ホーム > 人生哲学 > 「求めよさらば与えられん」から「求実るほど頭を垂れる稲穂かな」に転じること。
「求めよさらば与えられん」は、「新約聖書 マタイ伝」の第七章の一説である、イエス・キリストの言葉。

「求めよさらば与えられん」とは、「与えられるのを待つのではなく、積極的に自分から求め、努力する姿勢が大切である」という意味。ただ求めるだけではなく「求めるものを手に入れるために主体性を持って努力を続けるべきである」ということです。つまり、ただ単に、欲求ばかりを投げかけるだけではいけない、積極的に努力をすることが大切である、という意味になります。
「求めよさらば与えられん」は聖書や洋書でたびたび紹介されています。「求めよさらば与えられん」、欲しければ積極的に努力せよ。西洋の教えである成功哲学となって紹介されています。

「求めよさらば与えられん」・・・?か。

なんか最近は、西洋哲学に違和感を持っています。確かに西洋哲学を実践して成功した人は多い。お金も地位や名誉も手に入れた人が多い。それにあやかって、西洋のビジネス書は、成功するためには何をどうすればいいか?「成功」のキーワードだけが目立つタイトルになっている気がする。

政治家や企業の経営者。官僚や一流企業の社員。学者や医者や弁護士。格差社会の勝ち組のエリートたち。彼らのことを成功者というのでしょう。「求めよさらば与えられん」を積極的に実践した人たちだからです。

だが、彼らは非常識です。
人間性を持っていません。


成功者ほど常識がない。
政治家や経営者ほど常識がない。
学者ほど常識がない。
医者ほど常識がない。
弁護士ほど常識がない。
一流企業のエリート社員ほど常識がない。

成功者と言われている、エリートほど常識がない、といっていいでしょう。

なぜエリートほど常識がないのか?
彼らは傲慢だからです。
そして彼らは薄情で人間性がないからです。

傲慢で、ワンマンで、自分勝手で、プライドだけが高く、自分の保身だけに走っている。

頑固で融通が効かず、すべて自分が正しいと思っているので、人を見下す。

人に情けをかけない、人を愛することができない。

人間性を失った人たち。だから、彼らには常識がないのです。

成功者ほど常識がない、といっていいでしょう。
本来は、偉くなればなるほど、出世すればするほど、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」となればいいのですが、そんなエリートはほとんどいません。彼らに足りないのは、もうひとつの心である人間性です。

エリートに常識がないのがなぜ分かったのか?
それは、女性に対する接し方をみれば分かります。

女を下に見て舐めている。こういうエリートが多いということです。エリートほど、女性を見下してバカにする酷い生き物だということです。女性に対する彼らの態度は非常識です。「傲慢で自分勝手」といっていいでしょう。

彼らに必要な教育は、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という教育です。

人間は成長・発展すればするほど、愛するものに丁寧に接しなければなりません。会社も成長・発展すればするほど、会社の態度・社員の態度が丁重にならなければなりません。人間性を取り戻して初めて成功者と言われるのです。

愛する人を放ったらかしにして、自分を成功者といわないこと。これは単なる非常識な傲慢な人間です。人間性を失った成功者の人生は失敗といっていいでしょう。こういう人にはいくらお金や地位があっても、幸せにはなれないからです。

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コメント

No title

傲慢で自分勝手、私流に言うと
「自分さえよければいいというのが露骨で、賤しさ丸出し」って感じです。
(もちろんすべてのエリートと言われる人がそうではなく、貧乏人でも
傲慢で自分勝手な人間は星の数ほどいる)
でも今の女性は昔の女性と違って、3高だからといって色目をつかうことなく、
こういう非常識な男はつまはじきにするので、女性にはもてない、
結婚も出来ない、仕事も一時は成功者になれても、
すぐに転落するので、ますます性格が歪み、暗くひがみっぽい人生になるので
お気の毒様だと思います。(ざまあみろです)

仰る通りです。

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