ホーム > 不安 > 不安があると充実した生活は送れない。
反対に充実した生活とはなにか?
それは、努力というしんどさの上に成り立つものである。

充実した生活を勘違いしている人がいる。
なにを勘違いしているか、それは充実した生活が楽だと思っている点だ。不安を抱えている人からみれば、「あなたはいいわね、何の問題もなく生活ができているから、あなたをみていると悩みがなさそうで羨ましいわ」と充実した生活を送っている人を揶揄する人がいる。

だがそれは、とんだ勘違いだ。
充実した生活を送ることは決して楽なことではない。まだ不安を抱えている人の方が楽に生きている。なぜなら、充実した生活を送るには、それ相当の努力と忍耐が必要だからだ。

充実した人生はどちらかというと、しんどい方が多い。辛くて、しんどくて、我慢できないほどの忍耐力と厳しさが要求されるのが充実した生活だ。

不安があると充実した生活は送れない。
不安を抱えている人はのらりくらりしながら考え事をするものだから、不安を理由に活動しないでじっとしている。それは頭のいいやり方だし、不安な気持ちでいるほうが、活動的で何かに打ち込むより、得るものは少なくとも、明らかに楽であるからだ。

そして、不安のとき次の言葉を発する。
「不安がいっぱいなのに、いったいどうして行動することができるだろうか?」と。あるいは、不安のときは「何も手がつかない。××のことが心配で心配で・・・」ともいう。こうした病んだ現象は、恋愛、結婚、仕事、金銭、健康などといった分野にも当てはまる。

不安のお陰で自分は変わらずに済むことを選ぶ。何かを行動するよりも、不安を抱いている方が、あえて真実を知るよりラクだからだ。不安を抱えている多くの人はその楽な方を選ぶ。

だが、不安の世界にいたら生きた心地がしない。
これはどの人にも当てはまる。

そして、その世界から抜け出すようにもがく。
もがいても、もがいても不安の溝は埋まらない。
どうすればいいの・・・わたし。
となる。

そのときは、自ら充実した生活を切り開くことだ。
自らの手で、あなたの手で切り開くことだ。

もうそろそろいいだろう。現在の時は、過去や未来の囚われで生きていくのではなく、充実して生きる時が来た、と考えることにしよう。

わたしはこの時間を不安のために使ってしまっているけど、いったい何を避けているのだろう。そして、自分が避けているのはなんであれ、それに取り込むことだ。不安に対する最善の策は避けていることをもう一度思い直して行動に移すことだ。

先にも述べたが、充実した生活は、努力というしんどさの上に成り立っている。だが、一度その生活の住人になってしまえば、あなたの生活は充実して間違いなく不安は解消される。不安が解消されれば、あなたは成功に向けた第一歩が踏み出すことができる。



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コメント

No title

若ければただ「生」だけで生きることができますが、
50歳も過ぎれば「病、老、死」と隣り合わせです。
不安で何も手につかないなどもったいなくてできません。
考えても悩んでも仕方がない不安の時こそ、笑って開き直って
動き回ります。そうすると忘れちゃいますよ。
毎日が充実していれば、たとえやりきれない事、
やり残したことがあったとしても、いつ死んでも怖くないと思えます。

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