こういったモラルのない、常識のない人間が増えている。
なんで携帯電話なんか作ったのだろう。
なんでメールやlineを開発したのだろう。
しかも、それを個人の自由裁量に任せて。
これじゃ、不誠実な人が増えるわけだ。
音信不通で悩んでいる人が毎日のようにここ川越占い館を訪れます。
お客さんの第一声は「先生の恋愛日記のような展開になり、今は音信不通です。」飽きれるほど、これでもかこれでもかと音信不通の相談が後を絶たない。どうしちゃったの日本人よ、いや世界の男性よ。なぜ、あなたはモラルのない常識のない人間になり下がったのか?まあ…聞いてもしょうがないか、携帯ができたお陰で、モラルのない非常識な人間が増えた。これが時代だと思えば、あきらめもつくだろう。
いっそのこと携帯を放棄したらどうだろう。自分は携帯を持たない。その方がかっこいいかもしれない。とはいっても今の時代は携帯はかかせない必需品となった。では、携帯は仕事のみで使ったらどうだろう。仕事と情報を取るのみに使ってコミュニケーションツールとして使わない、これならどうだろう。
携帯を使わないでどうやって付き合うの?
昔のやり方で付き合うことだね。昔は携帯電話などなかった。だから、約束は会ったその日に交わした。次のデートは来週のこの日でどうですか?と次の約束を交わした。それなら、携帯電話がなくても何ら問題はない。
今の時代に逆行する考え方だが、便利な時代から不便な時代へと逆行するやり方だが、これだけ音信不通が多くなると、恋人同士では連絡を取らない方がいいのではないかと思ってしまう。愛を確かめるのは、会ったときでいいのではないか、そう思ってしまう。
もちろん今の時代に昔のやり方を導入するつもりもない。また不可能だろう。では、音信不通にどう対処すればいいかとなると、今の時代にふさわしい精神力を各個人が身につけなければならない。時代は変化しているのに、古い遺伝子、旧態依然の精神力では、バランスがとれなくなり壊れてしまう。それでは、この時代をたくましく生きていけない。
この時代をたくましく生きる精神力とは、音信不通で苦しまない精神力を作ることである。音信不通にする人は人間性が欠如しているという常識を振りかざしてもしょうがない。携帯電話ができたお陰でその常識は通用しなくなった。人はその日の気分で生きている。人は自分勝手に生きている。連絡するしないは個人の自由である。それをいちいち連絡するのが当たり前でしょ、連絡するのが常識でしょ、といったところで、個人の自由を阻止することはできない。人間は自由なのだ。自由は常識をはるかに上回っている。だれも、文句を言うこともできないし、誰も相手の自由を阻止することはできない。
というように、音信不通にしている人は、自分の自由意思でしている。罪悪感を持ちながら、連絡するかどうか迷いながら、しどろもどろ躊躇しながら、やっぱ…やめておこうと自由意思で連絡をしないでいる。そして面倒臭いから連絡をしないでいる。面倒臭いと感じるのも本人の自由意志である。その身勝手な非常識を、自由を重んじる世界では、誰も止めることができないし、誰も注意することができない。下手に注意をしたら、即刻その人が嫌われるだけだ。
というわけで、音信不通は本人の自由意思でやっている。非常識だろうが、なんだろうが、本人の自由意思で音信不通にしているのである。そして、音信不通にしている人に、「これって人してどうなの?」という常識は通じない。自由意思に常識もくそもないからだ。
では、された側はどうか?
された側にも自由意思がある。
今回はされた側の自由意思をもっと強化することにある。
相手が非常識なら苦しむことはない。なぜ、あなたは非常識なことをされて苦しみむの?それが意味わからない。非常識な行動を取っているのは相手の方で、あなたが思い悩むことはこれぽっちもない。
私が何かしたから彼は音信不通にしている?
私が責めたから、私がヒドイ言葉を発したから、私が焦って白黒勝負に出たから、私がネガティブになって暗い女になったから、私が嫌われることをしたから…私のせいだと思う女性はいっぱいいる。
そうではない。男女間の軋轢や葛藤は日常茶飯事の喧嘩両成敗だ。どちらも悪いし、どちらにも罪はない。自分が悪かったと反省するより、音信不通にしている意気地なしの彼を見下げた方がいい。こんなことくらいで音信不通にする男は将来見込みないねと見下げるくらいで丁度いい。
自分が悪かったと悩めば苦しむことになるし、意気地なしと見下げてしまえば余裕が生まれ、苦しむことがなくなる。そこから先は、彼の優しい言葉を待てばいい。男の謝罪と優しい言葉は忘れたころに来る。だから、早く忘れちぇばいいのである。
音信不通にしたら終わり。
最後に、された側の自由意志の強化の部分に入る。
音信不通は相手の自由意思でやっている。ならば、された側も自由意思で終わりにすればいい。音信不通は自由意思なので常識は通じないといっても限度がある。やはり常識は必要だ。常識のない人は不誠実だ。私は不誠実な人と付き合うつもりはない。だから、音信不通にした時点でその人を切る。それが私の自由意志だ。そこのところを強化すること。
不誠実な人には不誠実な対応を。
非常識には非常識な対応を。
この対応こそが、常識であり誠実である。
愛の変なフィルターでごまかされないこと。
音信不通にしたら有無を言わせず切る。
このくらいに毅然とした態度があなたを救うのである。
あなたが望んでいる幸せを手に入れたいのなら、毅然とした態度を貫くことである。それができれば、あなたはもう音信不通で苦しむことはなくなる。音信不通にしたら即終わりだからである。
そういう風にして音信不通男をばっさばっさ切っていけば、残った男性は、音信不通にしない男性ばかりが残る。
あなたはどちらを選ぶ?
それもあなたの自由意志だ。
自由意志の強化は、あなたの情や未練を成敗して、強く正しい本物の愛を手に入れることにある。だから、音信不通にされたら、その時点で切ってしまえ。どんなに好きでも切ってしまえ。それがあなたの精神強化である。
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自分に興味がなくなれば、男なんて連絡しなくなるものだと、
そしてこちらの熱も冷めどうでもよくなった頃にまた連絡がきたりすることもあるのだと
学びました。
一度音信不通になった男なんて、どうせ気まぐれで連絡しているのだろうから
もう2度と会わないです。