もちろん、金を人間生活の第一の目的などと考えるべきではない。だが同時に、安心して暮らせる平和な生活や社会の安定は大部分が金で支えられている事実をみると、金など取るに足りないものだといえないし、聖人ぶって金を軽蔑するのも正しくない。
実際、人間の優れた資質のいくつかは、金の正しい使い方と密接な関係を持っている。寛容、誠実、自己犠牲などはもとより、倹約や将来の配慮というような現実的な美徳さえ、金とは切って切れない仲にある。
その一方で、金儲けに血道をあげる人間には強欲やペテン、不正、利己心がつきものだ。また、金という天からの授かりものを乱用する連中は、浪費や不節制、明日をも知れぬ放蕩の深みにはまり込んでいく、つまり悪徳もまた金のなさるわざなのだ。
世間的な意味での快適な生活を正当な手段によって追い求めるのは、決してまちがったことではない。快適な生活がもたらす物質的充足感は、人間性を向上させる保証となるし、生活に不自由がなければ家族も立派に養っていける。キリストの十二使徒の一人がいうように、家族すら満足に養えない者は「信仰なき者にも劣る」のだ。
しかも、人生の向上に資するようなチャンスをどう利用したかによって、世間がその人に抱く尊敬の程度は大いに左右される。だからわれわれは、快適な生活に無関心でいられない。人生に成功し、何不足ない生活を手に入れようと努力することは、それ自体が1つの教育である。
その努力は人間の自尊心をかきたて、実務能力を引き出し、忍耐や持久力という美徳を鍛え上げる。先見性あり注意深く心を配る人間は、優れた思慮分別を持っているにちがいない。現在の生活にこだわることなく先を読んで未来に備える人間には、浅はかな考えの持ち主は一人もいないはずだ。
そのような人は節制にも心がけ、いかんなく克己心を発揮するだろう。この克己心という美徳ほど、人格形成に強い力を与えるものはない。
S・スマイル著 「自助論」より引用。
自助論を読んでみて、自分の考えが正しいと裏付けられた。
正当な理由でお金を稼ぐのは愛である。
そして、お金は知恵である。知恵がないとお金は稼げない。
人間の優れた資質は、「金の正しい稼ぎ方、使い方によって決まる」といっていいだろう。
お金を無駄に使う浪費は、お金に対しての感謝がない証拠。感謝がないということはお金を敬う気持ちがないので、お金を大切に扱わない。だから己の欲望でもって、夜のお店で女の子相手に豪遊する。欲望を抑える克己心のないまま、孤独に耐えきれなくて死に金を使う。
死に金の後は死が待っている。
浪費や不節制、明日をも知れぬ放蕩の深みにはまり込んでいく、つまり悪徳もまた金のなさるわざ。金を悪用する連中は、いずれ財産を失い、不幸のまま人生の幕を閉じる。
お金は生き金として使うべき。
ええかっこして、夜の店の女の子にモテるために使うべきではない。それに、彼女らはあなたの愛など求めていない、克己心のないあなたを心から尊敬して好きになるわけではない。目を醒ましなさい、あなたには守るべき家族がある。お金は家族のために使うべきだ。それを生き金という。生きた金を使えば、幸福な人生の幕が開く。
お金を愛にするためには、美徳を養うこと。
寛容、誠実、自己犠牲、倹約や将来の備えという美徳を養おう。
美徳は欲望を抑えた克己心と自制心で養われる。
美徳は、たゆまぬ努力と忍耐によって養われる。
美徳を養えば、お金は愛になる。
そして、この愛はどの愛よりも尊い。
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間違わないように整理をした後には、お金がなければ生きられない。
生きられないのに、他人に愛は注げない。
夫婦喧嘩は米びつからと言います。
昔の人はいいこと言ってます。
貧乏で結婚しても良いと思います。
2人で信じあい、支えていく決意をしたら幸せは日々生まれていきます。