仕事で悩み、恋愛で悩み、人生で悩んでいる。過去の生い立ちから、現在の苦境、未来の不安まで、あれやこれや思い煩い悩んでいる。みんな心の奴隷となっている。
みなさん取り越し苦労が大好きみたいだ。過去に起きた嫌なことを引きずり、それによって現在を悪くし、さらに未来まで悪くしている。こうなったら、心は僕でなく主人となっている。
悩んではいけないのか?人間なら誰しも悩むはずだ、それがいけないのか。
私は悩むことを否定してわけではない。私だって悩むことはたくさんある。過去に悩み、現代に悩み、未来に悩む、こんなことは日常にある。こうして偉そうにブログを書いているが、
実は私、小心者である。小心者の私だからこそ、心をなすがままにしておくと、かえって混乱する。悩んでいる心を主人にすると、人生は混乱することをすでに経験している。だから、今は心をコントロールすることにしている。心は私の僕だ、心は私の主人ではないと、自分の精魂である魂に言い聞かせるようにしている。
さらにきつく言うと、心は道具だ。体も道具だ。体という動物心、心という理性心を使いこなして、人間は成長できる。道具に使われていたら成長はできない。かえって後退するだけだ。後退すれば悩みの淵から抜け出せない。だから心と体を道具として使いこなすようにしている。
ときどき、心の奴隷になることがある。
人間という生き物は心の弱い生き物で、自分もときどき心の奴隷になることがある。昔は長くその時間にいたが、今は1日、2日でそこから抜け出すことがようやくできるようになった。できれば5分くらいで抜け出したいが、まだまだ修行が足りないようだ。世界の偉人たちは5分で抜け出しているのだろう。あるいは悩みそのものがないのかもしれない。彼らには確固たる信念と目標があるので、悩んでいる暇はないのかもしれない。自分もそうなりたいが、自分はまだまだだ。どちらかというと、あなた方と一緒だ。あなた方と一緒なので、小心者が、小心者を助けるくらいで丁度いいと思っている。人の悩みを理解できないとこの仕事はできないからね。
皆さんに私が伝えたいのは、
悩んでもいい。だが、その時間に長くいないこと。
それを伝えたい。
悩みというものは、決断できないことから起きている。
決断を急ぐこともないが、遅すぎてもいけない。
この時期を一緒に決めよう。
決断するのは、忍耐力がいるものだ。
この忍耐力を一緒に学ぼう。
決断することは、納得することだ。
この納得する力を一緒に身につけよう。
そうすれば、すっきりする。
あなたの心がすっきりする。
これによって、あなたの心は僕となる。
さらに僕を使いこなせば、心は道具となりあなたの命令通りに動く。
心と体を道具にした具体的な例を述べよう。
昔ブログに書いたが、私が好きな言葉などで、また再現します。
彼にフラれて傷ついた。
これは心の一部である恋愛感情が傷ついただけで、私が傷ついたのではない。
仕事で失敗した。仕事で挫折した。職場の人間関係が悪化した。
これは心の一部である仕事の感情が傷ついただけで、私が傷ついたのではない。
腕を怪我した。腕が痛い。
これは体の一部が傷ついただけで、私が傷ついたのではない。
心、体の一部が傷ついても、私は傷ついていないとすること。
心と体を自分の道具にすること。
これができれば、心の病や体の病は早期に回復できる。
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