詳しいことは他の文献を参照してください。
私なりの考え方をまとめると。
善因善果。
悪因悪果。
です。
善因善果。善いことをすると善い結果になる。
反対に、
悪因悪果。悪いことをすると悪い結果になる。
ということです。
世の中は善因善果、悪因悪果の因果応報で成り立っているといっていいでしょう。
私が思うには因果応報は人間だけに起こる現象だと思います。
人間には他の動物にはない強い思考があるからです。
動物のように本能だけで生きているのなら、因果応報も成立しないでしょう。動物は生きるための本能的な欲求と能力だけですから。
ところが人間は本能だけで生きているわけではありません。思考を中心に感情で生きているからです。この思考と感情が因果応報を招いているのではないでしょうか。善いことをすれば善い結果になり、悪いことをすれば悪い結果になる。古今東西、人類の歴史において、常にそれは繰り返されています。人間一人の人生の中でも、生まれてから死ぬまで因果応報は繰り返されているでしょう。
人間は欲求不満と本能でいろいろな過ちを犯します。また人間は正しい思考と正しい行いで世の中の役に立つことをします。善の時と悪の時、そのバランスで生きているのです。バランスが悪の方に傾けば不幸な人生になり、バランスが善の方に傾けば幸福な人生になる。たったそれだけのことです。
ところが人間はそんな簡単なことが理解できていません。欲求不満や感情をコントロール出来ない。また人間には感情をコントロールできない余計な思考があるのです。頭では理解できても感情がついていけない。これは人間が持っている余計な思考がそうさせているのです。人間が感情的になっているときは、本能がそうさせているのではありません。思考がそうさせているのです。余計な思考が、考えすぎる思考が、罪悪感と戦って、頭では理解できても感情がついていけない、余計な思考があなたの考えを邪魔しているのです。欲求不満と一致した悪の思考。これを改めようという善の思考。この二つが戦い、選択できない葛藤を生み。それで苦しむようになっているのです。
恋愛の中には、善と悪を選択できない心の苦しみが無限にあります。とくに不倫や浮気の不貞の愛は苦しみの宝庫です。幸せの宝庫でなく苦しみの宝庫。この愛は宝物に見えて、実は何もない無意味なもので、宝を手に入れることはできません。
不倫や浮気は、悪因悪果の因果応報の天罰を受けることになります。これは神様が罰を下すのではなく、相手とあなた自身の罪悪感が罰を下すのです。どちらがこの愛を続けたいと思っても、片方がこの愛を終りにしようという気持ちが働く。この終りにしようという相手の気持ちが最大の危機を生み、言葉では言い表されない最大の苦しみを生みます。愛の終りはいつの時代も苦しいものです。この苦しみはどこから来たか?というと人間が持っている罪悪感から来ています。つまり因果応報とは、罪悪感からきているのです。
罪悪感が因果応報を招くといっていいでしょう。
まとめると、
悪因悪果の因果応報は、人間の罪悪感によるものです。
罪悪感のない人間は、悪因悪果の因果応報にかかることはありません。
罪悪感のない人間はこの世に存在しません。どんな極悪人でもです。
罪悪感のない極悪人は閻魔大王か神様くらいでしょう。
閻魔大王と神は欲求不満にならないからです。
欲求不満になりやすい人間は常に罪悪感の塊です。
どんな真面目な人でも。
だから、自ら天罰を下すのです。
そして大丈夫です。
自ら天罰を下せば。
その後は、新しい人生の出発です。
罪悪感のない新たな人生をスタートさせましょう。
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コメント
おはようございます。因果応報の記事、とても興味深く、参考になりました。音信不通だった彼と また連絡が取れるように なったのは、彼の心の中にあった 私に対する罪悪感が 無くなったからなのでしょうか。お互いに 離れている時間があって、それぞれが自分の人生を前向きに生きてきたからこそ、罪悪感が 消えた…そのような気がします。
No title
因果応報とは読んで字のごとくなので、文献を読んだことはありません。
沖川先生の今日の見解で十分勉強になります。
人を苦しめようと、貶めようと、騙そうと、なんの罰もあたらず、
のうのうと天寿を全うする人たちがいること。これで理解出来ました。
そもそも罪悪感などというものは、持ち合わせて生まれてきていないのですから、本人の心は痛まない。どんなに苦しめられようと、勝ち目無しです。同じ人間だと思わないこと。
魔界から来た人たちだと思い、動じず、惑わされず、振り回されず、毅然とした態度で関わりを断つしかないですね。
なんとなくですが、略奪愛と相続争いには、目に見えて因果応報が働いているような気がします。
普段は常識的に生きている人たちでも、愛欲と金銭欲には惑わされ、
罪悪感と葛藤し続けるからでしょうか。それでも人の妻、夫を略奪しようと、お金の魔力に取りつかれようと、何の罪悪感も持たず苦しむことも
ない人がいる気もします。
政界の人たちが、横領、贈収賄、汚職などがへっちゃらで、案外長生きしているのは、恥とか罪悪感などもともと持ち合わせていない人種だからかもしれませんね。
沖川先生の今日の見解で十分勉強になります。
人を苦しめようと、貶めようと、騙そうと、なんの罰もあたらず、
のうのうと天寿を全うする人たちがいること。これで理解出来ました。
そもそも罪悪感などというものは、持ち合わせて生まれてきていないのですから、本人の心は痛まない。どんなに苦しめられようと、勝ち目無しです。同じ人間だと思わないこと。
魔界から来た人たちだと思い、動じず、惑わされず、振り回されず、毅然とした態度で関わりを断つしかないですね。
なんとなくですが、略奪愛と相続争いには、目に見えて因果応報が働いているような気がします。
普段は常識的に生きている人たちでも、愛欲と金銭欲には惑わされ、
罪悪感と葛藤し続けるからでしょうか。それでも人の妻、夫を略奪しようと、お金の魔力に取りつかれようと、何の罪悪感も持たず苦しむことも
ない人がいる気もします。
政界の人たちが、横領、贈収賄、汚職などがへっちゃらで、案外長生きしているのは、恥とか罪悪感などもともと持ち合わせていない人種だからかもしれませんね。
No title
罪悪感が消えると物事は順調にいきます。
この頃、心屋さんの本やブログを読んでいるのですが
罪悪感が消えると物事が順調に進む、
同じようなことが書いてあり、
やっぱりそうなんだ…!
と思いました。
罪悪感をわりと覚えるたちなんで
気をつけようと思いました。
正確に言うと妹が好きで読んでいて
そういうことを言ってきます。
私も沖川先生ブログで読んだことを
応戦しています笑
良い循環になっていると思います!
罪悪感が消えると物事が順調に進む、
同じようなことが書いてあり、
やっぱりそうなんだ…!
と思いました。
罪悪感をわりと覚えるたちなんで
気をつけようと思いました。
正確に言うと妹が好きで読んでいて
そういうことを言ってきます。
私も沖川先生ブログで読んだことを
応戦しています笑
良い循環になっていると思います!
No title
政界の人たちが、横領、贈収賄、汚職などがへっちゃらで、案外長生きしているのは、恥とか罪悪感などもともと持ち合わせていない人種だからかもしれませんね。
それもありますが。その分仕事を一生懸命全うしているのかもしれませんね。悪いことをすれば、善いこともする。これが政界の人たちだと思います。因果応報にかからないのは、悪さの何十倍も陰で良いことをしているのでしょう。
それもありますが。その分仕事を一生懸命全うしているのかもしれませんね。悪いことをすれば、善いこともする。これが政界の人たちだと思います。因果応報にかからないのは、悪さの何十倍も陰で良いことをしているのでしょう。
因果応報…
因果応報は、出来事の解釈によるものだと思っています。
すべての出来事は良くも悪くもないのに、罪悪感があると、出来事を過去の行動にネガティブに結びつけて悪く解釈し、自分で自分のエネルギーを下げ、前へ進む気力を削いでしまいます。
すべての行動は、その時は自分なりにそれが最善だと思ったからそうしたのですし、個々の行動が人知を超えたところで精妙に関係し合って世界を構築しているので、その行動は必然だったのだと思います。
心を積極的にして前進するための「反省」はいいけれど、嫉妬と同様、自分の心身を傷つけ、かかわる人をも傷つけることになる「後悔」や「罪悪感を持つこと」は、しないように心がけたいです。
すべての出来事は良くも悪くもないのに、罪悪感があると、出来事を過去の行動にネガティブに結びつけて悪く解釈し、自分で自分のエネルギーを下げ、前へ進む気力を削いでしまいます。
すべての行動は、その時は自分なりにそれが最善だと思ったからそうしたのですし、個々の行動が人知を超えたところで精妙に関係し合って世界を構築しているので、その行動は必然だったのだと思います。
心を積極的にして前進するための「反省」はいいけれど、嫉妬と同様、自分の心身を傷つけ、かかわる人をも傷つけることになる「後悔」や「罪悪感を持つこと」は、しないように心がけたいです。
No title
すみれさんの考え方は素晴らしいですね。
単純だけれども、自分が人として後悔しない、人を傷つけない、自分を大切にする、側にいてくれる周りの人を大切にして、感謝して、生きていけばいいですよね!きっとそんな、分かりやすくてシンプルな事なんだと、思えるようになりました。
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