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基本のない男性を教育するのはとても至難の業。
なんで女性ばかりが苦労しなくてはいけないの?わたしの心はそんなに大きくない。彼はプライドが高く頑固なので、教育するなんてとても無理だわ。そしてなんでわたしばかりが苦労しなければいけないの?彼はそこまで苦労していない。これってもの凄く不公平だわ。

不公平を感じるならやめなさい。
「基本のない彼に、わたしが基本を教えてやる」という大義名分のあと、あなたは行動しようとした。だが、(なんでわたしばかり苦労するの?)これはおかしい、自分ばかり努力して、彼は何も努力しない、これは不公平だわ。不公平だと感じるのなら、やめた方がいい。合点がいかないものを、納得がいかないものに、無理することはない。彼をあきらめて、次に行けばいいだけのことです。

でも・・・彼が好きで、彼のことを愛している。
でも・・・この彼のことを愛せば、自分ばかり苦労して不公平になる。


どっちだ?

わたしは、どっちを選択すればいいの?

人間というのは迷うようにできています。
大切なものは、とくに迷って悩むようにできています。
これが人間。じっくり考えて、決断を出せばいい。

でも、いくら考えても決断がでないことがある。
こういう場合、どうすればいいの?

ここから先は、私の考えを述べさせていただきます。

私なら外れくじを引きます。
世の中が不公平で当たり前なら、不公平を選びます。
自分ばかり苦労するのなら、自分が苦労する方を選びます。
自分ばかり損するなら、自分が損する方を選びます。

つまり、自分ばかり損して苦労する道を選ぶ。
なんで、そんなバカな道を選ぶの?
そこに愛があるからです。
そして、そこに生き甲斐があるからです。

生き甲斐。
またまた私の考えですが。
生き甲斐は不公平の中にある。
生き甲斐は納得のいかない中にある。
自分がやらなければ誰がやる、という自己犠牲の中にある。
自分ばかり損して、自分ばかり苦労している中に生き甲斐がある。

生き甲斐を感じなくなったとき。
努力する必要がなくなったとき。
相手ができた人間で、自分の助けが必要なくなったとき。
公平で自由で安心して暮らせて、なに不自由なく暮らしているとき。
もう頑張らなくていい。この生活は確かに幸せだが、ここに生き甲斐は感じない。

やはり自分は外れくじを引くのが好きみたい。
自分ばかり損して苦労する道ばかりを選んでいる。
なぜ、その道を選ぶのか?
そこに生き甲斐があるからです。

これは私の考えで、私の考えを皆さんに勧めるつもりはありません。

ただ、
なんでわたしばかり苦労しなければいけないの?
なんでオレばかり苦労しなければいけないの?
というのは、やめてほしい。

好きだから、苦労している。
これでいいではないですか。




わたしは基本のない逃げる男は必要ない。
わたしは子供を守るためにも、基本のない男とは付き合えない。
だから、この男は「さようなら」でいい。
「これにて一件落着」 → 終り。

だが、
終らない・・・。

「あなたは基本を持っている。であるならば、彼に基本を教えたら」こんなことを私が言うものだから。復活してしまった愛の物語が。

女性は愛の物語の復活を期待している。
男性ならば、この問題は「はい、これにて一件落着」と終るのだが、女性は終らない。男性は面倒臭いものを拒むが、女性は拒まない。この面倒臭く、複雑な感情の物語に女性は真摯に向き合おうとする。

これは命だ。
一度好きになった男性に対して、女性は命を燃えたぎらせて命がけで、この問題に対処しようとする。

だが、やり方が分かっていない。
あまりにも、男の心理を知らなすぎる。男性を相手にするのなら、男心を掴まないといけないのに女性は掴んでいない。男心を掴むためには、「大義名分が必要となる」そして、この大義名分が偉大な目標となる。これが男心を掴むやり方である。

ここでの大義名分は、「基本のない彼に、わたしが基本を教えてやる」ことを目標とする。

「彼に基本を教える」
そのことをそのまま彼に言ってはいけない。
「あなたには基本がないから、わたしが教えてあげる」などと言ったら、彼のプライドは傷つき、かえって二人の関係は悪化するだろう。「彼に基本を教える」という大義名分は、相手に伝えたり、表にさらしてはいけない。多義名文は胸の内にしまって、実行するものである。

さあ、偉大なる目標。
「基本のない彼に、わたしが基本を教えてやる」この大義名分という目標を掲げ、あなたは彼に対して行動すればいい。

行動って?
どんなことをすればいいの?
どんな行動をすればいいの?
こういうことを質問する人は、大義名分の意味が分かっていない。

大義名分とは、その目標に従って、積極的に行動することを意味する。つまり、心を積極的にすること。どうすればいいの?どんな行動をすればいいの?という消極的な考えはいらない。相手の否定や反対、逃避行動があったとしても、積極的に自らぶつかっていくことを大義名分のある偉大な行動という。

つまり、大義名分があれば怖くないということ。
相手が逃げようが。
相手が迷惑がろうが。
相手に嫌われようが。
ぜんぜん怖くない。
なぜなら、これが大義名分だから。

あなたと彼はすでに終った。
彼に基本がないということで終った。
終ったものを、救ってやる気持ちで行動するので、怖くはなかろう。

人間死んだ気になれば怖くないというが、終った人も同様に怖くない。彼を救ってやろうというわたしの真摯の気持ちが伝わらなければ、すでに彼との関係は終っているので、このまま終りにすればいい。「気持ちが伝わらなければ、いつでも終りにする」この大義名分の余裕が、ことを成し遂げることができるのである。

さあさ。
彼に連絡を取りなさい。
大義名分に従って。

彼は基本がなく逃げているので、音信不通が続くだろう。こんなの気にせず。平気でコンスタントに連絡をしなさい。週に2回の間隔で100回LINEしなさい。彼がブロックしたら、こう来たかと楽しみながら連絡しなさい。また、あなたの考えに従って、今は連絡しない方がいいという直観が働いたら、2週間連絡を止めなさい。そして2週間後に何気なく連絡を取ればいい。大義名分とは大義名分に従って、繰り返し行動することをいう。

勢いが大切。
「基本のない彼に、わたしが基本を教えてやる」という大義名分さえあれば、わけなく彼とのコミュニケーションは復活できる。コミュニケーションの復活ができないのは、怖がって中途半端にやっているから。人間は勢いのあるものには根負けするようになっているのです。女性は面倒臭い感情の物語は好きだが、勢いが足りない。この勢いさえ手に入れれば、彼とのコミュニケーションの復活はできます。

彼とのコミュニケーションの復活はできた。
そこからだね。
やっとひとつの山は越えた。

あとは、長い時間かけて。
「基本のない彼に、わたしが基本を教えてやる」という大義名分が発動するのは。長い時間かけて、彼が基本を取り戻すように支えてあげればいい。これを内助の功という。あなたが大義名分を内に秘めて行動を起こせば、彼はあなたに対して、自分を支えてくれる内助の功が、あなたにあるとことを感じることができる。あなたは基本を持っている素敵な女性だと彼が感じれば、彼はあなたによって救われるのです。そして、彼は男としてどう生きるべきか?基本を取り戻すことができるでしょう。あなたによって。




40代後半のバツイチ同士の男女が付き合った。
最初の半年間は順調だった。
二人は結婚を前提に付き合っているので、このまま順調に行けば結婚する予定だった。

ところが、半年を経過したあたりから彼の様子がおかしくなった。
彼の仕事が忙しくなったのである。

人員不足で仕事が回らない。土・日も出勤しているが、それでも仕事が追いつかない。上司からは生産性を上げろと焚きつかれ、部下からはこの体制では仕事ができないと文句を言われ、上司と部下の板挟みにあって、彼は疲労困憊となった。そして、「仕事がうまくいっていない…もう疲れた」というメッセージを最後に音信不通となった。

こいった流れはどこでもある。
社会で働いた経験のある人は誰でも仕事が忙しくなることは経験していること。男女問わず、誰でも経験していることである。仕事が忙しくなれば疲労困憊となる。仕事が忙しくなれば、土・日も出勤する。管理職ともなれば、上司と部下の板挟みにも合う。こんなことは、日本、いや世界中で、どこでも起きている。

仕事が忙しくなり、仕事がうまくいかなくなり、疲労困憊で疲れることはどこでも起きている。なのに、仕事が忙しいことを理由に、相手に嫌な思いをさせるのは間違っている。仕事が忙しいとことを理由で音信不通にする、そこには正当な理由など「ない」のです。

仕事が忙しいのを理由に、相手に嫌な思いをさせる音信不通にするのは、「基本が出来ていない」といっても、過言ではない。

基本を持っている男はそういうことをしません。
彼女は大切です。将来約束した大切な彼女を、まさか?こんな理由で音信不通にすることはしません。自分にとって生涯でいちばん大切な彼女。彼女と結婚して暖かい家庭を作るという希望がある以上、絶対にそういうことはしないはずです。

結婚することによって、男は基本ができる。
家に帰れば奥さんの暖かい手料理、子供たちの無邪気な笑顔。これがあるから男は基本が持てるようになる。仕事がどんなに忙しくても、どんなに辛くても、家に帰れば癒される。家族の癒しによって、男はこの家庭を守るために、一生懸命に働く。そして、この頑張りが、家族を守る基本となって、さらに男たちに自信をつけさせ、勇気と力を与えてくれる。これが男の基本。

彼も昔はそうだった。
結婚して家族がいた。ところがわけあって離婚した。離婚して一人の生活が10年続いた。独身が10年も続ければ、基本を忘れてしまう。自由は手に入るが、自分以外の誰かを守ってやろうという気持ちはなくなる。。独身生活が長く続くと基本を失ってしまっているので、ちょっと仕事が忙しくなるとすぐにへこたれてしまう。さらに、疲れて家に帰っても、癒してくれる家族はいない。寂しくて、孤独に潰されて、さらに疲れが溜まってくる。今の彼はそんな状態です。

その点、彼女は基本を持っている。
離婚はしましたが、子供を彼女の力で育てている。家に帰れば子供がいる。子供たちの笑顔、子供たちの寝姿を見て、この子たちは自分が守らなければいけないという気持ちになる。仕事が忙しいときもある。仕事がしんどいときもある。でも、この子たちの顔を見れば、そうはいってられない。辛くてもしんどくても、頑張らなければいけない。その頑張りが彼女を強くしている。

同じバツイチ同士でも。
彼女は基本があり、彼氏は基本がない。

彼と連絡がとれなくなり音信不通となって悩んでいる女性に、あなたは基本があるから大丈夫。彼は基本がないから、音信不通にして逃げているだけ。だから、そんなことで悩む必要ない。あなたの方が人として上なのだから、悩む必要はないと告げる。

すると、彼女の悩みはストンと落ちた。
そうか、彼は基本がないんだわ。
だから、逃げるのね。

彼がなんでそんなことをするのか理解できた。
わたしは基本のない逃げる男は必要ないわ。
わたしは子供を守るためにも、基本のない男とは付き合えない。
だから、この男は「さようなら」でいいわ。

あなたは基本を持っている。
であるならば、彼に基本を教えたら。


そんなことを私が言うものだから、彼女の頭は混乱した。

え?終わりじゃないんだ。
この話は次回に続く。


このまま一人では嫌なのです。
わたしは結婚できますか?
それとも、一生結婚できませんか?
こういった相談は多い。

手相を観る。
結婚できるかできないかは、手相に書いてある。
そしたら、手相に書いてあった。
あなたは何歳で結婚できますよ、とね。
ついでに子供の相も観る。
あなたには二人の子供が恵まれます。
男の子と女の子です。

なんで?手相に書いてあるの?
書いてあるという表現は私が使っているだけで、実際には手のひらの中にそういった線があるということです。私にはその線が書いてあるように見えるだけです。人生計画のシナリオが手のひらに中にある。無数の線となって、それが書いてあるように見えるのです。

それらの線は何からできているのか?
その線の正体は、潜在意識です。
あなたの意識が線となって現われているのです。

私は手相家だが、難しいことは言いません。
あなたのそのままの意識が線となって現われているだけ。単純に、そういうことであります。

つまり線は、あなたが思ったままに現われます。
あなたが結婚したいと思えば、結婚らしき線が現われます。あなたが当面結婚したくないと思えば、その線は現われません。あなたの人生はあなたが望んだものが手に入るようにできているのです。あとは勢いでそれを掴むか、躊躇してそれを失うかです。

あなたが、私は結婚できないと思えば、それはあなたが望んだことなので、結婚できないことが手に入ります。逆にあなたが私は結婚できると思えば、結婚することが手に入ります。だが、中途半端な優柔不断の思いだと、どれも手に入りません。

結婚線は、あなたが不安を感じたときに出てきます。
周りはみんな結婚し始めた。このままだと、わたしだけ取り残されるという不安に苛まされる。この不安が焦りとなって結婚に意識を持つようになる。不安が焦りとなって、結婚に強い意識を持つようになる、そのときその線は出てくるのです。

意識はボーッとしているときは出てきません。平和で安心安全なときは、このまま平坦な線が出ているだけで、何も変化が起りません。つまり平和な暮らしからは、結婚しようと気にはならないということです。

だから、いいのです。
うんと焦って。
うんと不安と恐怖を感じて。
いいのです。
あなたが焦って不安と恐怖を感じたとき、結婚線は出てきます。あなたが結婚を考えているのなら、焦りを感じ不安を感じていいのです。それがやがて、結婚したいというスタートスイッチになりますから。

結婚したいというスタートスイッチは(焦りと不安)から起きます。だが、焦りと不安だけでは結婚ができないのも事実です。今度は意識を強化する技術が必要になります。精神力を強化する技術。意識を信念に変える技術。それらが必要になります。

手相ではスタートスイッチの線が見えた、あとは私が得意とするカウンセリングで、あなたに信念を植え付けるだけです。前向きにやってやろうという気持ちを植え付けるだけです。複雑で様々な問題がありますが、どんな状況でも、基本は前向きに意識を高めることです。

複雑な相手と乗り越えるのも前向き。結婚不適合者の相手と別れて次の人を探すのも前向き。ピンチのあとはチャンスが回ってくる精神で、今の相手と続けるのも、別れるのも、目指すは幸せな結婚。そこに信念を植え込む。せっかくできた結婚線、わたしは絶対にこの線を完成させて見せる、このくらいの勢いを、あなたに植え付けるのが私の役目となります。




愛のない男と女が同じ屋根の下で暮らせるのか?
感情で物事を考えれば、それはない。また常識的に頭で考えても、それはない。だが、人にはそれぞれの事情がある。夫婦関係は終わったが、子供のために一緒に住んでいるとか、経済的な理由で一緒に住んでいるとか、それぞれの事情で、離婚後も一緒に生活している元夫婦は意外といる。

それはそれでいいのではないかな。
それぞれ事情があるから。

離婚はしたけど、家族の形は残っている。
父親と母親と子供たちのいる家族だ。
家族という情と家族という愛情で暮らしていけばいい。
仲良くね。

もとの夫婦が、離婚して同じ屋根の下に暮らして、仲良く暮らす?
仲良く暮らすことが出来る人もいれば、出来ない人もいると思う。

仲良く出来ない人は、出来たら最初から離婚しないというだろう。

でも、出来る人は、それはそれ、あれはあれという分け方ができている。離婚という事実は認めるが、家族は大切だという事実もある。夫婦仲は悪くなったが、自分たちのせいで子供を不幸にしたくない。持ち家があるのに別々に暮らすのは経済的に損失だ。夫の収入も捨てがたい、妻の家事能力も捨てがたい。何十年と続いた家族の形成を維持した方が経済的にも精神的にも楽であるから。

ただ、男と女の愛情が冷めただけ。これからは社会の構成員として、これが生きるための仕事だと思って、経済的にも精神的にも負担のかからないように生きていくだけである。出来る人は、あれはあれ、それはそれと、気持ちの分担と心の役割がきちんと出来ているのではないかと思う。

わけあって離婚をした。
浮気、裏切り、性格の不一致、価値観の違い、離婚の理由は様々だが、精神的にも肉体的にもかなり追い込まれて、やっとの思いで離婚したのだろう。だが、しかし、家族としての形は残った。これは子供が成人するまでの期間かもしれない。あるいはお金をためて自活できるまでの期間かもしれない。理由はなんであれ、いま一緒に生活している。生活すれば情も生まれる。協力や役割分担も生まれる。形は家族だ。仮面夫婦でもなんでも形は家族だ。家族でいる間は、お互い協力しながら、仲良くしていけばいい。

先のことは分からない。
でも、形は家族だ。
わけあって、一緒に生活している。
それは家族だから仕方がない。
家族なら、形はどうあれ、仲良くしていけばいい。


ひとりでは寂しい。
でも、パートナーがいるとメンドクサイ。

ひとりでは寂しい。
でも、パートナーがいると自由がなくなる。


どちらがいいか?
それは、それぞれの考え方に任すしかない。
人間は自由だ、それぞれの価値観に従って生きればいい。

ちなみに私は。
パートナー(家族)がいた方がいい。自由がなくなってメンドクサイこともあるけど、それについては意に介さない。(嫌な出来事や自分に対する批判などを気にしない)そういう性格なので、パートナーがいた方がいい。

パートナーがいなければ。
それはそれでもいい。自由を満喫して好きなことをやるだけ。景色のいい田舎の海辺に住んで、釣りを楽しみ、野菜を作って自給自足の生活をしてもいいし、海外に移り住んでもいい。

パートナーがいないと寂しくない?
意外と自分は孤独に強い。無人島でも生活ができる(笑)まあ、それは冗談ですが、そのくらい孤独に強いということです。

孤独に強い人は精神的にも強い。
自分の考えですが、孤独に強いからこそ、逆に結婚ができるのではないかと思っている。孤独に強い人は自立ができている。だから、ひとりでも生きていけるし、結婚しても生きていける。両方こなせる精神力が孤独に強い人は備わっている気がする。

いま、結婚できていない人はさみしがり屋の人たち。
男も女もさみしがり屋の人たちが結婚できていない気がする。ひとりでは嫌だ・嫌だという人たちが結婚できていない。このまま一生ひとりで暮らすのは嫌といいながら、パートナーが見つかっていない。なぜか?さみしがり屋の人は精神面が弱く、パートナーになる人からも敬遠されるから。

依存心が強い人は両方できない。
依存心が強い人は結婚できないし、また依存心が強い人は一人で生きていくこともできない。結婚も、一人で生きていくにしても、自立心がないと生きていけない。

自立ができている人は両方できる。
自立ができている人は結婚もできるし、また一人で生きていくこともできる。そういう人にひとりがいいか?パートナーがいた方がいいか?と質問すれば、「どちらでもいい」という答えが返ってくるだろう。




悪い言葉ばかりを発する人には近づきたくないですよね。

不平不満などの嫌な言葉を聞くと、こっちまで気分が悪くなる。言っている本人はそれを知らずに四六時中不平不満ばかりを言っているが、それを聞いている人は、知らず知らずのうちに気分を害して心が汚染されている。悪い言葉ばかりを発する人には近づきたくない、自分の心が汚れるから。

あなたは自分の言葉に、自分が尊敬を感じるような言葉を使っていますか?尊敬を感じない言葉ばかりを連発すると、自分自身ばかりではなく、それを聞いている人の生命までよくない影響を与えてしまいますよ。

たとえば、
「疲れた、しんどい」本人はありのままの事実を言っている。今日の仕事は辛かった・・・だから、疲れたしんどいと正直にいっている。そこまではいい。だが、そのあとがよくない。そこから「もう嫌だ、こんな仕事。なんでオレばかりしんどい目にあう。もうたくさんだ、この仕事いつまでもやっていられない。だいたいこの会社には将来性がない。いつ潰れるかわからない。オレはこの会社に骨を埋める気はない。オレにはもっと自分を生かせる仕事があるはずだ。だから、こんな会社いつか辞めてやる」てな、具合に、愚痴のオンパレードが続く。これがよくない。本人は自己満足で愚痴っているかもしれないが、聞いている方は心身に悪い影響を受けている。そのことを愚痴っている本人は知らない。

愚痴っている本人も自己満だけでは済まされない。
他人に悪い影響を与えながらも自分にも悪い影響を与えている。「疲れた」といって、疲れが取れたか?「しんどい」といってしんどさが取れたか?不平不満のオンパレードで疲れやしんどさが取れるわけでもなく、癒やされるわけでもない。かえって疲れが増してしんどくなるのが落ちである。愚痴の自己満ほど、自分の生命を危うくするものはない。

言葉は言霊となって現実になる。
以前にもその記事を書きましたが、その通りであります。
言葉は言霊となって現実になるのです。愚痴の多い人は愚痴人間となって生命を危うくする。ネガティブな言葉ばかり発する人はネガティブ人間となって生命を危うくする。不平不満の多い人は不平不満だらけの人間となって生命を危うくする。消極的な言葉ばかり使う人は消極的な人間となり、心配ばかりしている人は心配性の人間になり、自信のない人は自信のない人間になり、悩んでばかりいる人は悩み多き人間になり生命を危うくする。

生命を危うくするとは。
健全な社会生活が送れない人のことをいう。健全な社会生活が送れなければ、生きていても常に疲れが溜まってしんどい生活を送っている。何をやっても不平不満で当たり散らし、何をやっても消極的で自信がなく、他人に迷惑ばかりをかけている。せっかく人が親切に助けようとしても、どうせ自分は何をやってもダメなんだと自虐的になり人の助けを拒む。こうなると悩みだけの人生で、生命そのものを危うくしてしまう。

そうならないために、どうすればいいか。
言葉の使い方に気をつけることです。

疲れたなら「疲れた」といってよろしい。
人間らしいありのままの表現だ。
だが、そのあとの言葉に気をつけることです。
疲れたあとの続く言葉を不平不満の愚痴のオンパレードにしないことです。不平不満の愚痴のオンパレードになれば、あなたの生命に危機を与え、他人の生命にも危機を与えることになります。だから、そのあとに続く言葉に気をつけるようにしましょう。


そうだね・・・。
そのあとに続く言葉は、こんな言葉がいいかな。

「疲れた」という言葉のあとに、今日も一生懸命働いた。今日は充実できた一日で良かった。また明日も頑張ろう。明日が楽しみだ。

「今日はきつかった、しんどかった」という言葉のあとに、きつくてしんどい仕事をよく堪えて頑張った。よしよし自分には根性がある。この仕事を通して気力・体力を養い、自分はさらにさらに強くなる。

どうでしょうか。
あとに続く言葉は、前向きな積極的な言葉にしてみては。あとの言葉は、自分が尊敬できる言葉に置き換えることです。その方が、あなたの人生は良い方に変わるのは間違いありません。また、他人にもいい影響が与えることができるようになるでしょう。



ぎりぎりに生きている。
私も含め、皆さんも、ぎりぎりに生きている。
世の中は希望もあれば不安もある。人間は希望と不安の狭間でぎりぎりに生きている。ちょっと油断すると不安に苛まれ、ちょっと頑張ると希望の光が差す。またちょっとでもサボるとすぐに不安の中に落とされ、そこからまた努力すると希望の光が見えてくる。人生は油断大敵なのかもしれない。

人間は不安なことを考える生き物だが、不安なことが起きないように制御しているのも人間である。人間は不安と希望のぎりぎりの中で生きている。サボれば不安の中に一日いて、努力すれば希望の中に一日いることができる。どちらも、この一日は長く続かない。

不安の1日が長く続けば、それは嫌になる。精神の崩壊を招き人生も破綻する。希望の1日が長く続けば、それは幸せになる。だが、希望を維持するにはそれなりの努力が必要なので、努力を継続するのもしんどいものがある。

人間は元来怠け者でサボるのを得意とする。また人間は勤勉で一生懸命働くのを得意とする。どちらも人間だ。サボったときは、たまにはノンビリするのも大切だと正当化し、働くときは使命であり義務であると正当化する。

人間は不安の借金と希望の貯金の中で生きている。
不安を負債と呼び借金だとする。
希望を一生懸命働いた貯金だとする。
元来怠け者でゆっくりしたい人間は、この貯金を取り崩しながらゆっくりしたいとサボる。だが、貯金はすぐに底をついてしまう。そこから慌てて働いて貯金をしていく、希望を取り戻すために。人間は希望の貯金と不安の借金の狭間で生きている。人間はこの二つを行ったり来たりしながらぎりぎりで生きている。

私はそれでもいいと思う。
不安のある人生。
希望のある人生。
両方を行ったり来たりするのが人間。
それでいいではないか、と思っている。


できれば、希望を多くしたいだけ。
不安が8で、希望が2では嫌だ。
希望が8で、不安を2にしたい。

希望を10にするのはきつい。これじゃ休みなく働くことになるので、かえって不安が多くなる。不安が10ばかりでは人生終りだ。気が狂ってしまう。不安が5で希望が5の半分でもよいが、できれば希望をもう少し多くしたい。

人間は不安なことを考えるが、不安なことが起きないように制御しているのも人間である。人間は、不安と希望の狭間でぎりぎりに生きている。ほんの少し希望を多くすれば、それだけ人生は豊かになるのではないかと思う。


発する言葉には気をつけよう。
心がイライラしている話を聞くと、自分の心もイライラしてくる。反対に、心の優しい人の話を聞くと、こちらの心も優しくなる。ネガティブな言葉を聞くと、こちらもネガティブになり、ポジティブな言葉を聞くと、こちらもポジティブになる。

人間は相手の言葉によって左右される。相手の言葉によって、自分の性格も形づけられることもある。だから、親子の関係や恋人の関係は注意が必要である。我が子を悪い言葉で育てる親もいれば、付き合っている恋人に酷い暴言を吐いて責める人もいる。これだと、愛のある関係は荒んだものになる。

私の仕事は聞く側。
若い人の話を聞けば自分も若返るし、老人の愚痴ばかり聞けば、自分も愚痴っぽくなってしまう。若い人でも愚痴が多ければ嫌な気分になるし、年寄りでも大志を抱く夢の話を聞けば、こちらも気分が高揚してくる。私とて、相手の話に影響を受けている。

言葉は言霊となって跳ね返ってくる。


ネガティブな言葉は実現する。
会社を辞めたいといえば、いつか辞めることになる。彼に向かってあなたは浮気をしていると言えば、いつか彼は浮気をすることになる。彼とはうまくいっていないと言えば、いつか彼と別れることになる。愚痴の多い、ネガティブな発言を、日頃・毎日連発すれば、言霊となって必ず実現する。

ポジティブな言葉は実現する。
自分はこういう仕事をやりたいといえば、いつかこの仕事ができるようになる。わたしは彼と結婚したいと言えば、いつか彼と結婚できる。彼のことを信頼していると言えば、彼は信頼に値する人間となる。ポジティブな発言を、日頃・毎日連発すれば、言霊となって必ず実現する。

その通りにならない人は?
言葉とは、それを強く思って発言すれば、その通りになっていくが、ならない人は、言葉に強さが足りない。良いことも悪いことも、言葉が強ければ実現し、言葉が弱ければ実現しない。言葉とは、毎日連発すれば強くなるが、数ヶ月に1回程度では強くならない。

あなたが日頃に何を思って言葉を連発しているかで、言葉は言霊となって実現される。日頃発する言葉に愚痴が多ければ、愚痴ったそのままが実現し、日頃夢に向かっている発言を繰り返せば、夢は実現する。言葉=言霊とは、あなたが日頃何を思って何を発言しているかで、実現されるのである。

思考は現実になる。
思ったことを言葉に出し続ければ現実になる。
言霊となって、現実になる。


だから、愚痴ばっかり言っていると、これがやがて現実となって自分が惨めになるだけである。




一歩引いてみるとは、
世の中の混乱の状況を静観してみることを意味する。

世の中を静観してみると、
世間というものが、いかにプラスかマナスの考えで狂って、欲望の戦いに燃えさかっているのがわかる。だから、世の中でうまくことが運ばなかったり、大失敗をすると、悩み苦しんで自分の命を断ってしまったりする。

多くの人が自分は世の中で生きていると勘違いしている。だが、実際は違う。私たちは世の中で生きていると同時に、大自然の花と同じように、宇宙生命の中で生きているのである。

宇宙生命とは?仏教の教えか(般若心経)か?
先生はいつから宗教家になった?
私は宗教家ででもないし、仏教を志している人間でもない。
仏に仕えなくとも、宇宙生命の活動は理解できる。

おそらく中村天風先生の教え。
先生の本はたくさん読んだから、いつのまにか自分は世の中だけで生きているのではなく、それと同時に宇宙生命の活動と共に生きていることが浸透してしまった。だから、皆さんの悩みを聞く、この仕事ができているのだろう。

人間は宇宙の生命の活動によって生きている。この宇宙の生命のありがたさ尊さを身にしみて実感すれば、世間で起きている苦しみや悩みは、とてもちっぽけなものにみえる。

だから、私は皆さんの悩みを、一歩引いて観ている。
世の中の混乱の状況を静観してみるから、様々な対策が打てるのである。

それと、宇宙生命には苦しみや悩みはない。
世の中でみるから、苦しみや悩みが生まれるのである。

世の中はプラスかマイナスかで狂っている。
損か得か、欲望の戦いに燃えさかっている。

名誉や地位やお金に狂い。
愛が成就した、失恋したと狂い。
男は、忙しいといって彼女を放置して仕事に狂い。
女は、なんで放置するのと狂う。

みんな自分勝手だ。
世の中のプラスかマイナスかの欲望に狂っている。

私は欲望に狂っている人をたくさん知っている。
真面目な人も。誠実な人も。紳士・淑女も。精悍な人も。清楚な人も。みんな中味はいい人なのに、欲望に狂っている。求めよ、さらば与えられない。最後まであきらめるな。少年よ、乙女よ、大志を抱け。世の中の競争というものが、プラスかマイナスに働いて、狂っている。

欲望渦巻く狂った競争社会では落ちこぼれも当然出る。私のところに鑑定に訪れる人たちは、競争に敗れた人たちかもしれない。がっかりすることはない。勝者一握り。あとはみんな普通の悩める子羊だ。

子羊たちの悩みを私は静観してみている。
その子たちに、どうやって宇宙生命の尊さを教えるかが、思案のしどころ。宇宙生命には苦しみや悩みはない。世の中で生きようとするから悩みや苦しみが出てくる。それをどうやって教えるか?思案のしどころである。

彼と連絡が取れない、音信不通。
宇宙生命の力で考えれば、こんなもの悩みのうちに入らない。

世間はみんな結婚しているのにわたしだけ結婚できていない。
宇宙生命の力で考えれば、こんなもの悩みのうちに入らない。

あいつだけ出世して、自分は出世できなかった。
宇宙生命の力で考えれば、こんなもの悩みのうちに入らない。

あいつは金持ちで、自分は貧乏だ。
あの子だけもてて、自分はもてない。
あいつは頭がいいが、自分は頭がよくない。
あいつは能力が高くて優秀だが、自分は能力が低くて優秀でない。
あの子は綺麗だが、わたしはブスだ。
あの子の真似は自分にはできない。
あいつの真似は自分にはできない。
どうせオレなんか、どうせわたしなんか・・・。
宇宙生命の力で考えれば、こんなもの悩みのうちに入らない。

自然界の花には落ちこぼれはない。
また来年花が咲く。
人間は世の中だけで生きているわけではない。
大自然と花と同じで、宇宙の生命の中で生きている。

悩んだり苦しんだりしたら、一歩引いて世の中をみること。
世間というものが、いかにプラスかマナスの考えで狂って、欲望の戦いに燃えさかっているのがわかるだろう。それがみえたとき、自分は大自然の宇宙生命で生きていると感じること。宇宙生命の尊さを感じれば、人間界の細々した悩みなど、消し飛んでしまうよ。消し飛べば、悩みは、「はい、そこで終り」あとは自分の花を咲かすだけだ。