もし、それができれば誰でも成功できます。
「思いを集中させ、強い意志を持ち、自分の心をうまくコントロールする」ことができれば、望んだのは何でも手に入るでしょう。
成功とは、それがどんな種類のものであれ、努力したものに与えられる栄冠です。栄冠を手に入れるのも地に落とすのも心一つです。ジェームス・アレン(思いのパワーがすべてを決めているより)
こうして15年もブログを書いているのも、思いを集中させ、強い意志を持ってやっているからです。並大抵のことではできません。ときどき思いがぶれて集中できず意志薄弱となることがあります。「今日は何を書こうか?」「何も書くことない」「なんか・・・書く気がしない」心が一つではなく乱れることもあります。
それでもパソコンに向かって、ブログを書き始めます。ときどき至らない記事があるのは、心が集中できず意志がぶれているからです。それでも書く。これが自分の日課だと思って書く。自棄のやん八(やけのやんぱち)やっつけ仕事でも構わない。毎日欠かさず書くことに意義がある。「これが自分の歴史だ!」そう信じているからです。
成功するには犠牲を払うこと。
体調が悪くとも、やけのやんぱちでも書く。気分がすぐれなくとも書く。この15年間心の内戦と戦いながら犠牲を払ってきました。「体調が悪いときはブログを書くのをやめたら?毎日書く必要はないよ」という親切な忠告もあります。
この忠告は私にとって、余計なお節介かな。 これだと沖川でなくなる。そのうち書かなくなる日が来るでしょう。ペース配分は出来ているから大丈夫。やるところまでやってみるだけです。
成功とは自らの思いを集中させた結果です。集中力はときどきぶれますが、継続することで集中力がまた蘇ってきます。自らの思いは継続によって成り立つ。「ぶれた集中力は継続する力によって蘇る」それを肌で感じているからブログを書き続けているのです。
私は思います。
少しも成功しない人は、少しも犠牲を払っていないからです。
大きな成功を納めている人は、それだけ大きな犠牲を払っているということです。
だから、私は犠牲を払っているのです。小さな犠牲ですけど。
夢を大きく持つなら大きな犠牲を払わなければなりません。たとえばオリンピック選手なら、自分の自由時間はほとんどなく毎日の練習に8時間も10時間も筋肉を痛めつけて酷使しています。寝ても覚めても、考えるのはオリンピックでメダルを取ることだけしか考えていないでしょう。それは多大な犠牲です。でも、一般の人はそこまで犠牲を払っていません。また払う必要はありません。オリンピックはみて楽しむだけですから。
私も一般人なので、そこまで犠牲を払っていません。でも、小さな犠牲は払っています。犠牲なしに成功はあり得ないとすれば、犠牲を払えばいいのです。自由時間を怠惰な遊びだけで費やすのでなく、1日の1割でいいから、犠牲を払えばいいのです。これなら誰にでもできると思います。
私が毎日ブログを書いているのは、小さな犠牲です。1日24時間だとすると、1割の犠牲で2時間ちょっと、ブログに90分、運動に30分、読書に30分合計150分、合計2時間30分の犠牲を払っています。ボーッと生きるより、1割だけ犠牲を払うことにしています。
1割の犠牲。これがなかなかいい。
まず、不安がなくなる。
生活も安定して幸せに暮らせる。
この幸せは1割の犠牲によるものと確信しています。
大きな犠牲を払う必要はありません。
大きな犠牲はしんどいから、長く続きません。
その点、小さな犠牲なら長く続きます。
最後に、「犠牲」という言葉が嫌いな人もいると思います。
でも、私は好きですね「犠牲」という言葉が。
成功は犠牲を払うもの。
犠牲とは投資です。幸せになるための。
だから、犠牲なしの幸せはありません。
愛は犠牲を払うものだからです。
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先生が毎日ブログ記事をアップくださいます。彼や他のことで気持ちが落ちてどうしようもない時も、「明日、またブログを見て気付きを得よう」と思えます。
継続することがいかに大変か。毎日ブログをアップくださりありがとうございます。私も、継続出来る人になりたいです。彼への想いは継続出来るのに…笑