仕方がない、お金がないのだから割り勘にするしかない。
これが現実だとすればそれまでですが、その考えで終わるのも、またどうかな?と思います。人間には価値というものがあり、価値をどのように上げるか、これもまた人間に与えられた使命であり、挑戦だと思います。
お金は必要な分だけ手に入る。
私の経験でも、必要なお金は手に入りました。宝くじが当たったわけではありません。必要だと思ったから、必要なお金が手に入ったのです。彼女との食事代が1回5000円だとすると、週4回で、1か月で2万円。意識すれば、そのくらいのお金は手に入るようになります。
どのようにして手に入ったか?
私の場合は残業ですね。上司にお願いして残業をさせてもらう。または、休日出勤の同僚の代わりに自分が休日出勤する。上司には助かったと言われ、同僚にはお陰で家族サービスができたと喜ばれ、自分にはお金が入る。これで彼女とのデート代はばっちり、全員が万々歳である。
お金が必要なら仕事の意欲が変わる。
デート代を稼ぐために、人の嫌がる仕事を買って出る。そうすることで、あいつは仕事に意欲があると上から認められ、いつのまにか出世もできた。彼女とのデート代を稼ぐために意欲的に仕事をしていたら、出世もできたのです。年収も100万円くらいアップし、これで無理して残業する必要がなくなった。
年収が増えたお陰で、独身からも卒業することができた。
ここでも必要なお金は手にすることができた。
子供も生まれ、マイホームも買った。
ここでも必要なお金は手にすることができた。
もちろん身の丈に応じたお金です。
サラリーマンができる結婚と、サラリーマンが買えるマイホームです。
身の丈に応じたお金は、必要な分だけ手に入りました。
これが自らの経験です。
お金は女性を喜ばすことで手に入るようになります。
自分だけの喜びだと手に入りません。
可愛い彼女においしいご飯をご馳走する。プレゼントあげる。旅行に連れていく。結婚して子供を作る。マイホームを買う。車を買う。それから家族の生活費と子供の教育費を稼ぐ。いやはやお金のかかることばかりです。でも、それらの必要なお金はすべて手に入りました。なぜか?なぜでしょう…不思議ですね。不思議だけど手に入るのです。お金は必要な分だけ手に入るのです。これが人間に埋め込まれた潜在能力だではないでしょうか。
私もなぜ?と思っていました。
なぜ?必要な分が手に入ったのでしょう。そのことを深く考えませんでした。もちろん、そのお金を得る過程ではたくさんの努力がありました。幾たびの挫折、幾たびの困難、幾たびの苦痛に耐えながら踏ん張った歴史があります。世の男性たちはみんなそうでしょう。私も含め世の男性たちは、みんな半沢直樹の世界を地でいっているはずですから。厳しい世界で戦った男たちは、必要なお金はなぜ手に入ったのかと質問されも、「さあ、分かりません、不思議ですね」と答えるだけです。
言えるのは、自分だけの喜びではお金は手に入らないということです。
独身男性が自分の趣味だけにお金を使う。間違いなくお金は貯まりません。お金が貯まらないので結婚もできないでしょう。彼女ができても割り勘にしてお金が貯まりません。また自分の趣味に走りお金が貯まりません。バイクに費やし、ゲームに費やし、パチンコやスロットに費やし、浴びるほど飲む酒に費やし、キャバクラに費やし、風俗に費やし、女のけつを追いかけるのに費やし、あげくの果てには精神科の治療に費やし、しまいには付き合っている彼女に「金を貸してくれ」となり下がるのがおちです。もちろん独身男性のすべてがそうではありません。ここに書いたのは最悪のケースです。
言いたいのは、必要なお金は手に入るということです。
独身でも、自分がバイクが欲しければバイクを買うお金は手に入ります。それより、自分のためだけでなく人のためにお金が欲しいとなれば、必要なお金はもっと手に入るようになる、ということです。
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人のところには、お金と言う物はころがりこんでくるとうか、
自然に流れてくるものだと思います。
逆にけち臭く利己的な人間のところには、お金も寄り付かないと思っています。
身近な例が兄弟で醜い相続争いをやると、その子孫の代になると、
なぜか不幸が襲ったり、家が潰れてしまったりしているような気がします。
あれだけ財産があった家がねーなんてよく言ってます。
悪銭身につかずは本当だと思います。