人生の喜びは一瞬であとは苦労の連続だ。
仏教では、人生は艱難辛苦ともいわれている。
艱難辛苦とは、非情な困難にあって苦しみ悩むことをいう。
人間生きていれば、必然的に困難にあって悩み苦しむようにできている。
それが人間だ、それが生きている証だ。
だから、辛い悩みや苦しみがどんどん押し寄せてくる。
まるで、それに対抗するのが人間のように。
見方を変えれば、艱難辛苦に押し潰されることはない。
人生は苦労の連続だと思えば、艱難辛苦に押し潰されることはない。
逆にこれは面白い、これが生き甲斐であると感じてもいい。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
逆に、「面白いではないか」と感じてしまえばいいのである。
困難にあって悩み苦しむ人もあれば、困難にあって面白いと感じる人もいる。後者は(空海や中村天風)のような悟りを得た人間かもしれないが、私もいつかは困難を面白いといえる人間になりたい。皆さんもそうだと思います。艱難辛苦を面白いといえる人間になりたいのではないでしょうか。
困難を面白いといえる人間になる。
そのために、相当な修行が必要か?お坊さんのような荒行の修行を積まないと悟りは得られないか?そんなことはありません。人間はひとりひとりが生きているだけで相当な修行を積んでいるからです。
あなたが生きていることで、あなたが社会に貢献することで、あなたが誰かを愛することで、あなたが子育てをすることで、あなたが仕事をすることで、あなたが家事をすることで、あなたが生活することで、それらすべてが修行なのです。人間生きていること自体が修行なのです。だから、あなたは十分に修行を積んできた。お坊さん以上に修行を積んできたといっていいでしょう。
あとはあなたがどう考えるかです。
お坊さんは、その点考える世界の修行を積んでいます。
仏に仕え、困難を生き抜く知恵を、毎日お経を唱えながら学んでいます。これを繰り返せば、そういう考え方、そういう思考が身につくものなのです。
私たちはお坊さん以上の修行を積んだとしても、そういった考え方を日常生活に取入れていません。だから、取入れればいいのです。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
面白いではないかと、あなたの考え方にいれればいいのです。
あなた方は十分な修行を積んでいます。
あとは、考え方を変えればいいのです。
困難は面白いと考えることで、あなたが今まで積んで来た修行が役に立ちます。あなたは十分に生きるための修行を積んできました。あとはものの考え方です。
恋愛にもたくさんの困難があります。
よくもまあ、次から次へと苦しみが押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと不幸が押し寄せるものだ。
よくもまあ、次から次へと悲しみが押し寄せるものだ。
これが恋愛です。
こいつは面白いと考えることで、辛い恋愛が楽しくなるのです。
是非、困難を楽しむ人間になってください。
これが生きている証ですから。
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