どっちだと思いますか?
人間は心だという人もいれば、体だという人もいるでしょう。
宗教では、「人間は心だ」という教えの方が圧倒的に多い気がする。
また、「心と体が一体となって人間」という教えもあるだろう。
私はどっちか?
私は宗教を否定も肯定もしない。
人間は心でも体でもあり、心と体が一体したのが人間であるという考え方に否定はしない。ただ、もっと次元の違う考え方も持っている。
次元の違う考え方とは?
その考えは、中村天風先生から教わった。
人間は心でも体でもなく、気体(霊魂)だという考え方。
天風先生はいう。「人間は心でも体でもない、人間の正体は気体だ」。
気体とは霊魂のことを指す。
生命の根源は、見えない世界に充満するエネルギーにある。
我とは霊魂という気体である。
霊魂が人間の生命体の本体で、心だ、肉体だというのは、霊魂が現象世界で活動するための単なる道具にしか過ぎない。
人間は心でも体でもなく、気体(霊魂)。
心と体は生命を維持するための単なる道具にしか過ぎない。
この説を聞いたとき、わたしは思わず「え?え?」となってしまった。
そして、すぐにその考えが私の中に入った、とても造詣の深いものとして。
霊魂をさらに掘り下げると、霊魂とは自己のこと。
自己とは自分(私)のこと。
人間は自己が中心である。
自己が中心とは自己中のことではない。
自己とは(私)が中心であるということ。
心と体は私を中心に動いているに過ぎない。
心と体は私が支配するもので、心と体に支配されてはいけない。
心と体は私が道具として使うもので、心と体に使われてはいけない。
具体的にいうと。
腕を怪我したとする。
怪我した腕が痛い痛いと叫ぶ。これが普通の人の現象だが、天風先生の教えは、怪我をしたのは体の一部である腕、一部の腕が痛いのであって、私が痛いわけではない。一部が痛いものを全部が痛いというな。痛い箇所を体の一部ととらえ、「私が痛いわけではい」という考えが治癒力を高め、逆に痛いのを全部だと捉えれば治癒力は遅くなる。
彼にフラれた。
彼にフラれて失恋した。失恋した女性は、この世の終わりかと思うほど先が暗くなる。ご飯も食べられず、夜も眠れない状態が続き、げっそり痩せ、精神状態はおかしくなる。ここでも天風先生の教えは、傷ついたのは心の一部の恋心に過ぎない、私が傷ついたわけではない。失恋した心の傷を全部にするな。全部にするから立ち直れないのであって、一部にすればすぐに立ち直れる。私は傷ついてないとすれば、復縁もできるし、新しい人もすぐに見つかる。人生はバラ色だ。
多くの人は、心と体に使われている。
自分が心と体を道具として使い、支配するべきなのに、心と体に使われている。
だから、悶々とした人生を送っているのだ。
今日から、
痛いのは私ではない。
傷ついたのは私ではない。
辛いのも悲しいのも苦しいのも私ではない。
私の道具である心と体がポンコツになっているだけだ。
だから、私がしっかりする。
ポンコツになった心と体を私が治癒させる。
自己の力で。
私が中心に心と体を支配して治す。
そう考えよう。
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