数々の悩みに対して、私の考えは、「そんな悩み、どうでもいいじゃないか」と思ってしまいます。
人間生きていれば、いろいろなトラブルに巻き込まれ、複雑な問題にも巻き込まれ、様々な悩みが生じる。これが人間の生きている証です。
「そんな悩み、どうでもいいじゃないか」とは言っても、「投出してしまえ」と言っているわけではありません。問題は悩んでも解決しないということです。悩みは悩むのではなく、冷静に客観的に対処すること。「それをしなさい」といっているのです。
悩んでいる人間は、自分でも分からないのです。冷静に対処する方法が?悩みの当事者は、悩むことに懸命で、悩みが日常生活になって、悩みが性格の基本となって、悩むことがその人の人生となっています。だから明けても暮れても悩むのです。
だったら当事者になるのをやめましょう。
当事者の目で見るのではなく、冷静に客観的に物事を見ることです。
「客観的」とは、
特定の立場からモノを見たり考えたりするのではなく、「第三者としてモノを見たり考えたりすること」を意味します。 「自分の思い」を直接意見に取り入れるのではなく、具体的な数字や前例などから、物事を考えることを「客観的」と言います。
「冷静」とは、
辞書では、感情に左右されず、落ち着いていることを意味すると書いてありますが、私の考えはもっと飛躍した考えになります。「死んでしまえば、悩みなんかどうでもよくなる」という考えです。死んで棺桶に入ったつもりで、自分を見つめれば、自分は天国から見ている傍観者である。つまり、一度死んだ気になって見てみると、当事者ではないので、余計なことに思い煩わなくなる。それが私の考える冷静です。
悩みの当事者になるのではなく、第三者の目で見る。
死んだつもりになれば、悩みなんてどうでもよくなる。
これが冷静で客観的な判断です。
この判断ができるようになれば、「そんな悩み、どうでもいいじゃないか」となります。
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自分の感情で判断するのではなく、冷静に客観的に分析すると
なんとかなると思います。
クズの男。ブラックな仕事。感情で判断すれば好きだとしても
理屈で考えて苦しい、悔しい、報われない、バカらしいと
判断すれば、切り捨てればいいし、逃れられない相手ならば、
何を言われても動じなければいい。いないものだと思って放っておく。
どんな悩みも命を落とすよりは
マシだと思ってシャーシャーとしていればいい。
生きていることは奇跡でそれだけでありがたいことなので、
悩みなどどうでもいいと思います。楽しく過ごそうです。