ホーム > 音信不通 なぜ男は音信通にするの > こんな生き方でいいのかと全てを投げ出したくなる時もあります。
ある人からの質問。
私は過去〜現在まで、DV・モラハラ・親からの暴力・嫌がらせ・パワハラ等の痛みを経験してきました。そして今は難病を抱えています…それでも人を恨まず優しく接して困っている人には手を差し伸べようと思って生きています。

ですが、人を恨まず許して優しく接しても、愛する人や優しく接してきた人からも冷たい態度を取られてしまいます。見返りを求めているわけでは無いのですが、やはり毎回、自分が辛かったり困っていたり寂しい時だけすり寄ってきて満足したら冷たくなる。これが続くと、頭の片隅で…こんな生き方でいいのかと全てを投げ出したくなる時もあります。先生も同じような感情になった事はあるのでしょうか?

質問者さんは優しくいい人だと思います。
だが、いい人は犠牲者になりやすい。

私は過去〜現在まで、DV・モラハラ・親からの暴力・嫌がらせ・パワハラ等の痛みを経験してきました。そして今は難病を抱えています。人を恨まず許して優しく接しても、愛する人や優しく接してきた人からも冷たい態度を取られてしまいます。いい人はこのパターンに追い込まれる。私のお客さんでも何人かいます。

この人に対する私のアドバイスは、「親の犠牲になるな」です。
子供をいたぶる親はもう親ではありません。こんな親とは縁を切って自立することです。
この流れで、長い時間かけて話し合い、説明をしていきます。いい人は、不幸の中にいた時間が長く、葛藤も根深く、そこから抜け出せない習慣が頑固に凝り固まっているので、自立を促す説明は困難極まりないですが、負けずに説得し続けます。

なぜ、「親の犠牲になるな」の説明を続けるか?それが不幸の基本になるからです。親の犠牲になった子は、他人にも利用され不幸になります。このままでは一生不幸の人生を送ることになります。この悪い流れの根本が親にあるのです。ですから、親から自立すること、こういったケースは、これしか解決方法はありません。

ところが、親との確執は根深いものがあり、いい人は、舐められる傾向にあります。親に逆らってまで自分の主張ができない。ちょっとでも口答えをするものなら倍返しをくらう、いや10倍返しかもしれません。つまり気が小さくて弱い。そこに親はつけ込んで、暴言や暴力を振るってくるのです。これを何十年もやられたら、いい人はもはや抵抗することができません。こんな生き方でいいのかと全てを投げ出したくなることになるのです。

ご安心ください。
あなたの人生はこれからです。

前半は親の犠牲にあって大変な人生でしたね。
でも、これからは後半の人生が待っています。
親から自立して、第二の人生、後半の人生を楽しみましょう。
前半に苦労すれば後半は楽になります。
それを信じて負けないでください。

親から自立すれば、強い人間になれます。
自分を許し、相手も許せる人間になれるでしょう。そして嫌なものは、はっきりと「嫌だ」と答える人間になれるでしょう。強い人間になるためにはそれが必要です。嫌なものは、はっきりと「嫌だ」と答える。親や上司の押しつけ、パワハラ、モラハラに対しては、嫌なものははっきりと「嫌だ!」「それはできません」「私はそれをやりたくない」とはっきりと断ればいいのです。自立とはNOといえる強さです。これを覚えちゃえば、もう他人の犠牲になることはありません。後半は、負けない人生を歩んでください。

最後に。
先生も同じような感情になった事はあるのでしょうか?
あります。
私も人がいいので、人に利用され、都合良く扱われたことがたくさんあります。愛する人や優しく接してきた人からも冷たい態度を取られたこともあります。辛かったり困っていたり寂しい時だけすり寄ってきて満足したら冷たくされたこともあります。いい人は都合良く使われ、用がなくなったら去られるからです。

若いころはそれが嫌でたまりませんでした。それこそ、全てを投げ出したくなる時もありました。でも、今は違います。今は強くなったのです。この強さは、人に利用され、都合良く扱われ、これでもかこれでもかと嫌な目に合ったから強くなったのです。つまり嫌な奴によって、心を鍛えられたということです。


今の私はどうでもいいのです。

利用されようが、都合良く扱われようが、どうでもいいのです。
それで相手が幸せになるのなら、それでいいのです。
もちろんお相手の無謀な要求には、はっきりとお断りします。
嫌なものは「嫌だ」とはっきりお断りして、そういう人たちとは付き合っています。
それでバランスが取れるようになりました。
だから、どうでもいいのです。
好かれようが嫌われようが、他人がどうのこうのではありません。
自分の人生は自分のものですから。




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コメント

No title

暴言もパワハラも人に利用されることも都合よく扱われことも
どうこうないですよ。
暴言を投げつけなければならない人、パワハラしなければならない人、
人を利用しなければならない人。そちら側の人の心の方が何か問題を抱えていてすさんでいるのです。また「恥」を知らないのです。考えればかわいそうで哀れではないですか。
憎しみは一瞬でいいです。あとはいないものだと思えば・・・・
自分が憎しみの感情に支配されるほど、苦しいことはないですからね。
心が暗く苦しいのは相手側。
心はいつも明るくすっきりとさせておいた方が幸せです。

私もいい人と言われ、相手に嫌われたくなくて、嫌とか反対意見を言えなかった。今も言える人と言えない人がいますが、言えるようになったら周りの環境は変わったかも。気づかなかったけど、良くなってるじゃんみたいな。私も達観したらいいな。

わたしは先生のことが大好きです (’-’*)♪
それは、このブログに出会ったときの衝撃と感動を今でも忘れないからです
かなり鬱々とした時期で、それこそ投げ出したいような気持ちのときでしたが、このブログに助けられました。先生のような心の強さを私も学んでいきたいです *.゜

この記事の内容は、心理学者などよりはるかに説得力があります。
私もこのとおりの流れの元、前半の人生を苦しみ続け、どこまで行けば終わるのかわからないまま、遂に病気になりました。

現在折り返しの後半戦がはじまり、自立=Noの意味が痛いほどよくわかります。
そして今、過去すべての苦労、苦悩が強さに変わり、今までの人生で初めてと言っていいほど、心身が健やかで気持ちも晴れ、嘘のようにいい状態で心も生活も送れています。
不思議なことに、過去散々私を苦しめた人から、余るほどの贈り物(色々な面で)ももらいました。
少し前の私なら、拒否していたかもしれませんが、心が入れ代わった今、何かを享受することも自分に許せています。

自分次第で人生は変わります。
どんなに根深いものでも、自分で断ち切れば、後半は幸せになれると確信しています。


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