これが皆さんの答えだろう。
◯好きな人といるのは幸せだ。
●だが、条件が悪いと不幸になる。
◯条件がいい人といるのは幸せだ。
●だが、好きでないと不幸になる。
どちらも正解であり、どちらも不正解なら、そこから先は、決めるのはあなた自身だ。
本来なら両方揃っている方が理想だが、「神は二物を与えない」という厄介な試練を人間に与える。神は意地悪だ。「そう簡単に、人々が望んでいる幸せを与えない」これから先は、個人個人が試練を乗り越えて、自分の力で幸せを勝ち取りなさいというテストを神によって余儀なくされる。
神のテストか?
私たちは神の実験台にされているのか?というほど、おぞましい現実が、私の鑑定には、あっちこっち、嫌になるほど、たくさん見受けられる。よくもまあ、次から次へと答えの見つからない試練があるものだと感心させられる。これはまさしく神のテストといっていいだろう。
ならば、テストに合格すればいい。
テストに合格するには、神を欺くこと。
あなた自身が神を欺けばいい。
手前味噌だが、私はすでに神を欺いている。
どういうことか?というと。
私は試練を試練と思わない性格になった。
だから神の魔のテストに引っかからない。
神の魔のテストに引っかからないから、試練が試練でなくなる。
逆に試練そのものを楽しんでいる。試練を楽しめば、テストは合格する。
好きな人といるのが幸せか?それとも条件のいい人といるのが幸せか?
好きな人といれば幸せか?それは幸せだ。
だが、好きな人は条件が悪い。そんなの気にしない。私には依存心がないので、条件は自分で良くしていく。条件が悪いのが試練なら、それを楽しむだけ。好きであれば、どんな困難も乗り越えられる。好きという気持ちは大きなエネルギーと大きなパワーを生み出す。このパワーとエネルギーが困難を乗り越える力となる。困難を乗り越えた先の幸せほど、幸福を感じるものはないからだ。
条件のいい人といるのは幸せか?それは幸せだ。
だが好きではない。そんなの気にしない。私は表面的な好き嫌い、生理的な好き嫌いで人を判断していない。条件のいい人は尊敬に値すると思っている。「尊敬から愛に変わる」という中味を重視しているので、表面だけの好き嫌いはどうでもいいのである。この人の持っている尊敬できる中味をもっともっと知りたいと思っている。条件がいいのはある種の才能だ。私はその才能に惚れる。自分がもっていない能力と才能。これをこの人から学ぶことができるので、とても幸せだ。「好きでもないのに、ここに愛はあるのか!」・・・ある!愛はある。そこから必ず好きになってみせる!私は表面的なくだらない好き嫌いはどうでもいいのである。人間は中身で勝負だ。
好きな人といるのが幸せか?それとも条件のいい人といるのが幸せか?
私の答えは、どちらも正解である。
よって、どちらも幸せである。
好きな人は条件を良くするように努力し、条件はいいが好きでない人は好きになるように努力するだけである。どちらも試練だが、私はその試練に打ち克つ自信がある。神の意地悪な魔の手にはひっかからない。自分の望みは自分でやり遂げて達成する。
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