「いい」 「悪い」という判断はしない方がいい。
どちらでも「いい」のだ。
どうも人間はどちらかに決めたがるようだ。
白黒・・・どちらかにしろと。
片方が良くて、片方は悪いと。
結婚する人は良くて、結婚しない人は悪いと。
結婚する人は健全な国民で、結婚しない人は非国民だと。
結婚する人は常識があって、結婚しない人は非常識だと。
結婚する人は幸せになって、結婚しない人は不幸になると。
私たちは、出来事や状況を「いい」か」「悪い」かのどちらかに振り分けようとする傾向がある。だが、それは本来どちらでもない。自分の解釈を適用するから「いい」とか「悪い」とかに見えてくるだけだ。
100%いい出来事はない。
また100%悪い出来事はない。
結婚して不幸になる人もいれば、結婚しなくても幸せになる人もいる。
結婚した途端に人が変わったように非常識になった人もいる。独身の頃は優しかった彼だが、結婚した途端に暴言を吐いて暴力を振るうこともある。独身の頃はデートのたびに毎回ごちそうしていた彼だが、結婚した途端に生活費を入れないダメ夫の非国民になることもある。
結婚だけが人生のすべてではない。
だから、結婚する、しないで、「いい」 「悪い」の判断を下すものではない。
幸せになるか、不幸になるかは、それぞれの人間性の問題だからだ。
私は結婚しても、しなくとも、どちらでも「いい」と思っている。
だから、人に向かって「結婚はいつなの?」と聞くつもりは毛頭無い。「する」 「しない」はその人の自由であり、年配者が出しゃばるものではない。悪名高き悪い年寄りになりたくなかったら「あなた、結婚はいつなの?」と若い人に聞くものではない。
聞く方が非常識で、聞く方が非国民だ。相手の考えや自由を尊重していない悪名高き年配者の間違った常識論「あなた、結婚いつなの?」これほど、若者を傷つける言葉はない。
結婚しても、結婚しなくても、どちらでもいい。
その人が決めた人生だ。「いい」 「悪い」という判断はしない方がいい。
皆さん。
これから人を判断するときは、自分の解釈を適用するのでなく、相手の意思を尊重して解釈しよう。相手の考え、相手の自由を尊重してあげることだ。
僕は結婚しない。
私は結婚しない。
相手の言葉に、自らの古い解釈を適用してはダメ。古き常識論や古き正義論で落胆して怒りを持ったところで、相手の気持ちは変わらない。変わらないのに無理して変えようとするあなたの行為は、相手の意思を愚弄していることになる。
結婚する、しないの判断は本人に任すべきで、他人が判断するものではない。あくまでも本人に任せるべきだ。
では、私は鑑定でなぜ「あなたは、今結婚するべきだ」と言えるのだろうか?それって年寄りの余計なお世話ではないのか?
違う。
私は一般の年寄りとは違う。私はその人の真意を読み取って背中を押しているに過ぎない。余計なお世話と背中を押すのは違う。恐がりで度胸のない人を、本当はその気があるのに勇気がなく躊躇している人の背中を私は押すだけである。
結婚しても、結婚しなくても、どちらでもいい。
結婚すれば、結婚する幸せを。結婚しないのなら、結婚しない幸せを。私は提供するだけである。
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自分と違う人間を排除したり攻撃したりする虐めをやる人間になる。
常に人のやってることや生き方が気になる人、ようするに暇なのです。