない。ネガティブなしではポジティブにならない。悪い見本があっていい見本があるように。ピンチのあとにはチャンスあり、失敗のあとには成功あり、ネガティブとポジティブは表裏一体となって機能させなければならない。

言うなれば、私も悲観論者だった。
私にもネガティブ感情とポジティブ感情が同居している。
自分にも「私は負け犬だ」「生きる価値がない」と破壊的な考えを持つこともある。その考えに対して、私は反駁(はんぱく)することを覚えた。あのネガティブな時代が、あの生き地獄の時代が、もう二度とあの時代に戻りたくないという考えの方が勝るようになり、ネガティブ感情を退治することができるようになった。

つまりネガティブ感情とは反面教師だ。
ネガティブは、背後に潜んでいて、何かにつまづけばいつでも襲いかかるようになっている。それを阻止するのは反面教師的な考えだ。だれがあの時代に戻るか!この気持ちだけで、いまはネガティブ感情を機能的に抑えることができている。

自分なりの機能を持つこと。
私も、この機能を持つまで随分時間がかかった。
なぜなら、ネガティブ感情を受け入れなかったからだ。
ネガティブ感情は悪いことと捉えて、誰とも相談しなかった。
だから、自分自身も受け入れることができなかった。
ネガティブの裏にはポジティブがあるのに、ずっとそれを見逃していた。
なぜ見逃したのか?それはネガティブを受け入れなかったからだ。

だから、私は自分のネガティブを受け入れことにした。
こいつをいい子いい子にして、ポジティブな感情に変化させるために受け入れることにした。悪い見本の反面教師として受け入れることにした。

そして、皆さんのネガティブ感情も受け入れることにした。
人に言えないネガティブな話があなたにはたくさんあるだろう。
それを私は受け入れる。
そこから、どうやってポジティブに転換するのか?
一度、じっくり話し合おう。