努力を忌み嫌う人もいれば、努力をバカにして軽蔑する人もいる。面倒くせーな、かったるくてそんなものやってられないよ!という人に限って誰ひとり成功した人はいない。
「努力をバカにする人は貧困になる」という慣用句を付け加えよう。慣用句とは習慣として長い間広く使われてきた、ひとまとまりの言葉。つまり努力をバカにする悪い習慣が、自身を奈落の底に陥れているのである。
あなたが努力しないから貧困の危機に瀕している、といっていいだろう。
だが、案ずることはない。世の中で成功した人は、貧困からのスタートした人たちが大半だ。恵まれた人が成功した人はわずかしかいない。みな貧困から立ち上がって成功した。そう考えれば貧困は天からの恵みだ。
貧困こそチャンス。
チャンスに変えるには努力がセットとなる。だから、これからは努力をバカにしたり軽蔑したりしてはいけない。努力は日常生活における宝物。下品な堕落の世界にいて、努力をバカにしてヤジを飛ばすより、真摯に努力と向き合うべきである。
成功とは小さな努力の積み重ねである。
努力はひとりひとり違う。
堕落もひとりひとり違う。
あなたが、愚痴や不満、恐怖や不安の世界にいるのなら、これは間違いなく貧困の世界にいる。この世界で聞こえて来る言葉は、今日の不満と明日への恐怖ばかりである。
あなたが不平不満を乗り越えて、不安や恐怖と闘いながら、考えすぎる思考の世界から抜け出して、着実に一歩を踏み出して行動をしているのなら、これは間違いなく努力の世界にいる。あとは努力を継続していけば成功へと向かう。
多くの人が努力の重要性を認識している。だが、長く続かない。またあの堕落するヤジ将軍が努力の足を引っぱる。
こんなことやったって意味がない。自分には無理だ。自分には才能がない。もう疲れた、アホらしいこんな苦痛が伴う努力を続けるなんて、こんなことをするくらいなら、寝ている方が楽だ。テレビを見て、スマホでSNSをやってゲームをしている方が楽だ。楽しみを放棄してまで努力する必要はない。
人は努力することに抵抗を示す天才だ。いいわけもたくさん作る。努力しないことが、サボることが人間らしくていいと思っている。
努力を否定するいいわけはたくさん聞いた。将来に対して不安や恐怖しかないという言葉もたくさん聞いた。そういう人に限って、自分を卑下しながらも助けを求めている。優しい言葉をかけて欲しい、自分を鼓舞する言葉をかけて欲しいと求めている。
私は「これは自己責任だ!」というつもりはない。私も若い頃は皆さんと同じ境遇にいたから気持ちはよく分かる。気持ちが分かるから、堕落している人間をバカにするつもりはない。ただ、いつまでその世界にいる。この世界に長くいないよう、あっち側の世界(努力をする世界)へ導くだけである。
導くために、努力の重要性をどう解くか?どうやって説明するか?常にその思案の真っ只中にいる。少なくとも一般の人より経験が私にはある。この経験を生かして、皆さんのやる気を促す努力を惜しまないことにしている。
「努力とは継続することに意義がある。この意義は忍耐でもたらされる」という言葉を添えて皆さんのやる気を促す。これが私の仕事だと思って。
私は努力をペーソスだと思っている。
ペーソスとは、外界を受容して内面に生まれる心的状態。感情・感動・情熱など。ひらたくいえば、人間性の味である。人間味あふれる情が努力である。
誰にも情がある。
努力を情ととらえれば、努力することを苦痛だと思わなくなる。
努力を情だと思えば、努力そのものが愛おしく思える。
愛おしく思えば、努力そのものが好きなる。
好きになれば、楽しく継続できる。
継続できれば、習慣となる。
習慣となれば、成功する。
貧困から身を起こして成功した人は、努力を好きな習慣にした人たち。
そう考えれば、日常の努力がいつか日の目を見ることになる。きっと。
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幸せだなーって思うので、一日中布団の中にいてテレビを見たり
本を読だりしていたいなとも思うのですが、
やっぱり日中はじっとしていられません。
努力とか欲を追うのも楽しくなって中毒になると怖いです。
欲のコントロールができなくなってこのままいつか
死ぬんじゃないかと思うときがあります。
健康のため(の努力)なら死んでもいいじゃないですけど。