できれば働きたくない。
私はダメ人間でいい。
仕事は継続できず、定職に就かないままノンビリと気楽に生きていきたいのなら、それもいいだろう。周りからどう言われようと、自分がそうしたいのならそうすればいい。もし、これで食べていけるのなら、とても羨ましい限りだ。
働かず食べて行ける。一生遊んで暮らしていける。好きなことだけやって暮らしていける生活は、人間なら誰しも一度は憧れた生活だ。このまま、誰にも迷惑をかけずに、静かにおとなしく余生を送ればいい。
だが、そういう人に限って他人に迷惑をかける。働くというのは人間の基本を持つこと。基本のない人が社会で生活すれば周りに迷惑をかける。親兄弟に迷惑をかけ、結婚すれば愛する妻や子供に迷惑をかけ、独身なら恋人である彼女にも迷惑をかける。
また自分にも迷惑をかける。働かないという罪悪感が、心の病を引き起こす。なんでオレは仕事が長く続かないのだろう。なんでオレは人とうまくいかないのだろう。プライドが高く、すぐに人とぶつかる忍耐力のなさが自分に迷惑をかけている。
仕事が大嫌いだといいながら、社会からの拒絶感と喪失感で自分の心が病み、自分自身に迷惑をかけている。働くことを嫌う人は、人間としての存在を拒否しているのと同じである。それを肌で感じながらも、どうすることもできない自分がいる。
そういう人は、本当の働く意味を理解していない。
仕事とは喜びである。
崇高な仕事の中で、自分の大切な心を生かし、何物にも変えがたい喜びを味わうことができるのが仕事である。あなたは喜びを味わう前に、その仕事を投出しているに過ぎない。
やれ人間関係がどうだ、きついから嫌だ、やる気が起きない、などといっているうちは、何物にも変えがたい喜びを味わうことができない。
あとほんのもうちょっと我慢した先に喜びがあるのに、それを味わうことなく仕事を放り投げている。「なんともったいないこと」をあなたはしているのである。もうちょっと我慢すれば、崇高な喜びを感じる悦の世界に入れたのに、この感触を体験しないまま挫折すれば、あなたは人生の喜びを自ら放棄したことになる。
仕事とは喜びであり幸福感である。
食べるために働く。何のため、かんのためといっている人は、一生懸命働いていながら一向に幸福になれない。働くことが人間本来の生まれつきの役目だということを正しく理解していないと、その本来に順応することができないので、かりに富を得ても真の幸福は到底得られない。
たとえ困難な状況になっても、「仕事は私自身なのだ」と言い切って、敢然とこれに挑戦できる人は自分の役目を性格に認識している人である。そういう人が仕事で喜びを味わい、幸福を手にすることができるのである。
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今朝もダメかと思って開き直りダラダラと布団の中にいたら、
仕事の電話。重い身体も頭も元気になり気分も高揚。
まったく「暇」(といってもどうでもいい雑用は山ほどありますが)
ほど恐ろしい物はないです。パワハラされようと、嫌われようと、
もうそんなことは気になりません。バカバカしいから辞めてもいいのですが、
勝手に身体が動いてしまいます。