「求めよ、さらば与えられん」から「求めない、さらば与えられる」に転じた方がいい。その方が欲しいものが手入る。しかも、自然に本物が手に入る。そんな気がしてならない。
例えば、彼氏が欲しいとする。
恋愛相談に来る女性は、みなさん口をそろえて「早く彼氏が欲しい」と熱望する。「求めよ、さらば与えられん」を実行するわけだ。合コンに出かけ、婚活パーティーに出かけ、アプルなどで相手を探す。だが、求めている最中にはろくな男がいない。言い寄ってくる男性は、変な人、タイプでない人ばかり。そんな話ばかりを聞かされている。
欲しければ求めよ。求めて行動しなさい。それは分かるが、それで変な男ばかり捕まえてもしょうがないだろう。理想とほど遠い男性と付き合っても、時間を無駄にするだけではないか、相談を請け負っている私は、親心でそう思ってしまう。
逆にしたら、どうかな?
「求めよ、さらば与えられん」から「求めない、さらば与えられる」に変えたら、どうかな。
彼氏が欲しければ逆のことをやる。
仕事を大切にして、友達との関係を大切にする。
運動して読書をして、自分の健康や向上心に努める。
人を愛し、人に親切にし、人に思いやりを持って接する。
日々の生活を、愛情を持って充実させる。
そうすれば、「この子はいい子だな」と思って、神様がプレゼントしてくれるだろう。
素敵な彼氏を。
運命の出会いとは、欲望の中からは生まれない。
運命の出会いは、充実した生活の中から偶然に生まれる。
理想の恋人とは、そうやって出会うものだ。
運命の人は、欲望を捨て、充実した生活を維持するから出会えるようになっている。「求めない、さらば与えられる」欲望を捨ててこそ、与えられる。今後も充実した人生を送りたいのなら、その方がいいよ。
最新の予約の空き状況はこちら
- 関連記事
-
- 「ばれなければいいか」と思っている人が人生を破滅させる。
- 金持ちもよし、貧乏人もよし、普通の人もよし。
- 「求めない、さらば与えられる」欲望を捨ててこそ、与えられる。
- 「求めよさらば与えられん」から「求実るほど頭を垂れる稲穂かな」に転じること。
- 不安や悩みが生きている証。その方が人間らしくていい。
たとえ心がボロボロになっていつか終わりが来る恋だとしても、
その人と出会ったことは何か意味がある必然的な出会いだと
思います。