ホーム > 感情をコントロールする > 人生は艱難辛苦(かんなんしんく)である。だが、淡々と生きよう。
艱難辛苦とは、非常な困難に遭ってしまい苦しみ悩むという意味のこと。

仕事がそうであったり、恋愛がそうであったり、人間関係がそうであったりする。人間は生きていることが奇跡だ。そういった苦しみと向き合って生きていかなければならないからだ。

生きるって大変だね。
でも、私たちはこうして生きている。生きることが難儀だとか、しんどいとか、辛いとか、悲しいとか、苦しいとか、そういうことは普段あまり言わずに生きている。これでいいのではないかな。

どんな困難なことが起きても淡々と生きる。
この術を見つけることができれば、困難は克服することができる。淡々と生きることは決して怠けて生きているわけではない。明日の希望に向かって生きることが淡々とした生き方であるから。

人間は淡々と生きながら成長している。
毎日の繰り返しにも成長がある。日常を淡々と生きながら、それなりの課題を見つけている。課題を見つけるのは簡単、困難に遭遇すればいいだけだ。普通の人は困難に遭遇した時、悩み苦しむが、術を見つけた人は、困難の中でも、何かの希望があるはずだと、それを見つけることだけに頭を使う。

頭を使って、ありとあらゆる方法を考えて見つける。困難なときは頭が活動するようにできている。困難なときほど人は頭を使う。それっていいことだ。今までボーっと生きてきたことが、「このままではダメだ!」と天から渇を入れられるように頭を使うので、いいことだ。

そして見つける。見つけたのはそんなに素晴らしい答えではない。奇跡を起こすような素晴らしい発見でもない。どこにもあるような正しい答えだ。これなら自分にもできるだろうという答えだ。人は自分の実力以上の答えは見つけられない。

淡々と生きる人は、自分の身の丈に応じた答えに従って、仕事をして生活をしていく。来る日も来る日も飽きずに、自分が正しいと思った答えに従って生きていく。

淡々と生きている人はあきらめる。
何をあきらめるか?それは今すぐによくなるという結果だ。結果は後からついてくるものなので、慌てて結果を求めない。ただ日々自分が信じた道を淡々と生きていく。

淡々と生きている人にも悩みがある。
果たしてこのやり方がいいかという不安だ。でも、自分には才能も能力もない。それ以外の方法も見つからない。不安だけど、この方法がいいと信じて淡々とやっていくしかない。

淡々と生きていく人は結果を求めない。
思わしくない結果になっても、悔やんだりしない。また新しい困難に遭遇しただけ。また頭を活性化させ自分ができる範囲のことを努力していくだけである。もちろんは努力は結果を求めず、今を精一杯生きていくだけである。

淡々と生きていく人は人を恨まない。
人を許す。そして人を愛する。それが淡々生きる人の生き方。

人生は艱難辛苦だ。
生きているだけで苦しい。

そうかな?
人生は苦しい?
私はそうは思わない。

人生は淡々と生きていれば楽しい。
今日もやることがあって楽しいではないか。淡々と生きている人は、それなりに人生を楽しんでいるのである。余計な心配はせず、淡々と生きているから。



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コメント

No title

淡々と生きるのは難しいです。人からの悪意には
怨み、憎しみ、不安、恐怖の感情で振り回されます。
でも淡々と生きていればいいのですよね。
先生に言われるとそうだなと思い、元気がでます。
人生は苦しいなと思う時もありますが、命まで奪われるわけではないので
どうこうないです。生きていることは奇跡だし、ありがたいことなので、
与えられた時間は感謝して楽しもうと思っています。

そうですよね

何事もインスタントに魔法みたいにすぐに解決しない!これを肝に命じています。

今はインスタント時代、
ネットやスマホでちょちょいのちょいで調べられるし、若い人は待つことが苦手と言われる。

昔は待つことは当たり前だったし、
すぐに調べることなんて出来なかった。
図書館で調べる、とかね。

何事もインスタントには為さない、
ということですよね。

淡々と生きたい。でも難しい。
感情の波が押し寄せてきて、自分はどうやったら強くなれるかと、いつも打ちのめされる。

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