ホーム > 愛することより、見極めること > 悪い思いを抱けば悪い結果となり、正しい思いを抱けば良い結果となる。
ただそれだけ。
思考を変な風にいじくることはない。「悪い思いを抱けば悪い結果となり、正しい思いを抱けば良い結果となる」ただ、それだけだ。

だからどんな境遇でも、正しい考えのもとで正しい思いを抱こう。
変な欲求に走って、自分の思いを悪い方向に考えないことだ。もう一度言う「悪い思いを抱けば悪い結果となり、正しい思いを抱けば良い結果となる」ただ、それだけだ。

悪い思いは苦しみを生み、正しい思いは喜びを生む。
これが人生の法則である。あなたはこの法則に従って生きればいい。

もし、あなたがいま苦しみのどん底なら、それはどこかで悪い思いを馳せたからである。この悪い思いを断ち切らない限り、あなたの苦しみは永遠に続くでしょう。苦しみを断ち切る方法は一つしかありません。それは悪い思いを断ち切ることです。

もしあなたが、不倫をしているのなら、この愛は断ち切ってください。不倫の愛を正当化してはいけません。多くの人がこういった間違った愛を一生懸命正当化しようとしますが、どんなに正当化しても、ここに正しい愛はないのです。

あなたは不倫をするような女性ではありません。あなたは不倫をするような男性ではありません。あなた方は基本的には正しい人間なのです。清く正しい心を持ったあなた方が、どういう運命のいたずらか分かりませんが、この愛し方は間違っていることに早く気づくことです。

あなたがもし浮気をしているのなら、それも間違っています。パートナーに飽きたとか、愛がなくなったからと、いろいろパートナーの悪口を言って自分を正当化しますが、浮気をすることが正しいとは言えません。あなたはただパートナーを傷つけているだけです。

いま付き合っている人を愛せない。もう好きでない、もう飽きた。相手の嫌な欠点ばかりが目につく。働かない、家事をしない、だらしない、このパートナーといると地獄だ。どんなに悪名高き理由があるにしても、あなたの行動は間違っています。

不倫・浮気、すべて間違っています。なぜなら順番が違うからです。あなたが新規の正しい恋をしたいのなら、パートナーと正式に別れたからしてください。結婚しているのなら離婚して、恋人がいるのなら恋人と別れて、新規の恋愛をしてください。

それは、おそらく様々な事情でできないでしょう。
結婚していれば、家族がいて生活があります。子供たちもいます。生活費もかかります。いま離婚したら、とても自立した生活はできません。つまり離婚しようにも、お金がないのです。結婚とは責任の上に生活が回るようにお金のシステムが組み込まれているからです。

お金のシステムが結婚なのです。結婚したら愛がお金に替わるのです。つまり愛=お金です。この愛を粗末にしてはいけません。お金の愛は恋愛の愛より尊いからです。お金があるから生活ができている。ここには恋愛より尊いのがあります。結局人間は愛だけでは生きていけません。安定した生活があるから生きていけるのです。

あなたはこの安定した生活を放棄してまで、不倫の愛を貫く覚悟がありますか?また家族愛が出来上がった子供たちの心を無視して、不倫の愛を貫く覚悟がありますか?たったひとつの恋愛感情の物語で、多くの人を裏切り、多くの人を傷つけてまで、不倫の愛を貫く覚悟がありますか?おそらくできないから、筋の通らない欲望の中にいるのでしょう。

こういった愛は欲望です、もう一度基本を取り戻してください。
愛には、正しい思いと悪い思いがあります。不倫や浮気の愛は、間違った愛です。人生の法則の基本を、もう一度基本を取り戻してください。「悪い思いを抱けば悪い結果となり、正しい思いを抱けば良い結果となる」これが人生の法則です。

こういった人生の法則がつまらないという人もいます。
好きでもないパートナーと地獄の苦しみを味わいながら生活していけとは?なんで私だけ犠牲にならなければならないの!という人もいるでしょう。自分の浮気や不倫の正当性をあらゆる形で主張する人がいます。自分は犠牲者だと。

犠牲者になりたくなかったら、自立することです。自立さえすれば、犠牲者になることはありません。もしあなたが男性で、不倫相手と結ばれたいのなら、残された妻や子供が一生困らない生活費を与えることです。愛とは責任です。この責任を果たしてこそ、あなたのワガママは通用するのです。

でも、それは宝くじでも当てない限り無理でしょう。
一般の人には無理です。あなたは妻や子供のために3億円用意できますか?億万長者でもない限り、無理だと思います。

では、どうするか?
後は簡単、犠牲者になることですね。
愛は犠牲の上に成り立つものですから。

ここから私の意見を述べます。
私は犠牲者になることをお勧めします。
愛は犠牲の上に成り立っているからです。

欲望が愛ではありません。家族のために身を粉にして身を犠牲にして働く。家族が安心して暮らせるお金を用意する。すべてが犠牲の上に成り立っている。これが男ではないでしょうか。愛とは犠牲の上に成り立つものなり。これが清らかな愛です。

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コメント

おはようございます。
愛は犠牲の上に成り立つもの、あまりに深いお言葉で、正直まだ理解に至っておりません。
音信不通の彼とは、出来ることは何でもやろうと思っていました。お金を貢ぐことは出来ないと断りましたが…

子どもの頃は、年頃になったら自然に結婚するものだと思っていました。旦那さんが稼いで、私はパートタイムで働き、家事がメインでというイメージ。現実は、結婚はおろか恋愛でさえまともに出来ない。スマホの登場は想定外、出会えるサイトが問題視されていたのに今やアプリで気軽に出会えるサービスが乱立。あれ?これは問題じゃないんだ??私は時代遅れなようです。

働くようになりお金についても学び、結婚は本当に大変な覚悟のいることなのだと痛感しています。家を買うのと同じかそれ以上。考えれば考えるほど躊躇う、私自身が相手と結婚したくても、躊躇う相手の気持ちも分かる気がします、男性なら特に。

結婚をしたいか?分からなくなってきました。
相手が好きで一緒に居たいから、それだけの理由で結婚していいのか?犠牲を厭わない覚悟があるのか?沢山の情報と経験談を簡単に目に出来る時代、ネガティブな情報を目にする度に恐い気持ちが生まれます。

No title

既婚者の方と別れて4年経ちました。今でも大切な人です。だから彼が苦しむような念を送ったりはしていません。彼の大切な家族にも幸せでいてほしいと思うのは真実です。
だからお付き合いした期間も短かったです。 もう別れて4年も経てば忘れても良いころですが、純粋に彼を思ってしまいます。
いつもならある程度の期間で過去を忘れてしまうのですが、どうしても心のどこかで「一緒にいたいな」と思ってしまいます。

彼とは趣味仲間で友達も共通していますが、会うこともありません。
でも・・・以前「彼の職場の近くで私も働けたら、すぐに会えるのにな」なんて、いつも思っていたら。。。転職先が彼の職場と徒歩20分の隣駅でした。
私は西東京に勤務していたので都内の真ん中、隣駅になるのは奇跡みたいな感じがしました。

もしも潜在意識が働いてくれたら私と彼は夫婦になることもあり得ますか?
でも、私の前にきっと別の男性が来たら、そっちに行っちゃうかもしれませんね。
彼以外に素敵な男性、たくさんいますものね。。。
支離滅裂になってしまいましたが、きっと慰めてほしくて書いたような文章になってしまいました。

先生、何かコメント頂けたらすごくうれしいです

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