彼女のいる男が浮気をする。奥さんがいる男が不倫をする。
彼氏のいる女が浮気をする。旦那さんがいる女が不倫をする。
人はなぜ浮気をするのか?
ふと、思う。それは満たされていないからだ。
たくさんの浮気や不倫の相談をしてきた。話を聞いた私の対応は、みなさんの友人や知人たちの意見とそう変わらないかもしれない。つまり第三者的な客観的な判断で、一般的常識の範疇で、「浮気はよくない、不倫はよくない」と対応している。そこに多少の経験が加わり、客観的、常識的な判断に磨きがかかり、理論も整然として、幅広い見識で、浮気のなんたるかを不倫のなんたるかを、人より多く理解しているつもりで対応している。だが、中身の詳しいことは私にもわからない。何がわからないか、人の思いや感情である。人の気持ちといっていいかもしれない。人の気持ちは常識では計り知れないところに存在するからだ。
ある旦那さんが浮気をした。奥さんを裏切り、とても許せない悪い男だ!と第三者が言ったとしても、その男性の気持ちになれば、人には計り知れない複雑な気持ちがある。その気持ちは自分(当人)にしかわからない。その男性には平凡だが幸せな家庭がある。愛する奥さんと子供が二人いて、仕事も順調で、誠実で人柄もよく夫婦仲もよく子煩悩で家庭は円満。はたから見れば幸せな家庭、なのに夫は浮気をした。なぜ?
その逆もある。いい旦那さんと可愛い子供に恵まれている奥さんがいる。旦那さんは優しく、働き者で夫として申し分もない。子供たちもいい子にすくすく育っている。はたから見れば幸せな家庭、なのに奥さんは浮気をした。なぜ?
人間は感情の生き物。常識では計り知れない人の気持ちがある。
パートナーを裏切った人たちにはもちろん罪悪感がある。恐怖に脅えながら、罪悪感と常に戦っている。人間として埋め込まれた常識と言う知識に抑制されながら、悪いことはしてはいけない、裏切ってはいけない、いけない・いけないと、欲望を抑制して我慢しているところもある。はたから見れば幸せな家庭、だが心の中は、気持ちは、感情は、常に欲望と戦いながら悪魔に身を売ろうとしている。常識による抑制はしばらく続くが、人間が野生を取り戻したとき、その規制したガードは外れる。はたから見れば幸せな家庭だが、当人は満たされていない。毎日・毎日、僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ。何のために生まれてきたの?常識に抑制されて、はたから見れば幸せな家庭という流れ作業のロボットをずっと演じなければならないの?そんなのもう嫌になった、もう懲り懲り。平凡で飽き足らない家庭、来る日も来る日も同じことの繰り返し。そこにはなんの刺激もない、なんのロマンもない。つ・ま・ら・な・い。僕の人生は、私の人生は、これで終わりたくない。
常識の抑制に勝ち、野生の自我が目覚め、(常識に抑制され、はたから見れば幸せな家庭という流れ作業のロボットをずっと演じるのは嫌だと)浮気を正当化して、罪悪感を追い払い、人々は浮気に走る。浮気に走ることは平凡な生活に対する不満。忘れていたロマンと刺激。そして、純粋に本気で人を好きになってみたいという欲望。「本気で、今度こそ命懸けで人を好きになりたい」「これが、僕が、私が、本当に望んでいたことだ」常識によって抑えて抑えていた欲望がついに爆発する瞬間である。
だが、悲しいかな、人間。
人間は常識と言う輪廻に敵わない。
一度は常識を捨てても、常識は輪廻転生のようにまた戻ってくる。常識は一度死んでも、ふたたびあなたの魂となって帰ってくる。そこにまた悪いことをしている、裏切っているという罪悪感が発生し、やがて因果応報によって浮気をした人のロマンは砕け散る。
ふと、思う。
人はなぜ浮気をするのか?
性欲だけの単なる浮気はバカヤローと言いたいが、気持ちや感情の部分は否めない。これは人間だから仕方がないことかもしれない。
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婚約していた彼に好きな人ができ別れて1年。
別れを切り出された時、
悲しみと隣合わせに
付き合っていた頃、自分から誰かを
好きになったことがないと言っていた
彼の言葉を思い出しました。
婚約はしていたものの、彼は
初めて自分から本気の恋をしたのだなと
浮気というものでは片付けられない。
これは私ではどうにもならないと
思ったのを覚えています。
応援しなきゃいけないような気がしたのです。
散々苦しみましたが、
彼が選んだのだから少なからず
彼の幸せなのだと思いました。