そのときは押しつぶされそうになっても、お先真っ暗で八方塞だとしても、それはあなたなら乗り越えられる試練だから、あなたに与えられたのです。
神は教えているのです。
生きていくためには、「あなたにはここが足りないよ」と教えているのです。
神だか仏だか知りませんが、「試練」とは本当に厄介なものです。
でも、まあいいか。
「神は乗り越えられない試練を人に与えることはない」というから。
これで、少しは安心しましょう。
自分に与えられた試練は、自分の力で何とかなると。
そうやって心を転じていけばいいのです。
試練を与えられて、私と話すと「スッキリ」するというお客様がいます。
そのために私はこの仕事をやっているのですが、お陰様で全国からたくさんのお客様がみえています。
ときどき思い出して、私のところを尋ねる。
これでいいのではないかと思っています。
1年ぶりに来られるお客様。3年ぶりに来られるお客様。中には10年ぶりに来られるお客様もいます。あのときの私との会話がどこかに鮮明に残っていて、また「スッキリしたい」という気持ちで来られるのでしょう。とてもありがたいことです。
「先生と話すと、心のわだかまりがとれてスッキリします」「先生と話す前は心が疲弊していましたが、先生と話して心の疲れが取れました」「お陰様で、スッキリした気分で帰れます、ありがとうございました」。
そんなこと言われると照れますが、私自身もスッキリして、「善行をしているうちに得られる思いがけない仏の恵み」にしたっています。ありがとう、またおいで。
神は乗り越えられない試練を人に与えることはない。
だが、独りでは乗り越えられないこともある。
そんなときは、おいで、私のところへ。
「スッキリ」しましょう。
試練について、
私の考えを述べます。
人が生きていくうちは試練がつきまといます。
試練には大小あります。
小さいものは日常的にあるのではないでしょうか。毎日、数週間に一度、数ヶ月に一度とあるかもしれない。
大きいものは、数年か数十年に一度。人生の転換期に起きる試練。進学や就職、転勤や転職、恋愛や結婚、人生を左右するところで試練が起きる。
試練は大小ありますが、どんな試練でも乗り越え方はひとつです。
それは、「こだわり」を持たないことです。
こだわりさえなければ、どんな試練でも乗り越えることができます。
こだわりとはなんでしょう?
こだわりの意味は人間の欲望です。人間の欲望は無限に広がり、こだわりの数も無限に広がります。こだわりの代表格が執着です。続いて支配欲。さらに身勝手な欲望です。「執着・支配欲・身勝手な欲望」こういったこだわりを捨てれば、どんな試練でも乗り越えられることができます。
試練の乗り越え方は、試練を素直に受け入れることです。試練に反抗するよりも試練を素直に受け入れることです。試練を否定せず試練を肯定しましょう。
試練に遭遇したらあきらめなさいといっているわけではありません。試練は「あなたにはここが足りないよ」と教えているわけですから、試練は教訓なのです。試練は反抗や否定や抵抗の場ではなく学びの場なのです。試練は成長するための勉強なのです。
勉強の仕方は、こだわりをすてることです。
これが課題です。
あなたはどうやってこだわりを捨てますか?
捨て方はひとりひとりの才覚によるものです。
才覚は、それぞれの経験によって決まります。
たくさんの人に裏切られ、たくさんの煮え湯を飲まされ、これでもかこれでもかと打ちのめされ、これ以上ない波乱の人生を送って勝ち抜いて生き残った人なら才覚は抜群にありますが、心弱き一般の人には、期待するほどの才覚はありません。
みなさんこだわりの中で生きているのです。
普通にこだわりの中で生きているのです。
前記のような波瀾万丈の中で勝ち抜いた人はそうそういないと思います。
でも、大丈夫です。
私がいるから。
私はあなたの味方になって、あなたからこだわりをなくす努力を惜しみません。
もちろん強引ではありません。あなたの考え、あなたの信条にそって、あなたのこだわりがなくなるようにお手伝いします。私の生きた経験をあなたに伝授します。
だから、私の鑑定はスッキリするのです。
だから、あと味がいいのです。
試練をひとりで乗り越えられないのなら、一緒に乗り越えましょう。
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そしたら、今朝 同タイトルのこの記事が出て 少しびっくりしてました.
会ったことないけれど、沖川先生と気持ちが通った気分でした. ふふふ
神様は きっと見てるのですね~ *.゜
いや、先生もきっと心の瞳でみんなのこと見てくれてるのですね 😊