好きな人から連絡が来なくなったとき、男性と女性ではどちらが心を痛めるかというと、それはどちらも心を痛める。では、心を痛める割合の大きさはというと、女性の方が圧倒的に心を痛める割合が高い。なぜ、女性の方が高いのか?それは女性の方がコミュニケーション能力が高いからだ。女性は、人との会話であるコミュニケーションで生きているといっても過言でない。そのくらいコミュニケーションを大切にしている。とくに好きな人とのコミュニケーションは、女性の生き甲斐であり、日々の暮らしに希望を与え支えとなっている。女として生まれて、愛する人がいる喜びを感じる瞬間でもある。、毎日「おはよう、行ってきます」「ただいま、今帰ったよ」という日常会話だけで十分、感動するような言葉などいらない。毎日の繋がりが女性に希望を与えるのだ。今日も元気で過ごしているという繋がりが。
その繋がりが、突然遮断される。
相手の都合でいきなりシャットアウトされる。昨日まで仲が良かったのに、今日突然仲が悪くなった感覚に陥るのが、相手からの連絡無視。24時間以内に、天国から地獄に落ちる悪魔の粛清が音信不通である。相手から一方的に人間関係が遮断された。今まであったコミュニケーションが、暴君の命令によって厳しく取り締まられて粛清された。民間の弱気女がどれだけ騒ごうが、どれだけ苦情を言おうが、暴君の粛清は止まらない。理由の分からない完全無視の暴君の粛清が続く。この暴君とは音信不通にしている彼である。
なぜ彼を暴君にしたのか、音信不通をなぜ粛清というのか、それだけ酷い扱いだからである。音信不通は犯罪である。しかも酷い犯罪である。暴君の粛清ほど酷い犯罪である。なぜ酷い犯罪か?暴君の粛清は泣き寝入りしかないからだ。仕方がないとあきらめるしかないからだ。暴君の粛清を止めさせるには、国の最高機関が法律を作るしかない。「音信不通は犯罪である。音信不通にしたら禁固刑1年とする」このくらいの法律を作れば、世の中から音信不通はなくなるだろう。理由なき音信不通はみんな犯罪者扱いとなって捕まるからだ。今日の沖川は荒れているね。そう、音信不通の相談が多て・・・く荒れている(笑)。でも、いつものことだ。荒れているときにこそ、刺激的な記事を書く「音信不通は暴君の犯罪だ」という記事を書く。
さて、ここからは穏やかな記事を書こう。
心穏やかな音信不通の対処方法だ。
「私なら、こうする」という、沖川の主観で記事を書いていく。
私は女性とは違う。私は男性で、男性が音信不通にしている気持ちもよく解る。
まず男性は、女性とのコミュニケーションが苦手である。寡黙で無口、これが男性の特徴だ。寡黙で無口だから仕事ができる。獲物を仕留めるのにぺちゃぺちゃお喋りしたら獲物は仕留めることはできない。バラエティー番組のさんまのようにぺちゃぺちゃお喋りして成功している男性もいるが、あれは芸能界だから成功するのであって、一般の社会では成功しない。一般社会で成功する男は黙って仕事に集中するから成功するのである。また芸能界で成功しているお喋り男もやはり男だ、女には冷たいところもある。仕事ではべらべらお喋りするが、彼女には音信不通にしている。そんな話もぎょうさん聞いている。まずここで言いたいのは、男のコミュニケーション能力は仕事に充てたもので、女性に充てたものではないということだ。
音信不通には様々な理由があるが、ここで全部述べるのは不可能である。私のところで、音信不通で悩んでいる相談が2万件以上ある。そのほとんどが理由のはっきりしないもの。音信不通の理由をあれこれ詮索するが、実態はわからない。彼が何を考えているか?彼の気持ちなど解るはずがない。現実は音信不通。これが現実だ。
さて、この現実だが。
私なら、「もう、いいや」であきらめる。
私は不誠実な人を相手にしない心がけがすでに出来ている。
どんなに好きでも、どんなに愛していても、相手が不誠実に変わった途端、相手にしない。
「あきらめよう・・・そうすればうまくいく」より、さらにスピードのある、瞬間あきらめである。
「もう、いいや」と瞬間にあきらめる。
瞬間にあきらめても、相手を恨んだりしない、許す。
「もう、いいや」は恨むより、相手を解放させることにある。
瞬間に相手を解放させる、これが「もう、いいや」である。
そして「もう、いいや」の後に、ありがとう。ご苦労さん。楽しかった、もういいよと続く。
私は音信不通などどうでもいいのである。相手が私と連絡取りたくないのだろう。相手の関心がなくなった。相手の気持ちが冷めた。相手に嫌われてしまった。そんなことはどうでもいい。私はいつでも「もう、いいや」であきらめることにしている。
「もう、いいや」・・・これってクールか?
クールもあるだろう。それより心が広く器が大きいといった方がいいだろう。私は器の大きさを人生の題材にしている。まだ器は小さいが、音信不通に対しては器を大きくするようにしている。だからいつでも「もう、いいや」でこの問題を終わりにしている。
「もう、いいや」・・・これってあきらめか?
基本あきらめである。私は人との繋がりにあきらめることになんの後悔もない。
人の気持ちを解放させてあげるのが、私の役目なので後悔などあろうはずがない。
音信不通などの理由など大したことない。
相手の仕事が忙しくでもなったのだろう。私に関心がなくなったのだろう。私に対してやる気がなくなったのだろう。相手の理由がどうであれ、私にはどうでもよいことだ。ただ、私が行うことは、相手を解放させること。ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しているよといって解放させること。引き留めはしない。束縛もしない。支配もしない。執着もしない。ただ、解放させてあげること。これが私の役目。
この役目を続けているとどうなるか?
帰って来る。忘れた頃に帰って来る。
これがまた楽しい。
ここから出て言葉が「男は忘れた頃帰って来るである。」
忘れた頃に帰って来る方法を試すのなら、「解放してあげることである」
もちろん帰ってこないこともある。
その代わり、自分が解放されている。
自分が解放されれば、帰って来ない人はどうでもよくなる。
人は解放されれば、自由に前に進めるからだ。
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あきらめるタイミングはいつですか?
音信不通にされても、しばらくは、二週間に一回連絡してしまいました。
嫌われたのかな。とも思いますが、
もしかしたら体調崩してるのかも?事故に合ったかも?仕事が忙しくていっぱいになってるかも?と心配になるからです。
2ヶ月それが続いて、ある日、「あ、嫌われたな。諦めようもういいや」と思えましたが、遅かったのでしょうか?
2ヶ月もしつこくしてしまいました。
それでも手放せば戻る可能性はあるのでしょうか?
もっと早く手放さなければならなかったですか?