ホーム > 結婚だけが人生ではない > 自由への憧れ。
独りで生きていくには寂しい。
寂しくて孤独に潰されるだろう。

だが、孤独に潰されたら自由は手に入らない。
自由は孤独に強い人間が手に入るようになっている。
大袈裟だが、そのように見える。

私は寂しがりやだから結婚した。
そういう人も多いと思う。
結婚は寂しいからするものだから。

だが、結婚すると自由がない。
結婚しても自由があるという人もいるが、自由はない。
本当の自由など結婚にはないのだ。

自由とは誰にも邪魔されず生きることであり、制約があってはならない。
ひとつでも制約があるとそれは自由でないからだ。

制約のない社会があるだろうか?
ない。社会は制約のオンパレードだ。
仕事も法律も交通ルールも制約だらけだ。

せめて家に居るときだけでも制約のない時間を過ごしたい。
好きなものを食べ、好きな時間に寝起きする。
ボーッとテレビを見てもいいし、ゲームをやってもいい。

それじゃオタクではないか。
そう、自由とはオタクになること。
日中は制約の中で生き、夜はオタクになること。

ただし、仕事もせずに家の中に閉じこもっているオタクではない。10時間以上仕事という戦場の中でもがき働き、家に帰ったら何もせずボーッとしていたいだけだ。

自由を手に入れるには経済力がないといけない。生活費を誰かに依存しているようでは自由といえない。だから、オタクは自由ではないのだ。

自由って家の中でボーッとしていることか?
違う。自由とは好きなことをやれる権利を得たことをいう。

旅行をしたければ、好きなときに行きたい場所に行ける。
海外でもどこでも。

お酒が好きなら、深夜でも朝方でも思う存分飲むことができる。
飲み過ぎて二日酔いでダウンしても、誰も文句は言わない。

いちいち、「どこに行くよ」と断る必要もない。
心配してくれる人は誰ひとりいないからだ。

旅に出ようが、お酒を飲もうが、バイクを買おうが、どんな服を着ようが、どんな髪型にしようが、どんなものを食べようが、どこに住もうが、それらは全部自分の自由意志で決められる。

異性が好きなら、何人と付き合ってもいい。キャバクラに行こうが風俗に行こうが、合コンに行こうが、アプリで1000人物色しようが、何人と関係持っても、何人とデートしても、嫉妬に狂うパートナーはいない。それこそ自由に動ける。

自由とは節操がないことをいうのか?
それは人によりけり。
節操なく自由を求める人はいずれ天罰が当たる。
節操のある自由人は、誰にも迷惑をかけず穏やかに暮らしていける。

ここから先は、私見だが。
求めるのは、誰にも迷惑をかけず穏やかな暮らしができる自由人になること。誰にも迷惑をかけない自由人とは、節操のある自由人。そのために、恋愛はしてはいけない。恋愛をすれば相手に迷惑をかける。

責任を取らない情でもって人を不幸にするくらいなら、恋愛などしなければいい。本当の自由とは、異性を愛さないこと。そのために、性欲の欲望を断ち切ること。

性衝動の転換。
性衝動のエネルギーを、自由と社会のために役立てよう。これができてこそ、節操のある自由人になれる。

後半は私の私見になってしまい申し訳ない。
あなたが結婚を望まず、自由を手に入れたいのなら、どうぞ恋愛などしないでください。恋愛をすれば自由を失います。本当の自由は誰にも迷惑をかけないで独りで楽しむものです。憧れますね、そういう生き方も。本当の自由を得た人間は、一度しかない人生をうんと楽しんでいますから、これは憧れです。



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コメント

朝から深い内容を読ませてもらいました。
不倫してる方に読んで欲しいです。

No title

先生の私見は正論だと思います。節操のある自由人。
私の住んでいる所にはリゾートマンションがあるのですが、
今ではリゾート用ではなく、第一線を退いた高齢の単身者が
移住してきています。独り身になった経緯はわかりませんが、
人を遠ざけ本当に自分一人で生きる人もいれば(この方にとっては快適なのだろう)、
70歳過ぎてからも新しい土地で習い事を始めたり、積極的に仲間を作ったりして
毎日楽しく幸せだと言う人もいる。
生き方は人それぞれですが、先生が前に書かれていたように、
人は人生の最後まで孤独で(自立とは)誰も助けてくれないのが当たり前なのだなと
思うようになりました。でも孤独との引き換えに手に入れた自由で
それなりにその人なりに、好きなように生きればいいと思います。
人に迷惑をかけず節操を持って。


自由人同士が時には慰め合い、生きていけば
winwinなのかもしれませんね。

先生流石ですね、

永井荷風、森茉莉の様な生き様が思い浮かびました。

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