「不安は、なるようになるさ。」
不安についてあれこれ考えてもしょうがない。頭ではしょうがないと分かっているが、でもあれこれ考えてしまう。まあ、これが人間のサガかもしれない。
考えるのが人間の習性なら、悪い方向にいくのか?良い方向にいくのか?それはその人自身の考え方で決まる。出す答えは人によって違う、それぞれの考え方があり、答えも千差万別だと思う。
では、私の答えは?
「なるようになるさ」である。
諦めとも、開き直りともいえる答えだが、やっとこの答えにたどり着いた。今はこの答えで満足している。
若いころは気づかなかったが、この歳になって気づいた。
「なるようになるさ」を。
正直いって、ここまでたどり着くのに大分時間がかかった。もっと早く気づけば良かったものを、不安と心配性の性格がたどり着くのを遅らせた。若いときは余裕がなくて、とてもこの境地に至らなかった。じたばたとあくせくしながら、ただただ日常の不安に振り回されていた。
今にして思えば、振り回されたのも勉強であった。すべてが経験となった。一番いい勉強は自らの経験。この経験によって自分は成長できた気がする。
不安で一番厄介なのは、考え過ぎること。
考えてもしょうがないことを、人間は飽きもせず悶々と考えてしまう。本人はその考えをやめて他のことを考えたいのだが、ところが不安はそうはどっこい問屋が卸さない。つねにわたし(不安)のことを考えなさいよと命令してくる。不安の正体はわたし(自分)なのである。
来る日も来る日もわたしという不安が朝から晩まで出現する。せっかくわたしを抑え込んでも今度は他人の言葉で不安が再発する。不安の正体は、他人からの伝染と自らの心から湧き上がるもの、これが不安の正体である。
せっかく前向きになっても、友達にネガティブな言葉を言われると、すぐに落ち込んでしまうのが人間の弱さである。この弱さはどこからきているのか?それは自分を持っていないところからきている。
自分を持とうよ。
他人の意見に惑わされない自分を。
そして、自分に惑わされない自分を。
持とうよ。
そのために、「心は自分の道具だ」とすることだね。道具であれば、自分が惑わされることはない。道具は自分が思うように使うだけ。道具に使われて奴隷になってはいけない。あくまでも心は自分の道具だ。
そして、他人の意見も同じこと。
他人の意見は他人の意見である、自分の考えと違えば、この意見に従う必要がない。他人の意見も道具だ。この道具はアドバイスとして優れた道具か?それとも不良品の役に立たない道具か?判断するのは自分である。
自分を持っていれば、不安は「なるようになるさ」で終わらせることができる。
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考えてもどうにもならないことは放置しておけば
なんとかなると思っています。楽しい事を考えた方が
美のため健康のためなのでお得です。