幸せの基本は生活。恋愛でもなく、仕事や勉強でもなく、趣味や遊びでもなく、夢や目標でもなく、幸せの基本は生活の中にあります。
幸せをどこか遠くへ探しに行っていませんか?幸せは遠くへ探しに行くものではなく、幸せは家庭の中にあるのです。
家庭という生活があるからこそ、恋愛も、仕事や勉強も、趣味や遊びも、夢や目標も追い続けることができるのです。
「幸せの基本は、家庭内に存在する」「平凡な生活こそが幸せ」「幸せは家の外にあるのでなく家の中にある」。
多くの人が外に刺激を求め、幸せ探しの旅にでますが、結局帰って来るところは我が家です。
海外や国内旅行に出かけても、彼氏とテーマパークへ遊びに出かけても、時が来れば必ず我が家へ帰ります。我が家こそ安住の地なのです。
複雑な人生こそが幸せだ、と感じる人も多いと思います。波乱万丈で複雑に入り組んだ世界で戦っている自分がかっこいいと。
酒に溺れながら朝方まで狂ったように遊び、健康に悪いことをしている自分が楽しいと。
いけない恋である不倫や浮気に走り、罪悪感を持ちながらも、初めて本気で人を好きになった、これこそ本物の愛とのめり込んでいる自分が幸せだと。
人は平凡な日常より非日常好むものです。だが、それも日常の生活があってこそ。複雑な波乱万丈の人生は見た目かっこいいかもしれませんが、実はややっこしいだけで、人生を無駄に遠回りさせるだけです。
その世界は生きるのが苦痛で、幸せとは程遠い。幸せは日常の平凡なシンプルライフにある。非日常の刺激と欲望の中に幸せはないのです。
平凡な生活こそが幸せ。それを再認識することです。平凡な生活は退屈だからつまらないという人もいますが、退屈だから幸せなのです。
退屈を味わえる人はある意味贅沢な暮しをしているといっていいでしょう。退屈がつまらないという人は、幼い子供が「家の中だけにいては退屈でつまらない、ねぇパパ遊園地へ連れてって」と言っているようなものです。
これが戦争紛争地や明日への生活にも困るような貧困国なら、そんな贅沢なことは言っていられません。彼らは平凡な生活を羨ましがっているからです。安全な平凡な生活を。
日常の生活の有難さは、被災にあったときわかるものです。東日本大震災で失われた日常の生活、これ以上不幸な出来事はないと誰しも記憶があると思います。
失われた日常を取り戻すには大変なことです。今ある生活に感謝することを忘れないことです。
家庭の中に親がいて、夫がいて、妻がいて、子供たちがいる。夫婦の愛がなくなったとか、親との確執があるとか、子供のしつけに疲れたとか、日常生活に愛の葛藤や、不満や軋轢はつきものです。
変わり映えのしない生活に嫌気がさすこともあるでしょう。それでも幸せは家の中にあるのです。幸せ外にはあるのではなく、幸せは平凡な日常生活の中にあるのです。
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毎日、疲れて帰ったら好きな食事があり、好きなお酒の用意があり。
奥さん側の私たちは旦那大事に身の回りをこまごま世話する。
たまにマッサージ、おつかれ!と。
身の回りを細々と、幸せ。
意外にそんな毎日の継続が幸せなんでしょうね。
男性はつくづくシンプル、大事にしてあげたら良いなと思います。